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引っ越し大騒動
by デンマン & 卑弥子
2010年1月6日
Subj:今朝はいつより早く起きました。
\(@_@)/ きゃはははは。。。
Date: 10/12/2009 11:16:21 AM 最近、午前5時か6時ごろまで本を読んでいるので、 夕べは小百合さんにメールを出してから、 今朝は午前10時に起きました。 \(^Д^)/ ギャハハハハ。。。 小百合さんもできるだけ早めに仕事の悩みは忘れ、
それから、子供のことでは、いつも子供の味方で居てあげてね。 僕はブログにも書きました。 先生は、安定した職業として中小企業に就職するよりも良いと思って、安易に先生になる学生が増えた。 小学校、中学校を振り返って、僕は良い先生にめぐり合えたと天に感謝しています。 僕の弟も問題を起こしましたが、お袋は常に弟の味方でした。 生きていれば、
人間は再起が可能です! とにかく、あまり心配しないで、小百合さんも充実した人生を送ることの方をしっかりと考えてください。 \(@_@)/ きゃはははは。。。 それよりも軽井沢で癒されてください! (\__/) じゃあねぇ~
件名:Go! Go! Skiing! 日付: Fri, 11 Dec 2009 21:22:50 +0900 (JST) Thanks I had enjoyed to talk with you by overseas call. please take a good care of yourself. 自宅より 21:22 さゆり
デンマンさん。。。どうして小百合さんは英語で返信を書いたのでござ~♪~ますか?
多分、軽井沢駅のキオスクか軽井沢町の図書館で下書きを書いておいたのですよう。 軽井沢駅のキオスクと軽井沢の図書館では、日本語が使えないのでござ~♪~ますか? 見るだけに設定してあるらしいのですよう。 どうして。。。? 日本語が書けるようにしておくと、一人が1時間も2時間もパソコンを占有してしまう。長い待ち行列ができてしまうからですよう。 でも、上のような短い英文ならばすぐにでも送信できるではありませんか?わざわざ自宅に戻ってから送信する必要はないでしょう? あのねぇ、時間の余裕があった時に小百合さんは下書きを書いておいて、それを軽井沢に居るときに送信するつもりだったのですよう。でも、書いてから、いろいろとやることができて、結局、軽井沢からは送信できなかった。 それで、自宅に戻ってから小百合さんは送信したわけなのでござ~♪~ますか? それ以外に考えられません。 。。。んで、なんでデンマンさんは上の12月のメールを持ち出してきたのですか? 小百合さんは、最近、ゆっくりと落ち着いた気分でメールを書いている時間がないほど、仕事のこととか、子供のこととか。。。、それでなくても、師走と正月にかけては家庭の主婦は忙しいのですよう。卑弥子さんのように何もせずに、ルンルン気分で白河ラーメンを心ゆくまで食べている暇などないのですよう。
白河ラーメン
白河ラーメンは、福島県白河市を中心に供されているラーメン。 麺は多加水の幅広縮れ麺を使用する。 具はネギ、チャーシュー、メンマ、鳴門巻き、ホウレンソウなど。 全体的にクラシックなスタイルのラーメンで、古き良き時代のなつかしい東京ラーメンを彷彿させるラーメンとして知られる。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 あたくしのことも白河ラーメンの事も、ほおって置いてくださいな。今は、小百合さんのお話しをしているのですから。。。 だから、小百合さんも、この時期には大忙しなのですよう。 その事と、タイトルの『引っ越し大騒動』が関係あるのでござ~♪~ますか? 小百合さんも大忙しで大変だろうけれど、それ以上に大変な思いをしたのが忍藩の殿様と家老を含めた藩士たちだったのですよう。 どうして。。。? 「三方領知替え」ですよう。
「三方領知替え」
