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成りすまし馬鹿
の悲劇
2009年8月5日


Subj:心配事も悩み事も、

ひと時忘れて、

小百合さんも夏休みだと思って、

充電してねぇ~。。。

ヽ(´ー`)ノ キャハハハ。。。

Date: 22/07/2009 12:08:27 AM
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間:7月22日 水曜日 午後4時8分)
From: green@infoseek.jp
To: domini@yahoo.co.jp
CC: barclay1720@aol.com

子供の事は表面的には平静を取り戻しました。
いろいろと心配して 気をもんだけれど
私もちょっと ほっとしているところです。

良かったねぇ~。
“人間万事塞翁が馬!”ですよう!
悪い事ばかりは続かない。
朝がやって来るように、必ずお日様が顔を覗かせてニコニコと笑いかけます。

捨てる神ありゃ拾う神ありですよう!
それほど深刻に悩む事はありません。

いつもどっしりと構えて、おおらかな気持ちを忘れずにね。
子供をいつも温かく見守ってあげてね。

今夜、9時半にお袋に電話しました。
7月19日に退院予定だったのだけれど、長引いて
昨日(日本時間で7月21日)に退院でした。
元気そうな声を聞いて安心しました。

叔父や叔母が見舞いに行ったそうだけれど、
いつものように可笑しい話がたくさんあって、笑ってしまいましたよう。
僕のお袋は、とにかく面白い話を見つけるのが得意ですからね。

元々楽観的なところがあって、子供の事ではめったに悩んだような顔を見せませんでした。
でも、子供に対して愛情豊だったですね。
太っ腹なところがあって、しかし、気が優しくて、親戚中で一番信頼され尊敬されていますよう。

いづれ、お袋から聞いた面白いエピソードを記事に書きます。

日本は海の日で 夏休み スタート。
連休中 どこも混んでました。

そうでしょう。。。そうでしょう。。。
一人が右向け右すれば、大多数の日本人は右向け右しますからね。

\(^_-)ノ うしししし。。。

そうだね 悲しい事件 それに 係わった 親戚 子供はどうしているのか?
マヨネーズを吸って 生き延びていた、子供の事、覚えてます。

小百合さんは覚えていましたか!
僕はちょうど日本からバンクーバーへ戻ってくる頃だったから知らなかったよう。

デンマンさんは日本を離れて もう 日本の女っていう者を 知らないともうよ
私も 母親を自慢できる 立場では無い ワガママな ママ。
ママですよ、母親ではないでしょう。

デンマンさんも気が付いてるでしょう。 私のワガママぶり。

その付けが 今来たと。
軽井沢で 考えた結論です。
でも ここまで 来てしまった、

うん、うん、うん。。。
どこまで妥協するか?
自分を押し通すと角が立ちますからね。

でも、もし小百合さんの中に「わがままな女」が居なかったら、バーナビーで僕と逢う事も無かったでしょう。
人生はコインの裏表ですよう。

表だけの人は居ません!
必ず裏がある。

幸せだけの人は居ません!
必ず不幸な部分も持っている!
それが人生ですよう。

人生とは、常に問題解決しながら、その回答の選択を迫られつつ歩く道のようなものですよう。
一息入れて休息する事が必要です。
その休息の場が小百合さんにとって、子供の頃からの“聖地”ーーー軽井沢でしょう!?

三男坊に軽井沢を好きになってもらおうと サイクリング。
愛宕山に登る、幸福の谷を歩く、矢ヶ崎公園で鴨に餌をあげる
図書館まで 自転車で行き おにぎりを食べて 本をかりる。
夏の花火、お祭り。
冬にスキーをする。
これも 半分以上は無駄な事なんでしょう。

でも、三男坊にとっては忘れる事ができない楽しい思い出を小百合さんと一緒に作っていることでしょう!
小百合さんは三男坊の思い出の中でも生き続けますよう!

『母親心 (2009年7月24日)』

7月24日の小百合物語は題して『母親心』
苫小牧の事件を取り上げて書いています。
当日になったら、ライブドアのブログで読んでね。

小百合さんも夏休みだと思って、充電してね。

じゃあね。

(\__/)
(+'.'+)
(")_(")

小百合さんは子供の事でいろいろと心配なさったようですけれど、問題も解決したようですし、ほっとしているようでござ~♪~ますわね。

そうですよう。子供のことで心配し心を痛め、子供に良かれと思いながらいろいろと気遣うのが母親というものですよう。

でも、成りすまし馬鹿さんのお母さんは、そうではなかったのでござ~♪~ますか?

