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室生犀星と
成りすまし馬鹿 by デンマン & 卑弥子
2009年8月13日
日付: Sat, 1 Aug 2009 15:34:13 +0900 (JST)
(バンクーバー時間:7月31日 金曜日 午後11時34分) 差出人: "domini@yahoo.co.jp" 宛先: "green@infoseek.jp"
件名:バカな日々を送ってましたよ。
\(*^_^*)/ やっと 昨日で長男坊の夏季セミナーも一段落 明日から 軽井沢にいってきますが・・ 元気ですから、朝ゆっくり 起きてます。 昼間は 早く夜になって 酒を飲んで眠りたい と思い。 (室生)犀星に グチでもたれてきます。 さゆりより
Subj:小百合さんと二人で
また、あのせせらぎのそばを 歩きたいで~♪~す。 \(*^_^*)/ キャハハハ。。。
Date: 01/08/2009 11:50:49 AM
やっと 昨日で長男坊の夏季セミナーも一段落 軽井沢に行っているものと思っていたけれど、 \(^o^)/ キャハハハ。。。 小百合さんが、こうして返信を書く気分になったのだから、以前から比べれば、心配事も少なくなったのでしょうね。
明日から 軽井沢にいってきますが・・ そうです。そうですよう。。。
先生が時々 来る。 うjん、うん、うん。。。 そう言えば思い出しましたよう。
■ 『菊ちゃんを旅する (2008年4月26日)』 確か、弟が小学校4年生か5年生でしたね。 家庭訪問のときに、隣まで来たのに僕のお袋に会いに来なかったので、お袋はつい最近の思い出話でも、その事を良く思っていませんでしたよう。 もちろん、親戚だから、五月女(そうとめ)先生は僕のお袋のことを良く知っていました。 その当時、五月女(そうとめ)先生は独身だったので、お袋と二人で話をすることがなんとなく気恥ずかしい気持ちだったのかもしれません。 でも、お袋が先日、火傷して入院している時に 五月女(そうとめ)先生は、立派な先生でした。 親父も五月女(そうとめ)先生も教科の中では音楽が専門だったから、五月女先生が合奏部を作った時にコントラバスをやらないかという話が出て、それで、僕は合奏部に入ってベースをやり始めたのです。 NHKコンクールで関東甲信越地方で3位に入ったことがありました。 「ハンガリア舞曲第5番」と「美しく青きドナウ」
元気ですから、朝ゆっくり 起きてます。 小百合さんは意外に繊細なところがあるのですね? ヽ(´ー`)ノ うしししし。。。
でも、そう言う繊細な心があったからこそバンクーバーまで「仙台辛味噌ラーメン」を送ってくれたのでしょうね!? \(@_@)/ キャハハハ。。。
昼間は 早く夜になって 犀星に グチでもたれてきます。 はい、はい、はい。。。
そう言えば、あの犀星の文学碑ね。 そうだよね。
あのせせらぎは、「アカシヤの小径」、「恋人たちの小径」のそばを流れてゆくのですからね。 \(*^_^*) /キャハハハ。。。 は~♪~い。 (\__/) じゃあねぇ~
デンマンさん。。。最近、オイラはどこでも有名になってしまいましたねぇ~。2ちゃんねるはおろか。。。、めれんげさんの『即興の詩』サイトでも。。。、さらに、検索エンジンでオイラの名前「成りすまし馬鹿」を入れて検索するとオイラがトップ30ぐらいを独占してしまうのですよう。うへへへへ。。。
オマエは、それ程うれしいのか? もちろんですよう。これも、すべてデンマンさんのおかげですよう。オイラは、最近デンマンさんに感謝すると共に、尊敬し始めているのですよう。 オマエ、マジぃ~? マジっすよう。だから、最近では、カナダの方向に足を向けて寝ないようにしているのですよう。うへへへへ。。。 オマエはかなり誤解しているようだね。 そんなことはありませんよう。。。『小百合物語』にまで顔を出すことが出来て、こんなうれしいことはありません。あのォ~。。。オイラは『小百合物語』でも常連になるんっすかぁ~? あのなぁ~。。。オマエは有名になったと喜んでいるけれど、有名は有名でも、オマエの場合には立派な反面教師として悪名高くなっているのだよう。分かっているのか? デンマンさん!。。。言葉遣いに気をつけてくださいよう。悪名ではありません。有名ですよう。 あのなぁ~。。。、オマエは「成りすまし馬鹿」として有名になっているんだよう。 もちろん、知ってますよう。 「成りすましエリート」じゃないんだぜぇ~。 