Google
A revolving earth (earthani.gif--64x64) Beaverland Net
小百合物語
 

 

Beaverland Net Revised Japanese Ancient History logo (jhist02.gif--140x300)

 

Idioms logo (idioms.gif--140x300)

 

 

Proverbs logo (proverb1.jpg--140x280)

 

Net Artist Page logo (netart3.gif--140x365)

 

 

Unlisted Slang logo (slangs.gif--140x260)

 

Beaverland Net Revised Japanese Ancient History logo (jpnword.jpg--140x360)

 

Mythology logo (myth007.gif--140x380)

 

Beaverland Net HTML Made Easy! logo (html01.gif--140x160)

 

JavaScript Made Easy! logo (javascrt.gif--140x360)

 

Beaverland Japonica banner (japonic3.gif--140x360)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
夫婦関係
2008年8月2日

全然 私は女っぽくないですよ

投稿日時: 2007-11-16 13:20

1ヶ月の間 電話をしたり、会ったり
デンマンさんの生活におじゃましたので
恐縮していますが、楽しかったです。

さらにブログにまで登場させてもらえて うれしいです。

レンゲさんも、ずーっと長い間サイトの中で
生き続けていて、楽しそうですね。
レンゲさんと共存共栄したいですよ。

by 小百合

小百合さんにそう言ってもらって僕もメチャうれしいですよ。
\(^_^)/ キャハハハ。。。

今年5月 ぐらいからです。 こんな忙しくなったのわ。
その前は 父も母も自分で歩けて、洗濯したり、ゴミだししたり、不自由なく元気でした。

土、日は 東京や横浜、軽井沢が好きで 子供を連れていくので車で移動してました。
その道中をいつも気をつけろ!と父は ハラハラ心配して電話をくれました。
冬にスキーにいくと言えば雪道を心配して、両親は寒いからと。。。

毎年の夏休み Vancouverの飛行機を心配して、
私からの電話をどれだけ首をながくして待ってたか。
BC Tel で電話番号をもらうと いつも違う番号で。。。
それをメモして 長い番号にもかかわらず
日本から電話を良くくれて 私達を心配してくれました。
でも両親をVancouverへ1度も連れて行かず、 絵はがきだけでした。

うん、うん、うん。。。そうですか。。。
家族和気藹々(わきあいあい)で楽しい雰囲気が感じられますよ。
良いおとうさんだったのでしょうね。

お父さんが亡くなって、お母さんも力(ちから)を落としたでしょう。

今まで、自分のことだけ でした。 
普段は?というと、主人とは別世帯で 私は山に住んでました。
熊がでると心配され でも私は怖くなかった、
もう10年ちかく鉄砲をもってます(射撃の散弾銃です)
山の人は知っていて 私に言い寄ってきません。

小百合さんが静かな山のたたずまいを愛しているとは
ちょっとばかり意外でしたが、
平安時代に生まれ育った事になっている“卑弥子”さんの“奥ゆかしさ”に通ずるのかもしれませんね。
\(^Д^)/ギャハハハハ。。。。

小百合さんは魅力的な女性だと思います。
言い寄りたい人は居たと思いますよ。
(*´ー`) フッ

父が 1年半ぐらい前に 肺がん といわれ、なるべく
近い 佐野に移ったのです。
本当は 人の面倒も旦那の面倒も みない私なんですよ。
強いというか勝手な人です。

お互いに自由を尊重しあっているんでしょうね。
僕の知り合いやお客さんの中には結婚していてもお互いの自由を尊重しあっている人たちが多いですよ。
でも、気ままに不倫して、いい加減な人は居ないですね。

やはり家族を大切にしている人がほとんどです。
家族を大切にしない人は人間失格だと僕は信じていますよ。

主人とは15才違うので、どこ行ってもいいけど
子供と一緒に行くのが条件です。

一度だけ電話に出た旦那の声を聞きましたが、
声の印象では優しそうな穏やかな人だと言う感じを持ちました。
小百合さんは可愛がられているんだなあああぁ~。。。
そう思いましたよ!
\(@_@)/

ご飯も私が とぐとまずいらしいのです。
泡たて機でかきまわすだけですので。。。
それで、ご飯を炊く事は余りありません。

味噌汁は朝のまないので主人が作って子供にだします。
全然 私は女っぽくないのですよ。
デンマンさんは私を少し美化していますわ。

念のため。。。

by 小百合 

 (*^ー^);
たまには 絵文字

そうですか?
料理は自慢しないのですね?

