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欺瞞の温床
by デンマン & レンゲ
2009年6月9日
踏みにじられた在野の功績
1975年、宮城県多賀城市の東北歴史資料館(現・東北歴史博物館)。 1949年の発掘調査で日本に旧石器時代があったと証明した岩宿遺跡。
納豆の行商で生計を立てながら考古学研究に打ち込んだ相沢さん。 相沢さんの発見に初めて注目したのが当時、明治大学大学院生の芹沢長介・東北大学名誉教授だ。 ところが杉原氏の報告書は、相沢さんを「あっせんの労をとってくれた人物」と紹介し、発見者として扱わなかった。 「相沢は深く傷つき、人間不信に陥った」 学者と在野研究者との関係は現在も同じだ。 pp.194-195 『発掘捏造』より
旧石器捏造事件
事件はアマチュア考古学研究家の藤村新一が次々に発掘していた、日本の前期・中期旧石器時代の遺物や遺跡だとされていたものが、全て捏造だったと発覚した事件である。 なお、縄文時代以降では、明確な遺構が地下を掘削して造られているため、土の性格から直ちに真偽が判断可能なので、捏造は不可能である。 事件の経緯 「捏造」を行なっていた藤村新一は、2000年11月の発覚当時、東北旧石器文化研究所という民間研究団体の副理事長になっていたが、彼が捏造を開始したのは1970年代にアマチュアとして、宮城県の旧石器研究グループに近づいた時からだった。 毎日新聞のスクープで指摘されたのは、宮城県の上高森遺跡、及び北海道の総進不動坂遺跡だったが、彼の関わった全ての遺跡について再点検が行われ、彼の関わった「石器」の多くに「発掘時のがじり」ではありえない傷や複数回にわたって鉄と擦過した痕跡である「鉄線状痕」などが認められた。 事件の影響 日本列島の「前・中期旧石器」研究は、そのような古い時代の石器は日本にはないだろうという批判を当初は浴びていたが、藤村の発掘成果によって強力な裏づけを得て、1980年代初頭には確立したと宣言されていた。 また、中国、韓国、北朝鮮といった歴史教科書問題で日本と対立している国々は、国内のマスコミで本事件を大々的に報道し、「日本人が歴史を歪曲しているのが証明された」として、一研究家の問題ではなく日本人の歴史認識そのものに原因があるとの見方を示している。 なぜ事件は起こったのか 一部の強力な批判にも関わらず、なぜかくも長期間、謬説がまかり通ったのかについて、深刻な批判と反省が叫ばれた。 落ち着いてそれらの「石器」や出土状況を観察してみると、火砕流の中から出土するなど、不可解で不自然な遺物や遺跡であった事が理解されるのだが、当の研究グループはそれを無視し続けた。 また、彼らの目覚しい成果に対して、国指定史跡を認定したり、文化庁主催の特別展に展示されるなど、間接的な応援団がいた事は事件を増幅させた役割としては非常に大きかった。 本来、人類の普遍的価値遺産として共有されるべき歴史的事物について、その多くが観光資源の観点に偏るかたちで地域住民に認識され、取り扱われてきた現状が、今回の事件発覚によって図らずも明らかになった。 「前・中期旧石器」が隆盛であった当時は批判が難しく、1986年の批判論文以後、再び反論が開始されるのは1998年の1点、及び2000年発覚前の2点に限られる。 なお、日本考古学協会前・中期旧石器問題調査特別委員会最終報告後に、藤村の捏造の範囲は旧石器時代を越え、縄文時代にも及ぶことが明らかにされた。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤村新一さんは“魔が差した”と言っていますけれど、いづれ見つかるとは思わなかったのでしょうか?
