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漱石とグールド
2010年8月23日

件名:小百合さん、

初秋のバンクーバーから、

おはよう!

きゃはははは。。。

Date: 20/08/2010 2:24:40 PM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間:8月21日(土曜日)午前6時24分
From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
CC: barclay1720@aol.com

バンクーバーはすっかり秋めいてきましたよう。
午後1時で気温18度。
空には一つ二つ、ポッカリと雲が浮いているだけで、快晴に近いですよ。

もう夏のギラギラとした日差しは感じられません。
秋晴れといった感じですよう。
でも、まだ紅葉は始まっていません!
きゃはははは。。。

しかし、30分も車で走れば、8月の下旬から色づく葉っぱを見ることができますよ。

実は、今、『漱石とグールド』を読んでいるのですよ。
日本人でグレン・グールドの名を知っていたら、クラシックにかなりハマッている人だと思う。
小百合さんとは、これまでにクラシックの話をしたことがないから、おそらくグレン・グールドのことは知らないと思う。

僕はカナダの生活が長いから、もちろんグールドの名前を知っている。
カナダ人ならば、たいていの人が知っている有名な作曲家でユニークなピアノ演奏家です。

その本の副題は『8人の「草枕」協奏曲』。
名の通り8人の人がグールドと夏目漱石について書いている。
どうして夏目漱石がグレン・グールドとかかわりがあるの?

僕も、タイトルを見て、不思議に思ったからバンクーバー市立図書館から借りてきた。
夏目漱石とグレン・グールドは、生きていた時代が全く違っている!
二人の間に共通点があるとは思えなかった!
でも、あるんだよ!きゃはははは。。。

しかし、その事が言いたくて『漱石とグールド』を持ち出してきたわけじゃない。
8人の一人にサダコ・グエンという女性がいる。
多分、カナダ人と結婚した日本人でしょう。
執筆者紹介欄には、1953年生まれのカナダ在住の翻訳家と書いてある。

この人が書いた小文を読んだのですよう。
長いけれど、引用します。
小百合さんも何度もカナダにやって来たから、懐かしく読めるかもしれない。

私の知人が、ブリティッシュ・コロンビア州都のヴィクトリアで、グールドについて講演をした際、その地で教師をする女性が近づいてきて、こういった。
自分の父はイエローナイフで毛皮を取るわな猟師をしているが、グールドと手紙のやり取りがあり、その結果グールドと1982年の冬、父のところまで出かけ、厳冬の北を見るつもりだった。
しかしグールドはその年の10月に亡くなったので、それは実行されなかった。
これがもし実行されたらどうなっただろうか。
「北との対面」はグールドの長い霊的彷徨の節目となったであろうか。好奇心をそそられる話である。

私の住むヴァンクーヴァーは、カナダでもっとも温暖な地域であるが、しかし北国であることに変わりはない。
ヘンリー・ジェームズは英語の最も美しい言葉は Summer Afternoon だと言ったが、北国に住む者は大いに共感を覚える。
北国の夏は美しい。
それは白地にくっきりと浮かび上がった朱色のようだ。
北国の夏は、長く、厳しい冬を背景にしてのみ存在する。
たまたま暑く、長い夏に恵まれたとしても、北国の人間は早く秋になってほしいとは思わない。
数週間 十分太陽を浴びたあとでさえ、いつ雨が降り出し、一挙に秋が来、そして冬になってしまうかを心配するのだ。
何しろ8月の始めには紅葉が始まる土地なのである。
夏は常に冬を背景とするというのは、単なるレトリックではない。

グールドにとって北の存在とは、信仰の厚い人が常に神の存在を感じるようなものではなかったか。
北の風景、特に厳冬の風景の美しさは人をして襟を正させるような何かがある。
普段霊的な存在などを意識しない者も心を打たれ、超自然的な存在を思わずにはいられない。
氷河、雪を被った山々、凍りついた湖。
あるいは、ふとコートの袖口を見て、目に入った雪の結晶でもよい。
それがカナダの北の、人間を寄せつけないような地の極寒の風景であったら、どんな人間でもひたすら圧倒されるであろう。
何千年もの間、人間の醜い争いの元となった宗教などとは無縁の絶対を感じるであろう。
それはグールドのような天才もがひれ伏して、何の不思議もない何ものかである。

62-64ページ 『漱石とグールド』
横田庄一郎編 1999年9月5日第一刷発行
発行所: 株式会社朔北社(さくほくしゃ)

う~ん。。。
カナダの夏は、本当に素晴らしい!
でも、バンクーバーの夏は終わって、もう初秋の気配ですよ。
僕が2年ほど過ごしたイエローナイフが出てきたので急に懐かしくなりました。
確かに、カナダには8月の始めに紅葉が始まる土地があるのです。
イエローナイフは、そういう所です。

小百合さんは栃木の山奥の“山の家”ですか?
それとも伊豆ですか?
カナダを懐かしく思い出しながら、むさ苦しい日本の夏を軽井沢タリアセン夫人になりきって乗り越えてね。
きゃはははは。。。

では元気で楽しくルンルンルン。。。
時間があったら次の記事を読んでみてね。

『厳しさの中の愛の絆』

(2010年8月20日)

バ~♪~イ
じゃあね。

小百合さんもサダコ・グエンさんの文章を読むと、カナダが。。。とりわけ、“湖畔の家”を借りていたバーナビーの「鹿の湖(Deer Lake)」が懐かしくなるでしょう?

