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愛憎と極楽浄土
2008年10月9日

デンマンさん。。。今日は抹香(まっこう)臭いお話をするのでござ~♪~ますか?

平安文学、とりわけ源氏物語を研究している卑弥子さんならば、絶対に興味がある話題だと思ったのだけれど。。。、卑弥子さんは極楽浄土に関心がないのですか?

もちろん、平安文学研究者の端(はし)くれとして極楽浄土の事も、お勉強いたしましたわ。。。でも、あたくし自身は極楽浄土があるとは信じておりませんの。。。おほほほほ。。。

卑弥子さんは死後の世界があると。。。信じないのですか?

信じることができませんわ。デンマンさんは死後の世界があると信じているのでござ~♪~ますか?

もちろん、僕だって信じていませんよう。うへへへへ。。。

だったら。。。、だったら。。。、どうして極楽浄土を持ち出してきたのでござ~♪~ますか?

■ 『愛憎と苔寺 (2008年10月7日)』

おとといの記事の中に登場した祗王(21歳)、妹の祗女(19歳)、それに母親の刀自(とじ)45歳は、マジで極楽浄土を信じていたのですよう。

つまり、死後の世界があることを真面目に信じていたのですわね?

もちろんですよう。この世の無常を実感しながら極楽浄土で幸せを見つけようと祗王寺(ぎおうじ)に移り住んで念仏三昧(ざんまい)の暮らしに入ったのです。

そこへ尼になった仏御前(ほとけごぜん)が訪ねたのですわね。

そうですよう。それからは、祗王一家と仏御前は、余念無く仏道に励み、みな極楽浄土へ行った、と伝えられているのですよう。

本当にマジで極楽浄土があると信じていたのでござ~♪~ましょうか?

当時の世の中は、つらい事や苦しい事ばかりが多かったので、極楽浄土でも信じない限り、生き甲斐がなかったのでしょうね。その事は貴族でも百姓でも変わりがなかったようですよう。

どうしてそのような事がデンマンさんには分かるのですか?

この記事のトップに貼り付けた写真の平等院鳳凰堂ね。。。

10円玉に付いている絵の中のお寺ですわね?

卑弥子さんは良く知っていますねぇ~?

あたくし、デンマンさんが書いた次の記事を読んでいましたから。。。

平安時代は決して平安ではなかった

黒澤明監督の、『羅生門』という映画を見たことがあるでしょうか?
原作は芥川龍之介の短編小説「藪の中」です。
戦禍に荒れ果て、疫病が流行し、天災が続いた平安時代の話しです。
先ず画面に現れるのは、激しい夕立の中、壊れかけた羅生門の下で杣売りと旅法師が雨宿りをしながら考え込んでいます。
羅生門というのは、都の正門ですから、完成したときの姿は上の写真に見るような豪華なものだったはずです。
しかし、今、言ったように「平安」時代でありながら、現実は庶民にとって、ずいぶんときびしい時代だったようです。
というのは、映画の中では羅生門が下に示すような無残な姿で現れるからです。

破れ羅生門の下で雨宿りしている二人のところへ、みすぼらしい浮浪者みたいな男が駆け込んできます。
押し黙る二人、どうかしたのかと、その訳を聞きます。
二人は三日前におきた恐ろしくも不思議な話を語り始めるのです。
都のはずれで起きた殺人事件について、犯人の男、犯された女、殺された男(霊媒を通して語る)、事件を目撃した木樵がそれぞれ証言するのですが、どの話もすべて食い違うというミステリーです。
最後の最後まで事件の真相が明らかにならないことが、当時の観客や批評家には難解でした。
製作した映画会社内でも不評で、担当者は更迭されたということです。
黒澤明監督は苦境に立たされたわけですが、ヴェネチア映画祭グランプリ受賞で大逆転。
今では“戦後日本映画史を代表する作品”のひとつになっているわけです。

