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昇華とカタルシス
2009年5月10日

レンゲなら、こういう下着で

勝負しますよ。

投稿日時: 2004-09-08 16:55

ずばり!Dを選びます!
レンゲなら、こういう下着で
勝負しますよ。
意外ですか?
思ったとおりですか?

それはそうと、上記の会話には
なかなかリアリティがあると思いました。
かわす言葉もそうですが、
わたしは、寂しがりやのくせに、
束縛やしがらみを
死ぬほど嫌っています。
一匹狼ですよね?

野心家というのも、大当たりです。
ひとたび、野心が芽生えたら、
自分を満足させるために、
異常なほどの努力をします。
なので、これまでの
仕事上での評価は、
おおむね高かったと、感じています。

今は、何もかもが過ぎ去って、
廃人のような生活をしていますが。

結局何事においても、
極端から極端へ走ってしまうんです。
グレーゾーンのない人間なのです。

by レンゲ


『萌え萌えでも過激ではないわ』より
 (2007年7月28日)

デンマンさんは、あたしが書いたものならば何でも、マジで保存しておくのですわね!?

そうですよう。いつも言っているでしょう。レンゲさんの書いたものは、レンゲさんが愛(いと)しいように愛しいものだと。。。うしししし。。。

なんだかキモいですわ。

あのねぇ~、レンゲさんが書いたものがないと『レンゲ物語』にならないのですよう。だから僕はレンゲさんの書いたものを大切に保存しているのですよう。

でも、これって5年も前に書いたものですわぁ~。

そうですよう。レンゲさんとの付き合いも5年になるという事ですよう。。。どうですか?。。。上の手記も、しばらくぶりに読んでみると懐かしいでしょう。

それで、あたしが黒い“ひもパン”を選んだことがロマンチストと関係あるのですか?

そうですよう。ゴスロリの黒パンツは、レンゲさんがブチ切れる時に穿くものという印象を僕は持っていたのですよう。レンゲさんがムカついた時に書いた次の手記を見ると良く分かるのですよう。

オマエと対話しないのは、

わたしはオマエが嫌いやからです。

2005/01/09 08:56 編集 返信

オマエに暴言吐かれてバカにされて憶測でわたしを非難した。
オマエのコロコロ変わる態度も不安感を与えてるんや、
今は耳障りのいい言葉を使ってるけど、
いつお気に召さないことがあって
コテンパンにやられるかって不安な相手と付き合いたかないやろ。

オマエと対話するって事は、
一か八かのバクチみたいなもんや。
わたしはおべんちゃら言う気はないからな。

でもオマエは自分の周りに、
耳ざわりのいい事ばかり言ってくれる
おべんちゃらの上手な、
オマエの思い通りになる、
ふぬけばっかり集めたいんやろ?
太鼓もちみたいな人間、
それでいて対話してて手応えのある
知性も兼ね備えた人材がほしいんとちゃうか?

甘いな。
そんなヤツおらへんわ。

頭のいいヤツは、そんなバカげた輪の中には、はいらへん。
入ってもすぐ気付いてどっかいってまうわ。
残ってるのは、かしこくない・気がついてない人間とちゃうか?

それに、何も裏づけもないのに、
わたしの事決め付けて余計なこと書くのもやめや。

オマエ、わたしに対話を申しこんでるんやろ?
あんだけクソミソに書かれて、
オマエのことなんか考えたくなくなるんちゃうん。
普通の神経やったらな。

あいかわらずの北風さんやな。
上着ぜったいぬがへんわ。
オマエの価値観、人に押し付けて洗脳でもしたいん?
オマエのせいで、「精神的な苦痛」を与えられ続けてるの、わかる?

