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母なる言葉を
奪われたアイヌ人 by Denman
June 27, 2006
おほほほほ。。。。 デンマンさんが そうなんですのよ。 こういう事は絶対にしてはならない事でござ~♪~ますよ。 ちょっと考えてみてくださいな。 太平洋戦争に日本が負けて あなたもきっと驚くと思いますが、 この間に、もし日本語を使う事が禁止されたら 万葉集は読めなくなる。 日本の文化は消滅させられたはずです。 現在のデンマンさんは、苦労して英語を勉強しましたが、 でもね、そういうひどい事を明治政府がアイヌの人たちにしたんでござ~♪~ますのよ。 中には、自分がアイヌ人ではなく、 これは、アイヌ人を生かしたままジェノサイドをしたようなものですよね。 ふんと~♪~に、ひどいことをしたものでござ~♪~ますわねぇ~。 では、デンマンさんにバトンタッチしたいと思います。 卑弥子さん、いつもながら面白い表情を見せて紹介してくれてありがとう。
アイヌ語を奪われたアイヌ人
イランカラプテ。 「あなたの心にそっと触れさせて下さい」 そんな慎ましやかな意味をもつ言葉をアイヌは挨拶のときにかわす。 私は数ヶ月ぶりにアイヌ語教室を訪ねた。 久しぶりの教室には、自分たちの想い出がつまったビデオを見る子供たちの騒がしい声に包まれていた。 先住民として、誇り高く生きる人々。 ここに来ているアイヌの生徒たちは、アイヌ語を母語として受け継ぐことはなかった。 「滅びゆく言語」と、実際を無視していわれた時期があった。 明治政府はアイヌから一方的に生きる基盤を奪い、彼らが貧窮してもそのまま「放置」していた。 アイヌ集落に建てられた「旧土人学校」は、アイヌに多大な影響を及ぼした。 子供たちは出口のない袋小路にいた。ひたすら、民族の誇りを奪われ、劣等感を植えつけられていく。 「悲しむべし今のアイヌはアイヌをば そう歌ったのは、昭和4年、27才で逝ったアイヌの歌人、違星北斗である。 父や母、祖父母たちもアイヌのことを伝えられない。 当時の明治政府はアイヌ人同化政策のためにアイヌ人からアイヌ語を奪ってしまったんですよね。 このようなことは2度としてはならない事ですよね。 ところで、僕が6月25日にRealogで書いた記事(『平和を愛し仲良く暮らしていた古代日本人 PART 2』)に、しばしばコメントを書いてくれている更紗さんから次のようなコメントをもらいました。
セクソロジストの高橋鉄(1907~1971)は、当初は小説家を目指していたにもかかわらず、アイヌ人を主人公にした短編小説が発禁処分になってしまい、それ以来、小説を書くことをやめてしまったそうです。
絵本や児童書ならアイヌ関係の本は結構残っているのに、昔はアイヌ人が主人公のフィクションは発禁処分だったなんて想像もつかず、ちょっとショックでした(>_<) by 更紗 2006/06/26 13:27 更紗さんはRealogのメンバーではありません。 僕はさっそく次のような返信を書きました。
おおおお~~~更紗さん、
ちょうど良い時にコメントを書いてくれましたよ。 ありがとう! あさって28日の題材はすでに決まっているんですよ。 さて、明日何を書くかと考えていたところ、更紗さんのコメントの通知をメールで見ました。 これで、明日27日の記事の題材が決まりました。 僕は高校生の頃にフロイトの本を読んで精神分析にかなり興味を持ちましたが、その関係で高橋鉄さんの本もかなり読みましたよ。 しかし、更紗さんのコメントを見るまで1971年に亡くなっている事を知りませんでした。 そうですよね。 アイヌ人を主人公にした短編小説を高橋鉄さんが書いていたなんて全く知りませんでした。 とにかくアイヌ人は大和朝廷の頃から不当な差別を受けてきたんですよね。 6月25日の記事(『平和を愛し仲良く暮らしていた古代日本人』)の中で引用したように、アイヌ文化を残そうと言う人たちが現れてアイヌ語がまた息を吹き返してきたということはすばらしい事ですよね。 世界史を見ると過去にも、このような政府や時の実権者の差別政策によって、たくさんの言語が消滅しているんですよね。 人類の歴史の一部が欠けているということですよね。 人間として、自分の首を自分で絞めていることですからね。 他民族といえども、人間として、絶対にジェノサイドをしてはならないですよね。 とにかく、更紗さん、コメントありがとう。 by デンマン 2006/06/26 14:43 『平和を愛し仲良く暮らしていた古代日本人 PART 2』のコメント欄より 戦争と言う狂気の中の良識 ここで話しはガラット変わりますが、アメリカ占領軍がなぜ明治政府がやったような“文化的ジェノサイド”をしなかったのだろうか? 京都を空襲から免れさせたのはワシントンに居た当時の日本文化愛好家が、戦争遂行関係者に文化都市京都を戦災から守るべきだ、と説得して回ったという事実があったことを僕は歴史書で読んだ事がありました。 そうしたら、とんでもない書評にぶち当たったのです。
