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恋に身を焼く
2009年7月19日

めれちゃん。。。急に元気になったなァ~!

そうですねん。あんさんのやって来るのを待っていましてん。

めれちゃんは、うれしい事を言ってくれるなァ~。。。夏はめれちゃんの季節やさかいにィ、きっと素晴しい短歌を詠んでいると思って、わくわくしながら見に来たのやでぇ~

わたしも、うれしいわァ~

それにしてもすごい短歌を詠みよったなァ~!?

ん。。。?すごい短歌ですかァ~?

そうやがなァ~。。。『恋に身を焼く』って。。。『裸エプロン』の続きやないかいなァ~。

あんさんにも分かりますかァ~?

分かるがなァ~。。。一度読めばすぐに『裸エプロン』の続きだということが分かるでぇ~

そうですかァ~?

そうやがなァ~。。。初めて読む人には次のリンクをクリックして読んでもらおうやァないかいなァ~。

『誠意と悪意』の中の『裸エプロン』

あんさんは、わたしの気持ちが分かってくれましたのかァ?

分かってるがなァ!

燃えつきぬ

想いをきみに

ささげたし

消せぬ炎の

中に身を焼き

by めれんげ

『誠意と悪意』の中の『裸エプロン』

上の『裸エプロン』を読むと、めれちゃんの「燃え尽きぬ想い」がよ~く分かるがなァ~。

そうですやろう!?わたしは消せぬ炎の中で身を焼いてますねん。。。あんさんにも、このわたしの熱い想いが分かりますやろう?

もちろん、分かるでぇ~

じゃあ。。。そろそろ始めまひょかァ~

めれちゃん!。。。ちょっと。。。ちょっとォ、待ちいなァ~。。。ここでエプロンを取ったらあかんでぇ~。。。

そやかて、わたし、もう待ちきれえ~へん。。。もう成りすまし馬鹿さんも居ませんよってにィ~。

めれちゃん!。。。冷静にならんとあかんでぇ~。。。まだ、そこで覗いておるがなァ~

でも、わたしには見えへん。。。

あのなァ~、めれちゃんは消せぬ炎の中で身を焼いているから、見えるものまでが見えへんのやァ!“恋は盲目”と言うやろう?。。。めれちゃんは盲目になっておるから、そこでアホヅラさげてめれちゃんのヌードを垣間見ようとしている成りすまし馬鹿が見えへんのやでぇ~

でも、わたし、かまへんでぇ~。。。

めれちゃん!。。。何度言うたら分かるのやァ~!?。。。ここはアダルトブログやないんやでぇ~。。。ここでめれちゃんがエプロン取ったら、このブログが閉鎖されてしまうのやがなァ~!あかァ~ん!

そやかてぇ~、わたし、消せぬ炎の中で身を焼いていますのやでぇ~。。。もう、待てへん!。。。どないしたらよろしいのォ~?

あのなァ~、だから、わては次の記事をめれちゃんのために書いたのやがなァ~。

『昇華とカタルシス (2009年5月10日)』

消せぬ炎の中で身を焼くか?身を焼かれるか?という時に、フロイトの言ったことなど持ちださんでおくれましなァ~。

あのなァ~、フロイトも同じような事を言ったけれど、わては、めれちゃんのために江戸川乱歩先生の言った事を持ち出してきたのやでぇ~。。。めれちゃんは忘れてしまったのやァ。。。もう一度じっくりと読んでみィ~なァ。

江戸川乱歩(左)と三島由紀夫

読んでいる暇などありしませんわァ。。。消せぬ炎の中で、わたしは身を焼かれてしまいますよってにィ~。

めれちゃんの消せぬ炎ってぇ、それほどすごいのかァ~?

そうでおますう。。。じゃあ、わたし、熱い炎を消すために、このエプロンを取りますゥ。

めれちゃん!。。。ちょっと。。。ちょっとォ、待ちいなァ~。。。何度言うたら分かるのやァ?。。。ここでエプロンを取ったらあかんでぇ~。。。

どうしてぇ~。。。?