告訴したろか?
さっきの不法アクセスの事も含めて。

by レンゲ


『ゴスロリと黒パンツ (2009年5月6日)』より

レンゲさんは、このようにムカついていたけれど、勝負のパンツとして黒い“ひもパン”を選んだ事もあったのですよう。

■ 『ゴスロリと黒パンツ (2009年5月6日)』

上の記事の中でA子さんは、ひもパンの時には清純なピンクで大胆に迫るのよう、と言っていたけれど、レンゲさんは、ひもパンの時にはセクシーな黒で大胆に迫るのですよねぇ~。。。うしししし。。。

だから、あたしがロマンチストだとおっしゃるのですか?

A子さんは、ヨレヨレになった勝負の下着も捨てないで保存しておくのですよう。。。なぜ、保存しておくのか?。。。それは、ヨレヨレになった下着にもA子さんの夢とロマンが染み付いている。だから、捨てがたい。

あたしも、ヨレヨレになった“ひもパン”を取り出して、しみじみと眺めながら夢とロマンを偲(しの)んでいるとデンマンさんは思っているのですか? 

違うのですか?

あたしはA子さんのように、それほど勝負の下着にこだわっていませんわ。

それでもレンゲさんはロマンチストなのですよう。

どうしてですか?

なぜなら、もしレンゲさんが現実主義者だとしたら、ゴスロリの黒パンツを穿いてブチ切れた時に、すべては終わっていたはずなのですよう。

つまり、デンマンさんと仲直りはできなかったと。。。?

そうですよう。。。おそらく、この記事を読む100人に95人までが、ブチ切れた時にレンゲさんが書いた上の手記と、“デンマンさんを信じて、これからもおつきあいさせていただきたいことを、わかっていただきたくて、忌憚なく書かせていただきました”と書いた次の手記を、同一人物が書いたとは思いませんよう。

脳の発達しすぎた生物から生じる感情を、

美しいものだとは思わないのです。

2007-04-28 08:17

わたしの創作についても、そのことは言えるのです。
自分の書いたものは、どのようにも解釈していただくことも、まったく読者のみなさまの自由です。
しかしながら、完全なる戯作が多い恋愛詩から、わたしの精神が、性愛への渇望に悩まされているかのように、解釈されてしまい、それを事実として認識なさっておられるのだとすれば、少々残念なことです。

わたしのテーマは、あくまでも人生観,世界観であり、寓意的な言葉の中に、恋愛の陰喩はほとんどありません。
それは少女時代から今にいたるまで、性愛はわたしのテーマではないからなのです。
実生活での最大の関心事が、恋愛ではないからです。

例えば、どれほど好きな相手がいても、その気持ちを,詩にあらわすことはほとんどないのです。

人間とは、脳の発達しすぎた生物にすぎず、そのために生じる感情を、美しいものだとは思わないのです。

わたしが特に、追求したいものは、血なまぐさい生命の持つ、発達しすぎた頭脳が引き起こす醜い事件、戦争、葛藤などなのです。

わたしはロマンチストではないのだと思います。
恋愛を描くのは、あくまでも小説のための習作の延長なのです。

話がそれてしまって申し訳ありません。
デンマンさんを信じて、これからもおつきあいさせていただきたいことを、わかっていただきたくて、忌憚なく書かせていただきました。
どうか、この気持ちを察してください。

by レンゲ


『性愛と真心』より
(2007年5月11日)

上の2つの手記は間違いなくあたしが書いたものですわ。

そうですよう。でもねぇ、それを信じることができるのはロマンチストだけです。レンゲさんもロマンチストだから、2つの全く別人が書いたような手記を書くことができたのですよう。現実主義者で、夢とロマンを信じない人にはそのような事はできません。

なぜですか?

江戸川乱歩も、そのように言ってましたよう。

つまり、乱歩先生が言ったので、デンマンさんも信じたのですか?

