| ||||
|
真実と虚構
by デンマン & 卑弥子
2008年3月7
Subj:あの行田“モダン・パスタ”での
小百合さんの食べっぷりを
見ていますからね。。。
\(^_^)/キャハハハ。。。 Date: 02/03/2008 11:33:43 PM Pacific Standard Time
> 私もそろそろデンマンさんから
小百合さんはいい身分ですねぇ~? つまり、真夜中に帰ってきて起きるのが遅くなるのですよね。 小百合さんは、そのブランチを旦那に作ってもらうのだから、これ以上の幸せは無いですよう。
by デンマン
今日は小百合さんの男遊びの事について語り合うのでござ~♪~ますか?
やだなあああぁ~。。。小百合さんは男遊びをするような女性ではありませんよう。僕が“男遊び”と書いたのは、かつて話題になった39歳の真美さんのことを思い出したからですよ。卑弥子さんも覚えているでしょう? ええ、覚えていますわ。六本木のサルサパーティに行ってボーイフレンドを探すというお話でござ~♪~ましたよね? 旦那に相手してもらえず、真美さんの不満が高(こう)じたのですよ。 それで小百合さんの上のメールを持ち出したのでござ~♪~ますか? そうですよ。旦那がゆっくりと目覚めた真美さんにカレーでも作ってあげれば、真美さんの気持ちもずいぶんとほぐれただろうと思うのですよね。今日の『小百合物語』を初めて読む人も居るだろうから、真美さんにもう一度登場してもらいますよゥ。
オンナは永遠に「恋」をしたい
2007年11月22日10時30分 六本木のサルサパーティに行ってみると「恋人のいるお金持ちミセス」のオンパレードだ。 ご主人が貿易会社の社長で、サルサ歴3年の真美さん(39歳)は今3人目のパートナーと付き合っている。 「主人(43歳)は私の顔を見ると『疲れた』『疲れた』を連発し、食事の後はゴロゴロとソファに寝転がってテレビばかり観ています。 真美さんは、このように話す。 旦那は真美さんのことを全くかまわずに仕事から帰ってくると家でゴロゴロと子供とテレビを見ている。これが毎日続いたら真美さんだってパーティーに出てボーイフレンドを探したくなりますよね。その気持ちが分かるような気がします。 やはり年に何度かは小百合さんの旦那様のように奥様にカレーでも作ってあげるべきなのでごさ~♪~ましょうね? そうですよ。夫婦の絆を大切にする気持ちがあれば、その程度のことは自然にできるものですよ。 そうでござ~♪~ましょうか?日本には昔から根強い封建制、あるいは男尊女卑の精神がござ~♪~ますわア。台所に立ってカレーを作るなど男の沽券(こけん)にかかわると言って、絶対に台所には入らないと言う殿方だっておりますわア。 ほおォ~。。。そのようなメチャ古風な男が居ますか? あたくしの父などはそうでござ~♪~ましたわ。料理は女の仕事。男にはもと大切な仕事がある。そのように考えておりましたわ。 確かに、日本にはそのような男尊女卑の考え方がありました。台所に入ってカレーを作って妻の機嫌をとる。そういうことは男の恥だと考える風潮がごく最近までありましたよ。。。日本人は“世間”から、どう思われるかということを気にして生きている人が多いですからね。だから、卑弥子さんのお父さんは小百合さんの旦那のようにカレーなど作らなかったのでしょう。 あたくしは父が台所に入ったのを見たことがありませんでしたわ。 ほおォ~。。。博物館モノですねぇ~。。。 。。。んで、デンマンさんは奥様にカレーなどを作って、ご機嫌を取る事があるのでござ~♪~ますか? 僕は世間体など気にしませんからね。別に機嫌をとるわけではないけれど、直美に作ってやる事もありますよ。僕は自分の口に入れるものぐらい自分で作りますからね。だから、卑弥子さんがバンクーバーにやって来た時も僕は散らし寿司を作ってご馳走したでしょう?
