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万葉集の謎
2008年9月23日

Subj:ブログも歴史編になり

ますます 力 が入ってますね

\(^_^)/

Subj:虫の知らせと言うのでしょうか?

小百合さんからメールがあるような

気がしました。

\(^o^)/キャハハハ。。。

Date: 02/03/2008 7:02:55 PM
Pacific Standard Time
日本時間: 3月3日午後0時2分
From: barclay1720@aol.com
To: fuji@adagio.ocn.ne.jp

> ブログも歴史編になり
> ますます 力 が入ってますね

そうですよう。
今日の『小百合物語』は、かなり頑張って書いたのでライブドアでは1ページにまとまりきらずに
2ページになってしまいました。
確かに、最近、歴史の事や文学の事が多くなりました。
今日も万葉集の事と大化の改新が出てきますよ。
題して『ん?社会派?』

■ 『ん?社会派?(2008年3月3日)』

すでにライブドアに投稿して推敲も済ませましたよ。
時間があったらぜひ読んでみてくださいね。

小百合さんの、あの“思い出し笑い”のメールを使わせてもらいましたよ。
ありがとう!

あのメールは、メチャ使い道がありますよう!
\(@_@)/ キャハハハ。。。

> 今日はたまっていた、返信と検索が多い日です。

虫の知らせと言うのでしょうか?
小百合さんからのメールが、クリックするとあるなあああぁ~
僕はそう思いながらメールボックスをクリックしたのですよ。
あったア~!
\(@_@)/うしししし。。。
こんな気持ちでしたよ!

やはり“以心伝心”ってあるものですよねぇ~。
小百合さんからのメールがありそうな気がしたものです。

デンマンでした。

じゃあね。


『聖徳太子の家庭教師 (2008年7月15日)』より

デンマンさん。。。また、小百合さんからの昔のメールを持ち出してきたようでござ~♪~ますけれど、今日の話題と直接の関係があるのでござ~♪~ますか?

もちろん、直接の関係がありますよう。

どのような。。。?

だから、僕の返信に書いてあるでしょう。今日も万葉集の事と大化の改新が出てきますよ、と。。。題して『ん?社会派?』

■ 『ん?社会派?(2008年3月3日)』

。。。で、こうしてリンクまで貼ってあるのですよう。卑弥子さんも読みたくなってくるでしょう?

でも、ビキニ姿の女の子が二人で日光浴をしながらストライキをしているのが、どうして万葉集と関係あるのでござ~♪~ますか?

だから、そこですよう。。。誰でも、卑弥子さんと同じような疑問を持つと思うのですよう。それで興味をひかれて、上のリンクをクリックして読みに行くわけですよう。僕が、説明しなくても、上のページを読めば分かるようになっているのですよう。

つまり、上のページを読んでもらおうと小百合さんのメールを持ち出してきたのですか?

違いますよう。ちゃんとタイトルにも書いたでしょう?

万葉集の謎

でも、小百合さんのメールには“万葉集”のことは全く書かれていませんわ。

だから、これから僕が説明するのですよう。

だったら、小百合さんのメールを持ち出してくる必要はありませんわ。

あのねぇ~。。。あくまでも、この記事は『小百合物語』なのですよう。だから、どうしても小百合さんに登場してもらわないとならないのですよう。

それで、あまり関係ないのに小百合さんのメールを持ち出してきたのですか?

卑弥子さん。。。、んもお~~。。。些細な事にこだわらないようにしてくださいよう。この記事が無駄に長くなるだけですからね。

分かりましたわ。。。んで、万葉集の謎って。。。どのような謎でござ~♪~ますか?

だから、おとといの続きですよう。大伴家持は日本史では歌人として扱われる場合が多いけれど、この人は反政府活動家としても活躍した。活躍したと言うより、反政府事件に加担して罰せられたと言う事実がはっきりしている。時の藤原政権に反対しているのです。

藤原広嗣の乱のあと、光明皇后の庇護のもとで頭角を現してきた藤原仲麻呂(藤原南家の祖・武智麻呂の次男)の後見する阿部内親王と、橘諸兄の後見する安積(あさか)親王に北家房前の三男八束(母が橘三千代の子である牟漏女王で諸兄の甥に当たる)と大伴家持もグループとして結束し、どちらを次の天皇にするか争いが生じていたのです。


『日本女性の愛と美の原点 (2006年5月28日)』より

それで。。。?

