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床上手再訪
by デンマン & レンゲ
2008年5月11日
デンマンさん。。。、おとといの9日にはクラシックを持ち出して、少しは格調高くなったと思っていたのに、また下ネタに逆戻りですか?
うん、うん、うん。。。そう言われてみると僕は弁解できないのだけれど、ちょっと気になることがあってね。。。 一体何が気になっているのですか? 川上宗薫のことですよう。 作家ですよね?下ネタを扱った小説をたくさん書いていましたよね? レンゲさんも、やっぱりそう思っているのですか? だって、川上宗薫は純文学の作品を書いた事はないと思いますわ。それで、デンマンさんはどうして川上宗薫の事が気になるのですか? 僕は5月7日に上の記事を投稿したのですよう。その時に「床上手」をフリー百科事典『ウィキペディア』で調べてみたのですよう。 それで。。。? 残念ながら、そのものズバリの項目はありませんでした。次のようなページが表示されたのですよう。
検索結果
問い合わせ: "床上手" 項目名とは一致しませんでした ■ 四畳半襖の下張 ... 、「この女思ふに老人の旦那にでもよくよく仕込まれた床上手と覚えたり」と男が思うあたりには、作者の観察の鋭さ ... ■ 川上宗薫 床上手としても名を馳せ、女性雑誌に「お手伝いさん募集」の ... ■ オールナイトフジ *床上手、IEKI吐くまで(片岡鶴太郎) ■ 月姫 (ゲーム) : とある理由からかなりの床上手。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 僕は川上宗薫のファンではないけれど、週刊誌でこの人の作品をいくつか読んだことがあるのですよう。 やっぱり、下ネタの作品がデンマンさんは好きだったのですねぇ~? 好きだったのですね?と尋ねられれば、嫌いではなかったですからね。。。うへへへへ。。。 つまり、好きだったわけでしょう? でも、僕は川上宗薫の書いた本を買ってまで読んだことはないのですよう。 でも、週刊誌は買って読んだのですか? いや、週刊誌も買って読んだことがない。。。うしししし。。。 クズカゴから取り出したり、電車の網棚の上に置き忘れてあった週刊誌を取り上げて読んだのですか? まあ。。。そういうことですよう。うへへへへ。。。 ずいぶんとしみったれた話ですわねぇ~? やだなあああぁ~。。。なんだか、急に僕を見下げたような目つきで見ないでくださいよう。第一。。。下ネタ専門に書く作家を僕は純文学を書く作家と比べたら数段下に見ていましたからねぇ。。。 つまり、本や週刊誌を買ってまで下ネタ作品を読まない。。。デンマンさんは、そう思っていたのですか? そうですよう。 それなのに、どうして川上宗薫の事を調べてみる気になったのですか? やっぱり、ちょっと懐かしくなりましたよう。 つまり、懐かしく思う程度には川上宗薫の作品を読んでいたのですわね? いや。。。、懐かしく思うのは作品のためではなくて、この人がちょっと変わっている人だなぁ~。。。と思っていたからですよう。 どう言う所がですか? この人が銀座のバーか、どこかのキャバレーのホステスと同棲していた頃の話が、週刊誌のインタヴュー記事として写真入で載っていたのですよう。 いつ頃のことですか? はっきりとは覚えていないけれど、昭和50年(1975年)頃だと思いますよ。相手のホステスと一緒に写っていて、こういう下ネタ作家も居るのかと思って。。。当時の僕は川上宗薫を“奇人”だと思っていましたよう。 。。。で、デンマンさんがこの記事で取り上げたと言うことは、何か驚くべき発見でもあったのですか? そうですよう。。。そうですよう。。。ちょっと川上宗薫の経歴を読んでみてくださいよう。
川上 宗薫 (かわかみ そうくん)
1924年4月23日生まれ。 日本基督教団メソジスト派の牧師・川上平三の子として愛媛県東宇和郡宇和町卯之町(現在の西予市)に生まれる。 1944年秋、長崎県大村の陸軍連隊に入隊。 1945年8月9日、母と2人の妹を長崎原爆で喪う。このため父は棄教。 1946年に西南学院商科を卒業。 1948年3月、長女が誕生。 ウィリアム・ブレイクで卒論を書いて1950年に英文科を卒業した後、海星高等学校で教鞭をとるも1学期で退職し、千葉県柏市に移住。 1959年、友人の水上勉が服の行商のかたわら書き上げた長篇『霧と影』を、河出書房の編集者坂本一亀に紹介する。 一方、水上の側でも川上夫妻をモデルに小説『好色』を書いた。 この間、1960年に東葛飾高等学校を退職していたが、水上勉とのトラブルにより文芸誌からの註文が途絶え、持込原稿すら拒絶されるようになったため、大村彦次郎編集長の誘いで大衆文学の世界に進出。 流行作家になってからは妻子と別れ、 1979年、食道潰瘍の手術を受ける。 作品への評価と人物像 川端康成は川上の愛読者であり、ある出版社から現代文学全集が企画されたとき、編集委員の一人として川上の作品を推したことがあった。 原爆で3人の家族を喪ったにもかかわらず、原爆体験についてほとんど何も書かなかった。 床上手としても名を馳せ、女性雑誌に「お手伝いさん募集」の広告を出した時には、川上に手を付けられることを期待した全国の女性から応募が殺到したこともある。 愛犬家であり、特に巨大で獰猛な犬を好み、『闘犬記──アメリカン・ピット・ブル』(新潮社、1985年)のように犬に関する薀蓄を傾けた著書もある。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 それで、デンマンさんがあえて川上宗薫を記事で取り上げる気持ちになったのはなぜですか? もちろん、「床上手」で調べたら次の箇所が目に付いたからですよう。
