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ん?社会派?
2008年3月3


width=489 height=318 二人の女性がビキニ姿で寝そべりながらストライキをやっています。

Subj:1月21日

思い出すと、いつも笑ってしまう

Date: 20/01/2008 11:03:32 PM Pacific Standard Time
From: fuji@adagio.ocn.ne.jp
To: barclay1720@aol.com

あれ~ 新しいパソコンからだと
送信できてないのかな?
アド 間違ったのかな?

なぜか思い出し笑い、
うふふふふ。。。

デンマンさんがお母さんを病院に連れて行って、
知らないのですかぁー、っと大学病院の先生と討論になり
説明の最後のサインに読めない英語のサインを書くと
唖然としてた病院の先生。
思い出すと、いつも笑ってしまう

小百合より


『ブルックリンと小百合さん (2008年1月23日)』より

デンマンさん。。。また、この小百合さんからのメールでござ~♪~ますか?

うへへへへ。。。いけませんか?卑弥子さんは、もう読み飽きたのですか?

読み飽きたと言うよりも、ちょっとデンマンさんはしつこいと思うのでござ~♪~ますわ。何度も何度も同じメールを読まされるのはシンドイものなのでござ~♪~ますわ。

だから、僕はいつだってテーマを変えながら卑弥子さんが退屈しないように小百合さんのメールを紹介しているのですよう。

それで、今日のテーマは何でござ~♪~ますの?

だから、タイトルにも書いたでしょう?

社会派でござ~♪~ますか?

そうですよ。上の小百合さんの笑いは社会派の笑いなんですよ。

ん?社会派の笑い?。。。それって、どういう笑いでござ~♪~ますか?

この記事を最後まで読めば、「社会派の笑い」がどういうものなのか?確実に理解する事ができますよう。もし、今すぐに理解したい人は次のリンクをクリックして記事を読んでみてくださいね。

■ 『懐かしい日本、でも… (2007年11月7日)』

この上の記事は社会的に面白いのでござ~♪~ますか?

卑弥子さんも読んでみれば分かりますよう。

それでぇ~、あのォ~。。。今日は社会派の笑いについてデンマンさんが、また長たらしい説明をするのでござ~♪~ますか?

いや。。。長たらしくなるかもしれないけれど、まず僕が去年の夏、詠(よ)んだ短歌から話を始めようと思うのですよ。ちょっと読んでみてくださいよ。

 

葉山にて

船出しようと

月待てば

潮もころあい

さあ、こぎだそう

 

by デンマン   

このかわいこちゃんって、一体誰なの?

このかわいこちゃんが

ヨットの中に居る訳なの?

それで、デンマンよ!

オマエ、このかわいこちゃんとヨットで

葉山から太平洋に船出したのかよ?

ええっ?どうなの?

オマエ、こんなかわゆい女の子と一緒に

本当にヨットに乗って太平洋に出て行ったの?

一体、どういう訳で

このかわいこちゃんが乗ってんだよ?

もっと詳しく話を聞かせてくれよ。。。

どうですか? あなただって、僕の歌に

このような関心を持つのではないですか?


『女帝と美女 (2007年8月18日)』より

これって。。。これって。。。マジでデンマンさんが詠んだ短歌でござ~♪~ますか?

そうですよ。。。どこか可笑しなところでもありますか?

いいえ。。。別に可笑しなところがあるわけではござ~♪~ませんけれど、これって。。。これってぇ~。。。あたくし。。。、どこかで聞いたような気がいたしますわア~。

うへへへへ。。。やっぱり、分かりますかぁ~?

これに似た有名な歌が万葉集に載っているのでござ~♪~ますわア。

さすがですねぇ~。卑弥子さんはダテに十二単を着ているわけではないのですねぇ~?

確か。。。斉明天皇(女帝)に成り代わって額田女王(ぬかだのおおきみ)が詠んだ歌でござ~♪~ますわ。次のようなものでした。

     

熟田津(にきたづ)に

船乗りせむと

月待てば

潮もかなひぬ

今は漕ぎ出(い)でな

さすがですねぇ~。。。卑弥子さんは、ちゃんと覚えているのですねぇ。恐れ入りましたぁ。

でも、どうして今日は急にテーマが社会派になったのでござ~♪~ますか?