違いますよう。レンゲさんが乱歩先生の熱烈なファンだから、乱歩先生がそうだと言えば、素直に納得すると思ったのですよう。

でも、あたしは乱歩先生がそのように書いていたのを読んだことがありませんわ。

だったら、証拠を見せましょう。乱歩先生は次のように書いていたのですよう。    

芸術とカタルシス

江戸川乱歩(左)と三島由紀夫

古代ギリシャの残酷このうえもない血なまぐさい運命悲劇が、いかにして最上の詩であり、なにゆえにあの大観衆を引きつけたのか、アリストテレスの「詩学」は、これを「カタルシス」によって説明した。
肉体の健康を保つためには、無用の体液のカタルシスを行わなければならないと同じ理由によって、魂の健康を保つためには、心に巣くう、非道徳的な情緒(じょうちょ)のカタルシスが必要である。
あの無残なギリシャ悲劇が呼び起こす悲痛と恐怖とは、観衆の心から、それらの実生活上の無用の情緒を、洗い流す作用をなすものだ。というのがアリストテレスの美学であった。

犯罪という観念のはるかなる前身が、トーテムやタブーであったとしても、さらにさかのぼった原始人類に、それらの観念が存在したとは考えられぬ。
犯罪とは人間社会生活が作り出した人為的なものであって、その長年月にわたる禁圧によって泥棒や人殺しの原始的本能は正常人の心の表から影をひそめたとはいえ、決して亡びてしまったのではない。
どんな道徳的な人の心にも少なくとも潜在的には、それらのいわゆる犯罪本能が、根強く巣くっている。
精神分析学の言い回しを借りるならば、その人が実生活上、道徳的であればあるだけ、この忌(いま)わしい潜在願望はいっそう強烈なのだ。

したがって、意識下にそのような反社会的願望を蔵する人類が、その心の健全を保つためには、上述のアリストテレスの「カタルシス」が必要であり、我々は無意識にそれを求めているのだと考える事ができる。
この意味で、ギリシャ悲劇以来今日に至るまでどの時代の文学も、犯罪と絶縁できなかったのは、少しも不思議とするに足らぬ。これは(無用の情緒のカタルシスは)人類にとって、その社会生活上、むしろ欠くべからざる欲求であったのだ。

精神分析学の発見したところによると、ヒステリーその他の神経的疾患(しっかん)の大部分は、かくのごとき反社会的願望の抑圧が原因となっている。
精神分析療法は、一口に言えば、意識下に抑圧し切れなくなった過剰願望の「カタルシス」である。
この場合カタルシスは、分析者が患者自身の口から、その密(ひそ)かなる願望を詳細に物語らせ、心理的抑圧を解放することによって行われる。
夢が同じ意味で「カタルシス」である。
そして、芸術もまた、別の意味での夢として「カタルシス」の作用を行うのだ。


pp.113-114
「探偵小説とカタルシス」より
『江戸川乱歩全集 第25巻 鬼の言葉』
監修: 新保博久・山前譲
2005年2月20日 初版1刷発行
発行所: 株式会社 光文社

カタルシス

ギリシャ語 katharsis=浄化

1) 劇、特に悲劇を見ることによって
   日ごろのストレスを解消し、
   さっぱりした感じになること。

2) 自己の直面する苦悩などを表出する事によって
   コンプレックスを解消すること。

三省堂 「新明解国語辞典 (第2版)」より

このカタルシスがロマンチストと関係あるのですか?

ありますよう。

どのように。。。?

実生活上の無用の情緒を、洗い流す作用と乱歩先生は書いている。つまり、三省堂の国語辞典に書いてある「浄化」にあたるわけですよう。

あたしが上の手記を書くことによって実生活上の無用の情緒を洗い流したと、デンマンさんはおっしゃるのですか?

そうですよう。ムカついた感情をいつまでも体の内に貯めておく事は良くないのですよう。

ムカついた感情をいつまでも溜めておくとどうなるのですか?

めれんげさんのように爆発するのですよう。

バカバカしい

テーマ: ヲチヲチヲチ~♪

ああ。バカバカしい。

男女の愛が、閉鎖的であるのは当然だ。
それを、狭いなどと、何をぬかしているのか。
人間愛と、男女の愛をいっしょくたにしているアナタは、
本音を語っているのなら、一生誰とも
愛を語れないだろう。

それとも、ただのエロなのか?