話がちょっとばかり、横道へそれました。
なぜ羅生門を持ち出したのか?
それは、この当時の庶民の生活と、藤原氏の生活を比べるためです。
庶民は、といえば、こういう破れ羅生門と隣りあわせに生活していたわけです。
しかし、よーく考えてみてください。
この羅生門というのは都の正門ですよ。
今なら、さしずめ東京駅か、成田国際空港でしょう。
それがもう、上の写真で見るようにボロボロです。
もちろん藤原氏が政権を握っています。
これは、戦国時代の話ではありません。
この当時、誰が政権を握っていたかというと、藤原道長の息子である藤原頼道(よりみち)です。

ところが、夜盗が昼間から横行し、人殺し、追いはぎ、そういったものは、もう日常茶飯事です。
そこで、問題になるのが、藤原氏はどんな生活を送っていたのかということです。
この時代には、末法(まっぽう)思想が、流行歌のようにはやっていました。
要するに、この世が終わりに近づいているという考えです。
その終わりが1052年(永承7)となっていました。
そこで、藤原頼道(よりみち)は次に示すような別荘を作りました。

どこかで見たことがあるでしょう?
そうです。10円玉の裏に描かれている平等院鳳凰堂です。
要するに、世界の終わりが近づいてきたものだから、敷地内に阿弥陀(あみだ)堂を造ります。
阿弥陀堂とは何か?
それは阿弥陀如来(あみだにょらい)を奉るお堂ということです。
阿弥陀さんは、西方の極楽浄土に住んでいる教主です。
建物の形が鳳凰、つまり不死鳥(Phoenix)に似ているところから、そう呼ばれますが正式には平等院阿弥陀堂と呼ぶそうです。

つまり、都の正門がボロボロだろうが、火事で燃えて無くなろうが,そんな事は藤原氏にとっては、どうでもいいわけです。
自分だけが阿弥陀さんのそばにいれば、庶民がどうなろうと知った事ではないと思っていたわけです。
この当時は検非違使(けびいし)という現在の警察にあたるものはありましたが、正式には、法律に定められていない組織でした。
それで、都といえども、警察などあってもないようなもので、無政府状態だったわけです。
そんなわけで、人殺し、盗みはしたい放題といった状態です。
今の感覚からすれば、もうむちゃくちゃです。


『渡来人とアイヌ人の連合王国』より
 (2003年7月17日)

ほォ~。。。卑弥子さんは読んでくれたのですか。うれしいなあああぁ~ とにかく、すごい時代だったのですよう。

祗王も、このような時代に生きていたのでござ~♪~ますか?

藤原頼道(よりみち)が平等院鳳凰堂を建てたときよりも、数十年後だけれど、平安末期、つまり、末法の世であった事に間違いがないのですよう。

どれぐらい後だったのでござ~♪~ますか?

平清盛が生まれたのは平安時代末期、元永元年(1118年)です。亡くなったのが治承5年(1181年)ですよ。平清盛が亡くなって、やがて源頼朝が武士社会を立ち上げる訳だから、まさに平安時代の末期というわけですよう。

祗王が生きていた時代は、藤原頼道(よりみち)の時代よりもさらに状況は悪くなっていたのでしょうか?

まず間違いなく悪くなっていたでしょうね。

どうしてデンマンさんには、そうだと分かるのでござ~♪~ますか?

「平氏にあらずんば人にあらず」

『平家物語』の中にも、このように書いてありますよう。つまり、平家一門でない者は人並みの生活ができなかったのですよう。

それで、祗王は人並みの生活を求めて平清盛に接近して行ったのでしょうか?

この当時生きていた者ならば、誰だって平家の伝手(つて)を頼って人並みな生活ができるようにいろいろと手立てを考えたでしょうね。

でも、祗王が望んでいたような安楽な生活は長くは続かなかったのですね。

その通りですよう。卑弥子さんが、おととい説明した通りですよう。

祗王の夢は儚(はかな)く露と消えて…

白拍子になってしまいましたわア~。

うふふふふ。。。

デンマンさんが小百合さんのために

出ろっつうんでござ~♪~ますわよう。

ええっ? どうしてかって。。。?

