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愛の手と狂気
by デンマン & 卑弥子
2010年7月29日
件名:小百合さん、おはよう!
日本の良さを見出して
楽しんでね。
きゃはははは。。。
Date: 02/07/2010 1:10:11 PM
バンクーバーの空はほぼ快晴で雲がありません。 ここ1週間ばかり『あらすじで読む名作能50』と言う本を寝る前に読んでいるのですよう。 能が好きか?と問われれば、嫌いではない、と言えるけれど、 これまでに二つだけ心に残ったエピソードを。。。
テレビで拝見したのだが、大鼓(おおつづみ)の人間国宝・亀井忠雄さんご一家のお稽古ぶりは凄まじかった。 石牟礼(いしむれ)道子(作家・詩人)
私(亀井忠雄)は子供の頃、父と小鼓の北村一郎師の絶頂期の『道成寺(どうじょうじ)』を聴いていますが、それは考えられないような狂気の世界でした。
とにかく掛け声がすごかった。それがあったので、16歳のときに『道成寺』のお役がかかりましたが断りました。 ほとんどのものを済ませてから、ようやく披(ひら)きました(初演を演じた)。 (中略) とにかく『道成寺』は、狂気の域(いき)に入らないと出来ない、かといってこちら側にいないといけない。 亀井忠雄(大鼓方葛野流宗家預かり) 。。。だってよう。 カナダ人にやれ!と言っても「どうして?」と言う返事が返ってくるでしょう! ちょっと聞いただけでは、合理的な考え方じゃない! 「どの能でもそうですけれど、亀井さんが真っ先に詞章を覚えられるんです。若い人たちはかないませんよ、気迫がですね」 この気迫が人間国宝の値打ちなんだろうね。 子供の頃、能など良く分からなかったけれど、僕も能をテレビで見て「大鼓」の響きに魅了されたことがありますよう。 おそらく、亀井忠雄さんのお父さんが打っていたのではないか? 小百合さんには、つまらない話かもしれません。 では、いつものように日本の神様にお祈りをささげます。
行田の大長寺の大仏様。。。 小百合さんが軽井沢タリアセン夫人になりきって、ルンルン気分で今日、一日を無事で楽しく愉快に過ごせますように。。。 では、小百合さんも時間があったら次の記事を読んでみてね。
■『ふるさとの皆さん!』
(2010年7月2日) うっとうしい梅雨にもめげずに、楽しく愉快に今日、一日を過ごしてね。
デンマンさん。。。今日は能のお話ですか?
特に能について話したいと言う訳でもないのですよう。 でも、最近、能の本を読んでいるのでしょう? たまたま図書館で借りてきた23冊の本の中に能の本があったのですよう。
1番の本ですか?
そうです。 先日は14番の本について書きましたよね。 ■『つまらない話』
(2010年7月23日) そうです。 参議院選挙があったから政治の本を選んだのは、なんとなく分かりますけれど、どうして能の本を選んだのですか? 小百合さんの愛の手が選ばせたのですよう。うししししし。。。 そのような事を言っても誰も信じませんわ。 “愛の手”を持ち出せば小百合さんが、そう言うと思いましたよう。 デンマンさんはわざとらしいのですわ。そのような取って付けたような事を言っても誰も本気にしませんわ。 でもねぇ、僕がデタラメを言っている訳ではない事が最後に分かります。 能のお話から“愛の手”のお話になるのですか? まあ。。。そう言う事ですよう。うへへへへへ。。。 分かりましたわ。。。期待しながらデンマンさんのお話を伺いますわ。 小百合さんは『道成寺』って聞いたことがありますか? 能に『道成寺』という演目があることは知りませんでしたわ。でも、「娘道成寺」というのはよく耳にしました。歌舞伎の出し物だったように覚えていますけれど。。。 さすがですね。。。そうなのですよう。。。能の『道成寺』を基にして作ったらしいですよう。
道成寺
『道成寺』は、紀州道成寺に伝わる、安珍・清姫伝説に取材した能楽作品。 シテ: 白拍子(実は女の怨霊) 安珍・清姫伝説の後日譚に従い、白拍子が紀州道成寺の鐘供養の場に訪れる。 小鼓との神経戦である乱拍子(間をはかりながら小鼓に合わせ一歩ずつ三角に回る。 出典:
デンマンさんは能の『道成寺』を見たことがあるのですか?