『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』
吉田守男 朝日文庫 ISBN4-02-261353-X 「太平洋戦争時、京都や奈良が空襲を受けなかったのは、
山田克哉『原子爆弾(講談社ブルーバックス)』を読んで、京都が原爆の標的として上がっていたのを知っていたにもかかわらず、です。 筆者は、アメリカ側のぼう大な資料や、どこがどれだけ爆撃を受けたかという日本側の資料を引き、 「京都が爆撃を免れたのは、原爆を落とすターゲットとして保護されていたからである」 ...という自説を証明します。 では、奈良や鎌倉の場合は? 「軍事施設のない都市はほぼ人口の多い順に爆撃を受けていたが、奈良や鎌倉は人口の少ない小都市だったから」 当時の人口(約5.7万人)から考えて、 ではなぜ、デマがもっともらしく吹聴され、現在まで信じられてきたのか。 「大都市のなかで京都だけ空襲を受けていないのは、 ...といううわさに、アメリカや御用学者が乗っかって広めたから。 同様なうわさが横浜・長崎(古くから外国とつきあいの深い港町だから)や広島(アメリカ本土には広島からの移民が多かったから)でも流れていたのは、自分の所だけは安全だと信じたい祈りのような心理が働いたからだろう、それがデマに過ぎない証拠に、横浜は大空襲を受け、広島・長崎は原爆を落とされた。 『黒推薦図書リスト』より これはお話としては大変面白い考え方であり興味深い発想ですよね。 でも、僕がこれまで20年余り自習してきた歴史的な事実を考えて批判するならば、上の書評には大きな誤りがあるということです。 どこが? つまり、歴史を一点だけ取り出して見ている。 しかし、歴史というものは一点だけを取り出して語っても意味がありません。
ある人は尻尾を触って象とはヘビのようなものと言い、 目の見えない人にとって、一つの生き物を確認する場合、 要するに歴史を見る場合にも、これと全く同じような事が起こる場合があります。 歴史上の事件というのは相互に関連したものです。 では、上の書評の見方のどこが明らかに間違っているのか? それはね、明治政府がアイヌ人にやった“文化的ジェノサイド”と つまり、アメリカ占領軍は日本文化を、また日本文化の中核をなす天皇制を抹殺する事を良策とは考えていなかった。
このことから考えても、京都を爆撃標的からはずした事も明らかなんですよ。 その人たちにとっては、個人的にも、世界の文化のためにも京都は意味のある文化都市だった。 つまり、いつの時代にもそのような大局的な見方、考え方が取れる人間が居るものです。 ところが、明治政府の文部省の役人の中には、そういう大局的で文化的な考え方のできる人たちが居なかった。 我々現代日本人はこのような過ちを犯してはならないのですよね。 京都を爆撃標的からはずす、という考え方が、現在の“世界遺産”という考え方を生み出したんですよ。 “国際化” “グローバル化” は京都を爆撃標的からはずした時にすでに始まっていたんですよ。 だから、文化的、国際的に見るならば、明治政府がアイヌ人に対して行った“文化的ジェノサイド”は帝国日本の汚点ですよ。 では、以前に紹介したじゅぁきさんのコメントをもう一度。。。
アイヌの話はどこかで聞いた事があって、
正直すばらしい民族だと思いました。 確か宗教も万物に神が宿り、 全てに感謝して生きるというものだったと記憶しています。 もし、この文化が根付いていれば 戦争なくなる第一歩なんですが。 それと戦争インフラはものすごくわかります。 お金儲けのために何でもありの武器商人。 最近は戦争とずれますが、 まずは声を出して言うことから始めるしかないですかね? 今はそんな気分です(笑)。 by じゅぁき 2006/06/16 09:19 『戦争を無くす事はできますよね。』のコメント欄より (デンマン注: 言論の自由を理解できないフルーツブログの管理人によって削除されてしまいました。) つまり、僕が何を言いたいかというと。。。 万物に神が宿ると信じている! 山を崩したり、岩を押し上げたりして山城を築く事なんて神を冒涜する事ですよ。 現在だって、素朴な農村に行けば、今でも万物に神が宿ると素直に信じているお年寄りが日本にはたくさん居ます。
