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心の魔術
by デンマン & レンゲ
2008年9月30日
エロい乱歩
2007-04-13 13:53
デンマンさん で、回答へとまいりますね。。。 江戸川乱歩全集に関してですが、 乱歩の作品自体については、 「人間椅子」での、愛する女性のソファに、 そういえば… 「チャタレイ夫人の恋人」ですが… 小学生のわたしに、そんなものを理解できるような 女性が自らの性欲を恥じる必要など フロイトも、ヒステリーの原因は、 by レンゲ
デンマンさん。。。、どうして、また、あたしの手記を持ち出してきたのですか?
実は、僕は江戸川乱歩の作品をどれ一つとしてじっくり読んだことがないのですよう。 興味がなかったのですか? はっきり言ってしまえば、そうなのですよう。前にも書いたけれど、推理小説は、一口で言ってしまえば謎解きですよう。トリックとか、伏線とか、「目くらまし」とか。。。いろいろと手の込んだ事を文章の中に書き込んである。不必要な飾りをゴテゴテと塗りたくった絵のように、僕には悪趣味に映った。推理小説や探偵小説は文学として一段も二段も低いものと思っていたのですよう。 つまり、食わず嫌いなところがあったというわけですか? そうなのですよう。江戸川乱歩が書いていた通りですよう。
欺瞞の根本原理
上の図を見てください。 (中略) 手元にあったロースン (Clayton Rawson) の長編は Death from a Top Hat (1938)というので、この題名は手品師のシルクハットから兎や鳩が飛び出すように、「死」が飛び出したという意味。ディクスン・カーが褒めるはず、この作はカーの手品趣味をさらにいっそう極端にした徹底的な手品文学である。 (中略) その他、この小説にはオカルティズムと手品趣味が充満していて、手品小説愛好者をヘトヘトに堪能させてくれる。結末の種明かしそのものには非常な創意があるとは云えないが、そこまでの道程が面白いのである。カーですら極端だと思っていたのに、そのカーに輪をかけて極端な手品作家に接して、上には上があるものと、ほとんど呆れた次第である。 冒頭に記した謎の図も、マリーニー(主人公探偵)がこの図を描いて警部ともう一人の人物に示し、探偵学の一助とするのである。この図を示されると、誰でも一応は、図の半径 AO の内の AB の長さが分かっているのだから、残りの BO の長さを求めればよいと考える。 ところで、BOC という不等辺直角三角形の底辺 BC の長さは分かっているが、その他に何もデータがないのだから、これだけではどうしても BO の長さを算出する事ができない。これは不可能だ。とてもむつかしいと考える。そう考えたらおしまいである。まんまと手品師の術中に陥ったのである。 そんな考え方をしないで、BC を対角線とする矩形(くけい)を良く見ればよいのである。そして O から発して BC と相交わるもう一つの対角線を描いてみる。すると矩形に置ける二つの対角線の長さは相等しいのだから、O から円周に達する対角線の長さは即ちこの円の半径で、それは BC と同じく33センチなのである。 マリーニー名探偵は云う。 名探偵はさらに言う。 785-789ページ つまり、僕は推理小説の「右手」だけしか見ていなかったのですよう。 先入観が「目くらまし」になっていた。。。デンマンさんは、そうおっしゃるのですか? そうなのですよう。 それで、あたしの手記ですけれど。。。それが、推理小説の「右手」と関係あるのですか? 関係あるのですよう。僕が初めて推理小説の「左手」に気づかされたのがレンゲさんの上の手記を読んだときだったのですよう。 どう言う事ですか? だから、江戸川乱歩は謎解き作品だけを書いていた、と僕は思っていたのですよう。松本清張さんが『点と線』を書いて推理小説ブームを巻き起こしたけれど。。。僕も『点と線』を読んだけれど、イマイチだった。推理小説よりも、清張さんが書いたノンフィクション作品に僕は惹かれて、もっぱらそっちの方ばかりを読んだのですよう。 それで、江戸川乱歩の作品を読む気にならなかったのですか? そうですよう。推理小説では乱歩さんの方が清張さんよりも有名だったけれど、そう言う訳で僕は乱歩さんの作品を一つも読んでいなかった。 。。。で、あたしの手記を読んで、どうだとおっしゃるのですか? だから、初めて江戸川乱歩の「左手」を見せられたように思った。 その「左手」とは。。。?