もう、バカバカしくて、相手にもしたくない。
そんな低能な方と、かかわっていると、
こちらまで、悪影響をうけてしまいますので。

posted by merange

2009-03-08 18:48:47


『バカバカしい (2009年3月8日)』より

『雨降って仲直り?(2009年4月6日)』に掲載

めれんげさんがヒステリーを起こしたとデンマンさんはおっしゃるのですか?

そうですよう。江戸川乱歩が書いていた通りですよう。

精神分析学の発見したところによると、

ヒステリーその他の神経的疾患(しっかん)の大部分は、

かくのごとき反社会的願望の抑圧が原因となっている。

精神分析療法は、一口に言えば、

意識下に抑圧し切れなくなった過剰願望の「カタルシス」である。

この場合カタルシスは、分析者が患者自身の口から、

その密(ひそ)かなる願望を詳細に物語らせ、

心理的抑圧を解放することによって行われる。

夢が同じ意味で「カタルシス」である。

そして、芸術もまた、別の意味での夢として

「カタルシス」の作用を行うのだ。

めれんげさんがネットの世界で短歌や詩の形を借りて感情を爆発させたのは一体なんだったのか?

何ですの?

江戸川乱歩が書いたように、それは正に“意識下に抑圧し切れなくなった過剰願望の「カタルシス」”ですよう。 つまり、「見捨てられ感」、「嫉妬」、「憎悪」、「デンマンに対する殺意」、。。。そう言う、もろもろの反社会的感情をめれんげさんは爆発させたのですよう。

カタルシス

ギリシャ語 katharsis=浄化

1) 劇、特に悲劇を見ることによって
   日ごろのストレスを解消し、
   さっぱりした感じになること。

三省堂 「新明解国語辞典 (第2版)」より

分かるでしょう?!。。。反社会的感情を爆発させて、めれんげさんは、さっぱりした気分になったのですよう。

それで。。。?

さっぱりしたから、現在は知的な熟女に戻ったのです。。。めれんげさんは冷静になると、理知的な女になれるのです。そうやって、冷静になってから書いたのが次の手記ですよう。

ひでさん。コメントありがとうございます!

このブログは、フィクションですので、
怒ったり、恋したり、
いろいろと忙しいのです

その中で読むかたが、何かを感じてもらえれば
とてもうれしいです!
これからも、よろしくお願いしますね♪

by めれんげ

2009/03/19 10:33 AM


『即興の詩 春に恋して』のコメント欄より

『愛の虚構 (2009年3月23日)』に掲載。

この文章がそれ程、理知的なのですか?

知性がないと書けません。

そうでしょうか?

精神分析療法は、一口に言えば、

意識下に抑圧し切れなくなった過剰願望の「カタルシス」である。

この場合カタルシスは、分析者が患者自身の口から、

その密(ひそ)かなる願望を詳細に物語らせ、

心理的抑圧を解放することによって行われる。

夢が同じ意味で「カタルシス」である。

そして、芸術もまた、別の意味での夢として

「カタルシス」の作用を行うのだ。

めれんげさんは“芸術もまた、「カタルシス」の作用を行う”と言うことをちゃんと知っているのですよう。

そうでしょうか?

なぜなら、めれんげさんも人生が戯作だと言うことを感づいている。

どうしてデンマンさんには分かるのですか?

めれんげさんは次のように書いていたからですよう。

このブログは、フィクションですので、

怒ったり、恋したり、

いろいろと忙しいのです

じゃあ。。。もしかして。。。あたしがムカついて書いた手記もデンマンさんは半ば滑稽だと思って読んだのですか?

うしししし。。。まあ。。。そうですよう。。。でもねぇ、滑稽に見えて笑えるのだけれど、文学の素養がある人。。。人生経験が豊かな人には、その戯作の中にも真実が見えてくる。

どう言うことですか?

