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萌える長歌
2008年4月5日

永久 (とわ)

 

 

去り際に

言葉なければ

その香り

わが身に残し

永久と願わん

 

by めれんげ内親王 (merange)

2008.04.02 Wednesday 18:12


めれんげ内親王の歌を受けて

伝万大納言が答えて詠める短歌一首。

 

妹の香

 

 

去りがたく

言葉なけれど

妹(いも)の香(か)を

心のうちに

永久(とわ)にとどめむ

 

by 伝万大納言 (デンマン)

2008/04/04 1:37 PM


萌える長歌

めれちゃんが

不正にめげず

頑張って

いつものように

歌を詠み

いつに変わらず

学習し

さらに良い歌

つくりつつ

コメント受けて

反省し

チャイナドレスで

写真撮り

伝万の心

喜ばせ

ネット市民も

喜ばす

嗚呼、かわゆいな

めれちゃんは

いついつまでも

このままに

歌を詠みつつ

写真撮り

更なる努力

続けてる

いついつまでも

いつまでも

麻呂はいつでも

妹(いも)のこと

じっと見ている

カナダから

浪速の空の

春めいて

妹(いも)はますます

美しく

心静かに

身は清く

内親王の

めれちゃんは

更なる努力

続けます

嗚呼、めれちゃんや

めれちゃんや

麻呂の心は

萌えている

この萌え萌えの

恋心

熱き血潮も

くみとって

妹(いも)はゆくゆく

とこしえに

めちゃ、うるわしく

ちょう、愛らしく


【デンマン注】

うしししし。。。

現代版長歌(ちょうか)を

作ってみましたよゥ。

長歌とは、

めれちゃんは知っている

と思うけれど、

ミーハーのために、

うへへへへ。。。

「五・七」の音を

交互にくり返したあと、

最後を「五・七・七」の音で

終わらせるという、

和歌の一種で~♪~す。

ふつうは、そのあとに

反歌と呼ばれる短い歌が

つけられることが多いのですが、

ボクちゃんは

省きましたよう!

\(^Д^)/ギャハハハハ。。。。


『即興の詩 永久』のコメント欄より
  (2008年4月2日)

デンマンさん。。。今日もふざけていますわね?

やだなあああぁ~。。。ふざけていませんよう。かなりマジですよう。僕の短歌を読んでくださいよう。ふざけていたら、このような短歌は詠めるもんじゃないですよう。

短歌はいいとしても、長歌はかな~りふざけていますわ。

それは、たまにはちょっぴりユーモアを込めて書かないと、こういう昔の歌は面白くないのですよ。

でも、どうして急に長歌を書く気になったのですか?

うん、うん、うん。。。良い事を聞いてくれましたよ。実は“短歌”は誰もが知っていると思うのですよ。でもねぇ“短い歌”があると言うことは、当然“長い歌”もあると言うことですよねぇ。つまり、「長歌」ですよう。

。。。ええ。。。言われてみれば確かに、そう言う事になるでしょうね。

“ながうた”と言うのは、結構耳にするのですよ。でも、これは「長唄」と書くのですよ。レンゲさんも知っているでしょう?

ええ、三味線音楽の唄い物の代表的なものですよね。

そうですよ。実は、「長歌」と書いて“ちょうか”と読むのが“短歌”の、いわば反対語で「長い歌」なのですよ。

デンマンさんは知っていました?

もちろん、知っていましたよ。なぜなら、僕は以前、山上憶良(やまのうえのおくら)が詠んだ長歌を記事の中で書いたことがあるのですよ。模範的な長歌なので、ここに書き出しますよ。

山上憶良の「貧窮問答歌」

風まじり 雨降る夜の 雨まじり
雪降る夜は 術もなく
寒くしあれば 堅塩を
取りつづしろひ 糟湯酒
うちすすろひて しはぶかひ
鼻びしびしに しかとあらぬ
ひげかきなでて 吾をおきて
人は在らじと 誇ろへど
寒くしあれば 麻ぶすま 引き被り
布肩衣(ぬのかたぎぬ) 有りのことごと 着そへども
寒き夜すらを 吾よりも
貧しき人の 父母は 餓え寒からむ
妻子(めご)どもは 乞ひて泣くらむ この時は
いかにしつつか 汝が世は渡る

