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思い出を食べる
by デンマン & 卑弥子
2008年3月29
食べるの好きですう
> 検索も ひと息です。
> せっかく出かけるので、 > ベトナム料理、タイ料理みたいのが > 食べたくて、特に生春巻き > フォーのヌードル ウムムムム。。。
うん、うん、うん。。。
【デンマン注: この香味野菜はパクチーでした。】
> バンクーバーのバーガーキング 僕はバーガーキングは遠慮しておきますよ!
> あれが 都内にまた復活してきて
> 3月28日には秋葉原にOPEN > 新宿では食べられます。 日本でバーガーキングが人気があるのですか?
> シナモンロールのCINNABONは横浜も池袋も撤退して うん、うん、うん。。。シナモンロールもたまにはいいですよね。
> そんなわけで、自分の好きな物だけ
> 向田邦子じゃないんだから
うん、うん、うん。。。 あの行田“モダン・パスタ”での小百合さんの食べっぷりを見ていますからね。。。 横浜と東京での買い物、 by デンマン
今日は小百合さんのグルメぶりについて語り合うのでござ~♪~ますか?
うん、うん、うん。。。確かに小百合さんは食べるのが好きなんですよねぇ。僕がこれまで知り合った女性の中では最も食べる事にこだわっている女性です。でも、今日は食べ物の事ではないのですよ。 。。。食べ物の事でないとなると。。。。他に何をお話になるのでござ~♪~ますか? 向田邦子さんのことですよ。小百合さんも上のメールの中で書いています。 つまり、小百合さんも向田さんもグルメだと言うことですか? 小百合さんは自分のことをグルメだとは思っていないのですよ。でも、僕に言わせれば、小百合さんは「思い出を食べるグルメ」ですよ。
向田邦子
1929年11月28日に生まれる。 父の仕事の関係で、日本全国を転々としながら育つ。 鹿児島市は年少時代の僅か数年を過ごしただけであるにも関わらず、家族や近所の人々との間に様々なエピソードがあり、その後の進路に多大な影響を与えた。 都立目黒高女、実践女子専門学校(現・実践女子大学)国文科卒業。 1952年に雄鶏社に入社し、雑誌『映画ストーリー』の編集に従事するかたわら市川三郎のもとで脚本を学ぶ。 1960年に同社を退社後、脚本家となり、20年間で1000本以上の作品を手がけた。 小説家としても活動し、1980年、短篇の連作『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』で第83回直木賞を受賞した。 1978年著述活動のかたわら、女性が気軽に寄れるお店を作ろうと、妹と東京都港区赤坂で小料理屋「ままや」を開店し、好評を博した。 1981年8月22日、エッセイ集の取材旅行中の台湾苗栗県三義で遠東航空機墜落事故で急逝。 1983年、向田の功績を記念して優れた脚本に対して与えられる「向田邦子賞」が創設された。 他界後20年以上を経た今もなお、その作品のみならず、自分の好きなものと徹底して向き合うライフスタイルが注目を浴びている。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 この略歴を読んでねぇ、どうして小百合さんがメールの中に向田さんを引き合いに出したのかが分かったような気がしましたよ。 どうしてでござ~♪~ますか?