思ったでしょう。 それなのにどうして捏造を続けたのでしょうか? 1度やってバレない。。。2度やってもバレない。。。3度やってもバレない。。。こうなったら、やみ付きになってしまうでしょうね。 もう、惰性で捏造を続けたのでしょうか? そうだと思いますよう。しかも、マスコミが「神の手」なんて言っておだてたりする。だから、藤村さんが続けざまに発見するのを可笑しいと思っても面と向かって批判する研究者が居なくなってしまったのでしょうね。
学問は、違う考え方を戦わせて前進する
聞き手:(橋本達明・毎日新聞東京本社編集局長) p.214 佐原真氏:(国立歴史民俗博物館長) 竹岡俊樹氏:(共立女子大学非常勤講師) 。。。 馬場悠男氏:(国立科学博物館人類研究部長) 馬場悠男氏:(シンポジウムから p.244) 批判するかしないかは自由ですが、今までの常識とは整合しない「大発見」によって、列車「前・中期旧石器号」が断崖絶壁に向かってばく進している場合には、手をこまねいてよいのだろうか。(デンマン注: いや、批判すべきだ!) 断崖絶壁に向かっていたのに気づかなかったのはなぜなのか。 pp.214-245 『発掘捏造』より どうして、デンマンさんはこの座談を取り上げたのですか? 要するに批判することは大切ですよう。批判しないと、いつの間にか無理が通ってしまう。欺瞞が見過ごされてしまう。 どのように。。。? 竹岡氏が次のように言ってますよう。 権威のある方々が周りにいて、
真ん中に藤村さんがいて、
という構図ですよね。
どんどん発見されていくたびに、
次々と承認されていく。
そういう状況で、
いろいろとうわさ話はあっても、
文章化されることは
ほとんどありませんよね、怖いから。 つまり、 無理が通れば道理が引っ込む だから、ますます批判する人がいなくなる。 批判のない所に進歩なし! 批判することは大切なことだとデンマンさんは強調したいのですか? その通りですよう。 でも、一人ぐらい藤村さんに面と向かって批判する人が居ても良かったと思うのですけれど。。。どうして、そのような人が現れなかったのでしょうか? だから、竹岡氏が言った通りだと思うのですよう。藤村さんを信用して庇(かば)う人が周りに居たのですよう。
えらい人、庇う人
同じ日、山本(記者)は東北旧石器文化研究所の鎌足理事長が住職を務めている多賀城市の臨済宗の寺「不磔寺(ふりんじ)」を訪ねた。 鎌田氏の後輩で、フランスで旧石器を勉強した人というのは竹岡氏のことだった。 (中略) 東北大学名誉教授の芹沢(長介)氏には翌14日に会った。 藤村氏については「アマチュアだからってバカにする人もいるけれど、彼がいなきゃ発掘はできない」と目を細めて語った。 遠藤さん以外にも石器文化談話会の会員から取材した。 学生時代に藤村氏と一緒に発掘したという会員は「本当にいい人だった。酔いつぶれた僕を藤村さんが担いで布団まで運んでくれたこともある」と話し、別の会員は「学者でもエリートでもない、普通のおじさんだ。自分の手柄を自慢するわけでもない」と語った。 pp.92-94 『発掘捏造』より 僕は上の文章を読むと日本の“村意識”のようなものを感じるのですよう。 “村意識”って。。。? つまり、仲間を庇いあう。お互いに和気藹々(わきあいあい)と仲良くやる。多少の欠点だとか間違いは大目に見てしまう。そのような雰囲気の中で和の精神が保たれている。
“長いものには巻かれろ!”
目上の者や勢力ある者には、反抗しないで、我慢して従っていた方が得策である。 “寄らば大樹の蔭” 同じ頼るなら、力のあるしっかりした人に頼るべきだということ。 東北福祉大学の芹沢銈介(けいすけ)美術工芸館の館長の芹沢長介氏はこのページの冒頭で紹介した芹沢氏その人ですよう。石器を発見した相沢さんを「あっせんの労をとってくれた人物」と紹介し、発見者として扱わなかった助教授に抗議して明大を去り、1963年に東北大へ移った。 つまり、考古学界では知らぬ人が居ないほど正義感の強い人ですね。 そうなのですよう。いわば“大樹”なのですよう。藤村さんは下心があったのかどうか知らないけれど、芹沢さんとは良い関係を保っていた。一方、竹岡氏は鎌田氏の後輩だった。藤村さんの発見した石器に対しては、かなり批判的だった。批判的だった人のほとんどは“長いものには巻かれろ!”にしたがって黙っていた。批判的だった竹岡氏でさえ次のように感じていた。 権威のある方々が周りにいて、
真ん中に藤村さんがいて、
という構図ですよね。
どんどん発見されていくたびに、
次々と承認されていく。
そういう状況で、
いろいろとうわさ話はあっても、
文章化されることは
