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母なる言葉を
奪われたアイヌ人
June 27, 2006

おほほほほ。。。。

デンマンさんが
出ろっつうんでぇ~
また、出てまいりましたのよ!

そうなんですのよ。
アイヌの人たちは
母なる言葉を
明治政府から
奪われてしまったのですよ。

こういう事は絶対にしてはならない事でござ~♪~ますよ。

ちょっと考えてみてくださいな。

太平洋戦争に日本が負けて
アメリカに占領されました。

あなたもきっと驚くと思いますが、
なんと、戦争に負けた1945年から
1952年までの7年間、
占領時代が続いたんでござ~♪~ますのよ。

この間に、もし日本語を使う事が禁止されたら
どのような事になっていたか?

万葉集は読めなくなる。
日本史もなくなる。
古文の授業もなくなる。
俳句や短歌も作ってはダメと言う事になる。
日本語の歌謡曲も演歌もなくなる!

日本の文化は消滅させられたはずです。
おそらく、デンマンさんはエルビスプレスリーのロックを子守唄として育てられたでしょうね。
日本語を話すことができず、英語がぺらぺらになっていたでしょうね。

現在のデンマンさんは、苦労して英語を勉強しましたが、
まだぺらぺらではござ~♪~ませんのよ!
うひひひひ。。。。

でもね、そういうひどい事を明治政府がアイヌの人たちにしたんでござ~♪~ますのよ。
アイヌ語を使うと厳しく罰せられた!
アイヌの子供たちは日本人として日本語を使って育てられた。

中には、自分がアイヌ人ではなく、
日本人だと信じていた子供もいたほどです。
アイヌ人差別にあうので、両親が隠れて暮らし、
子供たちにアイヌ人だということを隠していたのです。

これは、アイヌ人を生かしたままジェノサイドをしたようなものですよね。
デンマンさんが書いていたように
1979年にはアイヌ語が話せる人が10人ぐらいに減ってしまったのでござ~♪~ますのよ。

ふんと~♪~に、ひどいことをしたものでござ~♪~ますわねぇ~。
あたくしも、平安時代に生まれた大和撫子として責任を感じておりますことよ。

では、デンマンさんにバトンタッチしたいと思います。
おほほほほ。。。。。


卑弥子さん、いつもながら面白い表情を見せて紹介してくれてありがとう。
では、初めて読む人のために、言葉を奪われたアイヌ人の人たちの嘆きをここに引用したいと思います。

アイヌ語を奪われたアイヌ人

イランカラプテ。
この言葉を教わったのは、農家に嫁ぎ、二風谷(にぶたに)のアイヌ語教室に通っている女性からだった。

「あなたの心にそっと触れさせて下さい」

そんな慎ましやかな意味をもつ言葉をアイヌは挨拶のときにかわす。
和語の「はじめまして」と同じように、である。
私には「イランカラプテ」がアイヌ語との最初の出会いだったけれども、アイヌの、心の奥行きを見たようだった。

私は数ヶ月ぶりにアイヌ語教室を訪ねた。
開講して11年目を迎えたアイヌ語教室・子供の部に、今年はちょっとした出来事があったと聞いた。

久しぶりの教室には、自分たちの想い出がつまったビデオを見る子供たちの騒がしい声に包まれていた。
「ああ、あの人だ!」と誰かが画面を指さして、皆の歓声が「爆発」する。
ビデオには、五月の連休にカナダの先住民を訪ねたとき、そこで出会った人たちが映っている。

先住民として、誇り高く生きる人々。
子供たちは、その生きざまと暮らしに触れて帰ってきた。

ここに来ているアイヌの生徒たちは、アイヌ語を母語として受け継ぐことはなかった。
母語とは、母が子に乳を与えるように、周囲に囁きかけられながら、知らず知らずのうち身につけていく言葉だとすれば、高齢者でも、母語・アイヌ語を獲得した人は、少ない。

「滅びゆく言語」と、実際を無視していわれた時期があった。
言葉をここまで追いつめた歴史を辿ると、アイヌ自身が自ら言葉を放棄せざるをえないほど、有形無形の社会的な圧力が存在していたことがわかる。

