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欺瞞の温床
2009年6月9日

踏みにじられた在野の功績

1975年、宮城県多賀城市の東北歴史資料館(現・東北歴史博物館)。
岩宿(いわじゅく)遺跡を発見した相沢忠洋(ただひろ)さんが「熱烈な考古学ファン」と紹介された青年と会った。

1949年の発掘調査で日本に旧石器時代があったと証明した岩宿遺跡。
「戦後の考古学史上最大の発見」と評されたその歴史的な石器を、相沢さんはそっと青年の手に置いた。
「青年が手を震わせ、石器を食い入るように見つめていた光景を覚えている」
1989年に亡くなった相沢さんに変わって妻千恵子さんが振り返る。
青年は、捏造発覚から25年前の藤村新一氏だった

納豆の行商で生計を立てながら考古学研究に打ち込んだ相沢さん。
戦後まもない考古学界では、火山灰の赤土層より古い時代の日本列島には、火山活動が盛んで人は住めなかったというのが通説で、赤土層に達すると発掘作業は終わりだった。
世紀の大発見は、先入観念を持たない在野の相沢さんだからこそ可能だった。

相沢さんの発見に初めて注目したのが当時、明治大学大学院生の芹沢長介・東北大学名誉教授だ
助教授だった故・杉原荘介氏を代表する明大グループは「岩宿遺跡が日本の旧石器時代の存在を初めて証明した」と発表したが、学界は黙殺した。
その後、後期旧石器時代の遺跡が次々と見つかり、岩宿遺跡の成果がようやく認められた。

ところが杉原氏の報告書は、相沢さんを「あっせんの労をとってくれた人物」と紹介し、発見者として扱わなかった。
遺跡の「価値を発見」した自分たちの功績の大きさを強調したのだ。
これに抗議して芹沢氏は明大を去り、1963年に東北大へ移った

「相沢は深く傷つき、人間不信に陥った」
千恵子さんは振り返る。
ある講演で、相沢さんは無念さを語った。
「自分は岩宿遺跡と言う未熟児を産み落とした。未熟児だったから専門医に見せたら、専門医は『これは自分の子供だ』と言い出した」

学者と在野研究者との関係は現在も同じだ。
在野の功績が認められるには、遺跡を発見した上で学界の権威の「お墨付き」に頼らざるを得ない。
考古学で在野の功績は大きいが、相沢さんのように名前を残した人はほんの一握りだ。
大多数は生活を犠牲にして考古学に打ち込み、無名のまま埋もれていった。

pp.194-195 『発掘捏造』より
毎日新聞・旧石器遺跡取材班
2001年6月20日発行


『原人ブームと漢字馬鹿 (2009年6月5日)』に掲載

旧石器捏造事件

事件はアマチュア考古学研究家の藤村新一が次々に発掘していた、日本の前期・中期旧石器時代の遺物や遺跡だとされていたものが、全て捏造だったと発覚した事件である。
日本の考古学界最大のスキャンダルとされ、2000年11月5日の毎日新聞朝刊で報じられたスクープによって発覚した。

なお、縄文時代以降では、明確な遺構が地下を掘削して造られているため、土の性格から直ちに真偽が判断可能なので、捏造は不可能である。
火山灰層の年代にのみ頼りがちであったことなど日本の旧石器研究の未熟さが露呈された事件であった。

事件の経緯

「捏造」を行なっていた藤村新一は、2000年11月の発覚当時、東北旧石器文化研究所という民間研究団体の副理事長になっていたが、彼が捏造を開始したのは1970年代にアマチュアとして、宮城県の旧石器研究グループに近づいた時からだった。
彼は、周囲の研究者が期待するような石器を、期待されるような古い年代の地層(ローム層)から次々に掘り出して見せ、その事によってグループにとって欠くべからざる人物として評価され、後に「神の手」と呼ばれる迄になった。
実際「発見」された遺物の殆ど9割方は、まさに彼自身の手によって表面採集されたり発掘されたものであり、他人の手によって発掘されたものは、彼があらかじめ仕込んで置いたものだとされている。
彼が掘り出して見せたり、埋められていた石器は、自らが事前に別の遺跡の踏査を行なって集めた縄文時代の石器が殆どであると考えられている。
但し、それらの遺跡は東北地方のどこかのはずだが、完全に追跡され、突き止められるには至っていない。
捏造された「偽遺跡」は、宮城県を中心とし、一部北海道や南関東にまで及んでいる。

