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議論できる人、
できない人 by デンマン & レンゲ
2009年5月28日
めれんげさん、はじめまして。 2月12日の記事(裏切りはやさしく)で、 インターネットを利用して、差別用語を書くことは、 発言された方は、ご年配の方なのでしょうか。 言葉狩りをするつもりはありませんが、 めれんげさんは、当該の発言者を野放しにせず、 長文失礼いたしました。 なつみ 2009/04/14 3:56 PM 『即興の詩 青空』のコメント欄より
デンマンさん。。。また、なつみさんのコメントを持ち出したのですか?
いけませんか?うへへへへ。。。 なつみさんのコメントが今日のタイトルと関係あるのですか? ありますよう。大いに関係ありますよう。 どのように。。。? 僕にとって議論できない人と言うのは、まさに「なつみ」に成りすました漢字馬鹿のような人間ですよう。 漢字馬鹿さんとは議論になりませんか? 議論するだけ時間の無駄です。 どうしてですか? 2ちゃんねるに居るような気持ちで議論する人を僕は信用できないのですよう。 どうして。。。? だってぇ、漢字馬鹿が「アザイゲ」に成りすまして書いた次のコメントを読んでくださいよう。
頭は固いがチ○コは柔い粘着自演ジジイなんか相手にするなよ。 言いたい事があるなら レンゲのフォーラムに来るんだYO!! って言われんぞ。 アザイゲ 2009/04/14 4:15 PM 『即興の詩 青空』のコメント欄より 上の「アザイゲ」も「なつみ」も漢字馬鹿が成りすまして書いたのですよう。 マジで。。。? もちろんですよう。 僕のことを次のように書いている。 頭は固いがチ○コは柔い粘着自演ジジイ 漢字馬鹿さんは“ネットのイジメ”をしているつもりなのですか? その通りですよう。この愚か者の“ネットのイジメ”について知りたい人は次の記事を読んでみてください。 「なつみ」さんは次のように書いていますよね。 言葉狩りをするつもりはありませんが、
他人(めれんげさん)のブログに、
コメントするのであれば、
最低限のマナーと常識を持つのが
当然だと考えます。 そうですよう。そのような事を書いておきながら、めれんげさんのサイトに次のように書く。 頭は固いがチ○コは柔い でも、「アザイゲ」も「なつみ」も本当に漢字馬鹿さんが成りすましているのですか? 信用できないのならば、めれんげさんの『即興の詩』サイトへ行ってコメントを見てください。 ■ 『即興の詩』 めれんげさんのサイトのコメントを見て何が分かるのですか? 4月15日に『青空』という短歌にコメントを書いたのを最後に、ピタッとコメントを書くのをやめましたよう。 どうしてですか? 自分の愚かさにやっと気づいたのですよう。 愚かさって。。。? 漢字馬鹿はかつて2ちゃんねるで次のように書いていたのですよう。
54 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :
2005/06/04(土) 14:47:51 ID:Hw/3q6yV しかし漏れは不思議なんだが・・・ 56 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :sage : >>54 「Feces of Gold」はソーシャルネットのFC2Nでバークレーの追い出ししてたメンバーの一人の名前だけど、 57 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :sage : >>56 転載ではないよ。 58 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :sage : >>57