苔にハマッている小百合さんのために

美しい苔のある風景をお見せしなさいって

言われたのでござ~♪~ますわ。

そう言う訳で、祗王(ぎおう)寺を紹介しますわ。

美しいでしょう!

苔の美しい庭がいいですよね。

その向こうに見えるのが祗王寺でござ~♪~ますわ。

祗王や清盛の仏像がまつられているのですゥ。

法然上人(ほうねんしょうにん)の門弟・良鎮によって

建てられた往生院の境内地にあったのですが、

往生院が荒廃した後は小さな尼寺として残り、

祗王寺と呼ばれるようになったのでござ~♪~ます。

でも、江戸末期に廃寺となってしまったのですわ。

明治28(1895)年に当時の府知事であった北垣国道さんが

茶室を寄進して再建したのでござ~♪~ます。

現在では大覚寺の塔頭(たっちゅう【わきでら】)となっていて、

紅葉の名所、また、

平家物語の悲恋物語の舞台として知られているのです。

平清盛の寵愛を受けた白拍子・祗王が、清盛に捨てられた後、

妹の祗女とお母さんと仏御前(ほとけごぜん)と

過ごした寺でござ~♪~ますわ。

このお話は「平家物語」・祗王に詳しく描かれています。

小さな庵と苔が美しい庭園を見ていると、

「平家物語」の時代にタイムスリップした気分になりますわ。

嵐山の奥のほう、竹と楓(かえで)に囲まれた、

どこか女性的な感じを受ける草庵でござ~♪~ます。

庭は苔のジュウタンで覆われ、

蹲(つくばい)を流れ落ちた水が小川となり、

楓の足元を大きくうねりながら流れてゆくのですわ。

紅葉の見ごろは、少し遅めの12月上旬でござ~♪~ます。

なぜなら、庭苔の緑に、散り始めた紅葉が

朱をさして美しいからですわ。

デンマンさんとご一緒に見たいものですわぁ~。

おほほほほ。。。

では、平家物語「巻第一 祗王の章」の

あらすじをお話いたしますわ。

ところで白拍子というのは、平安時代後期に活躍した、

一口で分かりやすく申し上げるならば、

芸者のような者でござ~♪~ますわ。

このように白の水干(すいかん)に

立烏帽子(たてえぼし)、白鞘巻(しろさやまき)という男装で

「今様(いまよう)」と呼ばれる歌を謡(うた)いながら、

男舞(おとこまい)と呼ばれる舞(まい)を

舞(ま)うのでござ~♪~ます。

白拍子であった祗王は、時の権力者・平清盛の寵愛を受け、

彼の館で幸せに暮らしておりました。

あるとき、清盛に歌舞を披露したいという

別の白拍子が現れたのです。

その者が仏御前だったのですわ。

ただの白拍子に過ぎない仏御前を

清盛は追い返そうとしました。

でも、遠路はるばるやってきた彼女を見かねて、

心の優しい祗王がとりなしたのでござ~♪~ますわ。

それで、仏御前は清盛に舞を見せることになりました。

しかし、これを見た清盛は心を奪われ、

仏御前を寵愛するようになってしまったのでござ~♪~ます。

皮肉なものでござ~♪~ますわねぇ~。

男と言うのは本当に浮気なものでござ~♪~ますわ。

祗王の座を奪う気持ちのない仏御前は

辞退しようとしました。

しかし、それに気づいた清盛は、

邪魔な祗王を追放してしまったのですわ。

本当に悲しい事でござ~♪~ますゥ。

萌え出づるも

枯るるも同じ

野辺の花

いづれか秋に

あわではづべき

館を出る祗王がせめてもの忘れ形見にと

