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小泉純一郎君は
漢字馬鹿か?
2009年4月18日

  大掃除中 (by 小泉純一郎)

2005-12-31 13:30:21

http://arena.nikkeibp.co.jp/col/20051101/114110/

このリンクを叩き付けたかったのだが、タイミングを逃した。今年の反省として、よく読むように。

この上のコメントは、2005年12月31日にGOOで書いた記事(『群衆の中の孤独!寂しくって死んでしまいたい (その1)』)に“小泉純一郎”と名乗る愚か者からもらったものです。
マジで。。。!

上のコメントの中に貼ってあるリンク先の記事は「インターネットの危ない話」というもので、2005年11月2日の記事です。
非常に面白い記事です。
タイトルは『ブログで自滅する人々(第1回)~ブログで「祭られる」人々』というものです。
タイトルを読んだだけでも面白そうでしょう?
現在でも、リンクをクリックすれば読めます。

ところが、この記事は、元小泉純一郎首相が書いたものでも、“小泉純一郎”と名乗る愚か者が書いた記事でもないのですよう。
それなのに、なぜ、わざわざ「小泉純一郎」と書く必要があるのか?

愚か者のやることだから、愚かな事には違いないのだけれど、
“バカかあああぁ~!”と言いたくなるのですよう。うしししし。。。

しかも、この愚か者がコメントを書いた記事が、『群衆の中の孤独!寂しくって死んでしまいたい』というタイトルなんですよう。
コメントとは、全く関係ない記事ですよう。

『群衆の中の孤独!

寂しくって死んでしまいたい (全文)』
   (2005年12月31日)

なぜ、関係ない記事に、関係ないコメントを書くのか?
愚か者のやることだから、愚かな事には違いないのだけれど、
マジで“バカかあああぁ~!”と言いたくなるのですよう。んも~~

今、僕がムカつく必要なないのだけれど、うへへへへ。。。
4年ほど前の事を思い出しながら、当時の“可笑しさ”がこみ上げてきましたよう。

その愚か者に僕が書いたのが次の返信です。

成りすまし犯罪者の愚か者へ! (デンマン)

2006-01-01 11:40:24

成りすまし犯罪者の小泉純一郎君、

キミのURLを書くんだよ!愚か者!

“名前”の下に“タイトル”とあるけれど、その下の“URL”というのはキミのブログかホムペか掲示板のURLという事なんだよ!

そんなことはネットをやっていれば理解しているはずなんだよ!

小学校3年生でも分かっている事ですよ。(たぶん)
何度も言うけれど、小学校4年生がこれまで僕が投稿を交わした最年少者だけれど、ホムペのURLをちゃんと書いてコメントを付けてくれましたよ!

小泉純一郎君、キミは日本国首相の純ちゃんじゃないんだよ!
99.9999%の確率で僕は断定できます。

もし本当に純ちゃんならば、ちゃんとURLを書いてくれますよ。
もし、書けないのなら、日本の将来はないんだよ!
愚か者のキミにも、そのくらいのことは理解できるだろう?

小学校3年生以下のキミのオツムでは、分からないのかもしれないねぇ~~。
しょうがないねええええ。。。。
病める日本の病根は、君のオツムまで侵しているんだろうねぇ。

全く、日本の行く末が思いやられますよ!
反省したら、今度はちゃんとキミのURLを書いてコメントを書いてね。
お願いしますね。

キミは僕と意見の交換をしたいらしいけれど、“祭られる”事が恐ろしいので自分のURLが書けないようだね。
そのようなチキンな男が日本には多いから、いつまでたっても病める日本が良くならないんだよ。

だいたいだよ、事もあろうに日本国の首相の名前をかたってコメントを書く。。。
一体キミのオツムはどうなっているんだろうねえぇえぇ。。。。?
解剖して覗いて見たいくらいだよ。
キミの脳みそは、たぶんゴキブリにたくさん食べられてしまって空洞がぽっかりと空いているのじゃないかと僕は心配していますよ。

ゴキブリにだけは、脳みそを食べられないようにしないと、君の新年は自滅の新年になってしまうよ。

悪い事は言わないから、真人間になってね。
二度と日本国の首相の名前をかたるような成りすまし犯罪者にならないでね。
お願いしますよね。

このコメントをシャロンさんやジューンさんに読まれたらどうするの?