そうでしたわ。あたくしは感激してしまいましたわあああぁ~。。。あたくしは本当にビックリしたのでござ~♪~ますう。デンマンさんにそのような特技があろうとは全く予想もしていませんでござ~♪~ましたから。。。 あのねぇ~。。。僕は、どちらかと言えば、“男は台所に入るべきではない”なんて言われると、逆に入りたくなる性分なんですよう。かつて中学生の頃だって“18禁の映画を見てはダメだよ”と言われると見たくなった性分なんですよ。だから、僕はこうして現在カナダで生活しているのですよ。 どうして。。。、どうして、“18禁”とカナダで生活する事が関係あるのでござ~♪~ますか? 関係ありますよ。日本のぬるま湯のような自由な社会で生活していると、かえって何もしなくなってしまうものなんですよ。経済大国などとおだてられて、日本が世界でも生活水準がトップに近いと思い込んでいる人が日本には実に多いものですよ。この事で僕は、かつて記事を書いた事がありますよ。 ■ 『東京が世界で一番生活費が高い都市になると
佐世保で小学生女児が殺人事件を起こす。
日本は本当に住みよい国なのでしょうか?』 上の記事を読めばねぇ、まだ海外で生活したことの無い人は“目からウロコ”のような印象を持つと思うのですよ。 つまり、デンマンさんは日本には“井の中の蛙”が実に多いとおっしゃりたいのでござ~♪~ますわね? そうですよ。 それと“18禁”が関係あるのでござ~♪~ますか? そうですよ。あるのですよう! どのように。。。? 昔、江戸時代には“鎖国令”と言う厳しい法律がありましたよね。つまり、“海外渡航禁止令”ですよ。海外に行ってはダメだ!そういう馬鹿げた法律ですよ。現在、そのような愚かな法律ができたら、大変な事になりますよ。それこそ『平成維新』を目指して多くの若者が立ち上がって、そのような愚かな政府を倒そうとするでしょうね。ちょうど『明治維新』の時のように。。。僕がその当時生きていたら、必ず国禁を犯して海外に出てゆきましたよ。 吉田松陰のようにでござ~♪~ますか? そうですよ。吉田松陰は国禁を犯してアメリカ船に乗り込んでアメリカに行こうとした。それで国禁を犯したという理由で死刑になってしまったのですよ。その吉田松陰の教え子たちが明治維新を起こしたのですよ。 。。。んで、デンマンさんも“18禁”を破って、未成年が見てはいけない映画を見たのでござ~♪~ますか? そうですよ。つまらない映画だったですよう。なぜ、“18禁”なのか?僕は理解に苦しんだほどつまらない映画でしたよ。でも、僕の言おうとしている事が卑弥子さんにも分かりますよね? まだ、良~♪~く分かりませんわア。 つまりねぇ、人間の自由を制限しようとして法律などを作って江戸時代の時のようにがんじがらめにしてしまうと、人間は、かえって極端に走るものなんですよう。 そのようなものなのでござ~♪~ますか? とにかく、江戸時代には、髪型から着る物まで法律で定められていた。 髪型から着る物まででござ~♪~ますか? そうですよ。下着にいたるまで贅沢が制限されたのですよ。今で言うならば、“冬はおばさんパンツを穿け!”と言うような喜劇的な法律を政府が作ったと言う事ですよ。
奢侈禁止令(しゃしきんしれい)
江戸幕府が士農工商を問わずに発令した贅沢を禁じる法令及び命令の一群を指す。 衣装の制限
寛永5年(1628年)には、農民に対しては布・木綿に制限(ただし、名主及び農民の妻に対しては紬の使用を許された)された。 農民に対しては続いて寛永19年(1642年)には襟や帯に絹を用いる事を禁じられ、更に脇百姓の男女ともに布・木綿に制限され、更に紬が許されたが、その長さが制限された。 その後も寛文7年(1667年)、天明8年(1788年)、天保13年(1842年)にも繰り返し同様の命令が出されている。 一方、武士や町人に対しても農民ほどの厳格さは無くても同様の規制が行われた。 