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肉体の誘惑
by デンマン & レンゲ
2008年8月17日
レイモン・ラディゲの『肉体の悪魔』を
読もうと思っている人は
ネタバレに注意!
回想
う~~ん 実に味わい深い短歌ですよう。 奥が深~♪~い。 めれちゃんが到達できた深さに 達することができるだろうか? そう思いながら デンマンが詠める歌三首。
肌のぬくもり
まごころは
月日を越えて
伝わりぬ
肌のぬくもり
永久(とわ)に変わらじ
ネットの良さ
きみゆえに
ネットの良さを
知りぬれば
共に見出す
とこしえの愛
とわに…
いつまでも
手を取り合って
歩み行く
いつに変わらぬ
愛あればこそ てれてれてれぇ~~ またしても デレデレと 詠んでしまいましたぁ~ 深くはあっても その方向がちょっと違うかも。。。 \(^_^)/キャハハハ。。。 by デンマン 2008/08/08 3:50 PM 『即興の詩 きみ知らぬ頃』のコメント欄より
癒されて…
う~~ん。。。 めれちゃんは癒されているんだよね。 うん、うん、うん。。。 んだ。。。んだぁ~。。。 心とろけて 癒されているのですよう。 では、デンマンも癒されながら 詠める歌三首。
きみと僕
やわらかく
甘き時間に
きみと僕
心とろけて
一つになりぬ
甘くとろけて
癒されて
癒されながら
愛に萌え
心とろけて
デレデレになり
愛を知って…
いつまでも
心とろけて
癒されて
ひとつになりて
愛を知りぬる ボクちゃんも 完全に 心がとろけてしまいました。 めれちゃんと ネットで、もっと とろけたいと思いま~♪~す。 よろしくゥ~。 うしししし。。。 \(*^_^*)/キャハハハ。。。 by デンマン 2008/08/08 4:33 PM 『即興の詩 心とろけて』のコメント欄より
今日はレイモン・ラディゲの「肉体の悪魔」の事についてお話しするのでしょう?
そうですよう。 でも、めれんげさんの短歌を持ち出してきて、それに対してデンマンさんが詠んだ返歌を並べただけですよね? そもそも、レイモン・ラディゲの「肉体の悪魔」を持ち出したのは、めれんげさんなのですよう。 それで、めれんげさんを紹介する意味で、このページのトップにめれんげさんが詠んだ短歌を載せたのですか? そればかりではないのですよう。「肉体の悪魔」を書いたレイモン・ラディゲは早熟だったのですよう。14才の頃、「肉体の悪魔」のモデルとされる年上の女性と出会い、勉強しなくなって、不登校!そのために学校を放校処分になってしまう。。。で、その頃から「肉体の悪魔」を書き始めたと言うのですよう。 その事とめれんげさんが何か関係あるのですか? あるのですよう。実は、めれんげさんも早熟だったのですよう。 どのように。。。? めれんげさんは、小学生の頃から「チャタレー夫人の恋人」を読んでいた。そう言う訳で、年少の頃から愛や性について、いろいろと考えるところがあった。。。ちょうど、レイモン・ラディゲのように愛と性の対象を求めるようになったのでしょうね。 それで、めれんげさんの場合には。。。どうなったのですか? 16才でボーイフレンドと愛し合い、桜の花びらを散らしてしまったのですよう。 つまり、16才で初体験ですか? そうですよう。レンゲさんと同じですよう。うへへへへ。。。 デンマンさん!。。。そういうヤ~らしい笑いだけは止めてくださいな。 とにかく、めれんげさんは文学少女だったのですよう。それは今でも、めれんげさんが書いた詩や短歌を読むと、文学的な才能を垣間見る事ができるのですよう。だから、めれんげさんが本格的に詩や小説を書くならば、必ず日本文学に新風を吹き込むだろうと僕は信じているほどですよう。 それ程デンマンさんは、めれんげさんの文学的な才能を素晴しいと思っているのですか? そうですよう。そうでなければ、僕はめれんげさんの短歌や詩をこのブログで取り上げないですよう。 分かりましたわ。。。で、今日はデンマンさんがレイモン・ラディゲが年上の女性に惹かれた理由を話してくれるのですよね? レンゲさんは忘れずに覚えていましたか? もちろんですわ。楽しみにしていたのですもの。。。 僕もその事について、大いに関心があるのですよう。じっくりとレンゲさんと語ろうと思っているのですよう。ところでねぇ、僕は昨日の『小百合物語』を読んで驚いた。 どうしてですか? ジューンさんが次のように書いていたのですよう。