フルーツブログで書いている僕の『自分史』を見てくださいよ。

デンマンの自分史
2008
02/23
禁忌の愛』 怨みをのんで死んだ者の霊をその子孫が祀って御霊(みたま)を鎮(しず)めてあげなければならないのですよ。 つまり。。。つまり。。。そのようにして紀氏の怨霊の御霊(みたま)を鎮(しず)めた人が『伊勢物語』を編集したとデンマンさんはおっしゃるのですか? そうですよ。『伊勢物語』には紀氏との関わりの多い人物が多く登場していますよ。在原業平(ありわらのなりひら)は紀有常(実名で登場)の娘を妻としています。その有常の父・紀名虎の娘(紀静子)が惟喬親王と恬子内親王と珍子(よしこ)内親王を産んでいます。
02/24QLEP の 『バークレーの書きたい放題』ブログ Last 24-hour access at 3:00 p.m. 1425 (=651918-650493) 2007年7月25日よりログインできても書き込みが不可能。
02/24はてなダイアリー” の 『バークレーのブログ』 Last 24-hour access at 3:00 p.m. 1946 (=553581-551635)
02/24夢とロマンをねらえ!』 20年前、イエローナイフからトロントに1時間半電話して300ドルほど取られましたが、つい最近、バンクーバーから行田に居る母親と1時間話しましたが3ドルでした。電話代がめっきり安くなりました。飛行機代もそうですよね。僕が初めてカナダに来たとき、片道が24万円でした。
02/25はてなダイアリー” の 『バークレーのブログ』 Last 24-hour access at 3:00 p.m. 2540 (=556121-553581)
02/25『愛と怨霊』 伊勢物語が政治批判の書だなんて教科書には書いてないですからね。でもねぇ、紀貫之がした事と同じ事をした歌人が居たのですよ。 大伴家持(おおともやかもち)ですよ。 つまり、万葉集も政治批判の書だとデンマンさんはおっしゃるのですか? もちろん、歌の本だという事になっていますよ。僕だって、それに異議を唱(とな)えている訳じゃない。でもね、建前は歌を集めた本でも編者にとっては本音で編集している。 つまり、表は歌の本でも、裏で政治批判をしているとデンマンさんはおっしゃるのですか?
02/26QLEP の 『バークレーの書きたい放題』ブログ Last 24-hour access at 3:00 p.m. 1235 (=653917-652682) 2007年7月25日よりログインできても書き込みが不可能。
02/26『夢とロマンのために』 この時の小百合さんの姿と心情がデンマンさんの心に焼きついているとおっしゃるのでござ~♪~ますか? 僕は、まるでこの時、小百合さんと榛名山の中腹に並んで立って、だだっ広い高原を一緒に見渡したような気がしている程ですよう。 デンマンさんは、かな~♪~り小百合さんの心へと感情が移入されているのでござ~♪~ますわ。それって。。。ちょっと間違うと。。。あのォ~。。。ヤバイのですわぁ~。。。H系に走ってしまうようでござ~♪~ますわア。
02/27QLEP の 『バークレーの書きたい放題』ブログ Last 24-hour access at 3:00 p.m. 1072 (=654989-653917) 2007年7月25日よりログインできても書き込みが不可能。
02/27GOO の 『デンマンのブログ』 この日のアクセス 1221 記録
02/27『愛と陰謀』 デンマンさん、一昨日は、ちょうど盛り上がる所で終わってしまったのですわ。 実は、レンゲさんのエロい話があまりないので、読む人が少なくなったのですよ。デンマンさんは、やっぱり、あたしがエロい女だと思っているのですわね? 違いますよう。レンゲさんはエロい女ではありませんよ。僕はエロい話題が少なくなったので、最近、この『レンゲ物語』を読む人が少なくなったと言っているだけですよ。
02/28WABLOG の『宇宙の摂理ブログ』 この日のアクセス 1218 Last 30-Day Access: 19926
02/28自由と無責任とストライキ』 “お姉さんたちよゥ。もっと真面目にストライキをやったらどうなの?” 僕は、喉もとまでその言葉が出かかったのですが、言うのは止めにしましたよ。言えば、お姉さんたちは絶対に気分を壊すよね。お姉さんたちが日光浴を止めて立ち上がっても、僕は本を返せるわけでもないし、ストライキがそれで終わる訳でもない。 カナダは自由の国です。しかし、自由の裏には義務がある。その義務を怠るとどうなるのか? この場合、ストライキが長引くのですよね。
02/29はてなダイアリー” の 『バークレーのブログ』 Last 24-hour access at 3:00 p.m. 2855 (=561317-558462)
02/29『小野小町のシモい噂』 説明の最後に急にシモい話になっているのですよ。 僕は小野小町があの世で迷惑していると思うのですよ。 このようなシモいうわさが広まってしまった事をですか? そうですよ。僕が小野小町ならば、絶対に頭に来てしまいますよ。レンゲさんだって、このようなうわさが広まれば頭にくるでしょう?
03/01ヤバいストライキ』 これが僕が身近で見たカナダのストライキなんですよ。日本では考えられませんよ。上の「上尾事件」と比較してくださいよ。 でも、図書館と日本の国鉄では全く職種が違いますわア。ストライキが影響を与える人数もだいぶ違うでしょう? 僕が言おうとしているのは発想の問題ですよ。 大体、欧米では「順法闘争」と言う考え方は極めて稀(まれ)ですよ。この発想は日本の「御用組合」と同じ発想ですよ。全面ストか?ストを止めるか?これが欧米の発想ですよ。順法闘争のように電車を走らせておきながら、のろのろと運行して乗客に迷惑をかける、不満を起こさせる。このようないい加減なストのやり方が上尾事件を引き起こしたのですよ。
03/02はてなダイアリー” の 『バークレーのブログ』 Last 24-hour access at 3:00 p.m. 2464 (=564437-561973)
フルーツブログ 『デンマンの自分史』より