毎日新聞のスクープで指摘されたのは、宮城県の上高森遺跡、及び北海道の総進不動坂遺跡だったが、彼の関わった全ての遺跡について再点検が行われ、彼の関わった「石器」の多くに「発掘時のがじり」ではありえない傷や複数回にわたって鉄と擦過した痕跡である「鉄線状痕」などが認められた。
また一部の遺跡について再発掘が行われ、掘り残されていた捏造石器が発見されるに及び、捏造が確定するに至った。

事件の影響

日本列島の「前・中期旧石器」研究は、そのような古い時代の石器は日本にはないだろうという批判を当初は浴びていたが、藤村の発掘成果によって強力な裏づけを得て、1980年代初頭には確立したと宣言されていた。
捏造発覚前は日本の旧石器時代の始まりはアジアでも最も古い部類に入る70万年前までに遡っていたが、捏造発覚により藤村の成果をもとに築かれた日本の前・中期旧石器研究は全て瓦解し、東北旧石器文化研究所は「学説の根幹が崩れた」と解散に至っている。
さらに捏造遺跡が学会から抹消されるのみならず日本史の教科書の石器に関する記述さえも消されるに及んだ。

また、中国、韓国、北朝鮮といった歴史教科書問題で日本と対立している国々は、国内のマスコミで本事件を大々的に報道し、「日本人が歴史を歪曲しているのが証明された」として、一研究家の問題ではなく日本人の歴史認識そのものに原因があるとの見方を示している

なぜ事件は起こったのか

一部の強力な批判にも関わらず、なぜかくも長期間、謬説がまかり通ったのかについて、深刻な批判と反省が叫ばれた。
日本考古学協会は、事件発覚後直ちに特別委員会を構成して事件の調査にあたり、捏造の断定と2003年5月の報告書刊行をもって特別委の幕を閉じた。

落ち着いてそれらの「石器」や出土状況を観察してみると、火砕流の中から出土するなど、不可解で不自然な遺物や遺跡であった事が理解されるのだが、当の研究グループはそれを無視し続けた。
中には数十キロも離れた遺跡から発見された石器の切断面が偶然一致した、というような信じがたい発見もあった。

また、彼らの目覚しい成果に対して、国指定史跡を認定したり、文化庁主催の特別展に展示されるなど、間接的な応援団がいた事は事件を増幅させた役割としては非常に大きかった。
特に、遺跡の出た東北地方などの多くの自治体が「わが町の歴史は数十万年前にまで遡る悠久の歴史を持つ」として特産品や観光行事作りを進めるなど、町・村おこし運動における歴史的事物の安易な利用が、こういった事件の温床となっていることは否定できない。

本来、人類の普遍的価値遺産として共有されるべき歴史的事物について、その多くが観光資源の観点に偏るかたちで地域住民に認識され、取り扱われてきた現状が、今回の事件発覚によって図らずも明らかになった。

「前・中期旧石器」が隆盛であった当時は批判が難しく、1986年の批判論文以後、再び反論が開始されるのは1998年の1点、及び2000年発覚前の2点に限られる。
1998年以後の批判の要点は、問題の石器資料群が、本来あるべき前期や中期の石器として「おかしい」という批判である。
こうした正当な批判は、新聞社のスクープまで、学界として省みられる事はなかった

なお、日本考古学協会前・中期旧石器問題調査特別委員会最終報告後に、藤村の捏造の範囲は旧石器時代を越え、縄文時代にも及ぶことが明らかにされた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤村新一さんは“魔が差した”と言っていますけれど、いづれ見つかるとは思わなかったのでしょうか?

思ったでしょう。

それなのにどうして捏造を続けたのでしょうか?

1度やってバレない。。。2度やってもバレない。。。3度やってもバレない。。。こうなったら、やみ付きになってしまうでしょうね。

もう、惰性で捏造を続けたのでしょうか?

そうだと思いますよう。しかも、マスコミが「神の手」なんて言っておだてたりする。だから、藤村さんが続けざまに発見するのを可笑しいと思っても面と向かって批判する研究者が居なくなってしまったのでしょうね。

学問は、違う考え方を戦わせて前進する

聞き手:(橋本達明・毎日新聞東京本社編集局長) p.214
竹岡(俊樹)さんが1998年に上高森遺跡について否定的な論文を書いています。
1986年にも小田静夫さんが宮城県の前期旧石器時代の遺跡から出土した石器や年代について批判的な論文を書いていましたが、大きな論争にならなかったのはなぜですか?

