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大岡越前とセックスと
白子屋お熊事件 by デンマン & June
2007年4月22日
「大岡越前とセックス」なんて、ショッキングなタイトルを書きましたが、大岡越前の性生活を特集する記事ではありません。 なぜなら、僕が“ワブログ”の次のキーワードランキング表を見たからなのですよ。
このランキングの1位が「白子屋お熊事件」なんですよ。 確か、金に目がくらんだ50代の女が栃木県鬼怒川のホテルオーナーを色仕掛けでおびき出して殺した事件だった。 そう言う訳で、一体どの記事でこの事件を引用したのか調べてみたわけです。 では、その記事を読んでみてください。
「ある時(新井白石は)母親に尋ねたそうだ。『母上、おなごというものは、一体いくつになるまで殿方と閨房にて睦み事をなさりたいと思うので御座いますか?』とね。実は、新井白石は、父が57歳、母が42才の時に生まれた子供だった。今日でさえ大変な高齢時の出産といわれる。だから、昔は40才過ぎた母親から生まれると“恥かきっ子”と呼ばれ、からかわれたりした。そういうわけで、白石の頭のどこかで、そのことが気になっていたのかもしれない」 「それでお母さんは何と答えたの?」 「それが昔のことだからね、母と息子がセックスの話などするなんてとても考えられない。お母さんも、わが息子が大真面目な顔して、そんなことを尋ねられたものだから、さぞかしビックリしたに違いない」 「それで?」 「お母さんは、どのように答えようかと困ってしまった。昔の女性のことだから、その年になってもポッと頬を染め、うつむいてモジモジと火鉢の中に眼をおとし、火箸で灰の中に『の』の字を書いた」 「それで?」 「『母上、いかがなもので御座いましょうか?』と、息子は返事をさいそくする。お母さんは、うつむいたままモジモジと灰の中に『の』の字を書く。そのうち、頭脳明晰な新井白石には、ハッと閃くものがあった」 「どういうこと?」 「新井白石はおじぎをすると、『ありがとうございました』とお礼を言った」 「答えてくれたの?」 「そうさ。ちゃんと答えた」 「なんと言って?」 「言葉にだしては何も言わなかった」 「分からないわ。どういうこと?」 「『この母ありて、この子あり』 頭脳明晰な新井白石のお母さんだから、やはり頭のよい人だった。お母さんは、ちゃんと仕草で答えを表していたんだ。白石はちゃんと気付いた。あとでお母さんの部屋から出ながら、口の中でつぶやいた。『灰になるまでか!』」 「あたし、まだ分からないわ。どういうこと?」 「ジューンさんは、こういう風習には、あまり馴染みがないかもしれないけれど、日本では、たいてい人が死ぬと遺体を焼くんだ。だから、『灰になるまで』とは、“死ぬまで”という意味だ」 「それ本当にあった母と息子の対話なの?」 「出どころをインターネットで調べたけれど、ついに分からなかった。でも僕と同じように、この話をどこかで聞いたとみえて、ページに載せている人がいた。そのひとのページにはこんな風に紹介されている」
近代史解釈: 「それだけ?」 「そう。この人のページにも、どこでこの話を聞いたのかは書いてない」 「デンマンさんはどこでこの話を知ったの?」 「若い頃、落語で聞いた覚えがある。もし、どなたか出どころを知っていたら教えて欲しい」 この記事をRealogのデンマンのブログ [2005-10-05 15:40]にも書きました。 そしたら10分後にRealogのメンバーであるBogyさんから次のようなコメントをもらったのです。
ん? 大岡越前? まさかあああ! しかし、全く予期しなかった事とはいえ、わずか10分後にわざわざ無意味なコメントを書く人もあり得ないと思ったので、とにかく調べてみようと思ったわけです。 GOOGLEで「大岡越前 性欲 女性 灰 面白い」を検索した結果 なんと、445件のヒットがあったんですよ。 ちなみに大岡越前を新井白石に変えて検索してみたら次の結果を得ました。 GOOGLEで「新井白石 性欲 女性 灰 面白い」を検索した結果 56件のヒットでした。 つまり、大岡越前にも新井白石にも同じようなエピソードがあるのですね。 でも、僕はどうしても新井白石とこのエピソードを切り離しては考えられないのです。
例えばですよ。寅さんは渥美清が演じなければしっくりきませんよね。 僕の頭の中で、上のエピソードは新井白石と彼のお母さんでなければならなかった。 そういうわけで、僕は大岡越前についてもう一度調べ直してみようと思い立ったのです。 僕の調べた結果を次に示します。
本名は忠相(ただすけ)。越前守だったことから「大岡越前」と呼ばれる。