成りすまし馬鹿のお母さんだって、自分のおなかを痛めて産んだ我が子が憎いはずはなかったですよう。でも、武蔵のお母さんのように、幼い我が子を残して家を出た。武蔵のお母さんは再婚して他家へ嫁いで行ったのだけれど、成りすまし馬鹿のお母さんは家出してしまった。

マジで。。。?

僕は冗談を言っているわけではありませんよう。成りすまし馬鹿の悲劇は、このときに始まったのですよう。

その悲劇とは。。。?

つまり、成りすまし馬鹿は母親に捨てられた自分に自信が持てない。母親のことを思いつつも、自分を捨てた母親を心のどこかで憎む自分が居る。だから、なおさら、成りすまし馬鹿は、そのような自分が嫌になった。

それで、お母さんに捨てられた「自分」など、どうでもよくなって他人に成りすますのでござ~♪~ますか?

そうですよう。

。。。んで、成りすまし馬鹿さんは厳しい現実から逃避して、2ちゃんねるで遊ぶようになったのでござ~♪~ますか?

その通りですよう。この世知辛(せちがら)い生きにくい冷たい日本の社会に対して、成りすまし馬鹿は悪意のこもった愚劣で破廉恥なヤ~らしいコメントを書くことによって憂(う)さを晴らすようになったのですよう。

たとえば。。。成りすまし馬鹿さんは、どのような愚劣で破廉恥なヤ~らしいコメントを書くことによって憂さを晴らしているのでござ~♪~ますか?

めれんげさんのサイトに次のようなヤ~らしいコメントを書いたのですよう。

頭は固いがチ○コは柔い粘着自演ジジイなんか相手にするなよ。

言いたい事があるなら

レンゲのフォーラムに来るんだYO!!

って言われんぞ。

by アザイゲ (別名: 成りすまし馬鹿)

2009/04/14 4:15 PM


『即興の詩 青空』のコメント欄より

『未熟な判断と稚拙な批判』に掲載。
 (2009年4月22日)

ネタの使い回し、コピペ、似非関西弁、人を貶す文章しか書けないから相手にされなくなるんだぞ ED爺さんよ

by 煎餅 (別名: 成りすまし馬鹿)

2009/06/27 10:19 AM


『即興の詩 新たな気持ちで♪』のコメント欄より

『また、オマエか!(2009年7月3日)』に掲載。

最後に爺さん宛てに

めれんげ本人曰わく、
煎餅に宛てて書いたコメントをED爺さん宛てに書き直す様なやり方がむかつくとさ。

俺もお前に飽きたし、
自作自演のブログのネタにさせてやったんだから有り難く思えよ。
さて、後は……

by 成りすまし馬鹿 (別名: 漢字馬鹿)

(「煎餅」にも成りすましました)

2009/07/10 12:15 AM


『即興の詩 新たな気持ちで♪』のコメント欄より

『久しぶりにワロタぁ!』に掲載。
(2009年7月15日)

わてもめれちゃんに迷惑かけられへんから、
もう書き込みするのやめるわぁ~!
ほな、サイナラ~!!

by デンマン (に成りすました「成りすまし馬鹿」) 

2009/07/10 6:37 PM


『即興の詩 雨の朝』のコメント欄より

『久しぶりにワロタぁ!』に掲載。
(2009年7月15日)

成りすましだと思い込まないと自分自身が辛くなるわな(笑)
因みにタンタンは子供産んでねーよ。
インポテンツなのは否定しないのか爺さんよ(笑)

by 煎餅 (別名:成りすまし馬鹿)

2009/07/28 4:16 PM


『即興の詩 可憐な命』のコメント欄より

『2ちゃんねると成りすまし馬鹿』に掲載。
 (2009年8月4日)

上のコメントを読めば分かるように、めれんげさんのサイトで僕について愚劣で破廉恥なヤ~らしいコメントを書いているのは、すべて成りすまし馬鹿です。

つまり、お母さんに捨てられて成りすまし馬鹿さんは性格がすっかり歪(ゆが)んでしまったのでござ~♪~ますわね?

