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レンゲ物語
 

 

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愛の会話
2009年3月19日

春に恋して    

   

春が来る

心も新た

きみを見て

恋がはじまり

あたたかな日々

 

by めれんげ  

2009.03.15 Sunday 17:19


『即興の詩 春に恋して』より

う~♪~ん。。。
ええなあああぁ~
めれちゃんが詠んだ【春のきざし】がすぐに思い浮かんで来たやないかいなぁ~!

春のきざし    

   

木枯らしも

過ぎて春の

兆しあり

きみと行きたし

あの草原へ    

 

 

by めれんげ  

2009.02.20 Friday 16:12


『即興の詩 春のきざし』より

『馬鹿のモデル (2009年2月27日)』に掲載。

そうやでぇ~
嫌な事も忘れて
新たな気持ちで、めれちゃんの人生を切り開いてゆく。
また、気分を新たにして
春の日差しを浴びながら、
萌え萌えになって詩と短歌を詠む。

それでこそ、理知的な熟女のめれちゃんやでぇ~
頑張りィ~やぁ~
鈍い心の恋人のデンマンが応援しているさかいにィ~
うしししし。。。

\(*^_^*)/ キャハハハ。。。

めれちゃん!ばんざ~♪~い!

では、めれちゃんの新しい門出を祝って
わてが詠みますでぇ~

木枯らしが

吹いていれども

きみ見れば

春忍び寄る

きみの胸元

うららかな

春の日差しを

浴びながら

きみと行きたし

あの草原へ

いつまでも

日差しを浴びて

浪速路を

きみと一緒に

手に手をとって

春よ春

きみを思いて

歌を詠む

年甲斐もなく

胸ときめかせ

いつの日か

きみと行きたし

パラダイス

今は歌にて

悦びを知る

ああああああぁ~
見れば見るほどめれちゃんのコスプレは楽しいなぁ~
水玉模様のかわいらしいおべべを着ているなあああぁ~
うん、うん、うん。。。
めれちゃんがルンルン気分でいるのが
よ~く分かるでぇ~

その気持ちで、これからもぎょうさん
短歌と詩を詠んで~なぁ。。。
頼むでぇ~、
おおきにィ~

じゃあねぇ。

♪┌(・。・)┘♪ キャハハハ。。。

by 心の恋人 (デンマン)

2009/03/16 3:36 AM
(バンクーバー時間: 3月15日 日曜日 午前10時36分)


『即興の詩 春に恋して』のコメント欄より

デンマンさん!。。。今日もレンゲさんではなく。。。。このあたしを日本語が分かる世界のネット市民の皆様の前に引きずり出すのですか?

いけませんか?

レンゲさんは、あたしのように、きっとデンマンさんにムカついていると思いますわ。

どうしてですか?

だってぇ。。。この物語は『レンゲ物語』ですわ。。。めれんげ物語ではありませんわ。

レンゲさんは失敗から学んだから、めれんげさんのように感情的になってムカつかないのですよう。

でも、きっとあたしのようにデンマンさんに対して良い感情を持っていませんわ。

愛あらば
他の女性と関わるなかれ

そのひとと睦まじきを見て
われはきみより去る

めれんげ


『愛の対話 (2009年3月17日)』より

レンゲさんだって、このように思ってデンマンさんから離れてゆきますわ。

レンゲさんは僕から離れてゆきません。

どうして、そのようにデンマンさんは、はっきりと言えるのですか?

だってぇ、レンゲさんは次のように書いていたからですよう。

今のわたしはデンマンさんを
信頼しています。
信じていると同時に、頼りに思っている面も
あるんですよ(困りますか?)

レンゲ


『愛の対話 (2009年3月17日)』より

レンゲさんは僕に対して変わらぬ信頼感を持っているのですよう。

あたしがどのよな事を言っても、レンゲさんは揺らぎない信頼感を持っている。。。デンマンさんは、そうおっしゃるのですか?

そうですよう。

それが、「広い愛」なのですか?

