| ||||
|
漱石とグールド
by デンマン & 卑弥子
2010年8月23日
件名:小百合さん、
初秋のバンクーバーから、
おはよう!
きゃはははは。。。
Date: 20/08/2010 2:24:40 PM
バンクーバーはすっかり秋めいてきましたよう。 もう夏のギラギラとした日差しは感じられません。 しかし、30分も車で走れば、8月の下旬から色づく葉っぱを見ることができますよ。 実は、今、『漱石とグールド』を読んでいるのですよ。 僕はカナダの生活が長いから、もちろんグールドの名前を知っている。 その本の副題は『8人の「草枕」協奏曲』。 僕も、タイトルを見て、不思議に思ったからバンクーバー市立図書館から借りてきた。 しかし、その事が言いたくて『漱石とグールド』を持ち出してきたわけじゃない。 この人が書いた小文を読んだのですよう。
私の知人が、ブリティッシュ・コロンビア州都のヴィクトリアで、グールドについて講演をした際、その地で教師をする女性が近づいてきて、こういった。
自分の父はイエローナイフで毛皮を取るわな猟師をしているが、グールドと手紙のやり取りがあり、その結果グールドと1982年の冬、父のところまで出かけ、厳冬の北を見るつもりだった。 しかしグールドはその年の10月に亡くなったので、それは実行されなかった。 これがもし実行されたらどうなっただろうか。 「北との対面」はグールドの長い霊的彷徨の節目となったであろうか。好奇心をそそられる話である。 私の住むヴァンクーヴァーは、カナダでもっとも温暖な地域であるが、しかし北国であることに変わりはない。 グールドにとって北の存在とは、信仰の厚い人が常に神の存在を感じるようなものではなかったか。 62-64ページ 『漱石とグールド』 う~ん。。。
小百合さんは栃木の山奥の“山の家”ですか? では元気で楽しくルンルンルン。。。
■『厳しさの中の愛の絆』
(2010年8月20日) バ~♪~イ
小百合さんもサダコ・グエンさんの文章を読むと、カナダが。。。とりわけ、“湖畔の家”を借りていたバーナビーの「鹿の湖(Deer Lake)」が懐かしくなるでしょう?
そうですわね。。。今の私は介護に追われて、なかなか自分の時間が持てないのですわ。 仕方ないと言えば仕方ないですよね。介護をほったらかしてカナダにやって来るわけにもゆきませんからね。 そうですわ。それでなくても、私はわがままで自分勝手な女だと言われているのですから。。。 マジで。。。? 自分では決してわがままではないと思っていても、主人の親戚の人たちからは散々に言われましたわ。
(13年間)バーナビーで夏休みを過ごすことは
毎年私の支えの時間でした。 夫は「中性脂肪」だと言いましたが、 私にだって、やってやれない事はないはずです。 夏の期間、夫と離れて バーナビーの“山の家”で過ごしながら、 家事をやり、子育てをして 自分にだって“女らしいことができる事”を 行動して自分で確かめたかったのです。 『La Campanella』より
確かに、日本の親戚づきあいは難しいからね。。。閉鎖的な所があるから、小百合さんのような解放的な生き方は良くは言われないのですよう。
デンマンさんは私のことをわがままだと思いますか? 日本では僕もわがままな男だと言われますからね。小百合さんが誤解されるのも無理はないですよう。町子さんまでがビックリしていましたよう。 デンマンさん。。。 小百合さんは赤ちゃんをオンブして ロッキー山脈を見て来やはったのよう。 ビックリしたわあァ~。。。
確かに若い時には無鉄砲な所がありましたわ。
いや。。。決して無鉄砲ではありませんよう。 デンマンさんは私の20代の頃を知らないからですわァ。これでも、若い時から比べればだいぶ丸みが出てきたのですわ。 ほおォ~。。。そうなのですか? 無鉄砲時代の小百合さんに会ってみたかったですよう。うしししし。。。 ところで、デンマンさんはイエローナイフに居たことがあったのですよね。 そうですよう。
カナダの北の、人間を寄せつけないような地の極寒の風景であったら、どんな人間でもひたすら圧倒されるであろう。
何千年もの間、人間の醜い争いの元となった宗教などとは無縁の絶対を感じるであろう。 それはグールドのような天才もがひれ伏して、何の不思議もない何ものかである。 サダコ・グエンさんは、このように書いていますけれど、デンマンさんも極北の地で自然に圧倒されたものですか? 不思議な経験をしましたよう。。。すでに記事で書いたことだけれど、初めて読む人も居るだろうから、ここに書き出しますよう。
北極の原野での孤独
本当に孤独になって寂しくなると、死ぬなんてことは全く頭から消えうせてしまうものですよ。むしろ本能的に生きようとするすさまじいまでの生に対する執着にとらわれるものですよ。
どういうことですか? 北極の原野に一人で置き去りにされた事を考えてみてくださいよ。寂しいなんて言っているどころじゃない。その瞬間から生きなければならない。腹をすかせたハスキー犬が牙をむいて襲い掛かる。グリスリー・ベアに出会えば、命はないと思わなければならない。 デンマンさんは、北極の原野に放り出された事でもあるのですか? もちろん、ありませんよ。でも、僕の宿舎から5分も歩くと人の姿は見えませんでした。30分も歩いたら、そこは上の写真のような原野ですよ。野生化したハスキー犬が獲物を狙い、牙をむいて近づいてきますよ。 ハスキー犬って何ですか?
