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愛の涙
by デンマン & レンゲ
2010年2月16日
デンマンさん☆
この短歌を読んで、
小百合さんは、ビキニでスノボですか... めれんげ 2009/01/15 10:34 AM 『即興の詩 くちづけ』のコメント欄より
六条の御息所は 気位の高い彼女は でも、心の中では 六条の御息所は 平安の昔、 その“筆おろし”ですが、 乳母といっても 元服(男児の成人式)が 少年の未知への 女盛りで少年の心を その結果、 男にとって最初の女に 入念に手ほどきを受け、 しかも乳母なるがゆえに、 光源氏にとって 六条の御息所も でも、熟女の思慮と分別に 光源氏と by デンマン 『エロい女と六条の御息所』より
デンマンさん。。。、あんさんは、どうしてまた六条の御息所を持ち出してきやはったん?
あのなァ~。。。、わては、たまたま夕べ太田さんのクラシックの本を読んでいたのやがな。 そのクラシックの本に六条の御息所が出てきやはったのォ~? いや。。。六畳の御息所は出てきやへんかった。。。でもなァ~、源氏物語について太田さんが書いていたのやがなァ。 どのように。。。? 引用するから、ちょっと読んでみィ~なァ。
ある日本の西洋哲学者が、源氏物語、あれはたいしたことないよ、と言ったのを憶えている。こういう人を典型的な学者馬鹿という。
(西洋)哲学の思考を基準にするとしたならば(草子地: また、この文は仮定法である。)、源氏物語がたいしたものでないことは、私にですら明白である。 あの作品の凄さは、そんな処にはない。 作者は(草子地: ここからは直説法)、私は、未だかつて、女の人の誰をでも愛した男を見たことが無かった。それどころか、自分の息子、娘ですら愛した男を、一人だに知らない、と言っているのである。 私がまだ小学生の頃に、国語(草子地: 嫌な言葉だ。「日本語」でいい。)の先生が、…では、作者は何をいわんとしているのか、と生徒たちに質問したときに、私は、ひそかに、そんなことが他の言葉で言えたのならば、作者は、手っ取り早く、それを言っていただろう、と呟いたのを思い出す。 【デンマン注:】 改行を加えて読み易くしてあります。あしからず。 34ページ Aribert Reimann (1936-) この文章がどうだとデンマンさんは言わはるのぉ~? あのなァ~、太田さんの源氏物語の評価が、わてとは全く違っているのやがなァ。 どこが、どう違いはるのぉ~? 太田さんは次のように書いているねん。
紫式部は、未だかつて、女の人の誰をでも
愛した男を見たことが無い。
それどころか、自分の息子、娘ですら愛した男を、
一人だに知らない、
作者の意図ではないにしても、
これは、太田さんにとって男の孤独である。 わては上の文章を読んで、まずビックリしたでぇ。。。おい!マジかよう?いったい、「源氏物語」のどこを読むと、そのような無鉄砲な結論が出てくるねん? あんさんは、マジで、そう思いはったのぉ~? マジやがなァ~。。。第一、上の光源氏と六条の御息所を読んでも、光源氏が御息所を愛したことは明白やがなァ~!確かに、光源氏は夕顔を愛するようになってゆく。しかし、だからと言って、光源氏が御息所を愛さなかったとは言えない! 確かに、わたしも、そう思いますわ。 そうやろう?。。。上の六条の御息所を誰が読んだってぇ、光源氏が物語の中で、かつて六条の御息所を愛したことがはっきりしている! 太田さんは、どうして、上のような評価をしたのやろか? わても、じっくりと考えてみたでぇ~。。。 。。。で、分かりはったのぉ~? 分かった。。。太田さんは別の本の中で次のように書いていたのや。
私は、この曲集を書き終えたとき、老人見習いから、正真正銘の老人になるのではないか、と思うこの頃である。
真の老人とは、もはや、失うべき何ものも無くなった人のことを言うのではないか。 長女は、私から去った。次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなる。 私には、S.Kierkegaard の言った、一番易しく一番難しいこと、すべてを捨てること、が、案外、無理なくできるのではないか。 その意味では、老人になる前に、不慮の死で亡くなった人は気の毒である。 Kierkegaard は、また、永遠とは有限が無限に出会う瞬間である、と言っていた。 ある麻薬中毒患者が、お母さん、僕は、こんな遠くまで来てしまった、と淋しげに呟いていたが、私は、麻薬中毒者ではないけれど、その気持ちが解かっている、と思う。 しかし、私は、F.M.Dostoevsky の「白痴」にある、あの「イッポリトの告白」に書かれているように、もし、生まれる前に、この条件を知らされていたとしたならば、私は、生まれるてくることを肯(がえ)んじなかったであろう、とは思っていない。 S.D.G コーダ(蛇足): 私の懐疑なるものが、深いのか、深くないのか、私自身も知る由もない。 【デンマン注:】 改行を加え読み易くしました。あしからず。 S.Kierkegaard: キルケゴール (1813-1855) デンマークの哲学者 S.D.G.: Soli Deo Gloria (ラテン語) To God Alone the Glory(英語) 神に栄光あれ。 F.M.Dostoevsky: ドストエフスキー (1821-1881) ロシアの小説家・思想家 56ページ Michel-Richard de Lalande
この文章がどうやと、あんさんは言わはるのぉ~?