そっか。実は私が「Feces of Gold」でし。(>>56のカキコも私) 2ちゃんねる 58番を書いたのが漢字馬鹿です。つまり、『レンゲのフォーラム』ではアクセス解析されているのでコメントを書いたら漢字馬鹿だということがすぐにバレてしまうのですよう。 それで、漢字馬鹿さんはデンマンさんのサイトにはコメントを書かずに、めれんげさんのサイトにコメントを書いたのですか? そうなのですよう。ところが、めれんげさんは有能なシステムエンジニアなのですよう。漢字馬鹿よりも、コンピューターのことやネットのことに詳しい。その事を愚か者は知らなかった。漢字馬鹿は“メンヘルの女”として、めれんげさんを馬鹿にしていたのですよう。 “敵を知り己を知れば百戦危うからず” つまり、漢字馬鹿は自分も知らなければ、めれんげさんの事も知らない。このような愚か者だから、「アザイゲ」に成りすましたことも、「なつみ」に成りすましたことも、見え見えになってしまったのですよう。 じゃあ、漢字馬鹿さんは、めれんげさんのサイトに、もうコメントを書かないのですか? IP アドレスを変えて、そのうち書きますよう。見ていてください。 でも、デンマンさんには漢字馬鹿さんだと特定できるのですか? できます。 マジで。。。? その時には、また記事を書きますよう。うしししし。。。 つまり、漢字馬鹿さんが何をしても、漢字馬鹿さんだと分かってしまうのですか? そうですよう! “敵を知り己を知れば百戦危うからず” 僕は自慢するわけではありませんが、漢字馬鹿のことも、漢字馬鹿が知らない事まで知っているし、もちろん、僕自身の能力や限界も知っているつもりです。だから、漢字馬鹿と面と向かっても、つまり、百戦しても99戦まで安心して居られるのですよう。 分かりましたわ。漢字馬鹿さんがめれんげさんのサイトにコメントを書くのを楽しみにしていますわ。。。それで、漢字馬鹿さん以外では、どのような人が議論できないのですか? 長くなるけれど、徳保(とくほ)さんが書いた記事をもう一度読んでください。
はてなダイアリーで更新していた
日記のアーカイブ by 徳保隆夫
2005-12-08
(中略) 2. ■ 誤読としての批判への批判~都合のいいときばかり「子ども」を持ち出す大人~ コメント欄より転載。
徳保隆夫
『少し反論しますと、satoshi さんは「大人になると」間違いを指摘されなくなる、と書きました。ということは、「子どもの頃は」は間違いを指摘されたわけですよ。くどい表現を避けて、省略されているだけ。私は書かれていないことを勝手に推測しているのではない。当然の読解を行っているのです。 そうして私は、子どもの頃に間違いを気軽に指摘されたのは「尊敬されない」ことと引き換えだったとして、子どもの頃を安直に古きよき時代として思い起こすことを否定したのでした。』 (2005/12/08 01:00) 問題は、satoshi さんこと snakajima さんのコメント。
snakajima 『life is beautiful のSatoshiです。私も「間違いを指摘しないのは聞いてる側の選択の結果」で、「自称ワイン通」氏の責任ではないと思います。
つまり、大人になると特に負のオーラを出していなくても、間違いは指摘してもらえないんですね。しかし、それでは悲しいので、何とかして「間違いを指摘しやすい」人になりたい、なる方法はないかな、という宣言であり問いかけなんです。』 umeten さんのところでは、以下の通り。
snakajima 『 私のエントリーに関して、こんなに深く分析していただき、ありがとうございます。このエントリーは、ご指摘されているように、「度量のある懐の深い人間になろうと思う」という宣言であるとともに、私の知り合いやブログの読者に対しての「もし、私が間違っていることを言っていたら、教えてください」というお願いでもあります。「子供のころは、まわりの人が親切に色々と教えてくれた」というノスタルジーに浸っているだけでは何も得るところはありませんからね。』 (2005/12/08 01:55)
k3jaco さんが結論に困ってしまったのは当然で、Satoshi さんの主張は袋小路への道である。ワイン通に問題がないとすれば、Satoshi さんにできることは何もない。闇雲に「改善」を目指しても、空虚な宣言にしかならない。 しかも驚くべきことに、Satoshi さんは間違いを指摘する側に問題の原因を見出している。だったら、そもそも Satoshi さんの記事は転倒しているわけだ。「大人に対して大人は間違いを指摘できない」というところから、話を展開するのが本来の筋だったはずだ。 おそらく、子どもに対してであれば、仮に少々態度が生意気でも、Satoshi さんは「きみの説明は、間違っているんじゃないかな?」といえたろう。そうであればこそ、「大人になると誰も間違いを指摘してくれなくなる」という言葉が出てくる。 もし Satoshi さんが正しく記事を書き始めていたのなら、必ずこの問題に行き当たったはずだ。そして、なぜ子ども相手なら根拠不十分でも間違いを指摘できてしまうのか、考えたはずだ。 私は「間違いを指摘されるようになること」について、ひとつの回答を暗示した。ここは補足記事だから、はっきり書こう。 ● 指摘がほしければ、ガキ扱いされるような人間になればいいのだ。 だから、大人であり続けることを前提とすれば、有効な解を発見できない。「子供のころは、まわりの人が親切に色々と教えてくれた」というノスタルジーに浸っているのでは、残酷な結論に気付かない。 おいしいところだけ、