佐原真氏:(国立歴史民俗博物館長)
学問は、違う考え方を戦わせて前進するものです。
どの時代のどの問題でも、違う意見だらけです。小田さんが反対していたのは僕も知っていました。
ただ、多くの旧石器の専門家が認めていて発見が重なっていけば重なっていくほど「おー、おー」と思っちゃったわけですよね。

竹岡俊樹氏:(共立女子大学非常勤講師)
若い研究者は特にね、ものを言えなくなるわけですようね。
権威のある方々が周りにいて、真ん中に藤村さんがいて、という構図ですよね。
どんどん発見されていくたびに、次々と承認されていく。
そういう状況で、いろいろとうわさ話はあっても、文章化されることはほとんどありませんよね、怖いから。

 。。。

馬場悠男氏:(国立科学博物館人類研究部長)
一般的には、ここのお二人は横文字の論文を読むのは得意ですが、ほとんどの考古学者は横文字の論文を読まないし、自分で書かない。国際化されていないことが一つの大問題ですね

馬場悠男氏:(シンポジウムから p.244)
考古学全体として、年功序列と慎み深い意見発表で、先輩の業績を批判しないことがあります。
批判すると、先輩から恨まれてしまうとか、お前が言っていることは生意気だとかになってしまうものですから、私たち人類学の分野でもなかなかできませんでした。
ところが、最近私も割とちゃんとした職を得たものですから、批判させてもらうこともあります。
うっかり若いうちに(批判を)やると、まともな職につけなくなる可能性は大いにあったわけです。

批判するかしないかは自由ですが、今までの常識とは整合しない「大発見」によって、列車「前・中期旧石器号」が断崖絶壁に向かってばく進している場合には、手をこまねいてよいのだろうか。(デンマン注: いや、批判すべきだ!
少なくとも列車から降りて大声で叫ぶ必要があろうし、できればポイントを切り替えるなり、前に出て止める工夫をすべきでしょう。
しかし、そういうことをした考古学者はほとんどいなかった。
格好よさそうだから列車に乗ってしまったと言うのは、節操がないと批判されてもやむを得ないでしょう。
一番ひどいのは、列車に乗って騒いでいたのに、乗っていなかったような知らん顔をしている。
これは恥を知るべきだと思います。

断崖絶壁に向かっていたのに気づかなかったのはなぜなのか。
まず、考古学発掘調査研究の二重構造性です。
警察組織でキャリア組みと現場とでやっていることがぜんぜん違うのと同じで、偉い先生方は普通、研究室にいらっしゃって、現場で一生懸命発掘を担当している人たちのよい業績だけをちょっと取って、自分の研究論文もしくは概説を書く。
そういうことによっていわばオピニオンリーダーになってる方がいらっしゃる。
そういう方は、実は現場をご存じない。
若い時はもちろん現場に行っていたのでしょうけれど。
現場のにおいみたいなものを感じられないから、今回みたいなとんでもないことが起きた時に気づかなかったのでしょう。

pp.214-245 『発掘捏造』より
毎日新聞・旧石器遺跡取材班
2001年6月20日発行

どうして、デンマンさんはこの座談を取り上げたのですか?

要するに批判することは大切ですよう。批判しないと、いつの間にか無理が通ってしまう。欺瞞が見過ごされてしまう。

どのように。。。?

竹岡氏が次のように言ってますよう。

権威のある方々が周りにいて、

真ん中に藤村さんがいて、

という構図ですよね。

どんどん発見されていくたびに、

次々と承認されていく。 そういう状況で、

いろいろとうわさ話はあっても、

文章化されることは

ほとんどありませんよね、怖いから。

つまり、

無理が通れば道理が引っ込む

だから、ますます批判する人がいなくなる。

批判のない所に進歩なし!

批判することは大切なことだとデンマンさんは強調したいのですか?

その通りですよう。

でも、一人ぐらい藤村さんに面と向かって批判する人が居ても良かったと思うのですけれど。。。どうして、そのような人が現れなかったのでしょうか?

