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分かっているようで分からない
歴史の中の不思議 『紳士は金髪がお好き』
っていつから? by June Adams
August 19, 2003
『紳士は金髪がお好き』 もし、あなたがマリリン・モンロー・ファンならば、まず見たことがあるでしょう。この映画は、 1920年代にアニタ・ルースによって書かれたオリジナルが元になっています。この演劇はブロードウェーで上演されてヒットしました。 ハワード・ホークス監督が1953年にミュージカル・コメディーに仕立て上げたものです。 この映画の中で、マリリン・モンローはローレライ・リーを演じ、ジェーン・ラッセルが彼女の相棒のドロシー・ショーの役を演じます。 二人とも明るく陽気でおきゃんな未婚のコーラスガールです。二人はフランス行きの豪華客船に乗りこんで、金持ちの夫を捜すためにパリへ行くのです。 乗船すると二人の女性はオリンピックに出場するアメリカの男性チーム、ダイヤモンド鉱山会社の社員たち、それにマーロンと呼ばれる男に出会います。 実は、このマーロンと言う男はローレライが結婚相手として付き合っている男の父親が雇った私立探偵なのです。 この父親がローレライに妙な男がつくのを防ぐために監視役としてこの男を送り込んだわけです。 ローレライ(モンロー)に会うと、男は彼女のナイーブなところとその魅力的な容貌にまいってしまいます。 ドロシー(ラッセル)も同様に魅力的ですが、彼女はむしろ率直でより現実的に見えます。 恋愛をゲームとしてみているようなところがあります。この二人が共に男に当たれば、その男はもう、いちころにまいってしまうこと、請け合いです。 マーロンは監視役としてローレライについて回るのですが、ドロシーは、このマーロンに惚れてしまいます。 ローレライは故郷に残してきたボーイフレンドを裏切らないように努めています。でも彼の父親が雇ったマーロンのことは何も知りません。 ところが、やがてこのマーロンの秘密が二人の女性にばれてしまいます。 それで二人はローレライの不利になるような証拠を隠滅するために躍起となります。 フランスに着くと彼女たちはまた別の問題に突き当たります。というのは、 盗まれたダイヤモンドをパリ警察が捜索しているところに巻き込まれてしまうからです。 一方、マーロンは彼自身の問題で頭を抱えてしまいます。なぜかというと、彼はドロシーに恋をしてしまったのです。しかし、場合が場合だけに 一体どのようにして本心から恋をしているかということをドロシーに伝えるのか。これが彼にとって一大問題になったのです。 ブルンネットのジェーン・ラッセルは映画の中でも魅力的ですが、タイトルが意味すように、この映画は金髪のマリリン・モンローを トップスターの地位へ押し上げることになりました。紳士はやはり金髪がお好きなようです。 この映画をまだ見ていないのでしたら、上のポスターをクリックしてください。 アマゾン・ジャパンのDVDのサイトへジャンプします。(新しいウィンドウが開きます。)
マリリン・モンローは最初のブロンド・ボムシェル (bombshell) だったの? 私たちの記憶には、マリリン・モンローがセクシーな金髪の代表のようになっています。でも、彼女は最初のブロンド・ボムシェルだったのでしょうか? ところで、このボムシェルという言葉は、誰が一体このような意味で使い始めたのでしょう? “Blonde bombshell” というフレーズは、とても魅力的でセクシーな、でもちょっぴりおつむの弱い金髪女性を意味するようになりました。 ジーン・ハーローが最初のブロンド・ボムシェルになりました。1933年に彼女自身の経歴を参考にして作った映画に主演した時、 ジーンは映画界のプラチナ・ブロンドの女王になったわけです。 この映画はアメリカでは “Bombshell” というタイトルで封切られました。 イギリスでは “Blonde Bombshell” というタイトルで上演されました。 ところが、“Blonde Bombshell” というフレーズは1942年までオックスフォード英語辞典 (OED: Oxford English Dictionary) には載りませんでした。 普通の辞書で “bombshell” を引くと次のようになっています。 1) n :a shocking surprise その後、どのような人がブロンド・ボムシェルと呼ばれたかというと,大体次の人たちが挙げられます。 ジェーン・マンスフィールド、べティー・グレーブル、キム・ノバック、デビー・レイノルズ、グレース・ケリー、それにブリジット・バルドーです。
ブロンド・フィーバーは最近の現象?