マダム・ド・ラファイエットの
「クレエヴ公爵夫人」
こんにちは。ジューンです。
わたしもデンマンさんに言われたので
さっそく上のリンクをクリックして
(堀辰雄が書いた)『美しい村』を読み始めたのですわ。
ビックリしました。
なんと、デンマンさんが上の記事の中で書いている
レイモン・ラディゲの事が1ページに出てくるのです。
その部分を書き出してみますわ。
はじめてこのフランスの古い小説をしみじみ読んでいますが、そのお蔭(かげ)でだいぶ僕も今日このごろの自分の妙(みょう)に切迫(せっぱく)した気持から救われているような気がしています。この小説についてはあなたに一番その読後感をお書きしたいし、また黙ってもいたい。二三年前、あなたに無理矢理にお読ませした、ラジイゲの「舞踏会(ぶとうかい)」は、この小説をお手本にしたと言われている位ですから、まあ、あれに大へん似ています。
このラジイゲの「舞踏会(ぶとうかい)」と言うのは
レイモン・ラディゲの遺作となった
『ドルジュル伯の舞踏会』のことです。
ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。
暑さを笑って吹き飛ばしたかったら
ぜひ読んでみてくださいね。
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
ジューンさんが引用した文章は堀辰雄が書いた小説『美しい村』の最初のページからコピペしたものでしょう? そうですよう。僕が驚いたのは、堀辰雄が『美しい村』を書いて出版したのが1933(昭和8)年ですよう。レイモン・ラディゲの『ドルジュル伯の舞踏会』が出版されたのはラディゲが亡くなった1年後。つまり1924年だった。僕はこの事実を知った時に、パリで1924年に出版された小説が1933年に東京で出版された『美しい村』の中で紹介されるのが早すぎるのではないか? 9年後ですよね? そうですよう。でも、堀辰雄が読んだのは、当然それよりも3,4年前でしょう。。。と言うことは堀辰雄が『ドルジュル伯の舞踏会』を読んだのは1930年頃ですよう。日本ではまだ翻訳されて出版されていなかったのではないか? それでデンマンさんは調べてみたのですか? そうですよう。僕がネットで調べた一番古い本が次の新潮文庫本ですよ。すでに絶版になっているようです。
ドルジュル伯の舞踏会=新潮文庫=
著者名 ラディゲ著/生島遼一訳 出版社 新潮社 発行年 昭和28 (1953) 詳細 初版 帯 元パラ有 ※送料無料 大分類 絶版文庫 中分類 翻訳 堀辰雄は原本をフランス語で読んだのでしょうか? その可能性が大いにありますよう。堀辰雄はドイツ語を主に学校で勉強したようだけれど、フランス語と英語も読めた。僕が調べた限りでは、堀辰雄が『ドルジュル伯の舞踏会』を読んだ当時、堀自身も小説の書き方について、ずいぶんと考えていたようですよう。 どうして、そのような事がデンマンさんに分かるのですか? ネットで調べていたら、たまたま次のような素晴しい評論に出くわしたのですよう。
堀辰雄、「文化翻訳者」