他界後20年以上を経た今もなお、
その作品のみならず、 自分の好きなものと
徹底して向き合うライフスタイル が注目を浴びている。 このライフスタイルこそ小百合さんが目指しているライフスタイルなのですよ。僕は、そう思いましたよ。上のメールを読んでも分かるでしょう?自分の好きなものを求めて横浜や東京まで出てゆくのですからね。 つまり、小百合さんはグルメに徹しているのでござ~♪~ますか? 美食だけにこだわっている訳じゃないと思いますよ。中学生の頃に『エマニエル夫人』を観て物語ばかりか、その背景のタイ、その首都のバンコクの素晴しさが印象に強く残ったのですよ。
平凡な人であれば、記憶が薄れて忘れてしまうのだけれど、小百合さんには忘れる事のできない強い印象が残っていたのですよ。それで、大人になってからバンコクに何度か旅行した。 “自分の好きなものと徹底して向き合うライフスタイル”でござ~♪~ますか? そうですよ。食べ物だけじゃないと思うのですよ。小百合さんがバーナビーに“山の家”を持った事も自分の好きなものと徹底して向き合うライフスタイルだったからですよ。
このバーナビーの山の家は、もしかすると小百合さんが『エマニエル夫人』の中で見た異国情緒あふれるフランス風の家をイメージして見つけたのかもしれませんよ。 上の写真のようなフランス風の家が映画の中であったのでござ~♪~ますか? 次の写真のように、バーナビーの“山の家”で小百合さんがエマニエル夫人と並んで居ても可笑しくないのですよ。 。。。んで、今日は向田邦子さんと“山の家”のお話でござ~♪~ますか? いや、山の家は関係ないのですよ。せっかく小百合さんが向田さんのことをメールの中で書いてくれたので、今日は向田さんの作品について話そうと思うのですよ。 どの作品でござ~♪~ますか? まず、『時間ですよ』です。このテレビ番組は思い出深いのですよ。 なぜでござ~♪~ますか? まだ僕が日本で暮らしている頃に人気があった番組だからですよ。もちろん、僕も見ていました。卑弥子さんは見たことがありますか? 見たことがござ~♪~ませんわ。あたくしが生まれる前か、生まれる頃の番組だと思いますわ。どのような番組なのでござ~♪~ますか? ボイラーマンの堺正章が「おかみさ~ん、時間ですよォ~」と言う掛け声で始まる番組ですよ。TBSの水曜劇場。確か8時に始まったと思うのですよ。 つまり、お風呂屋さんが舞台なのでござ~♪~ますか? そうですよ。東京五反田にある風呂屋「松の湯」で繰り広げられる人間ドラマですよ。「松の湯」を支えている夫婦役に、森光子と船越英二。一人息子が松山英太郎。その妻を演じたのが松原智恵子。ボイラーマンの堺正章と面白いギャグを飛ばしあったのが、老け役で有名な、脱衣場の世話係の悠木千帆(樹木希林)だった。 最近はお風呂屋さんが少なくなったので番組も終わりになったのでござ~♪~ますか? どうして終わりになったのか僕には良く分からないけれど、僕が社員寮に居る頃の番組でした。 。。。んで、デンマンさんも寮の共同風呂に入っていたのですか? そうですよ。町の銭湯よりも大きな風呂だったですよ。多い時には30人ぐらいが入りましたからね。 女性も居たのでござ~♪~ますか? 男ばかりの男子寮でした。120人ぐらい居たと思いますよ。当時は個室なんてなくて、4人部屋ですよ。僕の部屋には3人居ました。テレビが1台あって、『時間ですよ』になるとテレビの前でマチャアキと悠木千帆(樹木希林)のドタバタギャグに3人で爆笑したものですよ。 ギャグが面白いのでござ~♪~ますか? あのねぇ、それだけじゃないんですよう。ほとんど毎回のように女湯の入浴シーンがあって、ワクワクしながら期待して見ていたものですよゥ。うしししし。。。
その入浴シーンもドラマの大切な部分を占めているのでござ~♪~ますか? ドラマの筋とは全く関係ないのですよ。ほんのわずかばかりの入浴シーンが映し出されるのですよ。銭湯ですからね、やっぱり風呂に入っているシーンも映さないと銭湯の雰囲気が出ないでしょう。おかみさんか旦那が番台から風呂場を通って奥のボイラーの方に行くときに、ニコニコと入浴客に挨拶しながら洗い場を歩いてゆく。それだけのシーンですよ。 つまり、女湯だけのシーンでござ~♪~ますか? そうですよ。言われてみたら、男湯のシーンは無かったと思うなぁ~。。。覚えていませんからねぇ。。。 女湯シーンで人気が出たのでござ~♪~ますか? やだなあああぁ~。。。もちろん、それだけじゃないですよう。天地真理が「隣のマリちゃん」になって出てきたのですよ。