しかし、料理、洗濯は女性の必須条件ではなくなりましたよね。

むしろ、料理、洗濯に開放されて、
真の意味で女性も人間になれる時代になったと言うことでしょうね。

小百合さんが自由に活き活きと、すがすがしく生きている。
僕はそんな印象を持ちました。

人間の精神はいつも自由であるべきですよね。
もちろん、家族を大切にすると言う責任を持ちながら。。。

自由な精神を抱いて、
心を解放して大きく世界に羽ばたいて生きてゆきたいものです。
人間は一度だけしか生きられないのですから。。。

小百合さんが自由で、ますます魅力的な女性になってゆく事を信じて疑いませんよ。
では、また。。。

by デンマン

♪(*^▽^*)ノ


『21世紀の小百合さん (2007年11月20日)』より

デンマンさん。。。また小百合さんの、このメールでござ~♪~ますかぁ~

上の引用の中に卑弥子さんも顔を出しているでしょう。。。うしししし。。。だから、もう一度出してみたのですよう。

デンマンさんが勝手に、あたくしの顔写真を貼り付けただけでござ~♪~ますわぁ。

でも、卑弥子さんだって小百合さんが魅力的な女性だと思うでしょう?

あたくしは小百合さんと個人的にお会いした事がないのでござ~♪~ますわ。デンマンさんを通して間接的に知っているだけでござ~♪~ます。

だから、逆に、小百合さんという女性を客観的に見ることができるのですよう。

それは違うと思いますわ。デンマンさんは小百合さんを魅力的な女性としてブログに登場させているのですわぁ。だから、デンマンさんのお話の中の小百合さんは、どうしても魅力的な女性に見えてくるのです。

それで、卑弥子さんはヤキモチを焼いて、いろいろと小百合さんのアラ捜しをするのですね?

あたくしが。。。この、あたくしが小百合さんのアラ探しをしたとおっしゃるのでござ~♪~ますか?

そうですよう。味噌汁を作らない女はダメな女だと、卑弥子さんは次の記事の中で小百合さんのことをボロクソに、こき下ろしていましたよう。

■ 『女と味噌汁 (2008年7月29日)』

だってぇ、やっぱり、味噌汁を作るのは嫁に行った女の務(つと)めだと思いますわ。

だから、それは卑弥子さんの個人的な考え方で、最近の若い夫婦は、家事も育児も分担してやっていると。。。そういうカップルも居るのですよう。そのようなカップルの間では夫も味噌汁を作るのですよう。

でも、小百合さんは、全く味噌汁を作らないのでござ~♪~ますわ。

それには理由があると僕は思っているのですよう。

どのような理由でござ~♪~ますか?

ちょっと次の文章を読んでください。

「どんな人のところへ行こうと、嫁に行けば、女は夫のために邪(よこしま)になるのだ。
そういう僕がすでに僕の妻をどのくらい悪くしたか分からない。

自分が悪くした妻から、幸福を求めるのは押しが強すぎるじゃないか。
幸福は嫁に行って天真(てんしん)を損われた女からは要求できるものじゃないよ」

(『行人』<塵労>五十一)

この言葉は、事実上『行人』一巻を閉じる役目を果たしているが、これこそ漱石の会得した新しい認識を示すものであると私は思う。なぜならばこの言葉は、一郎があれほど意識的に求めた「絶対」の境地などという観念的世界のものではなく、行動の世界のものだからである。ここには、浮薄(ふはく)さを切り捨てた、きびしい愛情がにじみ出ている。
一郎は初めて行動を発見し、予感していると私には思える。いうならば、この方向だけが、彼に「絶対」を把握させるものであろう。なぜならば、行動は行動者から自意識を否応なしに剥奪するからであり、彼を一個の、実在する無に化するからである。そしてそのことは、彼がなす行動が常に絶対的なものであることを意味するからである。(151ページ)