狼と犬の混血だと言われています。だから野生化したハスキー犬は人も襲いますよ。 怖いでしょう? 怖いなんてものじゃない。ハスキー犬の群れに襲われたら命がありませんよ。 それでハスキー犬に出会ったことでもあるのですか? ありますよ。僕は2週間ほど休みをとって夏、北極の原野を歩きましたよ。せっかくイエローナイフに行ったのですからね。もう2度とそういう経験は出来ないと思いましたからね。 それで怖い思いをなさったのですか? “怖い思い”と言っているうちは本当に怖くはないんですよ。 どういうことですか? 僕は“野生化する”という意味が初めて分かりましたよ。野生化するということは一口で言ってしまえば“死と隣り合わせ”で生きるということなんですよ。常にビクビクしていなければならない。感覚が研ぎ澄まされている。ライフルを背負っていないと安心していられない。 ライフルって、。。あの~。銃、。。。鉄砲のことですかあああ? そうですよ。カップヌードルじゃないですよ。常に身を守る事を考えていますよ。ハスキー犬でもただの野犬でも、飛びかかって来る前にライフルを構えなければならないから、つねに辺りに気を配っていますよ。あんなに音に敏感になれるとは思ってもみませんでしたよ。葉っぱが擦れ合う音にさへ最初のうちはビクッとしましたよ。 それでどのような怖い思いをしたのですか? 夜でも横になっては寝られなかったですよ。 どのようにして眠るのですか? 座って寝るんです。とても横になって寝る気になれませんでしたよ。リュックを背にしてライフルを抱くようにしながら眠るんですよ。熟睡できない。1時間半から2時間おきに目が覚めますね。 それで。。。? 遠吠(とおぼ)えなんかが聞こえると実に嫌なものですよ。“お~い、獲物が居たぞォ~、みんなで襲おうじゃないかァ~~”そう仲間に呼びかけているように聞こえてくるんですよ。 それで。。。 よく西部劇で獣を寄せ付けないために一晩中火をたきながら眠るシーンがありました。でもね、あんな事は出来ませんでしたよ。 どうしてですか? 燃やす薪(たきぎ)がすぐになくなってしまうんですよ。上の写真で見るように森なんてありませんからね、潅木がチラホラ程度ですよ。燃やすものがなくなって火が消えて真っ暗になります。そういう時にオーロラが頭上を神秘的に踊っている。まさに踊っているようにサラサラ動いている。ゾォ~~とするような美しさですよ。でも、いつまでもボケーと見上げているわけにはゆかない。コソッとでも物音がしようものならすぐにライフルを引き寄せて構えますよ。最初のうちは、珍しいから撃ちたくってバンバン引き金を引きましたが、そのうち弾(たま)が減ってくるから、そうやたらに撃てなくなる。弾が無くなった時が僕の命が無くなる時ですよ。 それで。。。 最初の夜などは、かなりぶっ放しましたが5日ぐらい経つとライフルを撃つ事も面白くなくなる。それよりも弾の数が減ってくる事の方が心配になりますよ。 それで。。。 とにかく、近くにセブンイレブンはないんですよ。自動販売機もないんですよ。