その通りですよう。めれんげさんだって、子供の頃から、この広い愛を知っていたのですよう。

あたしがですか。。。?

そうですよう。めれんげさんの大好きなおばあちゃんが、いつでも口をすっぱくして言っていたではないですか!

腐りかけているモノでも、よーく噛んで食べれば
毒にならへんと、
おばあちゃんは、酢をかけて食べよっただろう!?


『愛の対話 (2009年3月17日)』より

このことが「広い愛」と関係あるのですか?

あるのですよう。 「腐りかけているモノ」とは、破局を迎えた、めれちゃんの人間関係ですう。

あたしとデンマンさんの関係のような。。。?

めれちゃんが、そう思っているのならば、そう考えてもいいでぇ~

。。。で、「酢」とは、何でおますのォ~?

それこそ、「広い愛」の基調やがなぁ~。つまり、お互いに人間として尊重し合って、許し合えるという事やないかいなぁ~!敬愛と許容の精神やがなぁ~

どう言う事ですか?

破局を迎えるような関係でも、敬愛と許容の精神を忘れずに、冷静になって考えてみれば、そのような関係の中にも幸せを見出せると言うことやがなぁ~。めれちゃんのおばあちゃんは、その事を言ってるのやがなぁ~。

それは、論理の飛躍ですわ。

■ 『鈍い心の恋人 (2009年3月15日)』

飛躍ではあらへんでぇ~。上のSanaさんとAdnanさんのエピソードを読めば分かるこっちゃぁ~。。。破局を迎えるような不幸な結婚生活を送っていた二人が、ネットの上ではお互いの中に“心の恋人”を感じていた。ふたりが、「広い愛」を持っていたなら、現実の世界で出合って相手の正体が分かったとしても離婚せずに、前向きに、素晴しい幸せな関係を築く事ができたのやがなぁ~。

そうでしょうか?

めれちゃんは、まだ分からないのんかぁ~?

イマイチですわ。

愛あらば
他の女性と関わるなかれ

そのひとと睦まじきを見て
われはきみより去る

めれんげ

あのなぁ~。。。めれちゃんがこういう気持ちになるのは「狭い愛」に固執しているからやでぇ~

デンマンさんは、「広い愛」、「狭い愛」と、何とかの一つ覚えのように、ゆうてはりますけれど、あたしにはイマイチ、よう分かりませんわぁ~。

だったらなぁ~、めれちゃんにも、すぐに分かる例えをここに書き出すから、読んでみィ~なぁ。

恋愛は、年頃の男女が肉体に

触発された心理現象?

音楽は、けっして、世界共通の言語などではない。
異なる時代にも亘る言語ですらなかった。
それでは、ヨーロッパ音楽の伝統とは、
そもそも、いったい何であったのだろうか。

小澤征爾が言っていたことであるが、彼が若い頃、
東洋人がヨーロッパの音楽をする意味、
可能性について問われたとき
(そういうことを聞く田舎者が
 世界のどこにもいるものである。)、
音楽は、世界の共通の言語であるからと、
(当たり障り無く)返事をしていたところが、近頃では、
何か自分が壮大な実験をしているのではないか、と思うようになってきたそうである。

壮大な実験、これは、彼だけのことではないであろう。
ようやく我々が西洋音楽を扱うことに関して
欧米(を超える)水準に達した今日の、この倦怠は何であろう。
かといっても、我々が邦楽に戻るなどとは、
一般的にいって、非現実的であり、できない相談である。
バスク語を話せ、と言われた方が、まだしも抵抗が少ないのではないか。

(中略)

いつだったか、小澤征爾と H.V.Karajanの指揮する M.Ravel の
“Bolero” を聞き比べたことがあった。
小澤の演奏は、英語で言う too square であったが、
Karajanのそれは、なんとも sexyで妖艶ですらあった。
フランス人でもないのに。
やはり、小澤のような指揮者でさえ日本人では及びがたいところが今なおある。

(中略)