明治政府はアイヌから一方的に生きる基盤を奪い、彼らが貧窮してもそのまま「放置」していた。
だが、天皇制国家である以上、その子弟は「教育」し、皇民化しなければならない体面もあった。
「教育」とは民族の否定、同化を指向した。

アイヌ集落に建てられた「旧土人学校」は、アイヌに多大な影響を及ぼした。
「アイヌの言葉を喋ると、先生にひどく叱られた。
殴る先生がとても恐かった」と、ある老人は当時を語る。
また、アイヌ系児童の成績が良いと、「アイヌのくせに、そんなにできるはずはない」と叱り、シャモの子には、「アイヌでさえできるのにお前達はなぜできない!」と教師が渇を入れたとも聞いた。

子供たちは出口のない袋小路にいた。ひたすら、民族の誇りを奪われ、劣等感を植えつけられていく。

「悲しむべし今のアイヌはアイヌをば
 卑下しながらにシャモ化してゆく」

そう歌ったのは、昭和4年、27才で逝ったアイヌの歌人、違星北斗である。
容赦のない、同化への圧力が働いていた。
目には見えない、凍りつくような差別の空気。
真綿で首をしめていくような重たい圧迫感。

父や母、祖父母たちもアイヌのことを伝えられない。
口をつぐむぎ、わが「血をうすめる」ことが子供の幸せと考えるほかなかったからだ。
母語の灯は、自らの吐息で一つ一つ、ふき消されていった。


『イランカラプテ』より

当時の明治政府はアイヌ人同化政策のためにアイヌ人からアイヌ語を奪ってしまったんですよね。
同じような事を明治政府は台湾人、それに当時の朝鮮人に対してもしたんですよね。
明治政府が推し進めた“義務教育”は昭和になってから
日本が“経済大国”になる原動力になったけれど、
その影で民族の言葉を奪われてしまったアイヌ人が居たわけです。

このようなことは2度としてはならない事ですよね。

ところで、僕が6月25日にRealogで書いた記事(『平和を愛し仲良く暮らしていた古代日本人 PART 2』)に、しばしばコメントを書いてくれている更紗さんから次のようなコメントをもらいました。
いつものことですが、ありがとね。

セクソロジストの高橋鉄(1907~1971)は、当初は小説家を目指していたにもかかわらず、アイヌ人を主人公にした短編小説が発禁処分になってしまい、それ以来、小説を書くことをやめてしまったそうです。

絵本や児童書ならアイヌ関係の本は結構残っているのに、昔はアイヌ人が主人公のフィクションは発禁処分だったなんて想像もつかず、ちょっとショックでした(>_<)

by 更紗 2006/06/26 13:27

更紗さんはRealogのメンバーではありません。
彼女のブログは次のリンクをクリックすると読めますよ。

■ 『更紗のタペストリー』

僕はさっそく次のような返信を書きました。

おおおお~~~更紗さん、
ちょうど良い時にコメントを書いてくれましたよ。
ありがとう!

あさって28日の題材はすでに決まっているんですよ。
真新主さんがレンゲさんの記事にコメントを書いてくれたので何を書くか決まったんですよ。

さて、明日何を書くかと考えていたところ、更紗さんのコメントの通知をメールで見ました。

これで、明日27日の記事の題材が決まりました。
また更紗さんのコメントを使わせてもらいますよ。ありがとう。

僕は高校生の頃にフロイトの本を読んで精神分析にかなり興味を持ちましたが、その関係で高橋鉄さんの本もかなり読みましたよ。

しかし、更紗さんのコメントを見るまで1971年に亡くなっている事を知りませんでした。
亡くなってはいるかもしれない。。。とは思いつつも、
まさか30年以上前に亡くなっていたとは。。。?
ちょっと驚きでした。

そうですよね。
高橋鉄さんは日本のセクソロジーの草分け的な存在でしょうね。
懐かしい名前を見ましたよ。

アイヌ人を主人公にした短編小説を高橋鉄さんが書いていたなんて全く知りませんでした。
それも驚きですが、アイヌ人を主人公にした短編小説が、
ただそのことだけのために発禁処分になると言うのも驚きですよね。

