えっ、まさかー!
そんな馬鹿なことがあるわけないじゃないか!
それを言うのならば、全く話は逆だ!
古代、半島の南端にあった任那(みまな)は、日本の植民地だった。
だからこそ、その奪回のためもあって、天智天皇は、新羅(しらぎ)征伐のために、軍隊を半島へ派遣したんじゃないか!
残念ながら日本は、
白村江(はくすきのえ)で敗れてしまったが、もし日本が植民地だとしたなら、百済(くだら)へ援軍など送らなかったはずだ。むしろ、新羅と組んで、百済をやっつけて、
独立を図ったはずだろうよ。
しかも、戦前、朝鮮は、日本の植民地だった。これは否定しがたい歴史的事実じゃないか!
そんな頓珍漢なことを今更言うな!
バカヤロー!
もし、私が、「日本は古代韓国の植民地だった」と、本気で言いだしたなら、おそらく、上のような罵詈雑言が返ってくるだろうと思います。
実は、全く同じことを、私は、韓国人から言われたことがあって、そのとき、ちょうど、言葉には出さなかったものの、
上に書いたような罵詈雑言をはきたくなったことを覚えています。
その韓国人は言ったものです。「そんなことは、韓国では常識になっている。第一、昔は、文化も、軍隊も、
韓国のほうがずっと上を行っていたんだ。だから、日本が植民地になるのは分かるが、その逆はありえない。
ちょっと考えれば分かるじゃないか!」
確かに、海軍が強かったということは過去にありました。かの有名な豊臣秀吉が朝鮮を征服しようとして2度にわたって
半島へ軍隊を派遣したわけですが、朝鮮では、季舜臣(りしゅんしんーいすんしん、と言う人もいる)という有能な将軍が現れて、
亀甲船(きこうせん)という鉄板で防御を固めた船を作り、見事日本軍を撃退したという過去を持っている。
韓国人の多くは、世界で初めて鉄鋼船を造ったのは、
この将軍だと固く信じています。しかも、韓国では現在、この季舜臣将軍を民族の太陽として、
かつてないほど高くあがめ、その故郷には、顕彰碑が建てられ、聖域化しているほどです。
今でこそ、感情的にならずに、冷静に考えることができるようになりましたが、民族に絡んだ問題を、黒だと信じられていたものを白と言い、
白だったものを急に黒と言われると、その民族の当事者にとっては、どうしても感情的に熱くならざるを得ないでしょう。
そういうわけもあって、そのときは、あまりいい気持ちはしなかったものです。しかし、私は、熱狂的な国粋主義者というわけでもなく、
とりわけ愛国に燃えているというわけでもなかったのです。バブルがはじけてからというもの、日本はかつてないほど、経済的にも、
社会的にもだいぶ問題を抱えていますが、私はもちろん日本を毛嫌いしているわけでもありません。
すでにカナダで20年以上暮らしていますが、日本で生まれ育ったということと、
日本のふるさと、あるいは、私の体の中に流れている日本人の血、多分そのようなもののためでしょうか、
オリンピックで日の丸の旗が揚がるのを見るのは、やはり、今でも気持ちのいいものです。
個人的な話になりますが、私の世代の多くは日本の政治社会に対して批判的な目を向けられるようにできています。
戦後の反動で、日本の教育が、アメリカ風に、かなり自由主義的になって、映画、音楽、文化的なものや、考え方、
生活習慣までが、どうかすると、アメリカ一辺倒になっていたような観がありました。
私がカナダで暮らすようになったのも、そういうことと無関係ではありません。私の学年は、史上最も受験生が多かった世代で、
受験地獄・受験戦争を通り抜けてきました。大学紛争、あの東大安田講堂を過激派が占拠して、機動隊の出動を見て、
初めて、なんとか静まったというのは、私が、大学生の時でした。日本赤軍がいろいろな問題を起こしたのも、それからまもなくのことでした。
要するに、ある意味では、激動の時期だったような気がします。権威が崩れだしたというか、少なくとも揺るぎだしたというか、
今から思えば、その後、田中角栄首相のロッキード問題などの起こる前兆が、見え始めていたようにも思えます。
これじゃあ日本はだめになる。
私の頭のどこかに、そんな感じがひっかかっていて、日本を捨てるというつもりはなかったものの、とにかく、アメリカを見てみようという
思いがどうしようもなく頭をもたげてきました。子供の頃、テレビで、「パパは何でも知っている」、「名犬ラッシー」、
「ララミー牧場」、「ローハイド」、「ガンスモーク」、。。。そういったアメリカ製番組を吸い込まれるように見ていたものですから、
アメリカは、私にとって、オーバーに言うならば、第二の故郷のようにも思えていました。
ところが、ひょんなことから、カナダへやってくる羽目になりました。それから、早いもので、もう20年が過ぎてしまいました。
なぜこうも、くだくだと、個人的なことを述べたかというと、あまり日本にこだわらないたちの私でも、 「日本は古代韓国の植民地だった」
というようなことを耳にすると、いい気持ちがしないものです。
歴史を見ると、民族間の紛争・戦争というのは実に多い。それもよく分かるような気がします。
「日本は古代韓国の植民地だった」というようなことを言われたぐらいで、
しかも、日本を離れて数年がたっているにもかかわらず、そういうことを、韓国人から言われると、いい気持ちはしない。
ここで、言っておかねばならないことですが、私は、いたって人種的偏見は少ないほうだと思っています。事実、韓国人の友人
もいますし、これまでに、民族的なことで喧嘩をしたということはありません。
ところが、「日本は古代韓国の植民地だった」と言われると、理屈抜きにして、どうもしっくりしない、なんとなく、イヤーな感じがするものです。
しかし、よく考えてみれば、全く考えられないというわけでもありません。「植民地」という言葉は適当ではないかもしれませが。。。。
確かに、古代、韓国の文化も軍事力も相当なものでした。古代日本は、朝鮮半島を経由で、中国の文化を吸収してきました。
「そんなことは、韓国では常識になっている。第一、昔は、文化も、軍隊も、
韓国のほうがずっと上を行っていたんだ。だから、日本が植民地になるのは分かるが、その逆はありえない。
ちょっと考えれば分かるじゃないか!」 知り合いの韓国人はそう言ったのですが、果たして、韓国で常識になっているのかどうかは、
確かめたことはありません。
そういうわけで、とにかく古代日本を考えるきっかけになったのが、この言葉でした。日本では、一時、邪馬台国論争が盛んでしたが、
百家争鳴の観があって、いまだに解決を見ていないようです。少し、視点を変えてみたならば、意外なところから、
解決の道が見えてくるのではないか? そうも考えて、私なりに、少し違った視点から、古代日本を見直してみようと思い立ったわけです。
そういうわけですので、もし、時間があるようでしたら、面白そうなページだけ拾って、読んでみてください。