いや、ありません。 でも、なんだか『道成寺』にこだわっているようですわね? 『ウィキペディア』で調べてみたら、僕は何度かこの話を読んだことがあると思ってね。でも残念ながら、まだ能で一度も『道成寺』を見たことがない。 。。。で、『道成寺』のお話の内容に惹かれたのですか? あのねぇ~、以前に読んだ時には、御伽噺のような。。。子供だましのような。。。いい大人が真面目になって読む話ではないと思って、さらっと読み流していたのですよう。でもねぇ、本の中の次の箇所を読んだ時に、なぜか引っかかるものがあった。
一途な思いの果て
梅若六郎 (シテ方観世流) 『道成寺』を披(ひら)く(初演する)ことで、はじめて一人前の能楽師と認められる。 この曲には、乱拍子、鐘入り、急ノ舞(きゅうのまい)と、特殊な技術が詰まっています。 (中略) では、その本質とは?
後シテの般若(はんにゃ)の面を、よくご覧になってください。 52ページ 「一途な思いの果て」
上の文章のどこに引っかかるのですか?
般若(はんにゃ)の面を見て専門家は次のように言っている。 報われない恋に烈しく憤りながら、
深い悲しみをたたえた
静かで美しい表情が
秘められています。 人にもよるのだろうけれど、僕は般若の面を見る時、そこに「静かで美しい表情」なんて感じ取れない。 デンマンさんは何を感じ取るのですか? 狂気ですよう。人間国宝の亀井忠雄さんも次のように言ってますよう。 『道成寺』は、狂気の域(いき)に
入らないと出来ない 梅若六郎さんは一途(いちず)に人を思う純粋さだと、言っている。でもねぇ、猛烈に一人の人を思い、コントロール不能に陥った情念。思う相手を焼き殺さずにはいられないほどの一途さは、狂気ですよう。純粋さではない! つまり、愛とは程遠いものだとデンマンさんはおっしゃるのですか? その通りですよう。。。あのねぇ、ここまで考えてきた時に、やっぱり小百合さんの愛の手が能の本を取らせたのだと僕には思えたのですよう。 それは、どう言う訳ですか? ちょっと、めれんげさんの次の手記を読んでみてください。
行き違う愛という言葉
わたしに必要なのは
わたしひとりを
愛してくれるひと
わたしひとりが
そのひとに抱かれる
愛という言葉を
ふりまくひとに
わたしは別れを告げる
by めれんげ 2009.02.10 Tuesday 11:01
どうして、めれんげさんの手記を持ち出してきたのですか?
誇張して言えば、めれんげさんと伝説の清姫には共通したものがある。良く言えば、一途(いちず)に人を思う純粋さ。悪く言えば、猛烈に一人の人を思い、コントロール不能になる狂気に似た恋心。かつて僕は、めれんげさんの上の手記にコメントを書いたことがあるのですよう。読んでみてください。 わたしに必要なのは
うん、うん、うん。。。 めれちゃんは、 でもなぁ~ でも、日本人は、もともと多神教の民族やがなぁ~ そいで、長い歴史を振り返ると、 フロイトがえらいと思ったのは、 何て言うたのォ~? 次のように言うたのやでぇ~ When two people make love, there are at least four people present---the two who are actually there and the two they are thinking about. --- Sigmund Freud カップルがベッドで愛し合うとき、実は4人がかかわっている。 --- ジクムント・フロイト 『日本で最も有名な三角関係』より こうして、愛する二人の関係は、“平穏に”末永く保たれているのやでぇ~。 人は、このような夫婦を祝福するし、 しかし、ぶっち明けた話が、フロイトには正直に内心を話すのやでぇ~ フロイトは絶対的な愛など信じておらん!
わたしひとりを こう言う考えを持っている者は、必ず不幸になる事をフロイトは知っておったのやでぇ~ わては、フロイトの言葉が絶対真理やと思うとらんでぇ~ この地球上の60億の人間は、みな一人づつ、その人独自の世界観を持っておるのや。 。。。んで、何が大切なのか?
