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愛と心の構造
by デンマン & レンゲ
2008年9月28日
私(江戸川乱歩)は、この第一回と第四回の入選作を一読したが、最近作の第四回のものに彼女(ドロシイ・ソールスベリ・デイヴィス)の特徴が最もよく出ているように感じた。
「クイーン雑誌」はその作の解説文に、探偵小説の着想の出発点となるものは、本のちょっとした見聞である場合が多いことを、実例をあげて示しているが、デイヴィス夫人のこの作も、その着想は夫の出演しているラジオのスタジオで得られたものだという。 夫人がラジオ劇の演出を見物していると、配役表の中にない40才余りの女が役者の間に混じっているので、変だなと思っていた。 すると、やがて台本の「赤ん坊」という箇所に来ると、その女がマイクロフォンに近づいて、いきなり泣き出した。それが赤ん坊の泣き声にそっくりであった。 この作では、19才の少女がクライマックスで大声を立てて泣くのだが、その時、人々は初めて彼女の泣き声を聞いてびっくりする。それは赤ん坊の泣き声とそっくりであった。そして、それがこの作全体のトリックとして使われているのである。 これは「優しき殺人者」とも相通ずる一種奇妙な味であり、ここにデイヴィス夫人の持味とも云うべきものが感じられる。 「奇妙な味」というのは実に下手なあいまいな形容で、結局実例によって悟ってもらうほかはないのだが、新人デイヴィス夫人の作風に、私はやはりこの「奇妙な味」の部類に属するものを感じたのである。 627-628ページ
デンマンさん、今日は江戸川乱歩の事ですか?
いや。。。特に、江戸川乱歩にこだわって、推理小説、探偵小説について書くわけではないのですよう。 そう言えば、デンマンさんは推理小説や探偵小説があまり好きでない、と言ってましたよね。 レンゲさんは、よく覚えていますねぇ~? よく覚えていますねって。。。次の記事を読みましたわ。
「軽井沢夫人」と
推理小説ブーム
(前略) この「清張ブーム」によって推理小説が大衆に読まれるようになったのです。 『小説帝銀事件』であつかった現実世界は、『日本の黒い霧』にまとめられ、「黒い霧」は流行語になったほどです。 清張さんは「自分は作家としてのスタートが遅かったので、残された時間の全てを作家活動に注ぎたい」と語り、広汎なテーマについて質の高い作品を多作したのです。 僕自身は推理小説よりも清張さんのノンフィクションを好んで読みました。 宇能鴻一郎さんは大学院在学中の1961年(昭和36年)、『鯨神』で第46回芥川賞を受賞しました。 推理小説のタイトルのネーミングを見ても分かるように安直に名前をつけているのですよね。
嵯峨島さんの『軽井沢夫人』に至る推理小説のタイトルは デンマンさんは“推理小説ブーム”の頃でも、あまり推理小説を読まなかったのですか? 読みませんでした。 それなのにどうして江戸川乱歩の全集などを読む気になったのですか? レンゲさんの影響ですよう。 あたしの。。。? そうですよう。レンゲさんが次のように書いていたからですよう。
エログロと江戸川乱歩全集
2007-04-13 13:53
デンマンさん で、回答へとまいりますね。。。 江戸川乱歩全集に関してですが、 乱歩の作品自体については、 「人間椅子」での、愛する女性のソファに、 そういえば… 「チャタレイ夫人の恋人」ですが… 小学生のわたしに、そんなものを理解できるような 女性が自らの性欲を恥じる必要など フロイトも、ヒステリーの原因は、 by レンゲ 僕は江戸川乱歩という作家は推理小説ばかり書いていると思っていたのですよう。 そうですわ。推理小説ばかり書いていたのですわ。 でも、レンゲさんの上の手記を読んだらば、“乱歩の作品自体については、「エログロナンセンス」の時代特有の、妖しげな表現に魅せられました”と書いてある。 この箇所を読んでデンマンさんは急に江戸川乱歩に興味を覚えるようになったのですか? 江戸川乱歩ではなくて、レンゲさんにですよう。 どう言う事ですか? つまり、“エログロナンセンス特有の怪しげな表現”。。。その言葉に僕は興味を覚えたのですよう。要するに、そのような事にレンゲさんが惹かれるのであれば、レンゲさんをもっと理解するためにも、ぜひ江戸川乱歩を読んでみたいという興味が俄然(がぜん)頭をもたげたのですよう。 それで図書館に行って江戸川乱歩の作品を探したのですか? 特に江戸川乱歩の作品を探した訳ではないのですよう。 それなのに、どうして江戸川乱歩の作品を借りてきたのですか? たまたまバンクーバーのダウンタウンに用事があって出かけたのですよう。まず、ロブソン・ストリートのノバスコシア銀行に行きました。
