聖徳太子とその時代を考えるとき、私たちは日本古代史の中で考えようとします。昔の日本で起こったことを考えるのだから、
それも当然のことのように思えます。しかし、「日本」古代史の「日本」って一体何なのか?
については、あまり考えてみません。
「そんなことは決まってるじゃないか、昔の日本の歴史だよ!地図を開いてごらんよ。その地図の日本の中で、昔起こったことが、
つまり日本の古代史さ」
と、多分、上のような答えが返ってくるでしょう。でも、ここで下の地図を見てみましょう。
上の地図には書き込んでありませんが、中国沿岸からも、またもっと遠く、ベトナムの方からも線が引かれているものと考えてください。
「ベトナムはちょっと遠すぎるんじゃないの?」と言われそうですが、決して遠くありません。そのことについては、このページ
(今、日本に住んでいる人は日本人でないの?)
で説明しています。クリックすると新しいページが開きます。読んでください。
要するに、この当時の国際関係を一言で言ってしまえば、渡来人が日本人であって、日本人が渡来人であった、というような時代です。
この頃は、原日本人、つまり、そのメイン・メンバーであるアイヌ人の人たちは、東北地方へ押しやられた形で生活しています。794年に桓武天皇が、
都を京都に移してから、
本格的に、蝦夷征伐を始めますが、それまでは原日本人は日本史に登場していません。古事記と日本書紀には神話時代の話に、
「熊襲」などと呼ばれて登場している程度です。
古事記と日本書紀を編纂した人たちが、「これが新しい日本史だ」と言うのを、当時のアイヌ人が耳にしたとしたら、きっとこう言ったでしょう。
「あんたがたよそ者が勝手にこの土地へやってきて、争いばかりしくさって、そのあげく日本史を作ったと?いいかげんにせんかい!
わしら、あんたらが来る何千年も前から、この土地に住んでおるんじゃ。迷惑ばかりかけおって。何が日本史だい。わしらが日本史じゃわい!」
「アメリカ人」という言葉を聞くとき、私たちはすぐにマリリン・モンローだとか、ボブ・ホープ、クラーク・ゲーブル、エジソン、リンカーン、
あるいは、ケネディー、ロックフェラー、マイケル・ジャクソン、マドンナ、などというような人の名前がすぐに口をついて出てきます。
それでは、聖徳太子が生きていた当時のアメリカ人は?と言われると、「アメリカ人はその頃いなかったんだ」と言いたくなります。
しかし、もちろん、アメリカ大陸にも我われと同じ人類が生活していました。現在のアメリカ・インディアンの祖先の人たちです。
従って、聖徳太子が生きていた当時も、間違いなくアメリカ・インディアンの人たちがちゃんと生活していたのです。
それとちょうど同じことが「日本」についても言えます。現在では、日本人と原日本人との区別がほとんどつきません。
おそらく日本人の95から99パーセントの血は渡来人から受け継いでいるだろうと思われます。アイヌ人の事についてはこのページ
(平和を愛したアイヌ人) で書いています。
興味のある方は読んでください。
今このページで問題にしようとする聖徳太子の時代と言うのは、アメリカ史にたとえれば、
イギリスから清教徒の一団がメーフラワー号でアメリカ大陸に移住してから、
やがて13州が独立宣言をして、一人立ちしてゆくという時代に当ると思います。そのうち、押し寄せてくる移民が、西部へ西部へと進んでゆきます。
それと共に騎兵隊がインディアンたちを、もっと西へと追いやります。これが、日本史では、平安遷都のあとの蝦夷討伐に当たりそうです。
確かにペルシャは日本から遠い国で、聖徳太子が生きていた時代に、彼らが、日本に住んでいたとは思えないかもしれません。
しかし、「遠い」と言うとき、私たちは、現在のイランと日本の距離を考えてしまいます。そう考えると、
確かにペルシャと日本は距離的にずいぶんと離れています。
しかし、ペルシャ人は何も、インド洋を越え、マラッカ海峡を通り、東シナ海を経て、はるばる日本へやってくる必要はなかったのです。
もちろん、飛行機でやってくる、なんて言うつもりはありません。つまり、中国人や、半島人と同じルートで日本へやってきました。
その当時すでに、お隣の中国や、朝鮮半島にたくさんのペルシャ人が住んでいました。
少し時代が下りますが李白(701ー762)の詩に「少年行」があります。
五陵の年少、金市の東
銀鞍白馬、春風を渡(わた)る
落花(らっか)踏み尽くして、何(いず)れの処(ところ)にか遊ぶ
笑って入る、胡姫酒肆(こきしゅし)の中
盛り場を貴公子が春風の中、馬に乗って走っていく。白馬に銀の飾りのついた豪華な鞍をつけている。
見るからに金持ちの貴公子です。花びらを踏み散らしながらどこへ行くのかと李白が見ていたら、やがて胡姫酒肆の中へ入っていった。
酒肆というのは酒場のことです。この詩の中に現れる胡姫という言葉に注目してください。
胡という字はもともとは異民族という意味で使っていたのですが、唐の時代になるとペルシャ人をさすようになります。
中国語では別に「波斯」と書いてペルシャのことをそう呼びます。これはペルシャ語によるペルシャの発音「ファルシー」の音訳です。
「胡姫」というのは胡の姫、つまりペルシャ人の女の子です。
だから胡姫酒肆とくれば、もう決まっています。エキゾチックな可愛いペルシャ娘がお酌をしてくれるキャバレーです。
ここで卑弥子さんに再び登場してもらいますが、この酒場にいた女の子は、こんな感じの踊り子だったかもしれません。