そうなのですよう。悪意を他人にぶつけることによって自分を捨てた母親に対する憎しみを発散させている。オツムの足りない小学生が書くような落書きを書いているのがはっきりと読み取れる。オツムは、良くても中学1年生レベルですよう。だから、いつまで経っても社会的自我に目覚めることがない。

でも、小学生にしては、ませた事を書いていますわ。うふふふふ。。。

エロいところだけは社会人なのですよう。うしししし。。。

。。。んで、どうして宮本武蔵が成りすまし馬鹿さんと関係あるのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、実は、宮本武蔵は成りすまし馬鹿よりも酷(ひど)い家庭環境で育ったのですよう。

どのような。。。?

ちょっと次の小文を読んでみてください。

武蔵の母という人は、播州領の佐用郡平福村の別所家から嫁いで来て、後に離別になって田住政久(たずみまさひさ)という者へ再婚した率子(よしこ)というのがそれであるという説と。また、今、大野村に墓のある於政(おまさ)というのがそうだという説とがある。

なお、於政は後家であって、武蔵はそのために、幼少から播州と作州の実家との両方に往き来していたのだというような記述もあるが、穿(うが)ちすぎていると思う。
また異説には、彼は、播磨のほうから嫁いで来た婦人の連れ子であって、無二斎の眼をしのんでは、実父のほうへ逃げ帰っていたので、自分でも、播州の産と晩年まで思っていたのであろうと憶測を下している書もある。

どっちみち、家庭に恵まれない冷たいものが、彼の幼時をつつんでいることは見逃しがたい。

後年の彼の流浪性は、そこに宿命していると思う。晩年、岩殿山(いわとのやま)霊巌洞(れいがんどう)に枯骨(ここつ)を運んで、座禅しながら死を待つあの寥々(りょうりょう)とした終焉の身辺も、この家庭から生んだものと僕は思う。

直木三十五が最も憎む所の、武蔵が敵に対しての残忍なほどの冷厳さと、老後にも時々錐(きり)のように現れた野性とは、彼の血液のうちにあったものには相違ないが、後天的にも、この家庭の冷たいものがかなり育ててはいないだろうか。
両親に薄縁であるばかりでなく、彼には、青春がない、真実の女性がない、熊本に死所を得る時代までは、よい友を持たなかった。

彼が老後に自分のなぐさみに持った画筆のように、墨で一抹刷(いちまつは)いたような東洋的虚無観が、六十年の生涯を渺(びょう)として貫いているすがたなども、僕には、彼の少年時代の家庭が最も重視されるのである。
直木は彼の後年の実証を挙げて彼の敵に対しての徹底、残忍、冷厳、野生ぶりを憎悪して数えたが、僕は反対に、そこへ武蔵への同情と興味を持つ。
また、人間的完成への彼の努力をよけいに買う。

そういう家庭に育まれたせいと見るほかにないのは、もう一つ、武蔵のあれほどな遺文中にも、父母のことについては、一字も誌(しる)したものがない点である。
十九句から成っている彼の座右の銘「独行道(どつこうどう)」は、つぶさに見ると、まったく孤(こ)そのものである。孤の寂寥(せきりょう)をいかに楽しむか、哲学するか、道徳するか、芸術するか、ほとんど命がけでかかっている孤行独歩の生活の鞭(むち)だと僕は見るのである。
そのうちの一章

どの道にも別を悲しまず

などは、いかに彼がそれへの纏綿(てんめん)な愚痴を抱いている煩悩人(ぼんのうじん)であるかがわかるではないか。


141-143ページ 『随筆・宮本武蔵』
著者・吉川英治
発行所・株式会社講談社
2002年3月25日 第1刷発行

『宮本武蔵と絶望的な馬鹿』に掲載
 (2009年7月8日)

武蔵のお母さんは家出したわけではないけれど、武蔵を残して再婚したらしいのですよう。

じゃあ、武蔵はお父様と一緒に暮らしたのでござ~♪~ますか?

お父さんの名は無二斎というのだけれど、実のお父さんではないらしい。しかも、武蔵に対してかなり厳しかったようです。それで、上にも書いてあるように武蔵は、無二斎の眼をしのんでは、実父のほうへ逃げ帰っていたのですよう。

きびしいってぇ。。。どのように厳しかったのでござ~♪~ますか?