これは最近のエントリーを取り出したのだけれど、「はてなダイアリー」のコミュニティには社会派グループがあるのですよ。

そのような名前を持ったサブ・コミュニティが存在しているのでござ~♪~ますか?

公式には、そのようなグループ名は無いのです。でもねぇ、これまで3年近く「はてなダイアリー」の僕のブログのアクセス推移を観察してきた結果、他のブログのコミュニティでは見られないような社会派グループの動きがあるのですよ。

具体的には、どのような動きなのでござ~♪~ますか?

その動きは上の表(『デンマンの自分史』の一部)に垣間見る事ができるのですよ。その具体的な動きを赤字で示しています。

どう言う事でござ~♪~ますか?

3月2日のアクセスは2464です。でも、これは僕が3月2日の記事を「はてなダイアリー」で投稿した時に記録したものです。

つまり、前日(3月1日)の記事に社会派グループがアクセスした数字でござ~♪~ますか?

そうですよ。この記事の内容を見るとテーマが“社会派”なのですよ。

それでデンマンさんが便宜上、その記事にアクセスした読者を“社会派グループ”と名づけたのでござ~♪~ますか?

そう言う事ですよ。

具体的に社会派の記事とは、どのようなものでござ~♪~ますか?

これから書く記事が“社会派”なんですよ。いつも“社会派グループ”の皆さんに読んでもらうので、今日は「はてなダイアリー」の社会派グループにささげるために、この記事を書くことにしたのですよ。うへへへへ。。。

御礼の記事ですか?

そうです。。。そうですよ。。。気持ちだけ受け取ってもらおうと思って。。。

それで、熟田津(にきたづ)の歌は“社会派”の歌なのでござ~♪~ますか?

実は、そうなのですよ。表面的な意味だけを読む限り、なんとなく長閑(のどか)でロマンチックな感じも受けるのですよ。でもねぇ、実は、かなり社会的に悲惨な歌なのですよ。

そうなのでござ~♪~ますか?

生前、司馬遼太郎さんが次のように言いました。

“作品は作者だけのものと違うんやでぇ~。。。

作者が50%で読者が50%。。。

そうして出来上がるモンが作品なんやでぇ~”

作品とは、そう言うものなのでござ~♪~ますか?

名言だと思いませんか? 卑弥子さんが読者として、上の熟田津(にきたづ)の歌の50%の部分をどれだけ読みつくすか? それが問題ですよね!

それで、熟田津(にきたづ)の歌は社会派のテーマが盛り込まれているのでござ~♪~ますか?

そうですよ。万葉集の編集長・大伴家持(おおともやかもち)は、その社会派のテーマを充分に読み取ったので熟田津(にきたづ)の歌を万葉集に載せたのですよ。

そのようなお話、聞いたことがござ~♪~ませんわ。

『万葉集』の解説書には、そのような事はほとんど書いてありませんよ。

でも、社会派の歌が『万葉集』には多いのでござ~♪~ますか?