一郎はお直から逃れることではなく、お直の内部にまで進み入ることによってのみ、彼が観念的に希求した絶対的存在の彼自身の中での生動(せいどう)を感じえたであろう。彼らは実際、互いに愛しうるし、互いに互いの仕方で相手を精一杯愛しているのである。それを妨げているのは、奇妙なくらい、愛している女に対して臆病な一郎の態度だったのだ。それは彼の場合、自分自身に対して臆病であることにほかならなかった。彼は自分に対して消してメスをふるいはしなかったからだ。それゆえ、右に引いた一郎の言葉は、彼にとってまったく新しいものだったのである。
そして同時に、漱石の新しい出発を予感させるものでもあったのである。(152ページ)


『拝啓 漱石先生』 著者: 大岡信(おおおか まこと) 出版社: 株式会社世界文化社
1999年2月10日 初版第一刷発行
ISBN: 4-418-99503-X

夏目漱石は『行人』の中で次のように書いているのですよう。

嫁に行けば、女は夫のために

邪(よこしま)になるのだ。

そういう僕がすでに僕の妻を

どのくらい悪くしたか分からない。

嫁に行くと、女が夫のために邪になる、とはどう言う事でござ~♪~ますか?

これはねぇ、何も嫁に言ったら女が悪くなると言うことじゃないのですよう。

だから、どう言う事なのでござ~♪~ますか?

逆に妻の立場から見れば、次のように言えるのですよう。

夫は私のことを期待はずれだと言うけれど、

私の目から見たって

夫は男として期待はずれなのよう。

こう言う事なのですよう。結婚してしばらくすると、夫婦の間で必ずこのような期待はずれの部分が見えてくるものですよう。

デンマンさんもそうでしたか?

もちろんですよう。

漱石は、そのような事をかなり辛らつな言葉で言ってみただけなのでござ~♪~ますか?

そうですよ。漱石の見方は厳しいのですよう。僕が彼の作品を読んで感じるのは、漱石と言う人は他の人にも厳しかったけれど、自分を見る目も厳しかったと思いますよう。だから、イギリスに2年間ほど文部省の命令で留学したときに、ノイローゼになってしまったのですよう。

つまり、夏目漱石と言う人は完璧を望むようなタイプの人間なのでござ~♪~ましょうか?

そういう所があると思いますよう。だから、鏡子夫人に対しても厳しい目で見ていたのですよう。夫人は、しばしば悪妻だと言われているけれど、僕は決して悪妻だとは思いませんね。学歴はないけれど、むしろ頭の良い女性だと思いますよう。

デンマンさんは、どうしてそのような事をおっしゃるのですか?

次の部分を読んでみてください。

筋道の通った頭を持っていない彼女には存外新しい点があった。
彼女は形式的な昔風の倫理観に囚(とら)われるほど厳重な家庭に人とならなかった。
政治家をもって任じていた彼女の父は、教育に関してほとんど無定見であった。
母はまた普通の女のようにやかましく子供を育て上げる性質(たち)ではなかった。
彼女は宅(うち)にいて比較的自由な空気を呼吸した。
そうして学校は小学校を卒業しただけであった。
彼女は考えなかった。けれども考えた結果を野性的に能(よ)く感じていた。

「単に夫と言う名前が付いているからと言うだけの意味で、その人を尊敬しなくてはならないと強(し)いられても自分にはできない。
もし尊敬を受けたければ、受けられるだけの実質を持った人間になって自分の前に出てくるがいい。
夫と言う肩書きなどは無くてもかまわないから」

不思議にも学問をした健三の方はこの点において却(かえ)って旧式であった。
自分は自分のために生きてゆかなければならないという主義を実現したがりながら、夫のためにのみ存在する妻を最初から仮定してはばからなかった。
「あらゆる意味から見て、妻は夫に従属すべきものだ」
二人が衝突する大根(おおね)はここにあった。
夫と独立した自己の存在を主張しようとする細君を見ると健三はすぐに不快を感じた。
ややともすると、「女のくせに」という気になった。
それが一段激しくなると、たちまち「何を生意気な」という言葉に変化した。
細君の腹には「いくら女だって」という挨拶がいつでも貯えてあった。