日本人の頭の程度を疑われてしまうよ!
それでなくても、かつて、マッカーサー元帥が、日本人の頭は小学校6年生程度だと言ったんだよ!

キミのお父さんやお母さんのことだったんだろうねぇ。
そういう親から生まれた君も頭の程度が小学校6年生でストップしてしまったんだよ。へへへ。。。。
かわいそうに。。。。

だめだよ。小泉純一郎君!
シャロンさんとジューンさんが読んだら、本物の純ちゃんまでが小学校6年生程度のオツムしか持っていないのだろうか?と思うじゃないかああああ!

成りすまし犯罪者の小泉純一郎君、キミは日本人の恥ですよ!
恥ずかしいと思ったら、これからはしっかりと自分のURLを書いてね。分かった?
そう。。。
おりこうだね。

じゃあ、キミも、出来たら良い新年を迎えてね。
URLだけは、しっかりと書くんだよ。
それから、日本国の首相の名前を名乗ってはいけないよ!

寅さんだって、それは悪い事だと知っていたと思うよ。へへへ。。。
キミは寅さん好きだろう?
僕も好きですよ。

だからね、小泉純一郎なんて書いちゃあダメだよ!
分かった?
くどいようだけれど、僕は、心から日本が住み良い、すばらしい国になって欲しいんだよ。

君だってそう思うだろう?
ん?
どうでもいいの?

じゃあね、少なくとも、日本国の首相の名前だけは使っちゃダメだよ!

なぜ?

馬鹿だね、キミは。。。。
自分の名前を使うんだよ!
それがいやなら、自分のハンドル名を使うんだよ!
小学校3年生でも知っているよ!

馬鹿だねキミわああアアア。。。。
救いようがないねええぇ。
でも、僕だけは、キミのようなオツムの弱い“社会の落ちこぼれ”の相手になってあげるからね。

寂しくなったらまたおいで。。。
じゃあね。


『群衆の中の孤独!寂しくって死んでしまいたい (その1)』のコメント欄より

“小泉純一郎”と名乗る愚か者は、僕の上の返信を読んだのですよう。でも、上の返信に対して何も書かなかったから、死ぬほど恥ずかしい思いに駆られてハンセ~しているのだと思ったのですよう。
これまでの僕の経験から、そういう事が多かった。
死ぬほど恥ずかしい思いをするから、もう書けないのですよう。うへへへへ。。。

それか、平謝りに謝るコメントを書いてくれたものですよう。
でも、“小泉純一郎”と名乗る愚か者は、謝罪のコメントを書かなかった。

それで、“小泉純一郎”と名乗る愚か者は、きっとハンセ~しているだろうと僕は信じました。
でも、それは間違いだったのです。うしししし。。。

しかし、笑い事ではないのですよう。
考えてみたら腹が立ちますよう。
よりによって、2006年の元旦に、“小泉純一郎”と名乗る愚か者を相手にして僕は上の返信を書かなければならなかったのですよう。
どうして。。。?
なぜ。。。?

しかも、正月三が日がまだ明けない松の内に、“小泉純一郎”と名乗る愚か者が書いたコメントを基にして僕は記事を書かなければならなかった。
それが次の記事です。

■ 『小泉純一郎君からのコメント』
  【2006年1月2日】 (面白い、笑えるコメントの応酬が見られます。)

この上の記事は SO-NET の 『デンマンのブログ』に書いたのですよう。
“小泉純一郎”と名乗る愚か者は GOO の『デンマンのブログ』に、初めてコメントを書いた。
1月2日の記事は GOO にも掲載されている。
ところが、なぜか、GOO の記事にコメントを書かなかったのですよう。
それ以降のコメントは SO-NET の上の記事に書いている。
なぜ?