この文章を表面的に読めば、太田さんは二人の娘と奥さんとも、うまくいってないのやァ。。。つまり、源氏物語のところで言っている“男の孤独”を太田さんは味わっているのやがなァ~。 太田さんは二人の娘さんも奥さんも愛していないと、あんさんは言わはるのぉ~? いや。。。違う!。。。表面的に読めば、その通りや。。。でもなァ~、わては太田さん夫婦を良く知っているつもりや。わてと太田さんは、実は、絶交している。でもなァ、太田さん夫婦は、どちらも善良な人なのや。 それなのに、太田さんは、どうして家族を愛していないように、また、愛されていないように書いてはるのぉ~? あのなぁ~、太田さんが妻に寄せる、また、二人の娘に寄せる愛が、太田さんの思うようには受け留められていない。。。そのために太田さんは“男の孤独”を感じているのやがなァ。 つまり、太田さんは感情的と言うか?愛情的に不器用な人なのねぇ~? そうなのや。。。親密な付き合いでない。。。要するに、ある程度距離を保ちながら付き合っている場合には、太田さんという人は実に人当たりの良い善良な印象を与える人なのやァ。次のエピソードを読めば、めれちゃんにも良く分かると思うのやァ。 バスに乗り込んだ途端、ハーーイ、Mister Ota, Helloオーオ!、という女の子の大声が一番後ろの席から聞こえた。見ると、我が家の隣のChristineが、腕を170度ぐらいに大きく振って、にこにこしている。他の乗客は、いっせいに私を見ている。彼女が高校生のときであった。そして、大学に進んでドイツ文学を専攻した。それ以来、しょっちゅうドイツに行っている。今でも、まったく、彼女は天真爛漫である。 それが、彼女の母親、Victoriaの悩みの種なのだ。なにせ、三ヶ月と言って出て行って、一年以上、半年と言って、一年半も家に帰って来ないのである。大学も除籍になりかかったことがある。叱っても、娘の返事は、“Don't worry”だそうだ。そして、Victoria は、Masahiro、今月の電話代いくらかかったと思う?$5,000以上よ、とこぼしていた。Christineが collect callで掛けてよこすからであろう。その挙句、先日は、金送れ、と言ってきたので、喧嘩してしまった、としょげていた。 145ページ Robert Schumann (注: イラストはデンマンが貼り付けました。) つまり、隣人同士の付き合い程度ならば良い印象を与える人なのやねぇ。 そうなのや。。。ところが、親密感が増してくると、こじれる場合が多い。その典型的な例が太田さんの二人の娘と奥さんですよう。 つまり、太田さんという人は親密感が増すほど、むき出しの自分の感情を見せてしまいはるのねぇ~? そうなのやァ。 でも、どうして親密感が増すとこじれてしまいはるのぉ~? 雨降って地固まる 普通、ちょっとした感情のこじれや口喧嘩の後では、かえって以前よりもお互いの理解が進むものなのや。。。それで、以前よりも深い関係に進むことだってある。 太田さんには、それができへんのぉ~? できない。。。太田さんは善良な人で、知的な教養人なのやァ。わては太田さんの本から結構たくさんの文章を引用しているねん。どの文章を読んでも知的なところが良く表れている。ところが、一つだけ大きな欠陥がある。 それってぇ、何? 考え方をちょっと改めて、めれちゃんのように仲直りする事ができへん。
2006-11-02 18:08:07 posted by merange ちょいとマジな話やねんけど・・・ (テーマ:日記のつもり)
反省しきり。 わたし気がついたんやけど、 固定観念にしばられて、自分の尺度で相手のことを、 いくら相手に理解を求めても、いっこうに気持ちがつたわらないことがある。
わたしは長年、固定された評価でしか、 自分のことを、どんなかたちであれ、 あらためて「ごめんなさい」と言います。
【デンマン注】 原文には全く手を加えていませんが
太田さんは頑固に自分の考えにこだわりはるのぉ~?