だから、当時の藤原政権に対して大伴家持が批判的だったことは、まず間違いないのですよう。

それで、柿本人麻呂がその事と関係あるのでござ~♪~ますか?

あるのですよう。「人麻呂歌集」と呼ばれる歌集は私家版で、7世紀に柿本人麻呂が編者になって集めた歌集なのですよう。この歌集を底本にして、8世紀に大伴家持が個人的な歌集も加えて取り纏(まと)めたのが万葉集だということが通説になっているのですよう。

柿本人麻呂も政府に批判的な人だったのでござ~♪~ますか?

僕はそう見ているのですよう。実は、この人麻呂は実に謎めいた人なのですよう。

柿本人麻呂の謎

人麻呂について史書に記載がなく、その生涯については謎とされていた。
古くは『古今和歌集』の真名序に五位以上を示す「柿本大夫」、仮名序に正三位である「おほきみつのくらゐ」と書かれており、また、皇室讃歌や皇子・皇女の挽歌を歌うという仕事の内容や重要性からみても、高官であったと受け取られていた。

江戸時代、契沖、賀茂真淵らが、史料に基づき、人麻呂は六位以下の下級官吏で生涯を終えたとされ、以降現在に至るまで歴史学上の通説となっている。

その通説に梅原猛は『水底の歌-柿本人麻呂論』において大胆な論考を行い、人麻呂は高官であったが政争に巻き込まれ刑死したとの「人麻呂流人刑死説」を唱え、話題となった。
また、梅原は人麻呂と猿丸大夫が同一人物であった可能性を指摘する。
しかし、学会において受け入れられるに至ってはいない。
古代の律に梅原が想定するような水死刑は存在していないこと、また梅原がいうように人麻呂が高官であったのなら、それが『続日本紀』などになに一つ残されていない点などに問題があるからである。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

柿本人麻呂は山部赤人(やまべのあかひと)と共に歌聖と呼ばれている。万葉集には長歌19首と短歌75首が掲載されており、万葉集第一の歌人と言っていい。それ程有名なのにもかかわらず、史書には、この人の事が書かれていない。

なぜでござ~♪~ますか?

だから、書けない事情があったのですよう。

どのような。。。?

ウィキペディアの次の部分を読むとヒントが得られますよう。

持統天皇の愛人だった?

賀茂真淵によって草壁皇子に舎人として仕えたとされ、この見解は支持されることも多いが、決定的な根拠があるわけではない。
複数の皇子・皇女(弓削皇子・舎人親王・新田部親王など)に歌をたてまつっているので、特定の皇子に仕えていたのではないだろうとも思われる。
宮廷歌人であったと目されることが多い(伊藤博・橋本達雄など)が、宮廷歌人という職掌が飛鳥時代にあったわけではなく、結局は不明というほかない。
ただし、確実に年代の判明している人麻呂の歌は持統天皇の即位からその崩御にほぼ重なっており、この女帝の存在が人麻呂の活動の原動力であったとみるのは不当ではないと思われる。
後世の俗書(『人丸秘密抄』など)では、持統の愛人であったとみるような曲解もあらわれてくるが、これはもとより小説である。

『万葉集』巻2に讃岐で死人を嘆く歌(巻2・220-222)が残り、また石見国は鴨山での辞世歌と、彼の死を哀悼する挽歌(巻2・223-227)が残されているため、官人となって各地を転々とし最後に石見国で亡くなったとみられることも多い。
しかし、この辞世歌については、人麻呂が自身の死を演じた歌謡劇であるとの理解(伊藤博)や、後人の仮託であるとの見解も有力である。
また、文武4年(700年)に薨去した明日香皇女への挽歌が残されていることからみて、草壁の死後も都にとどまっていたことは間違いない。
藤原京時代の後半や、平城京遷都後の確実な作品が残らないことから、平城京遷都前には亡くなったものと思われる。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

人麻呂は持統女帝の愛人だったのでござ~♪~ますか?

もちろん、そうではないでしょう。でも、持統天皇からかなり目をかけられていたようです。僕は、ある出来事がきっかけで、持統天皇に恨まれて、それで人麻呂の事が史書に書かれなくなったと見ているのですよう。

持統天皇の圧力がかかったと。。。?

そうですよう。そのように考えると、万葉集の第七巻の冒頭の並び方に隠された意図があるように見えてくる。

どのような意図ですか?

