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本音と小百合さん
by デンマン & 卑弥子
2008年1月11
Subj: 長い電話お疲れ様でした。
Date: 01/10/2007 1:52:14 AM Pacific Daylight Time From: fuji@adagio.ocn.ne.jp To: barclay1720@aol.com 長い電話お疲れ様でした。 経理をしなくてはいけない。 いくら 請求がきても カナダに納めるのならいいやと思いはじめました。
あの古い家は、夏休みで休むというより 実父の病気に、もう自分勝手にしていては駄目だ。 こんな私でも欲しい物があります。 日本だったら、親をおいていくことなく、ゆけます。 でも、29才からバーナビーで夏休みを過ごすことができた事は 小百合より
今日は小百合さんの本音について語り合うのでござ~♪~ますか?
そうなんですよ。日本で本音で暮らすと言うのは難しいと思うのですよね。僕は人生の半分以上を海外で暮らしていますが、日本で生まれ育っています。社会人として生活した経験もあります。だから、海外の生活と比較して、日本の“本音と建前の社会”の裏と表を知っているつもりです。卑弥子さんは、どうですか? もちろん、あたくしも本音と建前を感じることがありますわ。でも、欧米の生活でも似たような本音と建前はあるのでござ~♪~ますでしょう? そうですよ。確かにどの社会でも、多かれ少なかれ本音と建前はあるモノです。でもねぇ、日本の場合、本音で生きようとすると大きな壁にぶつかって挙句の果てに、どうにもならなくなって自殺したり、愛人同士が心中したり、家族で無理心中したりする。ここまで人間を追い込むような本音と建前の社会は、僕の経験では日本だけですよ。欧米では、そこまで追い詰められないでも本音で生きてゆける。 それで小百合さんの場合はどうだとおっしゃるのですか? バーナビーで夏休みを過ごすことは 毎年私の支えの時間でした。 。。。 29才からバーナビーで 夏休みを過ごすことができた事は 私の人生にとって良かったと思います。 小百合さんはレンゲさんのように素直でざっくばらんな人なんですよ。自分を良く見せようとか、自分を飾り立てるような人じゃなく、できるだけ自分の心に素直に生活している人です。 でも、小百合さんの“支え”であった“バーナビーの山の家”とは、お別れしてしまったのでしょう? そうですよ。お父さんが肺癌になったので、できるだけお父さんのそばに居てあげる、と言う日本的な“義理人情のしがらみ” あるいは “実父と娘の絆” からそうしたのだと思います。実のお母さんも体が弱いらしくて、倒れてしまい、現在は施設に入っているのですよ。 。。。んで、それまでの小百合さんは本音で生きていた、とデンマンさんは見ているのでござ~♪~ますか? そうです。 現在の小百合さんは本音で生きていないと。。。? 今でも、小百合さんは本音で生活しようとしています。バーナビーの“山の家”を手放したのは家族の事情があったからです。 つまり、小百合さんのお父さんが肺癌になったと言うことでござ~♪~ますか? そうですよ。家族の絆は大切だけれど、家族の期待だとか、両親の期待だとかが、日本では往々にして“足かせ”になることがあるのですよね。その家族を取り巻いているのが“本音と建前の社会”です。日本人は“世間”から、どう思われるかということも気にして生きている人が多い。だから、癌にかかった父親をほったらかしにしてバーナビーの“山の家”で気ままに生活している訳にも行かない。お母さんも弱っていて他に面倒を見る人が居ないので、小百合さんは“山の家”を手放してお父さんのそばに居てあげようとしたわけです。 でも、残念ながらお父さんは亡くなってしまったのでござ~♪~ますでしょう? そうなんですよ。お母さんも急に弱って施設に入ることになったのだけれど、そのために小百合さんも忙しくなった。お母さんの施設に1週間に1度か2度通っているのですよ。 小百合さんのご主人は何をやっているのでござ~♪~ますか? 事業主ですよ。 つまり社長さんですか? そうです。設計事務所の所長さんですよ。 。。。つうことは、もしかして小百合さんは真美さんのような問題を抱えているのでしょうか?
