フリュネ—高級娼婦
フリュネはボエオティアのテスピアエの出身です。偉大なアテネの彫刻家プラクシテレスの情婦になりました。 彼はフリュネをモデルにして有名なアフロディーテの彫像を製作しました。さらに、テスピアエの寺院の女神とエロスの石像の間に彼女の像を 置いたほどです。
フリュネの本名はネサレテ(Mnesarete)です。彼女が将来高級娼婦になることを考えると、ちょっと奇妙に響きますが、 実はこの名には「美徳を胸に秘めた女」というほどの意味があります。 フリュネと言う名前はtoadつまり「ヒキガエル」と言う意味です。 彼女のお客たちは彼女の肌が黄色っぽかったのでフリュネと呼びました。 しかし彼女の皮膚の色が何であれ(おそらく白鉛で肌を白くしようとしたことでしょうが)彼女は壮麗な肉体の持ち主でした。 古代ギリシアでは、美を評価するとき顔よりも体躯の方に重きを置いたのです。
紀元前4世紀、フリュネの美しさはアテネ人の間で、もっぱらの評判でした。と言うのも、 彼女はヴェールで身を包まない限り決して外に出なかったからです。 しかし、例外もありました。エレウシスのフェスティバルとポセイドンのお祭りのときです。この時には公衆の面前で髪をほぐしてたらし、 一糸まとわぬ姿になって海に体を沈めるのでした。
しばらくの間フリュネはプラクシテレスを愛し、彼に芸術上のインスピレーションを与えました。そして、彼の有名なアフロディーテの石像のモデルになったのです。 プラクシテレスにとどまらず、彼女はアペレスにもインスピレーションを与え、彼は、フリュネをモデルにして有名なアフロディーテ・アナデオメーネ(海から上がるアフロディーテ)を生み出したのです。
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しかし、裁判所のメンバーの一人は、彼女のお客でした。弁論家のハイペレイデスもそうでした。 彼はフリュネの献身的な愛人の一人になりました。そして、雄弁に弁護しただけにとどまらず、 彼女の上着をはだけて彼女のすばらしい肉体を披露することによって、彼女を弁護しようとしたのでした。 魂を揺さぶるような肉体を目にした裁判官たちは、誰もが等しく感動して彼女の罪を許したのでした。
しかし、ユーシアスが起訴したのではなくフリュネのライヴァルの一人が訴えたのだとするエピソードも残っています。これは後ほど紹介します。
フリュネの優雅にして官能的な美はプラクシテレスの手によって完璧の閾(いき)に達したのです。 プラクシテレスがフリュネを囲っていることも、また、彼女の美しさを永遠に形にしてとどめたこともギリシャ人は誰もが知っていました。 しかし、プラクシテレスがいつ生まれ、いつ死んだのかは誰も知りません。
紀元前360年、コス市はプラクシテレスにアフロディーテの石像を作るように依頼したのでした。フリュネをモデルにして、 彼はすばらしい作品を仕上げたのです。しかし、コス市民は、女神があまりにも肌をあらわにしすぎていると感じ取ったのでした。 そんなわけで、彼は別の服をまとった女神像を作るということで、お堅い考えを持つ市民たちをなだめたのでした。 そのような経緯で、クニドス市はプラクシテレスが作った最初の裸像を購入することができたのです。
ビチュニアのニコメデス王は、彫像を貰い受ける代わりにクニドス市の重い公共負債を払うことを申し出ました。しかし、 クニドス市は不朽の名作の方を選びました。やがて観光客がその名作を見るために地中海の隅々からやって来ました。 その入場料を集めることによって、結局クニドス市は負債を払い切ることができました。 同時代の批評家はクニドスのアフロディーテがそれまでギリシャで作られた作品の中で最も素晴らしい彫像だと認めたのでした。
クニドスがアフロディーテの石像によって有名になったように、フリュネの出生地であるボイオティアの小さな町、テスピアエも有名になり、 旅行者を引きつけました。 それというのも、プラクシテレスが作った大理石のエロスの像をフリュネがその町にささげたからです。
どうしてエロス像が関係あるかって、お尋ねですか?