万葉集の中には“読み人知らず”の歌がたくさんあるでしょう?あれは、たいてい社会派の歌なのですよ。

。。。んで、熟田津(にきたづ)の歌にはそれ程の社会的な、あるいは政治的で歴史的な意味があるのでござ~♪~ますか?

あるのですよ。だからこそ『万葉集』の編集長は取り上げたのですよ。

熟田津(にきたづ)の歌は37代天皇の斉明天皇(女帝)に成り代わって、この女帝に仕えていた額田女王(ぬかだのおおきみ)が代わって詠んだと言うのですけれど、なぜ成り代わって詠んだのでござ~♪~ましょうか?

なぜならねぇ、この時、斉明天皇(女帝)は歌など詠(よ)むような気分ではなかったのですよ。

どうして、そんな事が分かるのでござ~♪~ますか?

女帝は持病に苦しめられて養生のために道後温泉へ行ったからですよ。

しかし。。。しかし。。。どうしてそのような事が分かるのでござ~♪~ますか?

熟田津(にきたづ)の歌は、一般的には次のような意味ですよね。

熟田津で船出をしようと月を待っていると、

潮流も良い具合になった。

今こそ漕ぎ出そう。

表面的な意味だけならば、つまらない取るに足りない歌なんですよね。

それなのに、大伴家持はこれ以外の意味を読み取ったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよ。この歌に隠された裏話があるからですよ。

ええっ?。。。裏話でござ~♪~ますか?

そうですよ。それを大伴家持は読み取って万葉集に載せたのです。僕には、そうとしか思えないのです。

。。。んで、一体どのような裏話があるのでござ~♪~ますか?

実は、この歌については、いろいろと不思議な事があると歴史学者や古代史研究家からも言われているのですよ。

どういうところがでござ~♪~ますか?

次のような事が言われているのですよ。

○ これらの船団は663年の唐・新羅連合軍との
  海戦への出発だと思われるのに、
  この熟田津(にきたづ)からの船出は
  斉明天皇即位元年・655年です。
  つまり、8年前に作られた歌だと言うのです。

○ 斉明天皇が筑紫朝倉宮に出陣したのは661年です。
  海戦の現場はソウル沖ですから松山沖からの船出は
  戦いの直接の出発ではありません。

○ 軍船は手漕ぎのガレー船なので、
  月の出をまって夜行するのは可笑しい。
  昼間の方が漕ぎ易い。

○ 手漕ぎなのだから、潮待ちするのも可笑しい。
  干潮であろうが満潮であろうが、手漕ぎだから
  潮の満ち干きにそれ程影響を受けないだろう。

○ 帆船を同行していたとしても
  潮待ちではなく風待ちではないのか?

○ この軍団は前年に国東(くにさき)半島へ航海したのに、
  松山沖へとって帰っています。
  兵員が逃亡、この補充のために松山沖へ投錨した
  やっと兵員の補充ができて、
  いざ筑紫へと再出発する時の歌ではないのか?


『女帝と美女 (2007年8月18日)』より

。。。んで、万葉集の編集長の大伴家持は、この歌を載せて何を読者に伝えようとしたのでござ~♪~ますか?

うん、うん、うん。。。僕もその事を考えてみたのですよ。

なぜ、熟田津(にきたづ)なのか?

熟田津でなければならない理由があったのですよ。葉山では絶対にダメなのですよ!僕が奈良時代に生きていて、上の葉山の歌を詠んだとしても絶対に万葉集には載らなかったのです。

なぜですの?

温泉でなければならなかった。斉明天皇(女帝)や額田女王が生きていた飛鳥時代は、温泉と言っても湯治場のようなものだったのですよ。つまり、持病を治しにゆくようなところだったのです。

でも、斉明天皇は温泉が好きだったかもしれませんわ。

確かに好きだったかも知れませんよ。でもねぇ、2ヶ月以上も温泉に行っているなんて常識では考えられない。斉明天皇には“公務”があるのですよ。

。。。んで、斉明天皇が2ヶ月以上も温泉遊びをしていた、と言う記録があるのでござ~♪~ますか?

だから、温泉遊びではないのですよ。湯治なんですよう。病気を治すつもりがあったのですよゥ。658年10月15日に紀温湯に行き、659年1月3日に宮に帰る、という記録があります。なんと2ヶ月半も逗留していた事になりますよ。

この紀温湯と言うのは、どこの温泉でござ~♪~ますか?

