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愛のラーメン
と杜の都 by デンマン & 卑弥子
2009年2月26日
デンマンさんは小百合さんが送ってくれた愛のラーメンを食べたのでござ~♪~ますか?
そうなのですよう。食べると強烈に杜の都・仙台が思い出されたのですよう。 なぜでござ~♪~ますか? 僕がめちゃハマッていた五右衛門味噌ラーメンの味が衝撃的に口の中で蘇(よみがえ)ったのですよう。 ちょっとオーバーではござ~♪~ませんか? とにかく、それ程、僕にとっては懐かしい味だった。 小百合さんはデンマンさんが五右衛門味噌ラーメンにハマッテいたことを知っていたのでござ~♪~ますか? 仙台の五右衛門ラーメンについて僕は小百合さんに話した覚えはないのだけれど、多分、僕が書いた記事の中で小百合さんは僕が仙台の味噌ラーメンが好きだと言う事を読んだのでしょう。調べてみたら僕は次のような記事を書いていましたよう。 ■ 『海外で信用されるには (2006年5月27日)』 ■ 『平和を愛した古代日本人 (2006年6月25日)』 ■ 『七夕の起こりって (2007年7月7日)』 ■ 『思い出を食べる (2008年5月30日)』 ■ 『有閑夫人 (2008年7月9日)』 ■ 『落ちる人が死んでから乗ってけーさい』 ■ 『思い出の曲とふるさと (2009年1月9日)』 ずいぶん書いたのでござ~♪~ますわね?。。。んで、小百合さんが送ってくれた仙台辛味噌ラーメンは五右衛門ラーメンをインスタントにしたものなのですか?
違うのですよう。五右衛門味噌ラーメンとは関係ないのですう。全く違う会社が作っている。食べたあとでプラスチックのどんぶりを見たら、ヤマダイ株式会社と書いてある。 仙台にある会社でござ~♪~ますか? 違うのですよう。全く関係ない茨城県結城(ゆうき)郡八千代町にあるのです。でも、「味噌の50%に仙台味噌を使用しています」と書いてある。僕が食べた限り、仙台の五右衛門味噌ラーメンの味とほとんど変わりがないほど良く似ていましたよう。マジでビックリしました。だから、味噌の半分は仙台味噌を使っていると僕も信じる事ができましたよう。 それ程、仙台味噌は他の味噌と違うのでござ~♪~ますか? 実は、僕はその違いを知らなかった。うへへへへ。。。調べてみたら次のように書いてありましたよう。
仙台味噌
仙台味噌は、宮城県、おもに仙台市で生産されている、米麹と大豆でつくる味噌(米味噌)で、辛口の赤味噌。 仙台藩初代藩主伊達政宗が、城下に御塩噌蔵(おえんそぐら)と呼ばれる味噌醸造所を設けたことに端を発する。 【歴史】 仙台味噌の由来として、『伊達政宗が1593年の朝鮮出兵の際に持参した味噌が、夏場でも腐敗しなかったため、他の武将に乞われて分け与えたことから仙台味噌が有名となった』という説があるが、当時の伊達政宗の居城は岩出山城であることと、仙台という地名が1600年に伊達政宗が名づけたものであるため、これは誤りであるとされる。 仙台味噌の呼称に関して言えば、仙台藩の味噌御用を勤めていた真壁屋市兵衛が寛永3年(1626年)3月、国分町にて「仙台味噌」の招牌を掲げたのが元祖とされている。 第二代藩主忠宗の頃より、大井の仙台藩下屋敷において御塩噌蔵と同様の原料・醸造方法により仙台味噌が作られ、もともとは江戸勤番の士卒に配給されていたものが、剰余分を江戸の味噌問屋へ払い下げられるようになったことから、江戸市中に「仙台味噌」の名が知られるようになった。 明治期においては、1872年(明治5年)11月に仙台藩下屋敷の味噌醸造所の経営を引き継いだ佐藤素拙によって、仙台味噌の醸造・販売が積極的に行われ、またその製法が東京府内の味噌醸造業者に広まり、「仙台味噌」の名が東京市場を風靡したと伝えられている。