天地(あめつち)は 広しといへど
吾がためは 狭くやなりぬる
日月(にちげつ)は 明しといへど 吾がためは
照りや給はぬ 人皆か
吾のみや然る わくらばに 人とはあるを
人並みに 吾も作れるを
綿も無き 布肩衣の 海松(みる)のごと
わわけさがれる かかふのみ
肩に打ち懸け 伏いほの
曲いほの内に 直土に 藁解き敷きて
父母は 枕の方に
妻子どもは 足の方に 囲み居て
憂へさまよひ かまどには 火気ふき立てず
こしきには 蜘蛛の巣かきて 飯炊く事も忘れて
鵺鳥の のどよひをるに
いとのきて 短きものを
端きるといへるがごとく 楚取る
里長が声は 寝屋處(ねやど)まで 来立ち呼ばひぬ
かくばかり 術無きものか 世の中の道

(反歌)
世の中を憂しとやさしと思へども
飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

風交じりで雨が降っていると思えば、雨がだんだん雪になってしまったなあぁ~
寒くてどうにもならんよ。塩でもなめながら、糟湯酒をすすることにするかな。
ああもう、くしゃみは出るわ鼻水は出るわ。
それでも、ヒゲをなぜながら、「この世にはワシはワシ一人しかおらん!」と誇らしく思うけれど
寒さに変わりはありゃせんわ。頭から麻布団かぶって、
ありったけの着物かきあつめて着ても、
それでも寒いなぁ~ ワシより貧しい人の、とおちゃんやかあちゃんは、腹空かして寒がっているだろうなあ。
女房子供は、ハラ減って泣いているだろうなぁ~
そういう時、あなたなら、どうします?この厳しい世間で生活するって、大変ですよね。

世間は広いと言うけれど、
ワシには狭いんだよねぇ~。どこにも逃げ場がないんだよ。
お天道さんもお月さんも明るいと言うけれど、ワシは、
いっこうに陽の目を見てないよ。
皆、一緒かなぁ。ワシだけかなぁ~。 人並みに生まれてきたはずなのに。
綿も入ってない着物、ワカメみたいに
びらびらになってるのを、カッコだけ肩にひっかけて、着てはみるのだけれど。
ボロ屋の土の上に直(じか)に藁(わら)をばらまいて、
オヤジとお袋は枕の方に、女房子供は足の方で、ワシを囲んで
泣き暮らすみたいに寝ているのですよ。かまどに火の気もないし、
お釜には蜘蛛の巣張って、それというのも、米炊くのも忘れるほど何もないんですよ。
鵺という鳥が、獲物をさらう時には、
弱いヤツを選んでさっとはさんでくっちゅうけれど、
ワシらもおなじ弱い者や。おおおお~、またかぁ~、里長が怒鳴りこんで来たよ。
まだ税金を取り立てるつもりなのか?ひどすぎる!厳しい世の中だなあ~。

(反歌)
世渡りはいつの時代でも大変なんだよね。
でも、鳥ではないんだから、
飛び立って蒸発するわけにもゆかないし、
現実逃避は、やっぱ、ダメだよねぇ~。


『万葉集の謎と山上憶良 (2006年7月1日)』より

この長歌は、有名も有名!。。。、知る人ぞ知る超有名な長歌ですよう。

つまり、知らない人は知らないのですわね。うふふふふ。。。

うへへへへ。。。当然の事を言ったまでですよう。

それで、デンマンさんは、なぜ「長歌」を持ち出したのですか?

和歌と言えば、たいていの人が平安時代の短歌を思い浮かべると思うのですよ。レンゲさんはどうですか?

そうですわね。小野小町が詠んだ短歌などを思い浮かべますわ。

そうでしょう?どうして、長歌でなくて短歌なのですか?

圧倒的に短歌が多いからですわ。

その通りですよ。だから、和歌と言えば短歌だと思っている人もかなり居ると思うのですよ。でも、長歌も和歌の一種なのですよ。

。。。で、どうして短歌は現在でも詠む人が居るのに、長歌はどうして廃(すた)れてしまったのですか?