わたしは、何々至上主義、といったものが嫌いである。
例えば、恋愛至上主義。
大体、恋愛感情などというものは、ある年頃の男女が肉体に触発された心理現象にすぎないのではないか。
そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。
長い間、生活を共にしていて、まだ互いにsexualityを感じたとしたならば、それは近親相姦に近くはないか。

J.S.Bach は、
前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、
私はここを書いていて、少し、困っているが。

芸術至上主義も同じ。
人生は芸術を演出する時空ではない。


pages 5 & 6 間奏曲集 (主題なき変奏) その2 
著者: 太田将宏 初版: 1994年1月 改定: 2006年6月


『お願い、骨まで愛して (2006年10月15日)』より

つまりね、太田さんが言おうとしていることは、芸術は芸術としてのみ命を持っているモノだということだと思いますよ。それを人生と同一視しようとすると問題がある。なぜなら、人生と芸術は本質的には人間が生み出すものという意味で同じようなものであるかもしれないけれど、現実には別物だと言うことでしょう。要するに芸術を至上と考えるのは行き過ぎではないのか?僕はそのように読み取ったのですよ。恋愛も至上と考えることは行き過ぎだと言いたいために、僕は引用したわけです。

それで、デンマンさんは何が言いたいのォ~?

太田さんは“恋愛感情などというものは、ある年頃の男女が肉体に触発された心理現象にすぎないのではないか”と考えている。つまり、恋愛感情を本能的で、欲情を満たすという意味で利己的で、生理的な欲求に刺激されるという意味で衝動的なモノとして考える人も居るのですよう。

。。。で、デンマンさんもそう思っているのォ~?

だから、めれんげさんが感じている「狭い愛」が、まさに太田さんが言おうとしている恋愛感情だと僕は思ったのですよう。

レンゲさんは、何と言ったのですか?

レンゲさんと僕は次のように話し合った事がある。読んでみてくださいね。

恋愛至上主義のレンゲさん

■ 『お願い、もう一度抱きしめて』

レンゲさんが書いた上の詩だって、愛の詩として鑑賞するから興味深いわけですよ。それを、いくら仲の良い夫婦だからといって、15年連れ添って、しかもレンゲさんが書いたような詩を妻が夫に向かって書くことは、まず考えられないだろうし、そういう夫婦が目の前でいちゃついているのを見たら、白けるというか、興ざめするというか。。。

でも、そういう御夫婦がいたとしたら、あたしはうらやましいですわ。

だから、レンゲさんのように考える人も居るわけですよ。そういう考え方が悪いと言っているわけじゃない。しかし、太田さんのように芸術至上主義、恋愛至上主義が嫌いで、受け付けたくない人も実際居るわけですよ。

デンマンさんは?

僕も、恋愛が至上だとは考えていませんよ。恋愛至上主義を実践している50才の夫婦が、目の前でいちゃついて、ベタベタ、ネチネチ抱き合ってキスしているのを見たら、白けますよ。

洋ちゃんがあたしの詩に興味を示さないのは恋愛を至上とは考えていないからだとおっしゃるのですか?

当然ですよ。レンゲさんだって、その程度のことは理解しているでしょう?清水君は“愛”を心で感じるタイプというよりも、太田さんのようにオツムで理解するタイプですよ。

デンマンさんもあたしの詩をオツムで理解しているのですか?

どちらかといえば、僕も“愛”をオツムで理解するタイプですよ。でも、レンゲさんの生い立ちや、レンゲさんの人格障害を理解しているから、僕にはレンゲさんの詩は特別ですよ。つまり、レンゲさんをもっと知りたいから、僕にとってレンゲさんの詩は、レンゲさんと同じぐらいに愛(いと)しいものですよ。でも、残念ながら清水君には、レンゲさんの詩がそのようなものとして感じ取れない。そういうわけで、レンゲさんは清水君とは“水と油”で心が通わないものだと思い込んでしまう。そういう時に“下つき”と言われたりするから、ますますレンゲさんは清水君との心理的な距離を感じてしまう。それが“見捨てられ感”と結びついてレンゲさんは清水君から離れてしまった。僕は、そのように見ているんですよ。