次の箇所を読んでみてください。

丹治峯均(たんじほうきん)筆記にはまた、こんな話ものせている。
武蔵、幼年から父の兵法を見て、いつも口さかしく誹謗する、無二斎はわが子ながら気にくわないでいる所、当時、楊枝(ようじ)を削っている室に武蔵もいた。
その小刀を手裏剣(しゅりけん)にして、ふいに投げ打つと、武蔵が面をかわしたので、小刀はうしろの柱に立った。
無二斎が怒って、今度はほんとの小刀を打ったがまたかわして外へ逃げ出した。
そこで、彼は家に帰らず、播州の母方の僧を頼って郷里を捨ててしまったという。

これなどは、どう考えても、受けとり難い。よほど無二斎という人物が、子に対して特異な性情の人でない限りは考えられない話だ。
諸書を照合してみても、武蔵が何処で父に死別したかは明確を得ないのであるが、どっちにしても、彼が十歳未満に没していることはほぼ見当がつく。
するとまだ乳くさいほんとの子どもの時だ。
しかも彼には姉があったらしいが、後名(こうめい)をつぐ大事な一粒だねでもある。

しかし、こんな史実的に価値のない話でも、こういう村の口碑が彼の死後百年ちかい後の記述にも筆にされる理由には、何か、内容とは別な暗示を持っていると僕は思う。
そういう点でこの話は価値がある、それは何かというと、武蔵の幼少時の家庭の空気が、決して少年の肌を温かに養っているものではなかったということである。
そうした家庭的欠陥は、彼のそばに母がなかったらしい所からでも実証される。


140-141ページ 『随筆・宮本武蔵』
著者・吉川英治
発行所・株式会社講談社
2002年3月25日 第1刷発行

『宮本武蔵と絶望的な馬鹿』に掲載
 (2009年7月8日)

実の父親ならば、できないような無謀な事をしているのですよう。面をかわしたとあるように、万が一武蔵の顔に当たれば、失明するか、運が悪ければ、脳に達して、亡くなってしまうか、生き延びても成りすまし馬鹿よりも、更に酷(ひど)い馬鹿になってしまうのですよう。

でも、武蔵は成りすまし馬鹿さんのような世をすねた人間にならなかったのですわね?

なりませんでした。

他人に成りすまして、デンマンさんに愚劣で破廉恥なヤ~らしいコメントを書くような事もござ~♪~ませんでしたわ。うふふふふ。。。

だから、そこが武蔵のえらいところですよう。母親にも捨てられ、実の父親にも捨てられ、更に養父にまで厳しくされ、殺されそうになったこともしばしばだった。

それなのに、武蔵はどうして成りすまし馬鹿さんのような、ひねくれた性格のエロい愚か者にならなかったのでござ~♪~ましょうか?

う~♪~ん。。。そこですよう。僕も考えさせられたのですよう。うしししし。。。

マジで。。。?

もちろんですよう。

。。。んで、分かりましたか?

僕はずいぶんと考えましたが、分かったような気がしますう。

教えてくださいな。

あのねぇ~、武蔵と成りすまし馬鹿の人生が大きく分かれてしまった最も重要な原因は、武蔵は厳しく育てられた、むしろ成りすまし馬鹿よりも悲惨な家庭環境の中で幼少期を過ごした。でもその厳しさのために、人を見る目が養われたのですよう。ところが、成りすまし馬鹿の場合は、親父も同じような馬鹿だった。これでは、成りすまし馬鹿は救われようがない!うしししし。。。

具体的にはどういうことですか?

あのねぇ、武蔵の父親は上の説明にもあるように、かなり厳しい人だったことが分かるのですよう。

武蔵のお父様は実の父親ではなかったのでござ~♪~ますか?

たぶん、血はつながってなかったのでしょう。小刀を投げたり、手裏剣を投げたり、実の父親のすることではないですよう。。。でもねぇ、そのような厳しい父親を持ったために、武蔵は子供の頃から人間を見極める目ができていたような気がしますよう。

。。。んで、宮本武蔵が13歳で剣客と戦って勝ったというお話は本当でござ~♪~ますか?