それから税務署などに寄って。。。せっかく天気のいい日に外へ出たので図書館まで足をのばしたのですよう。
中央図書館には日本語の本が1万冊ぐらいありますからね。最近は漫画が多くなったけれど。。。 それで、たまたま江戸川乱歩の本が目に付いたのですか? そうなのですよう。文庫版で、一冊が3冊分ぐらいあるぶ厚いモノでした。これならば、“エログロナンセンス特有の怪しげな表現”に出会えるだろうと期待しながらマンションに戻ってきて、ワクワクしながら読み始めたのですよう。 それで、期待したとおりに、その表現に出くわしたのですか? それが、パラパラとめくってみて、まず、がっかりしましたよう。乱歩が書いた、いわゆる推理小説、探偵小説の作品は一つも載ってないのですよう。 第30巻は自分史のようなものですよね。 そうなのですよう。やっぱりレンゲさんは詳しいですね。前半が乱歩の自分史で、後半が海外探偵小説の作家と作品の紹介なのですよう。 それで、デンマンさんはムカついて本を放り投げてしまったのですか? いやいや。。。僕は、もともと推理小説、探偵小説は、あまり好きではなかった。むしろ乱歩の自分史だったら、面白く読めると思って、“エログロナンセンス特有の怪しげな表現”の事は諦めたけれど、本を投げ出さずに読み続けましたよう。 面白かったですか? 実に勉強になりましたよう。実際、僕はその本のエッセーを取り上げて記事も書きました。 僕は乱歩全集の第30巻を読んでみて、江戸川乱歩という人物は、「奇妙な味」わいのある作家だと思ったものですよう。 具体的には、どういうところですか? 僕は、乱歩さんという作家はポルノ推理小説「軽井沢夫人」を書いた嵯峨島昭(宇能鴻一郎の別名)さんのように“エログロナンセンス特有の怪しげな表現”も書くのかな?そう思っていた。レンゲさんも、そのように書いていたから。。。 「軽井沢夫人」にもエログロナンセンスを思わせる表現が出てくるのですか? 出てくるのです。僕は、卑弥子さんと次のように語り合った事があるのですよう。読んでみてください。
エログロで陳腐なキスシーン
オスカー・ワイルドによる戯曲『サロメ』の最終場面では、その首にサロメが口づけする衝撃的場面があり、その上演はスキャンダルとなった。もともとサロメの伝承にはキスシーンは無かった。洗礼者ヨハネとサロメとの間にも何の関係も無かった。でも、ギュスターヴ・フロベール作の短編小説では、サロメはヨハネの「愛する弟子」になり、オスカー・ワイルドの戯曲では、洗礼者ヨハネに強く魅せられたサロメがその誘惑を拒絶するヨハネに対して首を求めて、その首にキスするという物語になった。
その物語からヒントを得て、「軽井沢夫人」では、ヒロインが苦学生・紫藤純一の切断された頭部にキスをするようにした。デンマンさんは、そうおっしゃるのですか?
そうですよう。ロマンポルノだから、キスをさせたのでしょうね。でも、僕には、あまりにも見え見えなシーン、つまり、オスカー・ワイルドの戯曲の物真似としか映らなかった。日本人的な感覚では、全く必然性を認めることができない。 でも、そういう女性が日本人にも居るかもしれませんわ。 けれどねぇ、ヒロインがあのような行動にでる動機が無い。僕には陳腐としか思えなかった。 なぜ、陳腐なのでござ~♪~ますか? 推理小説「軽井沢夫人」が出版されたのは1979(昭和54)年ですよ。当時、公衆の面前でキスするカップルなんて居なかった。しかも、この設定では、遺体安置所ですよう。キスの習慣の無い日本人の女性が遺体安置所に行って、切断された男の頭部にキスをする。僕には、全く考えられない事でしたよう。 つまり、説得力の無い映画だったのでござ~♪~ますか? そうですよう。僕には馬鹿馬鹿しいとしか思えなかった。 デンマンさんには期待はずれの映画だったのでござ~♪~ますか? そうですよう。でもねぇ、美和さんのヌードは素晴しかったですよう。美和さんのきれいなヌードシーンがあったのであの映画は救われたのですよう。うしししし。。。 そう言う訳で「軽井沢夫人」の最後のキスシーンは陳腐で僕は興醒(きょうざ)めしました。 。。。で、乱歩全集の第30巻を読んでデンマンさんはどう思いました? “エログロナンセンス特有の怪しげな表現”を期待していたけれど、残念ながら、それは全く出てこなかった。 がっかりしました? うん。。。確かに、ちょっと期待はずれだったけれど、むしろ、いろいろな意味で面白かったですよう。 たとえば。。。どんなところがですか? 後半の海外探偵小説紹介で、こんな紹介がありましたよ。
欺瞞の根本原理
