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男女の愛は
閉鎖的か? by デンマン & レンゲ
2009年4月4日
バカバカしい
テーマ: ヲチヲチヲチ~♪
ああ。バカバカしい。 男女の愛が、閉鎖的であるのは当然だ。 それとも、ただのエロなのか? もう、バカバカしくて、相手にもしたくない。 posted by merange 2009-03-08 18:48:47
デンマンさん!。。。これはめれんげさんが書いたのでしょう?
そうですよう。 でも、めれんげさんの『即興の詩』のサイトに書いたものではありませんよね? 違います。めれんげさんはアメブロ(Ameblo)でも、ときたま記事を書いているのですよう。 つまり、上の記事は、めれんげさんがアメブロで書いたものですか? そうですよう。 デンマンさんは、そのサイトで上の記事を見つけたのですか? そうなのですよう。うしししし。。。 デンマンさんが「広い愛」と「狭い愛」について書いたことをめれんげさんはバカバカしいと言っているのですわ。しかも、デンマンさんが漢字馬鹿さんに、いつも言っている事をデンマンさんに言っているのですわ。うふふふふ。。。 レンゲさんは面白いのですか? だってぇ~、デンマンさんを低能児扱いしているのですものォ~。うふふふふ。。。デンマンさんのような低脳な方と、かかわっていると、めれんげさんまでが悪影響をうけてしまいます、と言っているのですわ。うふふふふ。。。
うしししし。。。 デンマンさんまでが、あたしと一緒に笑う事はないでしょう!?デンマンさんは低脳児扱いされているのですわぁ~。 そうですよう。分かっていますよう。 でも、デンマンさんはムカつかないのですか? ムカつきませんよう。 どうして。。。? だってぇ、レンゲさんが次のような素晴しい手記を僕に書いて、ムカつく事がどれだけ愚かな事かと言う事を教えてくれたのですよう。うしししし。。。覚えていますか?
本当のわたしの気持ち
井戸端会議と言われてもかまわないんです。 デンマンさんに対する投稿もいつも常にデンマンさんを満足させられる内容のものなんて書けません。 わたしのIQだって、たしかにあの数値らしいですけど、 ・・・「自慢」ですか。 以前は、ずいぶんと身に余るほどの、 薬だって、先生の処方にのっとって服用しています。 わたしがすぐに感情的になる、すぐキレるヒステリー女ですか。 デンマンさんも、すぐキレますよね。 デンマンさんって冷たい人だと思います。 わたしとしては、とてもしんどくてすぐにでも寝たいけど、 どうぞ、わたしには悪意はないことを、ご理解ください。 by レンゲ 2004/12/24 12:35 『レンゲさん、薬漬けになっていませんか?』より デンマンさんは、あたしが書いたものは何でも保存しておくのですか? そうですよう。レンゲさんが書いたものはレンゲさんと同じように愛(いと)しいから。。。うしししし。。。 急にそのように持ち上げられると、なんだか気味が悪いですわぁ~。。。で、どうして、めれんげさんの書いたものを取り上げたのですか? シェイクスピアの目の付け所は間違っていないと思ってね。 シェイクスピアですか? そうですよう。 なぜ、急にシェイクスピアを持ち出すのですか? 『リア王』の悲劇が思い浮かんだのですよう。 『リア王』の悲劇ですか? そうですよう。分からない人のために、ちょっとばかり解説を。。。
リア王
『リア王』(King Lear)は、シェイクスピア作の悲劇。 長女と次女に国を譲ったのち2人に追い出されたリア王が、末娘の力を借りて2人と戦うも敗れる。 材源 リア王のモデルはブリタニアの伝説の王レイアで、それに関するさまざまな文献が『リア王』の材源となっている。 『リア王』と内容が類似した『レア王』という作者不詳の劇がある(1605年出版)。 しかし、1594年の書籍出版業組合記録に『レア王』の記載があり、同年のフィリップ・ヘンスロー(Philip Henslowe)の日記にも『レア王』を1594年にローズ座(The Rose)で観劇したという記録が残っている。 