オンナは永遠に「恋」をしたい
2007年11月22日10時30分 六本木のサルサパーティに行ってみると「恋人のいるお金持ちミセス」のオンパレードだ。 ご主人が貿易会社の社長で、サルサ歴3年の真美さん(39歳)は今3人目のパートナーと付き合っている。 「主人(43歳)は私の顔を見ると『疲れた』『疲れた』を連発し、食事の後はゴロゴロとソファに寝転がってテレビばかり観ています。 真美さんは、このように話す。 僕は、もちろん、詳しい事は何も知らないのだけれど、小百合さんがそのような破局の道を歩んでいるとは思いませんよ。つまり、もっと健全な道を歩んでいる事は確かです。どのような事情があろうとも、“支え”をバーナビーの“山の家”に見つけたのですよ。真美さんのように破局を迎えているのではありません。 つまり、小百合さんは前向きに生きようとしてバーナビーの“山の家”に“支え”を見い出した、とデンマンさんは思っているのでござ~♪~ますか? そうですよ。上の記事の中の真美さんは正に現代版“心中天網島”のヒロインですよ。この場合の「紙屋の治兵衛」は真美さんです。真美さんは男と心中しないかもしれないけれど破局を迎えているのに変わりがないのですよ。ちょっと、その物語を読んでみてください。
心中天網島
(しんじゅうてんのあみじま)
紙屋の治兵衛は二人の子供と女房がありながら、曽根崎新地にあった当時の高級クラブ「紀伊国屋」の遊女(高級ホステス)小春とおよそ三年にわたる馴染み客になっていた。 ある日小春は侍の客と新地の「河庄」(別の高級クラブ)にいた。 開け放しておいた窓を閉めようと小春が立った時、突然、格子の隙間から脇差が差し込まれた。 窓明かりから小春を認めた治兵衛は窓の側で話の一部始終を立ち聞きしていたのだ。 すると治兵衛を格子に括った侍が今度は間に入って治兵衛を庇い、太兵衛を追い払った。 話を知った治兵衛は怒り、きっぱり小春と別れる事を決めて小春から起請文を取り戻した。 それから10日後、きびきびと働く妻のおさんを見ながらも治兵衛はどうにも仕事に精が出ず、炬燵に寝転がってばかりいた。
そんな夫の不甲斐無さを悲しむおさんだが、「もし他の客に落籍されるような事があればきっぱり己の命を絶つ」という小春の言葉を治兵衛から聞いたおさんは彼女との義理を考えて太兵衛に先んじた身請けを治兵衛に勧める。 おさんの折角の犠牲も全て水の泡になってしまったのだった。 望みを失った治兵衛は虚ろな心のままに新地へ赴く。 そして1720年10月14日の夜明け頃、二人は俗世との縁を絶つために髪を切る。
1969年(昭和44年)には、篠田正浩監督により映画化された。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 治兵衛を見てくださいよ。吐き気を催(もよお)させるほど嫌な生き方をしているじゃありませんか!現代人が見たら、おそらく、ほとんどの人が治兵衛をだらしない男、不甲斐ない男だと思うでしょうね。。。しかも、最後に小春を殺して自殺するのですよ。僕にはとても受け入れる事ができない生き方ですよ。 もし、その時デンマンさんが生きていたとして治兵衛さんの立場に居たとします。デンマンさんはどうするのでござ~♪~ますか? 小春をつれて長崎に行きますね。それでオランダ商館に逃げ込んでオランダへ連れて行ってもらいますよ。 もしオランダ商館の人がダメだと言ったら? そしたら長崎の中国人の家に頼み込んで、しばらく中国語を勉強させてもらって、それから中国人に成りすまして小春を男装させ、船員になって日本を脱出しますよ。 デンマンさんならば、やりそうでござ~♪~ますわぁ~。おほほほほ。。。 とにかくねぇ、しばらくぶりに日本に戻ると、僕は現在でも自分の身の回りに、この“義理と封建制”を感じますよ。 たとえば。。。? 本音は、しばしば正直に表現されない。たいていの人が社会・立場から期待・要求されるように行動していますよ。つまり、本音で生きている人は極めて少ない。 具体的には。。。? “礼儀”だとか、“近所付き合い”とか、“親戚付き合い”、“しきたり”。。。それに、“家族の期待”、“両親の期待”、“世間からどう見られるか?思われるか?”。。。カナダやアメリカならば、考えなくても良いことで悩んでいる人が日本にはたくさん居ますよ。もちろん、上の例のような“禁じられた恋愛”もある。でも、江戸時代のように心中する人はほとんど居なくなりましたよね。そこまでしなくても、最近では、好きな人と同棲する事は、それ程難しい事ではない。 江戸時代には、好きな人と同棲する事はできなかったのでござ~♪~ますか? だから、そうしようとすると、家族が寄ってたかって、上のような事件になってしまうのですよ。