上の図を見てください。 (中略) 手元にあったロースン (Clayton Rawson) の長編は Death from a Top Hat (1938)というので、この題名は手品師のシルクハットから兎や鳩が飛び出すように、「死」が飛び出したという意味。ディクスン・カーが褒めるはず、この作はカーの手品趣味をさらにいっそう極端にした徹底的な手品文学である。 (中略) その他、この小説にはオカルティズムと手品趣味が充満していて、手品小説愛好者をヘトヘトに堪能させてくれる。結末の種明かしそのものには非常な創意があるとは云えないが、そこまでの道程が面白いのである。カーですら極端だと思っていたのに、そのカーに輪をかけて極端な手品作家に接して、上には上があるものと、ほとんど呆れた次第である。 冒頭に記した謎の図も、マリーニー(主人公探偵)がこの図を描いて警部ともう一人の人物に示し、探偵学の一助とするのである。この図を示されると、誰でも一応は、図の半径 AO の内の AB の長さが分かっているのだから、残りの BO の長さを求めればよいと考える。 ところで、BOC という不等辺直角三角形の底辺 BC の長さは分かっているが、その他に何もデータがないのだから、これだけではどうしても BO の長さを算出する事ができない。これは不可能だ。とてもむつかしいと考える。そう考えたらおしまいである。まんまと手品師の術中に陥ったのである。 そんな考え方をしないで、BC を対角線とする矩形(くけい)を良く見ればよいのである。そして O から発して BC と相交わるもう一つの対角線を描いてみる。すると矩形に置ける二つの対角線の長さは相等しいのだから、O から円周に達する対角線の長さは即ちこの円の半径で、それは BC と同じく33センチなのである。 マリーニー名探偵は云う。 名探偵はさらに言う。 785-789ページ 僕も、まんまと引っかかってしまいましたよう。これを読んで、なるほどと思いました。確かにその通りなんですよう。僕は、心の構造というか。。。心のカラクリ、意識のカラクリを見せられたように思いました。 。。。で、愛の構造って。。。? 実は、めれんげさんの『即興の詩』サイトを覗いたら次のような短歌が書いてあったのですよう。“愛の構造”を説明する前に、まず、めれんげさんの短歌と詩をじっくり味わってくださいね。 これが、めれんげさんが詠んだ短歌ですか? そうですよう。 なんだか、物悲しい歌ですね。デンマンさんのことだから、よせばいいのに、また、たくさんの返歌を書いたのでしょう? うしししし。。。分かりますか?。。。そうなのですよう。つい、書きまくってしまったのですよう。読んでみてください。
夏は過ぎ
恋を忘れた
きみなれど
命とうとし
愛あればこそ 秋が来て
きみを想えば
懐かしや
紅(くれない)萌ゆる
もみじ葉を見つ
いつまでも
きみを思いて 書き綴る 愛のブログは 星のごとくに
なせばなる
なさねばならぬ
なにごとも
命はかなく
短きゆえに めれちゃんが気持ちを入れ替えて 新しいケータイに向かって 打ち込んだ短歌にインスパイアされ、 ボクちゃんは、うれしくなって 思い浮かぶままにカキまくってみましたよう。 秋ですねぇ~ 天高く馬肥(こ)ゆる秋! 焼き芋がうまくなるときですよねぇ~
めれちゃんも 焼き芋をたくさん食べて、 オナラで短歌を詠んでみてねぇ~ \(^_^)/キャハハハ。。。 関東人のくちゃ~いギャグでしたぁ~ うちちちち。。。。 by デンマン 2008/09/21 2:42 AM 『即興の詩 恋を忘れて』のコメント欄より デンマンさんが真面目に短歌を詠んでいると思ったら、やっぱり後半で、ふざけた事を書いていますわね。 いけませんか? デンマンさんらしくていいですけれど。。。 めれんげさんもレンゲさんと同じで大阪生まれで大阪育ちですからね。どうしても、ギャグで対抗しなければならない。。。そう思ったわけですよう。 それで、無理してギャグを取ってつけたのですか? ユーモアのつもりです。 めれんげさんは恋心を取り戻したのでしょうか? 取り戻しましたよう。5日後に次のような詩を書いていました。
あなたをおもう
会えない時には それはあなたの全てじゃないけど この心と身体は by めれんげ 2008.09.25 Thursday 11:16 なかなか、味わいのある詩ですわ。 レンゲさんも、そう思いますか? ええ。。。そう思いますわ。デンマンさんのことですから、めれんげさんがデンマンさんのことを思って上の詩を書いたのだろうと、いつものように独断と偏見で思い込んだのでしょうね? うしししし。。。やっぱり、レンゲさんにも分かりますか? デンマンさんとのお付き合いも長~くなりましたから。。。で、どのような詩をお返しに書いたのですか? 次のように書いたのですよう。読んでみてください。
きみを思う