つまみ食いすることはできない 大人たちは、大人になりたいから、大人になった。子どものままでいたければ、そうすることもできた。 大人たちの、子どもに対する「間違い」の指摘は、なるほど親切心から出たものかもしれない。だが、親切心はどのような場面で発現するか。そして大人たちは、本当に親切にされたいのか。なぜ、大人たちは、子どもであることをやめたんだ? 子どもは、いくつかの特権と引き換えに、非常に多くの忍耐を強いられる。親切な指摘を無数に受ける特権は、本来、ノスタルジーを感じ、羨むようなものではない。大人たちに精神的にも物理的にも支配されている、血涙の滲むような服従の記憶とともにある。何をいっても簡単には信じてもらえない、正しい主張も簡単には通らない、それが子どもの支払っている犠牲である。 ある種の間違いだけを、プライドの傷つかないような形でピンポイントで指摘される、そんなつまみ食いは、不可能だ。 根拠不十分でも気軽に指摘されるようになれば、間違っていないことまで指摘されるようになる。気軽に指摘されるような状態では、異論・反論が気軽に提出され、自分の意見がなかなか通らない。そのつらさ、悲しさに、耐える覚悟はありますか。 (中略) 4. 文体を変えます。
謙虚な人柄と間違いを指摘してもらえるようになる事は同義ではない。何をどうとったらそういう帰結になるのか?
まず「謙虚」という言葉の定義が必要。 常識的に考えて十分な根拠が提示されている場合に、間違いの指摘を受け入れる人は、少なくともその点において「謙虚」である、と私は表現します。 自信過剰な人は、例えばメルローの件についていえば、「百科事典のミスかもしれないじゃないか!」「ワイン専門店の店員にだって間違いはあるぞ!」と強情を張るでしょう。 さて、このエントリーは、ご指摘されているように、「度量のある懐の深い人間になろうと思う」という宣言だといったのは Satoshi さんです。度量があって懐が深い、とは即ち、間違いを認める謙虚さを持つ、ということでしょう。そして Satoshi さんは、それが「間違いを指摘される大人」になるための道だと考えていらっしゃる。 私は、Satoshi さんの主張には一定の理を認めます。しかし、あまり本質的ではないと思う。そしておそらく、無意識的には Satoshi さんもそのことに気付いているはずだと思いました。その根拠が、Satoshi さんが「大人になると誰も間違いを指摘してくれなくなる」と書いたことです。 これは、前段の主張と矛盾した主張なんです。子どもに対する幻想を捨てて、子どもの実際の姿を見れば、それは明らかとなります。 1. 大人は子どもより、度量が広く懐が深い。 第1項が、逆なら、話は合う。でも、現実はこうなんです。だから、間違いを認める謙虚さを持つことは、あまり重要ではないことに気付いていい。 そして多くの場合、謙虚さは特定の局面のみで発揮されるものではない。したがって、他者の指摘に対して謙虚に対応する人は、自分が他者に対して指摘することにも慎重になります。tomozo3 さんは kanose さんを例示されましたが、デンマンさんと比較してくださいよ。kanose さんは謙虚です。傲慢なデンマンさんとは態度が全然違う。 ここで Satoshi さんの最初の事例に戻れば、パーティ会場において、不確実な根拠でしかワイン通の事実誤認を指摘できる人しかいなかったとしたならば、みなが謙虚である限り、誰も何もいえなかったのは当然なのです。したがって、Satoshi さんがいろいろ考えるきっかけとなった事例は、謙虚さでは解決されないことになります。 そしてまたデンマンさんが各所で批判されていることから、あれほど傲慢であっても「間違い」の指摘は行われることがわかります。 以上の推論から、私は「度量のある人間を目指す」という Satoshi さんの結論は、的外れだと考えました。 よろしいですか、私は謙虚な人柄と間違いを指摘してもらえるようになる事は同義ではないと考えているのです。同義だと思っているのは Satoshi さんであって、私はその主張を批判する立場なのです。 5. 言葉の定義の問題 tomozo3 さんの追記部分について。
