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女の証明
by デンマン & 卑弥子
2009年8月21日
日付: Fri, 14 Aug 2009 20:03:40 +0900 (JST)
(バンクーバー時間8月14日 金曜日 午前4時3分) 差出人: "domini@yahoo.co.jp" 宛先: "デンマン さん" green@infoseek.jp
件名:明日から 軽井沢に行きます 昨夜の迎え盆は わりと静かでした。 お客さんが全部かえるまで、酒や氷、 ごめんね、 三男坊がウルサイ。 さゆりより
Subj:軽井沢で迎え盆の疲れを癒してきてね。
室生犀星の文学碑に 愚痴を言ってきてもいいよう!。。。 \(*^_^*)/ キャハハハ。。。
Date: 14/08/2009 11:40:09 AM
昨夜の迎え盆は わりと静かでした。 うん、うん、うん。。。 やっぱり、栃木の田舎では昔からの風習をしっかりと守っているのかねぇ~? “盆と正月が一緒に来たようだ!” 昔からこういう表現があるほどだから、 でも、今時、親族の集まりなんて、よほど田舎へ行って、それも本家で旧家じゃないと大人が8人も集まることなんてないよう! 僕のお袋の実家のその本家は旧・南河原村でも大きな家で、家の周りに堀がめぐらされていたというからすごい! 時代が違うと言えばそれまでです。 小百合さんも同時代の女と比べれば、しぶとく、たくましく生き抜いていると思いますよう。 \(^_^)/ キャハハハ。。。 もちろん、苦労を知らない現代女性が増えた中で、小百合さんだって、“苦労”が無いわけではないでしょうけれど。。。
でも、楽しかったですよ、お寺にちょうちんを 持って そうでしょう!。。。そうでしょう! “忙しき中にも楽あり!” そんな格言があったかな? 小百合さんが、文句も言わずに、こまごまと動き回っている姿が、一抹(いちまつ)の清涼(せいりょう)を思わせるように僕の瞼(まぶた)に浮かんでくるのですよう。 ♪┌(・。・)┘♪ キャハハハ。。。
お客さんが全部かえるまで、
昨夜は 皆と座って食べて、 早く終わり うん、うん、うん。。。 僕のお袋も苦労の多い人だったけれど、 良子叔母さんは自分の時間など持っている暇が無いほど動き回っていたイメージしか僕には思い出せません。 この良子叔母さんは、今でもお袋のために畑でできたトマトや、きゅうり、ニガウリなどをお土産に持って年に何度か、お袋のところにやって来ます。
ごめんね、 三男坊がウルサイ。 はい、はい、はい。。。 \(*^_^*)/ キャハハハ。。。 小百合さんの「麦わら帽子」のメールを使って8月19日の記事を書きましたよう。 次のリンクをクリックして読んでね。 は~♪~い。 (\__/) じゃあねぇ~
デンマンさん。。。今日は『人間の証明』ではなくて『女の証明』でござ~♪~ますか?