つまり、人生は積み木のようなものなのですよう。。。積み木を高く積み上げてゆく。。。でもねぇ、もろいものですよう。。。ちょうど、積み木のピラミッドみたいなものですよう。。。高く積むことはできるけれど、ちょっと触っただけでも、すぐに崩れてしまう事もある。

それで。。。?

そのように崩れやすいものだけれど、人生の積み木は、高く積み上げてゆくほかにない。

どうしてぇ~。。。?

そうでないと高みから人生を見つめる事ができない。山だって、高い山に登れば上るほど見晴らしがイイでしょう?

でも、どうして高みから人生を見つめる必要があるのですか?

なぜなら、高みから見ると見えないものが見えてくる。

たとえば。。。?

めれんげさんは、次のように書いた。

男女の愛が、閉鎖的であるのは当然だ。

しかし、男女の愛は決して閉鎖的なものじゃない。

更衣 (こうい)

更衣とは、天皇の后妃の身位・称号の一つ。
多くは四位・五位の女性が更衣の位を賜った。
『弘仁式』の逸文によれば、皇后・妃・夫人・嬪・女御の下位に位置する。

更衣は、天皇の側室のうちでは身分が一番低い。。。2号さんどころか、6号さんですよう。

どうして急に更衣を持ち出したのですか?

小野小町が更衣だったのですよう。

わびぬれば 身を浮く草の 根を絶えて

さそう水あれば いなむとぞ思う

小野小町

根無し草のように、フワフワと目的もなく

生き甲斐のない日々を過ごしております。

お誘い下さればともに行きたい心境です。

小野小町は天皇と愛し合うほどの女性だったけれども根無し草のような生活を送っていた。

どうして。。。?

閉鎖された狭い天上人(てんじょうびと)の世界の中で、小野小町は閉鎖された男女の「狭い愛」に生きていた。。。それで、もう窒息しそうになっていた。

つまり、小野小町は身分の低い文屋康秀(ふんやのやすひで)との歌の交換を通して「広い愛」に悦びを見出していたと、デンマンさんはおっしゃるのですか?

そうですよう。。。小野小町は、康秀との歌の交換に生きがいを見出していたのです。。。ちょうど、めれんげさんと僕が短歌の交換をしているように。。。うしししし。。。

つまり、小町は歌の交換を通じて夢とロマンの人生を歩もうとしていたと、デンマンさんはおっしゃるのですか?

そうですよう!

それで。。。あのォ~。。。デンマンさんが言う“積み木”って、いったい何ですのォ~?

だから、その一つ一つの積み木が大切な人に当たる訳ですよう。

つまり、デンマンさんの積み木の山は卑弥子さん、ジューンさん、ジュンコさん、ベティーさん、シャロンさん、小百合さん、安子さん、めれんげさん。。。そういう人たちでできているとおっしゃるのですか?

そうですよう。。。大切な人が多ければ多いほど人生の積み木の山が高くなる。それで、大切な人との付き合いを通して見えないものが見えてきて、人生が豊かになる。

めれんげさんには、その積み木の山がほとんど無いとデンマンさんはおっしゃるのですか?

その通りですよう。

愛あらば

他の女性と関わるなかれ

そのひとと睦まじきを見て

われはきみより去る

このようなことを言っていたら、大切な人は増えてゆかないでしょう!。。。めれんげさんの場合には、大切な人を取り替えてゆくのですよう。

つまり、いつになっても積み木のピラミッドができないと言うことですか?。。。高みから人生を見ることができないと言うことですか?

その通りですよう。

。。。で、デンマンさんはタイトルに「昇華」と書いていますけれど、どういう意味なのですか?

