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肉体の渇望
2008年8月19日

 

レイモン・ラディゲの『肉体の悪魔』を

読もうと思っている人は

ネタバレに注意!

きみ知らぬ頃    

 

きみ知らぬ

頃の我が身を

忘れ去り

生まれ変わりて

愛と言いたし    

by めれんげ

2008.08.08 Friday 14:44


『即興の詩 きみ知らぬ頃』より

心理描写に磨きをかけて

8月17日の『レンゲ物語』は

題して『肉体の誘惑』。

もちろん、レイモン・ラディゲの

『肉体の悪魔』をもじって付けたのですよう。

めれちゃんの上の短歌を

出だしに使わせてもらいました。

■ 『肉体の誘惑 (2008年8月17日)』

■ 『肉体の悪魔』 (映画紹介コーナー)

実は、昔作られた映画を

VHSで見た事はあったけれど、

不倫映画の一つとして

大して印象強く僕の記憶の中に

残っていなかったのですよう。

原作を読んでいたら、

もっとじっくりと観たでしょうね。

ちょっと残念に思っていますよう。

めれちゃんが『肉体の悪魔』を読んで

メチャ面白かったという意味が

よ~く分かりますよう。

タルーは、とてもカッコイイです!
初めて「ペスト」を読んだ後、
しばらくは、タルーの事で頭がいっぱいでした!

リウーには、イマイチ関心がないです…
内面的な描写が少ない気がするのです

by めれんげ

2008/07/30 12:02 PM


『即興の詩 指きり』のコメント欄より

こんな風にめれちゃんは書いていたからね。

めれちゃんが内面的な心理描写に

こだわっているのが分かりましたよう。

レイモン・ラディゲは『ドルジュル伯の舞踏会』で

心理描写に磨きをかけて、

「フランス心理小説の傑作」に仕立て上げているけれど、

『肉体の悪魔』でも主人公の心理を

克明に書いているよね。

おそらく、めれちゃんが面白いと感じたのは

主人公の心理の動きだと思う。

めれちゃんが『肉体の悪魔』が

めちゃ面白かった、と言わなかったら

僕は、これほどまで『肉体の悪魔』に

こだわらなかったと思う。

今回の記事も、めれちゃんに

かな~りインスパイアされました。

ありがとう。

もうしばらく、『肉体の悪魔』に

こだわりながら、記事をいくつか

書くつもりですよう。

\(^_^)/キャハハハ。。。

めれちゃんは、今、『肉体の悪魔』を

じっくりと読んでいる最中かな?

レイモン・ラディゲが“マルト”に言わせた

最も印象に残る言葉は次のものです。

「わたし、あの人と幸福であるよりは、

あんたと不幸なほうがましだわ」

めれちゃんならば、言いそうな言葉だよね?

\(@_@)/ うしししし。。。

とにかく、めれちゃんもマイペースで

書いてね。

楽しみにしているよう。

じゃあね。

by デンマン

2008/08/16 4:49 PM


『即興の詩 きみ知らぬ頃』のコメント欄より

今日もレイモン・ラディゲの「肉体の悪魔」の事についてですか?

そうですよう。レンゲさんは「肉体の悪魔」に、あまり関心がないのですか?

もちろん、ありますわ。あたしにとっても、忘れられない印象に残る作品ですわ。

ほおォ~。。。レンゲさんにとっても、それ程までに思い出に残る作品なのですか?。。。で、どういうところが。。。?

やっぱり、自分をマルトの立場に置いて、あの作品を読んでみると、いろいろな事を考えさせられましたわ。男の感じる愛。。。女の感じる愛。。。愛し合いながらも愛しきれないと言うか。。。最後にマルトは子供まで産んで、まだ若いのに死んでゆく。。。

つまり、レンゲさんも「愛の正体」について考えさせられた、と言う事ですか?

そうですね。。。愛についてずいぶんと考えさせられましたわ。

どんなところに感銘を受けましたか?

あたしには、次の言葉が印象的でした。

従容として死に直面するということは、

一人の場合でなければ、問題になり得ない。

二人で死ぬるのは、神を信じない人々にとっても、

それはもはや死ではない。

悲しいのは、生命と別れることではなくて、

生命に意義を与えるものと別れることである。

恋愛がわれわれの生命であるときは、

一緒に生きていることと、一緒に死ぬこととのあいだに、

どんな相違があろう?


『肉体の悪魔』 (中条省平・翻訳) より

ほおォ~。。。なるほどォ~。。。レンゲさんが感動するような言葉ですよね。

デンマンさんに分かりますか?