あのなァ~、めれちゃんも次の格言を聞いたことがあるやろう?

Art is long, life is short.

もちろん、聞いたことがありますう。

「芸術は長く、人生は短い」と訳されておるのやでぇ~。人生は短いけれど、芸術は長く、後世まで残るのやァ。

だから、どうだと、あんさんは言いはるの?

だから、消せぬ炎の中で身を焼いている暇など、めれちゃんにはないはずやでぇ~。。。

わたしに、どないしろと、あんさんは言いはるのォ~?

だから、めれちゃんの燃えつきぬ想いを、消せぬ恋の炎を王朝小説の中で燃やし尽くすのやないかいなァ~。

わたしに『ネット源氏物語』を書けと、あんさんは言い張るのですか?

そうやがな。『めれんげ女三代記』でもいいでぇ~。。。『わたしと三匹の猫ちゃん』でもいいでぇ~。。。めれちゃんの恋の炎を芸術の炎にして燃やし尽くすのやがなァ~

どうしてぇ~。。。?

めれちゃんは1000年後にも生きるのやがなァ。。。

1000年後にも?

そうやがなァ~。。。次のランキングを見てみィ~なァ。

世界一有名な日本人    

1.水木一郎(歌手) 91言語
2.黒澤明(映画監督) 71言語
3.昭和天皇 64言語
4.松尾芭蕉(俳人) 62言語
5.明仁(今上天皇) 54言語
6.小泉純一郎(元首相) 53言語
7.福田康夫(元首相) 51言語
7.葛飾北斎(江戸時代の浮世絵師) 51言語
9.安倍晋三(元首相) 50言語
10.紫式部 (平安時代の作家) 45言語


『世界一有名な日本人』より
(2009年5月20日)

紫式部は、今から1000年ほど前の女性やでぇ~。上のリストの中で、女性はただ一人やがなァ~。しかも、500年以上前の人物でリストに載っているのは紫式部だけなんやでぇ~。

それが、わたしと関係あるのォ~?

関係あるがなァ~。。。めれちゃんも芸術の中で永遠に生きるのやがなァ~。。。

燃えつきぬ

想いをきみに

ささげたし

消せぬ炎の

中に身を焼き

by めれんげ

こう言う萌え萌えの短歌も実に素晴しいのやでぇ~。。。でもなァ~、早まって裸エプロンになって、ここでヌードになるのだけはアッカ~♪~ン!

どうしてぇ。。。?

どうしてってぇ~。。。やだなあああァ~。。。このブログはアダルトじゃないんやでぇ~。。。そのエプロンを取ったら、このブログは削除されてしまうがなァ~。。。『即興の詩』は、めれちゃんと同じぐらい大切なサイトなんやでぇ~。。。だから、早まったらアカンでぇ~。。。

分かりました。

でもなァ~、わては本当にうれしいでぇ~。。。

どうして。。。?

めれちゃんが7月15日を忘れていなかったからなァ。。。5年前の7月15日に、わてとめれちゃんは初めてネットで出会ったのやがなァ~。。。途中で、成りすまし馬鹿のような哀れな道化師が顔を覗かせたけれど、『即興の詩』も、めれちゃんも永遠やでぇ~。。。だから、裸エプロンを取ろうなんて考えたらアカン!

分かりました。

じゃあ、名作を書いてなァ。。。その名作の中で燃えつきぬ想いをささげるのやでぇ~。。。消せぬ炎を名作の中で焼き尽くすのやでぇ~

は~♪~い。。。あんさんのためにも、がんばりますう。

わては、いつまでも、めれちゃんを応援しているからなァ~。

は~♪~い。

でも、その裸エプロンも素晴しいでぇ、うへへへへ。。。。じゃねぇ~。

バンクーバー時間: 7月15日 水曜日 午後2時8分
(2度目:午後3時28分)

2009-07-16 07:37 AM


『即興の詩 恋に身を焼く』のコメント欄より

どうですか、レンゲさん。。。めれんげさんの「恋に身を焼く」という短歌を読んで。。。?

