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上流社会の系譜
2008年9月5日

ロマンと軽井沢

Subj:長い電話お疲れ様でした

Date: 01/10/2007 1:52:14 AM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間: 10月1日 午後5時52分
From: fuji@adagio.ocn.ne.jp
To: barclay1720@aol.com

長い電話お疲れ様でした。
良くわかりました。

経理をしなくてはいけない。
それも13年分。
誰にたのもうか?
レシートもなくてと迷って朝方まで寝られない夜が毎晩だった時、
デンマンさんと話して、ここまで経理が進んだことをホットしてます。

いくら 請求がきても カナダに納めるのならいいやと思いはじめました。
バーナビーで夏休みを過ごすことは 毎年私の支えの時間でした。

あの古い家は、夏休みで休むというより
ペンキ、芝のクローバむしり、
りんごの木の手入れ、
玄関まで高く長い階段のペンキはがしや、
しばらくみがかないガラス、
シミだらけのじゅうたん、
BASEMENTはランドリーのホコリとくもの巣、
行けば、掃除ばかりの家に大変でしたが
また戻りたいと思っていました。

実父の病気に、もう自分勝手にしていては駄目だ。
と今年決意しました。

こんな私でも欲しい物があります。
別荘です。
場所は長野です。

買ったら元家主の藤田桃子さん夫婦も招きたいです。
よかったらデンマンさんも。

日本だったら、親をおいていくことなく、ゆけます。

でも、29才からバーナビーで夏休みを過ごすことができた事は
私の人生にとって良かったと思います。
ではまた。。。

小百合より


『軽井沢と小百合さん (2007年12月4日)』より

このメールをデンマンさんに書いた時には、小百合さんはまだ軽井沢に別荘を持っていなかったのでござ~♪~ますか?

まだです。

それで、今年(2008年)の7月に旧軽井沢に念願の別荘を買ったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。

カナダのバーナビーから軽井沢ですか?

軽井沢は小百合さんにとって“聖地”なのですよう。一生に一度の巡礼の旅に出たようなものでした。

つまり、“心のふるさと”なのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。次のメールを読むと軽井沢が小百合さんにとって“聖地”だという事が良く分かります。

Subj:明けましておめでとうございます。

Date: 01/01/2008 3:12:13 AM Pacific Standard Time
From: fuji@adagio.ocn.ne.jp
To: barclay1720@aol.com

お正月に何を書こうと迷いましたが
思いつくままに最近感じた軽井沢の不満
について書こうと思います。

題して“軽井沢不満たらたら編”ですう。

私は群馬で上州だから
学生の時から夏は軽井沢に良く出かけました。
(軽井沢は信州ですが)

那須とか日光には、めったにいきません。

私が学生のころ、高崎から横川へ碓氷峠を登り
軽井沢駅まで普通電車で安く行けました。

今は電車は横川止まりです。
子供達はバスで峠を登り軽井沢駅につきます。

大人は高崎から新幹線のホームへ向かい高いお金を払って、
峠を越えるというか、山の中をくぐってワープします。
長野オリンピックで便利になったけど
あの峠を新幹線でアットいう間にすりぬけてしまって、
釜めしは食べる時間もなく
軽井沢の駅の売店で買って食べたりして、
時間の流れが違ってしまいます。

子供のころ軽井沢ってほんと遠いな~というか
高い聖地にある町だな~と思い
楽しみに電車に乗って峠の風景をみていたものです。
私の子供にも経験させたかった。

碓氷峠にはいろいろ思い出があります。

東京も横浜も好きでよくいきますが、
スキーもできてVancouverのように
涼しい軽井沢がいいです。 

佐野はあつい~。
夏は昼間出かけられません
労働意欲もなくなります。

思いつくままに取りとめも無く書きましたが、
どうかデンマンさんも良いお正月を迎えてくださいね。

2008年元旦

小百合より

『釜飯と小百合さん (2008年1月3日)』より

分かりました。小百合さんが急に上流社会に憧れて軽井沢に別荘を持ったのではないと言う事が分かりましたわ。子供の頃からの夢だったのでござ~♪~ますわね?

そうですよう。“心のふるさと”だったのですよう。小百合さんが上流社会にこだわっている訳ではないのですよう。

でも、日本に上流社会が無かったと言うデンマンさんの暴言を許す訳にはゆきませんわ。

僕は日本に上流社会が無かったとは言ってません。

言ったじゃござ~♪~ませんか!

