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杜の都のギター
by デンマン & 卑弥子
2009年3月14日
Subj: コメント欄を使えるようにしました!
★ バンクーバーのデンマンより ☆
Date: 10/03/2009 6:32:47 PM 3月9日朝に積もっていた雪はきれいになくなっていました。
しかし例年になく寒く
行田で見た青空は、どことなく、くすんでいたものです。 ところで、『小百合の掲示板』にアクセスしたら、相変わらず、“そのページが見当たりません!”と言うメッセージが現れました。 http://beaverland.web.fc2.com/sayuri9/ さっき、チェックしたら、コメント欄が使えなくなっていたので、 小百合さんからのメールを infoseek で調べてみましたが、昨日、今日と見当たりません。 そう言う訳で3月15日以降は『小百合の掲示板』が開かなかったら、上のURLで返信を書いてください。 by デンマン
デンマンさん!。。。小百合さんからは、まだお返事がないのでござ~♪~ますか?
まだ無いのですよう。 小百合さんは、朝一番にメールをチェックするのでしょう? そうですよう。でもねぇ、週末には佐野市の北にある熊鷹山(くまたかやま)の“山の家”で過ごしますからね。金曜日の夜に書いたメールは月曜日の朝まで読まれないこともありますよう。 上のメールは3月11日の水曜日ですわ。遅くとも翌日の木曜日(12日)の朝には小百合さんはご覧になっているはずでござ~♪~ますわ。だから、3月12日の朝にはデンマンさんにお返事を書くことができたはずですわ。デンマンさんは3月12日に小百合さんからのメールを受け取らなかったのでござ~♪~ますか? あのねぇ、3月12日の午前11時は、バンクーバーでは3月11日の午後6時ですよう。これを書いているのが実は、3月11日の午後5時です。 だったら、小百合さんが12日の午前10時までにメールを出していたとしたら、デンマンさんはすでに受け取っているはずですよね? そうですよう。でも、たった今チェックしたけれど、infoseek.jp のメールボックスにも ビーバーランドの『小百合のメモ』ページにも返事がない。『小百合の掲示板』は今でもアクセスできない。 もしかすると、小百合さんのご家族にご不幸があって、それでメールの返事を書いている暇がないとか。。。 確かに、そう言う事も考えられるでしょう。でも、そう言う事が起こらない事を僕は祈っていますよう。例えば、パソコンが故障したとか。。。メール・システムに不具合が起こって、メールが読めなくなったとか。。。そう言う事だって考えられますからねぇ。。。 そうですわねぇ~。。。んで、話は違いますけれど、おととい(3月12日)は奈緒子さんが恵子さんと一緒ではなく、一人でデンマンさんの下宿に訪ねて行ったところで、お話が終わったのですわよね? そうですよう。上の記事で書いたとおりです。 一体、何が起こったのでござ~♪~ますか? 僕も恵子さんと奈緒子さんが一緒に来るものだと思っていたから、さっそく理由を聞いたのですよう。 そうしたら。。。? 恵子さんの伯父さんが亡くなったと言うのですよう。それで、手が足りないので恵子さんが伯父さんの家に手伝いに行って来れないと、そう奈緒子さんが言ったのです。 マジで。。。? 後で恵子さんに尋ねればすぐに分かってしまう事ですからね。すぐにバレるようなウソを奈緒子さんはつかないですよう。事実、そう言う事だったのですよう。
あらァ~。。。では。。。、では、あのォ~。。。デンマンさんが望んでいたように、アイドルのラムちゃんに良く似た奈緒子さんとデンマンさんは4畳半の下宿の部屋で二人っきりになってしまったのでござ~♪~ますか? 4畳半の下宿の部屋を強調しないでくださいよう。。。なんだかポルノチックに聞こえますよう。 。。。んで、ポルノチックな事が起こったのでござ~♪~ますか? うしししし。。。 そのヤ~らしい笑いだけはお止めになってくださいましなァ。。。で、マジでポルノチックな事が起こってしまったのでござ~♪~ますか? あのねぇ~、卑弥子さんは、4畳半の下宿の部屋に男女二人が居ると言うことだけで、すぐにポルノチックな事が起こると妄想してしまうのですよォ~。