知ってますよう。。。でも、オイラは「成りすまし馬鹿」でもうれしいんっすよう。 どうして。。。? これまで、オイラは、誰からも相手にされなかったのですよう。。。それが、デンマンさんは、毎日のようにオイラを取り上げてくれる。。。もう、オイラは涙が出てくるほどうれしいんっすよう。この調子だと、オイラは、もしかすると結婚できるのではないかと思って、将来に明るい見通しが持てるようになりました。ありがとうございます。 オイ!。。。オマエ、かな~♪~り誤解していると思うよう。 いえ。。。決して誤解しているわけではありません。。。デンマンさんから数々のアドバイスをもらって、オイラもついに厳しい冷たい日本の現実に立ち向かい、胸を張って明るい将来に向けて一歩を踏み出そうと決意を新たにしている次第です。 あのなぁ~。。。オマエ、やっぱり、かな~♪~り勘違いしていると思うよう。 いえ。。。決してそんなことはありません。 しかし。。。僕は、オマエに感謝されるようなことはしていないよう。 いえ。。。決してそんなことはありませんよう。8月11日には夏目漱石先生と一緒にオイラを取り上げてくださいました。 ■『夏目漱石と成りすまし馬鹿』
(2009年8月11日) 。。。んで、今日は室生犀星先生と一緒です。こんなうれしいことはありません。デンマンさん!ありがとうございます。 ■『室生犀星と成りすまし馬鹿』
(2009年8月13日) 愚かなオマエが、そうやって頭を下げて感謝するほどのことではないのだよう。うしししし。。。 。。。んで、室生犀星先生とオイラで似ているところがあるのですか? あるのだよう。ちょっと読んでごらんよう。
室生 犀星 (むろう さいせい)
本名: 室生 照道(てるみち) 1889年、加賀藩の足軽頭だった小畠家の小畠弥左衛門吉種とハルという名の女性の間に私生児として生まれた。 私生児として生まれ、実の両親の顔を見ることもなく、生まれてすぐに養子に出されたことは犀星の生い立ちと文学に深い影響を与えた。 夏の日の匹婦の腹に生まれけり 抒情小曲集の次の詩句が有名である。 ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの この句の通り、文壇に名を轟かすようになった後も金沢にはほとんど戻ることがなく、そのかわり犀川の写真を貼っていたという。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 室生犀星はオイラよりもひどい家庭環境に生まれたのですね? そうなのだよう。室生先生は私生児として生まれ、実の両親の顔を見ることもなく、生まれてすぐに養子に出されたのだよう。 オイラは実の両親の顔を覚えていますよう。 そうだろう?だから、2ちゃんねるはおろか。。。、めれんげさんの『即興の詩』サイトでも。。。、さらに、検索エンジンで「成りすまし馬鹿」を入れて検索するとオマエがトップ30ぐらいを独占してしまう。それで、オマエがすっかり有名になってしまった。だから、オマエは僕に感謝していると言うけれど、その前に、オマエを養子にも出さずに育てたようとした母親に感謝しなければダメだよう。 でも、オイラを置いて家出してしまったんすよう。オイラの母親は小百合さんのように心の優しい女ではなかったんすよう。 あのなぁ~、人間は神様じゃないんだから、誰でも欠点を持っている。バンクーバーに住んでいる僕に、わざわざ栃木県の田舎から「仙台辛味噌ラーメン」を送ってくれた小百合さんだって、「私はワガママなママです」と言って自己ハンセ~しているのだよう。
■『ワガママなママ』
(2009年7月28日) でも、小百合さんは子供を置いて家出していません。 あのなぁ~。。。世の中には我が子を置いて家出する女性も、けっこう居るのだよう。 でも、どうしてオイラを置いて家出してしまったのでしょうか? それは、オマエが悪いのではないのだようう。オマエの愚かでダメな父親が悪かったのだよう。 何か根拠でもあるのですか? あるよう。次のニュース記事を読んでごらんよう。 苫小牧市内で長男(5つ)と三男(当時1つ)を自宅に置き去りにし、三男を死亡させたとして殺人、死体遺棄などの罪に問われた同市高砂町に住む無職・山崎愛美(よしみ)被告(21)の判決公判が2007年12月18日に札幌地裁室蘭支部であった。 事件は山崎被告が2006年10月30日、自宅に鍵をかけた時から始まる。 2006年12月初旬2人とも「死んでいる」と思って山崎被告は自宅に帰った。 