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女とクラシック
2009年9月23日

バスに乗り込んだ途端、ハーーイ、Mister Ota, Helloオーオ!、という女の子の大声が一番後ろの席から聞こえた。見ると、我が家の隣のChristineが、腕を170度ぐらいに大きく振って、にこにこしている。他の乗客は、いっせいに私を見ている。彼女が高校生のときであった。そして、大学に進んでドイツ文学を専攻した。それ以来、しょっちゅうドイツに行っている。今でも、まったく、彼女は天真爛漫である。

それが、彼女の母親、Victoriaの悩みの種なのだ。なにせ、三ヶ月と言って出て行って、一年以上、半年と言って、一年半も家に帰って来ないのである。大学も除籍になりかかったことがある。叱っても、娘の返事は、“Don't worry”だそうだ。そして、Victoria は、Masahiro、今月の電話代いくらかかったと思う?$5,000以上よ、とこぼしていた。Christineが collect callで掛けてよこすからであろう。その挙句、先日は、金送れ、と言ってきたので、喧嘩してしまった、としょげていた。


145ページ
『前奏曲集』 (私はアマチュアである) 作品1の2
著者: 太田将宏
初版:1989年7月 改定:2006年5月

(注: イラストはデンマンが貼り付けました。)

デンマンさん。。。今日は太田さんのクラシックの本から面白いエピソードを書き出したのですわね。

そうですよう。レンゲさんも面白いと感じますか?

感じますわ。日本ではなかなか見られない光景ですものォ~。

確かにそうですよう。日本では、バスに乗ったら、皆、澄まし込んでいますからねぇ~。良く言えば、お行儀がいいのですよう。悪く言えば取り澄ましているのですよう。女子高生がたとえ隣のおじさんとバスで乗り合わせても、大声を出して手を振って挨拶するなんて日本ではまず考えられませんよう。

そうですわねぇ。うふふふふ。。。

あのねぇ~、実は、お袋の付き添いで僕は熊谷市の郊外にある循環器・呼吸器病センターへ熊谷駅からバスに乗って出かけたことがあったのですよう。

センターのお医者さんと事務長さんを相手に苦情を言ったという。。。その時の事ですか?

そうなのですよう。次の記事の中で書いたことだから詳細はここには書きません。

『鼾と妊娠 (2008年6月9日)』

それでバスの中で何かあったのですか?

いや。。。とりわけ何が起こったと言う事ではないのだけれど、たまたまバスの料金を運転手さんに聞いたら、反対側に座っていたおばさんがすぐに答えてくれたのですよう。それで、そのおばさんとセンターに着くまで世間話に花が咲いたのだけれど、お袋が一人座席に座った、すぐ後ろから、“みっともないから大きな声で話すんじゃないよう”と、まるで子供に注意するように叱られましたよう。

あらっ。。。叱られてしまったのですか?うふふふふ。。。

そうなんだよねぇ~。。。日本では、車内で携帯電話をするのもダメでしょう。

そうですわ。電車の中などでは、しばしば車掌さんが車内放送で携帯の電源を切るか、マナーモードにしてください、と言うような事を放送しますから。。。

カナダでは、車内でも皆、平気でケータイで話していますよう。。。やっぱり、お国柄(くにがら)ですかねぇ~。。。

。。。で、デンマンさんは、そのおばさんとお話をするのを止めたのですか?

いや、止めませんでした。バスの乗客は、せいぜい10人ぐらいで、すいていたのですよう。だから、特に迷惑だと思うような人も近くには居なかった。だから、僕はお袋の注意には耳を貸さないで話し続けたのですよう。。。もちろん、バスから降りて、お袋には説明しましたけれど。。。

。。。で、お母様は何とおっしゃっていました?

「カナダでは、バスの中でも、皆が平気で雑談するのかい?」。。。と半ば呆れていましたよう。うしししし。。。

それで、なぜ上のエピソードを持ち出したのですか?

9月16日の記事の中で僕は次のエピソードを書いたのですよう。ちょっと読んでみてください。

縦型社会の日本は、本当に自由で平等な

横型社会になれるだろうか?