わたしはボダを
克服したんですよ! 投稿日時: 2007-04-09 11:29
それにしても そして、今のわたしはデンマンさんを
わたしがデンマンさんに対してキレること… それに… それは、死ぬまで続けなければならないことですが、逆戻りなどしたくはありません。
by レンゲ 『ムカつくコメント』より そやがなぁ~
愛という言葉を そうやがなぁ~、 でも、もし、わてがめれちゃんに、そのように見えているとしたら、 わてがしている事は、自分の思っている事を 「気付き」が大切だと思うでぇ~ それにつきるがなぁ~ ほな、めれちゃん、
by 心の恋人 (デンマン) \(*^_^*)/ キャハハハ。。。 2009-02-10 09:16 PM 『即興の詩 行き違う愛という言葉』のコメント欄より 『漢字馬鹿の再来』に掲載
つまり、伝説の清姫のように、一途(いちず)な恋心にとらわれてしまうと不幸になる。デンマンさんは、そう思っているのですか?
その通りですよう。 。。。で、私の“愛の手”が、どのように関係しているのですか? 小百合さんは、覚えてないかもしれないけれど、次のようなメールを書いたことがあったのですよう。 件名:ねちねち ブログしてるんじゃ、
ないでしょうね?
もうやめな!
メレンゲさんだって次に行くんだから。 日付: Thu, 28 May 2009 21:27:10 +0900 (JST) ただいまー 子供の学校の模擬試験の振りこみ用紙、 デンマンさん 元気? ねむッzzZZZZ さゆりより
こんな事を書いていたのですわね。うふふふふふ。。。
小百合さんらしいですよう。 余計なお世話だったようですね。 いや。。。決して余計なお世話ではないですよう。。。小百合さんがめれんげさんの幸せを願っているのが感じられますよう。。。そして、僕も小百合さんの愛の手を感じましたからね。。。そして、その同じ愛の手が、僕に上の能の本を取らせたのですよう。うしししし。。。
【卑弥子の独り言】
ですってぇ~。。。 いつもの事ながら、回りくどい理屈を並べ立てて、それらしいお話を組み立てているのでござ~♪~ますう。 でも、あさっては、もっと興味深い話題が続きますわ。
メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
人間万事塞翁が馬
良く耳にする諺ですよね。
何が幸せか?
何が不幸か?
予測しがたいことを言います。
昔、中国の北の地方に
塞翁というおじいさんが居たのです。
そのおじいさんの馬が逃げてしまったのです。
おじいさんは不幸な事だと思いました。
当然、そう思うでしょうね。
でも、そのうち、さらに北方の駿馬を率いて
戻ってきたのです。
もちろん、おじいさんは喜びました。
こんな幸福な事はないと。。。
すると、ある日、馬に乗った息子が落馬して
足を折ってしまいます。
それ以来、ビッコを引いて歩くようになったのです。
おじいさんは、なんと不幸なことだろうと嘆きます。
でも、そのうち戦争が始まりました。
息子は足が悪いので兵隊にとられなかったのです。
おじいさんは息子が戦死しないで良かったと
幸せな気持ちに浸ったのでした。
さて、英語で何と言うのでしょうか?
Bad luck often brings good luck.
不運も時には幸運をもたらす。 その通りですよね。
次のように言うこともできます。
Sadness and gladness succeed one another.
悲しみと喜びは交互にやって来る。 考えて見れば、当然ですよね。
悲しみだけが続くことも、
喜びだけが続くこともありません。
次のように言う人も居ますよ。
A joyful evening may follow a sorrowful morning.
朝悲しい事があっても、晩には
うれしい事があるかもしれない。 また、次のようにも言えます。
Good and bad fortune are next-door neighbors.
幸運と不運は隣同士なのよ。 そうですよね。
だから、不運だと思って
いつまでも嘆く必要はありません。
でも、幸運だと言って
手放しで喜んで居てもいけません。
つまり、何があっても人生を前向きに考えて
生きることが必要だと言うことでしょうね。
ところで、英語の面白い話を集めました。
時間があったら覗いてみてください。
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。
YouTube 動画
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