たまたま小百合さんのメールを読んだら、迎え盆で忙しく、あわただしかった小百合さんの様子が目に見えてきて、急に良子叔母さんのことが思い出されてきたのですよう。 「女の鏡」のような女性なのでござ~♪~ますか? そうなのですよう。一昔前の“良妻賢母”ですよう。ナウい女性ならばとっくの昔に離婚して実家に帰っていましたよう。 そう言えばデンマンさんも、お母様のことを“良妻賢母”と言って記事に書いていましたわよね? 卑弥子さんはよ~く覚えていますねぇ~? そうですよう。4年前に書いたのですよう。 ■『日本から失われつつある良妻・賢母』
(2005年7月6日) 。。。んで、中村さんという方がデンマンさんを批判したのですわ。。。うふふふふ。。。 それで。。。、それで。。。、卑弥子さんは覚えていたのですか? そうでござ~♪~ますわ。デンマンさんの記事に批判する方って、めったにござ~♪~ませんわ。 そうなのですよう。日本人は一般的に批判したり批判されることを人格攻撃とか、人格攻撃されると解釈する人が多いですからね。何事も“事なかれ主義”!みんな仲良くやろうね。。。そう考える人が圧倒的に多いのですよう。。。でも、心の中では反発している人が多いのだけれど。。。 デンマンさんも、かなりムキになって反論しましたわね? 別に僕はムキになったわけじゃないけれど、批判されたら、当然反論しますよう。その時の記事を読んでみてください。 ■『日本には良妻賢母は
居なくなったのでしょうか?』 (2005年8月9日) 。。。んで、今日は「良妻賢母」についてお話になるのでござ~♪~ますか? もう、「良妻賢母」については上の記事の中で語りつくしました。少し飽きましたよう。 でも、今日のタイトル『女の証明』は「良妻賢母」と関係あるのでしょう? あのねぇ~、僕は原作「人間の証明」をざっと読みました。映画を見た人の中で次のような感想を語っていた人がいたのですよう。
6) 角川映画中後期映画群によって映画の愉しさに目覚めた自分は、当時角川印のいわゆる超大作が公開されるたんび、世論で大バッシングが起きるのを不思議な気持ちで見守ってました。
今回初めて「犬神家」に続くこの鳴り物入り大作を観るに及んで・・・こりゃ春樹プロデューサー、もっと叩かれなくちゃいかんかったわw。 いや監督も脚本家も原作もひどいな、これは。ありえない偶然の連続。 この内容のどこが「人間の証明」なんでしょう? 「ストウハ」→「ストローハット」→「麦わら帽子」「キス・ミー」→「霧積温泉」って超強引な発想の転換がいともたやすくなされた時点で、ああこれはサスペンスでもミステリー映画でもないんだって思いっきり興醒め。 もしかしたら「タモリ倶楽部」の担当者はこの映画によって「空ミミアワー」の企画を思いついたんじゃないのか? いや絶対そうに違いない!! この感想を書いた人の思いが僕にも分かった。 どのようにでござ~♪~ますか? 僕の読後感は「人間の証明」と言うよりも、むしろ「女の証明」、あるいはもっと的確に「母の証明」とした方が話の筋に、よりふさわしいのではないか?僕は、そう思ったのですよう。 確かに、「人間の証明」と言うと大げさに聞こえるかもしれませんよね? あのねぇ~。。。「人間の条件」が映画でも小説でもヒットしたので、それにあやかってタイトルを「人間の証明」にしたのではないか? そうかもしれませんわね? 実は、僕はこれまで森村さんの本を一冊も読んだことがない。 そう言えば、デンマンさんは推理小説があまり好きではなかったのですよね? そうなのですよう。上の感想文の中でも次のように書いてある。 監督も脚本家も原作もひどいな、これは。
ありえない偶然の連続。
「ストウハ」→「ストローハット」→「麦わら帽子」
「キス・ミー」→「霧積温泉」って
超強引な発想の転換が
いともたやすくなされた時点で、
ああこれはサスペンスでも
ミステリー映画でもないんだって
思いっきり興醒め。 僕はこれほど酷評しないけれど、推理小説の中の「ありえない偶然の連続」だとか、「超強引な発想の転換」には、同様に興醒めした事がたびたびあった。それで推理小説を読む気がしなくなってしまったのですよう。 。。。んで、現在でも推理小説は読まないのですか? まず読まないですよう。江戸川乱歩先生の推理小説も、僕は読む気がしないほどですよう。 でも、デンマンさんは乱歩先生のことでは、ずいぶんと記事を書いていますよね。 乱歩先生の書評だとか、エッセーは素晴らしいのですよう。ずいぶんと勉強になりました。しかし、推理小説は読むのが億劫(おくう)ですよう。 。。。んで、「人間の証明」はどうでした? あのねぇ、上の感想を書いた人は、「監督も脚本家も原作もひどいな」、と書いているけれど、僕は、それほど酷いとは思わなかった。やはり、ベストセラーになるだけの価値ある小説だと思いましたよう。 どういう所が素晴らしいのでござ~♪~ますか? あのねぇ、それを説明するには原作者の経歴を知る必要があるのですよう。ちょっと読んでみてください。