堀辰雄は早くから西欧現代文芸を「伝統」の上に花開いたものとして見ようとしていた。 〈伝統はいつも思ひがけないところに、みづみづしい姿をして、生き返つているのだから、用心したまへ〉(「フランス文学を如何に観るか」、四-175)と。 彼はコクトーの詩句にも「伝統」を〈蘇らせるに充分な新しさ〉(四-173)を見ている。〈コクトオの新しさを理解すること。彼のクラシシズムを理解すること〉(同前)。 それは彼に、あるひとつの系譜を読みとらせる。 「アルテユル・ランボオ」(一九二六)では、アルテュール・ランボー(J. N. Artur Rimbaud) の詩に強烈な「非欧化」の精神を読み取り、絵画におけるセザンヌ (Paul Cézanne)と同様の[5]、当時は世に容られることのなかった革命家の位置を与え、その詩句について、ほとんど「新感覚派」について解説するような言葉を与えながら、その系譜にダダや現代詩人たちを並べる。 いわば反伝統の伝統を見ているのだ。 「小説のことなど」(一九三四)では、モーリアックが〈われわれの民族の天性に従つて、構成し、秩序づけること〉(三-231)を尊重しつつも、イギリス文学やロシア文学、とくにドストエフスキー(F. M. Dostoevskii)の書く人間の不合理、不確実さ、複雑さを取り入れて、文芸をより豊富にする道を提案していることを紹介しながら、〈丁度、今日のわが文壇はその当時に似てはいないか〉、〈モオリアックの出した問題は私達にもたいへん有益に思へる〉(三-252)という。 これは、日本では明治末に次ぐ第二のドストエフスキー受容の季節にあたる時期の到来を的確に言い当てている。 そして実際、室生犀星の「神々のへど」について、〈ドストエフスキー的な人物を描こうと努力してゐるにせよ〉、モーリアック的に合理的方法ではなく、もっと野蛮で、混沌とした、「ずぼら」な行き方をとっているところに、〈日本人らしい、最も独創的な点がある〉(三-355)と評価している。 そして、この「ずぼら」の認識はプルースト評価と結びついてもいて、彼はそれを〈無構成の構成〉(三-379)と名づけたこともあった。 このように堀辰雄はフランス当代の文芸の背後にある「伝統」と反「伝統」意識、異文化受容の欲求をよく知り、それを自らの同時代の日本文芸の問題として考えていたのである。 堀辰雄は、このような態度を、同世代でいえば石川淳と同様、森鴎外にはじまる西欧文芸翻訳者の系譜に連なる者として身につけていたと想われる。 それゆえ、当代の日本に対しては戦闘的な啓蒙家として振舞わずにはいられなくなることもあった。 他者の作品に温厚柔和な態度で接する堀辰雄の評言が、〈僕らの欲するのは、現在の僕らの作品を一遍に時代遅れにしてしまふやうな、一箇の傑作でしかない〉(四-612)など、思いのほか過激であるのも、そのせいだろう。 また、時として、〈現代の新しい傑作は何等のモダアニズムなしに生まれ得るのであります〉(四-17)というような鋭い警句が発せられるのも、そのためといえよう。 これはレイモン・ラディゲの「ドルジュル伯の舞踏会」(Raymond Radiguet, Le Bal de conte d’Orgel, 1924)をめぐるエッセイ(一九二九)の結びの一句だが、このジャン・コクトーが見出した天才による心理分析小説への礼賛は、堀辰雄のコクトーに対する親しみだけではなく、芥川龍之介への敬愛と結びついて生まれたものといえよう。 これを読むと、なんと堀辰雄は1929年にレイモン・ラディゲの「ドルジュル伯の舞踏会」について、すでに書いている。つまり、それ以前に読んでいるのですよう。要するに、「ドルジュル伯の舞踏会」がパリで1924年に出版されて評判になると、堀辰雄は、おそらく同人の誰かから聞きつけて原本をフランス語で読んでいる。その心理分析の素晴しさに心を打たれて、自分の小説『美しき村』の中にも本の事を書いたのですよう。 それほどレイモン・ラディゲが書いた「ドルジュル伯の舞踏会」に堀辰雄は感銘を受けたのでしょうか? そうですよう。自分が求めていた小説の書き方に出会ったようなものでしょうね。 でも、レイモン・ラディゲの遺作となった『ドルジュル伯の舞踏会』と、彼が年上の女性に惹かれるようになった事が何か関連があるのですか? 当然ですよう。関係あるのですよう。 どのように。。。ですか? 僕はレイモン・ラディゲの生い立ちをもう一度読み直しました。
