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愛の記憶
2009年7月16日


【デンマンの独り言】

記事を読み終わったあとの余韻と言うものがありますよね。
クラシックでもそうでしょう?

チャイコフスキーの「白鳥の湖」を聞き終わっても余韻がオツムの片隅に1時間から半日ぐらいイメージと共に、かすかに鳴り響いているものです。
あなただって経験した事があるでしょう。

ええっ。。。?僕の記事には余韻を感じるほどの内容が無いってぇ~。。。?

そんなことは無いでしょう?!
余韻を感じる内容はたくさんあったはずですよう。

ええっ。。。?オマエの余韻は何なのかぁ~?
あなたは、僕にそうお聞きですか?
うへへへへ。。。

次の写真ですよう。

小百合さんがこの格好で、カナダのアルバータ州のバンフまで行ったのですよう。
僕のお袋と小百合さんの世代の違いを感じない訳にはゆきません。

僕のお袋が小百合さんと同じ年頃に、1才足らずの僕をおんぶして単独でカナダのバンフまでロッキー山脈を見に行けるか?
逆立ちして行田市から東京まで歩いてゆけ!と言われるようなものでしょうね。
うしししし。。。

でも、考えてみたら、僕を背負って「大正座」に「愛染かつら」を見に行った事は、
“お袋の世界”では、ちょうど小百合さんが生後8ヶ月の長男を背負ってバンフに行ったようなものです。

なぜなら、映画館に入って映画を観たのは、お袋の長い人生であの時だけだったのですから。。。
まさに、外国に行くようなものだったでしょう。

お袋が「愛染かつら」を観た感動は、背中を通して僕に伝わったのかもしれません。
だからこそ、僕は1才にも満たないのに「愛染かつら」の1シーンを記憶していたのです。
本当に、自分でも信じられないことです。

“真実は小説より奇なり!”

正に、その通りですよう。
1才に満たない時の記憶が、小百合さんの上の写真を見る事によって、またありありと甦(よみがえ)ったのです。
信じられないような不思議な事は、結構、身近にあるものです。

考えてみたら、小百合さんとの出会いも不思議な経験でした。
この記事の余韻で、その不思議さを、今、たどっているところです。

『おんぶされて観た映画 (2009年4月29日)』より

愛の記憶というのは、デンマンさんがお母様におんぶされて観た映画のことでござ~♪~ますか?

そうですよう。

。。。んで、今日はまたその映画のことでお話になるのでござ~♪~ますか?

いや。。。違います。もう、映画「愛染かつら」のことは語りあきました。興味のある人は次のリンクをクリックして読んでみてください。

『おんぶされて観た「愛染かつら」』

 (2009年4月29日)

映画のことでないとすると、今日はいったい何についてお話になるのでござ~♪~ますか?

一才までの記憶についてですよう。

でも、3歳までの記憶は残らないと申しますわ。

そうなのですよう。そう言う人が多いのですよう。バンクーバー図書館から借りてきた『源氏物語』を読んでいたら次のように書いてありましたよう。

光源氏の母は桐壺(きりつぼ)の更衣(こうい)であった。
源氏がいまだ幼く、母の記憶さえ残らぬ三歳のとき死別。
父帝の女御(にょうご)として入内(じゅだい)した藤壺(ふじつぼ)が母君に生きうつしであるという人の噂を、幼い源氏は胸熱くして聞いた。
母への切々とした思慕であったものが、成長に及んで藤壷への憧憬に変貌してくるのを、ひそかにおそれる源氏ではあった。

【エッセイ: 生方〔うぶかた〕たつゑ】


181ページ 『源氏物語』 現代語訳者: 円地文子
現代語訳日本の古典5
1979年6月22日 初版発行
発行所: 株式会社学習研究社

母の記憶さえ残らぬ三歳のときと書いてあるのですよう。僕も、これまでに同様な事を何度か耳にしたり、読んだ事があるのですよう。

そうでござ~♪~ますわ。あたくしも3歳未満の記憶なんて思い出すこともできませんわ。

でもねぇ、ジューンさんは次のように言ってましたよう。

こんにちは。ジューンです。

“三つ子の魂百まで”

幼児の頃の教えやしつけは

終生、その子供の心に

刻み込まれてしまう。

そのような意味ですよね。

日本には上のような諺があります。

それで、三歳までの記憶は残らないと

思っている人が多いのではないでしょうか?

