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有閑マダムとゴッホ
by デンマン & 山本芳江
December 12, 2007
人気の旅行先
こんにちは。レンゲです。
お元気ですか?
あたしは、今年の夏、
バンクーバーに行ってきました。
2週間の夏休みでしたが、
十分にエンジョイしましたわ。
クイーン・エリザベス公園が素敵でした。
ところで、人気の海外旅行先とは・・・? 退職記念にぜひ行きたい、海外旅行先はどこですか? 全国の50歳以上の男女30万人に聞いた「海外旅行に関するアンケートによると、 1.カナダ
2.フランス
3.韓国
ですってぇ~~
その中でも“退職の記念に夫婦で行きたい国 No1”に選ばれたのが、 あたしはカナダのバンクーバーに何度か行きましたが、いつ行っても素晴しいと思います。 スタンレー公園、
カナダはなんと言っても大自然の国ですよね。
また、“趣味を極めるために行きたい国 No1”は、フランスだそうです。 デンマンさんの知り合いの中にも毎年フランスを訪れて、ルーブル美術館をゆっくり見物してから、南フランスでのんびりと暮らす有閑マダムが居るのだそうです。 だからこそ、退職してから行きたい国としてフランスを上げる人が多いのでしょう。 デンマンさん。。。もしかして。。。、もしかして。。。この上の記事に出て来る“有閑マダム”って私のことですかア? そうですよ。芳江さんは有閑マダムと呼ばれるのはイヤですか。。。 はっきり言って、ちょっと抵抗がありますわ。。。だってぇ、あまり良い意味には使われませんから。。。 うん、うん、うん。。。確かに、時間をもてあまして。。。わがままで。。。いい加減な金持ちのおばさんというイメージがありますよね。 デンマンさんも私のことをそのようなおばさんだと思っているのですか? もちろん、違いますよゥ。。。ただ、芳江さんのことを一言で説明するには、“有閑マダム”と言うのが最も手っ取り早いのですよ。そう言う訳で、僕は“有閑マダム”と言う言葉を使ったまでですよ。 でも、この記事を読む人はあたしの事を誤解なさると思いますわぁ~。 うん、うん。。。その事は十分に僕も予測しました。だから、誤解がないように話を進めてゆこうと思っていますよ。 それで、どうして今日私が出てくるのですか? たまたま、おとといの記事で芳江さんのことを書いたのですよ。ちょっと読んでみてくださいよ。
日本画家の山本芳江・女史
昨日、福井市に住む 今日は、 あらっ。。。あたくしは上の和服の女性のようなイメージなのかしら。。。? そうですよ。。。そうですよ。。。うしししし。。。僕がコラージュして作ったのですけれど、気に入ってもらえましたか? デンマンさんてぇ。。。なんでもコラージュして、でっち上げてしまうのですわね。。。うふふふふ。。。 とにかくバンクーバーでは11月8日の晩でしたよね。 午後9時半から真夜中まで。。。2時間半でしたよ。 日本時間では9日の午後2時半から5時でしたね。 ご迷惑だったかしら。。。? いや。。。その時は記事を書いている最中でしたからねぇ。。。んもお~~と思いましたが、話し始めたら僕も熱中してしまいましたからねぇ~。。。うへへへ。。。それに、これならば記事に書けると思ったので、決して迷惑ではありませんでしたよ。。。ウへへへへ。。。 そうですか。。。そうおっしゃっていただけると、私もいろいろとお話した甲斐がありましたわ。。。でも、私は日本画家と呼ばれるほど大それた人物ではありませんわ。 いや、いや。。。謙遜しないでくださいよ。確かに日本で“日本画家”と言えば、日展で入選したような有名人かもしれませんが、僕は言葉が本来もっている意味で芳江さんが日本画家だと思っているのですよ。 それって。。。どう言う事ですか? だから、日本には日本画家と言われている人が結構たくさん居るかもしれません。マスコミに取り上げられて、一応名前が知られているような。。。でもねぇ、僕が名前を知っている日本画家なんて2人か3人ですよ。それ以外は取り立てて素晴しい日本画を描く人なんて居ませんからね。。。物まねがほとんどで、独創的な日本画を書く人は極めて少ないですよ。 でも、私は日本画家と言われるためには、つたない絵ばかりを描いていますわ。 いや、いや。。。謙遜しないでくださいよ。芳江さんの日本画が福井県の絵画展で入選したことを僕は知っていますからね。 でも、田舎の絵画展ですわ。 日展であろうが、田舎の絵画展であろうが、良いものは良いのですよ。少なくとも芳江さんの日本画が絵画展に出て、その良さを認めた人が居た。そのことが素晴しいのですよ。 そうでしょうか? 実は僕も絵を描くのですよ。