白浜温泉のことですよ。

白浜温泉 「白浜温泉パーク」 樽風呂から海を望んだところ

。。。んで、斉明天皇はどのような持病を持っていたのでござ~♪~ますか?

調べてみたけれど、病気を特定するような文献は見つけることができませんでした。でもね、白浜温泉はどのような病気に効果があるのか?調べてみました。

白浜温泉

泉質は特に「美肌効果」があり、万葉の頃より斉明天皇、持統天皇など女帝が愛した。

泉質: ナトリウム-塩化物泉

効能: 神経痛、創傷、打傷、火傷、筋肉痛、慢性便秘、
    婦人病、冷え性、痔疾、皮膚病、疲労回復、関節炎、
    呼吸器病、運動器障害、病後回復、五十肩、
    虚弱児童、くじき、健康増進

『温泉特集』より

60才を越していた斉明天皇が「美肌効果」を求めて白浜温泉へ行ったとは思えないけれど、上の説明から女帝の病気を特定する事は不可能ですよ。

斉明天皇の病状はかなり悪かったのでござ~♪~ましょうか?

良くは無かったでしょうね。白浜温泉へ行った2年後の661年1月14日に伊予の熟田津の石湯行宮に泊まっています。唐と新羅の連合軍と戦いに行く途中に熟田津に立ち寄っているのですよ。

戦いに行く途中に、わざわざ温泉に立ち寄っているのでござ~♪~ますか?

だから、この時には病状がかなり悪かったようですよ。事実、額田女王が女帝に成り代わって歌を詠んだあと、軍船に乗って九州に行きます。そして半年後の7月24日に斉明天皇は朝倉宮で亡くなっています。67才でした。

持病を持っている67歳の女性が、なぜ大元帥として日本軍の先頭に立って九州まで行かなければならなかったのでござ~♪~ましょうか?

実は、そこに裏話があったのですよ。熟田津(にきたづ)の歌には沈痛な思いが込められていたのですよ。

つまり、それで社会派なのでござ~♪~ますか?

そうですよ。熟田津(にきたづ)の歌は、“今こそ漕ぎ出そう!”なんて意気揚々として漕ぎ出そうと言うような勇ましい歌ではないのです。むしろ悲痛な叫びがその裏に隠されている! つまり、額田女王が斉明天皇(女帝)のやるせない沈痛な気持ちを思いやりながら作った歌なのです。この事情を大伴家持は充分に良く知っているので、この歌を万葉集に取り上げたのだと僕は信じています。

でも、なぜ、持病持ちの、もしかすると船旅に持ちこたえられそうにないヤバい斉明天皇(女帝)が大元帥になって九州の大本営まで出向いてゆかねばならなかったのでござ~♪~ますか?

実際、ヤバい事になってしまった訳ですよ。戦争が始まる前に持病が悪化して死んでしまった。でも、斉明天皇(女帝)が大元帥にならなければならない事情があったのですよ。

どのような。。。?

この当時、政治の実権を握っていたのは、後に天智天皇になる中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)なのですよ。だから、中大兄皇子が大元帥になって軍団を指揮して戦争をやればいいのです。それなのに67才の持病を患っているおばあちゃんが大元帥になってノコノコと出て行った訳ですよ。誰が考えたって可笑しな事なんですよね。

。。んで、なぜ、このおばあちゃんが。。。?

なぜなら、中大兄皇子が大元帥になったら、まとまりが付かなくなってしまう。それ程この人物には敵対する者が多かった。ほとんど誰もが中大兄皇子を信頼していないのですよ。

なぜですの?

それは、この人の名前を見ればすぐに見当が付きます。“大兄皇子”と言うのは皇太子、つまり次期天皇のことです。“中大兄皇子”と言うのは、その次に皇位を継承できるポジションに居る人の事です。つまり、皇太子ナンバー2です。

。。。んで、その当時の“大兄皇子”は誰だったのでござ~♪~ますか?

古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)だったのですよ。何も無ければこの人が天皇になる人だった。ところが“中大兄皇子”は野望を持っていた。何が何でも自分が天皇になろうとした。

そのために、“中大兄皇子”は、645年にあの有名な大化の改新クーデターを起こした。つまり蘇我氏から実権を奪ったのですよ。古人大兄皇子も、その煽(あお)りを受けて亡き者にされてしまったのですよ。本来ならばクーデターが終わった時に“中大兄皇子”は天皇になれるはずだった。ところがなれなかった。

なぜ、なれなかったのでござ~♪~ますか?