これにはエピソードがあります。フリュネは、かつてプラクシテレスに尋ねました、「あなたの工房で最も美しい作品ってどれ?」
「どうしてまた、そんなことを聞くんだい?」
フリュネは彼女の意図するところを話しました。
「君は、どの作品が一番だと思う?」
「あたしがそれを尋ねているのよ」
「ウーン。。。ちょっと分からんなァ。むしろ、判断は君に任せるよ」
しかし、フリュネは彼自身がどう思っているかを知りたかったのでした。それで、考えたあげく、2、3日後に、 彼女はスタジオに火がついたという事を知らせるために、 彼の元へ走ったのでした。これを聞いて、プラクシテレスは大声で叫びました。「オオ、何と言うことだ!もし、 私が作ったサテュロスとエロスの像が焼けて駄目になってしまったら、僕もおしまいだ」
それを聞いたフリュネはエロス像の方を選んで彼女の故郷の町へ寄付したというわけです。 その後、ネロはエロス像をローマへ持ってゆきました。しかし、その像は紀元64年の大火災のために、焼けて崩れてしまいました。 かつてヘシオドスが創造の神として崇めたエロスは、プラクシテレスの頭の中では繊細で夢を見るような青年のイメージになったのでした。 プラクシテレスにとって、エロスはいわば、心を捉える愛の力の化身と映ったのです。 エロスはまだヘレニズム文化とローマの芸術に見られるような、いたずら好きでふざけたキューピッドになっていませんでした。
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しかし、例外として、毎年行われる宗教上のフェスティバルの時だけは、多くの人たちの好奇心に答えるために裸になったのです。 海神ポセイドンに敬意を表するために、彼女は、水辺で一糸まとわぬ姿になって、海から出現するアフロディーテを演じて見せたのでした。 フリュネはこうして、さらに有名になったのですが、ライヴァルの娼婦たちは、このことを妬むものが多く、すっかり頭にきた者さえいました。 そのうちの一人の高級娼婦はフリュネがストリップショーを演じて神聖な儀式を冒涜したと告訴したのです。しかも死罪に当たると訴えたのでした。
裁判で、フリュネが勝つ見込みがないと分かった時、彼女の弁護人ハイペリデスは、フリュネの身にまとったものをかなぐりすてて、目の覚めるような彼女の美体 を裁判官たちに披露したのでした。
「神々をたたえるフェスティバルにおいてフリュネの美しさがどうしてその神聖さを汚すことがあるでしょう?」 ハイペリデスは裁判官に向かって、 このように切り出したのです。「そもそも、神々が、フリュネにこの美しさをお与えになったのです」
ハイペリデスが言った事にたいして反論の余地があろうとは思えませんでした。 しかも、フリュネの美しい一糸まとわぬ姿を裁判官たちはその証拠として見せ付けられているのでした。これほどの説得力のあるものが他にあるでしょうか? 結局、ハイペリデスの弁護が功を奏して、フリュネの罪は不問に付(ふ)されました。
しかしながら、裁判官たちははっきりと言いました。「今後は、フリュネを弁護する時に、今のように裸にしてはならぬ。 いくらなんでも、これはやりすぎだ。 美しいには違いないが、わしらには目の毒だ。分かったかね」
従って、裁判所は、弁護のために裸になることを禁止しました。
古代ギリシャの高級娼婦たちが尊敬に値しないと思ったら大間違いです。フリュネ、ライス、タイスといったような、 いわゆるヘタイライ(高級娼婦たち)は古代ギリシャ社会に大きな貢献をしました。 戯曲作者はステージの上に彼女たちを登場させましたし、作家は彼らの本の中に彼女たちを登場させたのです。 彼女たちは、すでに生きていた時でさえ伝説的な存在でした。死んでからは、なおさら、彼女たちの神秘性が高まったほどです。
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