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 あのねぇ~、「仙台辛味噌ラーメン」の蓋(ふた)に書いてあるように“仙台味噌がうまさの秘訣”とある。僕が五右衛門味噌ラーメンの味とほとんど変わらないと感じたのは、この仙台味噌のためではなかったのか?そう思っているのですよう。 デンマンさんは、仙台味噌だけを舐めた事はあるのでござ~♪~ますか? 残念ながら無い。風味高く、そのまま食べる事もできる、と書いてあるから、今度仙台へ行ったら試してみますよう。調べれば、調べるほど、この味噌にハマッている人は多いのですよう。実際、“仙台味噌がうまさの秘訣”なのだと思うのですよう。 どうしてでござ~♪~ますか? 他のラーメンと比べて一味違う。確かに旨いのですよう。 。。。んで、仙台味噌ってぇ、具体的にどこが、どう違うのでござ~♪~ますか? 詳しいことは、もちろん知らないけれど、僕の食べた印象では、“赤味噌特有の強い香りとパンチのあるショッパさ”でしょうね。 デンマンさん。。。今度仙台にご一緒したら、ぜひあたくしを五右衛門ラーメンの店へ連れて行ってくださいな。 ところが、僕が通っていた店は無くなってしまったのですよう。 どうしてでござ~♪~ますか? 理由までは調べる事ができませんでした。 。。。んで、いつ頃お店を閉じてしまったのでござ~♪~ますか? 次のように書いてあるサイトを見つけました。
五右エ門ラーメン
文横店(文化横丁店) 閉店 札幌ラーメンの専門店。 当時、味噌味の札幌ラーメンは珍しく画期的だった。 調理場にそったL字型のカウンターだけの細長い狭い店で、昼時はサラリーマンに人気があり、カウンターで食べている後ろに客が並んで待っていた。 ラーメンは1969年には1杯120円で、その前は先輩から聞いた話しによると100円だったという。 10杯分の値段で11枚綴りの回数券があった。 ここの他にも下記の店があった。 ○ 稲荷小路店(青葉区一番町4丁目9。 ○ 一番町店(青葉区一番町3丁目9。 ○ 向山店(行ったことがあるようなないような、 ○ 青森店(青森市古川2丁目。 ○ 鉄砲町店(宮城野区鉄砲町。 ○ 志波町店(若林区志波町1) 【場所】 一番町2-3 文化横丁 【メニュー】 大盛りもあった。 僕が通っていた頃には150円だった。L型カウンターの短いカウンターに3席、長いカウンターに10席ぐらいだった。だから昼頃行くと、サラリーマンを含めて、常連さんが5人から10人ぐらい、長いカウンターの背後の壁に沿って入り口から一列に並んで立って待っていたものですよう。 それ程人気があったのでござ~♪~ますか? う~ん。やっぱりうまかったんだろうね。ラーメン店などいくらでもあったのに、他所の店に行かないで並んで待っていたんだから。。。 五右エ門ラーメンのお店って、いくつもあったのでござ~♪~ますわね? 僕も、それほどあるとは思わなかった。文化横丁店、1軒だけだと思っていましたよう。 。。。んで、仙台に住んでいる“かな”さんという仕事を持っている既婚女性を、おとといデンマンさんは紹介していましたけれど、その女性が贔屓(ひいき)にしている五右衛門ラーメン店は、上のリストに中にあるのでござ~♪~ますか? 残念ながら、上のリストの中には無いのですよう。かなさんが贔屓にしている店は、どうやら次の店のようですう。 元祖五右エ門ラーメン
仙台市青葉区一番町2-3-28