過ちを認めるのは、謙虚ではなく、素直。
謙虚と素直を全く別の概念とみなすべき場面と、そうでない場面があると私は思います。 ご批判のかなりの部分は、言葉の定義の問題に過ぎません。tomozo3 さんは、ミクロの差異を決定的な差異とみなして、私の主張を過剰に否定されているのです。 私の記事では、謙虚と素直を同類の概念として扱っています。謙虚な人は素直なことが多い。謙虚な人、度量の大きい人、素直な人、これらは似たような人物像を想像させますよ。私は「それらの言葉で形容されるタイプの人」という大きな括りで話をしているんです。私が謙虚と書いた部分を、エディタで全部「素直」に書き換えたって、私の主張は変わりません。その語義の違いが影響しない領域で、それらの言葉を用いているからです。 それは逆
デンマンさんに過ちを指摘する人が少なく、加野瀬さんに意見や異論を述べる人が多くいるのは、加野瀬さんが指摘に対して、詭弁で返したり、何も言わずにこっそり変更修正したりはしないから。
これは意図が逆。私はデンマンさんを「強情な性格でも異論・反論をもらうことに成功した事例」として示したのです。デンマンさんに間違いの指摘をしたのは kiya2014 さんだったと記憶しています。 本題
中島氏が言わんとすることは、間違いの指摘にも異論にも意見にも率直に耳を傾ける姿勢を見せることにより、早期に間違いを修正することが、大事、と言うこと。
2.に書きましたが、Satoshi さん自身、今回の事例は、指摘される側ではなく指摘する側の問題だと、k3jaco さんのところのコメント欄で認めているんです。 であれば「ああ、どうしてあの時、私は間違いを指摘できなかったのか。指摘を躊躇してしまう自分を改善したい」と、考えるのが自然でしょう。指摘する側(が指摘を躊躇したこと)に問題がある、だけど私は指摘される側の立場で自省するぞ、というのは話が転倒していますよね。 「やっぱり躊躇するのは仕方ないな」とか、「これからは躊躇せずにどんどん行こう」とか、そうやって最大の問題に結論を出してから、瑣末な問題である、指摘される側のあり方について考えるべきなんですよ。 デンマンさんでさえ、間違いを指摘されるのです。大人社会に間違いの指摘が少ない決定的な理由は、指摘する側にある。そして、指摘する側が、指摘を躊躇する理由は何か。Satoshi さんが気付いている通り、大切なのは、そこなんです。 加野瀬さんの間違いを指摘する一般人は、常連読者さんです。ある程度気安い印象が醸成されていて、それで指摘しているのです。加野瀬さんとこは数千人が見ているからいいですが、ふつうはこのタイプの指摘だけでは大半のミスが見過ごされます。 これに対して、初めて見たサイトの間違いをいきなり指摘する人がいる。これはモヒカン族に近い立場で、otsune さんが書いている通り、気遣いせずに間違いを指摘する文化を持っているから、そんなことができるのです。 気遣い無しのコミュニケーションは、日本の大人社会では珍しい。しかし少なからぬ人は、子どもの頃、モヒカン族的だった。「王様は裸だ」といえたんです。で、人々は何故、気遣いを重視するようになったのですか? 大人は、物語としては「裸の王様」のラストに登場する子どもに憧れますが、本気でそうなりたいとは思っていない。 ところが、大人は子どもに対しては気遣いよりも教育指導を優先します。だから大人は子どもの「間違い」を指摘する際にはモヒカン族的な行動を取る。つまり、大人は子ども相手にはモヒカン族、大人相手にはムラ社会の住人を演じています。 こうした背景を踏まえて、私は、大人が大人に対して気軽に指摘できるメンタリティとはどのようなものか、想像するべきだし、想像できるはずだと主張しているのです。 (中略)
2005-11-28
明日から寒くなるそうだ。今年の秋は、今日までか。 伝文体 yosiyama さんが紹介してた記事だけど、飄々とした書きようがいい感じ。こういう文体、私もうまく使えたらいいな、と思う。伝文体を道具として埋め込む手法には、いろいろ可能性がありそう。 (中略)