だから、あたしはデンマンさんとならうまくゆくんです。

それは、僕がレンゲさんと心の恋人としてうまくやろうとしているからですよ。

あたしだって、そう思ってデンマンさんとうまくやろうとしています。

でもね、レンゲさんは恋愛至上主義なんですよ。詩に書いてあることをそのまま現実化させようとする。僕が鼻の下を伸ばしてぇへらぇへら笑いながらレンゲさんを抱いたら、そのまま不倫になってしまう。


『お願い、骨まで愛して (2006年10月15日)』より

これに対して太田さんが次のようなコメントを書いてくれたんです。

恋愛、は否定しなくとも、

それを至上とするのは、

傍から見ていると、醜悪

Name: 太田将宏
Date: 2006/10/14 00:15

私は、“芸術”と人生は、緊張関係にあるのが、それぞれのあるべき姿であろう、と思っているだけです。
私の拙文でそれが伝わらなかったとしたならば、その責は、私にあります。
しかし、ただ頭で考えた結果ではない、ということは、文章全体で明らかではないでしょうか。

恋愛についても、すべて人の思いは、相対的であって、
何らの客観性のないのは、何のことはない、本能至上主義ではないですか。

恋愛、は否定しなくとも、それを至上とするのは、傍から見ていると、醜悪ではないですか。
これは、知的怠慢だ、と私は思います。

私も、H.v. Karajanの指揮、演奏する M. Ravelの“Borero”に
Erosを感じる感性は持っている上で書いているつもりですが。


『お願い、骨まで愛して (2006年10月15日)』より

僕はさっそく次のような返信を書きました。

レンゲさんの悲劇とは、

正に、レンゲさんが

変わらないところにある

Name: デンマン
Date: 2006/10/14 06:28

太田さん、コメントありがとう。
この記事に太田さんからコメントがもらえてうれしいですよ。
期待していませんでした。

> 私は、“芸術”と人生は、緊張関係にあるのが、
> それぞれのあるべき姿であろう、と思っているだけです。
> 私の拙文でそれが伝わらなかったとしたならば、
> その責は、私にあります。
> しかし、ただ頭で考えた結果ではない、
> ということは、文章全体で明らかではないでしょうか。

もちろん、僕は理解しているつもりですよ。(笑)

> 私も、H.v. Karajanの指揮、演奏するM. Ravelの
> “Borero”にErosを感じる感性は持っている上で
> 書いているつもりですが。

僕も太田さんの“感性”を“感じ”ていますよ。

> 恋愛についても、すべて人の思いは、相対的であって、
> 何らの客観性のないのは、何のことはない、
> 本能至上主義ではないですか。恋愛、は否定しなくとも、
> それを至上とするのは、傍から見ていると、
> 醜悪ではないですか。

その通りです。同感ですよ!

> これは、知的怠慢だ、と私は思います。

僕もそう思います。
実に同感です。

僕が“心で理解するタイプ”と“オツムで理解するタイプ”と言った事は。。。

> 恋愛についても、すべて人の思いは、相対的であって、

太田さんがこのように書いているように、結局、恋愛についてばかりではなく、思想だとか、人生観、。。。そう言ったもろもろの思考自体が、結局、突き詰めてしまえば“相対的”である、と言う事ではないでしょうか?

> しかし、ただ頭で考えた結果ではない、
> ということは、文章全体で明らかではないでしょうか。

その通りです。

ただし、僕の“オツム”で上の記事を書いたときに、太田さんが書いた上の文章の部分から、“相対的”に“オツムで理解するタイプ”と感じ取ったわけです。

太田さんの文章の受け止め方も、人によってまちまち、つまり相対的であり、他の人と比較した時に、太田さんが“心で理解するタイプ”なのか?それとも“オツムで理解するタイプ”なのか?