とにかくアイヌ人は大和朝廷の頃から不当な差別を受けてきたんですよね。
現在アイヌ語は復活したようですが、
Barbara Aoki Poissonという日系アメリカ人の書いた本
“First Peoples The Ainu of Japan”
を読むと、1979年には、アイヌ語を話せる人が、たったの10人程度だったそうですよ。

6月25日の記事(『平和を愛し仲良く暮らしていた古代日本人』)の中で引用したように、アイヌ文化を残そうと言う人たちが現れてアイヌ語がまた息を吹き返してきたということはすばらしい事ですよね。

世界史を見ると過去にも、このような政府や時の実権者の差別政策によって、たくさんの言語が消滅しているんですよね。
つまり、その言葉でのみ記憶された歴史が、
その言語と共に消滅してしまったと言うことですよね。

人類の歴史の一部が欠けているということですよね。
こう言う事を繰り返さないためにも、
絶対に他の民族の文化を消滅させてはいけないことなんですよね。

人間として、自分の首を自分で絞めていることですからね。

他民族といえども、人間として、絶対にジェノサイドをしてはならないですよね。

とにかく、更紗さん、コメントありがとう。
またインスピレーションが湧いてきましたよ。
じゃあね。
時間があったら、明日の記事を読んでくださいね。
バ~♪~イ。

by デンマン 2006/06/26 14:43

『平和を愛し仲良く暮らしていた古代日本人 PART 2』のコメント欄より

戦争と言う狂気の中の良識

ここで話しはガラット変わりますが、アメリカ占領軍がなぜ明治政府がやったような“文化的ジェノサイド”をしなかったのだろうか?
このことを突き詰めるために、僕は原爆と京都との関係を調べ始めたのです。
おそらく、かなりの人が知っていると思いますが、京都は空襲も原爆も免(まぬが)れた日本の文化都市、古都です。

京都を空襲から免れさせたのはワシントンに居た当時の日本文化愛好家が、戦争遂行関係者に文化都市京都を戦災から守るべきだ、と説得して回ったという事実があったことを僕は歴史書で読んだ事がありました。
それを確認するためにネットで調べ始めたというわけです。

そうしたら、とんでもない書評にぶち当たったのです。
次に引用します。

『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』
吉田守男 朝日文庫 ISBN4-02-261353-X

「太平洋戦争時、京都や奈良が空襲を受けなかったのは、
古い寺社などの文化財が多かったため、
アメリカが攻撃を控えていたからだ」
...という説を、あまり疑いもせず子どもにも教えていました。

山田克哉『原子爆弾(講談社ブルーバックス)』を読んで、京都が原爆の標的として上がっていたのを知っていたにもかかわらず、です。
全くもって不明のいたりです。

筆者は、アメリカ側のぼう大な資料や、どこがどれだけ爆撃を受けたかという日本側の資料を引き、

「京都が爆撃を免れたのは、原爆を落とすターゲットとして保護されていたからである」

...という自説を証明します。

では、奈良や鎌倉の場合は?
これも明快に、

「軍事施設のない都市はほぼ人口の多い順に爆撃を受けていたが、奈良や鎌倉は人口の少ない小都市だったから」

当時の人口(約5.7万人)から考えて、
もう少し終戦が遅ければ奈良は爆撃を受けた可能性が高いそうです。

ではなぜ、デマがもっともらしく吹聴され、現在まで信じられてきたのか。
それは、戦時中に京都市民の間で実際に流れた

「大都市のなかで京都だけ空襲を受けていないのは、
名所旧跡が多いせいだ」

...といううわさに、アメリカや御用学者が乗っかって広めたから。

同様なうわさが横浜・長崎(古くから外国とつきあいの深い港町だから)や広島(アメリカ本土には広島からの移民が多かったから)でも流れていたのは、自分の所だけは安全だと信じたい祈りのような心理が働いたからだろう、それがデマに過ぎない証拠に、横浜は大空襲を受け、広島・長崎は原爆を落とされた。
京都は、もう少しで原爆か大空襲を受けるというところで戦争が終わったために、デマまで生き残ってしまったのだ。


『黒推薦図書リスト』より
注: 読みやすく写真を加え、改行して大幅に構成を変えています。もちろん、内容には手を加えていません!