これまでの公判で、山崎被告は殺害の理由について「いたずらや泣くのが煩わしく、交際相手と別れたこともあり、子供に愛情が持てなくなった。逃げ出したかった。施設に預けるのは友人に止められ、殺す以外に思いつかなかった」と供述。 2007年6月8日の毎日新聞(北海道版)では、山崎被告の母(46)に対して行った取材の中で、事件後に長男が発したとされる言葉を次のように紹介している。 事件後、山崎被告が書き込んでいたと見られる携帯電話サイトがインターネット上で大きな話題を呼んでいた。 厚生労働省が公表している児童相談所への児童虐待相談件数(2006年度)は3万7323件。 分かるだろう?山崎愛美(よしみ)被告は交際相手と別れたこともあり、子供に愛情が持てなくなった。逃げ出したかったと言っているのだよう。 オイラの母親も父親に愛想をつかしたので、オイラに愛情が持てなくなって家出してしまったのですか? そうだよう。原因はオマエにあったのではなく、愚かなダメな父親にあったのだよう。山崎愛美(よしみ)被告は、計画的に我が子二人を見殺しにしようとした。でも、オマエの母親は、そこまでむごい事をしようとはしなかった。 だから、オイラは母親に感謝すべきだとデンマンさんはおっしゃるのですか? そうだよう。オマエの母親は、少なくともオマエを殺そうとは思わなかったのだよう。 でも、オイラを捨てました。 だから、それはオマエに原因があったのじゃなくて、オマエの愚かなダメな父親が原因を作ったのだよう。 だったら、オイラを連れて家出すればいいじゃありませんか! あのなぁ~。。。オマエも次のようなことわざを知っているだろう? “坊主憎けりゃ袈裟(けさ)まで憎い” オマエの愚かでダメな父親に愛想を尽かしたオマエの母親は、山崎愛美(よしみ)被告のように、オマエに対しても愛情が持てなくなっていた。 どうして。。。? オマエの顔は愚かでダメな父親にそっくりなのだよう。そうゆうオマエを連れて家出したら、ダメな父親と一緒に居るようで、家出する意味がない。だから、オマエを置いて家出したのだよう。 でも、それでは母親失格ですよう。 あのなぁ~。。。人間は神様じゃないのだから、誰でも欠点を持っている。 オイラを置いて家出したのは、オイラの母親の欠点だとデンマンさんはおっしゃるのですか? その通りだよう。山崎愛美(よしみ)被告やオマエの母親のような女が日本にはまだたくさん居るのだよう。 証拠でもあるのですか? 上のニュース記事にも書いてある。育児を放棄する「ネグレクト」(保護の怠慢ないし拒否)は38.5%の1万4365件にも上る。。。分かるだろう?育児放棄をする母親が、少なくとも1万4365人居ると言う事だよう。 つまり、おいらを殺そうとしなかっただけでも母親に感謝しろとデンマンさんはおっしゃるのですか? そうだよう!室生犀星先生を見てみろよう。感謝したくても、感謝する母親の顔さえ覚えていない。長編小説『杏(あんず)っ子』を書いあとで、犀星先生は次のような率直な感想を書いていたのだよう。 「ただ、このような物語を
書いているあいだだけ、
(母に)お会いすることが出来ていた。
物語をつづるということで、
生ける母親に会うことのできるのは、
これは有難いことのなかの
特に光った有難さなのである」 犀星先生は母親に会いたくてもお母さんは行方不明のままだったのだよう。それで、犀星先生は生涯にわたって、この「見えない母」を思慕しつづけたのだよう。 でも、犀星先生は母親を憎んでいたと思いますよう。 なぜ、オマエは、そのような事を言うのォ~? だって、次のような事を書いていますよう。 夏の日の匹婦の腹に生まれけり あれっ。。。オマエは犀星先生が書いたこの句を知っていたのォ~? たまたまデンマンさんが書いた次の記事を読んでいたのですよう。 おお。。。そうだったのか?。。。それならば、オマエにだって会うことができない産みの親というのは男にとって“心のふるさと”だと分かるだろう? ええ。。。なんとなく。。。 あのなぁ~。。。上の句は確かに母親を侮辱するようにも読める。しかし、犀星先生は決して産みのお母さんを侮辱するために上の句を書いたわけじゃない。 どうして、デンマンさんには分かるのですか? 犀星先生が書いた次の詩をじっくりと読んでみろよう。 我は張りつめたる氷を愛す
斯る切なき思ひを愛す
我はそれらの輝けるを見たり
斯る花にあらざる花を愛す
我は氷の奥にあるものに同感す
我はつねに狭小なる人生に住めり