公衆電話もないんですよ。人っ子一人居ないんですよ。短波放送を聞く気になれば聞く事が出来ますが、ラジオなんかかけていたら、獣の物音が聞こえなくなる。ハスキーの群れに襲われたら、命は無いんですよ。耳を澄まして物音だけに神経を集中しますよ。そういう時には寂しいなんて気持ちにはならないものですよ。早く夜が終わってくれないか。そればかりを考えている。気を紛らせることができるのはオーロラを見上げる時ぐらいです。 それでどういう怖い事があったのですか? 1週間ぐらい経った頃ですかねぇ~。僕はもうやたらにライフルを撃たなくなりました。ある程度物音にも慣れてきました。“殺気”という言葉を聞いた事があるでしょう? 僕は初めてそういう経験をしましたよ。あれは、野生化した僕が本能的に感じたものだと思うんですよ。理屈ではどうにも説明できないんです。確かに物音を感じた。でも、それが獣だか潅木の葉っぱが擦れ合う音なのか?あまりはっきりしなかった。 とにかく“やばい”という胸騒(むなさわ)ぎがして僕はライフルを引き寄せてテントの入り口から外をソッとうかがった。 何が居たのですか? 目が2つ光って僕を見ているんですよ。ゾォ~としましたね。僕は引き金に手をかけていましたが撃つ気になれない。 それは何だったのですか? おそらくハスキー犬か野犬でしょうね。瞬(まばた)きもせずに僕の方をジィ~と見ているんですよ。最初の夜だったら、僕は間違いなく、すぐにぶっ放していましたよ。でも、“殺気”はそれまでなんですよ。僕はもう怖さはない。すぐ撃てるからですよ。僕はブルックリンで人間の返り血を浴びた事があるから、結構そのような度胸はついている。“かかってくるなら来い、ぶっ放してやるだけだ!” そう思いながら僕も睨(にら)みつけましたよ。僕の目もおそらくオーロラの光を受けて光っていたでしょうね。僕には5分ぐらいに感じられたけれど、それ程長い間のことじゃなかったでしょう。とにかく、にらみ合いの挙句、その獣は諦めたようにクルッと身を翻(ひるがえ)すと帰っていきましたよ。 デンマンさんは撃たなかったのですか? “殺気”が消えていたんですよ。喧嘩した後、さっぱりした気持ちになるでしょう。あの気持ちなんですよ。動物同士だって勝ち負けがついたら相手を殺さないものですよ。 それで、その夜はそれ以外には何もなかったのですか? 何もなかった。もうその獣はやって来ませんでしたよ。 それで、デンマンさんの寂しさって何ですか? つまり、人間が野生に返って生きるなら、寂しさを感じている暇がないんですよ。僕はしみじみとそう感じたものですよ。そしてあの朝を迎えた時のなんとも言えない幸せな気分。僕はお日様に向かって感謝し、祈るような気分になりましたよ。“あああ。。。お日様さん、ありがとうございます。夕べも無事で命に別状はありませんでした。今夜もよろしくお願いします。どうか僕をお守りください” 朝日を浴びながら、実際そう思ったものですよ。レンゲさんに、この僕の伝えようとしている気持ちが分かりますかあああ?