レイモン・ラディゲ (Raymond Radiguet)
1903年6月18日にフランスはパリの郊外、サンモール・デ・フォッセで生まれる。 生涯 幼少の頃は学業優秀でならすものの、思春期にさしかかる頃から文学にしか興味を示さなくなり、 14才の頃、『肉体の悪魔』のモデルとされる年上の女性と出会い、結果として不勉強と不登校のため学校を放校処分になる。 15才の時に父親の知り合いの編集者のつてをたどって知り合った詩人のマックス・ジャコブに詩を評価され、同じ詩人のジャン・コクトーに紹介される。 途中、詩集『燃ゆる頬』、『休暇中の宿題』の出版や、いくつかの評論の執筆を行ないつつ、「肉体の悪魔」の執筆を続行。 「肉体の悪魔」で得た印税を元手に、コクトーとともにヨーロッパ各地を転々としながらも、 1923年11月末頃に突如、体調を崩し腸チフスと診断され入院。 遺作の「ドルジュル伯の舞踏会」は、死後出版された。 フランス文学界での位置づけ ラディゲのフランス文学史全体における位置づけは、作家としての活動期間が短かく、作品の本数も少ないせいもあってか決して高くはない。 「ドルジュル伯の舞踏会」に至っては、 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 つまり、『クレーヴの奥方』を書いたラファイエット夫人にレイモン・ラディゲは傾倒したのですか? その通りですよう。 。。。で、ラファイエット夫人って、どんな人だったのですか? ウィキペディアからコピペしました。読んでみてください。
ラファイエット夫人
ラファイエット夫人マリー=マドレーヌ・ピオシュ・ド・ラ・ヴェルニュ=ラファイエット夫人 生涯 1634年にパリに下級貴族の家庭で生まれ、若くしてギリシャ語、ラテン語、イタリア語などを学んだ。 シャイヨのサント・マリー修道院にいる2人の妹達を度々訪ねるうちに、 義兄ルイ14世とへンリエッタの不倫を擁護するために、小説を刊行する。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クレーヴの奥方
『クレーヴの奥方』(クレーヴのおくがた、La Princesse de Clèves)は、ラファイエット夫人が書いたフランスの小説。 あらすじ シャルトル嬢は16才の美しい女相続人。 結婚してまもなくして、奥方はルーヴル宮で催された舞踏会でヌムール公と出会う。 奥方の肖像画が盗まれる。犯人はヌムール公で、 ヌムール公にスキャンダルが持ち上がる。ヌムール公がある女性に宛てたらしい手紙が見つかったのだ。 夫のクレーヴ公が奥方の挙動を不審に思い、問い詰める。 クレーヴ公の死で障害がなくなったヌムール公は、あらためて奥方に告白する。 評価 『クレーヴの奥方』は出版当時、商業的に大変な成功をおさめた。 影響 最初の心理小説の一つであるだけでなく、 それまで、広くロマン(小説)と呼ばれていたものは、 『クレーヴの奥方』が小説の歴史を変えたのは、何よりも、現実的なプロットとキャラクターの内面心理を表す内省的な言葉によってであった。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 レイモン・ラディゲがフランスの古典に親しみ、ラファイエット夫人に傾倒した事が、彼が年上の女性に憧れを持つ直接の原因になったと。。。デンマンさんは、そう考えるのですか? その通りですよう。 。。。で、その相手が『肉体の悪魔』の中に登場する「マルト」のモデルになった女性だと。。。? そうですよう。 それで、実際にレイモン・ラディゲが愛したと言う年上の女性は、どのような人だったのですか?『肉体の悪魔』の中で描かれている「マルト」はその女性をそのまま描き出したのですか?