詠んだ句でござ~♪~ます。

さらに翌春、清盛は退屈している仏御前を

慰めるためといって、

祗王に仏御前の前で舞を披露することを強要したのです。

祗王は、あまりの屈辱に

死を決意するのでござ~♪~ました。

しかし、五逆罪になることを母親が説き、

やむなく祗王は清盛の館へ向かうのです。

仏もむかしは凡夫なり

われらも遂には仏なり

いずれも仏性具せる身を

隔つるのみこそ悲しけれ

このように謡(うた)いながら舞い踊り、

諸臣の涙を誘ったのでござ~♪~ます。

祗王は都に居れば、

また同じような思いをしなければならないと、

母、妹と共に尼となり、嵯峨の山里で仏門に入るのでした。

当時、祗王21歳、妹の祗女は19歳、

母の刀自(とじ)は45歳でござ~♪~ました。

ところが、ある秋の夕べ、

仏御前は祗王の元を訪れたのです。

なぜ。。。? どうした事でござ~♪~ましょうか?

実は、祗王の運命を自分に重ねて世の無常を思い、

仏御前は、清盛の館を抜け出して

尼となっていたのでござ~♪~ます。

それからのち、祗王一家と仏御前は、余念無く仏道に励み、

みな往生の本懐を遂げたのでござ~♪~ます。

小百合さん、いかがでござ~♪~ますか?

女の身として涙なくしては読めないですよね。

おほほほほ。。。

『愛憎と苔寺 (2008年10月7日)』より

祗王も仏御前も、結局、世の無常を思って念仏に救いを求める以外になかったのでござ~♪~ますわね。

そうなのですよう。この当時の過酷な時代に生きていたからこそ、極楽浄土が信じられたのだと思うのですよう。

それ程、過酷だったのでござ~♪~ましょうか?

それは、上の『羅生門』を読んでも、祗王と仏御前が辿(たど)った道を思えば分かるというものですよう。

この当時のミーちゃんハーちゃんにとっても生きるという事は本当につらかったのでござ~♪~ますか?

つらかったのですよう。だから、せめて死んだ後には極楽浄土があって、どのような罪を犯した人でもその浄土へ行って救われる。。。そう思ってじっと耐えながら生きていたのでしょうね。

その教えが書いてあるのが『歎異抄(たんにしょう)』でござ~♪~ますか?

そうなのですよう。僕も初めてバンクーバーの市立図書館で本を借りて読みましたよう。

確か。。。漫画でしたわよね?うふふふ。。。

ほら、ほらァ~。。。そうやって卑弥子さんは、僕がマンガで『歎異抄』を読んだことを馬鹿にするのですね?

だってぇ~。。。

あのねぇ~。。。僕だって単行本があれば単行本を借りたのですよう。でも、マンガしかなかったのですよう。うへへへへ。。。

分かりましたわ。それで、どなたが『歎異抄』を書いたのでござ~♪~ますか?

法然上人の直弟子だった親鸞聖人(しんらんしょうにん)の教えが書いてあるのだけれど、実は、親鸞聖人が書いたのではないのですよう。

だから、どなたが書いたのでござ~♪~ますか?

いろいろな説があるけれど、現在では常陸国河和田(かわわだ:現在茨城県水戸市)出身の唯円(ゆいえん)という親鸞聖人の直弟子が書いたという説が有力です。

唯円さんだという何か決め手でもあるのでござ~♪~ますか?

唯円の名が作中に出ているのですよう。また、本文の流れから関東の者でないと辻褄が合わない。

親鸞聖人の教えは、誰でも極楽浄土へ行けるという教えでしょう?

