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愛の魔術
by デンマン & レンゲ
2008年10月12日
きみはやさしく
光より
われをやさしく
包みしは
朝のおとずれ
つげしきみの目 by merange (めれんげ) 2006.10.19 Thursday 00:21 comments(173) | trackbacks(0) (2008年10月8日午後12時現在) デンマン注:
デンマンさん。。。、今日はめれんげさんの短歌ですか?
そうですよう。レンゲさんは短歌は嫌いですか? もちろん、嫌いではありませんわ。でも、なんだか急に話題を変えてしまったようで。。。 話題を変えたと言うよりも、本来の話題に戻ったのですよう。 そうでしょうか? そうでしょうかってぇ。。。やだなあああぁ~。。。僕とレンゲさんは、もともと「愛の正体」を探すために、こうしてネットで旅に出たのですよう。。。違いますか? 言われてみれば。。。確かに。。。おっしゃる通りですわ。。。それで、今日は、その「愛の正体」について語り合うのですか? うん。。。ちょっとばかり「愛の正体」に近づいたような気がしたのですよう。 それが今日の記事のタイトル『愛の魔術』ですか? そうです。 でも、どういうわけで2年前のめれんげさんの短歌を取り上げたのですか? 実は、めれんげさんの『即興の詩』サイトを僕は毎日覗くのですよう。 お宮さんに毎日お参りするようなものですわね。 そうなのですよう。もう、習慣のようになってしまいました。 その事と今日のめれんげさんの短歌が関係あるのですか? あるのですよう。実は、僕の他にも、もっと熱心に毎日めれんげさんの『即興の詩』サイトを訪れる人が居るのですよう。 どなたですか? レンゲさんも良く知っているヴァイアグラ馬鹿ですよう。(知らない読者はGOOGLEで検索してください。僕が書いた記事がすぐに見つかります。) マジで。。。? 僕は大真面目ですよう。今日の詩を選んだのは僕ではなくて、このヴァイアグラ馬鹿なのですよう。 どう言う事ですか? ヴァイアグラ馬鹿は、2年前にめれんげさんのサイトに現れるようになったのだけれど、2ヶ月ほど前から毎日めれんげさんの『即興の詩』にコメントを書いているのですよう。 毎日ですか? 毎日ですよう。おそらく1日に100以上のコメントを書いていますよう。 マジで。。。? 僕はウソを言いませんよう。その証拠を見せます。
これが、その証拠ですか? そうです。10月8日の午前3時40分にソフトカメラで撮ったものです。サイドバーに最新のコメントが10個だけ表示されるのですよう。 その中に、めれんげさんの上の短歌のタイトルがあったのですか? そうなのですよう。タイトルに惹かれて僕はすぐ、その短歌を読みに行ったのですよう。それで記念にと思ってソフトカメラで撮ったのが上の画像です。 その時、めれんげさんの短歌にはコメントが 160 付いていたのですか? そうですよう。それから3時間後に見に行ったら 173 に増えていたのです。 。。。で、現在はどうなのですか? ついさっき(日本時間: 2008年10月10日午前4時40分)見に行ったのですよう。 いくつ付いていたのですか? 204 です。 つまり、8日午前3時40分にはコメントが 160。 10日午前4時40分には204。49時間に コメントが 44増えたのですよう。 1時間に1つの割合でコメントを書いているのですね? そうですよう。こうなると、めれんげさんの熱狂的なファンですよね。うしししし。。。 でも、コンピューターで自動的に書き込んでいるのでしょう?しかも、そのコメントも、なんだか良く分からないアルファベットの宣伝コメントですよね。めれんげさんのファンとは言えないと思いますわ。 とにかく、ヴァイアグラ馬鹿のおかげで僕は上のめれんげさんの短歌を初めて読んだのですよう。 