僕も実は教育の現場に立った事があるんですよ。
教育実習で仙台商業高校の1年生に数学を教えた事があります。
カナダでは大学でコンピューターと社会人クラスでは国際貿易(インターナショナルマーケティング)を教えた事があります。
(もちろん英語で教えたわけですよ。うへへへへ。。。。)

でも、歴史に関しては素人です。
しかし、もう20年近くヨーロッパ史、古代オリエント史、古代ギリシャ史、古代ローマ史、古代日本史、古代中国史、古代インド史、。。。を自習しています。
つまり、僕は20年近く“歴史馬鹿”であり続け、歴史の本や映画を暇があれば片っ端から観たり読んだりしてきました。
もちろん、日本史や世界史を高校の時に勉強しました。古文・漢文も勉強させられました。

そういうわけで、僕も上の持統天皇の歌を学校で勉強した事があります。
僕の高校時代の恩師は京都大学の哲学科を卒業した先生で、僕のクラス担任でもあったし、歴史の先生でもあった人です。
この青木先生の教育のスタンスは、ちょうどこの章子さんと同じようでした。
つまり、人道的な立場に立って、人間性を重要視するというスタンスです。

そういうわけで、章子さんの文章を読んだ時に、懐かしく青木先生のことが思い出されてきたのです。
この恩師に高校の同窓会でお会いしたのですが、“加藤君”ではなく、“加藤さん”と呼ばれたときには面食らいましたね。

僕は現在カナダに居るのですが、200人程度のコンサルティング会社で働いた事もあります。
課長であろうが、部長であろうが、社長であろうが、Mr.Bushなんて呼んだ事は一度もありません。
Georgeと呼びすてですよ。

IBM のような伝統的で歴史のある大会社ならともかく、中小企業なら、間違いなくファースト・ネーム・ベースで付き合うものです。
つまり、名前(ファーストネーム)を呼び合う事が当たり前です。
役職だとか年齢には全く関係しません。
Mr.Bush と呼ぶと。。。
Call me George, will ya? 。。。という返事が返ってくるほどです。

青木先生は飾らない先生で、権威に対しても、おもねるような所がない人でしたから、“加藤さん”と呼ばれた時、僕は唖然とするというか、かなり面食らったのですが、
内心では。。。というか、直感的に、
“なるほどなあああ。。。教職の現場から離れるという事は、社会人として付き合うということなのか。。。?”
。。。こう思ったものですゥ。

しかし、社会に出て、一体幾人の人が青木先生のような態度が取れるか?
日本には歴然として、先輩・後輩の付き合いがありますよね。
先輩に対して“。。。君”とは言えないし、
先輩だって、後輩に向かって“。。。さん”とは言わない。
これは卒業してからも終生日本では続きます。
こういうところに、僕は日本の縦型社会を感じるんですよ。

そういう体育会系の付き合いを僕は良く知っているだけに、青木先生から“加藤さん”と呼ばれた時の僕の内心の驚きを察してください。
つまり、僕は、青木先生のスタンスに横型社会を感じたんですよね。
要するに、どちらかと言えば欧米の社会です。
つまり、自由平等。
市民社会です。

(ところで、欧米では教室でも先生の僕をファーストネームで呼ぶ人も居たほどです。
半分ほどの生徒は僕をファーストネームで呼びましたよ。
もちろん、慣れてしまえば、全く抵抗がないものです。日本では絶対に考えられない事でしょうね。)


『いにしえの愛とコミュニケーション (2007年1月8日)』より

『熊校の思い出 (2009年9月16日)』に掲載

この上の記事の中で名前(ファーストネーム)で呼び合うという事を書いたけれど、太田さんと隣のビクトリアおばさんも名前で呼び合っているのですよう。

そうですわねぇ。隣のおばさんは Victoria と呼ばれ、太田さんは Masahiro と呼ばれているのですわね。

ビクトリアの娘の、当時高校生のChristineは、太田さんのことをMister Otaと呼んでいるけれど、生粋(きっすい)のカナダ人ならば、お母さんと同様にMasahiroと呼ぶはずですよう。

ビクトリアと娘のクリスティンは生粋のカナダ人ではないのですか?