実は、その事が書きたかったのですよ。

デンマンさんは廃れた理由をご存知なのですか?

いや、はっきりとした理由は分かりません。ただ、ネットで調べていたら次のような説明に出くわしたのですよ。

「長歌」が衰えてしまった理由

「長歌」は、もともと、古代の「氏族」という共同体が、昔から引き継いできた「伝承」という意味がありました。
つまり、その「氏族」が代々もっていた、「伝説」という意味がありました。
ですが、日本が大和朝廷によって統一されると、次のようなことがおこりました。
それは、「氏族」を共同体とした考えかたから、大和朝廷を共同体とする考えかたに移りかわる、ということです。

そのため、もともとあった「氏族」という共同体が消えてなくなっていくという歴史をたどっていきます。
そしてそれは同時に、「長歌」という形式の歌謡が必要なくなったことになります。


『長歌』より

上の説明にデンマンさんは納得がゆかないのですか?

この説明には僕は全く同意できなかったのですよ。

どうしてですか?

柿本人麻呂という、これも知る人ぞ知る超有名な万葉歌人が居ますよね。レンゲさんだって知っているでしょう?

ええ、名前はよく耳にしますわ。

この柿本人麻呂が万葉集の中にたくさんの長歌を残しているのですよ。でも、僕が読む限り人麻呂が詠んだ長歌は、どれも氏族の伝承とは全く関係ないのですよ。

つまり、氏族の伝承とは関係ない長歌が万葉集の中にはたくさん収められている、とデンマンさんはおっしゃるのですか?

その通りですよ。だから、上の説明では、人麻呂よりも後に生まれた歌人がどうして長歌を詠まなくなったのかの説明になっていないのですよ。

それで、デンマンさんはその理由を突き止めたのですか?

上の説明を詠んで納得できなかったので僕は考えてみたのですよ。

それで。。。?

「長歌」の歴史を調べてみたのですよ。

分かりましたか?

いつものように、まずウィキペディアで調べてみましたよ。次のような事が書いてありました。

長歌の歴史

長歌の始まりは古代の歌謡にある。
歌謡(かよう)とは、音楽性を伴う韻文形式の作品のことをいう。
歌詞をその音楽と分けずに言及する言葉であり、朗読する詩歌に対して歌う詩歌を指す言葉である。
民間で歌謡は多く文字として記録されない口頭文学として常に存在した。

長歌は「日本書紀」や「古事記」の中にに多くみられ、五音と七音の句を3回以上繰り返した形式のものが多かった。
それが次第に五・七音の最後に七音を加えて結ぶ形式に定型化していった。

「万葉集」の時代になると、長歌の後にそれを要約する形で、短歌形式(五七五七七)の反歌を付け加えることが多くなった。

平安時代に入り、古今和歌集が編纂される頃になると、和歌といえば短歌のことをさすようになり、長歌は衰退した。

ところが江戸時代になると、国学において万葉集研究が重きをなしたことにともない、再び詠まれるようになった。

太平洋戦争の終戦後に、窪田空穂がシベリアに抑留された次男の死を悼んで詠んだ、長歌史上最長の長歌「捕虜の死」は名高い。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

それで、この長歌の歴史を読んで、デンマンさんは長歌が廃れた理由が分かったのですか?  

長歌が廃れた原因を断定できないけれど推定する事は簡単ですよ。

その廃れた原因とは。。。?

つまり、人間は、ものぐさだと言うことですよ。うへへへへ。。。

そう言う事は上の説明の中に書いてありませんけれど。。。

あのねぇ、手紙で「前略」と書くことがありますよね。最近では、前略と書く人は少なくなったかもしれないけれど。。。

それが、長歌と関係あるのですか?

そうですよ。いわば前略によって省かれた挨拶だとか、前書きが「長歌」に当たる訳ですよ。上の説明の中で次のように書いてありますよ。

「万葉集」の時代になると、

長歌の後にそれを要約する形で、

短歌形式(五七五七七)の反歌を

付け加えることが多くなった。

つまり、長歌を書くのは時間もかかるし、手間もかかるのですよ。読む人だって長い長歌を読まされると、一体何が言いたいのか読み終わってから分からなくなる。それで、要約するために反歌として短歌を書くようになった。

それで。。。?