あたしには、めれんげさんの気持ちがよ~く分かりますわ。

ほおォ~。。。、レンゲさんには分かりますか?

めれんげさんは、あたしの親友ですもの。。。

うん、うん、うん。。。確かに、めれんげさんとレンゲさんの付き合いは、僕とめれんげさんの付き合いよりもずっと長いですからね。。。それで、レンゲさんは、どう思いますか?

デンマンさんの“愛”は、めれんげさんにとって、“恋”とはまったく異なるモノとして感じられるのだと思いますわ。

確かに愛と恋は同じようで違いますよう。その事をもっとも端的に言い切ったのは、これまでにも何度か紹介したけれど、太田将宏老人の次の言葉だと僕は思うのですよう。

恋愛は、年頃の男女が肉体に

触発された心理現象

音楽は、けっして、世界共通の言語などではない。
異なる時代にも亘る言語ですらなかった。
それでは、ヨーロッパ音楽の伝統とは、
そもそも、いったい何であったのだろうか。

小澤征爾が言っていたことであるが、彼が若い頃、
東洋人がヨーロッパの音楽をする意味、
可能性について問われたとき
(そういうことを聞く田舎者が
 世界のどこにもいるものである。)、
音楽は、世界の共通の言語であるからと、
(当たり障り無く)返事をしていたところが、近頃では、
何か自分が壮大な実験をしているのではないか、と思うようになってきたそうである。

壮大な実験、これは、彼だけのことではないであろう。
ようやく我々が西洋音楽を扱うことに関して
欧米(を超える)水準に達した今日の、この倦怠は何であろう。
かといっても、我々が邦楽に戻るなどとは、
一般的にいって、非現実的であり、できない相談である。
バスク語を話せ、と言われた方が、まだしも抵抗が少ないのではないか。

(中略)

いつだったか、小澤征爾と H.V.Karajanの指揮する M.Ravel の “Bolero” を聞き比べたことがあった。
小澤の演奏は、英語で言う too square であったが、
Karajanのそれは、なんとも sexyで妖艶ですらあった。
フランス人でもないのに。
やはり、小澤のような指揮者でさえ日本人では及びがたいところが今なおある。

(中略)

わたしは、何々至上主義、といったものが嫌いである。
例えば、恋愛至上主義。
大体、恋愛感情などというものは、ある年頃の男女が肉体に触発された心理現象にすぎないのではないか。
そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。
長い間、生活を共にしていて、まだ互いにsexualityを感じたとしたならば、それは近親相姦に近くはないか。

J.S.Bach は、
前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、
私はここを書いていて、少し、困っているが。

芸術至上主義も同じ。
人生は芸術を演出する時空ではない。


pages 5 & 6 間奏曲集 (主題なき変奏) その2
著者: 太田将宏 初版: 1994年1月 改定: 2006年6月


『お願い、骨まで愛して (2006年10月15日)』より

太田さんは“恋愛”と言っているけれど、この場合“恋”と書いた方がもっと的確ではないかと僕は思うのですよう。

恋は、ある年頃の男女が肉体に触発された

心理現象にすぎないのではないか。

めれんげさんが上の短歌で詠んでいる“恋”も、すぐ上の定義の中の恋と変わりがないと、デンマンさんは考えているのですか?

そうですよう。もちろん、人間50歳になろうが60歳になろうが恋をする人は居ますよう。でもねぇ、80歳の男女が恋をして再婚したという話はまず聞かない。恋をするという場合、たいていの人は10代の青年男女を思い浮かべるはずですよう。要するに思春期の男女ですよう。だから、上の定義は次のように言えば、もっと的確だと思うのですよう。

恋とは、思春期の男女がホルモンに触発されて

感じる心理現象にすぎない。

このように定義しても、おそらくほとんどの人が違和感を感じないうと僕は思うのですよう。レンゲさんは、どう思いますか?