このことも極めて相対的な判断です。
当然のことながら、その受け止め方の違いで“誤解”が生じる事がある。

そして、その誤解は、このような形でコミュニケーションをとる事によって、より深い理解に到達する。僕は、そのように思っています。

誤解は人の世の常。
それをコミュニケーションんによって解決できないときに、
戦争が起こってしまう。

ちょっとこれは飛躍しすぎました。(爆笑)

> ただ頭で考えた結果ではない、

分かっています。

> “Borero”にErosを感じる感性は持っている上で
> 書いているつもりですが。

分かっているつもりですよ。(微笑)

とにかく太田さん、コメントありがとうございました。

ところで、夕べ間奏曲集のAribert Reimann を読みました。

34ページに次のように書いてありました。

"King Lear" の悲劇は、Lear一族の絶滅にあるのではない。
それは、人間とは、Learとは限らずに、変わらないものである、
という処にある。

この部分を読んでかなり考えさせられたのです。

なぜなら、レンゲさんのこれまでの恋愛の破綻を考える時に、
レンゲさんの悲劇とは、正に、レンゲさんが変わらないところにあるように思えたからです。

いずれにしても、間奏曲集を興味深く読ませてもらっていますよ。
日本から戻ったら、太田さんの作品を読んだ感想を元に記事を書きたいと思っています。

では。。。

また、気が向いたらコメントを書いてください。
ありがとうございました。


『お願い、骨まで愛して (2006年10月15日)』より

僕は愛を“オツムで理解するタイプ”が劣っていると書いたつもりではないんですよ。むしろ、冷静さを失わない点でオツムで愛を理解する事も必要だと思っている。レンゲさんが余りにも“心で感じ取る”ために、情に流されて無闇にお金を用立ててしまう。それはレンゲさんがオツムで理解するというよりも、心で理解するタイプだからだと僕は思ったわけですよ。

それで、レンゲさんもデンマンさんの“説教”に納得したのですか?

いや、レンゲさんは次の箇所でムカつきました。

レンゲさんのこれまでの恋愛の破綻を考える時に、
レンゲさんの悲劇とは、正に、レンゲさんが
変わらないところにあるように思えたからです。

レンゲさんは失敗に学んで変わろうとしている、と言った。

。。。で、レンゲさんは変わりました?

確かに変わりました。

その証拠でもあるのですか?

ありますよう。レンゲさんが書いた次の手記がレンゲさんの変貌を物語っています。

脳の発達しすぎた生物から生じる感情を、

美しいものだとは思わないのです。

2007-04-28 08:17

わたしの創作についても、そのことは言えるのです。
自分の書いたものは、どのようにも解釈していただくことも、まったく読者のみなさまの自由です。
しかしながら、完全なる戯作が多い恋愛詩から、わたしの精神が、性愛への渇望に悩まされているかのように、解釈されてしまい、それを事実として認識なさっておられるのだとすれば、少々残念なことです。

わたしのテーマは、あくまでも人生観,世界観であり、寓意的な言葉の中に、恋愛の陰喩はほとんどありません。
それは少女時代から今にいたるまで、性愛はわたしのテーマではないからなのです。
実生活での最大の関心事が、恋愛ではないからです。

例えば、どれほど好きな相手がいても、その気持ちを,詩にあらわすことはほとんどないのです。

人間とは、脳の発達しすぎた生物にすぎず、そのために生じる感情を、美しいものだとは思わないのです。

わたしが特に、追求したいものは、血なまぐさい生命の持つ、発達しすぎた頭脳が引き起こす醜い事件、戦争、葛藤などなのです。

わたしはロマンチストではないのだと思います。
恋愛を描くのは、あくまでも小説のための習作の延長なのです。

話がそれてしまって申し訳ありません。
デンマンさんを信じて、これからもおつきあいさせていただきたいことを、わかっていただきたくて、忌憚なく書かせていただきました。
どうか、この気持ちを察してください。

by レンゲ


『性愛と真心 (2007年5月11日)』より

人間とは、脳の発達しすぎた生物にすぎず、そのために生じる感情の中に「狭い愛」が含まれていると言う事がレンゲさんにも理解できるようになったのですよう。そして、そういう利己的で独占的で衝動的な愛を、美しいものだとは思わなくなったのですよう。

あたしは、まだその事に気づいていないとデンマンさんは言うのォ~?