忍藩主阿部・豊後守(ぶんごのかみ)が陸奥国・白河藩へ、 白河藩隠居だった元老中首座・松平定信が、港湾財源を持つ桑名への転封を狙って仕掛けたものとされている。 三藩が順繰りと動くのだから、のんびり構えているわけには行かないのですよう。しかも、一家族や二家族が移動するわけではないのです。藩主の家族を含めて、家老から足軽まで、何千人という藩士とその家族が大移動するのですよう。 一つの町全体が引っ越しするようなものでござ~♪~ますわねぇ~。。。? そうなのですよう。大変なことですよう。今で言えば、桑名市民が行田市に移り、行田市民が白河市に大移動し、白河市民が桑名市に引っ越しするのですよう。三市民の民族大移動ですよう。 確かに、すさまじいですわねぇ~。 しかも、この大移動があることを忍藩の阿部家と桑名藩の松平家は、全く予想もしていなかった。 なぜ。。。? 阿部家は、藩祖・阿部忠秋(ただあき)以来、184年もの問、忍藩主だったのですよう。しかも、武蔵国の他の譜代藩が転封を繰り返す中で、忍藩だけがその地位を保ってきた。 つまり、忍藩の方々は引っ越すことなどありえないと信じきっていたのでござ~♪~ますか? そうですよう。 。。。んで、桑名藩の松平家は、どうでしたの? 桑名藩でも正徳元年より、113年間も桑名藩主にあったから、もう動くことは無いだろうと考えていたのですよう。 この「三方領知替え」は忍藩と桑名藩にとっては寝耳に水だったのでござ~♪~ますわね? その通りですよう。だから、もう、忍藩でも桑名藩でも、大移動の準備で大騒ぎとなった。 まず、すぐに領内の年頁、林等の取調べが行なわれた。命令が出た翌日には「屋敷内を荒らすな。平穏に暮らせ。あらぬ行動をとるな」というような通達が出された。次に藩主名で転封の心構えについて指示が出された。さらに、家臣の屋敷内の戸、障子、襖、畳まで、全てそのままにしておけ、門・櫓・塀に落書するな、掘にゴミを捨てるなといった通達まで出された。5月にはいると、白河へ運ぶ家財道具や武具類の運搬準備、家族の通行手形の準備などがあわただしく進められていったのですよう。 確かに、大変でござ~♪~ますわね。 忍藩では、さらに大きな問題を抱えていた。 どのような問題でござ~♪~ますか? 藩主・阿部正権(まさのり)が重体になってしまった。 大移動のことを知ってショックのあまりに病気になってしまったのでござ~♪~ますか? あのねぇ~、藩主の正権(まさのり)さんは、生まれた時から虚弱体質で病気がちだったのですよう。だから、確かにショックを受けたのかも知れないのですよう。ただ問題なのは、1823(文政6)年3月24日、老中・青山忠裕(ただひろ)により江戸城に呼ばれて白河に移るように言われた時には、まだ満17歳だった。 病弱なお坊ちゃんだから、当然独身ですよね? そうなのですよう。このまま危篤になって死亡したら、跡を継ぐ子供が居ないので、阿部家は断絶になる可能性がある。 お家断絶になったら、藩士は浪人になって、その日から暮らしに困るのでしょう? そうですよう。そうなったら、引っ越しどころではないですよう。とにかく、生活が大切だから、さっそく家老たちが顔をつき合わせて策をねった。 どうしたのでござ~♪~ますか? 幕府の老中に宛てて、正権(まさのり)の領知返上と養子への相続願を提出した。勿論、目的は養子相続。その後、養子候補の選択を行なった。 。。。んで、候補は決まったのでござ~♪~ますか? とにかく、忍藩士の生活がかかっていますからねぇ。家老たちも必死で探しまくったのですよう。それで、紀州藩主・徳川治宝(はるとみ)の弟・松平頼興(よりおき)の子・房丸(ふさまる)を、養子として貰い受けることに決めたのですよう。 その房丸(ふさまる)さんが現藩主の跡を継ぐのですか? そうです。さっそく、房丸さんは阿部正篤(まさあつ)と改名して、8月27日に阿部家の江戸藩邸に入ったのです。これで藩主がいつ亡くなっても阿部家が断絶することはなくなった。 つまり、藩士が浪人することはなくなったのでござ~♪~ますわね。 そうです。それで、やっと安心して、また大移動の準備を始めたのですよう。大移動の第一陣は9月に白河へ向けて出発していった。そして9月25日に、白河城を引き継いだ。9月28日には忍城を桑名藩に引き渡した。それを見届けて安心したように10月6日、病状が回復しないまま、17歳の阿部正権さんは、江戸藩邸で亡くなったのです。 あらっ。。。、まるでシナリオ通りに事が運んでしまったのでござ~♪~ますわねぇ~。 そうなのですよう。養子に迎えた阿部正篤が、白河藩主として17歳の正権さんの跡を継いだのですよう。。。とにかく、松平定信が根回ししたおかげで、忍藩と桑名藩はトバッチリを受けて、えらい目にあってしまったのですよう。 でも、江戸時代のミーちゃんハーちゃんも松平定信がこの大移動の引き金を引いたと知っていたのでござ~♪~ましょうか? 知っていたのですよう。 その根拠でもあるのでござ~♪~ますか? あります。江戸時代に書かれた『続徳川実紀』に、次のような狂歌が取り上げられているのですよう。
住みなれし 忍をたちのき あべこべに
お国がえとは ほんに白河 白河に ふるふんどしの 役おとし こんど桑名で しめる長尺 蛤の 殻までおけと 越中が おし桑名にも くれて下総 これだけでは、なんだか良く分かりませんわ。 じっくりと上の狂歌を読むとねぇ、松平定信が根回しして桑名を手に入れたことが書いてあるのですよう。 もう少し分かり易く説明してくださいな。 分かりました。卑弥子さんにも分かるように書き出しますから読んでみてくださいね。