『群衆の中の孤独!寂しくって死んでしまいたい』より
僕が極北の地で一人になってすごした2週間と言うのはマジで貴重な時間だったですよう。。。朝を迎えた時、ああァ~、何事もなく無事で生きていたと言う事を、お日様に向かって感謝したくなる。。。、そのような気持ちは群衆の中で暮らしていた時には一度も感じなかったことですよう。
宗教などとは無縁の“絶対”をデンマンさんも感じました? 感じましたよう。。。大自然の中では、いかに人間が微力なものか!。。。僕はライフルを持っていたから、大きな不安を感じなかったけれど、もしライフルが無かったら、生きている心地がしなかったと思うのですよう。。。もう、惨めなくらいに不安に駆られたと思うのですよう。。。実際、ライフルを持たずに、ハスキー権の群れか、狼の群れか、野犬の群れにでも出会ったら、僕の命は無かったのだから。。。それを想うと、人間が野生の中で一人で生きてゆくと言うことは無謀と言うしかない。。。だから、人間は群れを成して文明を築いたのでしょうね。。。生きてゆくために。。。僕は、その事を野生の中で過ごした2週間で、しみじみと感じましたよう。 ところで、私はグールドってぇ知らなかったのですけれど、カナダではそれほど有名なのですか? クラシックやピアノに少しでも興味を持っているカナダ人ならば、グレン・グールドのことはまず間違いなく知っていますよう。とにかく、ユニークな人で、カナダのメディアは好んで、この人の名前を取り上げていましたよう。
グレン・グールド
Glenn Herbert Gould (1932年9月25日 - 1982年10月4日)
カナダのピアニスト、作曲家。 母親は声楽の教師でピアノも弾き、父親は声楽同様バイオリンの演奏ができた。 1955年1月2日、ワシントンで公演してアメリカでの初演奏を行い、ワシントン・ポスト誌に「いかなる時代にも彼のようなピアニストを知らない」と高い評価が掲載された。 低い姿勢とハミング グールドは、異様に低い椅子(父親に依頼して作ってもらった特製の折りたたみ椅子で、いつもこれを持ち込んでいた)に座り極端に猫背で前のめりの姿勢になり、時に大きな手振りでリズムを取るといった特異な奏法と斬新な演奏で世間の注目を集めた。 演奏会への不信 演奏会において正しく燕尾服を纏い観客を圧倒するパフォーマンスをみせることが優れた演奏家の当然の条件のようにいわれた時代にあって、自身の気に入ったセーターを着て特注の椅子に座って演奏するなど奇抜なスタイルで演奏会に臨んでいたグールドは、そもそも演奏会そのものに対して批判的であり、デビュー以来ライブ演奏に対する疑問や批判を繰り返していた。 オマージュ グールドの死後、カナダにおいてグレン・グールド賞が創設され、メニューインや日本人作曲家武満徹等がこれを受賞している。 出典:
ずいぶんとユニークな人なのですわね。
そうなのですよう。ピアニストでありながら、コンサートで演奏することを完全にやめてしまい、どんなに頼まれても演奏会で演奏することはなかったのですよう。 そういう変わった人が、どう言う訳で夏目漱石の「草枕」にハマッてしまったのですか? サダコ・グエンさんは次のように書いていますよう。
グールドは35歳のとき、カナダの東部ノヴァ・スコシア州を旅行し、その際汽車の中でノヴァスコシア大学のウィリアム・フォーリー教授と出会う。
教授は当時読んで、大いに感動を受けた夏目漱石の『草枕』英語版の話をした。教授は後日この本をグールドに送るのだが、これはこのピアニストの生涯を通しての愛読書となるのだった。 後年グールドはこれを20世紀最高傑作の小説の一つと公言して憚(はばか)らず、従姉にこの本を丸々一冊電話で朗読して聞かせたほどであった。 そしてついには『草枕』を題材としたラジオ番組を計画するにいたるのである。 (中略) 草枕とは旅、あるいは心の休まらぬ旅寝の意味だと言う。街から街へと旅するセールスマンのようなコンサート・ピアニストの生活を心から嫌って、その地位を捨てたグールドが死ぬまで愛読した小説の題名が『草枕』であったのは、少々皮肉なことではある。 44-45、78-79ページ 『漱石とグールド』
。。。で、デンマンさんは、どうして『草枕』を取り上げる気になったのですか?
実は僕も『草枕』のことについて書いていた。小百合さんも、ちょっと読んでみてください。
情に掉させば流される
知っているつもりの諺を言ったら、意味が違っていると言われて恥ずかしい思いをした事ってあるでしょう? 僕は人生の半分以上を海外で暮らしてきましたからね、最近は僕の日本語のことをとやかく言われませんけれど、4年前に、日本のサイトで書き込みを始めた頃は、もうすごかったですよ。 “オマエの日本語はめちゃくちゃじゃないか!” “表日本”、“裏日本”が差別語になっていたのには “タンタン広場”というサイトでの事です。 僕が小学生の頃は表日本、裏日本は教科書にも載っていましたよ! 全く驚いたですよ!んも~~!