「いくら女だって、そう踏みつけられて堪るものか」
健三は時として細君の顔に出るこれだけの表情を明らかに読んだ。
「女だから馬鹿にするのではない。馬鹿だから馬鹿にするのだ、尊敬されたければ尊敬されるだけの人格をこしらえるがいい」
健三の論理(ロジック)はいつの間にか、細君が彼に向かって投げる論理(ロジック)と同じものになってしまった。
彼らは、かくして円い輪の上をぐるぐる廻って歩いた。
そうして、いくら疲れても気が付かなかった。


(夏目漱石 『道草』 七十一)
【デンマンが読み易いように改行を加え現代かな遣いに書き改めました。】

この部分などは、鏡子夫人の経歴を調べ、家庭環境を調べ、漱石の経歴を調べれば、漱石が自分と鏡子夫人のことについて書いたことがすぐに分かりますよう。

それで、デンマンさんは、この部分を持ち出してきて何がおっしゃりたいのでござ~♪~ますか?

世間や漱石の弟子たちの間では鏡子夫人は“悪妻”と言う事になっているのですよう。でもねぇ、学があり厳しい目で見つめる聡明な漱石でも、実は、鏡子夫人のことをよく理解していないのですよう。その事を漱石自身も分かっているように見える。

どうしてデンマンさんには分かるのですか?

人を理解するという事は

とっても難しいということ…

ここで明らかなのは、漱石の人間認識がとぎすまされた結果、人間同士の相互認識などまったくあてにはならないものだということだけを最後に見出しているような、そうした、冷徹な懐疑主義だけである。
漱石は、人間関係の生臭いまでの悪臭の中に身をさらしながら、それらを裸にしてみせ、しかもその裸にされた人間たちがいかに不可解であるかについて、いうならば懐疑しているのである。
人間は裸にしてみればみるほど信じがたいももだという認識が、『明暗』を通じて流れる認識の基調である、といっていい。(183ページ)

残された唯一の解決は、行動による溝の否定でしかない。そして漱石は、そこに次第に近づきながらも、その究極的な答えを見出すことなしに『明暗』を中絶して死なねばならなかったのであった。実際には、漱石が溝の克服として行動の世界を見出していたかどうかということも、決して明らかであるわけではない。ただ、認識自体の不確実性を『明暗』においてのごとく究極的に検討しつくせば、残るものとしては認識の否定でさえある行動のみだということが、想像されるばかりである。(184ページ)

事実、ここでは人間の無力さは、ただに、作中人物同士が互いに相手を知りつくすことができないという点においてのみならず、それら作中人物たちの創造者たる漱石自身が、自分の生んだ作中人物たちを知りえず、彼らの行為を一種驚きの目をもって見ているごとく思われる点で、ほとんど完全に表現されているのである。

何度も繰り返して書いたように、漱石の晩年の作品において次第に澄んでくるのは彼の現実観察の眼だけであって、それは澄めば澄むほど、現実の暗い襞の中にひそんでいる醜悪な部分を明るみに出すことしかできなかった。したがって彼は死ぬまで、本質的な散文作家のみが辿る皮肉で苦しい道すじ、己の描き出す世界の醜さに堪えきれずして澄んだ心境を求めながら、心境の澄むことは、逆になおいっそう深く現実の裏面観察へしか彼を追いやらないという、皮肉な道すじを辿り続けねばならなかったのである。(185ページ)


『拝啓 漱石先生』 著者: 大岡信(おおおか まこと) 出版社: 株式会社世界文化社
1999年2月10日 初版第一刷発行
ISBN: 4-418-99503-X

 

大岡さんの評論を読むと、なるほど漱石も人間を理解する事の難しさを分かっていたのだと思う。でも、世間も漱石の弟子も、結局、漱石の側からだけで鏡子夫人を見ていたように思う。

なぜ、デンマンさんは、そのような事をおっしゃるのですか?