「人間椅子」での、愛する女性のソファに、
自ら入り込み、悦楽にひたる男の異常な愛などは、 「家畜人ヤプー」に通じるものがあり、 それはむしろ、純粋なものすら感じました。 この部分を読んで、江戸川乱歩が“愛する女性のソファに、自ら入り込み、悦楽にひたる男の異常な愛”を書いていたのか?。。。それは、全く僕の知らない江戸川乱歩だった。もちろん、彼の作品を一つも読んでいなかったのだから、乱歩が推理小説作家で有名だったということぐらいしか知らなかった。 。。。で、あたしの手記を読んで、乱歩に興味が湧いてきたとおっしゃるのですか? そうなのですよう。先日、たまたま用事があってロブソン・ストリートを歩いて銀行に寄って、用事を済ませてから天気が良かったので散歩もかねて市立図書館まで歩いて行ったのですよう。
日本語図書の棚の前をブラつきながら面白そうな本を探したのだけれど、その時、文庫版の『江戸川乱歩全集 第30巻』が目に付いた。 それで、借りてきたのですか? そうですよう。レンゲさんの手記を読んでいなかったら、僕はその前を通り過ぎていたのですよう。 江戸川乱歩の「左手」を見てみようと思ったわけなのですね? そうですよう。それで、僕はこの時、「漫画 歎異抄」と一緒に借りてきたのですよう。
漫画と一緒にですか?。。。取り合わせが面白いですね。 そうでしょう。。。うしししし。。。 『江戸川乱歩全集 第30巻』を読んだので、こうして記事を書いている。。。この事が言いたかったのですか? もちろん、それだけではありません。乱歩の「左手」を見ただけのことはありました。 例えば、どういうところが面白かったのですか? 次の箇所は、とりわけ興味深いと思って読みましたよう。
私(江戸川乱歩)は、この第一回と第四回の入選作を一読したが、最近作の第四回のものに彼女(ドロシイ・ソールスベリ・デイヴィス)の特徴が最もよく出ているように感じた。
「クイーン雑誌」はその作の解説文に、探偵小説の着想の出発点となるものは、本のちょっとした見聞である場合が多いことを、実例をあげて示しているが、デイヴィス夫人のこの作も、その着想は夫の出演しているラジオのスタジオで得られたものだという。 夫人がラジオ劇の演出を見物していると、配役表の中にない40才余りの女が役者の間に混じっているので、変だなと思っていた。
すると、やがて台本の「赤ん坊」という箇所に来ると、その女がマイクロフォンに近づいて、いきなり泣き出した。それが赤ん坊の泣き声にそっくりであった。 この作では、19才の少女がクライマックスで大声を立てて泣くのだが、その時、人々は初めて彼女の泣き声を聞いてびっくりする。それは赤ん坊の泣き声とそっくりであった。そして、それがこの作全体のトリックとして使われているのである。 これは「優しき殺人者」とも相通ずる一種奇妙な味であり、ここにデイヴィス夫人の持味とも云うべきものが感じられる。 「奇妙な味」というのは実に下手なあいまいな形容で、結局実例によって悟ってもらうほかはないのだが、新人デイヴィス夫人の作風に、私はやはりこの「奇妙な味」の部類に属するものを感じたのである。 627-628ページ この上の引用のどの箇所にデンマンさんは、それ程興味を覚えたのですか? 「奇妙な味」ですよう。40才の女性が泣いたら、まるで赤ん坊が泣くのとそっくりだったと思ってデイヴィス夫人はビックリした、と乱歩は書いている。確かに、それは奇妙な経験だったに違いない。 デンマンさんも同じような経験をしたのですか? そうなのですよう。でも、僕の場合には、全く逆だったのですよう。 逆ってぇ。。。赤ちゃんが泣き出したら、まるで40才の女性のような泣き方をしたのですか? これもレンゲさんの次の手記を読んで感じた事ですよう。ちょっと読んでください。
そこまで人を駆り立てる物って
何なんだろう?
2005/01/08 01:28 わたしは「家畜人ヤプー」の 彼は夜な夜な
表の顔とのギャップが大きいほど、 それは、彼の知性が高かったために、 ユートピアといえば、トマス・モアを思い出すが、 人の欲望、不平、不満は、時に妄言などを生み出し、 by レンゲ この本を読んでみたい人は次のリンクをクリックすると紹介サイトへアクセスできます。 このレンゲさんの手記を読んだ時に僕はデイヴィス夫人の驚きを感じたのですよう。 あたしの上の手記を読んでですか。。。? そうですよう。 一体どのような驚きですか? 僕のオツムの中のレンゲさんのイメージは次のように天真爛漫なかわゆい女の子なのですよう。
デンマンさんは、あたしがこのようなかわゆい女の子だと思っているのですか? そうですよう。レンゲさんは天真爛漫で、実にかわゆいところがあるのですよう。 どうして、そう思うのですか? かつて、レンゲさんは次のような詩を書いていたのですよ。
この詩ならば、次のようなかわゆいイメージの女の子が書くだろうと思うのですよう。
それでデンマンさんは、あたしがメチャかわゆい女の子だと思い込んでしまったのですか? いや、レンゲさんは実にかわゆいところがあると今でも僕は思っていますよう。 。。。で、その上の『そこまで人を駆り立てる物って何なんだろう?』を読んだ時にはどのようなイメージが思い浮かんだのですか?
こうしてレンゲさんが急に年を重ねてしまったような錯覚に陥ったものですよう。うしししし。。。
【レンゲの独り言】
ですってぇ~♪~。。。 上の“ピザまん”の詩と“家畜人ヤプー”の手記は、それ程、年の差を感じさせるものでしょうか? まだ、まだ面白いお話が続きそうです。
メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
人は見かけによらぬもの
そうですよね。
あなたも、この格言を聞いた事があるでしょう?
見かけだけ、外見だけでは
相手の表面的なことだけしか分からないものです。
デイヴィス夫人の驚きは
40才の女性の泣き方がまるで赤ちゃんのようだった。
デンマンさんの驚きは
“ピザまん”の詩を作る10代のかわゆい女性だと思っていたら、
人生経験をつんだ60代の女性が書くような手記も書いていた。
あなたも似たような経験があるでしょう?
さて。。。“人は見かけによらぬもの”を
英語で何と言うのでしょうか?
考えてみた事がありますか?
次のように言いますよ。
You must not judge a person
only by the appearance. また、次のように言う事もできます。
Things are not always
what they seem.
真実は、見かけ通りとは限らない。
ところで、英語の面白いお話を集めました。
時間があったら、ぜひ覗いてくださいね。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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