武蔵自身が『五輪書(ごりんのしょ)』の序文に次のように書いているのですよう。

われ若年のむかしより

兵法の道に心をかけ、

十三にして初めて勝負をなす、

その相手新当流の有馬喜兵衛

この事について吉川英治は次のように書いています。

十三歳で有馬喜兵衛を殪(たお)したという話も、武芸小伝によると、喜兵衛は、当時の剣道の大家松本備前守の刀系をひいている有馬豊前守の一族の者で、その豊前守は徳川家康の命で紀州家へ移ったという人物である、そういう一族の者で、しかも天真正伝(てんしんしょうでん)の神道流をうけていたという有馬喜兵衛が、いくら何でも、子どもと喧嘩はすまい。

武蔵の生まれた郷里、作州吉野郡讃甘(さぬも)村という村に、有馬喜兵衛なるものが矢来を組み、金箔(きんぱく)の高札(こうさつ)を立てて試合の者を求めたというのである。
武蔵、幼名は弁之助といい、寺子屋がよいの帰途、その高札へ墨を塗ったので喜兵衛が怒った、武蔵の知る辺(べ)の僧侶が聞いて駆けつけ、彼に代わって詫びたが喜兵衛は聞かない、そこで刀をとってかかると、却って十三歳の弁之助に打ち殺されたということになっている。

 (中略)

有馬喜兵衛ともある士が、小児の悪戯(いたずら)ぐらいに赫怒(かくど)して、これとムキになって闘ったとなると、こいつは兵法家として成っていない男だ。
また、あんな山間の地に、金箔の高札や矢来を組んで、悠々と、試合に来る者を迎えて勝負するというのもおかしい。
そういう晴れがましい風習は当時の兵法者にあったとしても、都会でのことであろう。
有馬の一族という素姓があれば、土地の竹山城でも相当な礼儀で迎えるであろうから、野天試合で呼び声をかけるには及ばない沙汰である。


139-140ページ 『随筆・宮本武蔵』
著者・吉川英治
発行所・株式会社講談社
2002年3月25日 第1刷発行

でも、13歳といえば中学1年生でござ~♪~ますわ。いくらなんでも、中学1年生が大人を殺すことができるでしょうか?

あのねぇ~、武蔵は大男だったらしい。とにかく6尺あったということだから、身長は180センチですよう。だから、13歳の時にも、かなり大きかったはずです。

でも、中学生ですわ。相手は兵法者ですわ。つまり、プロの殺し屋のような者でしょう?

確かに、そうですよう。でもねぇ、ここで考えなければならないことが2つあります。

一つは。。。?

まずねぇ、武蔵はそこらで遊んでいるミーハーの中学生ではなかったということですよう。

どう言う事でござ~♪~ますか?

厳しい父親に育てられた。小刀を投げられたり、手裏剣を投げられたりした。もちろん、それが事実だったと、僕は思わないけれど、そういう伝説があったということは、武蔵が父親に厳しく鍛(きた)えられたと言う事が十分に分かりますよう。

そのように厳しく教育されているうちに、武蔵は相手の強さを見抜くことができるようになったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。とにかく、手裏剣の使い手である父親の手裏剣をかわすことができるほどだったから、武蔵は幼いうちから、身の動きがすばやかったのですよう。また、父親に“スキ”を見せなかった。。。、リスのように身動きが素早く、サルのように狡猾(こうかつ)だったのですよう。そうでもなかったら、大怪我をしているか、生きてはいなかったでしょう。

それで、二つ目とは。。。?

吉川英治は次のように書いていた。

有馬喜兵衛ともある士が、

小児の悪戯(いたずら)ぐらいに

赫怒(かくど)して、

これとムキになって闘ったとなると、

こいつは兵法家として

成っていない男だ。

つまり、武蔵の眼から見ても、これはたいした人物ではないと見極められていたのでござ~♪~ますか?

そうですよう。いい年をした大人でも成りすまし馬鹿のような駄目な男が居ますからね。。。うしししし。。。成りすまし馬鹿は人を見極めることができない。成りすましても、すぐに見破られてしまう。有馬喜兵衛も、兵法者としては失格ですよう。おそらく偽者(にせもの)だったのでしょう。

成りすまし馬鹿さんのような愚か者が有馬喜兵衛に成りすましていたのでしょうか?

その可能性が大いにありますよう。子供の武蔵にもダメな奴だと見極められるぐらいな愚か者だったのですよう。

でも、中学生に大人が殺せるでしょうか?