確かに納得できるような定義ですわ。

そうでしょう!? このように定義すると、愛と恋の違いがはっきりしますよう。愛と恋は確かに似ているようなところがある。でも、上の定義の中の恋を愛に代えると、その違いが分かります。

愛とは、思春期の男女がホルモンに触発されて

感じる心理現象にすぎない。

この上の愛の定義がナンセンスなことがレンゲさんにも分かるでしょう?

ええ。。。確かに“愛”は思春期のホルモンの分泌とは、ほとんど関係ありませんよね。うふふふふ。。。

でしょう?。。。だから僕は思うのですよう。恋にあまりこだわるべきでないと。。。、いつまでも恋に関わるべきでないと。。。

でも、めれんげさんの“恋”も思春期のホルモン分泌とは関係ないと思いますわ。

ほおォ~。。。そうですか?

だってぇ、めれんげさんは思春期を遠い昔に通り過ぎましたわ。うふふふふ。。。

そうですよう。。。だとしたら、めれんげさんが現在感じている恋は何ですか?

だから、文学的な恋とでも呼べるでしょうか?。。。あるいは、詩的に醸(かも)し出された恋と言うこともできるかもしれませんわ。。。めれんげさんの感じている恋は、ある意味で『源氏物語』の中の恋のような気がしますわ。

なんだか、卑弥子さんが聞いたら喜びそうな事をレンゲさんは言いますねぇ~。。。で、具体的には、どういう恋なのですか?

紫式部は『源氏物語』の「蛍(ほたる)」の巻で、光源氏が言った言葉として次のように語らせていますわ。

「そらごと」と言われる物語の中にこそ、

全円的な人生の実相を託しえる。

これは驚いたなぁ~。。。レンゲさんも『源氏物語』を勉強しているのですか?

いいえ。。。ただ、デンマンさんと卑弥子さんが『源氏物語』についてお話しているのを読んで、ちょっとばかり興味を持っただけですわ。

いや、いや。。。謙遜しなくてもいいですよう。。。目の付け所が的を得ていますよう。さすがに恋に身を焼く事を何度も経験しているレンゲさんのことだけはありますね。うしししし。。。

デンマンさんは、あたしをからかっているのですか?

いや、違いますよう。僕はマジで感心しているのですよう。。。で、具体的に、めれんげさんが短歌の中で感じている恋とは、一体どういう恋なのですか?

だから、めれんげさんの感じている恋は「そらごと」のような恋と思える人がいるかもしれません。でも、その「そらごと」の中にも真実が隠されているのですわ。例えて言えば「文学少女の恋」ですわ。

ん。。。?「文学少女の恋」。。。?

そうですわ。デンマンさんが何度も取り上げた次の小文の中で死に逝く女性が大心池(おおころち)先生に告白する恋ですわ。

私は骨の髄まで

文学少女なのです

「文学少女」は普通の小説である。
探偵小説壇には普通の小説に似たものを書く人も多いけれど、その気迫において「文学少女」までいたっている作品は非常に少ないのではないかと思う。
短い短編の中に類型ではあるが、しかし決して通常人ではない一人の文学少女の生涯が、簡潔に、しかし溢れる「情熱」と「自尊心」とをもって描かれている。
 。。。
僕はかつて、「日本探偵小説傑作集」の序文で、探偵作家諸君の作風を紹介したことがあるが、その中で木々高太郎君だけは、少し見誤っていたことを告白しなければならない。
彼の文学執心には医学者の余技以上のものがある。単なる精神分析作家ではない。
文学心に燃ゆること、探偵小説界彼の右に出(い)ずるものもないほどであることが、だんだん分かってきた。

僕は彼の作品に、スリルまでに高められた「情熱」と「自尊心」とを感じる。
それが人を打たぬはずはない。
「文学少女」でいえば、わざと学校の答案を間違って書くというくだり、
「恋愛は二人のことだけれど文学は孤独の業である」というくだり、
大心池(おおころち)博士が具体的表現ということから女主人公の文学素質を看破するくだり、
有名な小説家に自作を剽窃(ひょうせつ)されて怒るよりも喜ぶという心理、
その謝礼金の小切手を夫が費消(ひしょう)したことを知って、突如としてメチルアルコールを買いに行くあたりの描写、
そして、女主人公が獄中で一躍流行作家となる運命。