その人生の荒涼の中に呻吟せり
さればこそ張りつめたる氷を愛す
斯る切なき思ひを愛す 昭和三十五年十月十八日 室生犀星之建 詩集『鶴』巻頭詩「切なき思ひぞ知る」より 産みの親を“匹婦”と呼んでいたけれど、それは決して母親を侮辱したり憎んでいるために、そう書いたわけではないのだよう。 でも、“匹婦”とは、我が子を殺してしまう山崎愛美(よしみ)被告のような女のことですよう。産みの親が、デンマンさんのおっしゃるように男にとって“心のふるさと”であるならば、犀星先生は、なぜそのような悪い言葉を使ったのですか? だから、その言葉は産みの母親に向けたわけではないのだよう。 。。。では。。。では。。。いったい、誰に向けて。。。? 室生犀星自身に向けた言葉だよう。 マジで。。。? このような所で僕は悪い冗談を言わないよう。 でも、それならば、匹婦ではなくて匹夫になるでしょう! あのなぁ~。。。、匹夫と書いたのでは、全く馬鹿馬鹿しい句になってしまう。普通の人が読んで誰でも分かるようにするには、やはり匹婦と書かざるを得ないのだよう。 どうしてですか?オイラにも分かり易く説明してください。 オマエも次のような諺を聞いたことがあるだろう? “三つ子の魂百までも” もちろん、聞いたことがありますよう。 人間は三歳までにいろいろ経験したことが、その後の性格を形成する、というのだよう。つまり、幼い時に培われた性格は、いくつになっても変わらない、とのたとえだよう。 犀星先生の場合、具体的には、どう言う事なのですか? 三歳という年齢にこだわる必要はないのだよう。問題は、傷つきやすい時期に犀星は「お前はオカンボ(妾)の子だ」と言われ、馬鹿にされたり、イジメられたりした。犀星に落ち度があるわけじゃない。犀星自身は、何も悪い事をしたわけじゃない。犀星にはどうする事もできない事で、馬鹿にされたり苛められたりした。 その経験が。。。嫌な思い出が50過ぎても、犀星先生の心の底に重く沈んでいたとデンマンさんはおっしゃるのですか? そうだよう。それで、次の句を読んだのだよう。 夏の日の匹婦の腹に生まれけり でも、この句を詠んだ時の犀星は、もはや少年の頃の犀星ではない。犀星の生い立ちの事で馬鹿にする人も居なければ、苛める人も居ない。冷静に考えれば、犀星自身は、何も悪い事をしたわけじゃない。犀星にはどうする事もできない事だった。でも、“三つ子の魂百までも”。。。子供の頃、苛められたり馬鹿にされた悪夢は、心のどこかに残っている。 その事に対して犀星先生は素直に向き合って上の句を読んだと。。。? そうだよう。その事が上の詩の中にも、再度表れているのだよう。 どこにですか? 犀星先生は次のように詠んでいる。 我はつねに狭小なる人生に住めり
その人生の荒涼の中に呻吟せり 狭小なる人生とは。。。結局、その生い立ちの柵(しがらみ)から抜け出そうとして抜け出せない自分のことだよう。そのような事を考えても仕方がないのだけれど、やはり考えない訳にはゆかない。そういう心の状態が“人生の荒涼の中に呻吟せり(苦しくてうなる)”という事だよう。 。。。んで、それに続く次の詩句はどういう意味ですか? さればこそ張りつめたる氷を愛す
斯る切なき思ひを愛す それを理解するためには、犀星先生が書いた長編小説『杏(あんず)っ子』を読むと分かるのだよう。犀星先生の人生は、苦しくてうなるような荒涼とした人生だったけれども、幸いな事に一人娘の朝子さんを授かったのだよう。 それで。。。? 「娘というものはその父の終わりの女」である
ということだ。
ヒョットコ顔の平四郎は、
娘を美しい女に育てあげることによって、
「自分自身のどこかにあるはずの
女というもの」を、
もういっぺん一から組み立てたくなっていた。 小説の中で犀星先生は、このような事を書いている。つまり、犀星先生は「母親とは何か?」、「我が子を里子に出さねばならない母の気持ちとはどういうものなのか?」。。。「女とは。。。?」。。。そのような事を考えない訳にはゆかなかったのだよう。。。自問自答しながら書いたのが『杏っ子』だった。。。それで、書き終えてから犀星が書いたのが次の感想だった。 「ただ、このような物語を
書いているあいだだけ、
(母に)お会いすることが出来ていた。
物語をつづるということで、
生ける母親に会うことのできるのは、
これは有難いことのなかの
特に光った有難さなのである」 。。。それで。。。? 創作の中で生ける母親に会うことこそ、犀星にとって“愛すべき張りつめたる氷”だったのだよう。 さればこそ張りつめたる氷を愛す