そうですわね。。。今の私は介護に追われて、なかなか自分の時間が持てないのですわ。

仕方ないと言えば仕方ないですよね。介護をほったらかしてカナダにやって来るわけにもゆきませんからね。

そうですわ。それでなくても、私はわがままで自分勝手な女だと言われているのですから。。。

マジで。。。?

自分では決してわがままではないと思っていても、主人の親戚の人たちからは散々に言われましたわ。

(13年間)バーナビーで夏休みを過ごすことは

毎年私の支えの時間でした。

夫は「中性脂肪」だと言いましたが、

私にだって、やってやれない事はないはずです。

夏の期間、夫と離れて

バーナビーの“山の家”で過ごしながら、

家事をやり、子育てをして

自分にだって“女らしいことができる事”を

行動して自分で確かめたかったのです。


『La Campanella』より
(2009年11月27日)

確かに、日本の親戚づきあいは難しいからね。。。閉鎖的な所があるから、小百合さんのような解放的な生き方は良くは言われないのですよう。

デンマンさんは私のことをわがままだと思いますか?

日本では僕もわがままな男だと言われますからね。小百合さんが誤解されるのも無理はないですよう。町子さんまでがビックリしていましたよう。

デンマンさん。。。

小百合さんは赤ちゃんをオンブして

ロッキー山脈を見て来やはったのよう。

ビックリしたわあァ~。。。


確かに若い時には無鉄砲な所がありましたわ。

いや。。。決して無鉄砲ではありませんよう。

デンマンさんは私の20代の頃を知らないからですわァ。これでも、若い時から比べればだいぶ丸みが出てきたのですわ。

ほおォ~。。。そうなのですか? 無鉄砲時代の小百合さんに会ってみたかったですよう。うしししし。。。

ところで、デンマンさんはイエローナイフに居たことがあったのですよね。

そうですよう。

カナダの北の、人間を寄せつけないような地の極寒の風景であったら、どんな人間でもひたすら圧倒されるであろう。
何千年もの間、人間の醜い争いの元となった宗教などとは無縁の絶対を感じるであろう。
それはグールドのような天才もがひれ伏して、何の不思議もない何ものかである。

サダコ・グエンさんは、このように書いていますけれど、デンマンさんも極北の地で自然に圧倒されたものですか?

不思議な経験をしましたよう。。。すでに記事で書いたことだけれど、初めて読む人も居るだろうから、ここに書き出しますよう。

北極の原野での孤独

本当に孤独になって寂しくなると、死ぬなんてことは全く頭から消えうせてしまうものですよ。むしろ本能的に生きようとするすさまじいまでの生に対する執着にとらわれるものですよ。

どういうことですか?

北極の原野に一人で置き去りにされた事を考えてみてくださいよ。寂しいなんて言っているどころじゃない。その瞬間から生きなければならない。腹をすかせたハスキー犬が牙をむいて襲い掛かる。グリスリー・ベアに出会えば、命はないと思わなければならない。

デンマンさんは、北極の原野に放り出された事でもあるのですか?

もちろん、ありませんよ。でも、僕の宿舎から5分も歩くと人の姿は見えませんでした。30分も歩いたら、そこは上の写真のような原野ですよ。野生化したハスキー犬が獲物を狙い、牙をむいて近づいてきますよ。

ハスキー犬って何ですか?

狼と犬の混血だと言われています。だから野生化したハスキー犬は人も襲いますよ。

怖いでしょう?

怖いなんてものじゃない。ハスキー犬の群れに襲われたら命がありませんよ。

それでハスキー犬に出会ったことでもあるのですか?

ありますよ。僕は2週間ほど休みをとって夏、北極の原野を歩きましたよ。せっかくイエローナイフに行ったのですからね。もう2度とそういう経験は出来ないと思いましたからね。

それで怖い思いをなさったのですか?

“怖い思い”と言っているうちは本当に怖くはないんですよ。

どういうことですか?

僕は“野生化する”という意味が初めて分かりましたよ。野生化するということは一口で言ってしまえば“死と隣り合わせ”で生きるということなんですよ。常にビクビクしていなければならない。感覚が研ぎ澄まされている。ライフルを背負っていないと安心していられない。

ライフルって、。。あの~。銃、。。。鉄砲のことですかあああ?