「先生、痛みなどは何でもありません。私は始めて人生を生きたいという希望に燃えて来ました
(中略)
文学というものは、なんという、人を苦しめ、引きちぎり、それでも深く生命の中へと入って消すことのできないものでしょう。
でも、私はもう七度(たび)も生まれてきて、文学の悩みを味わいたいのです。
私は骨の髄まで文学少女なのです

これは女主人公が普通の人には堪えられぬ程の骨の痛みに堪えながら、大心池先生に叫ぶ言葉であるが、僕はそれを作者木々高太郎の絶叫ででもあるように錯覚して、快い戦慄を禁じえなかったのである。

そして...

「お願いが一つあるのです。。。それは私はもう一度生まれてきて、文学をいたします。そしたら、やっぱり先生が見出してくださいますわね」
「。。。ミヤが心の内で、先生に接吻しているのを許してください」
…とやせ細った手を上げたが、それは先生を身近く招くためではなくて、近づこうとする先生を、近づかぬように制するためであった。

…という幕切れの、パッと消えてゆく情熱の花火が、消え行く刹那、たちまちその色彩を一変して見せるかのごとき、すっきりしたあの味。

僕は木々高太郎君が、「情熱」の作家であることを知っていた。
しかし彼のより以上の特徴が自尊心の作家であるということをハッキリ認識したのはつい三四ヶ月以来である。
僕は以前からも、それを漠然と感じて、「気迫」という言葉で言い表わしていたが、「自尊心」というのがもっと適切である。


pp.511-513 「文学少女」より
『江戸川乱歩全集 第25巻 鬼の言葉』
監修: 新保博久・山前譲
2005年2月20日 初版1刷発行
発行所: 株式会社 光文社

『虚構の中の真実 (2009年6月1日)』に掲載。

つまり。。。、つまり。。。、めれんげさんはマジで僕を大心池(おおころち)先生だと思いながら恋を告白していると、レンゲさんは言うのですか?

だってぇ、デンマンさんだって次のように書いていたではありませんか!

「お願いが一つあるのです。。。

それは私はもう一度生まれてきて、

文学をいたします。

そしたら、やっぱりデンマンさんが

見出してくださいますわね」

「。。。めれんげが心の内で、

デンマンさんに接吻しているのを

許してください」

…とやせ細った手を上げたが、

それはデンマンを身近く招くためではなくて、

近づこうとするデンマンを、

近づかぬように制するためであった。

ここの所を読んで、僕は涙がにじみ出てくるほどに感動したのです。

デンマンさんが自分の都合の良いように書き換えただけですわ。

あのねぇ~。。。文学というものは、自分と自分が愛している人をその状況に置くから、しみじみと感動するのですよう。。。この場合には、めれげさんがヒロインになって、僕が大心池先生になるのですよう。。。そうやって上の文章を読むと、急に涙がにじんでくるのです。。。めれんげさんが詩的な死を体験してまで感じた“愛の緊張”を感じ取りながら、僕はさめざめと涙を流したのですよう。

マジで。。。?

あのォ~。。。僕がさめざめと涙を流すのは可笑しいのですか?

いえ、別に。。。でも、ちょっと意外ですわ。

あのねぇ~。。。レンゲさんだって、そのように感情移入して読むことがあるでしょう?

あたしが、デンマンさんのことを想いながら文学作品を読むだろうと。。。デンマンさんは、そう思うのですか?

そうですよう。。。違うのですか?


『愛の緊張 (2009年6月17日)』より

つまり、めれんげさんもこの記事を読んで、心の内を「恋に身を焼く」という短歌にして『即興の詩』に載せたと。。。レンゲさんは。。。、レンゲさんは、そう言うのですか?