創作時期 出版登録がなされたのは1607年11月26日で、1606年12月26日に宮廷で上演されたと記されている。 あらすじ ブリテンの王であるリアは、高齢のため退位するにあたり、国を3人の娘に分割し与えることにした。 リアは先の約束通り、2人の娘ゴネリルとリーガンを頼るが、裏切られて荒野をさまようことになり、次第に狂気にとりつかれていく。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 。。。で、なぜデンマンさんは『リア王』を持ち出したのですか? 黒澤明監督の『乱』を観た人は、話の筋が『リア王』と、マジで似ていると思うはずです。 デンマンさんは観たのですか? 僕はバンクーバーで観たのですよう。やはり、素晴しい映画だと思いましたね。観たことのない人のために。。。
乱
『乱』(らん)は、1985年に公開された黒澤明による映画作品である。 あらすじ 戦国時代を生き抜き、3つの城を抱える領土を維持した一文字秀虎。 客人たちの前で愚弄されたと感じた秀虎は、三郎とその重臣である平山丹後をその場で追放した。 太郎の奥方である楓の方は、親兄弟を秀虎に殺された恨みを抱いており、太郎を巧みに動かして秀虎の失墜を画策する。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 黒澤監督も「ライフワーク」だと言っているように、『リア王』にも『乱』にも、その悲劇の共通性があるのですよう。 その悲劇の共通性って何ですか? その事については、すでに僕は一度書いたので、同じ事を書くのは面倒だから、ここに引用しますよう。ちょっとレンゲさんも読んでみてください。
恋愛至上主義のレンゲさん
レンゲさんが書いた上の詩だって、愛の詩として鑑賞するから興味深いわけですよ。それを、いくら仲の良い夫婦だからといって、15年連れ添って、しかもレンゲさんが書いたような詩を妻が夫に向かって書くことは、まず考えられないだろうし、そういう夫婦が目の前でいちゃついているのを見たら、白けるというか、興ざめするというか。。。 でも、そういう御夫婦がいたとしたら、あたしはうらやましいですわ。 だから、レンゲさんのように考える人も居るわけですよ。そういう考え方が悪いと言っているわけじゃない。しかし、太田さんのように芸術至上主義、恋愛至上主義が嫌いで、受け付けたくない人も実際居るわけですよ。 デンマンさんは? 僕も、恋愛が至上だとは考えていませんよ。恋愛至上主義を実践している50才の夫婦が、目の前でいちゃついて、ベタベタ、ネチネチ抱き合ってキスしているのを見たら、白けますよ。 洋ちゃんがあたしの詩に興味を示さないのは恋愛を至上とは考えていないからだとおっしゃるのですか? 当然ですよ。レンゲさんだって、その程度のことは理解しているでしょう?清水君は“愛”を心で感じるタイプというよりも、太田さんのようにオツムで理解するタイプですよ。 デンマンさんもあたしの詩をオツムで理解しているのですか? どちらかといえば、僕も“愛”をオツムで理解するタイプですよ。でも、レンゲさんの生い立ちや、レンゲさんの人格障害を理解しているから、僕にはレンゲさんの詩は特別ですよ。つまり、レンゲさんをもっと知りたいから、僕にとってレンゲさんの詩は、レンゲさんと同じぐらいに愛(いと)しいものですよ。でも、残念ながら清水君には、レンゲさんの詩がそのようなものとして感じ取れない。そういうわけで、レンゲさんは清水君とは“水と油”で心が通わないものだと思い込んでしまう。そういう時に“下つき”と言われたりするから、ますますレンゲさんは清水君との心理的な距離を感じてしまう。それが“見捨てられ感”と結びついてレンゲさんは清水君から離れてしまった。僕は、そのように見ているんですよ。 だから、あたしはデンマンさんとならうまくゆくんです。 それは、僕がレンゲさんと心の恋人としてうまくやろうとしているからですよ。 あたしだって、そう思ってデンマンさんとうまくやろうとしています。 でもね、レンゲさんは恋愛至上主義なんですよ。詩に書いてあることをそのまま現実化させようとする。僕が鼻の下を伸ばしてぇへらぇへら笑いながらレンゲさんを抱いたら、そのまま不倫になってしまう。 これに対して太田さんが次のようなコメントを書いてくれたんです。