それでも江戸時代には情死(心中)が美化されていたのですよ。それがロマンになっていた。つまり、好きな人ができて、それが“禁じられた恋愛”であれば、相手と結ばれるには心中する以外になかった。僕のように長崎に行って密航しようと思っても、当時の日本には関所があるから、家出した時点で手配書が関所に配られてつかまってしまうかもしれない。だから、確かに、心中する以外に方法が無かったのかもしれませんよね。心中した者の名鑑が発行されるほど心中事件が多かった、と書いてありますよ。この風潮を憂えた江戸幕府は『心中は社会秩序を乱す行為』として心中禁止令を出した。 未遂に終わった場合はどうなるのでござ~♪~ますか? たとえ未遂に終わったとしても、当事者は町中でさらし者にされた後、身分を奪われた。死亡した場合、亡骸は罰として家族に引き取らせなかった。野犬や野鳥が食い荒らすままにしたというのですよ。 それは、ちょっとひどすぎますわア。 それでも心中事件は無くならなかったのですよ。つまり、上のような“禁断の愛”の場合、唯一の窮地からの解決策が心中だったのですよ。 現在は、そう言う事が無くなって、幸せな時代になったわけでござ~♪~ますわね。 いや、今でも日本は本音と建前の社会ですよ。 そうでしょうか? その証拠に先進国の中で自殺者が日本は一番多いのですよ。1年に3万人以上。1日に約100人の人が自殺しているのですよ。つまり、1時間に4人が自殺しているのですよ。 どうしてですの? 自殺する以外に解決策が見出せないと思ってしまう社会が現在の日本だからですよ。心中は江戸時代に比べて確かに少なくなったけれど、本音で生きる事が難しい事に変わりがないのですよ。つまり、本音で生きてゆけないから、唯一の窮地からの解決策が自殺ですよ。 でも、真美さんは自殺しないで3人目のパートナーと付き合っていますわ。 そうですよ。だから自殺しない人は真美さんのような「自由」を現在では持つことができるのですよ。治兵衛は真美さんが現在持っているような「自由」をつかもうとしたのですよ。ところが、江戸時代には“家族の絆”、“家族の結束”があったから、治兵衛のだらしなさを見かねて兄の孫右衛門が出てくる。叔母までが首を突っ込む。挙句の果てにおさんの父親の五左衛門が店にやって来る。日頃から治兵衛の責任感の無さを知っていた五左衛門は直筆の起請文があっても治兵衛を信用せず、おさんを心配して紙屋にやって来たのですよ。当然、父としてムカついた五左衛門は無理やり嫌がるおさんを引っ張って連れ帰り、親の権利で治兵衛と離縁させてしまった。現在では、こんな無茶な事はできないけれど、江戸時代の男尊女卑の社会にあっては父親の権威は絶対だった。 つまり、治兵衛が現在生きていたら、真美さんのように何人でもパートナーを見つけて心中するような事はなかったとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか? もちろんですよ。最近では、上の記事のように、男じゃなくて女の方が大胆にパートナーを求めてパーティーに出かけてゆくのですよ。つまり、“女の治兵衛”が出現するようになったのですよ。 それで、現代版“心中天網島”のラストシーンはどのようになるのでござ~♪~ますか? 現在の日本の社会は“本音と建前の社会”であると共に、いや、そうであるから、“生きがいを見出しにくい社会”にもなっている。それで、真美さんのような“女の治兵衛”は心中はしない。大体、真美さんが出るようなパーティーに来る男は自殺するような奴は初めから行かないものですよ。ナンパを目的とするような男ばかりですよ。だから、自殺する気持ちなど全くありません。もちろん真美さんだって自殺する気など全くないでしょう。 それで、真美さんはパートナーを変えながら男をあさり続けるのでござ~♪~ますか? そうですよ。そう言うパーティーに出る男や女は夢やロマンなど持っていませんよ。後腐(あとくさ)れのない、その場限りの火遊びが目的です。だから、真美さんのように一人目の男とも長続きがせず、二人目の男とも長続きがせず、それで現在、3人目の男ですよ。 結局、現代版“心中天網島”のラストシーンはどのようになるのでござ~♪~ますか? “女の治兵衛”はパーティーに出かけて次のパートナーを見つける。でも、そのパートナーとも長続きしない。だから、これが繰り返されてゆくのですよ。やがて年をとってゆき、“女の治兵衛”は誰からも相手にされなくなってしまう。最後は“女の治兵衛”はボロ雑巾のように、精神も肉体もボロボロになって朽ち果ててゆく。