だから、竹岡氏が言った通りだと思うのですよう。藤村さんを信用して庇(かば)う人が周りに居たのですよう。

えらい人、庇う人

同じ日、山本(記者)は東北旧石器文化研究所の鎌足理事長が住職を務めている多賀城市の臨済宗の寺「不磔寺(ふりんじ)」を訪ねた。
鎌田氏と会うのは、総進不動坂遺跡で記者会見のときに五分ほど立ち話をして以来だ。
研究所は、寺の敷地内の別棟の部屋で、15畳ほどの広さに作業机があり、書庫には発掘調査報告書などたくさんの資料が納まっていた。
鎌田氏はトレーナーにスラックスというラフなスタイルで作業机の端に座り、山本と向き合った。
談話会時代から、現在までに到る発掘活動について聞くうちに、鎌田氏は「今ね、変な声があってね。なんで藤村だけが見つけるんだと難癖つけてくるやつがいるんですよ」と言い始めた。
山本は身を乗り出した。
「見つかるんだから、しょうがないって思うんですよう。我々が5年、10年かかっても石器を出せない。藤村は1日で出すわけですから。これは分からない。持って生まれたものですよ」
「恥ずかしながら、私も遺跡には当たんない人間でね。この世界も当たりやすい人、当たりにくい人が少なからずいる」
「批判する人には、出土したものについて議論しようと言っている。自分の後輩にもフランスで旧石器を勉強した人がいるが、彼らは世界中の旧石器がみんなフランス式でなければならないと思い込んでいる。あんまり藤村氏の石器がきれいなもんだから、議論について来れない。だから、おかしいって言い出す。だけど、世界中で出土した旧石器の数は、まだまだ少なくて、これから洗練された石器だって出てくる可能性はあるんですよ」

鎌田氏の後輩で、フランスで旧石器を勉強した人というのは竹岡氏のことだった。
取材を始めて1時間近く。
突然、藤村氏が研究室に入ってきた。
「おぅ、原稿はどうだ?」鎌田氏が声をかけると、藤村氏は「発掘しながら、やらなきゃならないから大変だ」と答えた。
鎌田氏が山本に「こちら藤村です。何か聞くことある?」と、紹介した。
山本があいさつし、名刺を渡すと、藤村氏は黙って受け取り、部屋の奥の長机で書類をめくり始めた。
悪気はなさそうだったが、そっけない対応だった。

 (中略)

東北大学名誉教授の芹沢(長介)氏には翌14日に会った。
仙台市青葉区にある東北福祉大学の芹沢銈介(けいすけ)美術工芸館で待ち合わせた。
氏は型絵染(かたえぞめ)の人間国宝だった故・芹沢銈介氏の長男で、現在は工芸館の館長だ。80歳を越えていたが、明せきな話しぶりだった。

藤村氏については「アマチュアだからってバカにする人もいるけれど、彼がいなきゃ発掘はできない」と目を細めて語った。
「僕は東北大学を退官する最終講義で『100万年前まで早く出せ』と言った。藤村君は今年こそ100万年前を出しましょうよって、よく言ってくるんですよ」
その一方で「石器が一個出れば、それを作ったくずが100個は出ないといけない。藤村君のはそれがないんだよな」という言葉が山本には少し気になった。
しかし、芹沢氏は藤村氏の成果に疑問を感じているわけではないようだった。

遠藤さん以外にも石器文化談話会の会員から取材した。
藤村氏の「神業」に多少、不思議な感じを抱いている人はいたが、藤村氏を批判したり、悪口を言う人はいなかった
「朴とつな人で、言葉少ない東北人」というのが、皆の感じている藤村氏だった。

学生時代に藤村氏と一緒に発掘したという会員は「本当にいい人だった。酔いつぶれた僕を藤村さんが担いで布団まで運んでくれたこともある」と話し、別の会員は「学者でもエリートでもない、普通のおじさんだ。自分の手柄を自慢するわけでもない」と語った。

pp.92-94 『発掘捏造』より
毎日新聞・旧石器遺跡取材班
2001年6月20日発行

僕は上の文章を読むと日本の“村意識”のようなものを感じるのですよう。

“村意識”って。。。?

つまり、仲間を庇いあう。お互いに和気藹々(わきあいあい)と仲良くやる。多少の欠点だとか間違いは大目に見てしまう。そのような雰囲気の中で和の精神が保たれている。

“長いものには巻かれろ!”