恋愛、は否定しなくとも、
それを至上とするのは、 傍から見ていると、醜悪 Name: 太田将宏 私は、“芸術”と人生は、緊張関係にあるのが、それぞれのあるべき姿であろう、と思っているだけです。 恋愛についても、すべて人の思いは、相対的であって、 恋愛、は否定しなくとも、それを至上とするのは、傍から見ていると、醜悪ではないですか。 私も、H.v. Karajanの指揮、演奏する M. Ravelの“Borero”に 僕はさっそく次のような返信を書きました。
レンゲさんの悲劇とは、
正に、レンゲさんが 変わらないところにある Name: デンマン 太田さん、コメントありがとう。
私は、“芸術”と人生は、緊張関係にあるのが、
それぞれのあるべき姿であろう、と思っているだけです。 私の拙文でそれが伝わらなかったとしたならば、 その責は、私にあります。 しかし、ただ頭で考えた結果ではない、 ということは、文章全体で明らかではないでしょうか。 もちろん、僕は理解しているつもりですよ。(笑)
私も、H.v. Karajanの指揮、演奏するM. Ravelの
“Borero”にErosを感じる感性は持っている上で 書いているつもりですが。 僕も太田さんの“感性”を“感じ”ていますよ。
恋愛についても、すべて人の思いは、相対的であって、
何らの客観性のないのは、何のことはない、 本能至上主義ではないですか。恋愛、は否定しなくとも、 それを至上とするのは、傍から見ていると、 醜悪ではないですか。 その通りです。同感ですよ!
これは、知的怠慢だ、と私は思います。
僕もそう思います。 僕が“心で理解するタイプ”と“オツムで理解するタイプ”と言った事は。。。
恋愛についても、すべて人の思いは、相対的であって、
太田さんがこのように書いているように、結局、恋愛についてばかりではなく、思想だとか、人生観、。。。そう言ったもろもろの思考自体が、結局、突き詰めてしまえば“相対的”である、と言う事ではないでしょうか?
しかし、ただ頭で考えた結果ではない、
ということは、文章全体で明らかではないでしょうか。 その通りです。 ただし、僕の“オツム”で上の記事を書いたときに、太田さんが書いた上の文章の部分から、“相対的”に“オツムで理解するタイプ”と感じ取ったわけです。 太田さんの文章の受け止め方も、人によってまちまち、つまり相対的であり、他の人と比較した時に、太田さんが“心で理解するタイプ”なのか?それとも“オツムで理解するタイプ”なのか? このことも極めて相対的な判断です。 そして、その誤解は、このような形でコミュニケーションをとる事によって、より深い理解に到達する。僕は、そのように思っています。 誤解は人の世の常。 ちょっとこれは飛躍しすぎました。(爆笑)
ただ頭で考えた結果ではない、
分かっています。
“Borero”にErosを感じる感性は持っている上で
書いているつもりですが。 分かっているつもりですよ。(微笑) とにかく太田さん、コメントありがとうございました。 ところで、夕べ間奏曲集のAribert Reimann を読みました。 34ページに次のように書いてありました。
"King Lear" の悲劇は、Lear一族の絶滅にあるのではない。
それは、人間とは、Learとは限らずに、変わらないものである、 という処にある。
この部分を読んでかなり考えさせられたのです。 なぜなら、レンゲさんのこれまでの恋愛の破綻を考える時に、 いずれにしても、間奏曲集を興味深く読ませてもらっていますよ。 では。。。 また、気が向いたらコメントを書いてください。 デンマンさんは、あたしの人生観や恋愛観が、これまでに変わらなかったと言うために、これほど長々と引用したのですか? いけませんか? つまり、あたしの過去の恋愛の破綻は、すべてあたしが変らなかったことに原因があるとデンマンさんは、おっしゃるのですか? そうですよう。 デンマンさんは、あたしを。。。あたしを、ムカつかせたいのですか? 違いますよう。。。レンゲさんもやっと悲劇の柵(しがらみ)に気付いて変わろうとした。