天和3年(1683年)には、呉服屋に対しては小袖の表は銀200目を上限とし、金紗・縫(刺繍)・惣鹿子(絞り)の販売は禁じられ、町人に対しては一般町人は絹以下、下女・端女は布か木綿の着用を命じた。 貞享3年(1686年)には縫に限り銀250目までの販売を許したが、元禄2年(1689年)には銀250目以上の衣服を一切売ってはならない事、絹地に蝋などを塗って光沢を帯びさせる事を禁じる事が命じられた。 正徳3年(1713年)には先の「女中衣類直段之定」の制限(朝廷500目・幕府及び大名400目・それ以下300目)の再確認と贅沢な品物の生産と新商品・技術の開発の厳禁が生産・染色業者に命じられる。 享保3年(1718年)の「町触」の公布にあわせて奉行所に町人の下着まで贅沢な振る舞いがないか監視するようにという指示が出されている。 延享2年(1745年)にも「町人が絹・紬・木綿・麻布以外の物を着てはならず、熨斗目などの衣装を着ているものがいれば、同心は捕えてその場で衣装を没収すべきである」と言う指示が出されている。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 髪型もですか? そうですよ。江戸時代には髪形は流行によって左右されるものではなく、原則として身分によって決められていた。例えば、士農工商の番外に居た穢多(えた)・非人と呼ばれた人たちは髷を結(ゆ)う事は禁止されていた。 つまり、これをしてはダメ、あれをしてはダメと言う法律がたくさんあったわけでござ~♪~ますわね? そうですよ。今で言えば、ヘアスタイルから、着物の色や材質まで決められていた訳ですよ。しかも身分制度があるから、“自由恋愛”なんてまさに“絵に描いた餅”ですよ。 それに比べれば現在は自由な時代になったものでござ~♪~ますわね? 確かに、あれはやってはダメ、これはやってはダメ、という法律は江戸時代の頃から比べればメチャ少なくなった。しかも身分制度は無い。自由恋愛の時代になったわけですよ。だから、真美さんのようにサルサパーティに出てボーイフレンドを探すこともできる。 江戸時代はできなかったのでござ~♪~ますか? できなかった。自由恋愛を貫(つらぬ)こうとすると“心中天網島”になってしまったのですよ。
心中天網島
(しんじゅうてんのあみじま)
紙屋の治兵衛は二人の子供と女房がありながら、曽根崎新地にあった当時の高級クラブ「紀伊国屋」の遊女(高級ホステス)小春とおよそ三年にわたる馴染み客になっていた。 ある日小春は侍の客と新地の「河庄」(別の高級クラブ)にいた。 開け放しておいた窓を閉めようと小春が立った時、突然、格子の隙間から脇差が差し込まれた。 窓明かりから小春を認めた治兵衛は窓の側で話の一部始終を立ち聞きしていたのだ。 すると治兵衛を格子に括った侍が今度は間に入って治兵衛を庇い、太兵衛を追い払った。 話を知った治兵衛は怒り、きっぱり小春と別れる事を決めて小春から起請文を取り戻した。 それから10日後、きびきびと働く妻のおさんを見ながらも治兵衛はどうにも仕事に精が出ず、炬燵に寝転がってばかりいた。
そんな夫の不甲斐無さを悲しむおさんだが、「もし他の客に落籍されるような事があればきっぱり己の命を絶つ」という小春の言葉を治兵衛から聞いたおさんは彼女との義理を考えて太兵衛に先んじた身請けを治兵衛に勧める。 おさんの折角の犠牲も全て水の泡になってしまったのだった。 望みを失った治兵衛は虚ろな心のままに新地へ赴く。 そして1720年10月14日の夜明け頃、二人は俗世との縁を絶つために髪を切る。