わたし自身は、1歳の頃とか

2歳の頃の記憶があります。

言葉で覚えていなくても

感覚で覚えている事ってありますよね。

あなたはいかがですか?

さて、上の諺を英語で何と言うのでしょうか?

いくつか言い方がありますよ。

よく見かけるものに次の言い方があります。

The child is the father of the man.

つまり、幼児の頃のしつけが

大人になってからの性格を

形付ける、と言う事です。

次の諺は、そのものズバリを説明しています。

What is learned in the cradle is

carried to the grave.

ゆりかごで習い覚えたことは、

墓場まで持ってゆく

次の言い方も分かり易いです。

The leopard cannot change its spots.

ヒョウがもって生まれた斑点は

自分で変えることはできない。

その通りですよね。

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』


『猫の記憶 (2009年5月9日)』より

「言葉で覚えていなくても感覚で覚えている事ってありますよね」と言っているのですよう。確かに、僕も「愛染かつら」を観た記憶はあるけれど、白衣を着た男女が白樺林でなんだか悲しそうに話していたシーンだけしか覚えていないのですよう。

こんな感じのシーンだったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。

でも、デンマンさんがコラージュした上の写真は悲しそうではござ~♪~ませんわねぇ~。うふふふふ。。。。

うん、うん、うん。。。悲しそうにしようと思ったのだけれど、やっぱり人生は明るく楽しく送った方がいいでしょう。。。だから、楽しい感じにでっち上げたのですよう。うしししし。。。

つまり、3歳未満だと言葉を上手に話せない。でも、視覚的に覚えていることがあるとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?

そうですよう。。。卑弥子さんにも3歳未満で視覚的に覚えていることってあるでしょう?

そうですわねぇ~。。。思い出そうとしてもイメージとして覚えていることってぇ、ござ~♪~ませんわ。

。。。で、卑弥子さんの最初の記憶って何ですか?

オネショして、しかられた時の記憶でござ~♪~ますわ。うふふふふ。。。

つまり、小学校に上がってからも卑弥子さんはオネショしていたのですかぁ~?

なんで。。。なんでぇ~。。。3歳から急に小学校の思い出になってしまうのでござ~♪~ますか?

小学生のときの思い出ではないのですか?

違いますわよう。小学生になってからはオネショをしませんでしたわ。失礼しちゃうわあああぁ~

要するに、卑弥子さんが小さい時ってぇ、ずいぶんとオネショをしたのですねぇ。。。だから、最初の記憶がオネショなんですよう。。。そうでしょう!?

デンマンさん!。。。いい加減にしてくださいなア。。。人格攻撃はお止めください。。。ますますお嫁に行けなくなってしまいますわあああぁ~。。。んで、今日は、デンマンさんの1歳未満の別の記憶についてお話になるのでござ~♪~ますか?

いや。。。僕の記憶ではないのですよう。

どなたの記憶でござ~♪~ますか?

夏目漱石です。

あらっ。。。漱石先生にも1歳未満の記憶があるのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。僕はバンクーバー図書館から借りてきた漱石先生の孫が書いた本を読んでいたのですよう。

何と言う書名なのでござ~♪~ますか?