これはお話としては大変面白い考え方であり興味深い発想ですよね。
真理はやがて歴史が証明するでしょう。
まだ太平洋戦争が終了してから60年ほどです。
これが真相だ!。。。というには歴史的に早すぎるかもしれません。

でも、僕がこれまで20年余り自習してきた歴史的な事実を考えて批判するならば、上の書評には大きな誤りがあるということです。

どこが?

つまり、歴史を一点だけ取り出して見ている。
この場合ならば太平洋戦争中の戦略的観点でしか見ていない。

しかし、歴史というものは一点だけを取り出して語っても意味がありません。
つまり、“群盲象をなでる”という事になってしまう。

ある人は尻尾を触って象とはヘビのようなものと言い、
ある人は足を触って象とは柱のようなものだと言う。
また、ある人は耳を触って、象とは団扇(ウチワ)のようなものだと言い、別の人は鼻を触って、大きなホースのようなものだと言う。

目の見えない人にとって、一つの生き物を確認する場合、
このように、どこを触ったかによって、いく通りにも解釈ができてしまう。

要するに歴史を見る場合にも、これと全く同じような事が起こる場合があります。
上の書評も、本を書いた著者も同じような誤りを犯しています。
つまり、大局的に見てないんですよね。

歴史上の事件というのは相互に関連したものです。
全く孤立して事件が発生するという事はありえない。
自然現象とは違うのだから。。。

では、上の書評の見方のどこが明らかに間違っているのか?

それはね、明治政府がアイヌ人にやった“文化的ジェノサイド”と
敗戦後アメリカ占領軍が行った日本での占領政策を見比べれば明らかな事です。

つまり、アメリカ占領軍は日本文化を、また日本文化の中核をなす天皇制を抹殺する事を良策とは考えていなかった。
だから、日本語を使わせた。
天皇を戦争犯罪人リストからはずした。

このことから考えても、京都を爆撃標的からはずした事も明らかなんですよ。
京都を空襲しても全く意味がないばかりか、
アメリカの日本文化愛好家にとっては打撃になる。
つまり、世界の文化のために京都を残す必要があると考えていた人たちが居たのです。

その人たちにとっては、個人的にも、世界の文化のためにも京都は意味のある文化都市だった。
日本人のために保護したわけではない!

つまり、いつの時代にもそのような大局的な見方、考え方が取れる人間が居るものです。

ところが、明治政府の文部省の役人の中には、そういう大局的で文化的な考え方のできる人たちが居なかった。
だから、アイヌ人に対して“文化的ジェノサイド”を行ってしまった。
この“同化政策”を台湾人に対しても朝鮮人に対しても明治政府は行った。
これは、明らかに帝国日本人の恥部です。

我々現代日本人はこのような過ちを犯してはならないのですよね。
そう思いませんか?

京都を爆撃標的からはずす、という考え方が、現在の“世界遺産”という考え方を生み出したんですよ。
このように歴史というものは一部分だけを取り出してみると、どのようにも解釈ができる。
しかし、歴史の流れとして見る時、そこにはおのずとある方向が現れてくる。

“国際化” “グローバル化” は京都を爆撃標的からはずした時にすでに始まっていたんですよ。
それが、現在の“世界遺産”という考え方に結実している。

だから、文化的、国際的に見るならば、明治政府がアイヌ人に対して行った“文化的ジェノサイド”は帝国日本の汚点ですよ。
あなたも僕も世界のネット市民の一人として、このことを肝に銘じて文化的ジェノサイドは絶対にしてはいけないことだ!と言う事を子孫に語り継ぐ使命を持っていると僕は信じているのですよ。
うへへへへ。。。。。
(でも、マジだよ!)