1969年(昭和44年)には、篠田正浩監督により映画化された。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 しばらくぶりに日本に戻ると、僕は現在でも、自分の身の回りに、この“義理と封建制”を感じますよ。 たとえば。。。? 本音は、しばしば正直に表現されない。たいていの人が社会・立場から期待・要求されるように行動していますよ。つまり、本音で生きている人は極めて少ない。 具体的には。。。? “礼儀”だとか、“近所付き合い”とか、“親戚付き合い”、“しきたり”。。。それに、“家族の期待”、“両親の期待”、“世間からどう見られるか?思われるか?”。。。カナダやアメリカならば、考えなくても良いことで悩んでいる人が日本にはたくさん居ますよ。もちろん、上の例のような“禁じられた恋愛”もある。でも、江戸時代のように心中する人はほとんど居なくなりましたよね。そこまでしなくても、最近では、好きな人と同棲する事は、それ程難しい事ではない。 江戸時代には、好きな人と同棲する事はできなかったのでござ~♪~ますか? だから、そうしようとすると、家族が寄ってたかって、上のような事件になってしまうのですよ。それでも江戸時代には情死(心中)が美化されていたのですよ。それがロマンになっていた。つまり、好きな人ができて、それが“禁じられた恋愛”であれば、相手と結ばれるには心中する以外になかった。心中した者の名鑑が発行されるほど心中事件が多かった、と書いてありますよ。この風潮を憂えた江戸幕府は『心中は社会秩序を乱す行為』として心中禁止令を出した。 未遂に終わった場合はどうなるのでござ~♪~ますか? たとえ未遂に終わったとしても、当事者は町中でさらし者にされた後、身分を奪われた。死亡した場合、亡骸は罰として家族に引き取らせなかった。野犬や野鳥が食い荒らすままにしたというのですよ。 それは、ちょっとひどすぎますわア。 それでも心中事件は無くならなかったのですよ。つまり、上のような“禁断の愛”の場合、唯一の窮地からの解決策が心中だったのですよ。 現在は、そう言う事が無くなって、幸せな時代になったわけでござ~♪~ますわね。 いや、今でも日本は本音と建前の社会ですよ。 そうでしょうか? その証拠に先進国の中で自殺者が日本は一番多いのですよ。1年に3万人以上。1日に約100人の人が自殺しているのですよ。つまり、1時間に4人が自殺しているのですよ。 どうしてですの? 自殺する以外に解決策が見出せないと思ってしまう社会が現在の日本だからですよ。心中は江戸時代に比べて確かに少なくなったけれど、本音で生きる事が難しい事に変わりがないのですよ。つまり、本音で生きてゆけないから、唯一の窮地からの解決策が自殺ですよ。 でも、真美さんは自殺しないで3人目のパートナーと付き合っていますわ。 そうですよ。だから自殺しない人は真美さんのような「自由」を現在では持つことができるのですよ。でもねぇ、この「自由」は、実は、「無責任」の裏返しですよ。 どう言う事でござ~♪~ますか? 江戸時代には“家族の絆”、“家族の結束”があったから、治兵衛のだらしなさを見かねて兄の孫右衛門が出てくる。叔母までが首を突っ込む。挙句の果てにおさんの父親の五左衛門が店にやって来る。日頃から治兵衛の責任感の無さを知っていた五左衛門は直筆の起請文があっても治兵衛を信用せず、おさんを心配して紙屋にやって来たのですよ。当然、父としてムカついた五左衛門は無理やり嫌がるおさんを引っ張って連れ帰り、親の権利で治兵衛と離縁させてしまった。 そのような無茶な事が江戸時代にはできたのでござ~♪~ますか? できたのですよ。現在では、そんな無茶な事は法律でもできない事になっている。でも、江戸時代の男尊女卑の社会にあっては父親の権威は絶対だった。また、幕府もそのような親の権威を認めていた。 つまり、治兵衛が現在生きていたら、真美さんのように何人でもパートナーを見つけて心中するような事はなかったとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか? もちろんですよ。現在では、“家族の絆”、“家族の結束”、“同族の結束”などは希薄になっていますよ。