分かりますよう。レンゲさんは、かつて次のように書いていました。

不安と焦燥感と寂しさ

2004/10/03 18:28

もう、このままで生きてるんなら、

命いりません。

ドナーカード持ってるから、

心臓でも角膜でも、

なんでも持っていって下さい。

家族はいません。

承諾とらなきゃいけない人は

誰もいません。

by レンゲ

『事故死するみたいなことが書いてあって。。。』より

デンマンさんは、ずいぶん古い手記を持ち出すのですわね?

この頃のレンゲさんは「寂しくて寂しくて死んでしまいたい」、とよく口癖のように言っていたのですよう。

でも、あたしは本心から死ぬつもりはなかったのですわ。。。つまり、“本当に死ぬほど寂しい”と言いたかったのです。

うん、うん、うん。。。分かりますよう。でも、同時に“愛”というか。。。“肌のぬくもり”をレンゲさんは強烈に求めてもいた。。。

どう言う事ですか?

レンゲさんは次のようにも書いていた。

幼児的な

ふれあいへのあこがれ

2004-12-27 11:37:24

わたしのぐずぐず

さびしいよおおおお!

彼氏にあえないからねえ・・・

でも、本当はね、

ここがふんばりどころだと気付いてる

遊びだけの男とセックスするのはやめとこう 

連絡したら来てくれるヤツもいるけど・・・

ずるずると同じことくり返して

学習しないわたしを変える

誰とでもセックスするヤツやったんや!って

あの人を傷つけてしまった。

さびしさでこわれてるけど、きっと直る、この心。

どうしても、幼児的なふれあいへのあこがれが、

この年になると、イコールセックスになるんやわあ。

by レンゲ


『あなたにとって愛とセックスとは?』より
 (2005年8月29日)

今、こうして見せ付けられると、なんだか恥ずかしくなりますわ。

僕は、とてもレンゲさんらしいと思いますよう。

どういう所がですか?

自分の思っていることを素直に表現する事がですよう。やはり、レンゲさんは表現者なのですよね。

それで、デンマンさんが持ち出してきたあたしの手記と、あたしが感銘を受けた上の言葉と何か関連があるとおっしゃるのですか?

その通りですよう。レンゲさんの死にたいと言う衝動的な言葉と、愛への渇望が次の言葉の中で一つに結びついていると思えたのですよう。

恋愛がわれわれの生命であるときは、

一緒に生きていることと、

一緒に死ぬこととのあいだに、

どんな相違があろう?

つまり、寂しくて死にたい、死にたいと漏らしていたレンゲさんのオツムの中では“恋愛”はレンゲさんの命だった。

つまり、その“愛と恋”を肌身で感じていない以上、生きていないのと同じことで、それであたしが死んでしまいたい、と口癖のように言っていたと。。。?

そうですよう。僕にはそう思えた。

でも、上の言葉は愛し合っている男と女が命がけで愛し合っているとき、一緒に生きていようと、二人で死のうと、その間に違いが無いと言う事ですよね?

そう言う事ですよう。恋愛至上主義の行き着くところでしょうね。この世で愛し合いながら一緒に生きられないなら、二人の愛を胸に秘めて一緒に死ぬ。恋愛が二人にとって命ならば、この世で引き裂かれるよりは一緒に死ぬ事で愛に生きる事になると。。。

デンマンさんも、そういう考え方に共鳴するのですか?

いや。。。、僕は理屈では分かっているつもりだけれど、恋愛と死をそれ程までに結びつけ美化する気持ちにはなれません。

レイモン・ラディゲは『肉体の悪魔』の中で恋愛と死を美化する気持ちになっていたのでしょうか?

なっていたのですよう。

どうして、デンマンさんは、そう断言するのですか?

ラディゲは、次のように書いていますよう。

ガラスが割れれば、

猫はその隙に付け入ってチーズをいただくだろう、

たとえ、自分の飼い主がガラスを割り、

指を切って苦しんでいたとしても

つまり、ガラスが割れている状態と言うのが戦争に他ならないのですよう。戦争が始まり人々の暮らしに様々な影を与えている、その不安な時代が『肉体の悪魔』の背景なのですよう。

要するに、戦争が始まって、マルトの婚約者は戦場に赴く。その間に泥棒猫のように15歳の少年がマルトに近づいて“チーズ”をいただく。。。そういう事ですか?