では、以前に紹介したじゅぁきさんのコメントをもう一度。。。

アイヌの話はどこかで聞いた事があって、
正直すばらしい民族だと思いました。
確か宗教も万物に神が宿り、
全てに感謝して生きるというものだったと記憶しています。
もし、この文化が根付いていれば
戦争なくなる第一歩なんですが。

それと戦争インフラはものすごくわかります。
明らかに日本の政府は取り込まれてますよね?
ケネディがそうだったという噂はありますが、
まぁ内心事実と思っていますが、
一応証拠ないですので^^;;。

お金儲けのために何でもありの武器商人。
でもアメリカだけでなく三菱系や住友重工系でも武器って作ってませんでしたっけ?
こういった戦争インフラが戦争を好むんですよね?
どうやって失くせばいいんでしょう・・・。

最近は戦争とずれますが、
障害者自立支援法案という悪法が通ってしまいました。
無力を感じたできごとでした。

まずは声を出して言うことから始めるしかないですかね?
黙っていても何も変わらないのはわかってるし。

今はそんな気分です(笑)。

by じゅぁき 2006/06/16 09:19


『戦争を無くす事はできますよね。』のコメント欄より
(2006/06/15 Thu)

デンマン注: 言論の自由を理解できないフルーツブログの管理人によって削除されてしまいました。)

つまり、僕が何を言いたいかというと。。。
古代日本人(アイヌ人の祖先)は万物に神が宿ると信じ、平和に感謝しながら生きていた、という事ですよ。
つまり、戦争など馬鹿馬鹿しくてやらなかった。
だから、中国やヨーロッパのように町を城壁で囲む事もしなかった。

万物に神が宿ると信じている!
戦争などできるはずがないんですよ!

山を崩したり、岩を押し上げたりして山城を築く事なんて神を冒涜する事ですよ。
山は聖域だった!
戦火で森や林を焼く事も神を冒涜する事です。

現在だって、素朴な農村に行けば、今でも万物に神が宿ると素直に信じているお年寄りが日本にはたくさん居ます。
我々、現代日本人の血の中にも、古代日本人の血が少しは流れているんですよ。

ミノア人のファッショナブルな女性たち。

クノッソス宮殿の発掘現場で考古学者のアーサーエヴァンズが初めてこのフレスコ画を目にした時、思わず “可愛いパリジェンヌ” と口から出たと言う、いわく付きの壁画。

このお話については次のリンクをクリックして読んでくださいね。

『ラピスラズリ と 美女アメニア (前書き)』

古代日本人はミノア人(古代クレタ人)と同じように平和を愛する民族だったんです。
現代日本人のようにアメリカの防波堤にされて、ぇへらぇへら不気味に笑うような国民ではなかったんですよ!
(これはちょっと飛躍でしたよね!えへっへへへ。。。。)

とにかく、そのようなわけで、現在、純アイヌ人は好戦的な日本人に追いやられて、北海道の北の端でひっそりと暮らしています。

でもね、どちらが幸せな民族なのか。。。?
昔ながらの伝統を守って、こじんまりと落ち着いた生活を送っているアイヌ人。

現代日本人は経済大国になったけれど、
今夜のテレビニュースを見るまでもなく、
崩壊家庭に育った若者が常識では考えられないような悲惨な事件を引き起こしている!
それも、ほとんど毎日のように!

日本はどこか狂ってしまったのではないか?
。。。こう思うのは僕だけではないと思いますよ!
でしょう?
あなただって、日本がちょっと異常になり始めていると思いませんか?

何度も言うように、政治家が年金をごまかす!
日本国民の福祉と幸せを願って国政を預かる人たちが年金をごまかす。
一体、どういう神経を持っているのか?
どういうオツムを持っているのか?