漱石の孫の房之介さんが次のように書いていますよう。

『漱石の思い出』は、漱石夫人鏡子の思い出を松岡譲が聞き書きしてまとめたものだ。当初、雑誌に連載、昭和3年改造社より単行本化され、現在あるのは昭和4年に復刊された普及版が原本になっているようだ。
松岡は、漱石の長女・筆子の夫となり、手元にある文春文庫版の解説は、松岡譲と筆子の娘(つまり僕【房之介】のいとこ)の半藤末利子が書いている。その解説にこうある。

「あんなに怖いなら、そしてあんなにお母様をひどい目に会わせるなら、いっそお父様なんか死んでしまった方がよい」と子供の頃の筆子は何度思ったかもしれないという。

そう。家庭人としての漱石は、いったん神経症的な発作が起こると、被害妄想から、とてつもなく抑圧的になり、理不尽な暴力をふるう「怖い父親」だったのである。漱石の家庭内暴力的な側面は『思い出』に詳しく書かれ、漱石研究では必ずといっていいほど引用される資料となっている。
有名な挿話を一つあげる。
英国から帰国直後、まだ5~6歳の筆子が火鉢のそばで遊んでいると、いきなり「こいついやなマネをする」とかいってなぐったという。

漱石の理屈はこうだ。ロンドンで乞食に銅貨を与えた。下宿に帰ると便所の窓に同じ銅貨が置いてあった。あれは下宿の夫人が自分を「探偵」して、これ見よがしに置いたに違いない。それと同じ事を筆子がして自分をバカにした。だから怒った。
確かに火鉢には五里銭が置いてあったようだが、筆子が置いたわけではなく、幼い娘がロンドンのことを知るよしもない。ムチャクチャである。事実とすれば、明らかな関係妄想の例だ。

筆子は、帰国直後のひどい状態の父親を知っており、子供たちの中でも一番の被害者だったかもしれない。彼女や鏡子によれば、その後何度も「病気」をくりかえしたものの、明治43年の修善寺の大患以後、別人のようにやさしくなったという。
僕の父が生まれたのは大患の3年前で、筆子にすればいい時の父親しか知らない。が、それでも父や叔父(父の一つ下)は「怖い父」と思い、叔父などはついに無条件の親しみを感じられなかったようだ。
叔父が6歳にならない頃、射的場に入りたいと父にねだったが、いざとなって怖気づいたために漱石から殴り倒され、蹴られた話は、『漱石の孫』にも書いた。親しみを持ちえなかったのも無理はない。

ところが『思い出』にもあるように四女の愛子などは祖父を恐れず、無邪気に接するので可愛がられ、あまりひどい記憶を残していない。
三女栄子の娘から、僕は苦言を呈された事がある。
「房之介さん、あまりおじいちゃまのことを、悪く言わないでよ」
子供たちの中にも、祖父との関係ごとに異なる漱石像が伝わり、孫の代まで伝承されているのである。僕が父や叔父、他の伯母から聞いた漱石像は、あきらかに「怖い」病気の祖父なのだ。
似たような矛盾した伝承は、弟子筋や漱石ファンにもあるようだ。僕は漱石を敬愛する編集者から『漱石の思い出』は松岡譲が調べた年表にそって誘導尋問をしたもので信用できない、といわれたことがある。
けれど、僕が読む限り、この本の記述は経験的に信用できる。いつの時代でも、夫婦という日常の中では、妻は夫の無意識側を見る本質的は批判者でありうるのだ(自分の事を考えたってそうである)。

ただし、この本が優れているのは、ただ漱石の裏面を暴いたからではない。そこに鏡子の不動の愛情と決意が一貫して流れているからだ。
鏡子は「自分を追いつめるためにわざといるんだろう」と漱石に責められ、何度も離縁を迫られるが、ある時それが「頭の病気」であると知り「それなら自分がいなければこの人はどうなるのか、子供を誰が守るのか」と覚悟を決めた、とある。周囲が心配して離縁を進めるのを、後妻が入ってももつまいし、それより誰も夫のことを心配してくれないのが情けない、とまで言っている。
のち、子供たちが「あの母だからもったのだ」と彼女を敬愛してやまなかったのは、このどっしりと覚悟した鏡子の存在ゆえだったはずだ。
僕が中学頃まで存命だった祖母に、大雑把だが物に動じない太母的なものを感じたのも、ゆえなきことではないだろう。


夏目房之介・著書『孫が読む漱石』
(305ページから312ページにかけて)

。。。んで、デンマンさんは、なぜ漱石の孫の本まで持ち出すのでござ~♪~ますか?

