フランソワーズ・サガンの翻訳者として知られている朝吹登水子さんが、古き良き時代の軽井沢を大正から終戦後にかけて語ります。
僕は“かるいざわ”と読むのですが、軽井沢の地元の人たちは“かるいさわ”と濁らずに発音するのだそうです。
なぜ?
昔からそうだと言います。習慣ですから理由はないのでしょう。
日本には“上流社会”というものが戦後まで、しっかりとあったと言います。
「いや、今だってあるよう!」
あなたは、そう言うかもしれません。
おハイソとかセレブとか。。。
でも、そう言う軽薄なものじゃなく、もっと重厚な“階級”が存在したらしいのです。
朝吹家は華族ではなかったようですが、祖父に朝吹英二という三井合名理事長と言う人が居ます。
あの有名な益田孝の右腕だった人です。
外祖父に長岡外史という明治時代の陸軍大将が居ます。
「高輪の自宅から連れてきた、二、三人のお女中・・・」と言うのです。
やはり、庶民では、このような訳にはゆきません。
鎌倉にも別邸があったようです。
大正時代に父母のことを、ダデイ、マミーとごく普通に呼んでいたそうです。
ダデイは子供達にも敬語で話していたとか。。。
「北白川宮の○○ちゃんと、このサロンでテイーを飲んだ」
庶民には書けませんよね。
軽井沢の広大な別荘には、二棟の建物があり、上の方の家をグレン、下の家をデルと呼んでいたそうです。
名付け親はイギリス人女性の家庭教師だとか。。。
宮様や、近衛公爵、前田侯爵、徳川様、○○伯爵、○○子爵、○○男爵、外国の大使、公使。。。
そう言う人たちが、たくさん登場します。
そう言う人たちとテニスをしたり、ゴルフをしたり、ダンスパーテイーで踊ったり、テイーを飲んだり、優雅で豊かで楽しい別荘生活を送っていたのです。
当時の上流社会がどのようなものだったのか?
確かめたい人はぜひ読んでみてください。
246ページの殆どのページに写真があり、上流社会の様子が見て分かるようになっています。
『私の軽井沢物語』
朝吹登水子
文化出版局
内容
大正期から戦後までの旧軽井沢を、昔のアルバム写真とエッセイでつづる。樅の木の下のパーティ、テニスコートの語らい、よき頃の避暑地の想い出がよみがえる。
単行本: 246ページ
出版社: 文化出版局 (1985/07)
ISBN-10: 457930229X
ISBN-13: 978-4579302291
発売日: 1985/07
商品の寸法: 20.6 x 15 x 2 cm
朝吹登水子の本
■ 『漢字馬鹿の再来 (2009年2月13日)』
■ 『漢字馬鹿の悦楽 (2009年2月15日)』
■ 『漢字馬鹿の自己矛盾 (2009年2月17日)』
■ 『あなた、おかえり (2009年2月19日)』
■ 『脳内漢字馬鹿 (2009年2月21日)』
■ 『他人の不幸は蜜の味 (2009年2月23日)』
■ 『漢字馬鹿の恋 (2009年2月25日)』
■ 『馬鹿のモデル (2009年2月27日)』
■ 『漢字馬鹿さん元気?(2009年3月25日)』