| |||||
|
愛と心の乱れ
by デンマン & レンゲ
2009年3月1日
う~~ん。。。
めれちゃんが20日に詠んだ うん、うん、うん。。。 でもなぁ~、めれちゃんは、また考え込んでしまうのやぁ~
行き違う愛という言葉
わたしに必要なのは
わたしひとりを
愛してくれるひと
わたしひとりが
そのひとに抱かれる
愛という言葉を
ふりまくひとに
わたしは別れを告げる
by めれんげ 2009.02.10 Tuesday 11:01 めれちゃんの心の奥で そやから、めれちゃんは、いつものように そいで、身体を重ねるのやでぇ~ 【重ねる身体】 夜明け前
眠らぬふたり
闇ふかく
重ねる身体
吐息もみだれて うん、うん、うん。。。 こういう言葉の中に、めれちゃんの それを身体を重ねる事によって もちろん、これはめれちゃんが詠んだ めれちゃんは、もしかしたら次のように言うかも知れんなぁ~
デンマンさん、いつものように思い込みが激しいおますなぁ~ はい、はい、はい。。。
朝まだき
眠れぬふたり
闇ふかく
重ねる身体
心みだれて
いつまでも
闇の中にて
苦悶する
身は燃え尽きて
心乱れる 闇夜とて
いつまで続く
わけもなく
やがて朝日が
きみを迎える
嗚呼、恋し
きみの面影
慕いつつ
とわの思いで
きみを抱(いだ)きつ こんなもんで、 わての心のぬくもりが
あんさん!そこまで言うもんであらしませんでぇ~ さよかぁ~?
そうですがなぁ~
でも、言わなぁ~分からんがなぁ~
わたし、あんさんの気持ちィ、よう分かっておりますがなぁ~
ああ、さよかぁ~。。。それを聞いて、わては安心したでぇ~、おおきにィ~、その調子で、また短歌を詠んでぇ~なぁ、頼んだでぇ~ \(^_^)/キャハハハ。。。 by 心の恋人 (デンマン) 2009-02-26 05:10 AM 『即興の詩 重ねる身体』のコメント欄より
デンマンさん。。。今日は漢字馬鹿さんは登場しないのですか?
たまには、休みたいだろうし、漢字馬鹿と付き合うのも疲れますからね。。。、それで今日は、めれんげさんの短歌を取り上げたのですよう。 あたし、デンマンさんの上の批評を読ませてもらいましたけれど、ちょっとデンマンさんは考えすぎではありませんか? 僕が何を考えすぎているのですか? デンマンさんは、めれんげさんの心が必要以上に乱れていると断定していますわ。 あのねぇ~、それは事実ではないかもしれません。でもねぇ、それが僕がめれんげさんの最近の詩と短歌から受けた印象なのですよう。 だから。。。デンマンさんが必要以上に、めれんげさんの心の乱れを強調しすぎていると思うのですわ。 例えそうだとしても、それは、それでイイと思うのですよう。僕の個人的な受け留め方として。。。レンゲさんだって以前、次のように書いていましたよう。
確かに上のように書きましたわ。あたしの書いたものをデンマンさんがどのように解釈するのも自由です。でも、すぐその後で、あたしは次のように書いていますわ。 完全なる戯作が多い恋愛詩から、
わたしの精神が、性愛への渇望に
悩まされているかのように、
解釈されてしまい、それを事実として
認識なさっておられるのだとすれば、
少々残念なことです。 うん、うん、うん。。。そう言う事ってありますよう。でもねぇ、戯作であれ創作であれ、作品である以上、書く人の心の内が文字として表れてしまう。意識的に、あるいは無意識のうちに。。。 つまり、誤解される場合には書き手にも責任があると。。。? そうですよう。何度も持ち出したけれど、司馬遼太郎さんが次のように言ってましたよう。
“作品は作者だけのものと違うんやでぇ~。。。
作者が50%で読者が50%。。。
そうして出来上がるモンが作品なんやでぇ~” デンマンさんの批評には半分の真実が含まれているとおっしゃるのですか? もし作品の半分が読者の解釈によるのであれば、その可能性が十分にあると思いませんか? 誤解される場合には、作者の半分の部分で誤った情報を読者に与えていると。。。? そうですよう。レンゲさんの精神が、性愛への渇望に悩まされているように解釈されて、それが事実として認識される場合も当然ありうる。それが事実でないならば、レンゲさんは書く前にはっきりと読者に、その旨を知らせるべきだと僕は思いますね。それは表現者の義務ですよう。。。そう思いませんか? そうでしょうか? 司馬遼太郎さんの言葉を僕は、なるほど~、と思って受け入れているのですよう。読者が誤解して受け取る場合もあるけれど、意識的に、あるいは無意識のうちに作者が誤解されるように情報を書き込んでしまっている場合もある。 