そうですよ。カップヌードルじゃないですよ。常に身を守る事を考えていますよ。ハスキー犬でもただの野犬でも、飛びかかって来る前にライフルを構えなければならないから、つねに辺りに気を配っていますよ。あんなに音に敏感になれるとは思ってもみませんでしたよ。葉っぱが擦れ合う音にさへ最初のうちはビクッとしましたよ。

それでどのような怖い思いをしたのですか?

夜でも横になっては寝られなかったですよ。

どのようにして眠るのですか?

座って寝るんです。とても横になって寝る気になれませんでしたよ。リュックを背にしてライフルを抱くようにしながら眠るんですよ。熟睡できない。1時間半から2時間おきに目が覚めますね。

それで。。。?

遠吠(とおぼ)えなんかが聞こえると実に嫌なものですよ。“お~い、獲物が居たぞォ~、みんなで襲おうじゃないかァ~~”そう仲間に呼びかけているように聞こえてくるんですよ。

それで。。。

よく西部劇で獣を寄せ付けないために一晩中火をたきながら眠るシーンがありました。でもね、あんな事は出来ませんでしたよ。

どうしてですか?

燃やす薪(たきぎ)がすぐになくなってしまうんですよ。上の写真で見るように森なんてありませんからね、潅木がチラホラ程度ですよ。燃やすものがなくなって火が消えて真っ暗になります。そういう時にオーロラが頭上を神秘的に踊っている。まさに踊っているようにサラサラ動いている。ゾォ~~とするような美しさですよ。でも、いつまでもボケーと見上げているわけにはゆかない。コソッとでも物音がしようものならすぐにライフルを引き寄せて構えますよ。最初のうちは、珍しいから撃ちたくってバンバン引き金を引きましたが、そのうち弾(たま)が減ってくるから、そうやたらに撃てなくなる。弾が無くなった時が僕の命が無くなる時ですよ。

それで。。。

最初の夜などは、かなりぶっ放しましたが5日ぐらい経つとライフルを撃つ事も面白くなくなる。それよりも弾の数が減ってくる事の方が心配になりますよ。

それで。。。

とにかく、近くにセブンイレブンはないんですよ。自動販売機もないんですよ。公衆電話もないんですよ。人っ子一人居ないんですよ。短波放送を聞く気になれば聞く事が出来ますが、ラジオなんかかけていたら、獣の物音が聞こえなくなる。ハスキーの群れに襲われたら、命は無いんですよ。耳を澄まして物音だけに神経を集中しますよ。そういう時には寂しいなんて気持ちにはならないものですよ。早く夜が終わってくれないか。そればかりを考えている。気を紛らせることができるのはオーロラを見上げる時ぐらいです。

それでどういう怖い事があったのですか?

1週間ぐらい経った頃ですかねぇ~。僕はもうやたらにライフルを撃たなくなりました。ある程度物音にも慣れてきました。“殺気”という言葉を聞いた事があるでしょう? 僕は初めてそういう経験をしましたよ。あれは、野生化した僕が本能的に感じたものだと思うんですよ。理屈ではどうにも説明できないんです。確かに物音を感じた。でも、それが獣だか潅木の葉っぱが擦れ合う音なのか?あまりはっきりしなかった。 とにかく“やばい”という胸騒(むなさわ)ぎがして僕はライフルを引き寄せてテントの入り口から外をソッとうかがった。

何が居たのですか?

目が2つ光って僕を見ているんですよ。ゾォ~としましたね。僕は引き金に手をかけていましたが撃つ気になれない。

それは何だったのですか?

おそらくハスキー犬か野犬でしょうね。瞬(まばた)きもせずに僕の方をジィ~と見ているんですよ。最初の夜だったら、僕は間違いなく、すぐにぶっ放していましたよ。でも、“殺気”はそれまでなんですよ。僕はもう怖さはない。すぐ撃てるからですよ。僕はブルックリンで人間の返り血を浴びた事があるから、結構そのような度胸はついている。“かかってくるなら来い、ぶっ放してやるだけだ!” そう思いながら僕も睨(にら)みつけましたよ。僕の目もおそらくオーロラの光を受けて光っていたでしょうね。僕には5分ぐらいに感じられたけれど、それ程長い間のことじゃなかったでしょう。とにかく、にらみ合いの挙句、その獣は諦めたようにクルッと身を翻(ひるがえ)すと帰っていきましたよ。

デンマンさんは撃たなかったのですか?

“殺気”が消えていたんですよ。喧嘩した後、さっぱりした気持ちになるでしょう。あの気持ちなんですよ。動物同士だって勝ち負けがついたら相手を殺さないものですよ。

それで、その夜はそれ以外には何もなかったのですか?

何もなかった。もうその獣はやって来ませんでしたよ。

それで、デンマンさんの寂しさって何ですか?