不倫は一度だけでした
2007-04-25 10:36 わたしのことに、良い意味での関心を持っていただけて、自分自身を誇りに思えます! でも。 ごくごく平凡なつきあいの事は、 それに、長続きしないというのも誤解ですぅ。 だけど、そんな人たちの思い出を、 いままで、エキセントリックでセンセーショナルな恋愛経験を書きすぎたわたしです… (中略) 案外フツーなレンゲです。 by レンゲ 上の文章の中で書いている「エキセントリックでセンセーショナルな恋愛経験」、「わたしの恋愛の特殊な経験」こそ、僕が言っている「狭い愛」なのですよう。 つまり、それがめれんげさんが言っている「閉鎖的な男女の愛」なのですか? その通りですよう。 。。。で、あたしはやっと、そのような「狭い愛」から抜け出して、自分を変えて「広い愛」を胸に秘めながらデンマンさんとお付き合いしていると。。。? そうですよう。レンゲさんが書いた次の手記に、そのことが良く表れているのですよう。
長いお付き合いになりました
投稿日時: 2007-04-09 11:29 縁は異なもの妙にして有難きものですね
デンマンさん♪ …と、話題を「不倫」にしますね 既婚者であるか否か、ということを 当然、いくら懇意になったとしても 男子「ええやんか。おまえのことホンマに大事にするって!」 男ともだちとして、 学習能力というものが、 それにしても そして、今のわたしはデンマンさんを わたしがデンマンさんに対してキレること… それに… それは、死ぬまで続けなければならないことですが、 by レンゲ レンゲさんは書いています。 今のわたしはデンマンさんを
信頼しています。
わたしがデンマンさんに対してキレること…
今は、自分から一方的に決別するようなことは
考えられないんですよ
互いを人間として尊重しつづければ、
何ら恐れるものはないと、思っています。 これこそ「広い愛」の基調ですよう。 そうでしょうか? だって、レンゲさんは僕を信頼しているのですよう。しかも、僕とレンゲさんは、人間としてお互いに尊重しあっているのですよう。そうでしょう? ええ。。。あたしは、そのつもりですわ。 だから、レンゲさんは『リア王』の悲劇、人間の悲劇の柵(しがらみ)から抜け出して“変わった”のですよう。 そうでしょうか?
だって、「広い愛」に気付いたレンゲさんは、それ以来めれんげさんが上のように言った事を僕に言ってませんからね。。。うしししし。。。
【レンゲの独り言】
ですってぇ~。。。
とにかく、興味深いお話がまだ続きます。
メチャ面白い、
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こんにちはジューンです。
愛と恋の定義は易しいようで
難しいですよね。
日本には“愛(いと)しい”とか
“恋しい”という言葉は昔から
ありましたけれど、
“愛(あい)する”、つまり、
英語圏でしばしば使われる
I love you. という言い方は
明治時代の文明開化の時に
イギリスからその概念“love(愛)”
を輸入したそうです。
だから、今でも愛を告白する時に、
日本人の男性は
次のように言うと思います。
「僕は君が好きだよ」
「僕はきみに惚れてしまったんだ」
「僕はきみに恋してしまったようだよう」
デンマンさんに尋ねたら、日本で暮らしている頃、
女性に対して「好きだ」と言ったことはあるけれど、
「愛している」といった事は一度もなかったそうです。
あなたはどうですか?
ところで、デンマンさんがレンゲさんの記事を集めて
一つにまとめました。
もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、
次のリンクをクリックしてくださいね。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
YouTube 動画
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