この物語は歴史上の出来事に基づいて作られたかもしれません。なぜなら紀元前4世紀にディオニュシオス一世(431?~367BC)が、
実際にシラクサを専制者(僭主tyrant; 405~367BC)として治めていたことがあるからです。シラクサと言う町はシシリーで最も豊かな都市でした。
多数の使用人が彼の回りにはべって、至れり尽くせりの世話をしていたのです。
壮観な宮殿でぜいたくに包まれ、豊富な衣類および宝石は選り取りミドリ、まれな芳香や香辛料は溢(あふ)れんばかり、極上の食べ物もふんだんにあり、
また、美しい女性に取り囲まれていました。しかし、ディオニュシオス王の心は、何となく不安でした。その満たされない心の不安を紛(まぎ)らわそうと
宮廷にたくさんの“おべっか使い”をはべらせていたほどです。
ダモクレスはそのようなおべっか使いの一人でした。 絶えずディオニュシオス王を賞賛していたのです。
実際、シラクサの多くの人々が、ディオニュシオスの莫大な富および権力を羨(うらや)んでいました。
ダモクレスは、ディオニュシオス王によく言ったものでした。「陛下は何と幸運な人でしょう!誰もが望むものすべてを持っています。
陛下はこの地球上で最も幸福な人に違いありません」
このような決まりきったおべっかを聞いていたディオニュシオス王は、ある日、ふとある考えを思いついたのです。ダモクレスにあることを教える、よい機会だと思ったのでした。
それで、おべっか使いに言いました。「ちょっと聞いてくれ。私がお前になって、お前が私になる。そんな風に立場を変えて見ようと思うのだが。私の王座に座りたくないかね?」
「陛下、きっと、私をからかうつもりなんでしょう?」
「いいや、決してからかったりなどしておらん。私は至極まじめなつもりだ」
「ほんとですか?」 ダモクレスは、なお不信に思ってキラッと光る王の目の奥を見つめました。しかし、ふざけている様子は見えませんでした。それで彼は言ったのです。
「本当に私が宮廷の贅沢と悦楽をたった一日でも味わえたら、もう私はそれ以上の幸福を決して望まないでしょう」
それを聞いたディオニュシオス王は言いました。「分かった。これできまった」
翌日、ダモクレスは美しい女性たちに囲まれて王様のようにもてなされ、見たこともないような豪華なご馳走に舌鼓を打ち、
もうまるで夢のような幸福に浸ったのでした。
もう愉快でたまらないといったような風情で、ダモクレスは口にカップを持ってゆきました。その時でした。彼はふと天井に眼をやったのです。
途端に、ぎょっとして彼は身を硬くしました。
何と、光にきらめいた鋭い刃を持つ剣が天井から吊るされているではありませんか。
しかもそれは一本の細い馬の毛で吊るされいるに過ぎないのです。その刃は、まさに彼の眉間に突き刺さるように吊るされていたのです。
ちょっとでも動けば、その剣が落ちそうに見えました。そうでもなければ、彼は脱兎(だっと)のごとくその部屋から飛び出していたでしょう。
「どうしたのかね?」 ダモレスクの様子を見た王は尋ねました。「なんだか急に食欲がなくなったようだが」
「け、け、剣」 真っ青な顔をして、彼はささやくような小声で言いました。 「剣が、あの 。。。 あそこに 。。。 見えませんか?」
「ああ、剣かね。もちろん、私にも見えるよ」 王は答えて言いました。 「私は毎日あれを見ているんだ。あの剣は、いつでもああして私の頭上に吊り下げられている。
もしかすると、ある日、私のアドバイザーのうちの一人が妬(ねた)んで、私を殺そうとするかもしれない。あるいは、誰かが、私に関する悪い嘘を広げて、
民衆を扇動し私を倒そうと反乱を起こさせように仕向けるかもしれない。あるいは、また、近隣の王が、私の王座を奪おうと軍隊を差し向けるかもしれない。
もしかすると、私が、自分の没落をもたらすような愚かな決定を下すかもしれない。一国の王になりたければ、
このようなもろもろの危険を受けとめるだけの心の準備が出来てなくちゃならない。これがリーダーシップに付いて回る責任の重石(おもし)とでも言うものさ」
「なるほど」 ダモクレスはつぶやきました。それからというもの彼は王様と場所を交換したいなどという気持ちは二度と起こりませんでした。
誤解していたことを悟り、ダモクレスは富と名声を羨(うらや)む気持ちがなくなりました。 そのように気づいたことを幸いだと思いながら、
彼は自分の粗末な家へ戻って行ったのでした。
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