なぜ、ヴァイアグラ馬鹿さんは2年前の短歌にコメントを書くのでしょうか? プログラムで自動的にコメントを書くようにしていますからね。コメントを送る先は2年前にリストにピックアップしたものだからですよう。 最近の詩や短歌にはスパムコメントを書いてないのですか? 最近の詩や短歌には書いてません。すべて2年前のものですよ。 それで、デンマンさんは、どうして上の短歌を取り上げたのですか? この短歌をめれんげさんが詠んだのは2006年10月18日の深夜ですよう。書いているうちに日付が18日から19日に変わった。 その事に何か意味があるのですか? あるのですよう。めれんげさんが深夜、誰も居ない部屋でパソコンに向かいながら沈思黙考(ちんしもっこう)の後に書き込んだ。 深夜に書き込んだ事に意味があるのですか? めれんげさんのオツムも心も研ぎ澄まされていた。詩心に誘われるままにパソコンに向かって書き込んだのだと思います。でも、僕が注目したのは時間ではなく日付ですよう。 10月19日ですか? そうです。2年前の10月19日ですよう。 その日付に意味があるのですか? そうですよう。この日付から何か思い当たる事がレンゲさんにはありませんか? めれんげさんは、あたしにとって親友ですけれど、その日付から思い当たる事ってありませんわ。 親友と言いながらレンゲさんは意外に淡白なのですねぇ~? あたしは日付にこだわるタイプではないからですわ。うふふふふ。。。 レンゲさんが日付にこだわるタイプでないとしても、何か思い浮かぶものがあるでしょう。。。 デンマンさん!。。。そのようにもったいぶらないで、なぜ2年前の10月19日にこだわるのかおっしゃってくださいな。 分かりました。めれんげさんの次の手記を読んでください。 2006-11-02 18:08:07 posted by merange ちょいとマジな話やねんけど・・・ (テーマ:日記のつもり)
反省しきり。 わたし気がついたんやけど、 固定観念にしばられて、自分の尺度で相手のことを、 いくら相手に理解を求めても、いっこうに気持ちがつたわらないことがある。
わたしは長年、固定された評価でしか、 自分のことを、どんなかたちであれ、 あらためて「ごめんなさい」と言います。
【デンマン注】 原文には全く手を加えていませんが めれんげさんは、この手記を書く2週間前に上の短歌を詠んだのですよう。 つまり、上の短歌とこの手記とはつながりがあるとデンマンさんは、おっしゃるのですか? そうですよう。 どのようにつながっているのですか? かつてレンゲさんは“気付き”について、めれんげさんと同じような手記を書いたことがあったのですよう。読んでみてください。
長いおつきあいに
なりましたよねっ! 投稿日時: 2007-04-09 11:29 縁は異なもの妙にして
有難きものですね
それにしても そして、今のわたしはデンマンさんを わたしがデンマンさんに対してキレること… それに… それは、死ぬまで続けなければならないことですが、 by レンゲ つまり、めれんげさんも「気付き」を得ることができた。その気付きを得るきっかけとなったのが上の短歌だとデンマンさんはおっしゃるのですか? その通りですよう。めれんげさんは上の短歌を書くときに“愛”に気付いたのですよう。僕の言おうとしていることがレンゲさんには分かりますか? つまり、めれんげさんがデンマンさんへの愛に気付いたとおっしゃりたいのですか? 違いますよう。誰への愛と特定する必要はないのですよう。 めれんげさんが詠んだ短歌は特定の人への愛ではないのですか? めれんげさんに尋ねてみない限りその事は判らないけれど、短歌のテーマは間違いなく愛なのですよう。僕は、その事を強調したいのですよう。 分かりましたわ。それで今日のタイトルを『愛の魔術』としたのですわね? うしししし。。。やっと分かりましたか。。。 つまり、めれんげさんは上の短歌を詠んだ時に“愛”について深く考えさせられた。その結果、2週間後に手記を書くことになった。それでデンマンさんとめれんげさんは、やがて仲直りすることになった。。。そうおっしゃりたいのですわね? うへへへへ。。。やっと分かってくれたようですね。 でも、それは飛躍のしすぎだと思うのですわ。 ん。。。?飛躍。。。? そうですわ。 いや、決して飛躍のし過ぎではありませんよう。レンゲさんは、苦い不倫の経験を持っている。その時の経験があったから、すぐ上の手記を書くことができたのですよう。僕もレンゲさんの次の回想記を読んで、いろいろと考えさせられましたよう。