日本画はやった事がないけれど、水彩画と油絵はやった事があります。彫刻もやった事があって美術に関しては素人ながらも玄人(くろうと)はだしなところがあると、自負しているのですよ。うへへへへ。。。 この和歌は、小学校だけしか出ていない僕のお袋が作ったものですが、その歌のイメージから日本画的な情景を僕がコラージュしてでっちあげたモノです。つまり、このようなモノを見せて僕が何を言いたいか?と言うと、ただ芳江さんを煽(おだ)てているのじゃないと分かって欲しいからですよ。少しは絵の心得が僕にはある。芳江さんの日本画を批評するぐらいの経験がある、と言いたいのですよ。素晴しい美術作品も結構見ている。 デンマンさんも海外の美術館を見て回ったのですか? そうですよ。これまでに34カ国を旅しましたからね。美術館に足を運ぶのも僕の趣味ですよ。芳江さんも暇があれば海外に出向いて美術館巡りをしながら絵の勉強をしていたのですよね。 そう言われてみれば、ずいぶんと美術館巡りをしましたわ。ルーブル(パリ)、オルセー(パリ)、プラド(マドリード)、メトロポリタン(ニューヨーク)、エルミタージュ(サンクトペテルブルク)、ロンドン・ナショナル・ギャラリー、フィンセント・ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)、。。。思いつくままでもこれだけ巡りましたから。。。 そうですか。。。ゴッホ美術館にも行きましたか。僕もアムステルダムでゴッホの絵を見ましたよ。でもね、絵だけを見るとつまらない絵だと僕は正直、思いましたよ。 ゴッホの絵が。。。つまらない。。。つまらない絵ですか? そうですよ。ゴッホが生きている間では、たったの1枚だけしか売れなかった。その程度の絵ですよ。 デンマンさん。。。マジですか? もちろんですよ。僕は大真面目ですからね。。。ゴッホの絵が死後あれだけ有名になって人気が出たのは、ゴッホの弟のテオの妻(ヨハンナ)が居たからですよ。 テオの妻が、なぜゴッホの絵が世に出た事と関係しているのですか? ちょっと次の囲み記事を読んでみてくださいよ。
フィンセント・ファン・ゴッホ
(Vincent van Gogh)
(1853年3月30日 - 1890年7月29日) ゴッホは絵を描きはじめてから亡くなるまでの10年間に、およそ1600点もの絵を描いています。 この美術館は1973年に開館され、現在の館長は、その名もフィンセント・ファン・ゴッホさん。 フランス南部のアルルでのゴーギャンとの生活に失望し、自分の耳を切り落とすという事件を起こした後、ゴッホは、アルル近郊のサン・レミの精神病院に収容されます。
「愛する兄上様、まだ調子が良くないと聞いて、とても悲しい。
僕の方は、いよいよヨハンナと幸せな生活を始めます。 だから余計に兄さんが悲惨な生活を送っていると聞いて、 心が痛みます。」 一年後、ヨハンナが次の手紙を書いています。
「親愛なる義兄上様、一大ニュースをお伝えします。
来年の冬、たぶん二月頃、子どもが、それも男の子が生まれます。 テオも私も男の子に違いないと思っています。 私たちはその子に、フィンセントという名を付けようと思っています。 きっと、男の子に違いありませんから・・・ 」 ゴッホは1600枚あまりの絵を描いていますが、しかし、生前に売れたのは、たったの一枚。 しかし、ゴッホは自らにピストルを向け、命を絶ちます。 37歳でした。 画家としての成功を夢見た兄。 遺志を継いだのは、テオの妻・ヨハンナでした。 それは想像がつきますよね。 ゴッホがピストル自殺を遂げた事も、そのような訳でヨハンナには気になっていたのです。 ヨハンナが居なかったらゴッホは現在これだけ有名になっていなかったと僕は思いますね。つまり、ゴッホの絵の素晴しさを、ヨハンナの感動を通して見ているのだと思いますよ。要するに、ゴッホの絵は、ヨハンナの感動を通して見ない限り、味わいつくせないものがあると僕は思いますね。 そうでしょうか? ゴッホの絵を見る限り、絵がそれ自体に価値があるようには思えない。やはりゴッホの生き様を見ない限りゴッホの絵の値打ちが僕には分からない。それと同じように、僕は芳江さんの生き様を見てきましたからね。芳江さんの絵を僕は、ちょうどヨハンナがゴッホの絵を見るように見ることができるのですよ。 つまり。。。つまり。。。ヨハンナがゴッホの生き様に感動したような。。。その。。その同じような感動をデンマンさんが。。。デンマンさんが私の人生を見て。。。私の絵を見て感じたと言うのですか? そうですよ。 まさかぁ~~。。。? 芳江さんは自分が生きてきた人生だから、つまらないと思っているかもしれないけれど、僕の目にはずいぶんと劇的な半生ですよ。 そうでしょうか?