つまり、人間が野生に返って生きるなら、寂しさを感じている暇がないんですよ。僕はしみじみとそう感じたものですよ。そしてあの朝を迎えた時のなんとも言えない幸せな気分。僕はお日様に向かって感謝し、祈るような気分になりましたよ。“あああ。。。お日様さん、ありがとうございます。夕べも無事で命に別状はありませんでした。今夜もよろしくお願いします。どうか僕をお守りください” 朝日を浴びながら、実際そう思ったものですよ。レンゲさんに、この僕の伝えようとしている気持ちが分かりますかあああ?

『群衆の中の孤独!寂しくって死んでしまいたい』より
(2005年12月31日)

僕が極北の地で一人になってすごした2週間と言うのはマジで貴重な時間だったですよう。。。朝を迎えた時、ああァ~、何事もなく無事で生きていたと言う事を、お日様に向かって感謝したくなる。。。、そのような気持ちは群衆の中で暮らしていた時には一度も感じなかったことですよう。

宗教などとは無縁の“絶対”をデンマンさんも感じました?

感じましたよう。。。大自然の中では、いかに人間が微力なものか!。。。僕はライフルを持っていたから、大きな不安を感じなかったけれど、もしライフルが無かったら、生きている心地がしなかったと思うのですよう。。。もう、惨めなくらいに不安に駆られたと思うのですよう。。。実際、ライフルを持たずに、ハスキー権の群れか、狼の群れか、野犬の群れにでも出会ったら、僕の命は無かったのだから。。。それを想うと、人間が野生の中で一人で生きてゆくと言うことは無謀と言うしかない。。。だから、人間は群れを成して文明を築いたのでしょうね。。。生きてゆくために。。。僕は、その事を野生の中で過ごした2週間で、しみじみと感じましたよう。

ところで、私はグールドってぇ知らなかったのですけれど、カナダではそれほど有名なのですか?

クラシックやピアノに少しでも興味を持っているカナダ人ならば、グレン・グールドのことはまず間違いなく知っていますよう。とにかく、ユニークな人で、カナダのメディアは好んで、この人の名前を取り上げていましたよう。

グレン・グールド

Glenn Herbert Gould

(1932年9月25日 - 1982年10月4日)

カナダのピアニスト、作曲家。
トロントに生まれる。
旧姓名は、グレン・ゴールド(Glenn Gold)。
プロテスタントの家系だが、ゴールドという苗字がユダヤ人に多く、当時高まっていた反ユダヤ主義に巻き込まれることを恐れて、グレンの生後まもなく一家はグールドと改姓した。

母親は声楽の教師でピアノも弾き、父親は声楽同様バイオリンの演奏ができた。
母親からピアノの手ほどきを3歳から受けたのち、1940年に7歳にしてトロント王立音楽院に合格。
同院で、レオ・スミスより音楽理論を、フレデリック・シルベスターよりオルガンを、アルベルト・ゲレロよりピアノを習う。
1944年、地元トロントでのピアノ演奏のコンペティションで優勝。
1945年にオルガン奏者としてデビュー。
同年には、カナダ放送協会によりグールドのピアノ演奏が初のオンエア。
1946年5月トロント交響楽団と共演しピアニストとしてベートーベン「ピアノ協奏曲第4番」で正式デビューし、同年10月、トロント王立音楽院を最年少で最優秀の成績で卒業。
その後、1947年に初リサイタルを行って国内での高い評価を得た。

1955年1月2日、ワシントンで公演してアメリカでの初演奏を行い、ワシントン・ポスト誌に「いかなる時代にも彼のようなピアニストを知らない」と高い評価が掲載された。
続く1月11日のニューヨークでの公演で、米国CBSのディレクター(d.オッペンハイマー)がグールドの演奏に惚れ込み、翌日終身録音契約が結ばれた。
グールドは、プロデューサーなどの反対を押し切り、デビュー盤としてバッハの「ゴルトベルク変奏曲」を録音。
1956年に初のアルバムとして発表されるや、ルイ・アームストロングの新譜を抑えてチャート1位を獲得した。
同作は、ハロルド・C・ショーンバーグのような大御所批評家からも絶賛され、ヴォーグ誌やザ・ニューヨーカー誌といった高級誌もグールドを賞賛した。
その後、メディアは、そのアイドル的容貌と奇抜な性癖を喧伝し、グールドは一躍時の人となった。
1957年には、ロシア及びヨーロッパへの演奏旅行に赴く。
第2次大戦以降、ソ連へ初めて演奏旅行に赴いたアメリカで活動する音楽家となったグールドは、口コミで瞬く間に演奏会場が満員になり、「バッハの再来」と賞賛を浴びた。
その演奏により、当時鉄のカーテンの向こう側と言われていたソ連と東欧衛星国でもセンセーショナルを起こした。
グールドは、演奏方法・解釈、新たな作曲家の認知など、その後のロシア音楽界に多大な影響を及ぼした。
その衝撃・影響力・演奏の素晴らしさは、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチら当時の最高峰の音楽家達によっても証言されている。
その後、ヨーロッパでは、ヘルベルト・フォン・カラヤン、レオポルド・ストコフスキーらとも共演。
1959年には、ザルツブルク音楽祭にも出演した。
北米と異なり伝統的で保守的な風潮のあるこれらの国々でも大絶賛を受けたグールドは、世界的なピアニストとしての地位を確立した。