そうですよう。

それ程、浄土が素晴しいのであれば、煩悩に悩まされ、苦しみの多い今生(こんじょう)に別れを告げて、早く浄土へ行きたいという人がたくさん出てきても良いはずでござ~♪~ますわよね。でも、祗王も仏御前も、自らの命を絶ってまで浄土へ行こうとはしなかった。。。

その通りですよう。しかし、祗王は世をはかなんで自殺しようとした。でも、お母さんが止めたのでやめにしたのですよう。

でも、極楽浄土で幸せな生活ができるならば、誰だって早く行きたいと思うのでござ~♪~ますわ。それなのに、誰もが、すぐには行かずに、厳しい、つらい、苦労の多いこの世で苦汁を舐めながら暮らしている。それって、どういうわけでござ~♪~ましょうか?『歎異抄』では、どのように説明されているのですか?

うん。。。僕も、その事がずいぶん気になっていたのですよう。長くなるけれど『漫画 歎異抄』から、その部分を書き出しますよう。読んでみてください。

それ程、極楽浄土が

素晴しいのなら、

なぜ今すぐに逝かないの?

唯円、今日のおまえはおかしいぞ。いったいどうしたのじゃ。

こんなことを申し上げると、もしかして聖人さまのお側(そば)におられないかもしれませんが、どうか私の心の内を聞いてくださいませ。

帰ってからではいかんのか?

いえ、意を決した今こそ、お聞きせねば!

よくよくのことじゃな。申してみよ。

私は聖人の教えを信じお念仏しております。救われるはずのない私が救われるわが身をありがたく思っております。しかし、本当にそう信じているなら踊りあがってこの上もない喜びをかみしめることでしょう。なのに私はいつまでたってもそこまでの喜びがわき上がってまいりません。さらには娑婆(しゃば)が無明(むみょう)の世界と知りながら一刻も早くお浄土へ参りたいという心が起こってこないのです!唯円は。。。唯円は。。。聖人のお側におりながら心底(しんそこ)み教えをいただいておりませぬのか?!

もはや私には阿弥陀様のお心が届いておらぬのではと毎日毎日苦しむばかりです。(号泣)

唯円よ。私もそれをいぶかしく思っておったが、そなたも同じ心であったか。

“同じ心”でございますか?

そうじゃよ。唯円よく申してくれた。ありがとうよ。

聖人さま、もったいない!

よくよく考えて見ると躍り上がるほど喜ばねばならぬことを喜ぶことのできないわが身を思うにつけ、いよいよ往生(おうじょう)が定まった身といただけるのう。

なぜでございます?!阿弥陀様のお救いにあずかりながら、それにふさわしい喜びがわいてこないのは本当に救いを求めていないからではありますまいか?

そうじゃな。それはどうしようもない恩知らずで浅ましいことじゃ。

うわぁ。。。やっぱり。。。

ここにも、そういう恩知らずがおるがな。

そんなぁ。。。聖人さまは違いますぅ。

唯円よ、悲しいのう。。。

はっ。。。?

この世におると愛憎の渦に巻き込まれ欲得にふりまわされる。右も左も煩(わずら)わしいことだらけじゃ。

ですから。。。

まあ聞きなさい。お釈迦様はそんなものを捨て去って真実に目覚めなさいとお示しくださった。

ハイ。

しかし、愛憎の中でしか生きていけないのも事実。。。誰も彼もむなしい名利(みょうり)にすがってこの世に執着(しゅうちゃく)しておる。真実、すなわち阿弥陀様のみ光、に背を向け煩悩(ぼんのう)の闇へ闇へと向かっていくのが。。。

凡夫(ぼんぷ)。。。でございますね。

そうじゃ。そのあわれな凡夫を阿弥陀さまは見捨てられたかの?

い。。。いえっ。。。あっ。。。!もしかして私が急いでお浄土にお参りしたいと思わないのは煩悩のせいだとおっしゃるのでしょうか?!

おーっ、さすがじゃ、唯円。尊いみ教えをいただきながら喜べないのは、まさしく煩悩のせいじゃ。じゃが、そんなことはずっとずっと前から阿弥陀様はお見通しじゃよ。。。よいか唯円。その凡夫だからこそ阿弥陀様の救いの目当てなのじゃ!