目上の者や勢力ある者には、反抗しないで、我慢して従っていた方が得策である。


“寄らば大樹の蔭”

同じ頼るなら、力のあるしっかりした人に頼るべきだということ。

東北福祉大学の芹沢銈介(けいすけ)美術工芸館の館長の芹沢長介氏はこのページの冒頭で紹介した芹沢氏その人ですよう。石器を発見した相沢さんを「あっせんの労をとってくれた人物」と紹介し、発見者として扱わなかった助教授に抗議して明大を去り、1963年に東北大へ移った。

つまり、考古学界では知らぬ人が居ないほど正義感の強い人ですね。

そうなのですよう。いわば“大樹”なのですよう。藤村さんは下心があったのかどうか知らないけれど、芹沢さんとは良い関係を保っていた。一方、竹岡氏は鎌田氏の後輩だった。藤村さんの発見した石器に対しては、かなり批判的だった。批判的だった人のほとんどは“長いものには巻かれろ!”にしたがって黙っていた。批判的だった竹岡氏でさえ次のように感じていた。

権威のある方々が周りにいて、

真ん中に藤村さんがいて、

という構図ですよね。

どんどん発見されていくたびに、

次々と承認されていく。

そういう状況で、

いろいろとうわさ話はあっても、

文章化されることは

ほとんどありませんよね、怖いから。

藤村さんは大樹の蔭に居た訳ですね。

そうですよう。でも誰かが藤村さんに“あなたは間違っている!”と言うべきだった。

難しいでしょうね。

そうです。“村意識”にどっぷりと浸(つか)かっている人にはできません。

もし言ったら。。。?

“仲良くしましょう!”という暗黙の掟を破る人は村八分にされてしまう。。。でもね、そう言う事が言える人は居るのですよう。

どなたですか?

僕が4年前に書いた記事を読んでみてください。

あなたは間違っていると言える人

田中さんは、どうしてノーベル賞がもらえたか?
知っていますか?
田中さんは「あなたは間違っている」、と言えたからです。
あなたには言えますか?

ええっ?別にノーベル賞をもらいたいとは思わない?
でもね、人間として「あなたは間違っている」と、時にははっきりと言うことはとても大切なことですよ!
そう思いませんか?

ところで、あなたはノーベル賞を貰った田中さんのことをどう評価していますか?
結論を言えば、日本史にとって、たいへん意味の深いことを残してくれました。田中さんという人は、非常に謙虚で、どちらかと言えば言葉少なく、人柄も丸みがある感じです。

しかし、この人には『棘(とげ)』があります。
ここのところ、あなたは気づいていますか?
もちろん、この棘はすばらしいトゲなんですよ!

田中さんが偉かったのは業績ではありませんよ!
もちろん業績がくだらないと言っているのではありません。
田中さんが、他の多くの日本人と違っているのは、私が言うところの『棘』を持っていることです。

田中さんが国際的に認められるようになったきっかけを皆さんご存知ですか?
ずいぶんと日本でも報道されたでしょうから、このエピソードについて耳にしたことがあるかもしれません。ある国際発表会にMITの教授が見えて発表したのです。それを聞いた田中さんが、彼の発表した内容に間違いがあることに気がついたわけです。

彼のところへ行って、何と言ったと思いますか?

“You are wrong!”

と言ったのです。
日本で、しかも、公式の場でこんなことを言える人は、ほとんど居ないでしょう! もちろん、これだけのことを言うには、相当な自信がなければ言えません。その自信を田中さんは研究と実験によって持っていたのです。要するに裏づけのある自信だったのです。

田中さんは、当時全く名前の知られていない、しがない会社員でしかなかった。博士号さえ持っていなかったのです。しかし、偉いのは田中さんだけじゃなかった。この相手のMITの教授も偉かった。田中さんの言うことを聞いて、自分の研究室に戻ってから研究内容を確かめて、初めて田中さんの言ったことが確かに正しいということが分かったのです。

日本人どうしでは、このようなことは端(はな)から起こりようがありません。断定すべきではないかもしれません!でも、まず起こらないでしょう!
大学教授と一介の会社員、全く釣り合いが取れません。 この辺の大学の権威、政府の権威については、松本清張さんが口をすっぱくするほど書いていますから、あなたも知っているだろうと思います。 松本さんは、あまりにも日本の権威にタテついたので、死ぬまで文化勲章をもらえませんでした。

日本の権威というのは批判を素直に受け容れません。
この辺のところは、アメリカやカナダとはすごく違っています。

要するに、飛躍して言えば、民主主義というものはそのようなものです。
権威であろうが何であろうが、自信を持って言えることは、相手が誰であろうと自信を持って言う。言うべきものなのです。
。。。と思いますね。

しかし、このことが日本では、なかなか出来ない!
出来ない雰囲気というものが厳然としてある!
と、今でも、私には感じられるのでーーす。私は、これまでの海外放浪の経験から、このことは、つくづく勉強させられました。 もちろん、当初、反発を食らう場合もあります。アメリカ、カナダではこのことは当たり前、しかし、ほとんどの場合、誠意を持って相手にしてくれます。これが民主主義であって、しかも表現の自由であって、言論の自由であるわけです。これがないところに技術の進歩はないし、文化と芸術の生まれるはずもない!!