つまり、めれんげさんの“乱れた心”は、作者の50%の部分に表れているとデンマンさんはおっしゃるのですか? 事実は、そうでないかもしれません。でもねぇ~、めれんげさんの、それまでに書いた短歌と詩を読んで、冒頭の短歌と合わせて読むと、僕のオツムには、めれんげさんの“乱れた心”が見えてくるのですよう。 でも、それ以外の解釈が無いとは言えないでしょう? もちろん、絶対に正しい解釈なんて無いですよう。書いた本人が自分の心の内を理解していない場合だってあるのだから。。。 あたしは、めれんげさんがデンマンさんの求めに、素直に応じたのだと思いますわ。 。。。ん? めれんげさんが僕の求めに素直に応じたぁ~? そうですわ。デンマンさんは次のように書いていましたよね。。。
う~♪~ん。。。 恋の季節やなぁ~ ところで、長女猫のタンタンは、あれっから、 めれちゃんも、これからいよいよ (中略) \(*^_^*)/キャハハハ。。。 by 心の恋人 (デンマン) 2009-02-20 06:55 PM デンマンさんの上の赤字部分の求めに応じて、めれんげさんは萌え萌えになって冒頭の短歌を詠んだのですわ。 う~ん。。。、めれんげさんが2月20日に書いた僕の上のコメントを読んでから、このページの冒頭の短歌を詠んだとしたら、レンゲさんの言う通りですよう。 つまり、幾通りにも解釈できると。。。? そうですよう。どの解釈が正しいかは、めれんげさんが判断しますよう。詩や短歌は、小説と違って、背景だとか、詠み手が置かれている状況や環境を充分に書き込むことができませんからね、当然、いくつかの解釈ができて当然でしょう。詩や短歌を解釈する事は、“群盲象を撫でる”と同じ事ですよう。
だから、めれんげさんが置かれている状況や環境を考えるときに、それまで書いた短歌や詩から、どれを持ち出すかによって、いろいろな解釈ができますよう。 でも、デンマンさんは、“めれんげさんの心が乱れている”と言う考え方を変えないのですか? なぜなら、そう考える理由があるのですよう。 どのような。。。? めれんげさんの心に迷いが無く、乱れてもいないで、ルンルン気分の時には、次のような返信を書いてくれるのですよう。 デンマンさん:) きみなくば
夢みることも
なかりせば
恋する日々の
かがやき知らず めざめては
きみを思いて
心ははずみ
朝の光は
わが身を照らす
...こんなのが、浮かんできました♪ by めれんげ 2009/02/07 12:31 PM 『即興の詩 朝のかがやき』のコメント欄より めれんげさんに時間の余裕があれば、このように書けますけれど、忙しくてコメントが書けない場合だって、充分に考えられますわ。 もちろん、そうですよう。だから、絶対にこうだと言うようなことは言えません。でもねぇ、めれんげさんのこれまでの短歌や詩を読むと、おぼろげながら真実が浮かび出てくるのものですよう。
【レンゲの独り言】
ですってぇ~。。。 文は人なり。 文章には、その人の人生観や
生活環境などが
色濃く反映されてしまう。 このような事は理解できます。 とにかく、興味深いお話がまだ続きます。
メチャ面白い、
ためになる関連記事
■ 『きれいになったと感じさせる
下着・ランジェリーを見つけませんか?』
■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に別荘を持つことを
夢見る小百合さんの物語』
こんにちはジューンです。
“群盲象をなでる”
面白い諺ですよね。
でも、この諺を英語でなんと言うのでしょうか?
考えてみた事がありますか?
そのものズバリの表現は見当たりませんが、
次のような類似の表現が英語にあります。
Some people cannot see the wood
for the trees.
「木を見て森を見ず」
The frog in the well
does not know the ocean.
「井の中の蛙大海を知らず」 なんとなく分かりますよね。
あなたも“井の中の蛙”にならないでくださいね。
ところで、デンマンさんがレンゲさんの記事を集めて
一つにまとめました。
もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、
次のリンクをクリックしてくださいね。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
YouTube 動画
| ||||
|