年金をごまかした国会議員のほとんどすべてが、
今でもあなたの税金を使いながら、国会議事堂の中を歩いていますよ。
うへへへへ。。。。

“デンマンさん、日本へもどってきて政治家になってください”、と言ってくれた人が居ますが、年金をごまかすような日本のダメな政治家と国会で政治をやるなんて馬鹿らしくてできませんよ。
あの大橋巨泉さんが嫌気がさしてしまうぐらいの政治の内容なんですからね。。。。
馬鹿馬鹿しくてやってられないんでしょうね。その気持ちが分かりますよ。

だから僕は、国を越えたレベルで、世界のネット市民の一人として正しいと思うことを一人でも多くの人に読んでもらう。
それが僕のできる事だし、それが僕にとって“草の根政治”だと信じていますよ。

戦争が無くなるまであと200年はかかるでしょうね。
でもね、いつか必ず地球から戦争は無くなりますよ!

戦国時代のことを考えてみてくださいよ!
戦国時代に、マジで戦争がなくなる日本を考えた人が居たと思いますか?
でも、現在、日本国内で県と県が戦争する事なんて絶対にありえませんよね。

つまりね、まだまだ、世界レベルで政治や戦争の事をマジで考える事のできる人たちが、極めて少ないという事ですよ!
僕は早く生まれすぎたんですよ!
100年遅く生まれてきたら政治家になりますよ!
しかし、日本に年金をごまかす政治家が居る限り、馬鹿馬鹿しくて政治家なんかになれませんよ。
時間の無駄です。
意味のない事をやる事は犬死ですからね。
年金をごまかす政治家と肩を並べて政治をやるのは、僕にとって犬死に等しいですよ。
それよりも、自分の信じる事をこうしてブログで記事にして書いた方がよっぽど世界のネットの発展のためになると信じているんですよ。
うへへへへ。。。。

いつの時代にも、戦争などする事は馬鹿馬鹿しいという事は常識だったんですよ。
頭のいい民族はやらなかった。
古代ミノア人!
古代日本人!

どうして戦争をやめないのか?
戦争をすると。。。
金が儲かる人たちがいる。
権力を維持できる人たちがいる!

馬鹿を見るのは何も知らない庶民です!
僕はそのような馬鹿な庶民の一人として死にたくない。

だから、世界のネット市民の一人としてバンクーバーでこうしてブログを書いています。
Grassroots Net Politicsを実践しているつもりなんですよ。
うへへへへ。。。。。

"grassroots net politics" を入れてGoogleで検索してみたら、一つも引っかかりませんでした。
でも、このような活動をしている人が全世界に居ますよ。
僕もそのうちの一人です。

So, let's carry out grassroots net politics, shall we?

とにかく、時間があったら次の記事を読んでくださいね。

『戦争はなくす事ができるものです』

  (2005年10月10日)

では。。。

ィ~ハァ~♪~!

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■ 『漢字馬鹿さん元気?(2009年3月25日)』

こんにちは。ジューンです。

1999年夏の「東芝事件」は

ネットでも画期的な事件でした。

東芝製ビデオデッキの修理に関し、

その対応に腹を立てた消費者が、

経緯をネットで公開したのです。

東芝側はホームページの一部削減をさせるため

「名誉権と営業権に基づく妨害排除の請求」の

仮処分を申請しました。

しかし、社会的な批判が高まり、

急遽謝罪を表明したのです。

仮処分の申し立ても取り下げました。

やはり、企業と言えども法の下には

個人と平等なのですよね。

「はてなダイアリー」のユーザーとして

デンマンさんが「はてなダイアリー」の問題点について

たくさん記事を書いています。

ユーザーと「はてなダイアリー」との関係も、

もちろん対等であるべきですよね。

ユーザーが不満を表明し、

釈明を求めているのであれば、

「はてなダイアリー」も誠実に対応すべきだと思います。

ネットの世界は単に現実世界の

向こうの虚像ではありません。

東芝事件のように、

ネット上で激しさを増したユーザーの声は、

間違いなく現実社会に戻ってくるからです。

デンマンさんが「はてなダイアリー」を批判しています。

興味があったら次の記事を読んでみてくださいね。

『はてな批判 (2009年5月24日)』

ところで、英語の面白い話をまとめました。

興味があったら、

次のリンクをクリックして

読んでください。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

■ 『性の俗説 (2008年3月4日)』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


 





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