それならば、長歌など書かずに、初めから要点だけを書いた短歌を書けばいいじゃないか?!そう思う人が出てきたのですよ。それは、当然でしょうね!?長い長歌を書いた後で、要約した短歌を書くということは、同じ事を2度書くようなものですよ。

つまり、万葉集の初期の時代は暇人が多かったのですわね。うふふふ。。。

いつの時代にも、「前の時代はのんびりとして、時間をもてあましていた人が多かったのだろうなあああぁ~。今の時代は、全く忙しくなたものだよ」と考える人が居るのですよ。

そうでしょうか?

万葉集の後期になると、時代が忙しくなったと感じる人が出てくる。それで、長たらしい長歌を書くのを止めて、要点だけを書く短歌が重宝されるようになったのですよ。つまり、人間は本来ものぐさな動物なのですよ。それで電気洗濯機や、電気掃除機を考えるようになったのですよ。なるべく便利に時間がかからないようにとね。。。

短歌もそのようにして発明されたのですか?

僕はこれまでの人類の歴史を考えれば、それが当然の事だと思いますよ。うへへへへ。。。

それなのに、どうしてデンマンさんは「長歌」などと言う歴史の遺物みたいなものを真似て書いたのですか?

その理由も、上の“長歌の歴史”を読むと推測する事ができますよ。次のように書いてあります。

ところが江戸時代になると、国学において

万葉集研究が重きをなしたことにともない、

再び詠まれるようになった。

“歴史は繰り返す”

レンゲさんも、この名言を聞いたことがあるでしょう?

ありますわ。

つまりね、短歌だけを読むと、詠み人が何を言いたいのか分からない歌もたくさんあるのですよ。

そうでしょうか?

そうなのですよ。分かり易いように、僕が具体例を示しますよ。次の持統天皇の歌を読んでみてくださいよ。

春すぎて 夏来たるらし 白妙(しろたえ)の

 衣(ころも)ほしたり 天(あめ)の香具山

これを文字通りに解釈したら全く平凡で、つまらない歌ですよ。“もうすぐ夏になるのだなあああぁ~、香具山のふもとで農民が白妙を干しているから。。。” 初めてこの歌を読んだ時、僕はこの歌の素晴しさが全く分かりませんでしたよ。一体、何のために大伴家持(おおともやかもち)は、この歌を『万葉集』に載せたのか?

つまらない短歌なのに、編者の大伴家持は、なぜ持統天皇の歌を『万葉集』に載せたのですか?

だから、僕も不思議に思ったのですよ。つまらない歌をわざわざ『万葉集』に載せる訳がないだろう!僕だって、そう思いましたよ。

それで、大伴家持が持統天皇の上の歌を選んだ理由がデンマンさんには分かったのですか?

だから、僕はずいぶんと調べまくったのですよ。

でも、デンマンさんはブログの記事を書くので忙しいのでしょう?

そうですよ。でもねぇ、これは人類の謎だと思って僕は7世紀の謎々を解くようなつもりで、マジで熱中して調べたのですよ。

それで、分かりました?

分かりましたよ。僕は上の短歌を次のように解釈したのですよ。

春が過ぎて夏が来たようだ。

天の香具山に美しく真っ白な衣が干してあるなあぁ~

でも、私の心はあの山の裏にある

磐余(いわれ)の池を見ているのです。

大津皇子が自害する前に池の端で

辞世の歌を読んだという。

自害の後で、皇子の妻であり、

私の腹違いの妹でもある山辺皇女が

髪を振り乱し、裸足で駆けて行き、

共に殉死したという。

痛ましいには違いない。

しかし私は、ああせねばならなかったのです。

怨霊になって私を憎んでいるのかもしれないけれど、

私には他にとるべき道はなかったのです。

どうか、心安らかに眠っていて欲しい。

この説明を僕は「長歌」で書いてないけれど、この説明を五・七調で書けば「長歌」になるのですよ。

つまり、長歌の部分を省いて持統天皇は短歌の部分だけを書いたと。。。?デンマンさんは、そう思うのですか?