低い姿勢とハミング

グールドは、異様に低い椅子(父親に依頼して作ってもらった特製の折りたたみ椅子で、いつもこれを持ち込んでいた)に座り極端に猫背で前のめりの姿勢になり、時に大きな手振りでリズムを取るといった特異な奏法と斬新な演奏で世間の注目を集めた。
レコーディングエンジニア等が再三注意し止めさせようとしたにも関わらず、グールドは黙ってピアノを弾くことはできないとして生涯この癖が直ることは無かった。
なお、猫背でかがみこむような奏法や指の独立には、その師であるゲレーロの「フィンガー・タッピング技法」の影響も指摘されている。

演奏会への不信

演奏会において正しく燕尾服を纏い観客を圧倒するパフォーマンスをみせることが優れた演奏家の当然の条件のようにいわれた時代にあって、自身の気に入ったセーターを着て特注の椅子に座って演奏するなど奇抜なスタイルで演奏会に臨んでいたグールドは、そもそも演奏会そのものに対して批判的であり、デビュー以来ライブ演奏に対する疑問や批判を繰り返していた。
グールドは、この点について大変に雄弁であり、多くのユニークな論拠を挙げている。
第1は、演奏会の不毛性・不道徳性であり、グールドによれば、演奏会での聴衆は言ってみれば「血に飢えて」おり、演奏者は失敗を畏れて志を失い、ひいては「寄席芸人に身を落としてしまう」という。
また、演奏会やコンクールに特有の競争性にも否定的で、「演奏行為は競争ではなく情事である」とも語っている。
また、演奏会では、演奏者と聴衆は平等な関係を失っているという。
第2には、ライブ演奏の一回性への疑問であり、それを「ノン・テイク・ツーネス」とよび、録音技術の登場によりライブコンサートはその意義を失ったとまで説いた。
結局グールドは、コンサート・ドロップアウト後は、どんなに頼まれても演奏会で演奏することはなかった。

オマージュ

グールドの死後、カナダにおいてグレン・グールド賞が創設され、メニューインや日本人作曲家武満徹等がこれを受賞している。
また、ドミトリー・シトコヴェツキーは、グールドの演奏にインスパイアされて、ゴルトベルク変奏曲を弦楽三重奏に編曲して、グールドに捧げている。
さらに、グールドの1955年のゴルトベルク変奏曲の録音を、最新のテクノロジーで再創造する試みも行われており、グールドの録音は一種の楽譜として評価されている。

出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ずいぶんとユニークな人なのですわね。

そうなのですよう。ピアニストでありながら、コンサートで演奏することを完全にやめてしまい、どんなに頼まれても演奏会で演奏することはなかったのですよう。

そういう変わった人が、どう言う訳で夏目漱石の「草枕」にハマッてしまったのですか?

サダコ・グエンさんは次のように書いていますよう。

グールドは35歳のとき、カナダの東部ノヴァ・スコシア州を旅行し、その際汽車の中でノヴァスコシア大学のウィリアム・フォーリー教授と出会う。
教授は当時読んで、大いに感動を受けた夏目漱石の『草枕』英語版の話をした。教授は後日この本をグールドに送るのだが、これはこのピアニストの生涯を通しての愛読書となるのだった。
後年グールドはこれを20世紀最高傑作の小説の一つと公言して憚(はばか)らず、従姉にこの本を丸々一冊電話で朗読して聞かせたほどであった。
そしてついには『草枕』を題材としたラジオ番組を計画するにいたるのである。

 (中略)

草枕とは旅、あるいは心の休まらぬ旅寝の意味だと言う。街から街へと旅するセールスマンのようなコンサート・ピアニストの生活を心から嫌って、その地位を捨てたグールドが死ぬまで愛読した小説の題名が『草枕』であったのは、少々皮肉なことではある。
1982年10月4日、50歳でこの世を去った、この偉大なピアニストの枕元には、聖書とともに『草枕』が残されていたという。

44-45、78-79ページ 『漱石とグールド』
横田庄一郎編 1999年9月5日第一刷発行
発行所: 株式会社朔北社(さくほくしゃ)

。。。で、デンマンさんは、どうして『草枕』を取り上げる気になったのですか?

実は僕も『草枕』のことについて書いていた。小百合さんも、ちょっと読んでみてください。

情に掉させば流される

知っているつもりの諺を言ったら、意味が違っていると言われて恥ずかしい思いをした事ってあるでしょう?