斯る切なき思ひを愛す それが、犀星先生がふるさとに帰らなかった理由なのですか? そうだよう。犀星先生にとってふるさとは、あまりにも生々しい記憶を呼び戻してしまう所なのだよう。 つまり、“匹婦”のお母さんが住んでいる所。。。犀星先生がそのお母さんのために馬鹿にされ、イジメられたところ。。。犀星先生は、そのように感じてしまうとデンマンさんは思うのですか? その通りだよう。だから、犀星先生は創作の中で母親に会い、切ない思いに浸る事の方を選んだのだよう。 ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの どうだい?僕の言おうとしている事がオマエにも分かるか? 分かりません! あのなぁ~。。。僕が、これ程までに分かり易く説明してきたのに、オマエは僕が言おうとしている事がまだ分からないのォ~? ついでだからオイラにも分かるように分かり易く説明してください。お願いします。 あのなぁ~。。。オマエは未だにオマエを置いて家出してしまった母親を憎んでいる。母親が居ないものだから、オマエは他人に成りすまして、その憎しみを現在は僕に向けて、嫌がらせのコメントを書きまくっている。そうだろう。。。? そうです。。。それで。。。? いつまでも、そのような事を続けていたら、オマエは母親を憎みながら犬死(いぬじに)してゆくだけなんだよう。 だから。。。どうだと言うのですか? だから、犀星先生のように、もっと自分に素直になることだよう。犀星先生は創作の中で母親に会い、和解した。。。オマエも、成りすます事を止めて自分のハンドル名を持ち、自分のブログを書いて、ブログを書くことによって、犀星先生のように創作の中で母親に会うのだよう。そして、オマエも母親と和解すべきなんだよう。いい年をしたオマエが、まるで小学生のように、他人に成りすまして公衆便所の落書きを書き回っている。そうだろう? その通りです。 だからねぇ~、そうゆう愚かな事は止めて、オマエよりも不幸な生い立ちの犀星先生を見習って、成りすましを止めて、オマエ自身のブログを書く。そうすれば、オマエは、いつか母親とめぐり合って和解することができるのだよう。。。どうだい。。。?今度は分かっただろう? はい。。。オイラにも、なんとか分かりましたよう。
【卑弥子の独り言】
ですってぇ~。。。 ええっ。。。?それならば、どうしてこれほど簡単に話を切り上げてしまったのか? あのねぇ~。。。このまま続けて書くと、また記事が長くなってしまうからでござ~♪~ますわよう。 とにかく、興味深いお話がまだ続きますわ。
メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
“三つ子の魂百まで”
幼児の頃の教えやしつけは
終生、その子供の心に
刻み込まれてしまう。
そのような意味ですよね。
日本には上のような諺があります。
それで、三歳までの記憶は残らないと
思っている人が多いのではないでしょうか?
わたし自身は、1歳の頃とか
2歳の頃の記憶があります。
言葉で覚えていなくても
感覚で覚えている事ってありますよね。
あなたはいかがですか?
さて、上の諺を英語で何と言うのでしょうか?
いくつか言い方がありますよ。
よく見かけるものに次の言い方があります。
The child is the father of the man.
つまり、幼児の頃のしつけが
大人になってからの性格を
形付ける、と言う事です。
次の諺は、そのものズバリを説明しています。
What is learned in the cradle is
carried to the grave.
ゆりかごで習い覚えたことは、
墓場まで持ってゆく 次の言い方も分かり易いです。
The leopard cannot change its spots.
ヒョウがもって生まれた斑点は
自分で変えることはできない。 その通りですよね。
ところで、デンマンさんがレンゲさんの記事を集めて
一つにまとめました。
もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、
次のリンクをクリックしてくださいね。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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