『漱石の孫』というタイトルなのですよう。その本の中で次のように書いてありました。

漱石のトラウマ

前半で、漱石の「恐怖の父」としての側面を書いた。
彼がなぜそうなったかを語るのは、心理学者でも文芸評論家でもない僕の仕事ではない。それに、トラウマ(心理的外傷)やコンプレックス(心理的複合)からする解説は、いってみればすべて実体のみえない「心」という現象についての推論、仮説にすぎない。

無意識(本人が意識できない意識)の問題なので、本人がどう思っていようと関係なく「じつはこうでした」というレトリックが成りたつようになっていて、本当にそうであったかどうかを立証したり反証したりする物的証拠のほとんどない世界なのだ。
ある意味、考古学的発見の存在しない古代史仮説のようなものである。

臨床的な場所からいえば、本当はできるだけくわしく患者の人生や生活を知っていて、できれば長期にわたって観察してきていないと判断できないのが心理学的な仮説というものだと、僕は理解している。
作家や個人を、表層的なかぎられた情報で深層心理学的に理解するのは、じつは相当危険なはずなのである。

以上書いたような前提にたった上で、あえていうのだが、漱石、夏目金之助の幼少期トラウマはかなり根深かったろうと思う。
生家は牛込の町名主の家である。
生まれてすぐに里子にやられ、夜店の籠にぶらさがっているのを、姉がかわいそうだと連れ帰ったが、またすぐに養子に出されている。
生まれて1歳までのできごとだ。
その養子先での様子を描いたのが自伝的な『道草』であったといわれる。

ひとりっ子としてもらわれた主人公の健三は、幼い頃、毎晩のように養父母から、こうたずねられる。
「お前のおとっさんは誰だい」
彼が養父を指すと、
「じゃ、お前のおっかさんは」と聞かれる。養母を指すと、
「じゃ、お前の本当のおとっさんは」と聞かれ、主人公はいやいや同じ答えをくりかえすのである。

 (中略)

これが漱石の養家における事実であったかどうかわからない。わからないが、やけにリアリティのある描写ではある。もし事実あったことなら、こうしたやりかたは、ほとんど子どもの精神を病ませようとしているにひとしい。

 (中略)

この挿話がリアルなのは、漱石の「本当」と「虚偽」についての潔癖性や、異常なほど気まじめで禁欲的かと思うと理不尽な感情を爆発させる二重性が、この話でよくわかるような気がするからだ。
かりに、この話がフィクションだとしても、そこにある心理的なリアリティは、漱石の性格的な悲劇の起源を示しているように思える。


212-216ページ 『漱石の孫』
著者・夏目房之介
2003年4月22日 初版第一刷発行
発行所・株式会社 実業之日本社

このように生まれて1歳までのできごとだ、と書いてある。自伝的な小説『道草』の中に、その問答の様子が描いてあるのですよう。

でも、養子先と書いてありますわ。里子に出されて戻されて、それからまた養子に出されたのですわ。つまり、里子にやられた時ではなくて、その後の養子先でのことだと思いますわ。

うん、うん、うん。。。そのようにも読めますよう。養子先での事だとしても、養子に出されてからまもなく上の問答が始まったはずです。だから、いづれにしても1歳前後のことでしょう。

確かに、時間的には大きな隔(へだ)たりはないと思いますわ。でも、1歳前後として、言葉まで覚えているでござ~♪~ましょうか?

あのねぇ、“漱石のトラウマ”という小題が付いているのですよう。つまり、漱石にとってトラウマだったからこそ覚えていたのですよう。覚えていると言う事は、何か理由があるのですよう。その理由が平凡だったり、とりわけ語るほどのこともなかったら、覚えていないでしょう。たとえば、卑弥子さんがオネショをしたのが最初の記憶だと言うのは、しかられたからこそ覚えていたのですよう。そうでしょう?

デンマンさん!。。。んも~~。。。あたくしのオネショにこだわらないでくださいなア!

感情的にならないでくださいよう。。。僕はただ、分かり易く説明するために卑弥子さんのオネショの思い出を使わせてもらったまでですよう。僕に悪意はないのですよう。。。どうか、理解してくださいね。

分かりましたわ。。。分かりましたわ。。。でも、それならば、デンマンさんは、どうして恋愛も分からない赤ちゃんなのに「愛染かつら」のロマンチックなシーンを覚えていたのでござ~♪~ますか?

だから。。。、お袋の感動が背中を通して僕に伝わったのですよう。

そのような事があるでしょうか?

あのねぇ~。。。お袋はそのシーンに感動してゾクゾクっとしたのですよう。。。そういう時にはビビビビッて背筋を伝わって微弱電流が流れるものですよう。

デンマンさんは感電したのでござ~♪~ますか?