(ガーーン)。。。阿弥陀様は急いで参りたいとも思わない私のような迷いとまどう者こそ不憫(ふびん)と思うてくださる。。。そうですね。

のう唯円。。。私たち凡夫も娑婆という所も一筋縄(ひとすじなわ)ではいかないのじゃ。愛する者と出会(でお)うたかと思えば別れ。。。今上(こんじょう)の喜びを得たと思うたら、それ以上の苦しみがくる。。。なんとか命ながらえたと思えば老いてゆく。ただ老いるのではないぞ。病にもかかるし税金も払わにゃならん。

ホンマ、つらいですね。

しかし、お浄土は安らかな所じゃ。早く行きたくならんか?

イエ。。。ですから。。。その。。。それでも娑婆に。。。その。。。未練(みれん)が。。。

やっぱり、一筋縄ではいかないのう。。。はっはっはっ。。。

面目ありません。

いやいや。。。そういう者のための阿弥陀様の救いじゃ。おまえのように仕事も一生懸命な者ほどこの世にしがらみは多いじゃろ。

ハァ。。。

私がもし、お念仏の教えをいただいてすぐ「ああ、お浄土はすばらしい!早く参りたい!」と思ったならば、もしかして自分には煩悩はないのだろうかと、かえっていぶかしく思うのではないか。。。のう、唯円。

ハイ!

お念仏の教えをそれこそ何万遍(なんまんべん)も聞かされながら「急いでお浄土に参りたいという気持ちが起こらない」という問いは、一見お念仏をいただいていないように思えるが、お念仏をいただいたからこそ、このような浅ましい本当の自分の姿が見えてきたと思わんか?凡夫と気づいたのは阿弥陀様のみ教えが心に響(ひび)いてきたからじゃないのか。。。どうじゃ?

ああっ。。。

愛憎の煩悩に惑(まど)わされて、いそいでお浄土に参りたいという心が起こらない浅ましい身に気づくならば、その身をなげくより、そんな私を捨てずに救うという阿弥陀様の大悲(だいひ)のたのもしさを仰(あお)ぎ「わが往生は一定(いちじょう)なり」と思いとるがよい。

はい!

ありがたいのう。ナマンダブ、ナマンダブ。唯円よ。名残り惜しくも娑婆と縁がつきたその時こそ、お浄土に共に参らせてもらおうじゃないか。

ありがたいことです。聖人さま、唯円を救っていただきありがとうございます。

なにを言う。私も凡夫じゃ。救ってくださったのは阿弥陀様じゃよ。

【デンマン注: 読み易く句読点を加えてあります。画像はすべてデンマンの趣味により加えてあります。】


199-211ページ
『漫画 歎異抄』 作: 岡橋徹栄 画: 広中建次
発行: 本願寺出版社 2003年9月30日 第二刷発行

どうですか、卑弥子さん?。。。読んでみて理解できましたか?

なんとなく分かりましたわ。つまり、あたくしたち人間は煩悩に悩まされれながら生きている凡夫(ぼんぷ)だと言うのですわね。

そうですよう。この世の愛憎に振り回され、煩悩に惑(まど)わされているから浄土に行きたいという心が起こらない。だから、極楽浄土があるにもかかわらず、すぐに自分の命を絶ってまで浄土に行きたいと思わないのは、そういう浅ましい凡夫だというのですよう。

デンマンさんは、親鸞聖人の教えを信じているのでござ~♪~ますか?

信じていないけれど、理解していますよう。

どう言う事ですか?

結局、江戸川乱歩氏が言った事は正しい事だとしみじみと思いましたよう。

その正しい事とは。。。?