乱歩先生は次のように書いていました。

昇華作用

犯罪を、すなわち人類の反社会的願望そのものを、重大な要素とする探偵小説ないし犯罪文学が、いかなる文学にもまして「カタルシス」の作用を営(いとな)むことは、容易に理解できると思う。
あえて犯罪を実行しえる反社会的の性格には、犯罪本能の鬱積(うっせき)もなく、そのカタルシスも必要でない。
したがって、実生活上の犯罪者と探偵小説とは、この意味では、全く無縁であるが、これに反して、正常なる社会生活を営む人々、犯罪に臆病な人々にとってこそ、カタルシスは欠くべからざるものであって、探偵小説はそのカタルシスの最も有力な手段の一つだとも言いえる。

一方作者の側から考えても、探偵小説ないし犯罪文学の創作は、同じように一種のカタルシスに相違ないが、もっと適切な言葉を探すならば、犯罪本能の抑圧を創作と言う一つの行動に転化する意味で、精神分析学のいわゆる「昇華(しょうか)作用」が行われるのだと考えても差し支えない。
すなわち、作者は犯罪に対して臆病であればこそ、また実生活上の反社会的行為を抑圧するが故にこそ、創作と言う昇華を、あるいはカタルシスを求めるのであって、世の多くの探偵作者が、意外なお人好しである理由も、これによって説明できるのではないかと思う。


pp.114-115
「探偵小説とカタルシス」より
『江戸川乱歩全集 第25巻 鬼の言葉』
監修: 新保博久・山前譲
2005年2月20日 初版1刷発行
発行所: 株式会社 光文社

つまり、カタルシスと言うのは、実生活上の無用の情緒を洗い流す作用なのですよう。でもねぇ、「昇華作用」とは、洗い流すだけではなく、その無用の情緒を芸術的に価値ある物、作品に転化することですよう。

具体的には。。。?

めれんげさんは今年の2月になると、不幸を感じ始めていたのですよう。。。長い間、「見捨てられ感」は思い過ごしだと、めれんげさんは自分に言い聞かせていたのだけれど、どうしても、見過ごす事ができないようになってしまった。でも、まだ感情をむき出しにはしていない。ムカつく感情を芸術的に価値あるモノ、めれんげさんの場合には短歌として次のように転化したのですよう。

裏切りはやさしく    

   

うらぎりは

やさしい言葉で

つつまれて

それがわたしを

深く傷つける  

 

by めれんげ  

2009.02.12 Thursday 13:39


『即興の詩 裏切りはやさしく』より

どうですか?単なる感情の爆発ではないでしょう!言葉の選び方だとか、感情の抑圧の仕方。。。、そう言う所に、むしろ、芸術作品という印象を受けますよう。

分かりましたわ。それで、お話しの初めに戻りますけれど、どうして、あたしはロマンチストなのですか?

乱歩先生は次のようにも書いているのですよう。

ロマンチシズムの文学の妙味は、

現実の不可能を紙上に

可能化するところにある

思想的にも芸術的にも、人の性格を相(あい)対立する大きな二つの性格に分けることができると思われる。
必然論者と偶然論者である。
これを違った言葉で言えば、ある意味で唯物論者と唯心論者である。
不可知に無関心な心と、不可知を恐れむしろそれに憧れる心である。現実家と詩人である。
ナチュラリスト(あるいはリアリスト)とロマンチストである。

 (中略)

偶然論とは反対の立場にあるどのような自然主義文学者でも、彼が記録的歴史家ではなくて文学者を選んだところに、偶然論者の風貌が窺(うかが)えると思うし、また同じく反対の立場にあるマルキシズム文学者が、現実の闘士ではなくて文学の上の闘士を選んだところに、その役割を引き受けなければならなかったところに、彼のロマンチストの風貌がほの見えるのだと思う。
私はこの頃、「文学の非現実性」ということを考えている。
文字そのものに現実世界とは別の世界を感じるのである。
文字というものは、音表文字にせよ、象形文字にせよ、その属性として「夢」を持っているのではないだろうか。

 (中略)

探偵小説は本来ナチュラリズムの文学ではなくて、ロマンチシズムの文学であるということである。
探偵小説は「必然」の文学ではなくて「偶然」の文学であり、「可能」の文学ではなくて「不可能」の文学であるということである。(ここに不可能説が関連してくる。)

 (中略)