住みなれし 忍をたちのき あべこべに
お国がえとは ほんに白河 住み慣れた阿部家の忍藩領から立ちのいて、あべ(安部)こべに白河藩領に行くなんて、本当に(白河)知らなかったよう。 白河に ふるふんどしの 役おとし
こんど桑名で しめる長尺 白河藩主の松平・越中守(えっちゅうのかみ)が桑名藩領に移るならば、オイラも古い“越中ふんどし”を厄落としのつもりで、(もう、人騒がせな国替えなど無い事を祈って)白河に捨てて、今度、桑名に行ったら長い“六尺ふんどし”でもしめべぇ~かァ。 蛤の 殻までおけと 越中が
おし桑名にも くれて下総
白河藩主(松平定信)の越中守(えっちゅうのかみ)はガメつくて、地口(じぐち)にも詠(うた)われている桑名・名物の「焼きハマグリ」の殻まで置いてゆけと言う。
■結構毛だらけ猫灰だらけ、けつのまわりは糞だらけ→映画「男はつらいよ」の寅さんの的屋のセリフで有名。
■何か用か(七日八日)九日十日 ■すみま千円 (「すみません」+「千円」) ■あたり前田のクラッカー (「当たり前だ」+「前田のクラッカー」) ■そうはいかのキ○タマ (「そうは行かない」+「烏賊の金玉」) ■その手は桑名の焼き蛤 (「その手は喰わない」+「桑名の(名物の)焼き蛤」) 地口(じぐち)は、駄洒落の一種と見なすことができる言葉遊びである。 落語においてもくすぐりとしてしばしば使われる。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 【デンマン現代語訳】
【卑弥子の独り言】
ですってぇ~。。。 とにかく、あさっても面白い話題が続くと思います。
【デンマンの独り言】
僕が日本滞在中の2009年11月8日に、「第2回行田市B級グルメ大会」が開かれたのですよう。 当日は、行田市の人気「ゼリーフライ」をはじめ、関東・東北地方の有名B級ご当地グルメが出展されました。
上のポスターの左下が“行田のフライ”で、右下が“ゼリーフライ”です。 同大会の出展グルメは下表の通り。
行田市(埼玉県) フライ
行田市(埼玉県) ゼリーフライ(2店舗) 宇都宮市(栃木県) 餃子 鴻巣市(埼玉県) 鴻巣コロッケ 羽生市(埼玉県) いがまんじゅう 三郷市(埼玉県) 小松菜ぎょうざ 佐野市(栃木県) いもフライ 太田市(群馬県) 太麺焼きそば 沼田市(群馬県) 焼まんじゅう(2店舗) 大月市(山梨県) おつけだんご 白河市(福島県) 白河ラーメン 富士宮市(静岡県) 富士宮やきそば 横手市(秋田県) 横手焼きそば 黒石市(青森県) 黒石つゆやきそば 厚木市(神奈川県) シロコロホルモン 小田原市(神奈川県) AJIなバーガー 南足柄市(神奈川県) 黄金のポット 三浦市(神奈川県) まぐろラーメン 実は、僕は小百合さんと一緒に行くつもりでした。
メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
1999年夏の「東芝事件」は
ネットでも画期的な事件でした。
東芝製ビデオデッキの修理に関し、
その対応に腹を立てた消費者が、
経緯をネットで公開したのです。
東芝側はホームページの一部削減をさせるため
「名誉権と営業権に基づく妨害排除の請求」の
仮処分を申請しました。
しかし、社会的な批判が高まり、
急遽謝罪を表明したのです。
仮処分の申し立ても取り下げました。
やはり、企業と言えども法の下には
個人と平等なのですよね。
「はてなダイアリー」のユーザーとして
デンマンさんが「はてなダイアリー」の問題点について
たくさん記事を書いています。
ユーザーと「はてなダイアリー」との関係も、
もちろん対等であるべきですよね。
ユーザーが不満を表明し、
釈明を求めているのであれば、
「はてなダイアリー」も誠実に対応すべきだと思います。
ネットの世界は単に現実世界の
向こうの虚像ではありません。
東芝事件のように、
ネット上で激しさを増したユーザーの声は、
間違いなく現実社会に戻ってくるからです。
デンマンさんが「はてなダイアリー」を批判しています。
興味があったら次の記事を読んでみてくださいね。
ところで、英語の面白い話をまとめました。
興味があったら、
次のリンクをクリックして
読んでください。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
YouTube 動画
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