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愛と怨霊
by デンマン
2007年6月9日
女帝誕生
讚良(さらら)皇女が
皇位を継ぐ。 殺人鬼の父親の陰謀により 建皇子は家庭の暗い影の下で 讚良皇女は女帝になったが、 僕が当時生きていて、しかも日本新聞の編集長だったら、このような新聞を出していたかもしれません。 これは歴史家が誰も言っていないことですが、 讚良皇女は4才の時に可愛がってくれたおじいさんとおばあさんを亡くしたのです。 成長するにつれて父親(後の天智天皇)が行った非情な所業のことも知るようになります。 蘇我蝦夷 満12才の時に、姉の大田皇女(満13才)と共に大海人皇子に嫁ぎます。 しかし、その甲斐もなくやがて天智天皇は大海人皇子によって暗殺されます。 頭の良い讚良皇女は、そのような事も充分に知っている。 後に、讚良皇女が甥の大津皇子を死に追いやった事件では、正に天智天皇と同じやり方で抹殺しています。 とにかく持統天皇は独占欲の強い人だった! それは、天武天皇の血を引く天皇後継者の息子たちがたくさん居たにもかかわらず、
上の系図を見てください。 つまり、この点で、この二人の権力独占志向の人間の気持ちがひとつになったのです。 讚良皇女の幼少の頃の事件を
もう一度振り返ると。。。 乙巳の変(いっしのへん)から4年後の649年3月、 石川麻呂は当時の孝徳天皇に身の証をして助けを求めたのだけれど、聞き入れてもらえなかった。 事件はそれだけではすまなかった。 ところで、当時の結婚は“妻問い婚”が普通でした。 子供が生まれればその子は妻の家で養育し、父が子供に会うのは女性宅を訪れる時だけです。 したがって、優しいおじいさんとおばあさんが一緒に亡くなり、そのあとを追うようにお母さんが亡くなってしまった。 しかも、この生まれてきた建皇子は唖者でした。つまり、生まれつき言葉が話せなかった。 斉明天皇も、この不幸せな孫をずいぶんと可愛がったようです。 つまり、讃良皇女は、幼少の頃、次々と身近の人の悲劇にあったのです。 大海人皇子にはたくさんの妻があり、大田皇女亡き後、身分は一番高くなったものの大海人皇子の心は つまり、讃良皇女は幼い頃から愛してくれる人、愛している人を奪われ続けてきたんですよね。 “愛”を奪われる人生だった。 そんな中で讃良皇女の心の支えは子の草壁皇子だけだった。 大津皇子は実力も人気もあり、草壁皇子の皇太子としての地位を脅かす最大の存在になっていた。 しかしその後、皮肉にも、あれ程皇位につかせたかった我が子の草壁皇子が病気で亡くなり、讃良皇女が持統天皇として即位することになります。 持統天皇は在位中頻繁に吉野に行幸しました。 草壁皇子亡き後、期待をかけたのが草壁皇子の忘れ形見、軽(珂瑠)皇子でした。 聡明で非情である持統天皇が
なぜ怨霊を恐れるのか? ここで持統天皇が詠んだ有名な歌を読んでみてください。
春すぎて 夏来たるらし 白妙(しろたえ)の 衣(ころも)ほしたり 天(あめ)の香具山 この有名な持統天皇の歌は、ただ単に四季の移り変わりに感興を催(もよお)して詠んだのではないんですよね。
春が過ぎて夏が来たようだ。
天の香具山に美しく真っ白な衣が干してあるなあぁ~ でも、私の心はあの山の裏にある 磐余(いわれ)の池を見ているのです。
大津皇子が自害する前に池の端で 辞世の歌を読んだという。 自害の後で、皇子の妻であり、 私の腹違いの妹でもある山辺皇女が 髪を振り乱し、裸足で駆けて行き、 共に殉死したという。 痛ましいには違いない。 しかし私は、ああせねばならなかったのです。 怨霊になって私を憎んでいるのかもしれないけれど、 私には他にとるべき道はなかったのです。 どうか、心安らかに眠っていて欲しい。 上の歌を持統天皇は藤原京の宮殿から香具山を見て詠んだのです。
この地図で見れば分かるように、香具山の裏に磐余(いわれ)の池があるんですよね。 つまり、持統天皇は結果として自分と血のつながりがある甥の大津皇子と腹違いの妹を死に追いやったわけです。 持統天皇だって、テポドンを宮殿に打ち込まれたくないので怨霊を鎮魂するために上の歌を詠んだ。 では、なぜ持統天皇はここまでする必要があったのか? 天武天皇が亡くなれば皇太子が皇位を継承するのが順序であり、皇后の実子である草壁皇太子が即位する事は約束されていた事です。 草壁皇子は病弱だったのです。 それに比べ、大津皇子については『万葉集』にも『懐風藻』にも記載があります。 つまり、当時の誰が見ても大津皇子の方が天皇にふさわしいと見ていた事が実に良く表れているのです。 ところが、病弱な草壁には、いつ不測の事が起こるかも知れず、その時には大津皇子が皇位につくことになってしまう。 この事は持統天皇として即位してから、自分の血に固執したこの女性の性(さが)と業(ごう)を考えれば、容易に察しがつきます。 しかも、この女性はその先例を父親の天智天皇と自分の夫である天武天皇との間に見ているのです。 その“禍の芽”を摘み、取り除くために大津皇子を亡き者にしなければならなかったのです。 なぜ大津皇子の怨霊を恐れたのか?