ロマンチシズムの文学といえども別の意味のリアリティを持っていなければならないことは分かりきっている。
私の「可能化」「現実化」「迫真性」等の言葉は、すなわちそういうリアリゼーションを意味したのである。
その作り話にいかほど迫真性を感じさせ得るかという点に、探偵作家の優劣がかかっている。
これは無論非常にむつかしいことだけれど、理想はそこにあると思う。
ここに広い意味の不可能説が成り立つ。
前に列挙した後者の傾向に属する(ロマンチシズムの)文学の妙味は、現実の不可能を紙上に可能化するところにある
探偵小説はそういう文学の一種と考えて差し支えないと思う。
(いつか不可能を可能にするという命題は成り立たないという説があった。
それは分かりきった話である。
私はそういう分かり切ったことをいっているのではない。)

 (中略)

不可能の可能化という表現が一般に不適切なれば、非現実の現実化といっても言い。
その最も極端な実例は(エドガー・アラン)ポオやホフマンの短編である。
ポオのどの短編一つ取ってみても、不可能の可能化、非現実の現実化に興味を持ち、それに努力していないものはない
ポオやホフマンでは極端だというなら、手当たり次第に例えばゴーゴリーを挙げてもいい。
チェホフを挙げてもいい。
ハーディでさえ挙げてもいい。
近頃ではジョイスでも、プルーストでも、ローレンスでもハックスリでもお望み次第である。
ドフトエフスキイも無論そういう風に考えられるし、ジイドだってそうである。


pp.523-530
「不可能説に関連して」より
『江戸川乱歩全集 第25巻 鬼の言葉』
監修: 新保博久・山前譲
2005年2月20日 初版1刷発行
発行所: 株式会社 光文社

ずいぶん長い引用になりましたわね?

だったら、僕が説明しなくてもレンゲさんには分かったでしょう?

いいえ、あまり長すぎて要点が分かりませんわ。

あのねぇ~、乱歩先生は、ロマンチシズムの文学の妙味は、現実の不可能を紙上に可能化するところにある、と言っているのですよう。

だから。。。?

だから、レンゲさんは間違いなくロマンチストなのですよう。

どうして。。。?

どうしてってぇ。。。あのねぇ~、レンゲさんはムカついて僕に絶交状を突きつけたのですよう。

告訴したろか?

さっきの不法アクセスの事も含めて。

こんな事まで書いている。これを書いたのが2005年1月9日。それから、2年後の2007年4月28日には、

デンマンさんを信じて、

これからもおつきあいさせていただきたいことを、

わかっていただきたくて、

忌憚なく書かせていただきました。

このように書いている。おそらく、レンゲさんと僕以外の人にとって、これは現実世界でもロマンチシズムの文学の世界でも不可能な事ですよう。

そうでしょうか?

そうですよう!

“真実は小説より奇なり”

事実、レンゲさんと僕が仲直りできたことは、この上の一言に尽きるのですよう。

それで、あたしは現実世界で「不可能」を「可能化」したのでロマンチストなのですか?

そうですよう。超ロマンチストですよう。うしししし。。。

 

【レンゲの独り言】

ですってぇ~。。。
また、デンマンさんのお得意ですわ。
理屈を捏ねくり回していますう。
でも、結構、説得力がありましたわ。
あなたは、どう思いますか?

とにかく、面白い話がまだ続きますう。
あなたもどうか、また、あさって読みに戻ってきてくださいね。
では。。。

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

“ロマンチシズムの文学の妙味は、

現実の不可能を紙上に

可能化するところにある”

確かにその通りですよね。

それにしても、デンマンさんは、

あちらこちらから、もっともらしい文章を引用して、

理屈でレンゲさんを丸め込もうとしています。

その手法には、乱歩先生も

ビックリするのではないでしょうか?

ところで、英語の面白い話をまとめました。

興味があったら、

次のリンクをクリックして

読んでくださいね。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

■ 『性の俗説 (2008年3月4日)』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


 





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