んも~~。。。でも、現実には、なかなかそのような事は起こらないものですよう。 ではマジで、ポルノチックな事が何も起こらなかったのでござ~♪~ますか? やだなあああァ~。。。急につまらなそうな顔をしないでくださいよう。 だってぇ~。。。ワクワクするようなお話を期待していたのですものォ~。 何も無かった、と言う訳でもないのですよう。 じゃあ。。。あのォ~。。。やっぱり。。。、やっぱり、ポルノチックな事がァ~。。。? 卑弥子さんは、どうして。。。、どうして、ポルノチックな事にこだわるのですかア? だってぇ~、ワクワクしますものォ~。。。つまらない、退屈なお話よりは、よっぽどましでござ~♪~ますわ。 あのねぇ~、僕の部屋には松岡きっこさんのヌード写真が壁に貼り付けてあったのですよう。
松岡きっこ
1947年2月11日生まれ。 幼少の頃より、子役として活躍。 全日本女子プロレス中継の解説でも知られており「女子プロレスの母」とも呼ばれていた。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 中学生から高校生にかけて、松岡きっこさんは僕のアイドルだったのですよう。そのアイドルのヌード写真が手に入ったので僕は毎日眺められるようにと壁に貼ったのですよう。 あのォ~。。。へアヌードでござ~♪~ますか? 当時は、ヘアヌードは18禁だったのですよう。だから、松岡きっこさんのヘアヌードなんて、とても手に入れる事なんてできませんでした。 それで、あのォ~。。。両手でアソコを隠していたとか。。。そうゆうヌード写真でござ~♪~ますか?
ちょうど、このシャロンさんと同じポーズで何も身にまとっていないヌード写真でした。 じゃあ、むき出しのお尻は、もちろん、オッパイも、乳首まで見えていたのでござ~♪~ますか? そうなのですよう。もし、奈緒子さんが一人だけでやって来るのが分かっていたら、そのヌード写真を僕は壁から取り外していましたよう。 どうしてでござ~♪~ますか? 女子高生一人の場合、初めて訪ねた男の部屋で壁に貼ってあるヌード写真を見るのは、あまりいい気持ちではないと思うのですよう。不安になってしまう女学生も居ると思うのですよう。その程度のエチケットは僕も心得ていたつもりでした。 。。。んで、奈緒子さんは、どのような反応を示したのでござ~♪~ますか? 部屋に入ると奈緒子さんは、いかにも興味深そうにグルッと部屋の中を見回したのですよう。 。。。それで? 案の定、ヌード写真に目が引かれたのですよう。 奈緒子さんは、また“きゃア~~”とか叫んだのでござ~♪~ますか?うふふふふ。。。 まさかア。。。!? 。。。んで、どうしたのでござ~♪~ますか? 奈緒子さんは、しばらく何も言わずにジィ~とそのヌード写真を見つめていたのですよう。まるで、美術評論家が名画でも見るように喰い入るように見つめていたのですよう。5分も見つめていた訳じゃなかったけれど、ずいぶん長い間何も言わずに見ていましたよう。 なぜ。。。? 僕だって理由なんて分かりませんよう。とにかく、その真剣さに、ちょっと驚きましたよう。“やらしいわア~”とか、“きゃア~”とか。。。そういう反応を僕は期待していましたからね。。。 それで。。。? じっと見つめていたけれど、一通り眺め回した後で、ゆっくりと僕に向かって言ったのですよう。「デンマンさんは、大きなオッパイと大きなお尻の女の人が好きなのォ~?” デンマンさんは何とお答えしたのでござ~♪~ますか? オヤっと思って。。。僕は奈緒子さんの目をじっと見詰めましたよう。僕よりも6歳年上の叔母が、そう言うとしたら、必ず目は笑っているはずですよう。ところが、奈緒子さんの目は、笑っているのでもなければ、からかっているのでもない。。。不安なまなざしでもない。。。マジで真剣な目つきなんですよう。 それで。。。? ずいぶん、真面目に妙な質問をすると思って。。。しかし、松岡きっこさんは、いわゆるグラマーな肉体を持っている女性ではないのですよう。また、巨乳の持ち主でもないし、特に尻が大きいわけでもない。 それなのに奈緒子さんは、どうしてデンマンさんに“大きなオッパイと大きなお尻の女の人が好きなのォ~?”と尋ねたのですか?