太田さんの本を読んでいたら、隣の家族はドイツ系の移民らしい。

それで、Christineはドイツ文学を専攻したのですか?

たぶんねぇ。。。それにドイツ人は昔の日本人のように礼儀正しいところがありますよう。だから、太田さんがお母さんの友達なので、Mister Otaと呼んだのですよう。

何か根拠でもあるのですか?

あのねぇ~、僕がトロントで下宿していた時の家のおじいさんは名前がJohn Williamsと言うのですよう。隣に住んでいた3歳のマイクは、5代前の先祖からカナダに住んでいたから、いわば生粋のカナダ人ですよう。

それで。。。?

日本では考えられないことだけれど、この3歳のマイク坊やが、隣のおじいさんをジョンと呼んでいたのですよう。初めて聞いた時には僕は呆れましたよう。(爆笑)

3歳の坊やが70歳のおじいちゃんを名前で呼ぶのですか?

そうなのですよう。でも、分かるでしょう?。。。女子高生のクリスティンが回りもかまわずに太田さんがバスに乗り込んだ途端、ハーーイ、と大声で一番後ろの席から声を掛けて、腕を170度ぐらいに大きく振って、にこにこしている。とにかく、親しみを体、全体で表現しますよう。名前で呼び合うという意味は、その親しさが込められているのですよう。この事は、太田さんのような経験をしないと良くは理解できないかもしれません。とにかく、親しみの表現の仕方は、日本人とは次元が違いますよう。

つまり、その事が言いたいためにデンマンさんはクリスティンと太田さんのエピソードを持ち出してきたのですか?

いや。。。違うのですよう。実は、上のエピソードは太田さんの本の中で Robert Schumann (ロベルト・シューマン)の紹介ページに書いてある小話なのですよう。ついでだから、『ウィキペディア』の説明も読んでください。

ロベルト・シューマン

ロベルト・シューマンと妻・クララ

1810年6月8日 - 1856年7月29日
ドイツの作曲家、音楽評論家。
ロマン派音楽を代表する一人。名ピアニスト。
クララ・シューマン(Clara Josephine Schumann, 旧姓ヴィーク Wieck)は妻である。

1834年の夏には、エルネスティーネ・フォン・フリッケンとの恋愛事件があり、それは『謝肉祭』と『交響的練習曲』が生まれるきっかけとなった。
その後、ヴィークの娘の名ピアニスト、クララとの恋愛が進行し、2人は婚約した。それはヴィークの激しい怒りを買い、シューマンとクララはつらい思いをせざるをえなかった。
そのような日々の中で『幻想小曲集』(作品12)、『幻想曲』、『クライスレリアーナ』などが作曲された。
1839年、2人は遂に訴訟を起こし、翌年結婚が認められた。
2人の間には8人の子供が生まれた。

 ヨハネス・ブラームス

1853年9月30日、シューマン家に当時20歳であったヨハネス・ブラームスが訪問し、彼は自作のソナタなどをシューマンとクララに弾いて聴かせたが、これに対してシューマンは久しぶりに評論を書き、「新しい道」という表題でその若者を強く賞賛し、未来を予言した。
ブラームスは晩年のシューマンの希望の星であった。

しかしブラームスと出会ってから半年もしない1854年に入ると、本人も自覚していた元々の躁鬱、音楽監督時の精神的疲労に加え、青年期に娼婦より罹患した梅毒に起因するとされる精神障害が著しく悪化し、2月27日にデュッセルドルフのライン川に投身自殺を図った。
間もなく助けられたが、その後はボン・エンデニッヒの精神病院に収容され、面会謝絶のためクララにも殆ど会う機会は与えられなかった。
1994年に当時のカルテが公開され、梅毒の症状が認められた上、シューマンは『デュッセルドルフが消滅した』と真剣に語ったという(医師は病名を巧妙に書き換えていた)。
クララは医師に告知されてショックを受けた。

