言わぬは言うに勝る
(いわぬはいうにまさる)
こと細かく言葉で説明するよりも、何も言わずにいるほうが、かえってより深い意味を語り、相手にそれが伝わっていくことが多い。
同じような諺に次の2つがあります。
Silence is golden.
沈黙は金なり。
ことわざにはなぜ正反対のものがあるのか?
上の諺と全く正反対のものに次のようなものがあります。
言わぬことは聞こえぬ
どんな意見、考えでも実際に口に出して言わなければ相手に伝わらない。特に大切なことは、はっきり説明し、誤解のないようにすべきだということ。
同様な諺に次のようなものもあります。
言い勝ち功名
(いいかちこうみょう)
Kangaroo
こういう話があります。昔、英国人がオーストラリアへ行きました。現地人とは片言の現地語で話が少しは分かります。
ある時、現地人を伴って原野に探索に出かけました。そこで大きな動物を見たのです。ウサギのようにぴょんぴょんと、飛び跳ねるように移動するのですが、
またそれが馬鹿でかい。彼は驚きのあまり、わずかな現地語を使って現地人に尋ねました。
「あれはなんと言う動物?」
現地人は答えました。「カンガルー」
それでこの動物はカンガルーと呼ばれるようになったのです。
しかし、この「カンガルー」というのは、現地語で「(私には)分からない」という意味だったのです。
ただし、この話は文献に当たって確かめた訳ではありません。念のため。でも、ありそうなことです。
上の諺を考えるとき、これは実に面白いお話です。つまり、どのようにして誤解が生じるかということを端的に物語っているわけです。
生半可に現地語を知っていたために、この英国人は、このような失敗をしてしまったわけです。しかし、この英国人を責めるのは少々酷なようです。
この状況に置かれたら、おそらく誰もがそのように思い込んでしまうでしょう。
ここで、「言わぬは言うに勝る」という諺の説明をもう一度書いてみます。
何も言わずにいるほうが、かえってより深い意味を語り、相手にそれが伝わっていくことが多い。
この状況において、上の説明がいかにナンセンスであるかは一目瞭然です。何か言ったために、こういう誤解が起こってしまったわけです。
しかし、何も言わなければ、全く何も伝わりようがない状況です。「何も言わずにいるほうが、かえってより深い意味を語り、
相手にそれが伝わっていく」、ことなど絶対にありえません。
つまり、どの諺にもそれが通用する状況と全く通用しない状況があるということです。
英語にも確かに次のような諺があります。
Silence is golden.
沈黙は金なり。
しかし、その発想が全く違います。日本の場合には、プラス思考が働いています。つまり、
「何も言わずにいるほうが、かえってより深い意味を語り、
相手にそれが伝わっていく」 日本では、べらべらしゃべる人物よりも、寡黙で、沈思黙考型の人間のほうが「あいつはできる!」と思われやすい。
ところが英語圏には、このようなプラス思考は、ほとんどと言っていいほどありません。皆無に近いのです。この諺は、英語圏ではマイナス思考で出来上がっています。
つまり、何か言ったために罪に貶(おとし)められた。何か言ったために災いを招いた。余計なことを言ったばかりに損をした。だから無駄なことは言わない、という発想です。
従って、「無駄でない」と思うことは、うるさいほど喋り捲る。もういい加減でいいよ、とこちらが思っても、相手は納得の行くまでしゃべる。なぜか?
それは、英語圏では黙っていると、馬鹿だと思われるからです。その面白いエピソードはこのページ
(文化の違いに気をつけないと。。。)
で読んでください。新しいウィンドーが開きます。
「沈黙は金なり」という諺が英語にもあるからといって、黙っていることがよいことなのかと早合点して、言うべきことも言わずにいると、大変な誤解を受けます。
「臨機応変」を心がける必要があるでしょう。
飢えたる犬は棒を恐れず
(うえたるいぬはぼうをおそれず)
生活に困ると、人間は切羽(せっぱ)詰って危険なことや、時には悪いことでも思わずやってしまう。
飢えた犬は、人間が振り回す棒を恐れもせずに食べ物にありつこうとすることから。
また、似たような諺に次のようなものがあります。
「痩せ馬鞭を恐れず」(やせうまむちをおそれず)
A hungry dog and a thirsty horse takes no heed of blows.
飢えた犬、渇(かつ)した馬は鞭を意に介しない。
上には上がある
これが最高に優れていると思っても、さらにその上には優れたものがあるものだ、ということ。
また、似たような諺に次のようなものがあります。
「上を見ればきりがない」
There may be blue and better blue.
青もあればよりすぐれた青もある。
魚心あれが水心
(うおごころあればみずごころ)
相手の出よう一つでこちらの対応の仕方も違ってくる。相手が好意を示せば、こちらも好意を持って対応するということ。
元、「魚、心あれば、水、心あり」というように言われた。魚が水に好意を示せば水もそれに対応する心があるという意味。
Claw me and I’ll claw you.
掻いてくれれば掻いてやる。
魚の釜府中に遊ぶが如し
(うおのふちゅうにあそぶがごとし)
危険が目の前に迫っているのに、のほほんとしていることのたとえ。
釜の中の魚が釜の中の水がやがて熱せられれば煮られてしまう運命にあるのに、それとも知らずにのんびりと泳いでいることから。
また、次のようにも言う。
「釜中の魚」
Sit like a frog on a chopping block.
物切り台の上の蛙のように座っている。
烏合の衆
(うごうのしゅう)
ただ寄り集まっただけで、なんの規律もなく、まとまったことなど出来ない人々のこと。
「烏合」は、烏(からす)のしゅうごうのこと。カラスの集まったような、まとまりのない群集という意味。
The mob has many heads but no brains.
群集は頭数は多いが脳みそがない。
氏より育ち
(うじよりそだち)
人間は家柄よりも、その人の育った環境のほうが大切であるということ。
「氏」は、家柄・血筋の意味。
また、次のようにも言う。
「人は氏より育ち」
この諺をもじった川柳に次のようなものがあります。
「氏より育ちなんざんす馬鹿らしい」
Nurture is above nature.
天性より養育。