つまり、1068番から1088番までの“月の歌”の始まりと終わりは、「人麻呂歌集」から選んだ歌ですよう。その間はすべて“詠み人知らず”の歌になっている。

1068 天の海に雲の波立ち月の船星の林に漕ぎ隠る見ゆ (人麻呂歌集
1069 常はさね思はぬものをこの月の過ぎ隠らまく惜しき宵かも (作者未詳)
1070 大夫の弓末振り起し狩高の野辺さへ清く照る月夜かも (作者未詳)
1071 山の端にいさよふ月を出でむかと待ちつつ居るに夜ぞ更けにける (作者未詳)
1072 明日の宵照らむ月夜は片寄りに今夜に寄りて夜長くあらなむ (作者未詳)
1073 玉垂の小簾の間通しひとり居て見る験なき夕月夜かも (作者未詳)
1074 春日山おして照らせるこの月は妹が庭にも清けかりけり (作者未詳)
1075 海原の道遠みかも月読の光少き夜は更けにつつ (作者未詳)
1076 ももしきの大宮人の罷り出て遊ぶ今夜の月のさやけさ (作者未詳)
1077 ぬばたまの夜渡る月を留めむに西の山辺に関もあらぬかも (作者未詳)
1078 この月のここに来たれば今とかも妹が出で立ち待ちつつあるらむ (作者未詳)
1079 まそ鏡照るべき月を白栲の雲か隠せる天つ霧かも (作者未詳)
1080 ひさかたの天照る月は神代にか出で反るらむ年は経につつ (作者未詳)
1081 ぬばたまの夜渡る月をおもしろみ我が居る袖に露ぞ置きにける (作者未詳)
1082 水底の玉さへさやに見つべくも照る月夜かも夜の更けゆけば (作者未詳)
1083 霜曇りすとにかあるらむ久方の夜渡る月の見えなく思へば (作者未詳)
1084 山の端にいさよふ月をいつとかも我は待ち居らむ夜は更けにつつ (作者未詳)
1085 妹があたり我が袖振らむ木の間より出で来る月に雲なたなびき (作者未詳)
1086 靫懸くる伴の男広き大伴に国栄えむと月は照るらし (作者未詳)
1087 穴師川川波立ちぬ巻向の弓月が岳に雲居立てるらし (人麻呂歌集
1088 あしひきの山川の瀬の響なへに弓月が嶽に雲立ち渡る (人麻呂歌集


『月とすだれ (2008年9月21日)』より

事実はそうではない、とデンマンさん見るのですか?

その通りですよう。

つまり、“月の歌”には隠された意味が込められているとデンマンさんはおっしゃるのですか?

そうですよう。

つうことわあああぁ~。。。先ほどデンマンさんが女性が読んだ歌として解釈した1073番の歌も、実は柿本人麻呂が詠んだものだと。。。?

そう考えて読むと全く違った歌物語になるのですよう。どうですか。。。面白いと思いませんか。。。?

。。。んで、そのように考えると、どのように解釈できるのでござ~♪~ますか?

まず、1073番の歌に出てくる「夕月夜」、つまり、「夕方の月」と「夕暮」についての興味深い論文を読んでみてください。

夕暮と死の詩学

「夕暮」は、詩興をそそる上に極めてよい適性を持ち、世界文学において普遍的に注目されている。
これは、夕暮が昼から夜へ移行する時間帯として、濃密な時間意識が内在しており、自然の次元においては風景の変化に富み、社会の次元においては人恋しさが募り、象徴の次元においては生命の衰微を意識させる、といった特徴によるものと思われる。
夕暮は、日本文学においては重要な位置を占めている。
万葉時代からが多く詠まれ、中世以降、高各な「三夕」の歌に代表されるように、特に「秋の夕暮」が日本人の美意識の一つとして定着している。

 (中略)

「夕月夜小倉の山に鳴く鹿の声のうちにや秋は暮るらむ」(古今・秋下・312・紀貫之)という秋の晦日歌の初句「夕月夜」は、「夕方の月」の意味であるが、この歌においては実景ではなく、地名「小倉」を喚起する枕詞として使われている。
それと同時に、「夕月夜」の語感が極めて典雅優美であり、一首全体に機能している。
貫之は「夕月夜」という言葉の総合的機能への愛着により、敢えてそれを晦日題材に詠み込んだものと推測される。

 (中略)