現身(うつそみ)の 人なる吾(われ)や 明日よりは 二上山を 弟背(いろせ)とわが見む (巻2-165)
この世に生き残った私は、明日からは、
弟が葬られている二上山を弟と思い見て、 慕い偲ぶことにしよう。 上の歌は大津皇子の死体を飛鳥の墓から掘り出して、 死体を掘り起こして他の場所に埋めなおす。 つまり、大津皇子を偲んで大伯皇女が詠んだ歌を大伴家持が万葉集に取り上げた本音には、 大伯皇女は、大津皇子が自害した15年後、 平安時代の長和4年(1015年)に書かれた『薬師寺縁起』には次のように書かれています。
大津皇子の霊が龍となって崇りを起こしたため、
大津皇子の師であった僧の義淵(ぎえん)が皇子の霊を祈祷によって鎮めた。 つまり、大津皇子は無実の罪を着せられて自害させられたのですね。 持統天皇の心にも“後ろめたさ”があったのでしょうね。 しかも、“大津皇子の霊が龍となって崇りを起こし”ていると言うもっぱらのうわさが流れている。
怨霊信仰
非業の死を遂げたものの霊を畏怖し、 原始的な信仰では死霊はすべて畏怖の対象となったが、わけても怨みをのんで死んだものの霊、その子孫によって祀られることのない霊は人々に崇りをなすと信じられ、疫病や飢饉その他の天災があると、その原因は多くそれら怨霊や祀られざる亡霊の崇りとされた。 『日本書紀』崇神天皇七年・・天皇が疫病流行の所由を卜して、神託により大物主神の児大田田根子を捜し求めて、かれをして大物主神を祀らしめたところ、よく天下大平を得たとあるのは厳密な意味ではただちに御霊信仰と同一視し難いとはいえ、その心意には共通するものがあり、御霊信仰の起源がきわめて古きにあったことを思わしめる。 しかし一般にその信仰の盛んになったのは平安時代以後のことで、特に御霊の主体として特定の個人、多くは政治的失脚者の名が挙げられてその霊が盛んに祭られるようになる。 その文献上の初見は『三代実録』貞観五年(863)「所謂御霊者 崇道天皇(早良親王)、伊予親王、藤原夫人(吉子)及観察使(藤原仲成か)、橘逸勢文室宮田麻呂等是也。・・・」ものと注せられているが、この六所の名については異説もあり、後世さらに吉備大臣(真備)ならびに火雷神(菅原道真)を加えてこれを八所御霊と呼ぶようになった。・・・」 SOURCE: 国史大辞典 持統天皇は怨霊信仰に基づいて大津皇子の霊を祈祷によって鎮めて、後でまた崇りをしないようにと二上山に皇子の霊を閉じ込めたわけです。 では、恒例になりましたが、司馬遼太郎さんの言葉を書きますね。 生前、司馬遼太郎さんは、このようなことを言っていましたよ。 “作品は作者だけのものと
違うんやでぇ~。。。
作者が50%で読者が50%。。。
そうして出来上がるモンが
作品なんやでぇ~” 名言だと思いますねぇ~~。 あなたが読者として、どれだけ50%の分を読みつくすか? 大伯皇女が全身全霊の力を込めて詠(うた)ったのがこのページの上で示した歌です。 あなたも、全身全霊の力を込めて。。。あなたの人生経験と、これまで学んできた国文と、日本史と、すべてを噛み砕いた上で理解すべきなのかもねぇ~。 大伯皇女は、それを期待しながら、1300年後に生まれるだろうあなたに、この当時の波乱に満ちた政治の真相を伝えようと、上の歌を詠(うた)ったのかも知れませんよ。へへへへ。。。。 大伴家持は一読者として大伯皇女の歌を充分に読み取った上で万葉集に載せたのだと思いますね。 では。。。
【後記】
この記事は2006年7月5日に書いた記事を書き直したものです。
ィ~ハァ~♪~! メチャ面白い、
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おほほほほ。。。。
また現れて、くどいようで
ござ~♪~ますけれど。。。
ネットにも愚かな人がたくさん居ますわよね。
パンツにコカイン君は、相変わらず
下らないコメントを書いていますわ。
えっけん君と太田将宏老人は
ムカついたままコメントを書いてしまいます。
みっともないコメントになるだけです。
ええっ?そんなことより、
もっと面白い話がないのかって。。。?
デンマンさんが書いた上のお話だけでは
物足りないのでござ~♪~ますかぁ
だったらね、メチャ面白いお話を
集めましたわ。
ちょっとこれ見てよ。
笑えるでしょう?
とにかくね、面白いから次のリンクをクリックして読んでみてね。
あなたもきっと笑ってしまいますわよ。
これだったら、絶対に読みたくなるでしょう?
読んでね?
ダメよ!生返事してこの場を誤魔化そうとしちゃああ、
絶対に読んでねぇ~~?
お願い。頼むわよねぇ~。
うふふふふ。。。
上のリンクをクリックして読んでね。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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