ほとんどありませんよね、怖いから。 藤村さんは大樹の蔭に居た訳ですね。 そうですよう。でも誰かが藤村さんに“あなたは間違っている!”と言うべきだった。 難しいでしょうね。 そうです。“村意識”にどっぷりと浸(つか)かっている人にはできません。 もし言ったら。。。? “仲良くしましょう!”という暗黙の掟を破る人は村八分にされてしまう。。。でもね、そう言う事が言える人は居るのですよう。 どなたですか? 僕が4年前に書いた記事を読んでみてください。
あなたは間違っていると言える人
田中さんは、どうしてノーベル賞がもらえたか? ええっ?別にノーベル賞をもらいたいとは思わない? ところで、あなたはノーベル賞を貰った田中さんのことをどう評価していますか? しかし、この人には『棘(とげ)』があります。 田中さんが偉かったのは業績ではありませんよ! 田中さんが国際的に認められるようになったきっかけを皆さんご存知ですか? 彼のところへ行って、何と言ったと思いますか? “You are wrong!” と言ったのです。 田中さんは、当時全く名前の知られていない、しがない会社員でしかなかった。博士号さえ持っていなかったのです。しかし、偉いのは田中さんだけじゃなかった。この相手のMITの教授も偉かった。田中さんの言うことを聞いて、自分の研究室に戻ってから研究内容を確かめて、初めて田中さんの言ったことが確かに正しいということが分かったのです。 日本人どうしでは、このようなことは端(はな)から起こりようがありません。断定すべきではないかもしれません!でも、まず起こらないでしょう! 日本の権威というのは批判を素直に受け容れません。 要するに、飛躍して言えば、民主主義というものはそのようなものです。 しかし、このことが日本では、なかなか出来ない! 私の言う田中さんの『棘』とは、このようなものです。そしてこれを実行できたがために、田中さんはアメリカ人に認められ、これがノーベル賞をもらえるきっかけになったのです。 国際感覚を身に着けるというのはこういうことなんだと私は信じています。 日本の政府の権威や、大学の権威というのは、このように実に『もろい』ものなのです。 アメリカや、ヨーロッパの『権威』が、ああだ、こうだ、と言うと耳を貸しますが、しがない会社員が言っても、ちっとも相手にしないということが、日本の風土になっています。不審に思う人が居たら、松本清張さんの本を読むことをお勧めします。日本の権威がいかに欺瞞に満ちているものか、ということを理解することが出来ます。 田中さんが日本人の間だけで発表をしたり聞いたりしていたら、一生しがない会社員で終わっていたでしょう。 アメリカも、カナダも、文明的には下り坂です。 しかし、田中さんのエピソードからも分かるように、まだまだ、アメリカ、カナダには、文化的な活気があって、人間の頭も心も新鮮です。 つまり、くだらない『権威』というものにこだわらずに、ずけずけとものを言うという風土があります。このことを私は言いたいがために、田中さんのエピソードを持ち出しました。 長いこと読んでもらってありがとう! 『田中さんは、どうしてノーベル賞がもらえたか?』より 4年前のデンマンさんって、もっと真面目だったのですわね? うふふふふ。。。。 レンゲさんも、そう思いますか? うしししし。。。
【レンゲの独り言】
ですってぇ~。 もちろん、野次を飛ばさないでくださいね。 とにかく、面白い話がまだ続きますう。
メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
1999年夏の「東芝事件」は
ネットでも画期的な事件でした。
東芝製ビデオデッキの修理に関し、
その対応に腹を立てた消費者が、
経緯をネットで公開したのです。
東芝側はホームページの一部削減をさせるため
「名誉権と営業権に基づく妨害排除の請求」の
仮処分を申請しました。
しかし、社会的な批判が高まり、
急遽謝罪を表明したのです。
仮処分の申し立ても取り下げました。
やはり、企業と言えども法の下には
個人と平等なのですよね。
「はてなダイアリー」のユーザーとして
デンマンさんが「はてなダイアリー」の問題点について
たくさん記事を書いています。
ユーザーと「はてなダイアリー」との関係も、
もちろん対等であるべきですよね。
ユーザーが不満を表明し、
釈明を求めているのであれば、
「はてなダイアリー」も誠実に対応すべきだと思います。
ネットの世界は単に現実世界の
向こうの虚像ではありません。
東芝事件のように、
ネット上で激しさを増したユーザーの声は、
間違いなく現実社会に戻ってくるからです。
デンマンさんが「はてなダイアリー」を批判しています。
興味があったら次の記事を読んでみてくださいね。
ところで、英語の面白い話をまとめました。
興味があったら、
次のリンクをクリックして
読んでください。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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