簡単に言えば、この“不倫物語”は、そう言う事なんですよう。でも見逃してはならないのは、間接的に戦争の悲劇とやるせなさを嘆いている。この物語は戦争が終結する前に始まっている。

第一次世界大戦

ロマンチックな戦争

1914年の開戦時、普仏戦争以来ヨーロッパで40年振りの戦争は、騎士道精神に彩られたロマンチックな姿で描写され、両陣営の国民はその発表を大熱狂で歓迎した。
この戦争は、少数の戦闘からなる短いものとなるだろう。
そして敵国の首都へ入城して終わり、「クリスマスまでには」凱旋して普段の生活に戻れるだろう。
多くの若者たちが、戦争の興奮によって想像力を掻きたてられ、国家宣伝と愛国心の熱情に押されて軍隊へと志願した。

塹壕戦の始まり

第一次マルヌ会戦の後、両軍はフランス北東部に塹壕を構築し持久戦へと移行した。
両軍が築き始めた塹壕線は、やがてスイス国境からベルギーのフラマン海岸まで続く線として繋がった。
いわゆる「海へのレース」である。西部戦線での戦闘は、1914年のクリスマスを過ぎても終わらなかった。
陰鬱な塹壕戦はその後4年間続けられた。
数百万の兵士が塹壕に貼りつき、いずれの側も敵軍に決定的な打撃を与えることはできなかった。

大量殺戮の場と化す

ドイツ軍が占領地を防御しようとする一方で、英仏軍は攻勢をとろうと努めた。
英仏軍の塹壕は、ドイツ軍の防御線を突破するまでの一時的なものとしか考えられておらず、ドイツ軍の塹壕は英仏軍の塹壕よりも堅固に構築されていた。
1915年から1917年を通じて、両軍は何百万という死傷者を出したが、英仏軍の損害はドイツ軍の損害を上回った。
1916年のヴェルダンの戦い、そして1916年夏のソンムの戦いにおける英仏軍の失敗により、フランス陸軍は一時は崩壊の瀬戸際まで追い詰められた。
1917年春のニヴェル攻勢では、無益な正面攻撃でフランス歩兵部隊が大損害を受けたために、戦闘後に抗命事件が発生した。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

最初の期待とは裏腹に戦争は長引いてフランス軍は戦意消失した。もちろん銃後のフランス市民も耐乏生活を余儀なくされた。それで、『肉体の悪魔』の主人公も嘆いている。

僕はさまざまな非難を受けることになるだろう。

でも、どうすればいい?

戦争の始まる何か月か前に十二歳だったことが、

僕の落ち度だとでもいうのだろうか?

戦争にうんざりして、耐乏生活に苦しみながら、これから青春を迎える少年の心理がどういうものか?レンゲさんに想像がつきますか?

なんとなく分かりますわ。

すでに『小百合物語』の中で取り上げたけれど、司馬遼太郎さんのエッセーを読むと実に良く分かりますよう。

車中の女性

学生のころ、毎日、市電のなかで乗りあわせる女性がいた。いつも和服で、黒い折カバンをひざの上におき、濃いみどりのハカマをはいていた。その当時、女学校には専攻科というものがあったから、このひとは、そういう種類の学校に通っていたのだろう。

とくに美人というわけではなかったが、なんとなく、声のうつくしい人に相違ないと想像していた。むろん声をきいたこともなく、その顔でさえ、動揺のはずみに、かろうじて盗み見する程度だった。しかし、そのひとに会えない日があると、私はひどく気落ちがした。会った日は、かつて経験したことのない、ふしぎな疲れをおぼえた。

一年たった。私どもは、第一次学徒出陣というあれで、兵営に入れられることになった。そのころの戦局では、兵隊にとられることは死を意味していた。人生二十五年、ということばがはやっていた。ところが、私はまだ二十一歳だった。二十五歳にさえ達しない前に、私は死ぬかもしれない。死ぬまでに、一度でも異性とことばを交わしてみたかった。それには、あのひとをおいて、ほかになかった。

そのころ、私と同窓で、海軍予備学生を志願した男があった。彼の先輩が、この男の青春をあわれんで、カフェに連れて行ってやった。女給さんが、その男の手をにぎってくれた。かれはしばらく手のひらの温かみに堪え、やがておずおずと自分から、手を女給さんの手のひらにかさねて、これが女のひとの手か、とふるえ声でいったという。ばかばかしいが、その程度が、私どもの許容された青春だった。

私は、そのひとと言葉をかわさねばならなかった。言葉の内容は、何度も考えて、すでにセリフのように頭の中に入っていた。その言葉は、練りに練った狡猾な知恵から出ていた。「あの」と、まず、口ごもるのだ。「わたくしに、慰問文をくださいませんか」。相手の安価な同情に訴える、なんといううすぎたない言葉だろう、とやや自分をさげすんではみたが、私には、これ以外に他に策はないとも思った。