ミシュリーヌ・プレールと
ジェラール・フィリップ
僕は違うと思うのですよう。 どうして。。。? ラディゲは自伝的な要素が含まれていることは否定しなかったけれど、登場人物も事件もすべてフィクションであると強調したのですよう。 つまり、ラディゲが実際に愛した年上の女性は「マルト」とは、かなり違うとおっしゃるのですか? 僕はそう思うのですよう。 どうしてですか? マルトと言う女性は19才と言うことになっているけれど、現実にはラディゲが愛した女性は10才年上の25才だったらしい。 つまり、小説の中では実際の女性よりもずいぶんと若く描き出されているのですか? そうですよう。その辺が虚構なんでしょうね。だから、ラディゲは登場人物も事件もすべてフィクションであると強調したのですよう。実際、読んでみると、この女性がどことなく子供っぽく感じられますよう。 例えば、どのようなところですか? 主人公の内心が語られているだけで、マルトの心情は何も書かれてないに等しい。でも、女の目で読めばマルトが15才の少年に素直に従うだけだろうか?もっと年上らしく振舞うのではないか?しかも、小説では少年の子供を宿すような書き方になっているけれど、少年の子供だけは産まないようにと考えるのが年上の女性の分別だと僕には思えるのですよう。レンゲさんはどう思いますか? そうですね。でも、避妊に失敗する事だってあるでしょう?うふふふふ。。。 確かに、人間だから、失敗する事はありますよう。でも、もう一つ子供っぽさを感じたのはマルトに言わせている次の言葉ですよう。 「わたし、あの人と幸福であるよりは、あんたと不幸なほうがましだわ」 これは思慮と分別のある年上の女性の言葉ではありませんよう。 でも、かっこいいですわね。あたしも言ってみたいようなセリフですわ。うふふふふ。。。 レンゲさんにも不幸に耐える事の中にロマンを感じることもあるのですか? もちろん、そういう状況ってイヤですけれど、でも、現実に不幸になるならば、好きな人と不幸になる事を望みますわ。 でもねぇ、不幸が続けば、その好きな人も嫌いになってゆくのですよう。うへへへへ。。。そう思いませんか? そうですわね。。。それで、実際にラディゲが愛した年上の女性は、どのような人だったのですか? もちろん、僕はその女性に会った事がないから何とも言えないけれど、僕がこれまで調べた事に基づいて推測するならば、その25才の女性が15才のラディゲにラファイエット夫人が書いた『クレーヴの奥方』を読むように薦めたのですよう。その女性は文学的にも、人生的にも15才のラディゲを大人に導いてあげるだけの知性と文学的素質のあった女性のように思えますね。
【レンゲの独り言】
ですってぇ~。。。 ところで年上の男性、年上の女性にあこがれた事はありますか? そう思っても、すぐには大人になれないので、憧れの年上の人を見つけるのだと、あたしは勝手に解釈しているのです。 とにかく、面白い話がまだ続きます。
メチャ面白い、
ためになる関連記事
■ 『きれいになったと感じさせる
下着・ランジェリーを見つけませんか?』
こんにちはジューンです。
堀辰雄は1930(昭和5)年に
『聖家族』で文壇にデビューしました。
でも、その頃から肺を病み、
軽井沢に療養することも多く、
そのために軽井沢を舞台にした作品を
多くのこしたのです。
当時、多くの人が肺結核にかかっていますよね。
今では、肺結核は決して不治の病ではありませんが、
当時は、不治の病と考える人が多かったようです。
1934年、堀辰雄は矢野綾子と婚約するのですが、
彼女も肺を病んでいたのです。
そのため、翌年、八ヶ岳山麓の富士見高原療養所に
二人で入院しました。
しかし、綾子はその冬に亡くなります。
この体験が、堀の代表作として知られる
『風立ちぬ』の題材となったのでした。
ところで、英語の面白いお話を集めました。
時間があったら、ぜひ覗いてくださいね。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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