2005-11-21
ぐったり。 更新のルール コメント欄は開放しない。トラックバックは受け付けない。キーワードリンクしない。カテゴリは設定しない。ときどき記事をバッサリ消す。ときどきプライベートモードへ移行する。 メモ ノリのいい人には近づかないに限る。 また、この長い記事ですか?あたしは、もうウンザリしましたわ。 そう言わないでくださいよう。初めて読む人だって居るのだから。 。。。で、この上の記事の中に議論できない人が出てくるのですか? そうですよう。 誰ですの? yosiyama さんですよう。僕が彼と議論できないのじゃなくて、yosiyamaの方から、もう議論できないと思い込んで撤退してしまったのですよう。次のやり取りを読んでみてください。
yosiyamaさん、
あなたは中学三年生なら優等生ですよ。
でも、頭が固く原則として他の人の意見を聞かない!
国際化をかたくなに認めようとしない!
しかし、何度も言うように国際化は現実ですよ!
あなたの好き嫌いに関係なく、
あなたは国際化に飲み込まれている!
あなたには選択の余地は無いんですよ!
なぜなら、こうして僕と意見の交換している事が、
国際化の一端だからですよ!
だから、国際化は一部の人間のすることだ
というような考え方を改めないなら、
ネットをやめて瀬戸内海の無人島で
暮らしたほうが無難ですよ!
何のためのネットか?
ネットは多方向多重通信手段ですよ。
だから、お互いに意見を出し合って、
良いものは吸収して行く!
そこに世界の進歩と平和があるんですよ!
やがては“世界のネット市民”
という考え方が常識になって、
戦争がなくなると僕は信じていますよ。
現在、アメリカが“戦争インフラ”を
かたくなに捨てようとしないから
戦争がなくならない!
かつてミノア文明の1200年間は
戦争が無かった。
嘘だと思ったら次の記事を
読んでみてくださいね。
■ 『戦争はなくす事ができるものです』
早い話が通勤するのに現在、和服を着て会社に行く人が一体幾人いるか? CNNのニュースを聞いていたら、現在世界でパソコンを持っている人が、大雑把に言って10人に一人だそうですよ! パソコンを洋服だと考えれば、このことはよく分かります。 世界における“洋服”の普及を歴史的に見れば、その程度のことは容易に判断が付きますよ。 “国際化” は “洋服” と全く同じですよ! ところが、yosiyamaさん、あなたにはこんな分かりきったことが分からない! それで、このようなトンチンカンな事を恥ずかしげも無く書いている!
国内のネット記事を読めば分かると思います。
今は一部の人間だけが国際的なネットをするべきであって、底の人々も国際化するべきではないと思いますよ。 。。。 過ちを正そうとしても限がない。限がないから私は絶望しています。 by yosiyama だから、yosiyamaさん、あなたは中学生程度の精神と教養しか持って居ないんですよ! 20年もしないうちに、携帯に現在のパソコンの機能が加わりますよ。
つまり、ネットの世界がボーダレスになっている。少なくとも僕はボーダレスでやっている。 僕は自分の目と足で20カ国以上を歩いている。 これからは、ますますネットの世界も現実の世界もボーダレスになってゆきます。 何度も僕が書いているように旧ソ連が崩壊したことだってボーダレスになりつつあったネットの影響があったのです。 歴史を振り返って、そこに真理を見たら、誰がなんと言おうが信念を持ってあきらめない事ですよね。 僕は何度も書いたように、“健全な批判精神”が分からない、“ボーダレス”がどういうことか知らない、“国際化”がどのようなものなのか理解できない、島国根性に凝り固まった日本の田舎者の管理人によってすでに10以上のブログを削除されました。
過ちを正そうとしても限がない。限がないから私は絶望しています。
だから「デンマンさんの言う正しい国際化」も浸透しないだろうなとも思いました。 by yosiyama そういう考え方だから、いつまでたっても中学校3年生の精神と教養だけしか持てないんですよ! これが、国際化ですよ! でもね、キチガイと天才は紙一重なんですよ!へへへ。。。。 あなたは、辛抱強く努力する前から、投げ出していますよ!