超人気アイドルだと言われた歌手でござ~♪~ますか? そうですよ。昭和46年(1971年)に“水色の恋”で歌手デビューしたのだけれど、この曲が大ヒットになった。天地真理は一躍、超アイドルになってしまったのですよ。『時間ですよ』のおかげで。。。 これには面白いエピソードがあるのですよ。昭和46年6月6日に“時間ですよ”のオーディションがあった。これは川口晶さんの代役(松の湯のお手伝いさん役)を決めるものだった。ところが、このオーディションでは可愛すぎるとの評価で天地真理は落ちてしまったのですよ。 それなのに、どうして採用されたのでござ~♪~ますか? 審査員の一人が番組に出ていたおかみさん役の森光子さんだった。天地真理さんを見て捨てがたい魅力があるとの強力な意見により、新たな役が設けられた。その役が「隣のマリちゃん」だったのですよ。銭湯「松の湯」の隣の二階の窓辺で、ギターを爪弾きながら“水色の恋”を歌い、堺正章(マチャアキ)が演じるケンちゃんの憧れの少女を演じたのですよ。マリちゃんの放送が開始されると、テレビ局が予想していた以上の反響があって、この役により天地真理の人気は急上昇し、歌手デビューも急に決まった、と言うのですよ。 デンマンさんは、どうしてそのような事まで知っているのでござ~♪~ますか? もちろん、ネットで調べたのですよ。うしししし。。。 つまり、マリちゃんによって『時間ですよ』の人気が保たれたのでござ~♪~ますか? うん。。。マリちゃんによって確かに番組の人気が上昇したのだけれど、それだけじゃないのですよ。 他にどのような事があったのでござ~♪~ますか? マチャアキと悠木千帆(ゆうきちほ)のドタバタギャグが面白かった。 ところで、悠木さんは、どうして芸名を変えてしまったのでござ~♪~ますか? 僕も、この記事を書くまで知らなかったのですよ。芸名を途中で変える女優なんて、まず居ないですよね。芸名と言うのは役者の命のようなものだから。。。 それなのに、どうして樹木希林(きききりん)に変えてしまったのでござ~♪~ますか? 僕も、この事では、ずっと不思議に思っていたのですよ。それで調べてみました。 分かりました? それが、また面白いエピソードがあるのですよ。1977年、日本教育テレビ(NETテレビ)からテレビ朝日へ会社名を変える時に特別番組があったのですよ。 どのような。。。? 『わが家の友達10チャンネル』と言う番組だった。その中にオークションコーナーがあったのですよ。その番組に出ていた悠木さんは、売る物が無いので芸名の「悠木千帆」を競売にかけたのですよ。 それで、どうなったのでござ~♪~ますか? 名前は2万2千円で世田谷の飲食店オーナーに競(せ)り落とされた。 たったの2万2千円ですか? うへへへへ。。。僕も金額を聞いて、ちょっと安すぎると思ったのですよ。実は僕はその当時、すでに日本には居なかったのですよ。1976年にカナダにやってきましたからね。当時、羽田から飛び立ったのだけれど、羽田からトロントまでの片道の飛行機代が24万円でしたよ。 自分の芸名を売ってしまうなんて、悠木さんは、ずいぶんと変わった女優さんなのでござ~♪~ますわね? 確かにユニークで面白い女優さんだと僕も思いましたよ。20代の頃から老人の役を演じ、出演するドラマ、映画などでは老け役が当たり役だった。この悠木さんは1974年にTBSで放送されたドラマ『寺内貫太郎一家』にも出たのですよ。 向田邦子さんは、この番組の脚本も書いていたのでござ~♪~ますでしょう? そうですよ。 。。。んで、悠木さんはどのような役でござ~♪~ました? 主役の貫太郎(小林亜星)の実母を演じたのですよ。実際には悠木さんは、小林亜星さんよりも10才以上若いのですよ。この悠木さんが演じるおばあさん役では、悠木さんはいつも手袋をしていたものですよ。 手袋ですか? そうですよ。指先が切り落としてある手袋をしていたのですよ。僕も、気になって見ていたものですよ。 どうして手袋をしていたのでござ~♪~ますか? 若い手を隠すためだった、と言うのですよ。確かに70才近いおばあさんの手は、メイクではごまかせないのでしょうね。劇中では手袋を外さなかったですよ。 それで、そのおばあさん役が人気が出たのでござ~♪~ますか? そうなのですよ。寺内家がドタバタ騒ぎになった際に、沢田研二のポスターを眺めて「ジュリーィィィ!!」と腰を振りながら悶えるのですよ。このシーンが、実に可笑しいのですよ。