早い話がそうなのですよう。でもねぇ、感電しないまでも、感動でお袋がゾクゾクっとした時に、背中がビビビビッて震えたのですよう。たぶん。。。その震えが僕に伝わって、僕の神経が過敏になって、そのシーンが印象深く僕のオツムのスクリーンに焼きついたのですよう。それ以外に僕には、うまく説明できないのですよう。

でも、なんだか、こじつけのように聞こえますわ。

じゃあ、卑弥子さんには他に何か理由が考えられますか?

考えられませんわ。。。んで、どうしてデンマンさんは漱石のトラウマを取り上げたのでござ~♪~ますか?

だから、3歳未満でも記憶に残ることって、そう珍しい事ではないと言いたかったのですよう。。。ただし、3歳未満で記憶に残るようなことって、どちらかと言えば、衝撃的なこと。。。悲痛なこと。。。良くも悪くもドラマチックな。。。小さな心にショッキングな事として刻み込まれるのではないか。。。僕はそう思ったのですよう。

そうでしょうか?

夏目房之介さんは、さらに次のように書いていましたよう。

不安のみなもと

漱石、金之助が養父母から夏目家にひきとられるのは9歳のときだが、籍が夏目に戻るのはまだ先である。
ここで物心ついてはじめて彼は実父母に会う。
が、父にはうとまれ、母には安心できるものをみいだすものの年齢的にすでに「おばあさん」であった。
じっさい、彼は実父母を祖父母だといわれて育つ。
年がいってからの恥かきっ子で、年齢がはなれていたので、当時としては不自然なことではなかった。

 (中略)

『道草』の記述が事実なら、養父母の育て方は、物理的ではないが心理的な、存在をおびやかす暴力だった。
とすれば、漱石の精神的な病や、(ロンドンから)帰朝後の家族への暴力的なふるまいは、十中八九そこに淵源をもつと考えられる。

 (中略)

自分の分身である息子たちにとってこわい父親だったのは、あきらかにこうした資質、強い心理的な傾向をもつ漱石の近親憎悪だったと思う。
まるでロンドンでみた、みにくい猿のような自身を息子たちにみる思いがしたにちがいない。
それは、彼の存在不安につながる根本的な自分自身への憎悪で、そこを刺激されると彼はバランスを失い、コンプレックスに完全に支配されたのだと思われる。


217-219ページ 『漱石の孫』
著者・夏目房之介
2003年4月22日 初版第一刷発行
発行所・株式会社 実業之日本社

「お前のおとっさんは誰だい」 「お前のおっかさんは」。。。なんだか、他愛(たあい)ない会話のように聞こえるのですけれど、幼い心には、それほどの不安を与えるものでござ~♪~ましょうか?

あのねぇ、3歳未満では、不安を理論的に考えるような能力はまだありませんよう。ただし物心が付いた頃になると、誰しも自分の出生について考えるようになりますよう。たいていの人にとっては忘れてしまうような会話が、特に漱石には、ある重大な意味を持って鮮やかに思い出されてきたのですよう。

漱石の特殊な境遇が、普通の人ならば忘れてしまうような養父母との会話を鮮明に覚えていたと言う事でござ~♪~ますか?

そうですよう。夏目房之介さんが書いているように漱石にとって養父母との問答は存在不安の原点だったのでしょうね。

そうでしょうか?

だってそうでしょう。僕が漱石ならば次のように考えてしまうでしょうね。

俺は結局のところ老父母には必要のない人間だったのだよ。

生まれるはずでなかったのに生まれてきてしまった。

それが恥かきっ子じゃないか!

生まれてすぐに里子に出され、

1歳で戻されて、またすぐに養子に出された。

よっぽど俺を育てるのがイヤだったに違いない。

恥かきっ子ってそういうものなんだろうな、きっと。。。

その子が居ることで世間に顔向けができないような。。。

恥かきっ子の親はそう考えてしまうんだろう。

だから、俺を厄介払いしたんだよな。

1度だけじゃない、2度までも。。。

俺って、そんなに邪魔だったのか?