だから、兄の孫右衛門はやって来ない。もちろん、叔母もやって来ない。やって来ても“あんたなんて関係ね~よ!”と言われてしまう。おさんの父親が来たら、“オマエのような老いぼれはひっこんでろォ~!”と言われて、冷たいお茶でなければ、熱いコーヒーをぶっ掛けられるのが関の山ですよ。もちろん父親の権威なんてものは、全く地に落ちてしまった。“親の権利で離婚させるぞォ~!”なんて言ったら、“時代錯誤だ!江戸時代じゃね~んだぞォ!味噌汁で顔を洗って出直して来い!”と言われてしまう。 つまり、家族の者や友達は見て見ない振りをするのでござ~♪~ますか? そうですよ。心配したとて、アドバイスをしたとて、悪たれを言われ、逆恨(さかうら)みをされる。いい事はないのですよ。口を出すだけ馬鹿を見る。「個人の自由」と言う“金の金棒(きんのかなぼう)”を振り回すのですよ。“基本的人権”だと言って心配する家族を寄せ付けない。アドバイスをする友達を寄せ付けない。 つまり、個人の自由が「金科玉条(きんかぎょくじょう)」のようになってしまったのでござ~♪~ますか? そうですよ。「個人の自由」と言えば、誰に対しても自分の立場を正当化することができると思い込んでしまったのですよ。それで、最近では、男じゃなくて女の方が大胆にパートナーを求めてパーティーに出かけてゆくようになってしまった。つまり、“女の治兵衛”が出現するようになったのですよ。 真美さんのようにでござ~♪~ますか? そうですよ。“主人は5年間もしてくれないのですわ。だから、今度は4人目のボーイフレンドを探しにパーティーに行くのですわ。これは「個人の自由」です。” 真美さんは、そう言ってパーティーに出かけてゆくのですよ。 それは、いけない事でござ~♪~ますか? 当然でしょう? どうしてですか? 良識を越えた「個人の自由」は“我が侭(わがまま)”と言うのですよ。考えてみてくださいよ。真美さんが我が侭を押し通せば、夫婦は破局を迎え、家族は崩壊するのですよ。つまり、「個人の自由」は、確かに大切だけれど、良識を越えて“我が侭”を押し通せば、結局、「個人の自滅」になるのですよ。 つまり、真美さん自身が破局を迎えると言うのでござ~♪~ますか? そうですよ。現在の日本の社会は“本音と建前の社会”であると共に、いや、そうであるから、“生きがいを見出しにくい社会”にもなっている。それで、真美さんのような“女の治兵衛”は出てくる。他に生きがいがないから、つかの間の快楽を求めてパーティーに出る。そのようなパーティーはナンパを目的とするような男ばかりですよ。 それで、真美さんはパートナーを変えながら男をあさり続けるのでござ~♪~ますか? そうですよ。そう言うパーティーに出る男や女は夢やロマンなど持っていませんよ。後腐(あとくさ)れのない、その場限りの火遊びが目的です。だから、真美さんのように一人目の男とも長続きがせず、二人目の男とも長続きがせず、それで、3人目とも破局を迎え、今度は4人目ですよ。 それで真美さんは、どのようになるのでござ~♪~ますか? “女の治兵衛”はパーティーに出かけて次のパートナーを見つかる、でも、そのパートナーとも長続きしない。だから、これが繰り返されてゆくのですよ。やがて年をとってゆき、“女の治兵衛”は誰からも相手にされなくなってしまう。最後は“女の治兵衛”はボロ雑巾のように、精神も肉体もボロボロになって朽ち果ててゆく。結局“女の治兵衛”は過去の虚しい人生を後悔しながら、寂しく孤独に死んでゆくのですよ。 いやですわあああぁ~。。。そのような女だけにはなりたくござ~♪~ませんわあああぁ~。。。それでぇ~、あのォ~。。。デンマンさん。。。今日のタイトル『真実と虚構』は、いったいどうなっているのでござ~♪~ますか? これから話すのですよォ。 これからって。。。今までのお話は前置きですかぁ~? うへへへへ。。。実は、そうなのですよう。 