あのねぇ、吉川英治が本の最後の方で、その模様を次のように書いています。

その夜、有馬喜兵衛の使いが、僧庵を訪れて試合応諾(おうだく)を伝えたので、初めて事の次第を知った庵主は胆を消し、
「小倅(こせがれ)の悪戯ゆえ、なにとぞ深くお咎(とが)めなく容赦(ようしゃ)されたい」
と百万陳謝した。
が、喜兵衛にしても、高札を塗りつぶされたからには、武芸者としての面目上、黙って引き下がるわけには行かない。
折衝の末、庵主が矢来の前へ弁之助(武蔵)を伴い、衆人の前に無礼を詫びることになった。

明くれば、弁之助挑戦の趣(おもむき)を伝え聞いて、矢来のまわりには盛んな群集であった。
「さっ、早くお侘びするのじゃ」
庵主が命じる。
頑童(がんどう)はしばし黙然としていたが、突如、持ち来たった棒を揮(ふる)って、喜兵衛に襲いかかったのである。
火のような怒りを発した喜兵衛は、太刀を抜き放ってこれに応じる。
と、矢庭に、弁之助は棒を捨てて喜兵衛に組み付き、岩石落(がんせきおと)しに大地に叩きつけた。
起き上がらんともがくところを、ふたたび棒を拾って、滅多撲(めったなぐ)りになぐりつけた。
喜兵衛は、もちろん、血反吐(ちへど)をはいて、絶息してしまった。


270ページ 『随筆・宮本武蔵』
著者・吉川英治
発行所・株式会社講談社
2002年3月25日 第1刷発行

これを読むと、喜兵衛に“スキ”があったことがすぐに分かる。子どもだと思って侮(あなど)った。そのスキを狙って、武蔵は棒で撲りつけた。

やっぱり有馬喜兵衛は、なりすまし馬鹿さんのような愚か者が成りすましていたのでござ~♪~ますか?

僕も、そう思いますよう。武芸者に成りすまして、まず子供の武蔵を相手に試合を見せて宣伝して、あわよくば仕官の誘いを期待したのでしょう。あるいは近隣のヤクザから用心棒の誘いがあることを期待したのかもしれません。いずれにしても、賢(かしこ)い武蔵から人物を見抜かれていたことが分かる

相手に勝てそうにないと思ったら武蔵は謝ったでござ~♪~ましょうか?

僕ならば、そうしますよう。有馬喜兵衛がたいした人物ではなさそうだと思ったから、武蔵はかかっていったのですよう。負けそうだと思ったら、闘いませんよう。父親に小刀を投げつけられて逃げ出したように、その時、武蔵は逃げ出していたはずですよう。

なりすまし馬鹿さんも、言ってみれば、武蔵に殺された有馬喜兵衛のように愚かな成りすまし者だとデンマンさんは見ているのでござ~♪~ますか?

もちろんですよう。真剣勝負であったら、成りすまし馬鹿は5年前に僕に切られて死んでいましたよう。うへへへへ。。。

デンマンさんは、かなりの自信がありますねぇ~。。。

あのねぇ~、成りすまし馬鹿をじっくりと観察すると人間として“スキ”だらけですよう。

たとえば。。。?

成りすますのが下手糞(へたくそ)ですよう。すぐにバレるような“成りすまし”をやる。次の文章など、まともに見えるけれど、僕が書いたコメントと比較すると底が浅いことがすぐに感じ取れる。。。だから、めれんげさんも“胡散臭い女”だと思って相手にしなかった。返信を書いていませんよう。

つまり、めれんげさんにも「なつみ」さんが愚か者だと見抜かれていたのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。とにかく、成りすまし馬鹿が成りすまして書いた愚かな底の浅い文章を読んでみてください。

めれんげさん、はじめまして。
気になることがあって、コメントいたします。

2月12日の記事(裏切りはやさしく)で、
(心の恋人)と名乗っておられる方のコメントに、
差別用語が含まれていることに、気づいていますか?
それは、障害を持つ方を、意味する言葉です。

インターネットを利用して、差別用語を書くことは、
テレビなどで、差別的発言をすることと同様です。
あのようなコメントを、放置しておくべきではないと思います。

発言された方は、ご年配の方なのでしょうか。
相当、古い感覚を、お持ちなのでしょうか。
現代的感覚と、知識を持っている人間ならば、
公共の場、不特定多数の相手の面前で、
あのような言葉を吐くことなど、ありえません。