現代版“心中天網島”のラストシーンは、“女の治兵衛”が過去の虚しい人生を後悔しながら、寂しく孤独に死んでゆくところで終わるのですよ。 いやですわあああぁ~。。。そのような女だけにはなりたくござ~♪~ませんわあああぁ~。 う~♪~ん。。。その言い方には卑弥子さんの実感がこもっていますねぇ~。うしししし。。。 それで。。。それで。、。。小百合さんはどうだとおっしゃるのでござ~♪~ますか? だから、小百合さんは夢とロマンを持っていますよ。僕が小百合さんに魅力を感じるのはソコですよ。 つまり、別荘を軽井沢に持つと言う事でござ~♪~ますか? 違いますよう!“心の支え”を夢とロマンの中に見出して前向きに生きるという事ですよ。小百合さんは、元日に次のように書いていましたよ。 Subj: 明けましておめでとうございます。 Date: 01/01/2008 3:12:13 AM Pacific Standard Time お正月に何を書こうと迷いましたが 題して“軽井沢不満たらたら編”ですう。
私は群馬で上州だから 那須とか日光には、めったにいきません。 私が学生のころ、高崎から横川へ碓氷峠を登り
今は電車は横川止まりです。 大人は高崎から新幹線のホームへ向かい高いお金を払って、
子供のころ軽井沢ってほんと遠いな~というか 碓氷峠にはいろいろ思い出があります。 東京も横浜も好きでよくいきますが、 佐野はあつい~。 思いつくままに取りとめも無く書きましたが、 2008年元旦 小百合より
どうですか、卑弥子さん?。。。夢とロマンを感じませんか?小百合さんが軽井沢に別荘を持ちたいと思ったのは昨日や一昨日のことではないのですよ。子供の頃の思い出の中に忘れがたい軽井沢があるのですよ。 でも、これまで小百合さんはバーナビーの“山の家”で夏休みを過ごしていたのでござ~♪~ますでしょう? 本音と建前の日本よりもカナダの方が自由な気分を味あえますからね。それに、10年前には軽井沢の別荘は高くて手が出なかったそうですよ。でも、お父さんが肺癌になったことで、小百合さんはバーナビーの“山の家”を手放した。それを機会に軽井沢に別荘を持とうと夢とロマンを膨らませた訳ですよ。 つまり、別荘を持つような夢とロマンを持て!とデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか? 違いますよう!“女治兵衛”になって真美さんのようにパーティーに出て男あさりをする人生にはボロ雑巾の破局があるのみですよ。小春と治兵衛の破綻の道と変わりがありませんよ。僕は別荘にこだわっている訳じゃありません。軽井沢にこだわっている訳でもありません。夢とロマンを持って前向きに生きる事を語っているのですよ。
【卑弥子の独り言】
デンマンさんのおっしゃる事は分かるような気がするのでござ~♪~ますわ。 もちろん、あたくしだって軽井沢に別荘が欲しいのですわよ。 このようなことを言うと、夢とロマンは金が問題じゃない!とデンマンさんはおっしゃると思うのですわ。 でもねぇ~先立つものは何とやら。。。 でも、“本音と建前の社会”では、本当に本音で生きる事は難しいのかしら。。。? どうですか? また、あさって読みにきてくださいね。
ィ~ハァ~♪~! メチャ面白い、
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■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』
私も軽井沢にはデンマンさんとご一緒に
一度訪れたことがありますわ。
この湖は“Swan Lake”という英語名がついているのです。
昔、宣教師の方が軽井沢に別荘を持っていたのですって、
その家族の人たちが名づけたらしいのですわ。
10月でしたが、紅葉が見ごろになっていました。
まだ冬景色には程遠かったのですけれど、
湖にしては小さなその池のほとりに立ったら、
どこからともなく白鳥が飛んできそうな感じがしましたわ。
そう言えば、バンクーバーのクイーン・エリザベス・シアターで
デンマンさんとご一緒に
バレー『白鳥の湖』を見たことがありましたわ。
あの時のチャイコフスキーの曲が聞こえてきたものです。
それで、私はいつになく感傷的になったことを覚えています。
ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて
次のサイトを立ち上げました。
時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
YouTube 動画
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