壱弐参(いろは)横丁 一番町2丁目で、どちらも2丁目の3という同じ区域にあるのですよう。でも、文化横丁と壱弐参(いろは)横丁は全く違う路地です。背中合わせにあるという感じです。 デンマンさんは「壱弐参横丁」という名前を聞いた事がないとおっしゃっていましたよね? そうです。僕の記憶には全く無いのですよう。 新しい横丁なのでござ~♪~ますか? 違うのです。一番町にある「中央市場」が2000年から「壱弐参(いろは)横丁」の愛称で呼ばれるようになったというのですよう。僕は10年ほど前の仙台しか知らないから、当然、「壱弐参横丁」という呼び名を聞いた事がなかったのですよう。 。。。んで、「壱弐参横丁」のラーメンは「文化横丁」のラーメンと同じラーメンなのでござ~♪~ますか? かなさんが書いた文章をよ~く読むと、同じ“五右エ門味噌ラーメン”だけれど、文化横丁と壱弐参横丁のラーメンは微妙に違うのですよう。 どのように。。。? かなさんの記事をもう一度読んでみてください。
仙台の五右衛門ラーメン
2004年9月7日(火)
今日のランチは、一番町の壱弐参(いろは)横丁にある、五右衛門ラーメンでした。 このお店のお勧めは、「五右衛門味噌ラーメン」です。 このお店はカウンターのみですので、写真をとるにも、ちょっと躊躇しました。 でも、何から何まで、すっご~♪~く似ている感じですよねぇ~。。。いったい、どのように違うのでござ~♪~ますか? かなさんは麺はどちらかと言うと細めですと書いている。しかし、僕は、あのような太いラーメンの麺を他で見た事がない。どのように見ても、あの麺は細いという印象を与えないのですよう。 小百合さんがデンマンさんに送った“仙台辛味噌ラーメン”の麺と比べてどうでござ~♪~ました? 2倍ほど太くて、もっと腰があってシコシコした触感でしたよう。 それ以外にも違いがありましたの? かなさんはスープは見た目よりあっさりしています、と書いているけれど、あの文化横丁の“五右エ門味噌ラーメン”のスープは「あっさりしている」、とはとても言えない!スープの感じは、“赤味噌特有の強い香りとパンチのあるショッパさ”ですよう。コクがあってコッテリした感じで、とても「さっぱり」という味覚じゃなかった! なんだか、デンマンさんのお話を聞いているだけでも、あたくしは食べたくなってきましたわア。。。それで、小百合さんが送った“仙台辛味噌ラーメン”のスープのお味は。。。? それが、文化横丁の“五右エ門味噌ラーメン”のスープと、そっくりでしたよう。驚きました。急に20年以上前の懐かしいスープの味が僕のオツムに衝撃的に蘇(よみがえ)ったのですよう。 じゃあ、あたくしにも“仙台辛味噌ラーメン”を一つくださいな。 小百合さんが心を込めて送ってくれた小包には一つだけ入っていたのですよう。もう食べてしまいましたよう。 残念でござ~♪~ますわ。 それ程食べたいのならば、通販で買えますよう。ネットで注文して買って食べてね。 あたくしは、デンマンさんと同じものをいただきたいのでござ~♪~ますわ。 だから、同じものが通販で買えますよう。 あたくしはデンマンさんのどんぶりの中のラーメンをいただきたいのですわ。うふふふふ。。。 僕はヤダよう!。。。僕のどんぶりの中のラーメンは、すべて僕が食べたいのですよう。 ケチィ~♪~!。。。デンマンさんは、本当に意地悪ですのねぇ~。あたくしと仲良く同じどんぶり鉢のラーメンを食べるのがお嫌なのでござ~♪~ますか? 同じどんぶり鉢からラーメンを食べる必要はないでしょう!
でも、相合傘(あいあいがさ)というものがござ~♪~ますわ。あたくしはデンマンさんと“相合ラーメン”を食べたいのでござ~♪~ますわ。 あのねぇ~。。。ビンボ~たらしい事を言わないでくださいよう。太平洋戦争後の食糧難の時代じゃないんだから。。。一人に一つづつラーメンが食べられる時代なんですよう。
でも、こうしてテーブルに差し向かいで座りながら一つのどんぶり鉢を前にしてデンマンさんとロマンチックに同じラーメンをいただきたいのでござ~♪~ますわ。 僕はヤダよう! どうして。。。どうしてヤ~なのでござ~♪~ますかア? 卑弥子さんも小百合さんと同じで、食べるのがメチャ早いのですよう!んも~~。。。僕が20分で食べるものを卑弥子さんは10分で食べきってしまうでしょう!? あのォ~。。。小百合さんも早喰いなのでござ~♪~ますか?