あのねぇ~、写真の撮り方にもよるけれど、女性のお尻は実際よりも大きく見せる事ができる。松岡きっこさんのヌード写真は実際よりも尻が大きく見えるように撮ってあったのですよう。でも、オッパイは決して大きく写っているわけではなかった。 それで。。。? 僕は、その時、おどけるべきかどうか?ちょっと迷いましたよう。。。奈緒子さんの目が意外に真剣だったので、ふざける事ができないと思えた。それ程、真剣なまなざしだった。
ラムちゃんは、明らかに体型から見ても、背丈の割にも、大きなオッパイと大きな尻をしているのですよう。奈緒子さんも、その点ではラムちゃんと変わりがない。。。つまり、「大きなオッパイと大きなお尻の女の人」というのは、ラムちゃんや奈緒子さんのような女のことですよう。 だから、デンマンさんは、何とお答えしたのでござ~♪~ますか? これは、迂闊(うかつ)には答えられないと思ったのですよう。だから、そうゆうヤバい質問をされた時には質問で返すのが一番ですからね。。。それで僕は次のように答えたのですよう。「松岡きっこさんの尻は大きく見えるけれど、おっぱいは大きくないよね。おっぱいも大きく見える?」 奈緒子さんはそれに対して何とお答えしたのでござ~♪~ますか? 彼女は言いました。「あたしは松岡きっこさんの事を言っているのじゃなくて、一般論としてデンマンさんの好みの体型が知りたいの…」 それで、デンマンさんは、何とお答えしたのでござ~♪~ますか? だから、僕は言いましたよう。「あのねぇ~、器(うつわ)も大切だけれど、中身(なかみ)の方がもっと大切だと思うよ。うしししし。。。」 つまり、結局、笑いでごまかそうとしたのでござ~♪~ますわね。ずるいですわ。 多分、奈緒子さんも、そう考えたのかもしれない。僕の好みの体型を聞き出せないと分かると、奈緒子さんは映画館の中でのように一人でベラベラと話し始めたのですよう。
鳩胸でっちリ!
あたしは「鳩胸でっちリ!(大きいオッパイと大きなお尻!)」と言われて中学生の頃からイジメられたんです。 クラスの中に、あたしを目の敵(かたき)にしてイジメる意地の悪い男の子が居て、 周りの男の子も女の子もビックルしていたわ。 それどころか、反対に恵子ちゃんからビンタをもらって、
あたしと恵子ちゃんは、その時から親友になったの。 う~♪~ん。。。そうだよねぇ~。あの仙南バスの中で、僕が教科書とノートを落とした時、誰も無視して知らん顔をしていたけれど、高校3年生の恵子さんは僕と一緒になって拾ってくれたものねぇ~。 ■ 『杜の都の映画 (2009年3月8日)』 分かりましたわ。デンマンさんは奈緒子さんから、そのお話を聞いたのでヤーらしい事をする気だったのに、奈緒子さんを思い通りにできなかったのですわね? やだなあああァ~。。。卑弥子さんは、まだポルノチックな事にこだわっているのですね? 。。。んで、そのお話の後にデンマンさんは『禁じられた遊び』のメインテーマ曲「愛のロマンス」をギターで弾いたのでござ~♪~ますか? そうなのですよう。うしししし。。。 でも、お話がちょっと、できすぎているのでござ~♪~ますわ。おそらく、日本語が分かる世界のネット市民の皆様が、この記事を読んでも誰も信じようとしませんわよう。 つまり、僕が『乙女の祈り』を独学で習って恵美子さんにピアノで弾いて聞かせた。同じように、今度は独学で「愛のロマンス」を習ってギターで奈緒子さんに弾いて聞かせた。それができすぎていると卑弥子さんは言うのですか? そうですわ。 あのねぇ~、卑弥子さんは次のような諺を聞いた事があるでしょう? 『事実は小説より奇なり』 もちろん、ありますわよう。でも、そうゆう諺があるからって、『乙女の祈り』を独学で習って恵美子さんにピアノで弾いて聞かせ、今度は独学で「愛のロマンス」を習ってギターで奈緒子さんに弾いて聞かせた。そのようなできすぎたお話の根拠には、ならないのでござ~♪~ますわ。 つまり、僕がブログの記事を面白く書くために、話をでっち上げていると卑弥子さんは言うのですね? たぶん。。。 