ミノア人のファッショナブルな女性たち。 クノッソス宮殿の発掘現場で考古学者のアーサーエヴァンズが初めてこのフレスコ画を目にした時、思わず “可愛いパリジェンヌ” と口から出たと言う、いわく付きの壁画。 このお話については次のリンクをクリックして読んでくださいね。 古代日本人はミノア人(古代クレタ人)と同じように平和を愛する民族だったんです。 とにかく、そのようなわけで、現在、純アイヌ人は好戦的な日本人に追いやられて、北海道の北の端でひっそりと暮らしています。 でもね、どちらが幸せな民族なのか。。。? 現代日本人は経済大国になったけれど、 日本はどこか狂ってしまったのではないか? 何度も言うように、政治家が年金をごまかす! 年金をごまかした国会議員のほとんどすべてが、 “デンマンさん、日本へもどってきて政治家になってください”、と言ってくれた人が居ますが、年金をごまかすような日本のダメな政治家と国会で政治をやるなんて馬鹿らしくてできませんよ。 だから僕は、国を越えたレベルで、世界のネット市民の一人として正しいと思うことを一人でも多くの人に読んでもらう。 戦争が無くなるまであと200年はかかるでしょうね。 戦国時代のことを考えてみてくださいよ! つまりね、まだまだ、世界レベルで政治や戦争の事をマジで考える事のできる人たちが、極めて少ないという事ですよ! いつの時代にも、戦争などする事は馬鹿馬鹿しいという事は常識だったんですよ。 どうして戦争をやめないのか? 馬鹿を見るのは何も知らない庶民です! だから、世界のネット市民の一人としてバンクーバーでこうしてブログを書いています。 "grassroots net politics" を入れてGoogleで検索してみたら、一つも引っかかりませんでした。 So, let's carry out grassroots net politics, shall we? とにかく、時間があったら次の記事を読んでくださいね。 ■『戦争はなくす事ができるものです』
(2005年10月10日) では。。。
ィ~ハァ~♪~! メチャ面白い、ためになる関連記事
■ 『デンマンのブログを削除した管理人に対する公開抗議文とその面白い顛末』
■ 『どうして、こうも犯罪が増えている?警察はホントに駄目になったの?』
■ 『きれいになったと感じさせる
下着・ランジェリーを見つけませんか?』
■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に別荘を持つことを
夢見る小百合さんの物語』
こんにちは。ジューンです。
1999年夏の「東芝事件」は
ネットでも画期的な事件でした。
東芝製ビデオデッキの修理に関し、
その対応に腹を立てた消費者が、
経緯をネットで公開したのです。
東芝側はホームページの一部削減をさせるため
「名誉権と営業権に基づく妨害排除の請求」の
仮処分を申請しました。
しかし、社会的な批判が高まり、
急遽謝罪を表明したのです。
仮処分の申し立ても取り下げました。
やはり、企業と言えども法の下には
個人と平等なのですよね。
「はてなダイアリー」のユーザーとして
デンマンさんが「はてなダイアリー」の問題点について
たくさん記事を書いています。
ユーザーと「はてなダイアリー」との関係も、
もちろん対等であるべきですよね。
ユーザーが不満を表明し、
釈明を求めているのであれば、
「はてなダイアリー」も誠実に対応すべきだと思います。
ネットの世界は単に現実世界の
向こうの虚像ではありません。
東芝事件のように、
ネット上で激しさを増したユーザーの声は、
間違いなく現実社会に戻ってくるからです。
デンマンさんが「はてなダイアリー」を批判しています。
興味があったら次の記事を読んでみてくださいね。
ところで、英語の面白い話をまとめました。
興味があったら、
次のリンクをクリックして
読んでください。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
YouTube 動画
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