ヒラリー自伝
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若い人はエドマンド・ヒラリーなんて耳にしても知らないんじゃないかな?
どうでしょうか?
明治時代の若者は次の言葉に感銘を受けたんですね。
もちろん、ごく一部の若者でしょうが。。。
『少年よ、大志を抱け!』例の有名なクラーク博士が札幌農学校(北海道大学の前身)を去るときに教え子たちにそう言ったと伝えられています。
実際、札幌農学校からは実にユニークな人材が出たんですね。
内村鑑三、新渡戸稲造、。。。など。。。
「人に感化される」とはよく言われる言葉ですが、確かに、このクラーク博士という人は、アメリカではさほど有名ではないのですが、当時の日本人の教え子たちには、相当の影響をあたえたようですね。
このヒラリーにも有名な言葉が残っています。
エベレストを人類で初めて登頂した彼に対して、「どうして山に登るのか?」
そう尋ねたジャーナリストが居たんですね。その時、ヒラリーは答えて言いました。
『そこに山があるからだ』
人によったら、相手を小ばかにした答えとも受け取られかねないですよね。
「なんだ、その答えワ!俺を馬鹿にするのか!」なんてね。
でも、かっこいいじゃないですか!
そういう時に、そんな単純なことはなかなか言えないですよ。
もっと、勿体をつけたことを言う人が多いと思いますね。
でも、実際にはそういうもんですよね。
僕なんかもよく聞かれますよ。
どうしてカナダに27年間も暮らしてたの?
僕は言いたいですね。『そこにカナダがあったからさ』
そういうもんなんですよ!そんな崇高な目的があるわけないんですから!
人間は、はっきりとした目的を持って生きてるわけじゃないんですからね。
そういう人が居たとしても、まれですよ。
「あんた、何で日本で暮らしてるの?」
こう僕が尋ねるとしますね。するとあなたは答えて言いますよ。
「日本で生まれたからさ」
あなただって、何も崇高な目的があって日本で暮らしているわけじゃない。
つまり、あなたも、僕も、このヒラリーも人間として、あまり変わったところがないんですね。ほんのちょっとしたことで、人生が変わってしまう。でも、そのほんのちょっとしたことが、なかなか分からない。
この本を読むと、しみじみとそういうことを感じさせられますよ。
この本の中に、こういう個所がありました。
『小学校時代で最も傷ついた経験は、笑いが原因だった。私は学年を飛び越して2年から4年に進級した。校長は背の高い厳しそうな男で、まったく子供嫌いという印象を与えた。最初の授業は地理だった。彼は私に地図の上でアジア大陸を示すようにといった。どぎまぎし、頭に血が上って、私はアジアはおろか大陸ということすら理解できなかった。私はますます上がってしまい、顔に愚かしい薄笑いを浮かべながら立ち尽くした。
「ハイエナみたいにへらへら笑って突っ立ってるんじゃない」と彼は怒鳴った。クラスのものはそのうまい言葉にどっと笑った。私は身をすくめ、死んでしまいたいと思った。』
いやァ~、笑ってしまいましたねェ~。しばらく笑いが止まりませんでしたよ。同じような経験を、実は僕もしたことがあるんですよ。おそらく、誰もが似たような体験を持っているんじゃないですかね?!。
つまり、この本は言ってみれば、あなたの自伝、僕の自伝なんですよ。
この人はちっとも気取りのないミーちゃん、ハーちゃんだなあ、って気がしましたね。
トリエステの坂道
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須賀敦子さんの自伝的紀行エッセー集です。
この人は1929年生まれ、聖心女子大学を卒業し、フランス、イタリアで勉強したようです。現在上智大学の教授。
イタリア人と結婚してミラノで11年ぐらい暮らしたようです。41歳の時に夫が亡くなって日本へ帰ったようですね。
海外生活に関心のある人や、海外で生活したことのある人にはとても共感を持って読むことが出来ると思います。
僕はカナダで20年以上生活した経験を持っていますが、この本を読みながらけっこう共感するものを感じながら読みました。この本のなかで、特に僕にとって意外だったのは、イタリアに移住してきたロシア人の老婆と、クロアチア人の神父さんが30年ほど生活して居るんですが、生まれ故郷の言葉をすっかり忘れてしまったというんですね。
面白いのは、イタリア語も完璧だというには程遠いというのです。つまり、お国の言葉を忘れるわ、イタリア語はブロークンなところがあるわで。。。ちょっと、笑ってしまいました。
僕には考えられませんね。
かんぐれば、「もうろく」して忘れたのではないか?なんて感想を持ちました。
生まれて育った土地の言葉は、脳細胞に焼き付いているものだというのが僕の体験です。20年も暮らすと漢字を書く時に「あれェ~~? これはこうだったっけェ~?」なんてことありますよ。でも、日本人と会話するのに言葉が出てこなかったなんてことはまずなかったですね。
カナダの北極圏の近くにあるイエローナイフというところで2年近く日本語を全く使わなかったという経験をしました。日本人は僕以外に一人も住んでいませんでしたから。それでも、日本語には全く影響なかったですね。
たぶん人にもよるんでしょうね。この本の著者も、老人2人がお国言葉を忘れたことが理解できないようでした。僕も同じように感じたデスよ。もし、本当に忘れたとするなら、言葉を習得するとか、忘れるとか、そういうことには、かなりの個人差があるようですね。
とにかく、この本は僕にいろいろと考えさせる材料を与えてくれました。