“中大兄皇子”を天皇に望む人が極めて少なかった。つまり、それだけ反対者が多かったと言うことですよね。“中大兄皇子”が天皇になったら反乱が起きそうな雲行きになった。それで自分の母親をそのまま天皇にしていた。これが35代の皇極天皇です。この後、このおばあちゃんの弟が36代孝徳天皇になった。この叔父さんである孝徳天皇が亡くなった後でも中大兄皇子は天皇にはなれなかった。

どうしてでござ~♪~ますか?

反対するものが多かった。無理して天皇になったらクーデターが起きるかもしれない。つまり、中大兄皇子は実行力はあったけれど、人望は無かったようです。それで、仕方ないから、また自分の母親を天皇につけた。つまり、同じ女性が二度天皇になった。この37代の天皇が斉明天皇です。

巫女的能力を持った斉明天皇

皇国史観の影響で大化の改新クーデターは素晴しい政治改革と位置づけされていますが、実体は、蘇我氏がやろうとしていた事を引き継いだに過ぎません。
中大兄皇子がとりわけ新しい事を始めたわけではないのです。

つまり、“大化の改新”と言うのは皇国史観に基づいて美化したものに過ぎず、実体は政治権力闘争、内輪揉めに過ぎなかった。
そういう実体を地方の豪族なども良く分かっていたから中大兄皇子に反対する者が多かった。

もし蘇我氏が本当に悪政を施していて、中大兄皇子がその悪者たちを征伐したのならば、中大兄皇子は大化の改新の年に、すんなりと天皇になっていたはずです。
あなたも、そう思いませんか?
でも、そうならなかった。
つまり、政治改革と言うよりも中大兄皇子が野心でクーデターを引き起こした何よりの証拠ですよね。

中大兄皇子が天智天皇として即位したのは668年です。
大化の改新クーデターを645年に断行してから23年が経っています。
このクーデターがいかに望まれていなかったクーデターであるかが分かると言うものです。

668年に正式に天皇になった時にも、どさくさにまぎれて天皇になってしまったようなところがあります。
天智天皇は百済を助けるために古代韓国で戦争に加担した。
それで、663年に白村江(はくすきのえ)の戦いで敗れた!
唐と新羅の連合軍が日本に攻めてくると言うので戦時体制を敷いて大防衛網を築いたのです。

大津に都を移そうとした時にも大和の豪族から猛反対を受けた。
でも、軍隊の実権を握っているからゴリ押しで自分の思うことをやり通してしまった。

しかし、天智天皇は重大な間違いを犯してしまった。
唐・新羅同盟軍の侵攻を防ぐために、天智帝は上の地図で示したような、一大防衛網を築いたのです。
(現在で言うなら、テポドンに備えるようなものですよ!
その防衛網を実際に構築したんですよ!
その実行力は確かにすごい!)

そのために、一体何十万人の人々が動員されたことか?
しかし、天智天皇の防衛計画を本当に理解している人は、おそらく10パーセントにも達しなかったでしょう。

「何でこんな無駄なことをさせられるのか?」

大多数の人は理解に苦しんだことでしょう。

魏志倭人伝に書いてあるとおり、原日本人(アイヌ人の祖先)というのは、伝統的に町の周りに城壁を築くようなことをしません。
したがって、山城を築くようなこともしません。
これは朝鮮半島的な発想です。

原日本人にとって、山は信仰の対象です!
聖域に入り込んで、山を崩したり、様相を変えたり、岩を積み上げたりすることは、神を冒涜することに等しいわけです。
このことだけをとってみても、天智天皇は土着の大和民族、古代アイヌ人から、総スカンを喰らう。
「今に見ていろ。きっとバチが当たるから!」

しかも、これだけでよせばいいのに、東国から、防人(さきもり)を徴用する。
東国には、当時アイヌ人の祖先がたくさん暮らしていた。
つまり、大和人に同化したアイヌ人もたくさん居た。
この人たちは、文字通り、万物に神が宿ると信じて、平和に感謝して生きる人たちだった。

この防人というのは、九州の防衛に狩り出される警備兵です。
そのような素朴な人たちまでもが警備兵として狩り出される。
往きは良い良い帰りは怖いです。
というのは、帰りは自弁当です。
つまり自費で帰国しなければなりません。