つまり、小百合さんは次のように書いていた。

デンマンさんは、私がレンゲさんのような

ロマンチックな女だと期待しているようですが、

私は、そのような女っぽい女ではないのですゥ。

主人は私のことを「中性脂肪」だと言います。

つまり、女っぽくない脂肪の塊だと。。。


『夢とロマンの軽井沢 (2008年7月19日)』より

小百合さんは夫から「中性脂肪」と言われて悲観して自殺した訳でもない。

もちろんでござ~♪~ますわ。もし、小百合さんが自殺していたら、デンマンさんとの再会もなかったはずでござ~♪~ますから。

つまり、小百合さんは夫の言ったことを半分は聞き流していたのですよう。

要するに、旦那さんが言ったことを半分だけ受け止めていたのでござ~♪~ますか?

そうですよう。

どうしてデンマンさんに、そのような事が分かるのでござ~♪~ますか?

小百合さんは次のように書いていましたよう。

(13年間)バーナビーで夏休みを過ごすことは 毎年私の支えの時間でした。

あの古い家は、夏休みで休むというより
ペンキ、芝のクローバむしり、
りんごの木の手入れ、
玄関まで高く長い階段のペンキはがしや、
しばらくみがかないガラス、
シミだらけのじゅうたん、
BASEMENTはランドリーのホコリとくもの巣、
行けば、掃除ばかりの家に大変でしたが
また戻りたいと思っていました。

ここには、「中性脂肪」だと言われた妻が、鏡子夫人とは異なり「行動」を起こしている。つまり、夏の期間、夫と離れてバーナビーの“山の家”で過ごしながら、家事をやり、子育てをして自分にだって“女らしいことができる事”を行動して自分で確かめているのですよう。

その事を、小百合さんは“(心の)支えの時間”だったと言っている訳なのでござ~♪~ますか?

そうですよう。「中性脂肪」のエピソードを読んで、小百合さんのメールを読み返した時に、僕は小百合さんが心の支えを見出すために“山の家”を持ったような気がしたのです。

そうでしょうか?

漱石の孫の房之介さんがおばあちゃんの鏡子夫人の事について“太母的なものを感じた”と書いているように、もし、小百合さんの子供たちが成人してから小百合さんのバーナビー時代の事を振り返って書けば、“母は充分によい妻であろうとしたし、子供にとって充分に良き母親でした”。。。このように子供たちは書くだろうと、僕は信じていますよう。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
あたくしは、デンマンさんが小百合さんを庇(かば)いすぎると思うのですわよう。
ええっ?どうしてかって。。。?

小百合さんがデンマンさんに魔法をかけたからですわ。
どんな魔法かって。。。?

小百合さんはデンマンさんに次のような魔法をかける手紙を書いたのですわよう。
おほほほほ。。。

前略

かなり急いでやって来たので

なんとなく急(せ)いてます。

まだ、小旅行の途中ですが、

小切手同封します。

アレぇ~~

ちょっと慌てたのでついてしまいました。

上のシミ、何だか分かりますか?

ゼリーフライのソースです。

うふふふふ。。。

食べながら書いているのが

バレてしまいましたね。

代わりの便箋がないので

この便箋で送りますよう。

急ぎます。

駆け足。。。駆け足。。。

どこの郵便局から送ったか?

分かりますか?

分かりますよね?

うふふふふ。。。

早々

小百合より。

5月1日


『メルヘンの夢とロマン』より
 (2008年5月10日)

 

 

 

 

とにかく、また、あさっても面白くなりそうですわ。
あなたも、どうか読みに戻ってきてくださいね。
じゃあねぇ。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』

こんにちは。ジューンです。

そうですよね。

小百合さんは、かわいらしい

図柄の便箋を使って

ユーモアと親近感を込めながら、

デンマンさんの心をくすぐるように

書いていますよね。

ゼリーフライのソースのシミが

便箋に付いてしまったのですけれど、

その事もデンマンさんの心をくすぐる

材料にしてしまっています。

小百合さん自身も

デンマンさんが魔法にかかったのではないか。。。?

どこかで、そのような事を書いていましたわ。

デンマンさんにとって、小百合さんの手紙が

よほど印象的に残ったようですわ。

ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

時間があったらぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


 





御意見・御感想
とても良い 良い まあまあ 良くない 最低

お名前:
Email アドレス:
御感想を書いて下さい。



Amazon Electronics Bargain Corner (amazbagn.gif--550x280)

Denman Blog
Re-Discover JAPAN
inserted by FC2 system