読んでみてください。

今一つの世界

ここにもし、それらのものとは全く違った、また目新しい、「今一つの世界」があって、魔法使いの呪文か何かで、パッと、それがわれわれの目の前に現れたなら、そして、たとえば竜宮へ行った浦島太郎のように、その世界で生活することができたなら、われわれはまあどんなに楽しく生甲斐のあることでしょう。

でも、われわれは浦島太郎にはなれっこない。そんな「今一つの世界」なんてあるはずもなく、そこへ住むなんて思いもよらぬことだ。われわれはやっぱり、このきまりきった、面白くもない日常茶飯事を繰り返して行くほかに生き方はないのだ、とおっしゃるのですか。だって「今一つの世界」を求めるわれわれの欲望の烈しさは、どうして、そんなことをいってあきらめていられるものではないのですよ。

ご覧なさい。子供がどんなにお伽話をすくか、青年がどんなに冒険談をすくか、それから大人のお伽話、冒険談は、たとえばお茶屋の二階、歌い女、幇間(ほうかん)。それぞれ種類は違っても、われわれは一生涯、何か日常茶飯事以上のもの、「今一つの世界」を求めないではいられぬのです。お芝居にしろ、音楽にしろ、絵画にしろ、小説にしろ、それらはみな見方によっては、人間の「今一つの世界」への憧憬から生まれたものではありませんか。

暑中には避暑をする。それは何も暑さを避けるためばかりではないのです。われわれはここでも「今一つの世界」を求めている。飽き果てた家庭を離れて、別の世界へ行きたがっているのです。

もろもろの科学にしても、やっぱり人間のこの欲望の現われではないでしょうか。例えば天文学者は星の世界に憧れているのです。歴史家は遠い昔の別世界に思いを寄せているのです。動物や植物の学問はもちろん、生命のない鉱物にだって、薬品にだって、やっぱり「今一つの世界」を見出すことができないでしょうか。

古来のユートピア作者達が、それを夢見ていたことは申すまでもありません。さらにまた宗教ですらも、天上の楽園と言う「今一つの世界」に憧れているではありませんか。

ある型に属する小説家は、誰しも同じ思いでしょうが、わたしもまた、わたしの拙い文字によって、わたし自身の「今一つの世界」を創造することを、一生の願いとするものでございます。


(130 - 132ページ)
江戸川乱歩全集 第30巻 「わが夢と真実」
光文社文庫 2005年6月20日 初版1刷発行

つまり、親鸞聖人も「今一つの世界」を見つけて救いを見い出したとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?

そうですよう。救いの道は浄土真宗だけとは限らない。もし、そうであるならば、キリスト教やイスラム教が存在する理由の説明ができない。また、救いの道は宗教だけとは限らない。もし、そうならば、一人の人間が一生を懸けて研究に没頭する考古学だとか、人類学だとか天文学などがある事の説明の仕様がない。。。

つまり、人の救いの道とは「今一つの世界」を持つ事だとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?

そうですよう。

。。。で、小百合さんの救いの道とは。。。?

小百合さんの投稿を読んでみてください。

[475] Re: 愛憎と苔寺 PART 2

Name: 小百合 (HOME) E-MAIL
Date: 10/06/2008 10:08 AM
バンクーバー時間: 10月5日 午後6時8分

はい おはようございます。
10月3日の日に『愛憎と苔寺』の記事を送ってくれたのですね。
ちょうど 私も苔に興味があり、子供や主人の世話より
一生懸命 育てていて 楽しい。

どうかな~
山小屋の庭を一面に 苔だらけに できるかな~。

子供や旦那も一生懸命に世話してあげてね。。。。

もちろん、小百合さんが良く世話しているのを知っていますよう!

普通の主婦以上に苔にハマッテいると言う事でしょうね。
その事が言いたいのでしょう?!

はい、はい、はい。。。分かってますよう!

小百合さんが、どれほどきれいな苔庭を作るのか是非みたいですよう。
小百合さんの美的感覚、美意識が分かるかも。。。?