したがって金の切れ目が命の切れ目で、故郷にたどり着けずに野垂れ死にをする人が結構居たそうです。
それはそうでしょう、新幹線があるわけでありませんから、徒歩でテクテクと九州から関東平野までテクシーです。
ホテルなんてしゃれたものはもちろんありません。
途中で追いはぎに襲われ、身ぐるみはがれたら、もう死を覚悟しなければなりません。
さんざ、こき使われた挙句、放り出されるように帰れ、と言われたのでは天智天皇の人気が出るわけがありません。
人気どころか怨嗟の的になります。
「今に見ていろ。きっとバチが当たるゾ!」

それで、バチが当たって(?)天智天皇は暗殺されたわけです。
これまでの天智天皇の政策と防人の実態についての説明は次の記事から引用したものです。

■ 『平和を愛し仲良く暮らしていた古代日本人』

大伴家持は役人としてこの防人たちを監督していた事があるんですよ。
もちろん、天智天皇が防人を狩り集めていた頃から100年がたっていましたが、当時の事情も十分に知っています。

この大伴家持と言う人は歌人と言うよりも政治家、あるいは政治評論家と呼んだ方が、この人の人物像をより的確に表現する事ができると思います。
なぜなら、この人物の経歴を見てみると実に良く分かります。
“藤原政権”に反抗的だった人で、そのために都から追放されたこともある人です。

この当時としては異色の“社会派歌人”と言われた山上憶良は702年の第七次遣唐使船に同行し、唐に渡り儒教や仏教など最新の学問をおさめて帰国したあと、大伴家持の家庭教師も勤めた人です。

つまり、大伴家持は山上憶良の強い影響を受けている。
このような“社会派歌人”の目から見たら、天智天皇は“国民”の事など虫けら同然に考え、防人を“捨て駒”同様に狩り出して酷使していた“悪徳政治家”以外の何者でもなかった。
上の熟田津(にきたづ)の歌は、いわば天智天皇の悪政を告発するために取り上げたのですよ。

実権を持たない者にできる事は“ペンは剣よりも強し”を頼りに、歌集に政治告発の歌を隠して後世に伝える事だけです。
僕は、そう見ているのですよ。
あなたは、どう思いますか?

でも、なぜ持病を持ったおばあちゃんを

日本軍の大元帥にしたの?

日本には古くから巫女的人物を政治の場に持ち出すと国が丸く収まると言うような伝承があったようです。
古くは“卑弥呼”さんですよね。

中国の歴史書によると桓帝・霊帝の間(146年 - 189年)は倭国は大乱の時代だった。
その後、邪馬台国を治めていた卑弥呼を共立する事によって平和になって倭国は治まった、と書いてあります。

このおばあちゃんにも

巫女的な能力があったの?

それがあったようです。
皇極天皇として即位した年に次のような記録が残っています。

皇極天皇元年(642年)

1月15日 - 即位。
7月25日 - 蘇我蝦夷が雨乞いのため
    大乗経典を転読させたが、
    微雨のみで効果がなかったため、
    29日にやめる。
8月1日 - 天皇が天に祈ると、雷が鳴って大雨が降る。
    雨は五日間続いた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、巫女的能力が認められていたようです。
卑弥呼を共立する事によって倭国が治まったように、
素晴しい巫女的能力を持ち合わせている斉明天皇を大元帥にして唐・新羅連合軍と戦う。
そうすれば勝てると言うことを触れ回って、中大兄皇子は反対する諸豪族をなだめて戦争に引き込んだ。

霊魂が存在して、それが祟りを起こすと真面目に信じられていた時代です。
巫女的能力を持ち合わせていると言うことは絶大な信用と威力を発揮したのでしょう。


『女帝と美女 (2007年8月18日)』より

67才の病気に冒(おか)されていたおばあちゃんが大元帥にならなければならない訳が良~♪~く分かりましたわ。

そうですよ。卑弥子さんだって無関係ではないのですよ。

ええっ?。。。あたくしが関係あるってぇ。。。?

卑弥子さんの遠い祖先の“卑弥呼”さんが登場したではありませんか?

そうでござ~♪~ますわねぇ。。。おほほほほ。。。んで、これまでの事を考え合わせると、熟田津(にきたづ)の歌はどのように解釈すればよろしいのでござ~♪~ますか?