じゃあ、僕が書いた次の記事も信用していないのですか? ■ 『クラシックで片思い (2006年6月19日)』 ■ 『クラシックで片思い (2006年6月19日)』 デンマンさんは、恵美子さんの本名まで出してしまったのでござ~♪~ますから、たぶん、本当のお話だと思いますわ。行田市で大学生の時にピアノの先生をしていた恵美子さんと言う方は、それ程多くは無いはずでござ~♪~ますから、調べる気になれば、すぐに調べが付きますわ。 だから、今度の「愛のロマンス」もマジな話なのですよう。 『一度あることは二度ある』 このようにも言うのですよう! でも、眉唾(まゆつば)ですわア~~。。。恵子さんも奈緒子さんも本名ではないのでござ~♪~ますでしょう? 分かりました。じゃあ、次の話を読んでみてください。
映画『禁じられた遊び』の
メインテーマ曲「愛のロマンス」を 僕がギターで弾いて、 初めて聴いてくれたのが叔母でした。 今夜(2008年7月19日)は、午後10時に、珍しい事に鴻巣市に住む叔母から電話がかかってきました。 親戚中で僕とは最も気の合う人物です。 なぜか35度と言う数字がオツムに残っています。 現在は行田市に編入されましたが
お袋が僕を産んで1年した頃、僕を連れて実家へ帰ると、 お袋も、仕方なく“おんぶ”させたとか。。。 もちろん、僕には記憶の無いことです。 行田女子高校に入学して初めて僕の家に来たときには、 叔母が16歳のときですから、僕は10歳。4年生ですよね。 第一、小学校4年生ならば、スーパーマンの形の消しゴムがついている鉛筆などもらっても、うれしくも何とも無いはず。
だとすると、叔母は中学1年生ですよう。 とにかく、この叔母とは、それ以来よく出かけました。 大学生の頃は、とりわけ叔母と良く出かけました。
ある時、今でも忘れませんが、熊谷の駅の近くの“田園”と言う喫茶店に入りました。 後で、僕のせいにされてしまったのですよう。
なぜか、この時の事を何度も聞かされたものです。 電話の声を聞く限り、喫茶店“田園”で話した頃と全く変わっていません。 2時間10分。 20年以上時計がタイムスリップして どうして、このようなお話をあたくしに読ませるのでござ~♪~ますか? 卑弥子さんが僕の叔母に尋ねれば、すぐにウソかホントか?分かるからですよう。この叔母は僕が弾く『乙女の祈り』も聴いているのですよう。叔母の家にもピアノがありましたからね。 それで、デンマンさんが『禁じられた遊び』のメインテーマ曲「愛のロマンス」をギターで弾いたあとで、叔母様は何とおっしゃったのでござ~♪~ますか? とっても、素敵だわァ~♪~ マジで。。。? 僕は大真面目ですよう。 それをあたくしに信じろ!。。。デンマンさんは、マジでそのようにおっしゃろうとするのでござ~♪~ますか? いけませんか? あたくしを含めて、日本語が分かる世界のネット市民の皆様は、マジで信じませんわよう。んも~~。。。たぶん。。。、たぶん。。。、信じるとしたら、栃木県の田舎の佐野市からカナダのバンクーバーまで、わざわざ場違いな「仙台辛味噌ラーメン」を送った小百合さんだけでござ~♪~ますわよう。 そうですよう。小百合さんのように、わざわざ手間と暇とお金をかけて、僕に仙台の思い出が詰まった「仙台辛味噌ラーメン」を送る事ができるような心の美しい優しい人は信じる事ができるのですよう。 それって。。。それって。。。まだ京都から何もバンクーバーに送っていない、あたくしに対する当て擦(こす)りでござ~♪~ますわね!?んも~~ 卑弥子さん!。。。いい加減にしてくださいよう。また話が脱線しようとしていますよう。記事が無駄に長くなるだけですゥ~。 分かりましたわ。。。んで、デンマンさんは何がおっしゃりたいのでござ~♪~ますかア? 最後に、めれんげさんの命題に答えようと思うのですよう。 なんですの?その。。。その。。。めれんげさんの命題ってぇ~。。。? ちょっと読んでみてくださいよう。