過ちを正そうとしても限がない。限がないから私は絶望しています。
だから「デンマンさんの言う正しい国際化」も浸透しないだろうなとも思いました。 by yosiyama 誰も絶望しろ!とは言ってないでしょう? でも、100メートルで新記録を打ちたててみろ!と言われても、僕はやりませんけれどね。。。。へへへ。。。。
自慢するつもりではありません。
■ 『マッカーサー元帥は「日本人の頭の程度は小学校6年生程度だ」と言ったが、今でもそうなのだろうか?(敵を知り己を知れば百戦危うからず)』 とにかくね、yosiyamaさん、僕はあなたの文章を読んでいると、やる気の無いダメな日本人の標本を見るような気がしますよ。 でも、あなたはDEMPA55と比べたら、ずいぶんと優等生ですよ。 とにかく、あなたは誠実に誠意を持って僕とコメントを交わしていますよ。 ところがですよ。DEMPA55は2ちゃんねるの悪いところをそのまま体現したような人物ですよ。 とにかくDEMPA55は僕の画像を盗んで、僕に成りすまして、僕にコメントを書くような愚か者ですからね。 これまでに欧米で18年、日本のサイトで3年ほどネットをやっていますが、これほど恥知らずな人間を見たのは初めてのことですよ。 いづれにしても、欧米のサイトにはDEMPA55のような恥知らずは居ませんでしたよ! だからこそ、こうして熱がこもった記事が書けるんですよ。 今回は、まだ書きたいことがありますが、他にやらねばならないことがあるのでこれぐらいにしておきます。 最後にyosiyamaさんの質問に答えておきます。
・最後に
デンマンさんに問いますが、2ch住人が2ch流儀なブログの使い方をしたらどう思います? 国内のネット記事を読めば分かると思います。 by yosiyama すでに、この質問の答えは書いたようなものです。 僕は何度も書いたように、“健全な批判精神”が分からない、“ボーダレス”がどういうことか知らない、“国際化”がどのようなものなのか理解できない、島国根性に凝り固まった日本の田舎者の管理人によってすでに10以上のブログを削除されました。
過ちを正そうとしても限がない。限がないから私は絶望しています。
だから「デンマンさんの言う正しい国際化」も浸透しないだろうなとも思いました。 by yosiyama 絶望する必要は無いですよ。 言論の自由・表現の自由は絶対に削除できません!