答えは簡単ですよう。
GOO の記事に書いた僕の返信は、すべて正論が書かれているので、“小泉純一郎”と名乗る愚か者には反論ができなかったのですよね。

“小泉純一郎”と名乗る愚か者が愚かなのは、自分の意見を持ってないくせに相手を批判しようとしているのですよう。
自分のしっかりとした意見を持って、初めて批判ができるのです。
ところが、“小泉純一郎”と名乗る愚か者は、誰かが書いた記事のリンクを貼って批判したつもりになっている。
つまり、まだ「社会的自我」を持っていない小学校3年生と変わるところがないのです。

自分の意見も借り物ならば、
自分のハンドル名まで、元日本国首相の名前を使っている。
実在の人物の名前を使うという事は“成りすまし犯罪”です。
しかし、この愚か者は“成りすまし犯罪”を犯しているという自覚もない!
致命的な精神的欠陥を持っている!

それで、“小泉純一郎”と名乗る愚か者のために、“批判とは何か?”について僕は書いたのですよう。
面白いから、時間があったら読んでみてください。

愚かな小泉純一郎君

この純一郎君が自分のブログのURL、あるいはホムペのURLが書けなかったという事が物語っているように、この純一郎君は僕に批判される事を“祭られる”と思い込んで極度に恐れているのが良く分かります。

つまり、オツムも萎縮しているのだけれど、それと同じように“肝っ玉”もすっかり萎縮しきっているんですよね。
要するに、2ちゃんねるのような匿名掲示板でない限り考えている事が、まともに言えないんです。
書けない!

正々堂々と文章を書いて批判する事が出来ない人間です。
批判するという事は自分を語らなければならない!

どうして自分を語る必要があるの?

あなた僕にそう尋ねるかもしれません。
ちょっと長くなりますが、極めて重要な事なので、以前に書いたことですが、再度ここに書こうと思います。

ところで、あなたはどのようにピカソを批判しますか?

あなたはこれまでに絵を書いたことがあるでしょう?
小学生の時には「図画」とか「図工」と呼ばれた時間がありましたよね。
時には学校の近くの小川や野原に写生に出かけたことを僕は良く覚えていますよ。
僕は絵を書くことが好きでした。
あなたはどうでしたか?

絵を描いたことなら誰でもあると思いますから、分かりやすいので絵を取り上げて話します。
絵を描いてみると、なかなか思ったように描けないものですよね。
目の前の木や花や石や動物が自分で描きたいように、なかなか描けない。
もう、じれったくなる事があるでしょう。
つまり、自分ではこのように描きたいと思っているのに、思った色がなかなか出てこない。
どうしても、家の形が目の前の家と違っている。
奥行きが表せなかったりして、いい加減イヤになってしまう事もあるでしょう。

つまり、図画用紙に書かれている物は描いている人の頭の中にあるものとは違っている。
もちろん、現実の家や、木や、花とも違っている。

ところで、あなたが友達の描いた絵を見るとき、
上手いとか、へたくそだとか、あなたは言葉で技量を言い表しますよね。
また、描いてある物の意味をさぐろうとします。
馬とか犬が描いてあれば、その馬が生き生きと描いてあるとか、
馬の耳が長すぎるとか、かなり具体的に批評が出来ます。
しかし、その馬とか犬の感情となると、見る人によってだいぶ違ってきますよね。

写生画の場合、批評する事は比較的簡単ですが、
抽象画となると、これはなかなか難しい。
なぜなら、具象的でない絵画を見るとき、
見るという行為は個性と文化的バックグラウンドを通してしか見ることができない。

例えば、ピカソのグロテスクな人物画を見るとき、
スペイン人、アメリカ人、日本人、アメリカインディアンの見方はまず違いますよ。
なぜなら、文化的バックグラウンドが違っているからです。
同じ絵を見ているのに日本人の受け止め方とアメリカ人の受け止め方が違うのは、
あなたにも良く理解できると思います。

つまり、生まれも育ちも全く違う。話す言葉さえ違う。
つまり文化が違うんだから、見方が違っても当然です。
でも、全く同じピカソのグロテスクな人物画を見ているのに、
受け止め方がアメリカ人と日本人では全く違うと言う事を考えてみてください。

これは文化的なバックグラウンドが違うと言う事で理解できます。
では、同じ日本人同士ではどうか?
文化的バックグラウンドはほぼ同じです。あまり大きな違いはありません。
同じ日本語を話します。同じ風土で育ってきています。

でも、あなたと僕がピカソのグロテスクな人物画を見たら、
感想はだいぶ違うと思いますね。
なぜか?
個性が違います。

つまり、全く同じ絵が、見る人によって違ってしまう。
つまり、ピカソの絵を見るとき、個性と文化的バックグラウンドを前提としてしか絵を見ることができません。
あなたの心の中にある印象とか、感想とか批判というのは、絵そのものではありえない!
絵とあなたの頭がベッドインして作った子供みたいなものです。そう思いませんか?