不倫の果てに…
不倫と呼ばれる恋愛について、どんなイメージを抱かれますか? ある既婚男性のことを、 そこから、彼はわたしのことを「彼女」だと呼ぶようになりました。 でも、長い間モーションをかけ続けておいて、セックスして、 彼とは、毎日のように会っていました。 でも、わたしの頭には、 そのうち、彼から その時点ではその言葉は、彼の本音だったと今でも思います。 つまりわたしは、妄想に苦しめられていたのです。 わたしはいつも、恋愛を通して自分も相手も 世間のすべての不倫カップルがそうだとは おそらく今、会ったとしても、お互い自分の残した 最初の頃のときめき。 本当は、彼と和解したいと考えている自分がいます。 by レンゲ 2004-07-21 10:11:08 またデンマンさんは、あたしの苦い体験談を持ち出してきたのですわね。 いやですか? イヤだと言っても、もうデンマンさんは載せてしまっていますわ。 僕は、レンゲさんが心の内をこれだけ率直に表現できる、その素直さにいつも心を打たれるのですよう。僕だけではないと思うのですよう。レンゲさんのこの体験談を読む人は、同様な感動を受けると思うのですよう。 それで、なぜ、またこの手記を持ち出してきたのですか? だから、レンゲさんは苦い経験をしたけれど、“愛”に失望する事はなかった。“愛”を信じていた。それで、レンゲさんも、めれんげさんも「気付き」を得ることができたと僕は思うのですよう。 それが“愛の魔術”ですか? 言葉はいい響きではないけれど、それこそ“愛のミラクル”、“愛の奇跡”だと思いますよう。 でも、『歎異抄』の世界では、それは煩悩だと言われていますよね。 その通りですよう。
人は煩悩(ぼんのう)の
闇へ闇へと 向かっていく
唯円よ、悲しいのう。。。
はっ。。。? この世におると愛憎の渦に巻き込まれ欲得にふりまわされる。右も左も煩(わずら)わしいことだらけじゃ。 ですから。。。 まあ聞きなさい。お釈迦様はそんなものを捨て去って真実に目覚めなさいとお示しくださった。
ハイ。 しかし、愛憎の中でしか生きていけないのも事実。。。誰も彼もむなしい名利(みょうり)にすがってこの世に執着(しゅうちゃく)しておる。真実、すなわち阿弥陀様のみ光、に背を向け煩悩(ぼんのう)の闇へ闇へと向かっていくのが。。。 凡夫(ぼんぷ)。。。でございますね。 そうじゃ。そのあわれな凡夫を阿弥陀さまは見捨てられたかの? い。。。いえっ。。。あっ。。。!もしかして私が急いでお浄土にお参りしたいと思わないのは煩悩のせいだとおっしゃるのでしょうか?! おーっ、さすがじゃ、唯円。尊いみ教えをいただきながら喜べないのは、まさしく煩悩のせいじゃ。じゃが、そんなことはずっとずっと前から阿弥陀様はお見通しじゃよ。。。よいか唯円。その凡夫だからこそ阿弥陀様の救いの目当てなのじゃ! (ガーーン)。。。阿弥陀様は急いで参りたいとも思わない私のような迷いとまどう者こそ不憫(ふびん)と思うてくださる。。。そうですね。 のう唯円。。。私たち凡夫も娑婆という所も一筋縄(ひとすじなわ)ではいかないのじゃ。愛する者と出会(でお)うたかと思えば別れ。。。今上(こんじょう)の喜びを得たと思うたら、それ以上の苦しみがくる。。。なんとか命ながらえたと思えば老いてゆく。ただ老いるのではないぞ。病にもかかるし税金も払わにゃならん。 ホンマ、つらいですね。 