この写真に写っているおばあさんを悠木さんが演じているのでござ~♪~ますか? そうですよ。こうして、じっくりとジュリーを見つめてから、急に顔をぐちゃぐちゃにして屁っ放り腰(へっぴりごし)になって、腰を振りながら身悶えするのですよ。このシーンはメチャ面白かったですよゥ。実は、このシーンを『時間ですよ』でも悠木さんはやったのですよゥ。 おばあさん役で。。。やったのでござ~♪~ますか? いや、『時間ですよ』では、おばあさん役ではないのですよ。脱衣場の世話係でしたからね、特に老け役ではなかった。ジュリーの写真が「松の湯」の2階に貼ってあるのですよ。それを見ながら、同じように屁っ放り腰(へっぴりごし)になって、「ジュリーィィィ!!」と言って腰を振りながら身悶えするのですよ。これが、実に可笑しくって、寮の部屋で3人して見ながら爆笑したものです。未だに懐かしく思い出しますよう。 あたくしも、ぜひその場面を見てみたいですわア。 DVDを買って見てくださいよ。 。。。んで、デンマンさんは向田邦子さんが2つの番組の脚本を書いていた、とご存知だったのでござ~♪~ますか? いや、全く知らなかったのですよ。僕が向田さんの作品を読んだのは、バンクーバーに住み始めてからですよ。つまり、日本では全く向田さんの名前を知らなかった。 向田さんの本を読み始めたきっかけは。。。? バンクーバーの市立図書館で向田さんのエッセー『父の詫び状』を読んだのがきっかけでしたよ。ドラマ『寺内貫太郎一家』の貫太郎のモデルが向田さんのお父さんだったというのも後で知った事ですよ。 つまり、向田さんが脚本を書いていたと言う事を知らずに『時間ですよ』と『寺内貫太郎一家』を見ていたのでござ~♪~ますか? そうなのですよ。。。向田さんは、どちらかといえば真面目で几帳面で、固い印象を僕はエッセーから受けていたので、『時間ですよ』と『寺内貫太郎一家』の脚本を書いていたと知って、実に意外だったのですよ。 人間って、一面だけ見ていたのでは分からないものでござ~♪~ますよね? そうですよ。一人の人間を理解するのは難しいものですよね。 あたくしはデンマンさんを見ていて、そう思ったのでご~♪~ざますわ。 ん。。。?僕を見ていてですか? そうでござ~♪~ますわ。。。デンマンさんの文章を読むと、なんとなく付き合いづらい印象を持ったのですけれど、デンマンさんって、素顔は結構、面白い人なのでござ~♪~ますよねぇ~ うへへへへ。。。卑弥子さんも、そう思いますか? この記事を読んでいる人が、僕の固いイメージを払拭してコメントを書いてくれるようになるといいのですけれどね。。。 それは、期待しない方がよいですわよ。 どうしてですか? コメントに対してデンマンさんが痛烈な批判をする事を誰でも知っていますから。。。
【卑弥子の独り言】
あなただって、そう思うでしょう? 後で晒されるような事になると困るからでしょうね。 でも、それ程深刻に思いつめる事は無いのですわよ。 とにかく、またあさって読みにきてくださいな。
ィ~ハァ~♪~! メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
わたしは日本のテレビドラマって
全く見たことが無いので
何とも言えないのですけれど、
黒澤明監督の映画は
よく見ましたわ。
『七人の侍』は何といっても名作ですよね。
黒澤明監督の人物評などを読むと
かなり真面目で厳しい人だ
という事が書いてありますが、
『七人の侍』の中にはユーモラスな部分も
多く盛り込まれていて、
黒澤監督のもう一面である
愉快な性格が良く
表れていると思います。
厳しいだけの人って
やっぱり居ないのだと思いますわ。
あなたは、どう思いますか?
ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて
次のサイトを立ち上げました。
時間があったら次のリンクを
クリックして覗いてみてくださいね。
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
YouTube 動画
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