1677年に旗本の家に生まれる。旗本大岡美濃守忠高の4男。 1686年(貞享3年)10歳のとき同族の大岡忠真(大岡忠右エ門忠真)の養子となる。 養父病死のため、1700年(元禄13年)家督を継ぐ。寄合旗本無役。 24歳で家督を継いで35歳で重大事件を審議・裁判する評定所の一員となった。 その後41歳で江戸町奉行に任命され、8代将軍徳川吉宗の命をうけてからは、裁判だけでなく江戸火消しの「いろは四十八組」を創設したり、小石川養成所などを開設するといった行政面での業績を残した。 1736年、寺社奉行。 1748年、三河国西大平(現岡崎市)1万石を領し大名に。町奉行から大名となったのは、江戸時代を通じて忠相一人だけである。 1751年、病気により辞し、同年6月吉宗が没し、12月忠相も死去。 大岡越前といえば「大岡裁き」と呼ばれる名裁判で知られ、特に2人の母親に子供を引っ張らせることで実の母親を決めたという話が有名です。 忠相が町奉行時代に実際に裁いたのは「白子屋お熊事件」のみであり、現代に「大岡裁き」として伝えられているものの多くは、関東郡代等他の奉行のものや中国の故事などに基づいている。 これだけ調べて、僕は、なるほど~、そういうことだったのかと思い当たりました。 加藤剛が演じる『大岡越前シリーズ』をテレビで見たことがありますか? 要するに、大岡越前と言う人は人気があった。だから、他の人のエピソードであっても、江戸市中のミーちゃんハーちゃんは面白そうなエピソードをこの人に結び付けてしまったのではないか? しかも、大岡越前と言う人は養子に入ったのですね。エピソードの中の母親は実母でないと面白みが半減してしまいます。 いずれにしてもBogyさん、貴重な情報をありがとうございました。
結局、「白子屋お熊事件」の説明を僕は書かなかったのですよ。
大岡裁き
材木商白子屋の美しいわがまま娘「お熊」 判決は 大岡越前、厳しいです。 有名な逸話「手を離したほうが本当のお母さん事件」は 『大岡裁き』より 確かにこれは現在の裁判基準と比較するとあまりにも厳しすぎますよね。 現代人の感覚では、無茶苦茶な裁きのように感じるのですが、 つまり、それだけ世の中が乱れていたのでしょうね。 お熊はお金持ちの娘で、恐らくわがままに育てられたのでしょう。 やはり我がままで、甘やかされて育ったので、人を見る目がなかったのでしょうね。 浮気相手の番頭「忠八」と母「お常」と共謀し、下女「きく」を使って又四郎を殺そうとした。 いつ起きた事件なのか? 徳川吉宗の時代で質素倹約が叫ばれていた時でした。 旗本千石の榊原家当主だった榊原政岑(さかきばらまさみね)は、 もともと派手好きだったのでしょうね。 このことが将軍・吉宗の怒りを買い、寛保元年(1741年)9月に出府を命じられ、榊原政岑は乱行ゆえに隠居、蟄居を命じられた。 つまり、こうした時代背景を考えると、「白子屋お熊事件」の厳しいお裁きは“見せしめ”でもあったと言う事が良く分かりますよ。 貧乏暮らしを強いられている庶民にとっては、 ところで、記憶と言うものは当てにならないですよね。 では、今日も楽しくネットサーフィンしましょうね。
ィ~ハァ~♪~! メチャ面白い、
ためになる記事
■ 『小泉純一郎君は漢字馬鹿か?』 ■ 『小泉純一郎と名乗る漢字馬鹿』
おほほほほ。。。。
また現れて、くどいようで
ござ~♪~ますけれど。。。
ネットにも愚かな人がたくさん居ますわよね。
パンツにコカイン君は、相変わらず
下らないコメントを書いていますわ。
えっけん君と太田将宏老人は
ムカついたままコメントを書いてしまいます。
みっともないコメントになるだけです。
ええっ?そんなことより、
もっと面白い話がないのかって。。。?
デンマンさんが書いた上のお話だけでは
物足りないのでござ~♪~ますかぁ?
分かりましたわぁ~。
だったらね、メチャ面白いお話を
あなたにおせ~♪~てあげますわよ。
これなんだと思いますか?
あたくしのおトイレなんですのよ。
うふふふふ。。。。
きれいでしょう?
このおトイレについてのお話なんですのよ。
あなたも、これだったら、絶対に読みたくなるでしょう?
読んでね?
ダメよ!生返事してこの場を誤魔化そうとしちゃああ、
絶対に読んでねぇ~~?
お願い。頼むわよねぇ~。
うふふふふ。。。
次のリンクをクリックして読んでね。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
ああああ~~~
初恋の人と会いたいわああああ~~!
YouTube 動画
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