僕は人生の半分以上を海外で暮らしてきましたからね、最近は僕の日本語のことをとやかく言われませんけれど、4年前に、日本のサイトで書き込みを始めた頃は、もうすごかったですよ。

“オマエの日本語はめちゃくちゃじゃないか!”
“オマエ、日本語分かってんの?”
“差別語を使っちゃダメじゃないか!”

“表日本”、“裏日本”が差別語になっていたのには
本当にビックリしましたよ!

“タンタン広場”というサイトでの事です。

僕が小学生の頃は表日本、裏日本は教科書にも載っていましたよ!
それが、上のサイトでは使えない!
削除されてしまう!

全く驚いたですよ!んも~~!

僕は本当に浦島太郎になってしまったような気がしたものです。

“バツイチ”とか“キモイ”が分からなくて。。。

“そんなのが分かんね~のかよォ~!” と言われたものですよ!
ほんとうに“キモイ”思いをしたんですよ。、んも~~
うへへへへ。。。。

流れに棹させば流される

そう言う訳で、上の諺(?)を使おうとした時も、念のために調べてみたんですよ。

例えば、ホームルームで遅刻したら1000円の罰金をクラスの貯金箱に入れる、と言う事が多数決で決まりそうになったとします。
でも、あなたはたびたび学校に遅刻する癖がある。

当然のことですが、そんな規則が出来たら、
あなたは1000円の罰金を支払う可能性が多いにある。
たまったものではない。
だから反対したい。

でも、話し合いを聞いていると、その規則に反対する人が極めて少ない。
ここであなたが反対しようものなら、袋叩きにあうように反論を浴びてしまう。
だから、不服ではあっても反対することを止めておこうと思い黙ってしまう。

このような状況のことを“流れに棹させば流される”というのだと僕は思っていたんですよ。
つまり、この場合の“流れ”とは、遅刻したら1000円の罰金を課すという規則が出来そうだという予感です。
あなた以外の大勢の生徒がその規則を作る事に賛成しようとしている。
あなたはその“流れ”を感じ取っている。

その“流れに掉さす”ならば、つまり、反対するならば、寄ってたかって反論を受けて結局規則が出来てしまうだろう。
“流される”とは大勢の意見に立ち向かうことが出来ないから、不服でも大勢の意見に従う、と言うことです。
つまり、自分が正しいと思っていても、その意見を主張せずに大勢の意見に従ったほうが無難だ、と言うことです。

流れに棹させば流される

僕はそんな風に、この諺を理解していたんですよ。
つまり、良くない意味に受け取っていたんです。

自分が正しいと信じているのなら、たとえ一人でも大勢の意見に対して立ち向かうべきだというのが僕の考えです。
だから、“流れに棹させば流される”と思って、大勢の意見にただ無闇に従うことは姑息(こそく)で卑屈な考え方だと僕は思うわけです。

こういうように大勢の意見に従ったほうが無難だと思う人が日本人には多いのではないか?
だから、年金をごまかした政治家が居るのに、その悪徳政治家を辞めさせようとしない。
なぜなら。。。
“仲良くしましょう”
“事なかれ主義”
“長いものには巻かれろ”
。。。

このような事も言われている。

それで、念のために僕は“流れに棹させば流される”の意味をネットで調べたわけすよ。
思い込みから来る間違いはありますからね。

そしたら、次のような説明にぶつかったんですよ。

流れに掉さす

流れに逆らう、流れを止めるといった意味ではなく、掉を使い、流れにのって船を進める様子から、時流に乗る、物事が順調に進むことを意味します。

「掉さす」は本来、船を流れと同じ方向に進めるという意味。
そうでなければ、夏目漱石の『草枕』の一節
「情に掉させば流される」の意味が通らなくなってしまいます。

使用例: あの社長は時流を見る目があって、流れに掉さす勢いで会社を大きくした。


『言葉の誤用にご用心』より

これを読んだために、僕は“流れに棹させば流される”を次のグループに書き込むのを止めてしまったんですよ。

“仲良くしましょう”
“事なかれ主義”
“長いものには巻かれろ”

確かに上の説明を読めば納得できます。

しかし、強い流れの中に棹を立てようとすれば、その強い流れのために棹は流されてしまう。
僕の家のすぐそばに川があったから、小さな頃川で泳ぎながら僕は何度もそのようなことを経験していた。

だからこそ、僕は自分の経験から“流れに棹させば流される”の意味は、大勢の意見に“付和雷同”するのだと理解していたのです。

これは僕の思い違いなのか?
思い込みなのか?
もしそうだとしても、僕は言いたいのです。

僕の思い込みの方が、けっこう大勢が感じている思い込みなのではないのか?

だから、僕の思い込みの意味に従うならば、
上の説明が大勢に受け入れられているから、
その意見に従ったほうが無難なんですよね。

でも、あえて、こうして異論を書くわけです。
僕のように思い込んでいる人がかなり居るのではないか?。。。と考えて。。。
あなたはどうですか?