■ 『パスタをきれいに食べきった小百合さん』 う~~ん。。。めちゃ早かったなア~!。。。行田の「モダンパスタ」でパスタを食べたとき、小百合さんはアッと言う間に平らげてしまったので僕はマジでビックリしましたよう。まるで卑弥子さんを見るようでしたよう。 あらっ。。。あたくしのことを思い出してくださったのでござ~♪~ますか? こういう時には、思い出されても喜ぶ場合じゃないのですよう。 でも、あたくしにとっては、とってもうれしいのでござ~♪~ますわ。デンマンさんの無意識にあたくしの存在があったという事を知っただけでもうれしゅうござ~♪~ますわア。おほほほほ。。。 卑弥子さん!。。。また、脇道にそれようとしていますよう。ダメですよう!余計な事を持ち出してきて。。。卑弥子さんは『小百合物語』の主人公じゃないんだから。。。 分かりましたわ。。。それで、文化横丁の“五右エ門味噌ラーメン”を懐かしがっている方が他にも居るのでござ~♪~ますか? 居るのですよう。ネットの世界は広いようで狭いものですよう。五右衛門ラーメンを調べていたら次のような投稿に出くわしましたよう。
もう閉店してしまったけど、美味しかった店
192: ラーメン大好き@名無しさん[] >>75さん 仙台の五右衛門ラーメンを知っておられるとは、驚きましたね。 僕の言っているのは文化横丁にあったころのものだけど、貴殿のも同じですか? いまは無くとも、あれに似たラーメンを出す店があったら是非教えてください。 こうして本当に心から懐かしんでいる人も居るのですよう。この人がこの記事を読めば、間違いなく、また懐かしがるでしょう。 小百合さんの贈り物がデンマンさんに忘れていた懐かしい思い出をもたらしたのでござ~♪~ますか? そうですよう。 “五右エ門味噌ラーメン”だけですのォ~? もちろん、まだ他にもたくさんの事が思い出されてきたのですよう。 では、他の思い出も心ゆくまで語ってくださいな。 この記事が長くなったから、またあさって話しますよう。
【卑弥子の独り言】
ですってぇ~。。。 とにかく、興味深いお話が続きますゥ。
ィ~ハァ~♪~! メチャ面白い、
ためになる関連記事
■ 『きれいになったと感じさせる
下着・ランジェリーを見つけませんか?』
こんにちは。ジューンです。
ラーメンは、他にも言い方がありますよね。
中華そば、支那そば。。。
どう違うのでしょうか?
わたしは同じものだと思っていたのですが。。。
どこか違うのでしょうか?
そう言う訳で、ちょっと調べてみました。
中華そばも支那そばも、
ラーメンの別名だという説明もありますが、
時代と共に呼び方が違ってきたようです。
一番最初に日本に現れたのは支那そばだそうです。
それまでカツオダシしか知らなかった日本人に
鶏がらのスープ味を紹介したのでした。
戦前までは、この名前で呼ばれたそうです。
太平洋戦争後に現れたのが中華そばです。
これは戦後の屋台から生まれました。
これが現在の醤油ラーメンの原型だそうです。
この当時は中華そばとは醤油ラーメンの事でした。
昭和40年頃にインスタントラーメンが誕生します。
様々なラーメンが作られるようになり、
“ご当地ラーメン”も、この頃生まれました。
札幌の味噌ラーメン、博多のとんこつラーメンなどです。
このインスタントラーメンによって、
ラーメンという呼び名が定着したようです。
ところで、英語の面白いお話を集めました。
時間があったら覗いてみてくださいね。
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
YouTube 動画
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