シューマンは病床でも作曲を試みるなどしたが、回復しないまま1856年7月29日にこの世を去った。
この時期に書かれた作品や手紙はクララによって後に破棄された。
最後の言葉は、ワインを指につけて夫にしゃぶらせるクララを腕に抱いて囁いたという「俺は知っている」(Ich weiß)であった。
クララがその様子を日記に書いている。
これがブラームスとクララ・シューマンの不倫の事なのかどうかまでは、ついに決定的証拠が残されることがなく、現在でもシューマン研究の論争の種である。
なお、かつてシューマンの8人目の子供フェリックス(1854年 - 1879年)はブラームスの子供ではないかとの憶測を呼んだが、現在は否定的な見解が多い。
しかしこの件でシューマンは、自分に似ていないということでクララと喧嘩をしている。

シューマンはまずベートーヴェンの音楽から大きな影響を受けた。
ベートーヴェンの交響曲のような作品を書くことが少年シューマンの夢であった。
また、フランツ・シューベルトの詩的情緒にも魅了された。ヨハン・セバスティアン・バッハの対位法は彼にとってロマンティックで神秘的なものを感じさせた。
鋭い感性と知性に恵まれていたシューマンは、ホフマンやジャン・パウルなどのロマン主義文学からも深い影響を受け、その作品は、ドイツ・ロマン主義の理念を、音楽家として最も純粋な形で表現し、その精髄を示しているとみなされる。  

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、デンマンさんはロベルト・シューマンに興味を持っているのですか?

もちろん、僕はシューマンの名前ぐらいは聞いたことがある。でもねぇ、正直言って、シューマンの作品を僕はこれまでに聴いたことがないのですよう。思い出す限り、シューマンの LP や CD を自分でかけて聞いたことがない。

マジで。。。?

うしししし。。。自慢にならないけれど、僕はクラシックに、それほど興味がない。

それなのに、どうしてシューマンの事を持ち出したのですか?

あのねぇ~、そもそものきっかけは僕が『縦型社会の日本は、本当に自由で平等な横型社会になれるだろうか?』という記事を引用したからなのですよう。

上の引用とシューマンは関係なさそうに見えますけれど。。。

引用の中でカナダでは役職や年齢にかかわらず、名前(ファーストネーム)を呼び合うのが普通だと書いた。その時、ふいに太田さんが本の中で書いたビクトリアと娘のクリスティンのエピソードが思い浮かんだのです。

それで、記事になるかもしれないと思って、太田さんの本を探したのですか?

そうなのですよう。。。手にとって読んでみたら、そのエピソードがロベルト・シューマンの紹介ページに書いてあった。

それで『ウィキペディア』でロベルト・シューマンを調べてみたのですか?

そうなのですよう。。。そうしたら、なんとヨハネス・ブラームスがシューマン夫婦と深くかかわっているのが分かった。

ブラームスと言えば、デンマンさんが小学生の頃、器楽部でコントラバスを弾いて『ハンガリア舞曲第5番』を演奏したのですよね。

そうですよう。僕にとってクラシックとの初めての出会いでした。詳しいことは次の記事の中で書きました。

ハンガリーの首都・ブダペストを流れる

美しく青きドナウ川

『暑中お見舞い (2009年8月9日)』

「ハンガリア舞曲第5番」と「美しき青きドナウ」のこと…

つまり、『ウィキペディア』でロベルト・シューマンを調べたら、『ハンガリア舞曲』を編曲したブラームスのことが出てきたので、デンマンさんは俄然興味が湧いてきたのですか?

その通りですよう。しかも、ブラームスとクララ・シューマンとの間にラブロマンスがあったと言うことが書かれてある。だから、この話題を取り上げれば絶対にレンゲさんにもウケルと思ったのですよう。うししししし。。。

要するに、ブラームスとクララ・シューマンとのラブロマンスに惹かれて『女とクラシック』というタイトルを考え出したのですか?

そうですよう。。。レンゲさんだって、このような話題ならば絶対に興味があるでしょう?うししししし。。。

つまり、あたしが不倫の悦びと苦悩を経験したので、あえてブラームスとクララ・シューマンの不倫を持ち出してきたのですか?