その後多くの石彫刻者がプラクシテレスの作ったこの像をモデルにして繰り返しアフロディーテの像を製作しました。 当時「金髪のアフロディーテ」という噂が広まっていたのでしょう。 この像は古代ギリシャの売春婦たちに霊感を与え、彼女たちは髪の色を金髪に近づけようといろいろな方法を試みたものでした。 しかし、詩人メナンドロスは言いました。「品行方正な女は髪を金髪などに染めるものではない」と。 一方、ホメロスは、アフロディーテがブロンドの巻き毛だけを身にまとい海から現れるのを夢想するのを好みました。 そもそも、なぜ、金髪がそんなに人気があるの?と疑問を持つかもしれません。 まず、ブロンドの髪の毛は人の注意をひきつけます。また性的にも男をひきつける魔力を持っていて、これがお金にも結びつきます。 古代のギリシアの娼婦たちはそのように考えていました。 古代のローマでは、娼婦たちに加えての貴族の女たちまでもがハトのウンチを髪の毛に塗りこんで漂白しようとしたほどです。 髪の毛をブロンドにするたなら、古代の女性は、髪の毛を不快な臭いものの中に何時間も浸すことを決してイヤだとは思いませんでした。 裕福なローマの女性は専門の美容師を雇い、髪の毛の染め具合が悪いときなどピンで美容師の体を突き刺したほどです。 古代ローマではアフロディーテの役は金髪のエロスの女神、ビーナスによって引きつがれました。 ビーナスはローマの娼婦たちに漂白剤(ぺロキサイド)のボトルを手にとって、髪を金髪にするよう促したのです。 ぺロキサイド(Peroxide): 過酸化物; 強い酸化する特性を備えた粘着性の液体; 強力な漂白剤; 消毒剤としても使われる。濃縮するとオキシダントとしてロケット燃料にもなる。 紀元3世紀までに、キリスト教の説教者は、ブロンドの裸のビーナスが邪悪であると結論を下しました。しかし、 髪の毛を金髪にしようと試みることも、あるいはブロンドのかつらを着用することも依然として行われていました。 金髪にするということは、黒髪のローマ人の間で目立つためにポピュラーな方法だったことに変わりがなかったのです。 中世になると、ビーナスは一転してイブへと変身しました。男を魅惑する美しいブロンドの女として描かれるようになりました。 聖母マリアさえブロンドとして描かれるようになったのです。このブロンドのイメージは聖ブリジットと深いつながりがあるようです。 彼女は14世紀のスウェーデンの聖女で、彼女自身ブロンドであったと言われています。 ルネッサンス時代になっても、聖母マリアはラファエロや他の画家たちによってブロンドとして描かれました。ビーナスは、新たにブロンドを流行させたのでした。 ボッティチェルリによって描かれたビーナスは一糸まとわぬ体をちょっぴり謙遜な態度を装い、長いブロンドの髪でまえを隠しているだけです。
屋上で灼熱の太陽に当たる
当時イタリアの家では、屋根の上に天井のない小さい木造の建物があって、『アル ターネ』とよばれていました。女たちはここに一日中こもって頭を陽光にさらしたのです。 それも一年のうちで、いちばん日光が強い時期を見計らって行うのですから、大変なことだったでしょう。 こうして灼熱の苦しみに耐えつつ、短い棒の先についたスポンジをある洗浄液にひ たし、それで髪の毛をぬらしては乾かし、ぬらしては乾かしして、やっとブロンド ができあがります。 洗浄液とは木炭か木炭の灰を布に包んで熱湯をそそぎ、できあがったアク汁で、刺 草(いらくさ)の種かアンディーブをどろどろになるまで煮た煮汁です。毎週これを二回繰り返すと、数ケ月で効果が現れるそうです。
アルターネの灼熱地獄で毛染めをしていたルネッサンス時代の女性たちが、現代の金髪のお手軽
さを知ったら、驚きあきれることでしょう。
エリザベス女王も 16世紀の英国では、赤褐色の髪をしていたエリザベス女王は金髪を彼女の処女性のシンボルとして選びました。 彼女が髪の毛をブロンドに染めたかどうかは、実のところ分かってはいないのですが、スペンサーのような詩人だけでなく画家たちによっても、 彼女は金髪の女王として描写されました。 王位に就いたから42年経った1600年頃に描かれた戴冠式の肖像画には、長いブロンドの髪を持った若いエリザベスとして描かれています。 処女王と聖母マリアとを結び付けようとする試みが見えるようです。
ヒトラーもブロンドがお好きだった。 20世紀になると、人種の優勢のシンボルとしてブロンドを引き合いに出すようになりました。 ヒトラーが1933年にドイツで権力を握るようになるずーと前に、すでに反ユダヤ主義がアーリア主義の新しい神話と共に広まっていました。 このアーリア主義は優生学という新しい流行に乗って現れたのでした。 ヒトラーのブロンド好きは、「ブロンド・ボムシェル」の開発に一役買ったようです。ハリウッドでは、ブロンドが主演する映画が続々と作り出されました。 奇妙にも、これらの映画はさらにヒトラーに影響を与えたようです。というのは『キング コング』が彼のお気に入りの映画になったのです。 明らかに、この映画は彼に人種に関する偏った考え方を植えつけたようです。キング コングが邪悪な人種として登場し、 ブロンドがアーリヤ人を代表して出てきたとでも思ったのでしょう。 第2の世界大戦の後でも、ブロンド・フィーバーは衰えませんでした。今でもその熱は引き続いているように見えます。 もちろんさまざまなブロンドのタイプが現れたのですが。 ジーン・ハーローとメイ・ウエストは男誑(たら)しのイメージに包まれて現れました。 ベティ・グレイブルは社会的に受け入れられるブロンドのシンボルになったようです。マリリン・モンローはおつむの弱いブロンドになりました。 グレース・ケリーは荘厳なブロンド、デビー・レイノルズは「隣に住むブロンド」タイプとして現われました。 男の人たちは、今でもブロンドを好みますか? 多分、そうでしょう。しかし、私は思うのです。男の人たちは商業主義に踊らされているようです。 なんと言っても、ブロンドは売れますから。マドンナがブロンドへ変わる前には、彼女が一枚のレコードを出すたびに500万枚を売っていました。 それがブロンドに変身してからどうなったと思います? 2000万枚ですよ! 男の人たち! 商業主義に踊らされている、ということ、もう一度考えてみてはいかが?
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