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藤原氏の祖先は朝鮮半島からやってきた
by Akira Kato
July 14, 2003
コメント
投稿日時:Sep 14 2009 / 17:22:23
Pacific Daylight Saving Time (日本時間:9月15日 火曜日 午前9時22分) お名前: はぁ? 御感想:
韓子(現地女性に産ませた子)がルーツであるとして
「半島から来た」にはならないぜよ。 結局、半島系であるという根拠を何も示してない。
投稿日時:Sep 15 2009 / 15:12:10
Pacific Daylight Saving Time (日本時間:9月16日 水曜日 午前7時12分) お名前: Akira Kato (a.k.a. デンマン) 御感想:
まずは、コメント書いてくれてありがとう。
このサイトではコメントを書いてくれる人が極めて稀なのだよう。 実は、オマエのことを僕は、てっきり“成りすまし馬鹿”だと思ってしまった。もし、成りすまし馬鹿のことが分からなかったらGOOGLEで検索してみてね。 僕が書いた記事がたくさん表示されます。 ところで、どうしてオマエの事を“成りすまし馬鹿”だと思ってしまったのか? でも、大きな違いにすぐに気づいた。 成りすまし馬鹿は、これまでに記事の内容について批判めいた事を書いた事が無い。 たいてい根拠の無い誹謗中傷か、非難めいた事を書くだけだったのだよう。 ところが、オマエのコメントは記事の内容についてコメントしている。 念のために、オマエのIPアドレスを調べたら、次のような事が分かった。
219.106.61.132
nt11-ppp2418.osaka.sannet.ne.jp ネットワーク名: SANNET 上位情報: 成りすまし馬鹿の IPアドレスは次の通り。
成りすまし馬鹿の IPアドレス:
122.131.139.184 プロバイダー: BIGLOBE 『成りすまし馬鹿のふるさと』より 見てすぐに分かるようにオマエの IPアドレスとは全く違う。もちろん、プロバイダーも違う。ところが偶然にも アクセスポイントが大阪。 オマエも、おそらく大阪市内に住んでいるのだと思う。 どうして、オマエの書いたコメントに対して、このように IPアドレスまで晒して返信を書いているのか?
オマエに分かるか? 理由は2つ。 “文は人なり!” オマエも聞いた事があるだろう?! オマエの書き方から、オマエが真摯な態度でコメントを書いているようには全く見えない。 それで、僕は、オマエを“成りすまし馬鹿”のような立派な反面教師にしようと思ってこうして返信を書いているわけ。うししししし。。。 つまり、オマエのふざけたコメントの書き方が、僕にこのような書き方を誘発したわけ。 第2の理由は、オマエは、自分では歴史についてかなり分かっているつもりになっているけれど、文章の読み方も満足に理解していない。 オマエは、愚かにも次のように書いた。 「結局、半島系であるという根拠を何も示してない」 僕はちゃんと根拠を書いている。 ところが、オマエには文章の読解力が無いために、その根拠を見逃してしまった。 そして、愚かにも上のような理解力の無さを自分で曝(さら)け出すようなコメントを書いてしまった。 オマエのコメントは、オマエの愚かさをはっきりと示している。 オマエは自分の書いたコメントに対して自信が持てないから、無意識のうちにオマエはハンドル名を書かずに“はぁ?”なんて、とぼけた事を書いている! 馬鹿丸出しになっているのだよう!(爆笑) ここは2ちゃんねるではないのだよう! 2ちゃんねるで遊んでいるつもりになって、コメントを書いちゃダメだよう! 分かるよな? でも、僕もふざけてばかりいては、この記事をここまで読んできた人に対して失礼だから、一応、根拠を示します。 その根拠とは次の箇所です。
「右京の人正六位上栗原勝子公言す。子等が先祖伊賀都臣(いかつのおみ)は、是中臣の遠祖、
天御中主命20世の孫,意美佐夜麻(おみさやま)の子なり。伊賀都臣、神功皇后の御世に、百済に使いして、
彼の土の女を娶りて,二男を生み、名づけて本大臣、小大臣といふ。はるかに本系を尋ねて聖朝に帰す。
時に美濃国不破郡栗原の地を賜ひて以て居らしむ。その後、居に因って、氏を命じて、遂に栗原勝の姓を負へり。
伏して乞らくは、中臣栗原連を蒙り賜はむと。是に於いて子公等男女十八人請に依って、改めて之を賜ふ」
伊賀都臣、神功皇后の御世に、百済に使いして、その土地で現地の女と結ばれて、子供を作った。その子供たちがやがて成長して、
日本にやってきた。その者たちがやがて中臣栗原連と名乗るようになったと。さらりと述べています。注意して読まないと、読み飛ばして
しまいそうな箇所です。
しかし、すでに述べたように、古事記において、中臣氏が、いかに古い氏族であるか、しかも天皇家と並ぶほど古い
家系であるか、ということを、それとなく述べています。しかし、具体的にどのようなことをしたかと言うことは、書きたくても書けなかったと言うのが
真相でしょう。変なことを書くと嘘がばれますから。それでも、そこ、ここで、それとなく、小出しに、日本古来の氏族であることを
述べています。ほとんど、くどいくらいに繰り返されています。20世と言うと、一世代が20年とすると400年、30年とすれば、600年です。
仮に私が、「400年前の私の祖先は加藤清正です」と言ったら、あなたは信じますか?私の知る限りでは、それは事実ではないようです。
わたしの家には、家系図は伝わっていませんから。しかし、誰が一体、確信を持って、私が、加藤清正の子孫ではないと言いきることができるでしょうか?
私の体の中には、400年という年月の間に加藤清正の子孫の血が、一滴か二滴ぐらいは混じっているかもしれません。
上の記述で延べていることは、言ってみれば、そのような程度のことです。 それを、すでに見てきたように、くどくどと言っているわけです。 もちろん、それが、『古事記』、『日本書紀』、『続日本紀』の編集に携わってきた藤原氏の狙いです。「ここまで書けば、もう大丈夫だろう。 我われが日本古来から連綿と続いている氏族であると認めてくれるだろう。そろそろ本当のことを書いても、我われが、百済からやってきたとは、 もう誰も思うまい」 そういう作為が感じ取れます。大阪の歴史馬鹿のはぁ~ちゃん!
藤原氏の祖先は、伊賀都臣の時代の500年前に生存していたと思われる天御中主命の血を引き継いでいます。
(建前で、このように藤原氏が日本古来の氏族と結びついているように書いている。でも、言っているだけで、根拠を示してない。) 伊賀都臣と呼ばれた我われ藤原氏の祖先が、神功皇后の時代に、百済に使いして、その土地で現地の女と結ばれて、子供を作った。その子供たちがやがて成長して、
日本にやってきた。この者たちが我われ藤原氏の直接の祖先です。 では、藤原氏は百済人を祖先に持つの? つまり、日本人の血など全く持っていなかったために、このようにクドクドと20世前の天御中主命を持ち出してきたのですよう。 大阪の歴史馬鹿のはぁ~ちゃん!
伊賀都臣(いかつのおみ)が20世前(約500年前)の天御中主命の血を引き継いでいる根拠を示せ!
そう尋ねるべきだったのだよう!
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