わてとめれちゃんとは、やっぱり心の恋人同士やなあああぁ~ さっき、ライブドアのブログで3月12日の『小百合物語』のために、 その記事の中でも書いているんやけれど、 そやから、ビーバーランドネットの『小百合物語』に めれちゃんが書いた次の命題: “二兎を追う者一兎をも得ず”
この命題について、わても書いていたのやでぇ~ ♪┌(・。・)┘♪ キャハハハ。。。 3月10日の続きやけれど、 でも、めれちゃんも読んだら、ふ~♪~ん、と ところでぇ~、 めれちゃんも楽しみにして待っててなぁ~ \(^Д^)/ ギャハハハハ。。。 鈍い心の恋人より
2009-03-10 06:34 PM つまり、メレンゲさんの短歌に上のようなコメントを書いてしまったので、こうして、また持ち出してきたのでござ~♪~ますか? いけませんか? だって、全く関係ないじゃありませんか? そんな事は無いでしょう?僕は恵子さんと奈緒子さんとデートするはずだったのですよう。二人を前にして『禁じられた遊び』のメインテーマ曲「愛のロマンス」を僕がギターで弾くつもりだったのですよう。でも確かに、めれんげさんが言う通りになってしまったのですよう。 “二兎を追う者一兎をも得ず” でもねぇ、決して“一兎をも得ず”にはならなかったのですよう。 。。。んで、奈緒子さんはデンマンさんの「愛のロマンス」を聴いて何と言ったのでござ~♪~ますか?
とっても、素敵ィ~♪~ 奈緒子さんは、こう言ってくれたのですよう。 マジで。。。? もちろんですよう。ウソをついたって屁のツッパリにもなりませんからねぇ~。うへへへへ。。。 つまり、デンマンさんは奈緒子さんの心を射止めたと思っているのでござ~♪~ますか? でも。。。、でも、その件に関しては僕は沈黙を守りますよう。めれんげさんに、じっくりと考えてもらおうと思っているのですよう。うしししし。。。
【卑弥子の独り言】
ですってぇ~。。。 確かに、お面白いお話なのですわよう。 だいたい、平均的な。。。いいえ、かなり有名な作家でも、 ところが、デンマンさんは、好き勝手な事ばかりを書きまくるのですわよう。 とにかく、ムカつきますけれど、あさってが楽しみでござ~♪~ますわ。
ィ~ハァ~♪~! メチャ面白い、
ためになる関連記事
■ 『きれいになったと感じさせる
下着・ランジェリーを見つけませんか?』
■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に
別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』
こんにちは。ジューンです。
実は、わたしもデンマンさんの弾く
「愛のロマンス」を聴いたことがあるのです。
独習したのだそうですけれど、
信じられないほどお上手でした。
でも、それだけしか弾けませんでした。
「馬鹿の一つ覚え」とはよく言ったものですわ。
うふふふふ。。。
作曲者のナルシソ・イエペス(Narciso Yepes)は
スペイン人です。
1952年に、パリのカフェで映画監督のルネ・クレマンと
偶然知り合ったのです。
「映画自体は、すでに撮ってあるが
どんな音楽をつけたらよいか決めかねているので、
映画のための音楽を担当してほしい」
そう監督から依頼を受けたのでした。
すでに映画制作のための予算を使い果たしており、
当時、まだ新人であったイエペスに
音楽を担当してもらったのです。
24歳のイエペスは音楽の編曲・構成、演奏を
1本のギターだけで行ったのです。
映画が公開されると、
メインテーマ曲「愛のロマンス」が大ヒット。
世界的に有名なギタリストとなったのです。
それから世界各地でリサイタルや
オーケストラとの共演を行い、
日本にも1960年から1996年までの間に
計17回訪問しました。
あなたも聴いたことがありますか?
ところで、英語の面白いお話を集めました。
時間があったら覗いてみてください。
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
YouTube 動画
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