長い前置きでござ~♪~ますわねぇ~。。。だから、デンマンさんの記事は、やたらに長くなるのでござ~♪~ますわア。 ここまで長く説明しないと、これから僕が話す事を理解してもらえないのですよ。どうしても、ここまで書く必要があったのですよ。 それで、一体。。。いったい、デンマンさんは何がおっしゃりたいのでござ~♪~ますか? 『心中天網島』は、近松門左衛門が作った浄瑠璃で、日本文学史上でも有名な作品だと僕は思っているのですよ。 それで。。。? でもねぇ~、僕はこれまで誰もが試みなかった近松門左衛門批判をしてみたいと思うのですよ。 なんだか、すっご~♪~いですわねぇ~。。。つまり。。。つまり、『心中天網島』の欠陥を指摘すると言うことでござ~♪~ますか? そうですよ。僕には、どうしても納得のできない、気になるところが一箇所あるのですよ。 それは、どこでござ~♪~ますか? 次の箇所ですよ。
真実と虚構
ある日小春は侍の客と新地の「河庄」(別の高級クラブ)にいた。 開け放しておいた窓を閉めようと小春が立った時、突然、格子の隙間から脇差が差し込まれた。 窓明かりから小春を認めた治兵衛は窓の側で話の一部始終を立ち聞きしていたのだ。 すると治兵衛を格子に括った侍が今度は間に入って治兵衛を庇い、太兵衛を追い払った。 最後の部分ですよ。これは現実には無かったと僕は思うのですよ。 どうしてでござ~♪~ますか? 武士が町人の姿に身をやつして郭通いをすると言う事は良くあったことです。これは講談とか落語などにも出てきますよ。でもねぇ、町人が武士と偽って郭に通う事は無かった。あったとしても、それは極めてまれだったのですよ。 どうしてでござ~♪~ますか? 郭の世界では武士はもてなかったのですよ。落語でも講談でも、郭話の中で武士はダサい人間として描かれている。郭の世界は町人の世界ですよ。つまり、金がモノを言う世界ですよ。町人が武士に変装して得をすることは何も無いのですよう。 つまり、上の部分は虚構だとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか? そうですよ。 。。。んで、どうして近松門左衛門は、上のような虚構を設定したのでござ~♪~ますか? この浄瑠璃は享保5年(1720年)12月6日に大坂竹本座で初めて演じられたのですよ。3段の世話物です。同じ年の10月14日に、実際に起きた紙屋治兵衛と遊女小春の心中事件を基にして近松門左衛門が書き上げたのです。 それで。。。? 近松門左衛門は住吉の料亭でこの知らせを受け、早駕(はやかご)に乗って大坂へ戻ったと言うのですよ。 どうしてですか? もっと詳しく話を聞きたかったからでしょうね。その帰りの駕の中で、「走り書、謡の本は近衛流、野郎帽子は紫の」という書き出しを思いついたと言うのですよ。つまり、この事件を浄瑠璃にしようと言うインスピレーションが湧きあがって、意欲マンマンだったことが分かりますよ。 それで。。。? だから、近松門左衛門は大阪に着くと、かなり克明に事件の様子を聞いたはずですよ。 つまり、事件の詳細について充分に知っていた、と言うことでござ~♪~ますか? そうですよ。それから、1ヵ月半で書き上げた訳ですよ。しかし、話を聞いたらダサい武士が実際に登場して居た。そのままでは観客にウケルような話にならないので、兄の粉屋孫右衛門が武士に扮装した、と言う事にしたと僕は思うのですよ。 つまり、郭の世界では武士は場違いなダサい存在だったからでござ~♪~ますか? そうですよ。あくまでも浄瑠璃は町人の文化でなければならないのですよ。 それが近松門左衛門が考え出した虚構だとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか? そうですよ。 でも、それが欠陥になるのでござ~♪~ますか? その変装自体に意味が無いからですよ。なぜ、兄の粉屋孫右衛門が武士に変装しなければならないのか?