芳江さんの半生
福井で生まれ育った芳江さんは東京で学生時代を過ごした。 30を越したばかりの芳江さんは、初婚の相手に嫁ぐのは無理だと自分で決めて中学1年生の男の子(和夫君)の父親である山本武雄さんに嫁ぐ。 山本さんは乳癌で妻を亡くした建設会社の社長でした。 中学1年生の和夫君と芳江さんはうまくは行かなかった。 明らかに和夫君は亡くなった母親への思いが強く、芳江さんに対して初めからよくは思っていなかった。 和夫君は芳江さんが可愛がっていた猫に毒をもって殺してしまった。 結婚3年後、山本武雄さんは肺癌のために死去。 バブルがはじけ建設業界の不信を見越した専務が芳江さんのために事業をまとめて業界から撤退する事を助言する。 “有閑マダム”になった芳江さんは趣味で始めていた日本画を本格的に勉強し、日本画の先生に師事をする。 芳江さんの学生時代の親友・真理子(独身)さんがカナダのノース・バンクーバーで日本レストランを経営してうまくやっていた。 順子さんが独断ですべてを取り仕切っている事から芳江さんは不信感を募(つの)らせてゆく。 この不動産に絡む不正事件の相談に乗って欲しいと言うので共通の友人を通して紹介されたのがデンマンだった。 日本画の腕を磨(みが)こうと芳江さんは世界の美術館めぐりを始める。 そのような矢先に真理子さんが脳梗塞(のうこうそく)で倒れる。 カナダでは天涯孤独の真理子さんは入院して心細くなり、茨城県の実家の妹を頼って日本へ帰る。 芳江さんのカナダでの老後の夢はたたれてしまったけれど、現在、真理子さんが入寮している福井の施設を時折訪ねてはリハビリを援助している。 僕が見たり聞いたりした芳江さんの半生を箇条書きにすればこのようなことになるのですよ。もちろん、これだけで芳江さんの半生を言い尽くすことなんてできません。でも、芳江さんの劇的な半生を要約する事はできますよね。ゴッホは自殺してしまったのだけれど、芳江さんの場合は毒殺されそうだと心配する学校の先生までが出てきて助言してくれた。芳江さんが苦労しているのを温かい目で見守ってくれていた人が居たのですよ。ちょうど、ヨハンナが夫とゴッホの書簡を読んで感動したように。。。 そうでしょうか? 僕は福井に行った時に、実際にこの目で芳江さんが描いた日本画を見ていますからね。芳江さんの半生を思い浮かべながら絵を見たとき、僕はやはり、絵からある種の感動を受けたものですよ。 どのような。。。? 例えば、ゴッホの絵はうまくはないのですよ。小学生が描いたような絵もありますよ。でもね、その色使いとか構図のゆがみなど、ゴッホの人生を思い浮かべると、その激情がキャンバスに踊っているような印象を持ちますよね。ゴッホの人生を絵の具にしたのがあの絵だと思いますよ。 それで、私の絵はどうだったのですか? 芳江さんの半生を思い浮かべるとき、いい加減に書いていないことが実に良く絵に表れていましたよ。うん、うん、うん。。。良く描き込まれているなあああぁ~ 熱心さと言うか。。。努力の跡が見えましたよ。。。 私の絵はあまりうまそうではないようですわねぇ~? あのねぇ、絵は上手いとか下手とか。。。そういう見方で見るべきじゃないと思いますよ。 。。。で、どのように見るのですか? 描き手の性格だとか人生が見えると、絵もずっと味わい深く奥の深いものに感じられてきますよね。 でも、いちいち描き手の性格だとか人生を知ることはできないでしょう? だから、世に知られなかった“ゴッホ”はたくさん居たと思うのですよね。ゴッホの場合にはヨハンナが居たわけですよ。ヨハンナが夫とゴッホの書簡を読まなかったら、ゴッホは永久に1枚の絵だけしか売れなかった貧しい無名の画家として歴史には残らなかったはずですよ。 ゴッホには運があったという事ですか? 違いますよゥ。感動を与えるような人生をゴッホが生きたという事ですよ。その感動がヨハンナに通じてゴッホの絵が見出されたのですよ。 それで、あたしの絵はどうなるのですか? 僕がニューヨークで芳江さんの個展を開きますよ。 マジで。。。? 芳江さんがその気になればの話ですが。。。
【デンマンの独り言】
実はこの話は、すでに芳江さんとしたことです。 問題は、その個展を成功させるかどうかです。 この話の後で“病める日本”の話題が続くのですが、
ィ~ハァ~♪~! メチャ面白い、
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卑弥子さんの代わりに出て来ましたわ。
ネットには愚かな人がたくさん居ますよね。
パンツにコカイン君は、相変わらず
下らないコメントを書いていますわ。
FC2のてんね君はデンマンさんのことを
告げ口する事に生きがいを感じているようでした。
でも、今では、そうする事の愚かさに
気づいたようですわ。
えっけん君と太田将宏老人は
ムカついたままコメントを書いてしまいます。
みっともないコメントになるだけです。
ええっ?そんなことより、
もっと面白い話がないのかって。。。?
デンマンさんのゴッホのお話だけでは
物足りないのですかぁ~
だったらね、メチャ面白いお話を
あなたにおせ~♪~てあげますわ。
ちょっとこれ見てぇ~。
聖徳太子のお母さんがペルシャ人だった、なんて信じられますか?
デンマンさんがその事について書いているのですわ。
ど~お。。。
ちょっと面白いと思わない?
もし関心があったら次のリンクをクリックして読んでみてね。
わたしも読んだけれど、結構面白いのよ。
あなたも上のリンクをクリックして読んでみてね。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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