何日かすぎた。私に勇気がないために、何度かむなしく機会を逸した。入営の日は、せまっていた。私は、あせった。ある日の午後帰りの電車のなかで彼女の姿をみた。私は、きょうこそ、と思った。私の降りる停留所は彼女よりも近い。それを、非常な勇気と忍耐で通りすごした。

やがて、彼女は降りた。私は、夢中であとにつづいた。うしろから追いすがるようにして、「あの」といった。

彼女は、ふりむいた。私は、帽子をとり、頭をさげ、どうしたことか、それっきりだまった。おぼえたはずのセリフが出なかったのだ。みるみる背中に汗が流れた。そのとき、一瞬、彼女の表情に怖れが走った。

それを見たときは、すでに、私の視野から彼女の姿が見えなくなっていた。どうしたことか、私は夢中でもときた道を走ってしまっていたからだ。ふと、途中で立ちどまってうしろをふりむいた。彼女の背がみえた。彼女も、前かがみになって、懸命に逃げていた。

ばかな話さ、といまでもときどき、この光景をおもいだす。しかしあのころは、ついに彼女と口をきけなかったことを、外地で、なんどか悔恨のほぞを噛んだ。なんのためにおれの青春は存在したか、とさえ、大まじめに考えた。それから二十年ちかくなる。いまでも、ときどき、思いだすことがある。が、いまだに私は、この話を、私自身でわらう気にはなりきれない。

1961(昭和36)年5月


221-223ページ
『司馬遼太郎が考えたこと』 エッセイ 1953.10 - 1961.10
新潮社 2001年9月25日発行

『愛@軽井沢』 (2008年8月18日)より

15歳の少年も司馬さんのように自分の青春を考えさせられたのでしょうか?

同じような状況に置かれたら、僕だって死ぬ前に青春らしい青春を味わってから死にたいと思うでしょうね。

それで、少年はマルトに接近して行ったのですか?

当然のことながら少年が生きていた時代を無視する事ができませんよう。レイモン・ラディゲが早熟だったのは、おそらく早熟にならねばならない時代的背景があったのですよう。

それが、第一次世界大戦下のフランスですか?

僕は、そう思っているのです。

でも、それだったら、あの時代に生きた少年はすべてが早熟だという事になるでしょう?

もちろん、個人差がありますよう。レイモン・ラディゲは、ちょうど司馬さんのように“青春”を突き詰めて考えるような少年だったのですよう。司馬さんは、決断して“車中の女性”に声をかけたのですよう。

。。。で、“肉体の悪魔”の少年はマルトを追いかけようと決めたのですか?

そうですよう。

ちょうど、デンマンさんが由香さんを追いかけたようにですか?

ん。。。?由香さん。。。?

とぼけないでくださいな。んも~~

【レンゲの独り言】

ですってぇ~。。。
デンマンさんも少年の頃、年上の女性に憧れを持ったことがあるのですよね。
あなたはどうでした?

ところで、『肉体の悪魔』の主人公は、若いくせにけっこうひねくれ者です。
人妻・マルトの買い物に付き合って、家具についてあれこれ口出しをするのです。
それで、家に帰って、「マルトと夫の新婚の夜」が自分が選んだ家具で埋め尽くされた中で行われるっていうことを想像して喜ぶのですわ。
ちょっと気持ちが悪いですよね。

それから、マルトの夫が可哀想になりました。
自分の子供だと信じながら、実の父親の名前がつけられた子供を育てていく。
ちょっと残酷ですよね。

考えてみれば第一次世界大戦のフランスと言う、狂気の中で繰り広げられた物語です。
平和な時代に生きている私達には、ちょっと考えられない事が起こっているのもうなずけます。

とにかく、面白い話がまだ続きます。
どうか、また、あさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。

メチャ面白い、

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こんにちはジューンです。

ヨーロッパでは第一次大戦の前までは、

戦争は騎士道精神に則(のっと)ってなされていたそうです。

開戦時にイギリス海軍大臣だった

ウィンストン・チャーチルは、次のように言っています。

「第一次世界大戦以降、戦場から騎士道精神が失われ、

戦場は単なる大量殺戮の場と化した」

また、職業軍人に限らない膨大な死者が発生したのも

この大戦が初めてでした。

さらに、戦時統制による一般市民の生活に

大きな影響が出たのです。

皮肉にも、現在、私たちの旅行には

欠かすことのできない飛行機は

この大戦のときに新兵器として投入されたのでした。

第一次、第二次大戦がなかったら、

飛行機は現在のような便利な乗り物には

なっていなかったのかもしれません。  

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら、ぜひ覗いてくださいね。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


 





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