だから、国際化も徐々に浸透してゆきますよ。 いづれにしても、あなたを含めて、これを読んでくれている人ありがとう。 yosiyamaさん、あなたも含めて、反論のある人は次の記事をじっくり読んで反論してくれるとうれしいですよ。 ■ 『“縦社会” と “横社会”』 ■ 『“縦社会” と “横社会” 再考』 ■ 『あなたは文章をじっくり読むのが苦手ですか?』 ■ 『未熟な判断と稚拙な批判』 ■ 『言葉は武器に勝る武器である』 ■ 『田舎者の管理人はどうして僕のブログを ■ 『ナイトメア・ブログとその責任者に対する公開抗議文!』 では、よろしく。
平行線なので話あっても時間の無駄と判断し、以後コメントは付けません。 そう言う人間に無理に外に行けとか、無理に外を見ようと行ってもダメなのです。 自分の日記を書くためだけでネットをする人や共同通信を読むためだけでネットをする人はどう足掻いても消せやしない。 by yosiyama (2005-12-15 11:35)
> どんなに少なく見積もっても、僕の記事は現在5000人の人に毎日読まれています。 必ずしも「面白いから」「ためになるから」読まれているとは限らないのですよ。 by えっけん (2005-12-15 13:01)
yosiyamaさん、コメントありがとう! えっけんさん、あなたのコメントはうれしいけれど、 僕はこれをカナダのバンクーバーで書いている。 だからね、あなたも世界のネチケットに従って、次回にコメントを書く時には 書けない場合はその理由を明確に書いてください。 要するに、あなたがいい加減で無責任なコメントをつけてないという態度を見たいわけですよ。 yosiyamaさんも初めはハンドル名さえ書かなかったんですからね。 誠実に誠意のこもったコメントを書いてくれました。 yosiyamaさんは“世界のネット市民”とは思っていませんよ。 しかし、2ちゃんえるのような無責任でいい加減ではなく、明確にハンドル名を書いて、しかもブログのURLを書いてくれましたよ。 えっけんさん、あなたのコメントを読むと、2ちゃんねるで書いている愚かな人間のいい加減で無責任な書き方なんですよ。 この事については17日の記事の中でじっくりと書きたいと思いますよ。 by denman (2005-12-15 14:00)
>デンマンさん 「島国根性」と言うより「誰もが論」と「絶対価値観」を否定しているだけです。 by yosiyama (2005-12-15 21:53)
いやー、すごいね、デンマンさん! デンマンさんにとっての「世界的ネットマナー」は、自分に異論を唱える人に対して「幼稚」「稚拙」「田舎者」ですか! で、国際化しているデンマンさんが、他所のブログにコメントをしないのは、IPばれたらニッポンの田舎に住んでいることがばれるからですか? by えっけん (2005-12-16 12:56)
追記しとく デンマンさんがやるべきことは万民が国際化しろと書くことではない。 では、何をすべきなのか。 これからも大挙して賢くない人々はネットを利用します。 こと、言葉や海の向こうに行くと言う壁は誰もが乗り越えられるものではない。 by yosiyama (2005-12-16 13:00)
> いやー、すごいね、デンマンさん! えっけん君、お褒めの言葉をもらってうれしいよ! えっけん君、君が考えている以上にネットは国際化しているんだよ!
> デンマンさんにとっての「世界的ネットマナー」は、 そうじゃないよ! 常識があって、2ちゃんねる以外のところでBBSでもやっていたら、ブログのURLを書いてくださいと僕がお願いしたのならば、礼儀として書くものなんですよ! なぜURLを書いて欲しいかと言うとね、いい加減で無責任な事を書いて、都合が悪くなると捨て台詞を残して雲隠れしてしまう。 とにかくね、ネチケットを守れない君のような奴は小学校3年生程度の精神年齢なんだよ。 君は、僕がお願いしたにもかかわらず書いてくれなかった。 あっそう?