つまり、批判や批評をする時というのは絵の本質は、絵そのものからあなたの頭の中に移動してきますよね。
ピカソはどうしてこのようなグロテスクな人物を描いたのだろうか?
と、あなたは考える。
なんでこんな作品を作ったのだろう?
あなたは、一生懸命にあなたの頭で考える。
あなたの個性と、文化的バックグラウンドを基にして。

じっくり見ながら考えて、あなたはその絵の意味する事をあなたなりに分かったような気がする。
絵の本質に迫った気がしてくる。
でも、あなたは知っているはずです。
描いたのはピカソなんだから、いくら考えたって、ピカソがどのような気持ちで、
どのような目的で描いたか?なんて分かりっこない!
でも、見て考える、という行為は、ちょうど好きな音楽を聴くように、
作者がどのような気持ちで作ろうが、関係ないんですね。
つまり、音楽を聴いて作曲家になったような気分が味わえて
いい気持ちで聞けたらそれで充分満足できる。

つまり、絵の本質も音楽の本質も、見る人聴く人の方に移ってゆく。
それでいいと思うんですね。
でも中には作者、作曲家の本質にこだわる人も居る。
そういう人はどうするのか?
インタビューするわけですよね。
ピカソに尋ねるわけです。

それで「批評」を書く。
こういう人たちの事を「批評家」「評論家」というんでしょうね。
作品の本質を「あちらがわ」、つまり作者の方に求める。

でも「批判」するというのは、つまり、作品を語るということは、
つねに自分のバックグラウンドと自分の個性、自分自身を語るということです。

例えば、ヒトラー総統の前を行進するドイツ軍のパレードを映画で見るとします。
一糸乱れぬ軍隊行進。
制服もパリッとして、なかなかかっこいい!
旧ドイツ軍、凄い!

しかし、現在、自由主義に生きている我われがあんな行進をしたいか?
見るのはいいけれど、やるのはめっそうもない、というのが答えではないですか?
全体主義や旧日本帝国のような軍国主義には戻りたくない。
どうしても窮屈な感じで、あんなロボットのような行進など
やれ、と言われてもやりたくないでしょう。

つまり、あの第三帝国のすばらしさを伝えようとして作ったドイツ軍パレードの映画監督は
テーマを現在の我われには届けることが出来ない。
私たちは、まずそのテーマに到達できない。
そうすることの意味を見出せないかもしれない。
つまり、感想、印象、批判は作った人間とは全く無関係ということを知らざるを得ない。

絵を描いたり、絵を見たり、映画を作ったり、映画を観たりするということは孤独な行為です。
なぜか?
作り手や隣で見ている人と感想を共有できないからです。
突き詰めて言えば、個性や文化的バックグラウンドは一人一人皆違うからです。

でも、その孤独な行為をがまんできず、言語化して他の人と共有しようとする。
それが作者に向いている場合、批判、
観客に向いている場合、批評と呼ばれるわけです。

自分が思ったことが自分だけのものだと無意識的に気づいているので、
他の人と一般化する時に批評という言葉が使われます。
だから、批評家とか評論家と呼ばれる人たちが居ます。

そういうわけで、批判すると言う時、あなたは自分の文化的バックグラウンドと自分の個性、
自分自身を語らなければならない。
そうでない限り批判とは言えない。

この上で示した小泉純一郎君の1行のコメントは批判とは言いようがありません。
では、なにか?
公衆便所の落書きです。

これはどうした事か?
つまり、語るべき文化的バックグラウンドと自分の個性がないのではないか?
あるのなら、そのことが語れないのではないか?
語り方を知らないのではないか?

日本には満足に批判できない人がたくさん居ます。
つまり、自分を語ることが出来ない。
あなたはネットで自分を語ることができますか?