いけませんか?

。。。で、デンマンさんもブラームスとクララ・シューマンの間に男と女の関係があったと考えているのですか?

いや。。。僕は断定しているわけではありません。。。でもねぇ。。。、可能性は十分にありますよね?

デンマンさん。。。!

何ですか。。。レンゲさん?

そう言うのを世間では何と言うのかデンマンさんはご存知ですか?

何と言うのですか?

“下衆(げす)のかんぐり”と言うのですわ。

下衆 ・ 下種 (げす)

1) 身分の低い者

2) 根性の卑しいこと(者)

出典: 三省堂『新明解国語辞典』

つまり、僕が根性の卑しい人間だとレンゲさんは言うのですか?

そうですわ。

あのねぇ、レンゲさん。。。こういう話題があるからこそ、クラシックの記事を読もうと思う人が現れるのですよう。。。下種だ、馬鹿だ、チョンだ!と言われようが、どう呼ばれようが、こういう下世話な話題がクラシックの世界にあるからこそ、クラシックの本を手にとって読もうかな?そういう気持ちになるのですよう。もし、クラシックの世界に、こういう色恋沙汰(いろこいざた)が無かったら、クラシックほどつまらないものは無いのですよう。

デンマンさん!。。。そのような事を言うと太田さんがムカついて成りすまし馬鹿さんのようなコメントを書くかも知れませんわよ。

いや。。。意外に太田さんは同意するかもしれませんよう。うししししし。。。

。。。で、デンマンさんはブラームスとクララ・シューマンとのラブロマンスを持ち出してきて、その真相を突き詰めようと思っているのですか?

いけませんか?

クラシックのお話を持ち出しておきながら、色恋沙汰に関心を移してしまう。。。。それは。。。それは。。。クラシックの邪道と言うものですわ。

あのねぇ~、この記事を読んでいるほとんどの人はクラシックなど、どうでもいいのですよう。

あたしは、そうは思いませんわ。『女とクラシック』の“クラシック”に惹かれて読みに来た人がたくさん居ると思いますわ。

僕は、『女とクラシック』の“女”に惹かれて読みにやって来た人の方が圧倒的に多いと思いますよう。

その根拠でもあるのですか?

ありますよう。REALOGのブログで調べた検索キーワードトップ10を見てください。

この統計を見ると、「おばさんパンツ」が含まれる語句がトップ10の中に6つも含まれる。

他のブログではどうですの?

じゃあ、ANISENのブログで調べた検索キーワードを見てください。

こちらは「エログロ」がダントツですよう。。。つまり、どちらの場合も“女”が関係している。「クラシック」など、まったく番外ですよう。

それは、デンマンさんが「おばさんパンツ」や「エログロ」の記事をたくさん書いているからですわ。

いや。。。決してそんなことはありません。

証拠でもあるのですか?

ありますよう。証拠を見てください。

日本 デンマン : 41,000件

音楽 デンマン : 39,100

ネット デンマン : 28,900

愛 デンマン : 23,600

歴史 デンマン : 18,100

結婚 デンマン: 18,000

レンゲ デンマン : 15,500

家庭 デンマン : 12,900

小百合 デンマン : 8,160

漢字馬鹿 デンマン : 5,810

詩 デンマン : 4,310

源氏物語 デンマン : 2,460

はてなダイアリー デンマン : 98

軽井沢 デンマン : 97

おばさんパンツ デンマン : 90

エログロ デンマン : 65


GOOGLEでの検索結果
(2009年6月7日現在)

『おばさんパンツが並んだ』より
(2009年6月11日)

レンゲさんにも分かるでしょう?「おばさんパンツ」や「エログロ」を話題にして書いた記事は最も少ないのですよう。僕の書いた記事の中では音楽に関する記事の方が圧倒的に多いのですよう。それにもかかわらず、検索して読みにやって来る人は「おばさんパンツ」や「エログロ」を入れて検索してやって来る。

分かりましたわ。。。それで、デンマンさんはブラームスとクララ・シューマンのラブロマンスを書いた方が読者の皆様にウケルと信じているのですわね?