床上手としても名を馳せ、
女性雑誌に「お手伝いさん募集」の広告を出した時には、 川上に手を付けられることを期待した 全国の女性から応募が殺到したこともある。 デンマンさんは、この事をマジで信じているのですか? もちろん、これは男性週刊誌的な発想ですよう。僕は信じていません。 でも、ウィキペディアに書いてあるのでしょう? ウィキペディアに書いてあるからって真実とは限りませんよう。 上の記述が真実でない根拠でもあるのですか? だいたい、募集に応じた女性のすべてが「川上宗薫に手をつけられることを期待して」と書くことが滑稽ですよう。お金が欲しい、仕事が欲しい、と思って応募した女性の方が多いのに、それを「川上宗薫に手をつけられることを期待して」と決め付けて書くことは、男性週刊誌的発想としか言えませんよう。レンゲさんだって、そのような事がある訳ないと思うでしょう? 確かに応募したすべての女性が「床上手」のうわさを聞いて応募したとは思いませんわ。 それに、女性の多くが川上宗薫を半ば軽蔑していると思うのですよう。 どうして、そうおっしゃるのですか? 川上宗薫自身が短篇小説『恥』の中で次のように書いていますよう。
「私は、その当時、エロ小説を軽蔑していた」
「そして、そのエロ小説を書くことによって、 人々から軽蔑されることもわかった上で、 金の誘惑に負けた」 エロ小説を軽蔑する気持ちは、川上宗薫だけにとどまらず、誰にも多かれ少なかれ共通する事だと僕は思いますよう。 それなのに、どうして川上宗薫はエロ小説を書いたのでしょうか? だから、上の短編小説に書いたように「金の誘惑に負けた」のも、その理由の一つでしょうね。 他にも理由があるのですか? あると思いますよう。 どうしてデンマンさんは、そう思うのですか? 僕が一番感銘深いと思ったのは、川上宗薫が師と仰(あお)いでいた北原武夫が言った次の言葉ですよう。
「君は生れながらに絶対に傷つくことのできない人なのです。
失恋や何かしてちよつと傷ついても、 その傷は永くは君の中に止まらず、 すぐさまそれが癒えてしまふ人なのです」 「その点、さういふものを必至の心の糧とする 純文学といふのは元来君にとつては不向きで 今のやうな仕事の方が ずつと君には向いてゐます」 (1973年3月9日付川上宛書簡) まさに、川上宗薫の性格と人生観を言い当てて妙だと僕は感心しましたよう。 それ程デンマンさんにとっては感銘深い言葉ですか? だってそうでしょう!川上宗薫の上の経歴を読んだだけでも、もし川上宗薫が気弱で繊細な心の持ち主ならば、運命の非情さに耐えかねて自殺していたでしょうね。エロ小説をすべての人間が軽蔑しても、川上宗薫はエロ小説を書き続けるだけの、しぶとい神経を持っていたのですよう。
【レンゲの独り言】
ですってぇ~~。 あの戦争で生き残った人たちには、しぶとく生きる事だけしか残されていなかったのでしょうね。 う~ん。。。なるほどね。。。 とにかく、まだ、面白いお話が続きそうですわ。 メチャ面白い、
ためになる関連記事
■ 『きれいになったと感じさせる
下着・ランジェリーを見つけませんか?』
こんにちは。ジューンです。
わたしが「エロ小説」と聞いて思い出すのは
アメリカの作家のヘンリー・ミラー(Henry Miller)です。
1980年に88才で亡くなっています。
ニューヨーク市立大学を中退して
職業を転々としたのち、
ヨーロッパを放浪します。
1934年、自伝的小説『北回帰線(Tropic of Cancer)』を
パリで発表します。
しかし本国アメリカでは、その奔放な性表現により
発禁処分になってしまったのです。
でも、1964年に、連邦最高裁にて
「猥褻文書ではない」とする判決が下されました。
なぜ、わたしがヘンリー・ミラーの事を
印象的に覚えているのか?
たぶん、晩年の奥さんが
日本の女優のホキ・徳田だったからかもしれません。
ところで、デンマンさんがレンゲさんの記事を集めて
一つにまとめました。
もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、
次のリンクをクリックしてくださいね。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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