何よりも、自分の考え方をしっかりと持っている人が少ない!
欧米のサイトで18年やってから、日本のサイトで3年ほどですが僕は、そう、しみじみと感じますね。

純一郎君も他人の書いたものにリンクを貼っているだけ!
“自分”はどこに行ってしまったの?

じゃあ、オマエはどうなのか?
とあなたは僕に尋ねるかもしれない。

僕のブログの記事を見てください。
どれも長い。
なぜか?
僕は自分の文化的バックグラウンドと自分の個性、
自分自身を語っているからですよ。

出来たら、あなたもそうしてください。
1行から3行の文章で
あなたは自分自身を語ることができますか?

上の小泉純一郎君が書いた1行のコメントで
批判ができますか?

しかし、純一郎君のやろうとした事は僕を批判しようとしているのですよ!
なぜ?
“反省”しなさい、と書いているわけですよ。
何を反省するのか?
どう反省するのか?

それを書くことが批判です。
それを書いていないので“公衆便所の落書き”で終わってしまっているのです!
この純一郎君とは何者か?
捨て台詞を残して逃げてゆく愚劣で愚かな野次馬の後姿なのです!
あなたにも分かりますよね。

リンク先の文章は純一郎君が書いたものであはありません。
もし、そうなら、著者は自分の名前かハンドル名を書くものです。

ところが上の1行のコメントは“自分が居ない”批判になっている。
それは批判ではないんですよね。
公衆便所の落書きです。
それを書いた愚か者が自分のことを小泉純一郎と名乗っている!

もし、日本国首相の小泉純ちゃんが上のコメントを書いたなら、
純ちゃんは1行の公衆便所の落書きしか書けないという事になってしまう!
そんな事はありえない!でしょう?
なぜ?

そんな無責任な首相が居たら、日本の将来はお先真っ暗ですよ!
もし、そうならあなたは、そんな首相が舵取りをしている日本から抜け出したくなるでしょうね。
でしょう?

でも、純ちゃんも、国際的に見たら、あまり変わらない“自分の居ない”政治を日本でやっていますよね。
やっぽり、日本の将来に不安を感じます。
だから、僕はバンクーバーから日本を見ているんですよ。

世界のトップの政治家を見てください。
もっと、もっと、“自分”というものを前面に出しています!

日本には“自分”を持つ人が極めて少ないんです。
だから、2ちゃんねるのような“公衆便所落書き掲示板”があれほど大きくなってしまう!
欧米では考えられない事です!
なぜ?

近代市民の思想というのはフランス革命によって確立されたんですよ!
つまり、本当の“市民”というのは“自分”を持つことです。

“自分を持つ”ということはどういうことなのか?
自分を語ることが出来るという事ですよ!
責任を持つ。いい加減な事は書かない!
だから、欧米の雑誌や新聞には必ず書いた記者の名前が書いてある!
20年前の日本の雑誌や新聞には書いた記者の名前はなかったんですよ。

わかるでしょう?
日本の大衆文化は“匿名の文化”なんですよ!
だから、2ちゃんねるのような“公衆便所の落書き”があれほど大きくなってしまう。

かつてマッカーサー元帥が日本人をじっくりと見て言ったものです。
小学校6年生程度の頭しかない!

今、マッカーサー元帥が生きていたら2ちゃんねる掲示板を見て同じ事を言いますよ!
2ちゃんねるのレベルは世界的に見たら小学校6年生程度の頭を持つ人間が喜んで書くような掲示板なんですよ!
そこからやって来た愚か者が“小泉純一郎”と名乗って上のコメントを書いたんです!

“馬鹿は死ななきゃ治らない!”

この記事を読んでいる小泉純一郎君!
キミもDEMPA55と同じですよ!
小学校の全課程をもう一度やり直した方がイイですよ!

卒業してから、中学校に行って、出来たら高校を卒業して
それから、味噌汁で顔を洗って
もう一度真面目にコメントを書いてくださいね。
お願いします。へへへ。。。

(馬鹿にしているのではありませんよ。つい失笑してしまうんです。。。あしからず。)


『小泉純一郎君からのコメント (2006年1月2日)』より

  

上のリンクをクリックして読んでみてください。
“小泉純一郎”と名乗る愚か者と僕がコメントの応酬をしています。
馬鹿馬鹿しいけれど、面白いですよう。
笑える!