森村誠一
1933年1月2日生まれ。現在も活躍中。 ホテル勤め(ホテルニューオータニなど)の経験があるため、ホテルを舞台にしたミステリが多い。 12歳にして、日本で最後(8月15日未明)の熊谷空襲を体験。のちの「反戦平和」の原体験となる。 その後、ビジネス書の作家として出発し、1969年、『高層の死角』により第15回江戸川乱歩賞を受賞し、推理作家に転向。 推理小説のシリーズキャラクターとして、棟居弘一郎(棟居刑事シリーズ)、牛尾正直(終着駅シリーズ)を生み出している。 1977年に松田優作主演で映画化された『人間の証明』を中心とした、角川書店の角川春樹社長のブロックバスター戦略の中心的存在となり、作品は大半が文庫化され、一躍、ベストセラー作家に。 護憲派として、九条の会の講演会などで発言を行っている。 最近では写真俳句に関心を持ち、旅行時や散歩時もカメラを持ち歩いている。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 僕は、森村さんの本をこれまでに読んだこともなければ、どういう人なのかも全く知らなかった。 名前ぐらいは聞いたことがあるでしょう? 名前は聞いたことがあった。。。その程度でしたよう。 。。。んで、なぜ経歴を調べたのでござ~♪~ますか? 作品を理解するには、作者の経歴を知ると、さらに深く理解できるものですよう。 。。。んで、経歴から何か分かったのでござ~♪~ますか? ビックリする程のことが分かりましたよう。 どのような。。。? あのねぇ~、森村さんは僕の隣町で生まれたのですよう。 行田市は熊谷の隣町なのでござ~♪~ますか? そうなのですよう。僕は熊谷高校で3年間を過ごしました。 その事がビックリすることなのですか? 違いますよう。「12歳にして、日本で最後(8月15日未明)の熊谷空襲を体験」と書いてあるでしょう。これに僕はハッとした。 デンマンさんも熊谷空襲を体験したのでござ~♪~ますか? あのねぇ~、僕は戦後生まれですよう。も~~。。。戦争を知らない世代です。 それなのにデンマンさんは、どうして熊谷空襲にこだわるのでござ~♪~ますか? ちょっと次の説明を読んでくださいよう。
熊谷空襲
熊谷空襲とは、1945年8月14日23時頃 マリアナ諸島テニアン島の基地より発進したアメリカ陸軍戦略航空軍所属のB-29爆撃機約80機により熊谷市が受けた空襲である。 熊谷が空襲被害を受けた理由はよくわかっておらず、埼玉県の県庁所在地として間違えられたという説がある。 焼夷集束弾や普通爆弾などによりまず市周辺部より、ついで中心部の順で無差別爆撃を受けた。 損害: 市街地の74%が焼失、266人が死亡。 この空襲を元にアニメ映画「最後の空襲…くまがや」(28分)制作されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 この熊谷空襲がデンマンさんと関係あるのでござ~♪~ますか? もちろん直接の関係があるわけじゃない。僕はまだ生まれていなかったのだから。。。 それなのに、どうして取り上げたのですか? 僕はお袋からこの熊谷空襲の話を何度か聞かされたのですよう。 お母様は空襲に巻き込まれたのでござ~♪~ますか? もちろん空襲の中で逃げ惑うことなどなかった。ただ、お袋が当時住んでいた旧・南河原村は熊谷に隣接していた。つまり、隣村ですよう。東京の池袋にある遠縁の寿司屋に女中奉公していたお袋も戦争が激しくなって物資が少なくなって、寿司屋も商売にならなくなると生まれ故郷に帰ってきていたのですよう。戦車が店の前を地響きを立てて通た時の凄さを何度も話してくれました。 。。。んで、お母様は空襲の当日どうなさっていたのでござ~♪~ますか? 幸い、熊谷市には居なかった。上の説明に書いてあるとおり、空襲は8月14日の午後11時頃から始まった。 お母様は見たのでござ~♪~ますか? 空が真っ赤になったと言うのですよう。身震いが止まらないほど凄い爆弾の雨だったそうです。