> で、国際化しているデンマンさんが、 そのような卑屈で見識の狭い事を言っているから、僕は君の事を田舎者と言うわけなんだよ!君は本当に幼稚ですよ! 君は全く幼稚な事を言っているよ。 もし僕がバンクーバーに居ないという証明が君に出来たら、 えっけん君、あまり愚かな事を言って僕を笑わせないでおくれよね。 ところで、僕が付き合えるのは中学校3年生までですよ! お願いしますね。 じゃあね。 君が僕の記事をしっかり読んでいないという何よりの証拠なんですよ! これだけ分かりやすく書いたから精神年齢が小学校3年生のえっけん君にも分かるよね? そうかい? by denman (2005-12-16 16:47)
さすがデンマンさんだ! URLを入れないのは、この糞ソネットブログに入力する欄がないからだよ。 by えっけん (2005-12-16 17:06)
やれやれ何をやっているのだか デンマンさんの言う論理では日本人はみんな愚かなんだと良く分かりました。 まあ、別に私はそれらが全員救い難い愚民に見られても構いませんけれど。 by yosiyama (2005-12-16 21:41)
我ながらキモイ文章。 この人(デンマンさん)に怒っても無駄そうだし。 撤収 by yosiyama (2005-12-16 21:49)
すいません。 ただ、私はデンマンさんの方が理屈が通っていると思います。 URLだって、本文に記入すればすむこと。それをしないのは、する意思がないからと思われてもしょうがない。 by NTHAWKS (2005-12-18 10:46) それで、デンマンさんは何がおっしゃりたいのですか? 僕から離れてゆく人とは議論が出来ませんよう。 “去るものは追わず” “畳の上の水練” また、畳の上で水泳の練習をして泳げる気持ちになっている人とも議論は出来ません。 どうしてですか? あのねぇ~、畳の上で、いくら泳ぎを練習しても、決して泳げるようにはならないものですよう。テニスを10年やっていた人が、ラケットの素振りを見れば、それだけで、その人が初心者か熟練者か?その程度の事はすぐに判断が付くものですよう。
だったら、あたしがテニスのラケットを振るだけでも分かります? 分かりますよう。僕はプロではないけれど20年ぐらいテニスをやってきましたからね。ウへへへへ。。。 もし、デンマンさんの記事に反論を書きたい人は、どうすれば良いのですか? あのねぇ~、“畳の上の水練”の事は次の記事の中でじっくりと語ったので、コメントをしたい人は少なくとも3度読んでからコメントを書いてくださいね。お願いします。 ■ 『“縦社会” と “横社会” (再考)』 議論を水泳の競技会に例えるならば、まず泳ぎが出来なければ競技会に出ても仕方が無いのですよう。 “敵を知り己を知れば百戦危うからず” ところが、畳の上で水泳の練習をしただけで泳ぎが出来ると信じて競技会にでる人が多いのですよう。プールならば底が浅いから溺れることはないけれど、遠泳で島から島へ泳いで行くなら、まず間違いなく溺れ死んでしまいますよう。
漢字馬鹿さんは泳ぎも出来ないのに海に出て泳ごうとしているのですか? その通りですよう。僕は、もう5年も漢字馬鹿と付き合ってきたのですよう。海ならば、もう漢字馬鹿はとっくの昔に溺れ死んでいたのですよう。 yosiyama さんも“畳の上の水練”で国際化しているに過ぎないと、デンマンさんはおっしゃるのですか? その通りですよう。実際に水の中に入って泳ぎの練習をして欲しいのですよう。
【レンゲの独り言】
ですってぇ~。。。 とにかく、まだ面白い話が続きますう。
メチャ面白い、
ためになる関連記事
■ 『きれいになったと感じさせる
下着・ランジェリーを見つけませんか?』
こんにちは。ジューンです。
1999年夏の「東芝事件」は
ネットでも画期的な事件でした。
東芝製ビデオデッキの修理に関し、
その対応に腹を立てた消費者が、
経緯をネットで公開したのです。
東芝側はホームページの一部削減をさせるため
「名誉権と営業権に基づく妨害排除の請求」の
仮処分を申請しました。
しかし、社会的な批判が高まり、
急遽謝罪を表明したのです。
仮処分の申し立ても取り下げました。
やはり、企業と言えども法の下には
個人と平等なのですよね。
「はてなダイアリー」のユーザーとして
デンマンさんが「はてなダイアリー」の問題点について
たくさん記事を書いています。
ユーザーと「はてなダイアリー」との関係も、
もちろん対等であるべきですよね。
ユーザーが不満を表明し、
釈明を求めているのであれば、
「はてなダイアリー」も誠実に対応すべきだと思います。
ネットの世界は単に現実世界の
向こうの虚像ではありません。
東芝事件のように、
ネット上で激しさを増したユーザーの声は、
間違いなく現実社会に戻ってくるからです。
興味があったらデンマンさんが「はてなダイアリー」を
批判した記事を読んでみてください。
ところで、英語の面白い話をまとめました。
興味があったら、
次のリンクをクリックして
読んでください。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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