ええっ?どうして4年も前の記事を持ち出したのかって。。。?
実は、“小泉純一郎”と名乗る愚か者が、また現れたのですよう!

マジで。。。?

あなただって、そう思うでしょう。

マジで現れたのですよう。
だから、僕は、ムキになって、こうして長い記事を書く気になったのですよう。うしししし。。。

では、“小泉純一郎”と名乗る愚か者が書いたコメントをお目にかけます。

相変わらず見苦しいな。単細胞だからすぐに飽きられて誰にも相手にされなくなるんだぞ。

by アザイゲ

2009/04/10 1:23 AM


『即興の詩 青空』のコメント欄より

この愚劣で幼稚なコメントを読めば、誰が書いたか?あなただって、すぐに分かるでしょう?

“馬鹿は死ななきゃ治らない!”

昔の人は、良い言葉を残してくれたものです!
4年経っても、相変わらず愚かなコメントを書いているのですよう。

リア王(King Lear)の悲劇は、

いや、リア王ばかりではなく

人間の悲劇というのは、

変わらないというところにある!

by 太田将宏老人

うしししし。。。
では、あなたも、この男の身元が知りたいでしょうから、
じっくりと僕が書いた記事を読んでくださいね。

何を隠そう、この“小泉純一郎”と名乗る愚か者こそ、あの悪名高い“漢字馬鹿”で~♪~す!

“小泉純一郎”と名乗る愚か者の“漢字馬鹿”で~♪~す。

デンマンさんがオイラの事をたくさん書いてくれました。

でも、オイラを、あまりバカにしないで読んでね。

うへへへへ。。。ありがとう!

■ 『漢字馬鹿の再来 (2009年2月13日)』

■ 『漢字馬鹿の悦楽 (2009年2月15日)』

■ 『漢字馬鹿の自己矛盾 (2009年2月17日)』

■ 『あなた、おかえり (2009年2月19日)』

■ 『脳内漢字馬鹿 (2009年2月21日)』

■ 『他人の不幸は蜜の味 (2009年2月23日)』

■ 『漢字馬鹿の恋 (2009年2月25日)』

■ 『馬鹿のモデル (2009年2月27日)』

■ 『漢字馬鹿さん元気?(2009年3月25日)』

【レンゲの独り言】

ですってぇ~
でも、4年も前に“小泉純一郎”と名乗った愚か者を
デンマンさんは、どのようにして“漢字馬鹿”さんだと
特定する事ができたのでしょうか?

コメントの書き方や、言葉の選び方を見ると
確かに、似ているのですが、
それだけで、4年も前の人物を思い出せるとも思えません。

しかも、“小泉純一郎”と名乗った愚か者が
コメントを書いたのは、めれんげさんのサイトなのです。
デンマンさんの洞察力には、本当に頭が下がる思いです。

とにかく、まだまだ面白い話題が続くと思います。
あなたも、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

1999年夏の「東芝事件」は

ネットでも画期的な事件でした。

東芝製ビデオデッキの修理に関し、

その対応に腹を立てた消費者が、

経緯をネットで公開したのです。

東芝側はホームページの一部削減をさせるため

「名誉権と営業権に基づく妨害排除の請求」の

仮処分を申請しました。

しかし、社会的な批判が高まり、

急遽謝罪を表明したのです。

仮処分の申し立ても取り下げました。

やはり、企業と言えども法の下には

個人と平等なのですよね。

「はてなダイアリー」のユーザーとして

デンマンさんが「はてなダイアリー」の問題点について

たくさん記事を書いています。

ユーザーと「はてなダイアリー」との関係も、

もちろん対等であるべきですよね。

ユーザーが不満を表明し、

釈明を求めているのであれば、

「はてなダイアリー」も誠実に対応すべきだと思います。

ネットの世界は単に現実世界の

向こうの虚像ではありません。

東芝事件のように、

ネット上で激しさを増したユーザーの声は、

間違いなく現実社会に戻ってくるからです。

ところで、英語の面白い記事をまとめました。

時間があったらぜひ覗いてくださいね。

■ 『あなたのための楽しい英語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


 





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