その理由が分からない。武士に変装するメリットが無い!近松が大阪に戻って話を聞いたら、現実にダサい武士が現れたから、そうせざるを得なかった。当時の観客は圧倒的に町人が占めていましたからね、そうする事で町人にウケル話になるだろうと近松門左衛門は考えたのでしょう。 それが不自然な事なのでござ~♪~ますか? 当時、近松門左衛門は江戸時代の真っ只中に居た人なのですよ。現在の我々のように江戸時代を歴史として見る事ができなかった。つまり、歴史的に言えば近松は井の中の蛙だったのですよ。 町人が武士に変装するのはそれ程現実離れしているのでござ~♪~ますか? 1720年と言えば江戸時代の真っ只中ですよ。身分制度が確立されて、上で書いたように髪形から、着る物、食べるものから住まいに至るまで、こまごまとした規則だできていた。自由など全く無かったと言っていい。全く無いというのが言い過ぎならば、ほとんど無かったと言っていい。そういう堅苦しい時代だったからこそ、心中という事件がたくさん発生したのですよ。それなのに、身分制度を皮肉るように兄の粉屋孫右衛門を武士に扮装させたら、その堅苦しい江戸時代の社会が急に“自由な社会”に見えてしまう。歴史的に江戸時代の『奢侈禁止令』や『身分制度』を調べてゆくと、近松門左衛門の考え出したこの虚構が僕には気になって仕方がなかったのですよ。つまり、心中が起こるような厳しい社会秩序や身分制度があったにもかかわらず、町人が武士に変装するというような虚構は話の基盤を根底から崩すことになってしまうのではないか? それで、ついに今日、その気になっている事を書いた訳でござ~♪~ますか? そうですよ。僕は近松門左衛門の考え方が甘かったと思うのですよ。それで、『心中天網島』の研究家がこの記事を読んだら、コメントを書いてくれるだろうと思いながら書いたのですよう。うしししし。。。
【卑弥子の独り言】
確かに、デンマンさんのおっしゃる事は分からないことではありませんわ。 あなたは、どう思いますか? とにかく、またあさって読みにきてくださいね。
ィ~ハァ~♪~! メチャ面白い、
ためになる関連記事
■ 『きれいになったと感じさせる
下着・ランジェリーを見つけませんか?』
■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に
別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』
■ 『小泉純一郎君は漢字馬鹿か?』
(2009年4月18日)
■ 『小泉純一郎と名乗る漢字馬鹿』
(2009年4月20日)
こんにちは。ジューンです。
小百合さんは軽井沢に
別荘を持つ事を夢見ているのです。
あなたは軽井沢に出かけたことがありますか?
私はデンマンさんとご一緒に
一度だけ訪れたことがありますわ。
この湖は“Swan Lake”という
英語名がついているのですわ。
昔、宣教師の方が軽井沢に別荘を持っていたのですって、
その家族の人たちが名づけたらしいのですわ。
10月でしたが、紅葉が見ごろになっていました。
まだ冬景色には程遠かったのですけれど、
湖にしては小さなその池のほとりに立ったら、
どこからともなく白鳥が飛んできそうな感じがしましたわ。
そう言えば、バンクーバーのクイーン・エリザベス・シアターで
デンマンさんとご一緒に
バレー『白鳥の湖』を見たことがありましたわ。
あの時のチャイコフスキーの曲が聞こえてきたものですわ。
それで、私はいつになく感傷的になったことを覚えています。
ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて
次のサイトを立ち上げました。
時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
YouTube 動画
| |||
|