いや、めれんげさんもオツムでは分かっています。でも、感情的にまだ「広い愛」を受け入れる事ができないだけですよう。

デンマンさんは、あたしがレンゲさんよりも劣っていると思っているのですわね?

違います。レンゲさんにはレンゲさんの素晴しさがあり。めれんげさんには、めれんげさんの素晴しさがあるのですよう。

それは、あたしとレンゲさんの二人を愛するためのデンマンさんの口実ですわ。

あのねぇ~。。。「広い愛」とは、そう言うものですよう。つまり、人間は不完全だけれど、誰もが50の短所と50の長所を持っている。僕はレンゲさんの50の長所と、めれんげさんの50の長所を愛しているのですよう。

つまり、地球上の60億人の長所を愛すると言うことですか?

もちろん、そんな事ができる訳がない。不可能ですよう。でも、縁があって僕はめれんげさんと知り合う事になった。この、縁があって、と言うところが重要ですよう。地球上の60億の人間と付き合えるわけがない!めれんげさんと出会い、めれんげさんの素晴しさに惹かれたのですよう。だから、この愛を大切にしているのですう。でも、めれんげさんは「狭い愛」に固執している。それで、僕に対してレンゲさんに感じている愛を捨てろと言う。それは、「広い愛」に反する行為ですよう。

つまり、浮気をしてもイイとデンマンさんは言うのォ~?

あのねぇ~、浮気は男女関係の破綻の原因になる遊びですよう。「広い愛」というのは、人間としてお互いに尊重し合い、尊敬し合い、お互いの欠点を認め合い、許し合う事ができ本当の愛の事ですよう。

理屈ですわ。

分かりました。じゃあねぇ~、僕はめれんげさんの感性に訴えようと思います。「広い愛」で、めれちゃんとの永久(とわ)の絆のために短歌を読みますう~。今夜、じっくりと味わってねぇ~。

嗚呼、恋し

きみの面影

慕いつつ

とわの思いで

きみを抱(いだ)きつ

【レンゲの独り言】

ですってぇ~。。。
あなたも、白けるでしょう?
あたしも、実は、白けているのですわ。うふふふふ。。。
たぶん、めれんげさんも白けていると思いますう。

仕方がありませんよね。
デンマンさんは、思い込みの激しい方ですから。。。
何が何でも、自分の言うことを押し通す方ですわ。
デンマンさんとのお付き合いも、かれこれ丸5年になりますから、
あたしも、デンマンさんの性格の全貌をつかみ始めています。

でも、まだ、つかみきれない部分がたくさんありますわ。
得体の知れない方だと思うこともしばしばです。

とにかく、興味深いお話がまだ続きます。
あなたもどうか、また、あさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。

メチャ面白い、

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こんにちはジューンです。

愛と恋の定義は易しいようで

難しいですよね。

日本には“愛(いと)しい”とか

“恋しい”という言葉は昔から

ありましたけれど、

“愛(あい)する”、つまり、

英語圏でしばしば使われる

I love you. という言い方は

明治時代の文明開化の時に

イギリスからその概念“love(愛)”

を輸入したそうです。

だから、今でも愛を告白する時に、

日本人の男性は

次のように言うと思います。

「僕は君が好きだよ」

「僕はきみに惚れてしまったんだ」

「僕はきみに恋してしまったようだよう」

デンマンさんに尋ねたら、日本で暮らしている頃、

女性に対して「好きだ」と言ったことはあるけれど、

「愛している」といった事は一度もなかったそうです。

あなたはどうですか?

ところで、デンマンさんがレンゲさんの記事を集めて

一つにまとめました。

もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、

次のリンクをクリックしてくださいね。

■ 『最近のレンゲ物語 特集』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


 





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