僕は本当に浦島太郎になってしまったような気がしたものです。 “バツイチ”とか“キモイ”が分からなくて。。。 “そんなのが分かんね~のかよォ~!” と言われたものですよ! 流れに棹させば流される そう言う訳で、上の諺(?)を使おうとした時も、念のために調べてみたんですよ。 例えば、ホームルームで遅刻したら1000円の罰金をクラスの貯金箱に入れる、と言う事が多数決で決まりそうになったとします。 当然のことですが、そんな規則が出来たら、 でも、話し合いを聞いていると、その規則に反対する人が極めて少ない。 このような状況のことを“流れに棹させば流される”というのだと僕は思っていたんですよ。 その“流れに掉さす”ならば、つまり、反対するならば、寄ってたかって反論を受けて結局規則が出来てしまうだろう。 流れに棹させば流される
僕はそんな風に、この諺を理解していたんですよ。 自分が正しいと信じているのなら、たとえ一人でも大勢の意見に対して立ち向かうべきだというのが僕の考えです。 こういうように大勢の意見に従ったほうが無難だと思う人が日本人には多いのではないか? このような事も言われている。 それで、念のために僕は“流れに棹させば流される”の意味をネットで調べたわけすよ。 そしたら、次のような説明にぶつかったんですよ。
流れに掉さす
流れに逆らう、流れを止めるといった意味ではなく、掉を使い、流れにのって船を進める様子から、時流に乗る、物事が順調に進むことを意味します。 「掉さす」は本来、船を流れと同じ方向に進めるという意味。 使用例: あの社長は時流を見る目があって、流れに掉さす勢いで会社を大きくした。 これを読んだために、僕は“流れに棹させば流される”を次のグループに書き込むのを止めてしまったんですよ。 “仲良くしましょう” 確かに上の説明を読めば納得できます。 しかし、強い流れの中に棹を立てようとすれば、その強い流れのために棹は流されてしまう。 だからこそ、僕は自分の経験から“流れに棹させば流される”の意味は、大勢の意見に“付和雷同”するのだと理解していたのです。 これは僕の思い違いなのか? 僕の思い込みの方が、けっこう大勢が感じている思い込みなのではないのか? だから、僕の思い込みの意味に従うならば、 でも、あえて、こうして異論を書くわけです。 コメントをお待ちしていますね。 。。。と書いたら、例によってフルーツブログのメンバーのじゅぁきさんから次のようなコメントをもらいました。
呼びました?(笑)。 この言葉はたぶん知らない人の方が多いので、 で、意味を知らずに読むと確かに事なかれ主義にみえるんですが、流れに棹さし、流されるわけですから、水流を読んで棹をさしてるともとれるので、どっちか迷いますね・・・。 前にも書いたと思いますが、本来の意味とは別に現代解釈が大多数の支持を得ると、それが常識になるんです。 だから、本来の意味で使うほうが無難のような気がします(笑)。 by じゅぁき 『流れに棹させば流される』のコメント欄より 僕はさっそく次のような返信を書きました。
おおおおお~、じゅぁきさん。 確かに、この諺っぽいモノは知らない人が多いようですよね。 “流れに棹させば流される” これは出ていなかった。 “情に棹させば流される” と書いてありますよね。 僕は、勘違いをして“情” を “流れ” として使っていたんだろうか? 実際、僕自身はこれまでに “流れに棹させば流される” これをずいぶんと使っていましたよ。 このような意味で使っていたんですよ。
「掉さす」は本来、船を流れと同じ方向に進めるという意味。
そうでなければ、夏目漱石の『草枕』の一節 「情に掉させば流される」の意味が通らなくなってしまいます。 今、この部分が気になっているんですよ。 とにかく、じゅぁきさん、コメントありがとう。 by バークレー(デンマン) 『流れに棹させば流される』のコメント欄より そういうわけで、 “情に掉させば流される” を調べてみる気になったわけです。
『智に働けば角が立つ。 情に掉させば流される。 意地を通せば窮屈だ。 とかくに人の世は住みにくい』 (「草枕」漱石) 草枕ではこのようなコンテクスト(context)で使われているんですよね。 つまり、どれも、何かしようとすると反発される、反感を持たれる、反対される、やりにくい。。。 現在の日本にだってこのような風潮がありますよね。 カナダのおおらかで自由な気風と比べると、 ところで、漱石はロンドンで暮らしたことがある。