焼夷集束弾や普通爆弾などによりまず市周辺部より、 アメリカ軍の爆撃機は、このように卑劣な方法で焼夷弾を降らせて行くから、逃げ道を失った人は、どうしても市の中心へと向かわざるを得ない。 そこに星川が流れているのでござ~♪~ますか? そうですよう。僕も高校の3年間、星川通りを何度も通りました。 それでお母様は。。。? もちろん、遠くから見ていたわけだから危険な目にあったわけではなかった。ところが、知り合いの安否が気になったので翌日、熊谷へ出かけて行ったと言うのですよう。 それで。。。? 星川に差し掛かった時に、その悲惨な光景を見て度肝を抜かれたと言うのです。 どのような悲惨な光景だったのでござ~♪~ますか? 実は、森村さんの生家が星川の近くにあった。森村さんは、その痛ましい情景を『熊谷戦災の記録』で次のように書いていますよう。
当時の星川は、今のようにまっすぐの河ではなく、市内を流れる自然のままの曲がりくねった流れであった。
火を避けて、この星川へ逃げ込んだ人達は、ほとんど全員が、翌朝死体となって発見された。 星川の流れが、死体で埋まっていた凄惨な光景は今でも忘れられない。 (中略) 熊谷市は太平洋戦争における最後の犠牲であり、まったく無意味な葬り去られた犠牲の羊(スケープゴート)であったのである。 僕のお袋も森村さんが見た光景を偶然にも見ていたのですよう。 それで、お母様のお知り合いはどうなったのでござ~♪~ますか? その人は星川の近くに住んでいたので、その光景を見た時には、もうだめだと思って諦めてお袋は引き返したと言うのですよう。でも、病人の看病で親戚の家に居たと言うことで無事だったそうです。 。。。んで、その事が「人間の証明」とどのように関係しているのでござ~♪~ますか? 森村さんの経歴に“熊谷空襲を体験したことが、のちの「反戦平和」の原体験となる”と書いてある。この原体験が読者に伝わらない限り、映画を見ても、原作を読んでも次のような感想を漏らすことになると思うのですよう。 監督も脚本家も原作もひどいな、これは。
ありえない偶然の連続。
「ストウハ」→「ストローハット」→「麦わら帽子」
「キス・ミー」→「霧積温泉」って
超強引な発想の転換が
いともたやすくなされた時点で、
ああこれはサスペンスでも
ミステリー映画でもないんだって
思いっきり興醒め。 どうしてでござ~♪~ますか? だから、司馬遼太郎先生も言ってましたよう。 つまり、直接的にも間接的にも、何らかの方法で森村さんが体験したような戦争体験を持たないと、「人間の証明」の核心が理解できないとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか? そうですよう。読者が理解すべき50%の部分が、その戦争体験と関わっているのですよう。 どのようにでござ~♪~ますか? いつものように記事が長くなったので、また、あさってこの続きを語りますよう。楽しみにしていてくださいね。
【卑弥子の独り言】
ですってぇ~。。。 とにかく、デンマンさんが、さらに興味深いお話をなさるそうですわ。
ィ~ハァ~♪~! メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
日本本土がアメリカ軍の爆撃機によって
空襲を受けた事実は
よく知られていますけれど、
アメリカ本土が日本軍の飛行機によって
爆弾を落とされた事実は
あまり知られていません。
実は、わたしも知りませんでした。
デンマンさんがYouTubeの
動画を探し当てたのです。
「世界超偉人伝説
史上ただひとり米国本土を
爆撃した男伝説」
SF物語でも空想物語でもありません。
史実に基づいて製作された
動画です。次のURLをクリックすると
観ることができます。
http://www.youtube.com/watch?v=s15_hdCEO7I
カリフォルニア州の沿岸に
浮上した潜水艦の甲板で組み立てられた
小型水上飛行機によって
2個の焼夷弾がオレゴン州のブルッキングス市の
近くにある山の中に落とされたのです。
目的は山火事を起こすことでした。
アメリカ本土を爆撃したのは
これが史上初めてで最後でした。
日本軍にとっては不幸にも
オレゴン州民にとっては幸いにも
この焼夷弾は白い煙を立ち上げただけで
山火事は起こりませんでした。
ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。
時間があったらぜひ読んでみてくださいね。
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
YouTube 動画
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