小股の切れ上がったいい女
(こまたのきれあがったいいおんな)
きりっとして小粋な感じの、姿かたちの良い女性。
A nice gal with a shapely ass
いい尻をした女
「小股」とは何か?
- 「小首を傾げる」: ちょっと首をかしげる。
- 「小耳にはさむ」: ちょっと聞いたことがある。
- 「小股で歩く」: 歩幅をちょっと狭くして歩く。
最後の「小股で歩く」の「小股」と関係がありそうなのですが、「小股の切れ上がった」という場合の「小股」は歩き方とは関係がなさそうです。
切れ上がったというのですから、どこか場所と関係がありそうです。
相撲に「小股すくい」というのがあります。この技は相手のすねから膝頭にかけての部分に手をかけて払うようにして倒すのですが、
しかし、この部分と女性の美しさがどうかかわりがあるのか判然としません。
足袋をはいた足の親指と人差し指の間の部分という説もありますが、この部分が切れ上がるとどうしていい女になるのかが分かりません。
民俗学者であり、また古代史の研究でも知られている折口信夫さんは「女陰の陰裂の長さ」という説を立てました。
意味するところが分からないわけではないのですが、「長さ」が切れ上がる、という表現が適切とは思えません。
作家の井上ひさしさんは長編小説『江戸紫絵巻源氏』(文春文庫)の上巻で「小股が切れ上がる」について触れています。
井上さんがその道の古老に尋ねたところによると、小股とは股の付け根の切れ目のことを言うのだそうです。あそこのところの略図を「Y」とすれば、
「V」の部分が深く切れていて、しかも、斜め上方に長く切れ込んでいる女性のことを「小股の切れ上がった女」と称するのだそうです。
さらに井上さんは、次のように説明しています。
『Y』の『V』の部分が、深く長い切れ込みを有しているとは、具体的にはどういうことか。簡単に言えば土手が高いのであります。
あの丘がこんもりと盛り上がっているわけであります。したがって、万事に具合がよろしいのであります。
女性の性器と結びつけるのは、おそらく誰もが一度は考えてみるのではないでしょうか?しかし、ちょっと考えてみてください。
もし女性の性器と関係があるなら、ある女性を見たとして、その女性が「小股の切れ上がった女だ」と判断する時に、その女性の性器を調べなければなりません。
しかし、そんなことはないわけです。そうだとしたら、うかうかと「小股の切れ上がったいい女」だと口に出来ません。
日本語の良いところは、この辺をぼやかして「感じ」「情緒」「雰囲気」として受け止めることです。上のべティーさんを見てください。私にとって、
「小股の切れ上がったいい女」というのは、イメージとしてはこのべティーさんのような体形が想い浮かびます。これを英語にすると、きわめて直接的な言い方になってしまいます。
つまり、“A nice gal with a shapely ass” とか “A pretty broad with a cute butt”
もし、知り合いに日本語の分かるアメリカ人がいたら、このべティーさんを見せて、ぜひ訳してもらってください。先ずこのように訳すはずです。
カナダで20年以上暮らしていますが、私の今までの経験では、日本語にマッチしたうまい訳が思い浮かびません。
「小股の切れ上がったいい女」という表現には非常に日本的なものを感じます。
「水もひたたるいい男」という表現がありますが、これなども実に日本的な表現です。
英語に訳せと言われても、これには困り果ててしまいます。このような日本語は言語学的に理解するというより感覚的にイメージするより仕方がないものだと思います。
子は三界の首枷
(こはさんがいのくびかせ)
子供のことにとらわれて、親というものは一生、自由を束縛されてしまうということ。
「三界」は過去・現在・未来の三つの世界。「首枷」は「くびっかせ」とも言う。首にはめて罪人の自由を束縛する刑具。
不幸な親は嘆いて次のような川柳を作りました。
「子宝はまれで首枷ばかり出来」
Children suck the mother when they are young and the father when they are old.
子供は幼くしては母を吸い、長じては父をかじる。
転ばぬ先の杖
(ころばぬさきのつえ)
しくじらないように、あらかじめ念には念を入れて用心することが大切だというたとえ。
転んでからでは間に合わない。転ぶ前に用心して杖を付けの意から。
用心のよい人は次のようなことも。。。
川柳:「転ばぬ先に杖にする子を仕込み」
Prevention is better than cure.
予防は治療に勝(まさ)る。
An ounce of prevention is worth a pound of cure.
ちょっとした予防で、後で金のかかる治療を避けることができる。
衣ばかりでは和尚は出来ぬ
(ころもばかりではおしょうはできぬ)
形だけ整っていても中身が伴わなければものの役にはたたないたとえ。
単に僧衣だけをまとっただけでは僧侶になれない。それなりの仏心を持たなければならないの意から。
「馬子にも衣装」の反対。
The cowl does not make the monk.
僧衣だけでは僧になれない。
転んでもただでは起きぬ
(ころんでもただではおきぬ)
たとえ失敗しても、その失敗の中からがめつく何か必ず利益になるものを見つけ出すことのたとえ。
All is fish that comes to his net.
あいつの網にかかるものはすべて魚である。