ロンドンでの暮らしは漱石にとって、よほど気が重かったのでしょうね。 僕は海外生活が人生の半分を越しています。 ふるさとが日本にあるから僕にとって日本は懐かしいのですが、心情的には僕にとって日本はすでに外国になってしまっています。 とにかく僕にとって日本というところは暮らしにくいんですよ。 僕が生まれ育った国ですから、僕は日本を愛しています。 。。で、なぜに日本へ帰るのか? しかし、最近の日本を見て心が痛むのは。。。 日本がどこか狂ってしまったのではないか? このような印象を持つのは海外で暮らしている僕ばかりではない! どうしてこのようなことを書き始めてしまったのか。。。? 漱石が悪いんですよ!うしししし。。。 しかし、このようにして考えてくれば、 “情に掉させば流される”
漱石が使ったこの語句も、僕が思い込んでいたように解釈した方がよっぽど自然だと思いますよ。 。。。するとどうなるか? 日本だったら、当然次のような言葉が聞かれるんですよ。 “そんな水臭いことを言うなよ!” それで、漱石といえども、うんざりしながら、世間の情に押し流されてしまうわけですよ。 あなたもそう思いませんか? この方が、よっぽど漱石の心情を汲み取った解釈だと僕は信じていますよ。 それでは。。。
『情に掉させば流される』より
2006年に書いていたのですわね?
そうです。 。。。で、グールドは『草枕』のどこにそれ程惹かれたのですか? どうしたら自由になれるのか?その答えをグールドは『草枕』の中に見つけたのですよう。 グールドは、どのようにしたら自由になれると思ったのですか? だから、サダコ・グエンさんも書いているように自由を求めて極北の地へ行きたかった。
カナダの北の、人間を寄せつけないような地の極寒の風景であったら、どんな人間でもひたすら圧倒されるであろう。
何千年もの間、人間の醜い争いの元となった宗教などとは無縁の絶対を感じるであろう。 それはグールドのような天才もがひれ伏して、何の不思議もない何ものかである。 グールドは極北で「絶対」を感じる。「絶対」の前では人間なんて、ちっぽけなモノですよう。それで大自然の中に溶け込んでゆく。そう感じることで自分が柵(しがらみ)から解き放たれる。つまり自由になれる。夏目漱石の言葉を借りるならば、それが「則天去私」ですよ。
【卑弥子の独り言】
ですってぇ~。。。 もちろん、あたくしだって世間の柵(しがらみ)から解き放たれて自由になりたいのでござ~♪~ますう。 ええっ。。。? どうするのかって。。。? もちろん源氏物語の世界へ行くのでござ~♪~ますわ。 とにかく、あさっても興味深い話題が続きますう。
あなたが絶対、
見たいと思っていた
面白くて実にためになるリンク
■ 『きれいになったと感じさせる
下着・ランジェリーを見つけませんか?』
こんにちは。ジューンです。
日本には「天才と何とかは紙一重」
という諺がありますよね。
うふふふふふ。。。
グレン・グールドは天才と呼ぶにふさわしい
音楽的な才能を持っていたと思います。
それだけに通常の人とは
かなり異なる生活をしていました。
グールドはサダコ・グエンさんも書いているように
極北の地に憧れを持っていたようです。
でも、現実には大都会の
トロントに住んでいました。
電話を離さず、
テレビを好み、
どこへ行くにも車を乗り、
まったく運動らしい運動をしませんでした。
人とはほとんど付き合わず、
もっぱら電話で話すことを好んだそうです。
それは、しばしば何時間も続き、
友人たちには自分から
電話をかけるのを許さず、
話す時間はすべてグールドに
選択権があったと言います。
異常と思えるのは、
自分の食べるものも料理せず、
食べ物と言うよりも
ビタミンや栄養剤などの
薬に依存していたのです。
とにかく、かなり変わっていた生活を
していたことだけは確かなようです。
ところで、卑弥子さんが面白いサイトを
やっています。
興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして
覗いてみてくださいね。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ
YouTube 動画
| |||
|