これから 落ちる カエデの葉を いままでは そのままにして
置いたのですが・・ 今年は 落ち葉を全部 片づけないと
下の苔が 腐ってしまいます。

昨日も1日 苔の中の杉の子(これ強い)を抜いたり、
落ち始めた葉を 拾ったり 触って 楽しんでました。

        
小百合さんが食べる事以外にも楽しみがあることを知って
僕は心から喜んでいますよう!(半分冗談だよう!)

祗王寺の写真は 木が落葉樹のようで やはり 落ち葉がでますね~
誰か 片づけをしてるのでしょうが あんな日光が
あたって 乾燥しないのかな~?
軽井沢は あんなに明るい場所には 苔の庭は ありませんが・・
薄暗い 森の中の 庭にあります。
デンマンさんは 忙しいから 何も調べなくっても イイよ。

小百合より

小百合さんの質問にお答えいたしますわ。

落ち葉は、あたくしが暇な時に祗王寺に行って

お片付けしているのでござ~♪~ますわ。

デンマンさんも知らない事でござ~♪~ますう。

ネットで調べても分かりませんわ。

それで、あたくしが出て来たというわけでござ~♪~ますわ。

おほほほほ。。。

失礼いたしましたァ~。

祗王寺の上の写真は画像ソフトを使って3倍ぐらいに明るくしてあります。

実際は、森の中にあるようで薄暗いのですよう。

木漏(こも)れ日を強調して見栄(みば)えがいいように明るくしたのです。

そう言う訳で、強い日差しに当たって乾燥する事はまずないでしょう。

小百合さんも安心してね。

はい!

そういうわけで、いつか小百合さんと一緒に

紅葉のきれいな時に祗王寺の美しい苔庭を見に行きましょうね。

それから、感激を胸に秘めながら、

白熊のようにハグしましょうね。

うへへへへ。。。

調子に乗って失礼いたしました!

じゃあね。


日本時間: 2008年10月6日 午後12時40分
バンクーバー時間: 10月5日 午後8時40分
『祗王寺の美しい苔庭を見に行きましょうね』より

つまり、小百合さんは苔の庭を造ることに、目下「今一つの世界」を見い出しているのでござ~♪~ますか?

そうですよう。

分かりましたわ。

卑弥子さんは、ずいぶん素直に認めるのですねぇ~。

だってぇ、あたくしにはデンマンさんの「今一つの世界」が見えてきましたわぁ~。

ほおォ~。。。僕の「今一つの世界」が見えてきたのですか?

そうですわ。苔の庭を造る小百合さんを“夢とロマンの女神”だと信じることにデンマンさんは「今一つの世界」を見い出しているのでござ~♪~ますわぁ~。。。そうでしょう?

うしししし。。。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
ああやって、笑ってごまかそうとしているのでござ~♪~ますわ。
いけ好かないことォ~~。

あたくしが、こうやってデンマンさんのために一生懸命になってお手伝いしている事など、全く眼中に無いようでござ~♪~ますわ。
平清盛の気持ちが仏御前になびいてゆき、祗王から遠のいて行くのが目に見えるようででござ~♪~ますう。

今のあたくしには、祗王の心の内が良~♪~く分かるのでござ~♪~ますわ。
女心は平安の昔も現在も、あまり変わらないようですわ。

とにかく、あさっても面白いお話が続くようですわ。
あなたもどうか、また、読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは、ジューンです。

北米で見る苔の美しさに見とれる事はありませんが

祗王寺の苔庭は見事だと思いますわ。

祗王寺の紅葉の見ごろは、

少し遅めの12月上旬ですって。

庭苔の緑に、散り始めた紅葉が朱をさして美しいでしょうね。

わたしの紅葉の思い出は、何と言っても

安芸(あき)の宮島です。

わたしが行ったのは、もう8年ほど前になりますが、

2,3年前に大きな台風の被害にあって

修復工事が行われたと聞いていますが、

現在、どうなっているのでしょうか?

機会があったら、また、素晴しい紅葉を

見に行きたいと思っています。

ところで、わたしが面白い英語の話を集めました。

時間があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

読んでくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


 





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