私の言う田中さんの『棘』とは、このようなものです。そしてこれを実行できたがために、田中さんはアメリカ人に認められ、これがノーベル賞をもらえるきっかけになったのです。 国際感覚を身に着けるというのはこういうことなんだと私は信じています。

日本の政府の権威や、大学の権威というのは、このように実に『もろい』ものなのです。 アメリカや、ヨーロッパの『権威』が、ああだ、こうだ、と言うと耳を貸しますが、しがない会社員が言っても、ちっとも相手にしないということが、日本の風土になっています。不審に思う人が居たら、松本清張さんの本を読むことをお勧めします。日本の権威がいかに欺瞞に満ちているものか、ということを理解することが出来ます。

田中さんが日本人の間だけで発表をしたり聞いたりしていたら、一生しがない会社員で終わっていたでしょう。

アメリカも、カナダも、文明的には下り坂です。
つまり、250年の壮年期を終えようとしています。
日本は明治が終わる頃、壮年期を終えました。
司馬遼太郎さんがそう言ってましたが、私も賛成です。

しかし、田中さんのエピソードからも分かるように、まだまだ、アメリカ、カナダには、文化的な活気があって、人間の頭も心も新鮮です。

つまり、くだらない『権威』というものにこだわらずに、ずけずけとものを言うという風土があります。このことを私は言いたいがために、田中さんのエピソードを持ち出しました。

長いこと読んでもらってありがとう!
批判するにはどうしたらよいのか?
もう少し面白おかしく読みたいのならば次のリンクをクリックしてくださいね。

『あなたは批判がどういうことだか分かっていますか?』


『田中さんは、どうしてノーベル賞がもらえたか?』より
    (2005年6月28日)

4年前のデンマンさんって、もっと真面目だったのですわね? うふふふふ。。。。

レンゲさんも、そう思いますか? うしししし。。。

【レンゲの独り言】

ですってぇ~。
デンマンさんが4年前には、上のような事を書いていたのですわね。
あなたは、どう思いますか?
デンマンさんに“あなたは間違っている!”と言えますか?

もちろん、野次を飛ばさないでくださいね。
いい加減なコメントを書くと、デンマンさんが、またムキになって記事を書きますからね。
うふふふふ。。。

とにかく、面白い話がまだ続きますう。
あなたもどうか、また、あさって読みに戻ってきてくださいね。
では。。。

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

1999年夏の「東芝事件」は

ネットでも画期的な事件でした。

東芝製ビデオデッキの修理に関し、

その対応に腹を立てた消費者が、

経緯をネットで公開したのです。

東芝側はホームページの一部削減をさせるため

「名誉権と営業権に基づく妨害排除の請求」の

仮処分を申請しました。

しかし、社会的な批判が高まり、

急遽謝罪を表明したのです。

仮処分の申し立ても取り下げました。

やはり、企業と言えども法の下には

個人と平等なのですよね。

「はてなダイアリー」のユーザーとして

デンマンさんが「はてなダイアリー」の問題点について

たくさん記事を書いています。

ユーザーと「はてなダイアリー」との関係も、

もちろん対等であるべきですよね。

ユーザーが不満を表明し、

釈明を求めているのであれば、

「はてなダイアリー」も誠実に対応すべきだと思います。

ネットの世界は単に現実世界の

向こうの虚像ではありません。

東芝事件のように、

ネット上で激しさを増したユーザーの声は、

間違いなく現実社会に戻ってくるからです。

デンマンさんが「はてなダイアリー」を批判しています。

興味があったら次の記事を読んでみてくださいね。

『はてな批判 (2009年5月24日)』

ところで、英語の面白い話をまとめました。

興味があったら、

次のリンクをクリックして

読んでください。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

■ 『性の俗説 (2008年3月4日)』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


 





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