言葉狩りをするつもりはありませんが、
他人(めれんげさん)のブログに、コメントするのであれば、
最低限のマナーと常識を持つのが当然だと考えます。

めれんげさんは、当該の発言者を野放しにせず、
アクセスを制限すべきではないでしょうか。

長文失礼いたしました。

なつみ

2009/04/14 3:56 PM


『即興の詩 青空』のコメント欄より

『デンマン批判 (2009年5月8日)』に掲載。

しかも、翌日まで待って成りすませばよいものを、待ちきれずに、今度は「アザイゲ」に成りすまして、次のような破廉恥なコメントを書く。

頭は固いがチ○コは柔い粘着自演ジジイなんか相手にするなよ。

言いたい事があるなら

レンゲのフォーラムに来るんだYO!!

って言われんぞ。

アザイゲ

2009/04/14 4:15 PM

『即興の詩 青空』のコメント欄より

『未熟な判断と稚拙な批判』に掲載。
 (2009年4月22日)

なりすまし馬鹿は「なつみ」に成りすまして次のような偽善者のコメントを書いている。

他人(めれんげさん)のブログに、

コメントするのであれば、

最低限のマナーと常識を

持つのが当然だと考えます。

それから19分後に、成りすまし馬鹿は、今度は「アザイゲ」に成りすまして破廉恥なコメントを書いた。すぐに同一人物が書いたものだとバレてしまう。

頭は固いがチ○コは柔い

粘着自演ジジイ

これも成りすまし馬鹿さんが書いたのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。最低限のマナーと常識を持つのが当然だと考えます、と書いておきながら破廉恥なコメントを書いている。こうなると、恥の上塗り、馬鹿の上乗せ!

でも、人間って、そこまで愚か者になれるのもでしょうか?

子供の武蔵に殺されてしまった有馬喜兵衛のようなダメな男が実際に居たのですよう。

つまり、成りすまし馬鹿さんも江戸時代に生きていたら、デンマンさんに切り殺されていたのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。成りすまし馬鹿は現代版・有馬喜兵衛なのですよう。うしししし。。。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
説得力がありますわよねぇ~。
あなただって、このお話ならば納得がゆくでしょう?
あたくしにも成りすまし馬鹿さんが底抜けに愚かな大人だということが良~♪~く分かりましたわ。

“人の振り見て我が振り直せ”

昔の人は良い格言を残してくれたのでござ~♪~ますわ。
あなたもどうか成りすまし馬鹿さんのようなダメな大人にはならないでくださいましねぇ。

とにかく、あさっても面白い話題が続きますわ。
どうか、あなたも、またあさって読みに戻ってきてください。
では、またねぇ。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

暑いですね。バンクーバーは、現在、

7月30日の午後4時です。

33度ですわ。珍しい暑さです。

もうこうなったら、失礼して

パンツ姿になってしまいますわ。

暑いので1999年の夏のお話をします。

1999年夏の「東芝事件」です。

これはネットでも画期的な事件でした。

東芝製ビデオデッキの修理に関し、

その対応に腹を立てた消費者が、

経緯をネットで公開したのです。

東芝側はホームページの一部削減をさせるため

「名誉権と営業権に基づく妨害排除の請求」の

仮処分を申請しました。

しかし、社会的な批判が高まり、

急遽謝罪を表明したのです。

仮処分の申し立ても取り下げました。

やはり、企業と言えども法の下には

個人と平等なのですよね。

「はてなダイアリー」のユーザーとして

デンマンさんが「はてなダイアリー」の問題点について

たくさん記事を書いています。

ユーザーと「はてなダイアリー」との関係も、

もちろん対等であるべきですよね。

ユーザーが不満を表明し、

釈明を求めているのであれば、

「はてなダイアリー」も誠実に対応すべきだと思います。

ネットの世界は単に現実世界の

向こうの虚像ではありません。

東芝事件のように、

ネット上で激しさを増したユーザーの声は、

間違いなく現実社会に戻ってくるからです。

興味があったらデンマンさんが「はてなダイアリー」を

批判した記事を読んでみてください。

■ 『はてな批判 (2009年5月24日)』

ところで、英語の面白い話をまとめました。

興味があったら、

次のリンクをクリックして

読んでください。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

■ 『性の俗説 (2008年3月4日)』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


 





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