万葉集では、夕暮と「生命衰微」の関連は長歌における対句表現に断片的に現れるに止まり、夕暮の典型的な題材として成り立つには至らなかった。
そのうち、柿本人麻呂の泣血哀慟歌に見える「渡る日の 暮れぬるがごと 照る月の 雲隠るごと」(万葉・巻二・207)「鳥じもの 朝立ちいまして 入日なす 隠りにしかば」(万葉・巻二・210)という表現は、妻の「死」を象徴し、潘岳の「京陵女公子王氏哀辞」に見える「夕陽映を失ひ、晴鳥帰るを忘る。皎皎たる宵月、載ち盈ち載ち微ふ」を背景にするものと考えられる。
平安以降、『出曜経』などの仏典を背景に、「明日知らぬわが身と思へど暮れぬ間の今日は人こそ悲しかりけれ」(古今・哀傷・838・紀貫之)という歌によって、夕暮と「死」の関連が確立される。
以降、夕暮に内在する「生命衰微」の象徴性に対する関心が高まり、「入相の鐘」に生存への不安が託され、命の儚さの象徴として「夕露」が登場し、また、「荼毘の煙」が夕暮に結び付くなど、夕暮と「死」の緊密性はいよいよ顕著になっている。


『古典和歌における夕暮の詩学』より

万葉集の第二巻には“泣血哀慟歌”と呼ばれる長歌が載せられているのですよう。これは柿本人麻呂が詠んだものです。「死」と言う言葉はどこにも書かれてないのだけれど、上の論文にも述べられているように“夕暮れになり、照る月が隠れる”と表現する事で柿本人麻呂は妻の死を象徴している。

つまり、1073番の「夕月夜」は人麻呂が妻の死を重ねて見ていると言うことでござ~♪~ますか?

その通りですよう。

デンマンさんは1073番の歌を、初め次のように解釈なさったのですよね。

玉垂(たまだれ)の

小簾(をす)の間(ま)通し

ひとり居て

見る験(しるし)なき

夕月夜かも

詠み人知らず

万葉集 巻第七・1073

このような素晴しい月夜の晩に、

一人で簾の隙間から月を見ているなんて

なんてつまらないのでしょう。

ああ~、愛(いと)しいあの人と

今宵(こよい)一緒に、

この月を見ることができたら

どんなに素晴しいことでしょう!

ああぁ~、あの方にお会いしたいわ。

『月とすだれ (2008年9月21日)』より

そうです。女性が詠んだものだと僕は思ったのですよう。

。。。んで、柿本人麻呂が詠んだとすると、歌の意味はどのようになるのでござ~♪~ますか?

次のようになると思うのですよう。

このような素晴しい月夜の晩に、

一人で簾の隙間から月を見ているが

ああ~、愛(いと)しいあの人は、

もうこの世の人ではない。

あのように儚(はかな)く

逝(い)ってしまうのであれば、

もう少し足しげく通って、

優しい言葉をかけてあげたかった。

でも、そうできない事情があったのだ。

今更嘆いたとて、どうなるものでもないが。。。

それでも、あの人を思い出すと

慟哭せずには居られない。

このように解釈できるのですよう。

なんだか、とっても悲しい解釈でござ~♪~ますわぁ~。。。でも、デンマンさんは、おっしゃいましたよね。男性が1073番のような女々(めめ)しい歌を詠めばデンマンさんは次のように喚(わめ)くだろうと。。。

オマエ、いい年して、それほど女の子と一緒に

月が見たいのなら、

そんなところでじっとしてないで

夜の街に出てナンパしに行けよう。ゴラぁ~~

卑弥子さんは良く覚えていますねぇ~?

よく覚えていますねってぇ~。。。まだ、おとといの事でござ~♪~ますわ。柿本人麻呂は、もちろん男性でござ~♪~ますわ。それなのに、デンマンさんは“ナンパしに行け!”と喚(わめ)かずに、こうして悲しい解釈をしたのは、どうしてでござ~♪~ますか?

だから、かなり悲劇的な事情があったのですよう。

つまり、柿本人麻呂が史書から抹殺されてしまった事と関わっているのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。持統天皇に毛嫌いされてしまったのですよう。

その事情をぜひ、お聞かせくださいましな。

分かりました。でも、この記事が長くなりすぎたので、また、あさってにしますよう。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
また、お預けですわ。
デンマンさんの記事は、特に、出だしが長いのですわよう。
あなただって、そう思うでしょう?

とにかく、あさって面白くなりそうでござ~♪~ますわ。
なぜ、柿本人麻呂を史書から抹殺しなければならなかったのでしょうか?

あなたも、どうか、読みに戻って来てくださいましね。
じゃあ、また。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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