きみは夕べの星空のように うん、うん、うん。。。 うん、うん、うん。。。 うん、うん、うん。。。 でも、感じるよ by デンマン 2008/09/25 6:41 PM 『即興の詩 あなたをおもう』のコメント欄より なるほど。。。デンマンさんらしいと思いますわ。 僕らしいですか?うへへへへ。。。 。。。で、これまでデンマンさんは長たらしく短歌と詩を書き並べてきましたけれど、江戸川乱歩の上の評論とエッセーの中で“愛の構造”も説明されているのですか? いや。。。僕も、どうにかして、こじつけてみようとしたけれど、書かれているエピソードだけでは“愛の構造”までは説明できませんよう。 それで、諦めたのですか? もちろん、諦めませんよう。江戸川乱歩は、やはり「奇妙な味」わいのある作家だと思いますよう。次のような事も書いていました。
今一つの世界
ここにもし、それらのものとは全く違った、また目新しい、「今一つの世界」があって、魔法使いの呪文か何かで、パッと、それがわれわれの目の前に現れたなら、そして、たとえば竜宮へ行った浦島太郎のように、その世界で生活することができたなら、われわれはまあどんなに楽しく生甲斐のあることでしょう。 でも、われわれは浦島太郎にはなれっこない。そんな「今一つの世界」なんてあるはずもなく、そこへ住むなんて思いもよらぬことだ。われわれはやっぱり、このきまりきった、面白くもない日常茶飯事を繰り返して行くほかに生き方はないのだ、とおっしゃるのですか。だって「今一つの世界」を求めるわれわれの欲望の烈しさは、どうして、そんなことをいってあきらめていられるものではないのですよ。 ご覧なさい。子供がどんなにお伽話をすくか、青年がどんなに冒険談をすくか、それから大人のお伽話、冒険談は、たとえばお茶屋の二階、歌い女、幇間(ほうかん)。それぞれ種類は違っても、われわれは一生涯、何か日常茶飯事以上のもの、「今一つの世界」を求めないではいられぬのです。お芝居にしろ、音楽にしろ、絵画にしろ、小説にしろ、それらはみな見方によっては、人間の「今一つの世界」への憧憬から生まれたものではありませんか。 暑中には避暑をする。それは何も暑さを避けるためばかりではないのです。われわれはここでも「今一つの世界」を求めている。飽き果てた家庭を離れて、別の世界へ行きたがっているのです。 もろもろの科学にしても、やっぱり人間のこの欲望の現われではないでしょうか。例えば天文学者は星の世界に憧れているのです。歴史家は遠い昔の別世界に思いを寄せているのです。動物や植物の学問はもちろん、生命のない鉱物にだって、薬品にだって、やっぱり「今一つの世界」を見出すことができないでしょうか。 古来のユートピア作者達が、それを夢見ていたことは申すまでもありません。さらにまた宗教ですらも、天上の楽園と言う「今一つの世界」に憧れているではありませんか。 ある型に属する小説家は、誰しも同じ思いでしょうが、わたしもまた、わたしの拙い文字によって、わたし自身の「今一つの世界」を創造することを、一生の願いとするものでございます。 (130 - 132ページ) 『上流夫人 (2008年8月30日)』にも引用している。 このエッセーで“愛の構造”が説明できるのですか? そうですよう。夢とロマンと愛の世界を持つ事で、初めて“愛の構造”が見えてくる。上の短歌と詩を読んで、僕とめれんげさんが「今一つの世界」で愛し合っていると見えませんか? めれんげさんは、デンマンさんを愛しているのでしょうか? だから、相手を特定する必要はないのですよう。「今一つの世界」で短歌と詩のやり取りをしている。それが重要な事ですよう。そこに“愛の構造”が見えているでしょう。そう思いませんか?
【レンゲの独り言】
ですってぇ~♪~。。。 とにかく、面白い話がまだ続きそうですわ。
メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
なせばなる
なさねばならぬ
なにごとも
ならぬは人の
なさぬなりけり
よく耳にしますよね。
米沢藩の10代藩主・上杉 鷹山(ようざん)が
言ったという有名な言葉です。
あなただって聞いた事があるでしょう?
さて。。。これを英語で何と言うのでしょうか?
考えてみた事がありますか?
簡単に次のように言うことができます。
Where there is a will,
there is a way.
やる気があれば道は開けてくるもの。 そうですよね。そうあって欲しいと思いますよね。
ところで、英語の面白いお話を集めました。
時間があったら、ぜひ覗いてくださいね。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
YouTube 動画
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