迷惑な存在だったのか?

でも、俺のせいじゃないのに。。。

まったく、どういう偶然なのか?

俺は恥かきっ子に生まれてきてしまった。

俺の存在感は、このあたりのどの子よりも軽いんだ。

でも、俺のせいじゃないんだぜ。まったく。。。

どうですか、卑弥子さん。。。僕の言おうとしていることが分かりますか?。。。これが漱石の存在不安の原点だと僕は思うのですよう。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
確かに子供の頃の漱石先生は
自分が望まれて生まれてきたのではないと感じてしまうかもしれませんよね。
そのことが存在不安を植えつけるのかも。。。

ところで、あたくしも、改めて3歳未満の記憶を手繰(たぐ)り寄せようとしたのですけれど、
どうしても、3歳未満の記憶が思い出せないのですわ。
あなたはいかがですか?
いつ頃の事まで覚えていますか?

とにかく、まだ面白い話が続きますわ。
どうか、あなたも、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、またねぇ。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

夏目漱石が恥かきっ子だったそうですが、

かつてデンマンさんと新井白石について

対話したことがあるのです。

新井白石も恥かきっ子だったのですって。

その時の対話を読んでみてください。

「ある時(新井白石は)母親に尋ねたそうだ。『母上、おなごというものは、一体いくつになるまで殿方と閨房にて睦み事をなさりたいと思うので御座いますか?』とね。実は、新井白石は、父が57歳、母が42才の時に生まれた子供だった。今日でさえ大変な高齢時の出産といわれる。だから、昔は40才過ぎた母親から生まれると“恥かきっ子”と呼ばれ、からかわれたりした。そういうわけで、白石の頭のどこかで、そのことが気になっていたのかもしれない」

「それでお母さんは何と答えたの?」

「それが昔のことだからね、母と息子がセックスの話などするなんてとても考えられない。お母さんも、わが息子が大真面目な顔して、そんなことを尋ねられたものだから、さぞかしビックリしたに違いない」

「それで?」

「お母さんは、どのように答えようかと困ってしまった。昔の女性のことだから、その年になってもポッと頬を染め、うつむいてモジモジと火鉢の中に眼をおとし、火箸で灰の中に『の』の字を書いた」

「それで?」

「『母上、いかがなもので御座いましょうか?』と、息子は返事をさいそくする。お母さんは、うつむいたままモジモジと灰の中に『の』の字を書く。そのうち、頭脳明晰な新井白石には、ハッと閃くものがあった」

「どういうこと?」

「新井白石はおじぎをすると、『ありがとうございました』とお礼を言った」

「答えてくれたの?」

「そうさ。ちゃんと答えた」

「なんと言って?」

「言葉にだしては何も言わなかった」

「分からないわ。どういうこと?」

「『この母ありて、この子あり』 頭脳明晰な新井白石のお母さんだから、やはり頭のよい人だった。お母さんは、ちゃんと仕草で答えを表していたんだ。白石はちゃんと気付いた。あとでお母さんの部屋から出ながら、口の中でつぶやいた。『灰になるまでか!』」

「あたし、まだ分からないわ。どういうこと?」

「ジューンさんは、こういう風習には、あまり馴染みがないかもしれないけれど、日本では、たいてい人が死ぬと遺体を焼くんだ。だから、『灰になるまで』とは、“死ぬまで”という意味だ」

「それ本当にあった母と息子の対話なの?」

「出どころをインターネットで調べたけれど、ついに分からなかった」


『大岡越前とセックスと白子屋お熊事件』より
 (2007年4月22日)

こういうお話なのです。

もし、あなたが出所をご存知でしたら

ぜひコメントに書いてくださいね。

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてください。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

卑弥子さんには、ちょっと信じがたいような

恋物語がありますわ。

関心があったらぜひ次のリンクをクリックして

じっくりと読んでみてくださいね。

■ 『平助さんが卑弥子さんに恋をしたのがウンのつき』
  (2005年5月3日)

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


 





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