おそらく、相手の考え方を多少は認めるようにはなるのやろなァ。。。でもなァ、オツムでは分かっていても、実際に仲直りという行動にでることがができない。それで、次のようになってしまう。 長女は、私から去った。
次女は、中立を保つ為に、
この家に寄りつかない。
家内と言えば、
日本語も通じなくなってから
何年にもなる。 たぶん、気持ちの上では仲直りができているのですやろねぇ。。。わたしは、そう思うねん。ただ、太田さんは「男の沽券(こけん)」にこだわって、歩み寄ることができへんと思うわ。 そうやろな。そやから、めれちゃんが絶交状を書いてから仲直りしたのは、すっご~い事やがなァ! あんさんは、マジでそう思ってくれはるのォ~? そうやでぇ~。。。
あなたはわたしに
愛されている
とってもうれしかったよ あなたはわたしに愛されているって 少ない言葉たちの中から ほら、また涙が出てきちゃったよ
by めれんげ 2010.02.13 Saturday 12:11
これを読んだら、わてもホンマにルンルン気分になってしもうたでぇ~。。。
ホンマぁ~? ホンマやがなぁ~!。。。マジでスキップしたくなってきたぁ。
そう言われると、わたしも、ホンマにうれしいわあああぁ~。 でもなぁ。。。次のような萌え萌えの詩を書いたら読む人は頭にきよるでぇ~。
狂ってしまいたい
せつない声をあげて そのくちびるが この濡れた身体の その熱いくちびるで
by めれんげ 2010.02.12 Friday 12:41
わたしが詠んだ上の詩のどこがあかんのォ~?
あのなァ~。。。このような萌え萌えの詩をもらう男なんて1万人のうちに一人居るか居ないかという、極めて稀な事なのやがなぁ~。 つまり、あんさんは、その1万人のうちの一人やと言わはるのォ~? そうやがなぁ~。。。 だったら、あんさんは喜びに萌えてスキップしてもええやんかぁ~。 でもなぁ~、こうして、めれちゃんが狂ってしまうほど萌え萌えの詩を書いたら、わては、めれちゃんのファンから憎まれてしまうのやでぇ~。 ホンマかいなぁ~? さらに太田さんが上の詩を読んだら、間違いなく次のような捨て台詞が返ってくるのやでぇ~。 いい気なもんだねぇ~!
書く方も。。。もらう方も。。。
読まされる方が恥ずかしい! 太田さん本人でもないあんさんに、どうしてそのようなことが分るのォ~? 太田さんは本の中で次のように書いていたからや。
日本でTVを点けてみよう。
人前で、「切ない」との歌詞を唸って演歌を歌っている。 或いは、「恥ずかしい」と甘え、媚びるように通俗音楽を歌っている。 そういう私は、可愛いでしょ、と言いたい下心が丸見えである。 私は単純な人間であるので、本当に切なかったら歌なんぞは歌えないだろうし、本当に恥ずかしかったら、何で人前で歌っているのだろう、と思わざるを得ないのである。 観ている方が、聞いている方が、気恥ずかしくなる、と言うのが正常な感覚だ、と私は思うのであるが、彼らは、こんな下賎なものに自他共に生理的な嫌悪を感じないのだろうか。 私は、そうした自己欺瞞を自分に許さない。 30ページ Francis Poulenc (1899-1963)
あんさんも、わたしの詩を読むと太田さんのように気恥ずかしくなるのォ~?
わては気恥ずかしくならへんでぇ~。。。 。。。で、あんさんは、どないになりはるのォ~? わては谷岡ヤスジのように鼻血ブーになるのやがなァ~。。。
あんさん!。。。
少しは真面目にならんかいなア!
んもお~~
【レンゲの独り言】
ですってぇ~。。。 とにかく、まだ面白い話題が続くと思いますわ。
メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
雨降って地固まる
あなたも聞いた事があるでしょう?
喧嘩した後で自分の落ち度を振り返り、
相手のことを以前にも増して
理解できるようになり、
以前にも増して
親密な関係になる事だってあります。
英語にも、これにあたる諺がありますよ。
次のように言います。
After rain comes fair weather.
雨が降れば、やがて良い天気になる。 そうですよね。
ずっと雨が続くことってありません。
次のように言うこともあります。
After a storm comes a calm.
嵐の後には凪(なぎ)がくる。 その通りですよね。
嵐がずっと続くものでもありません。
ところで、英語の面白いお話を集めてみました。
もし、時間があったら読んでみてくださいね。
バレンタインデーは過ぎました。
チョコをもらいましたか?
チョコに関心のある人は
次のリンクをクリックして読んでみてね。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
YouTube 動画
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