いや。。。僕は信じたくないけれど、検索キーワードの統計を見るとブラームスやシューマンの曲よりも、ブラームスとクララ・シューマンのラブロマンスの方に興味を持っている人の方が圧倒的に多いのですよう。

分かりましたわ。。。それで、デンマンさんはシューマンの8人目の子供フェリックス(1854年 - 1879年)はブラームスの子供だと信じているのですか?

いや。。。その可能性は大いにあるけれど、僕は、そうだとは思いません。

その根拠でもあるのですか?

根拠と言うほどの強力な物的証拠は無いけれど、太田さんが次のように書いていました。読んでみてください。

J.Brahmsの『Händelの主題によるヴァリエイションとフーガ』(Op.24)を聴いた。この作品は、案外に、聴く機会が少ない。聴きながら、何故か。この曲を Clara Schumannは、どのように弾いたか、が少し気になった。それは、多分、先日、Claraがこの曲に触れて書いた文章を読んだせいかも知れない。

Johannes の Händel の Variationen を弾いた。ひどく神経質になったが、完全に演奏し、熱狂的な喝采を受けた。Johannes の冷淡さは、私をひどく傷つける。彼は、この変奏曲を、到底、聴いてはいられない。自分の作品を、じっとして聴くことほど怖ろしいことはない、と言う。

---との彼女の日記の一文であった。私がそれを、たまたま憶えていたのは、私もBrahmsの態度に、Claraの書いた通りだったとして、何かひっかかるものを覚えたからである。単なる意識過剰のせいではなかったのではないか、と何とはなしに感じたのである。

A.Honeggerは「Je suis Compositeur」という本の中で、

私は、無論、作曲中の音楽を頭の中で響かせることはできる。しかしながら、私の下手なピアノをもってしても、書かれた音楽を実際の音にすることは、必要で意味がある。

---と言っていた。

 (中略)

Claraの日記を読んでいたときは、あ、Brahmsは、そういう性格の男だったのか、と軽くも受け流せたけれど、どこか釈然としなかったのは、Honeggerの言葉の故もあったのであろう。

このOp.24の変奏曲は、Brahmsの自信作であった。Claraのために書かれたこの曲は、その後、彼が度々と自演したのみならず、宿敵、R. Wagnerの面前で演奏した事すらあったほどである。作品そのものに自信が無かった故ではなかった、とすると、原因は、むしろ、Claraの方にあった、と考えるべきであろう。

Brahmsは、どんな音楽が鳴り出すか、当の作曲家にも見当がつかないような類のHonegger以後の作曲家とは異なっていたからである。

原因がClaraの方にあった、ということは、理由はJohannesの方にあった、ということでもある(草子地: 私は、ここで、JohannesのClaraに対する思慕の気持は、あえて無視して書いている。彼は、少なくとも、自身の作品に対しては、そうした心情とは無関係に判断できる程度には、Professionistであった、と信じたいからである)。先を急ごう。原因は、単純、簡単で、Claraの日記にあったとおりに、彼女が「完全に演奏」したからである。そして、Johannesは、何かを思ったのだが、それを言わない方が良い、と決めたのだ、と私は想像する。

何故、Johannesは、言わずにこしたことはない、と感じたのであろう(草子地: あぁ、男どうしだ、よく解る)。完全に弾いた、と思っている女性には、何を言っても無駄であろう。いや、ひとたび、口から言葉が出たならば、怖ろしい事になる。まして、その「完全」さに、違和感をもった彼としては、である。

Claraの日記には、本当に、問わず語りで、良く自分自身が描けている。彼女は未亡人になってから五年を経てなお、お嬢様であった。Johannesの冷淡さ、に「傷つ」いている彼女は、単純に、要するに褒めて欲しかったのであろう(草子地: 男は、おぼっちゃんでも、まず、ああいうことは言わない、書かない。男には含羞がある)。そして、そうしたお嬢様は、akademischな完全主義者になりやすい。そのPedantismusには、Johannesどころか、Robertだって苦笑したときがあったのではないか。一番に困るのは、その様なお嬢様が傷ついたとき、誰が見てもの悲劇のヒロインになった、と感じたときである。その時は、終末である。