僕は次のように読みましたよ。

     

熟田津(にきたづ)に

船乗りせむと

月待てば

潮もかなひぬ

今は漕ぎ出(い)でな

道後温泉本館 (国指定重要文化財)

67才にもなって、

唐・新羅連合軍と戦う軍団の大元帥として

九州まで船で行くなんて思いもよらない事でした。

もう体のあちらこちらが痛くて

道後温泉にでも浸かって

しばらく湯治でもしなければ、

とても長い船旅に、この老いた体がもちませんよ。

一体、息子は何を考えているのだろう。。。

確かに、まだ若い頃、

天に祈ったら雨が5日間降り続いたのよ。

でも、あれはまぐれだったのよ。

わたしが祈らなくても、降るモノは降ったのよ。

たまたま、雨が降ったからと言って、

巫女能力があると信じて

わたしを大元帥にしたって

戦争に勝つ訳がない。

でも、しかたがないわ。

他の人が大元帥になったのでは、

まとまりが付かなくて

戦争どころではないらしい。

とにかく先が思いやられる事ですよ。

果たして、この長い船旅に

老いた体が持ちこたえて、

無事に都に帰れるかしら。

いつまでも道後温泉で

道草をしている訳にも行かないでしょうね。

月も出たと言うし、

潮も具合がよいと言う。

しかたがありません。

言われたとおり、

おとなしく九州まで行くとしましょうか。

あぁ~あ、難儀な事ですわ。

どうですか、卑弥子さん。。。僕はこのように解釈したのですよ。

それで、その後はどうなったのでござ~♪~ますか?

斉明天皇が心配していたように、663年に白村江(はくすきのえ)の戦いで敗れてしまったのですよ。

それで。。。?

唐と新羅の連合軍が日本に攻めてくると言うので中大兄皇子は戦時体制を敷いて大防衛網を築いたのです。そのために多くの防人(さきもり)が東国から徴用されて捨て駒のように犠牲になった人もたくさん出た。

。。。んで、唐と新羅の連合軍は日本に攻めて来たのでござ~♪~ますか?

日本にとっては幸運にも、攻めてくる事は無かった。

つまり、67才のおばあちゃんが人身供養になった、と言う事でござ~♪~ましょうか?

結果として、そのような事になったのですよ。67才の老体にムチ打って大和日本のために、お勤めを果たした事だけは確かです。言ってみれば、人身御供・人柱になったのかもしれません。このおばあちゃんの苦労を考えて冥福を祈りたいですね。

でも、それ以上に多くの防人の苦しみを考えたのが“社会派歌人”の大伴家持だったのでござ~♪~ましょうね。

そうですよ。。。そうですよう。。。やっと僕の言おうとしていた事が卑弥子さんにも分かってもらえたのですね?

ええ、分かりましたわ。

熟田津(にきたづ)の歌を『万葉集』に載せたのは斉明天皇の追善供養のためと言うよりも故郷に戻れずに途中で亡くなった多くの防人のための鎮魂歌のように僕には思えるのですよ。

そうでしょうね?おそらく、大伴家持もそう思いながら、後世のあたくしたちに、この事実を伝えようとしたのでござ~♪~ましょうね?

その通りですよ。卑弥子さんが分かってくれたので僕はうれしいなあああぁ~ 「はてなダイアリー」の社会派グループも、この記事を読んで喜んでいるだろうなあああぁ~

【卑弥子の独り言】

デンマンさんは、少~♪~し喜びすぎでござ~♪~ますわよ。
オーバーですわよ。

でも、長ったらしい説明を長々としてくれたおかげで
あたくしも理解する事ができましたわ。
あなたは、どう思いますか?

とにかく、ここまで読んでくれてありがとうございました。
ついでだから、他の記事も読んでくださいね。

では。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

遠い遠い昔のお話ですわね?

カナダは建国してから

まだ150年たっていません。

1867年に建国されました。

明治維新(1868)の前年です。

現在も英国女王を君主に戴き、

総督がその代理を務めています。

これがカナダの国旗ですが、

この国旗が使われだしたのは1965年からです。

国歌「オー・カナダ」が

「ゴッド・セイブ・ザ・クィーン」に代わって

制定されたのが1980年でした。

カナダは本当に新しい国なのです。

ところで、デンマンさんが

小百合さんの記事をまとめました。

興味があったら次のリンクをクリックして

読んでみてくださいね。

■ 『夢とロマンを実現しようと前向きに生きる

小百合さんの生き生きとした物語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


 





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