そうですわ。

でも、それは、あのォ~。。。あまりにも小説的な解釈でしょう。。。!?うしししし。。。

だから、その事を紫式部さんが光源氏に次のように言わせたのですわ。

「そらごと」と言われる物語の中にこそ、

全円的な人生の実相を託しえる。

う~♪~ん。。。なるほどねぇ~。。。レンゲさんは味わい深い事を言いますねぇ~。。。確かに、これまで書いてきたことは紫式部に言わせれば、すべて「そらごと」ですからね。

そうですわ。でも、その「そらごと」の中にこそ、全円的な人生の実相が込められているのですわ。

そうですよう。だから、司馬遼太郎先生も次のように言ったのですよう。

“作品は作者だけのものと違うんやでぇ~。。。

作者が50%で読者が50%。。。

そうして出来上がるモンが作品なんやでぇ~”

つまり、作者の50%の創作があって、読者の50%の理解があって初めて作品の内容が光り輝くのですよう。作者が立派な内容の作品を書いても、それを読み解(と)くだけの読者の人生経験や、教養がなければ、名作も“猫に小判”となってしまうのですよう。

そう言えば、デンマンさんが『即興の詩』に書いた上のコメントに対して、どなたかがコメントを書いていましたわ。

レンゲさんも気づきましたかぁ~。。。愚か者が次のようなコメントを書いていたのですよう。

妄想狂と電波系の基地外(気違い)は怖いですな。

by 新世紀(の落伍者

2009/07/16 12:48 PM


『即興の詩 恋に身を焼く』のコメント欄より

落伍者」という部分はコメントにはなかったようですけれど。。。

うへへへへ。。。僕が加えたのですよう。

どうして。。。?

どうしてってぇ、上の稚拙なコメントを書いた男は、まさに21世紀の落ちこぼれ者ですよう。落伍者ですよう。新しい時代についてゆけないタイプの人間です。

もしかして、上のコメントを書いた人は成りすまし馬鹿さんですか?

いや。。。違いますね。。。僕の直感では別人ですよう。

どうして成りすまし馬鹿さんでないと分かるのですか?

“文は人なり”

あのねぇ~、文章には、その人の性格だとか教養だとかが、どうしても表れてしまう。上のコメントはたった1行のコメントだけれども、成りすまし馬鹿がこれまでに使ったことのないスタイルで書いている。

そのスタイルってどのようなスタイルですか?

“怖いですな”というような書き方で、成りすまし馬鹿はこれまで書いたことがない。この文の終わり方には、どこかに読む人の同意を求めるところがあるけれど、成りすまし馬鹿は、これまで常に断定するような書き方をしてきた。どちらかと言えば命令口調、断定口調なのですよう。だから、まず間違いなく成りすまし馬鹿とは別人が書いたのですよう。

。。。で、デンマンさんの直感では、どのような人なのですか?

退職がまじかに迫った万年係長ですよう。年老いた妻に持たされた弁当を窓際の机で食べ終えた。7月16日の木曜日。20分で食べ終えたのでまだ昼休みが終わるまで充分な時間がある。何もすることがないので机の上のパソコンでブログを開いてみた。たまたま開いたのが『即興の詩』の「恋に身を焼く」という、めれんげさんの短歌だった。僕がこの男のオツムの中を再現してみますよう。うへへへへ。。。

おっ。。。どうやら女らしいなぁ~

「恋に身を焼く」なんて、バカな女が居るもんだよう。

あれっ。。。しかも、こんなくだらない短歌にコメントを書いているアホがいるじゃん。

ちょっと覗いてみよう。

あれれれれっ。。。なんだこりゃァ~

ん。。。?裸エプロンを取りますだとォ~。。。?

何を言ってんだよう!この昼さがりにィ~

“めれちゃんは1000年後にも生きるのやがなァ”だとォ~?

何をぬかしてけつかんねん!

“紫式部は、今から1000年ほど前の女性やでぇ~。”

だから、どうだと言うんだい?

“それが、わたしと関係あるのォ~?”

デンマンの言うことなど無視しろ!

“関係あるがなァ~。。。

めれちゃんも芸術の中で永遠に生きるのやがなァ~”

何を寝言をいってんだよォ!馬鹿馬鹿しい!