私の愚妻は格別として、どうして、作曲家には愚妻が多いのであろうか。一寸数えてみても、H.Purcell, F.J.Haydn, R.Straussとすぐに思い出せる。 Purcellなんぞは、奥方に締め出されて、肺炎になって、それが因で死んでしまったほどである。W.A.Mozartの奥さんは、浪費家であったらしいが、悪妻というよりは、どちらかというと、よそ様の愚妻と思われる。他人事ではあるけれど。


149-150ページ
『前奏曲集』 (私はアマチュアである) 作品1の2
著者: 太田将宏
初版:1989年7月 改定:2006年5月

(注: 写真はデンマンが貼り付けました。読みやすいように改行を加え、引用部を色を変えて分かり易くしています。外国語や文字には手を加えていません。できるだけオリジナルに忠実に転載しています。)

太田さんは『ウィキペディア』の説明とは異なり、ずいぶんと穿(うが)った解釈をしておられるのですわね。。。

そうですよう。。。確かにクララの日記を読むと彼女の内面が見えてきますよう。

。。。で、クララとブラームスのラブロマンスはどのようになったのですか?

もちろん、僕の推測の域を出ないけれど、クララは、少なくともオツムの中では完璧主義者だったと思いますよう。そういう女性と付き合うのは大変なことですよう。

どうして?

あのねぇ、クララは『Händelの主題によるヴァリエイションとフーガ』(Op.24)を完全に演奏したと信じきっている。熱狂的な喝采を受けたと思い込んでいる。でも、ブラームスは、そうは思っていない。率直な人でも、クララの完全主義的な性格を知っていれば、何も言えない。だから、ブラームスは黙っていた。言えば、クララがブラームスの冷淡さに傷ついている以上に、もっと傷ついてしまう。

それで。。。?

言いたい事も言えないような関係にラブロマンスの発展はありませんよう。そのような関係の中からは子供は生まれないものです。 

【レンゲの独り言】

ですってぇ~。。。
あなたは、どう思いますか?
それでも、子供ができると思いますか?

ええっ。。。子供は音楽に関係なくできるものだ!

確かに、ワンちゃんやニャンニャンは音楽に関係なくサカリがくれば子供を産みます。
でも、人間は単純にサカリだけで子供を産めるものではありません。

ええっ。。。でも、産めるって。。。?

だから、それは、音楽に関係なくワンちゃんやニャンニャンのように交尾するからですわよう。
うふふふふ。。。

とにかく、面白い話がまだ続きますう。
あなたもどうか、また、あさって読みに戻ってきてくださいね。
では。。。

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

1999年夏の「東芝事件」は

ネットでも画期的な事件でした。

東芝製ビデオデッキの修理に関し、

その対応に腹を立てた消費者が、

経緯をネットで公開したのです。

東芝側はホームページの一部削減をさせるため

「名誉権と営業権に基づく妨害排除の請求」の

仮処分を申請しました。

しかし、社会的な批判が高まり、

急遽謝罪を表明したのです。

仮処分の申し立ても取り下げました。

やはり、企業と言えども法の下には

個人と平等なのですよね。

「はてなダイアリー」のユーザーとして

デンマンさんが「はてなダイアリー」の問題点について

たくさん記事を書いています。

ユーザーと「はてなダイアリー」との関係も、

もちろん対等であるべきですよね。

ユーザーが不満を表明し、

釈明を求めているのであれば、

「はてなダイアリー」も誠実に対応すべきだと思います。

ネットの世界は単に現実世界の

向こうの虚像ではありません。

東芝事件のように、

ネット上で激しさを増したユーザーの声は、

間違いなく現実社会に戻ってくるからです。

デンマンさんが「はてなダイアリー」を批判しています。

興味があったら次の記事を読んでみてくださいね。

『はてな批判 (2009年5月24日)』

ところで、英語の面白い話をまとめました。

興味があったら、

次のリンクをクリックして

読んでください。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

■ 『性の俗説 (2008年3月4日)』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


 





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