コメントをお待ちしていますね。

。。。と書いたら、例によってフルーツブログのメンバーのじゅぁきさんから次のようなコメントをもらいました。

呼びました?(笑)。
ども、じゅぁきです。

この言葉はたぶん知らない人の方が多いので、
勘違い以前のような気がします^^;;。
まぁ、なんとなくしか私も知らないし、
あまり会話でも小説でも使われてる頻度は少ないと思います。

で、意味を知らずに読むと確かに事なかれ主義にみえるんですが、流れに棹さし、流されるわけですから、水流を読んで棹をさしてるともとれるので、どっちか迷いますね・・・。

前にも書いたと思いますが、本来の意味とは別に現代解釈が大多数の支持を得ると、それが常識になるんです。
で、そのうち、クイズ番組でひっかけ問題に出されて、本来の意味がよみがえるんですよ、今の日本って^^;;。

だから、本来の意味で使うほうが無難のような気がします(笑)。

by じゅぁき
◆ starclew at 2006/10/20 15:05


『流れに棹させば流される』のコメント欄より
(2006/10/19 Thu)

僕はさっそく次のような返信を書きました。

おおおおお~、じゅぁきさん。
そうですよ。呼びましたよ。
待ってましたよ。

確かに、この諺っぽいモノは知らない人が多いようですよね。
実際、GOOGLEで調べた時に、そのものズバリはなかったような気がしますよ。

“流れに棹させば流される”

これは出ていなかった。
上の説明の中で

“情に棹させば流される”

と書いてありますよね。

僕は、勘違いをして“情” を “流れ” として使っていたんだろうか?
そんな風に思ったほどです。

実際、僕自身はこれまでに

“流れに棹させば流される”

これをずいぶんと使っていましたよ。
大勢の意見に反対すると、寄ってたかってたたかれるから、大勢の意見に従っていたほうが無難だ。

このような意味で使っていたんですよ。
勿論、僕自身は一人でも反対するようなタイプでしたからね、大学時代に強制的にホームルームで“民青(共産党系の学生連盟)”の役員がアジッたりし始めると、僕は一人で教室から出て行ったりしたことが何度かありましたよ。

「掉さす」は本来、船を流れと同じ方向に進めるという意味。
そうでなければ、夏目漱石の『草枕』の一節
「情に掉させば流される」の意味が通らなくなってしまいます。

今、この部分が気になっているんですよ。
草枕では、実際に、プラス志向で使われているのか?
このことを調べて記事に書きたいと思っていますよ。

とにかく、じゅぁきさん、コメントありがとう。
じゅぁきさんをテレパシーで呼んだつもりでしたが、まさか本当にコメントを書いてくれるとは思っていませんでしたよ!(爆笑!)
じゃあね。

by バークレー(デンマン)
◆ barclay at 2006/10/20 22:45


『流れに棹させば流される』のコメント欄より
(2006/10/19 Thu)

そういうわけで、

“情に掉させば流される”

を調べてみる気になったわけです。

『智に働けば角が立つ。

情に掉させば流される。

意地を通せば窮屈だ。

とかくに人の世は住みにくい』

(「草枕」漱石)

草枕ではこのようなコンテクスト(context)で使われているんですよね。

つまり、どれも、何かしようとすると反発される、反感を持たれる、反対される、やりにくい。。。
このようなことを嘆いているわけですよね。
要するに、(日本の)世間というもののネガティブな面を取り出して漱石が嘆いているわけですよ。

現在の日本にだってこのような風潮がありますよね。
僕は10月28日から1ヶ月間日本に滞在する予定ですが、この漱石の嘆きを感じて気が重くなるんですよ。

カナダのおおらかで自由な気風と比べると、
日本の社会を考える時、実際僕にとって漱石の嘆きは実感なんですよ。

ところで、漱石はロンドンで暮らしたことがある。
彼の気質にも原因があるのでしょうけれど、漱石はロンドンでノイローゼ状態になってしまったそうですよ。
漱石にとって日本は住みにくいと感じたのに、ロンドンではもっと住みにくいと感じたのでしょうね?
だから、ロンドンでは長くは暮らせなかった。

ロンドンでの暮らしは漱石にとって、よほど気が重かったのでしょうね。
それで、日本へ戻ってゆく。
でも、日本でも、やはり、うんざりしている漱石が居る!