そうですよ。上の歌を持統天皇は藤原京の宮殿から香具山を見て詠んだのです。

この地図で見れば分かるように、香具山の裏に磐余(いわれ)の池があるんですよね。この池の端で大津皇子は辞世の句を詠んだのです。現在では、ほとんどの歴史家が大津皇子は持統天皇の陰謀によって死なされたと見ています。

デンマンさんもそう考えているのですか?

そうですよ。つまり、持統天皇は結果として自分と血のつながりがある甥の大津皇子と腹違いの妹を死に追いやったわけですよ。この当時は怨霊ということがマジで信じられていた。

それほど怨霊は恐れられていたのですか?

そうですよ。“怨霊の崇り”ということが現在で言えば“テポドンで攻撃を受ける”程度に怖いこととして考えられていたのですよ。持統天皇だって、テポドンを宮殿に打ち込まれたくないので怨霊を鎮魂するために上の歌を詠んだ。それが僕の解釈ですよ。

なるほど。。。

僕の知る限り、このような解釈をする人をこれまでに見た事がありません。とにかく、証拠がないんですよ!

全く証拠が無いのですか?

しかし、状況証拠を寄せ集めれば、このような解釈しか僕にはできないのですよ。関心のある人は、なぜ僕がこのように解釈したのか?を理解するために、ぜひ次の2つの記事を読んでくださいね。

■ 【いにしえの愛を求めて。。。】
『万葉集の中の持統天皇のあの有名な天香具山の歌は、
大津皇子の怨霊を鎮魂するために詠われたのでしょうか?』

■ 【いにしえの愛を見つめて。。。】
不破内親王(安倍内親王とは異母姉妹)は悪霊扱いされています。
果たして悪霊にあたいするのでしょうか?』

つまり、短歌だけでは詠み人が何を言おうとしているのか分からない、と江戸時代の国学者たちが考えて、改めて長歌が見直された、とデンマンさんはおっしゃるのですか?

そうですよ。このような事がしばしば起こるので次のような名言が生まれたのですよ。

“歴史は繰り返す”

そうでしょうか?

つまり、人間と言うのはものぐさで気まぐれな動物なのですよ。うへへへへ。。。

それで、デンマンさんは、ものぐさして、気まぐれで上の長歌を書いたのですか?

僕はものぐさしたわけじゃないけれど、いつもいつも同じような記事を書くのは退屈するのですよね。それで、たまには長歌でも書いたら面白いだろうなあああぁ~、そう思って書き始めたのですよ。うししし。。。

【レンゲの独り言】

ですってぇ~
なんだか、デンマンさんの気まぐれに付き合わされたようで馬鹿ばかしのですが、うふふふふ。。。
でも、意外と面白い内容でしたわ。
あなたは、どう思いますか?

退屈した時には、あなたも長歌を書いてみたらいかがですか?
作曲家の目にとまれば、メロディーを書いてくれるかもしれませんわ。
では。。。

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

あの平安時代の恋する男女が

短歌のやり取りをするのって、

世界的に見ても、ずいぶんと優雅で

教養のある趣味ですわよね。

ところが、デンマンさんも記事で

書いていましたけれど、

最近のネカマの文章を読むと

全く文化も教養も感じられないのですわ。

歴史的に見るとすっかり退行しているのですよね。

そのような愚劣な文章が書かれている

迷惑メールやスパムメールを

1日に50通から100通もらう、

とデンマンさんは嘆いていました。

あなたはいかがですか?

迷惑メールやスパムメールがなくならないのは、

相手になっている“鴨ネギ”が

居ると言うことですよね。

信じがたい事ですが、愚かなネカマの宣伝メールに

引っかかってしまう人が居るのですよね。

あなたは、そう言うオツムの足りない人に

ならないでくださいね。

デンマンさんが面白い記事を書いています。

関心のある人は

次のリンクをクリックして読んでくださいね。

■ 『ネチケットを知らない愚か者たち』
  (2006年3月19日)

ところで、これまで書いたレンゲさんの記事を集めて

デンマンさんが一つにまとめました。

もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、

次のリンクをクリックしてくださいね。

■ 『最近のレンゲ物語 特集』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしてくださいね。

じゃあね。





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