しかし、お浄土は安らかな所じゃ。早く行きたくならんか? イエ。。。ですから。。。その。。。それでも娑婆に。。。その。。。未練(みれん)が。。。 やっぱり、一筋縄ではいかないのう。。。はっはっはっ。。。 面目ありません。 いやいや。。。そういう者のための阿弥陀様の救いじゃ。おまえのように仕事も一生懸命な者ほどこの世にしがらみは多いじゃろ。 ハァ。。。 私がもし、お念仏の教えをいただいてすぐ「ああ、お浄土はすばらしい!早く参りたい!」と思ったならば、もしかして自分には煩悩はないのだろうかと、かえっていぶかしく思うのではないか。。。のう、唯円。 ハイ! お念仏の教えをそれこそ何万遍(なんまんべん)も聞かされながら「急いでお浄土に参りたいという気持ちが起こらない」という問いは、一見お念仏をいただいていないように思えるが、お念仏をいただいたからこそ、このような浅ましい本当の自分の姿が見えてきたと思わんか?凡夫と気づいたのは阿弥陀様のみ教えが心に響(ひび)いてきたからじゃないのか。。。どうじゃ? ああっ。。。 愛憎の煩悩に惑(まど)わされて、いそいでお浄土に参りたいという心が起こらない浅ましい身に気づくならば、その身をなげくより、そんな私を捨てずに救うという阿弥陀様の大悲(だいひ)のたのもしさを仰(あお)ぎ「わが往生は一定(いちじょう)なり」と思いとるがよい。 はい! ありがたいのう。ナマンダブ、ナマンダブ。唯円よ。名残り惜しくも娑婆と縁がつきたその時こそ、お浄土に共に参らせてもらおうじゃないか。
ありがたいことです。聖人さま、唯円を救っていただきありがとうございます。
なにを言う。私も凡夫じゃ。救ってくださったのは阿弥陀様じゃよ。 【デンマン注: 読み易く句読点を加えてあります。画像はすべてデンマンの趣味により加えてあります。】 199-211ページ つまり、親鸞聖人は言うのですよう。自分では煩悩の世界から抜け出られないから阿弥陀様にすがって念仏を唱(とな)え、阿弥陀浄土へ行って救ってもらおうと。。。 浄土真宗の信徒の方は今でもそう信じているのでしょうね。 そうですよう。でも、そう信じることができる人はそれでもよいのですよう。信じる者は救われると言いますからね。でも、そう信じることができない人も居る。僕のようにね。。。うしししし。。。 そういう人はどうすればよいのでしょうか? だから、レンゲさんが書いているように「気付き」を得る事によって煩悩の中に光明を見い出すのですよう。 煩悩の中の光明ですか? そうですよう。人は煩悩の中でしか生きられないと親鸞聖人も認めている。そうであるならば、その煩悩の中にこそ前途に希望を見い出して前向きに生きてゆかねばならないのではないか?それこそ「愛の正体」ではないのか?僕は、そう思うようになったのですよう。うしししし。。。
【レンゲの独り言】
ですってぇ~♪~。。。 まだ、まだ面白いお話が続きそうです。
メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
人は見かけによらぬもの
あなたも、この格言を聞いた事があるでしょう?
見かけだけ、外見だけでは
相手の表面的なことだけしか分からないものです。
さて。。。英語で何と言うのでしょうか?
考えてみた事がありますか?
次のように言いますよ。
You must not judge a person
only by the appearance. また、次のように言う事もできます。
Things are not always
what they seem.
真実は、見かけ通りとは限らない。
ところで、英語の面白いお話を集めました。
時間があったら、ぜひ覗いてくださいね。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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