僕は海外生活が人生の半分を越しています。
はっきり言って、カナダの方が日本よりも暮らしやすいんですよ。
日本では、とにかく物価が高い。
その点でも海外のほうが暮らしやすい。
ロンドンでも、僕は漱石のようにうんざりとはしなかったものです。

ふるさとが日本にあるから僕にとって日本は懐かしいのですが、心情的には僕にとって日本はすでに外国になってしまっています。

とにかく僕にとって日本というところは暮らしにくいんですよ。
誤解しないで下さいね。
僕は日本が嫌いではありません。

僕が生まれ育った国ですから、僕は日本を愛しています。
しかし、ダメな政治家が下らない政治をしている現在の日本には半ば僕は愛想を尽かしています。

。。で、なぜに日本へ帰るのか?
愛する家族が居るからですよ。

しかし、最近の日本を見て心が痛むのは。。。
“家族殺し!”---これが、やたらに多い!
親が息子を殺す。
息子が親を殺す。
母親が幼児を虐待する!
母親が娘を殺して自分も死ぬ。
。。。
毎日のように、このような事件が報道される。

日本がどこか狂ってしまったのではないか?

このような印象を持つのは海外で暮らしている僕ばかりではない!
日本に暮らしている人でさえ、うんざりしている人がたくさん居る事を僕は知っていますよ!

どうしてこのようなことを書き始めてしまったのか。。。?
うへへへへ。。。。
(いや、失礼!)

漱石が悪いんですよ!うしししし。。。
上の漱石の文章が日本社会のネガティブな面を僕に見せ付けるのですよ!

しかし、このようにして考えてくれば、

“情に掉させば流される”

漱石が使ったこの語句も、僕が思い込んでいたように解釈した方がよっぽど自然だと思いますよ。
つまり、“情に掉さす”とは、素直に同情しないで“水臭いことを言う”ことなんですよね。

。。。するとどうなるか?

日本だったら、当然次のような言葉が聞かれるんですよ。

“そんな水臭いことを言うなよ!”

それで、漱石といえども、うんざりしながら、世間の情に押し流されてしまうわけですよ。
それを、漱石は“とかくに人の世は住みにくい”と感じたわけですよね。

あなたもそう思いませんか?

この方が、よっぽど漱石の心情を汲み取った解釈だと僕は信じていますよ。
では、あなたのコメントをお待ちしていますね。
うしししし。。。

それでは。。。

『情に掉させば流される』より
(2006年10月24日)

2006年に書いていたのですわね?

そうです。

。。。で、グールドは『草枕』のどこにそれ程惹かれたのですか?

どうしたら自由になれるのか?その答えをグールドは『草枕』の中に見つけたのですよう。

グールドは、どのようにしたら自由になれると思ったのですか?

だから、サダコ・グエンさんも書いているように自由を求めて極北の地へ行きたかった。

カナダの北の、人間を寄せつけないような地の極寒の風景であったら、どんな人間でもひたすら圧倒されるであろう。
何千年もの間、人間の醜い争いの元となった宗教などとは無縁の絶対を感じるであろう。
それはグールドのような天才もがひれ伏して、何の不思議もない何ものかである。

グールドは極北で「絶対」を感じる。「絶対」の前では人間なんて、ちっぽけなモノですよう。それで大自然の中に溶け込んでゆく。そう感じることで自分が柵(しがらみ)から解き放たれる。つまり自由になれる。夏目漱石の言葉を借りるならば、それが「則天去私」ですよ。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
なんだか難しいお話でござ~♪~ますわ。
あたくしは極北の地などへ行きたくありませんわ。
あまりにも寒すぎます。

もちろん、あたくしだって世間の柵(しがらみ)から解き放たれて自由になりたいのでござ~♪~ますう。
なにも極北の地へ行くことだけが自由を得る道ではないのですわ。

ええっ。。。? どうするのかって。。。?

もちろん源氏物語の世界へ行くのでござ~♪~ますわ。
平安の昔にさかのぼって日本人の心に触れることによってあたくしは自由になれるのでござ~♪~ます。
おほほほほ。。。

とにかく、あさっても興味深い話題が続きますう。
だから、あなたも明後日、読みに戻ってきてくださいましねぇ。
では。。。

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こんにちは。ジューンです。

日本には「天才と何とかは紙一重」

という諺がありますよね。

うふふふふふ。。。

グレン・グールドは天才と呼ぶにふさわしい

音楽的な才能を持っていたと思います。

それだけに通常の人とは

かなり異なる生活をしていました。

グールドはサダコ・グエンさんも書いているように

極北の地に憧れを持っていたようです。

でも、現実には大都会の

トロントに住んでいました。

電話を離さず、

テレビを好み、

どこへ行くにも車を乗り、

まったく運動らしい運動をしませんでした。

人とはほとんど付き合わず、

もっぱら電話で話すことを好んだそうです。

それは、しばしば何時間も続き、

友人たちには自分から

電話をかけるのを許さず、

話す時間はすべてグールドに

選択権があったと言います。

異常と思えるのは、

自分の食べるものも料理せず、

食べ物と言うよりも

ビタミンや栄養剤などの

薬に依存していたのです。

とにかく、かなり変わっていた生活を

していたことだけは確かなようです。

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてくださいね。

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ


 





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