“でもなァ~、わては本当にうれしいでぇ~”

何がそんなにうれしいんだい?

“5年前の7月15日に、わてとめれちゃんは

初めてネットで出会ったのやがなァ~”

マジかよう?

“だから、裸エプロンを取ろうなんて考えたらアカン!”

デンマンの言うことなど聞くなア!すぐにエプロン取れ!

“取ったらアカン!名作を書いてなァ。。。

その名作の中で燃えつきぬ想いをささげるのやでぇ~。。。

消せぬ炎を名作の中で焼き尽くすのやでぇ~”

デンマンの言う事など聞くなア!

“は~♪~い。。。あんさんのためにも、がんばりますう”

そんな事、言うなってぇ~!騙されるなよう!

“わては、いつまでも、めれちゃんを応援しているからなァ~”

そういう甘い事を言われてナンパされるなよう!

“でも、その裸エプロンも素晴しいでぇ、うへへへへ。。。。じゃねぇ~”

このデンマンちゅう男は、一体どういう人間なんやア!

(それで、この男は昼休みの限られた時間内に、

僕の他の記事を読めるだけ読んだ)

ふー♪ーん。。。なんか楽しそうやなァ~

カナダのバンクーバーか?

ふ~♪~ん。。。素晴らしい所やなァ~

デンマンちゅう男は、こういうエエ所で

20年も楽しく面白く暮らしてきたのかァ~?

定年まじかい万年係長のワシは、

こんなくだらない会社に20年以上も勤めて窓際族。

海外旅行もしたこともなければ、恋をしたこともない。

おまけにネットでめれんげさんのような人と

楽しくメールの交換をしたこともない。

2ちゃんねるで覚えた公衆便所の落書きを

書き回っているだけ。。。

ワシの人生は、一体なんだったのだろうか?!

このまま虫けらのように死んでしまうのだろうか?

ああ。。。一度でいいから、バンクーバーのような

素晴らしいパラダイスを見てから死にたいなァ~

どうですか、レンゲさん。。。?上のくだらないコメントを書いた「新世紀(の落伍者)」というのは、このような人間ですよう。

【レンゲの独り言】

ですってぇ~。。。
それにしてもデンマンさんは想像力が豊かですよねぇ~。
うふふふふ。。。
あなたも、そう思いませんか?

とにかく、興味深いお話がまだ続きます。
あなたもどうか、また、あさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

Art is long, life is short.

「芸術は長く、人生は短い」と訳されています。

人生は短いけれど、芸術は長く、後世まで残る。

上のような意味に考えている人が多いですよね。

でも、本当の意味は違うのですって。

「あまりにも学ばなければならないことが多すぎる。

でも、学ぶための時間が少なすぎる」

これが元々の意味だそうです。

ギリシアの外科医であるヒポクラテスが言ったそうです。

つまり、ここで言う “Art” というのは、

美術のような芸術をさすのではなく、

「医療のための技術」だそうです。

ヒポクラテスは、日々の医療活動の中で、

「学ばなければならない技術は、

あまりにも多い。しかしそのための時間はあまりにも少ない」

と嘆いたのです。

ヒポクラテスの言葉が英訳されて

Art is long, life is short.

…のようになったそうです。

Chaucerは、つぎのように訳しています。

The life is short, the craft so long to learn.

「学ばなければならない技術は多く、そのための時間は短い」

Sir. John Davies は次のように訳しています。

Skills come so slow, as life so fast doth fly,

We learn so little and forget so much.

「人生はあまりにも早く過ぎ去り、技術が身につくのは、遅い。

私たちはほとんど学ばず、多くのものを忘れる」

いづれにしても人生は短いのです。

あなたも短い人生を最大限に活用して

生きがいのある人生にしてくださいね。

ところで、愛とロマンに満ちたレンゲさんのお話を

をまとめて『レンゲ物語』を作りました。

もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、

次のリンクをクリックしてくださいね。

■ 『愛とロマンのレンゲ物語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


 





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