僕は司馬遼太郎さんについて書いてある本の中から関連箇所を引用しただけですよう。

上流社会は作られた

長岡磯子 (女学生時代)

朝吹登水子さんのお母さん

「梶浦です」
と、軍隊がなくなった国で、軍人のように15度の立礼をする学生に会ったのは昭和20年代の京都大学本部2階の記者室においてだった。(中略)
その日、きみは新聞部の建物からやってきた。
編集長になったばかりのときだったかもしれない。その前の編集長は吉田時雄だった。ゴムヒモのように旺盛に伸縮する表現力を持った吉田時雄からみると、きみは地味で、不必要なほど重厚な感じのする青年だった。まだ黒い制服の時代で、黒が少し褪めて赤みを帯びた上着を端正に着、声の音域が低いせいか、人柄の肉質まで厚いようにみえ、いかにも「以って六尺(りくせき)の弧を託すべし」という感じがした。この印象は、きみから生涯裏切られることはなかった。

カデット(cadet: 士官候補生)というのは、ヨーロッパの共通語で、原義は、たとえばドイツの農村貴族の場合でいうと、本家の子ではなく、次男、もしくは分家の子という意味らしかった。
ナポレオン以前、ドイツやイギリスで軍隊が編成される場合、貴族を代表し、領内の若者をひきいて戦場へゆく。それが制度化されて士官学校が創設されても、カデットという言葉がのこった。

初対面の梶浦幹生は、生きて呼吸する絵のようなナポレオン以前のカデットのように思われた。
死語ながら、梶浦幹生も植田新也も、どこからみてもサムライの子という感じがした。私は、当時、ほんの数年前まで軍隊にいて、それも非カデットの将校だったから、カデットの将校たちの優秀さに辟易(へきえき)した経験をもっていた。ヘンな言い方だが、きみを最初にみたとき、おやおや上官がいる、と思ったほどである。

「梶浦君、文化人類学的な質問と思って、素直に答えてくれないか。きみは、もしかしたら、お母さんのことを、お母さまとよんでいた?」
「よんでいました」
「むろん、会話は敬語で?」
「そうです」
「ありがとう。ところで母君も、梶浦君に対し、普通は敬語をつかっておられた?」
「はい」

司馬(遼太郎)がこうした質問を浴びせたのは、戦前の日本の「偕行社文化」といったものへの関心からだった。
日本陸軍の原型は長州や薩摩の下級武士によって作られた。だから、時に放埓で、しばしば地下(じげ)の者より柄が悪かった。そこで、政府は正規将校のクラブである偕行社(海軍は水交社)をつくり、英国の貴族的なクラブを範として正規軍人を「尊ばれる者には義務がある」という意味での貴族に仕立てようとした。

言うまでもなく、日本にはそのような意味での貴族文化がなかったから、範を、江戸の山の手に住んでいた上級の旗本の家庭にとった。かれらは武士貴族というべき存在で、ヨーロッパの貴族と同様、一旦緩急あらば難におもむく。
だから、江戸時代の上級の旗本の家庭がそうであったように母親は娘も含めてわが子に対し常に敬語で接した。男の子がいずれそうした貴族社会、敬語社会に入ることを考え言葉を習熟させるためだったという。

いわば司馬の世界にふらっと迷い込んできたような梶浦や植田との出会いから、これだけのことを洞察する司馬の眼力は確かだった。
そしてこれが後の『坂の上の雲』をはじめとする明治の「国づくり」の小説に生かされたのは言うまでもないだろう。


(214-217ページ) 『新聞記者 司馬遼太郎』
著者・産経新聞社 発行・(株)産経新聞ニュースサービス
2000(平成12)年2月12日 初版第1刷発行

でも、デンマンさんは上の文章を引用して、「上流社会は日本には無かった」と。。。暴言を吐こうとしたのでござ~♪~ますわア!

やだなあああぁ~。。。すぐに、そうやって卑弥子さんは表面的なことだけを捉(とら)えて、独断と偏見で誤解してしまうのですよう。

デンマンさんは、あたくしが誤解しているとおっしゃるのですか?

そうですよう。僕は「上流社会は日本には無かった」とは、言ってませんよう。

。。。んで、上の文章を持ち出して、いったい何が言いたかったのでござ~♪~ますか?

つまりねぇ、僕はすでに書いたけれど、いわゆる“下々の民”を従えようとしている、また支配している“お上(おかみ)”、つまり、上流社会は、歴史を見れば分かるように生まれては廃れて消えてゆく。そして、また生まれては消えてゆく。。。この繰り返しだったのですよう。その事を最も端的に言い表しているのが『平家物語』の次の冒頭の部分ですよう。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。

猛き人もついに滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。

「祇園精舎」というのは、お釈迦様がお弟子さんに説経をした建物です。
お金持ちの長者(須達)が提供してくれたそうです。
「鐘の音」というのは、そこで使われていた合図の鐘の音です。
現在の学校で使われているチャイムのような役目を果たしたのでした。

「諸行無常」は、人間の世事で変化しないモノは何もない。
不変なものはない。必ず変化してゆくのだという真理を述べているのです。
「沙羅双樹」はお釈迦様が亡くなった時に、側(そば)に生えていた木の名前です。
お釈迦様が亡くなると余りの悲しさゆえに、木々や草花まで枯れたという話があります。
つまり、この世の全ては、祇園精舎の鐘の音のように、沙羅双樹の花の色のように、必ず変化し消滅してしまうものだ。
一切、不変なるものはこの世にはない。

「盛者必衰の理をあらわす」とは、必ず、栄えるものは、いつかは衰退するのがこの世の定めだと言うのです。
金や権力などがあるのをいい事に、人を人とも思わないで勝手な事をするような人は長くは続かない。
それは春の世の夢にも似て、儚(はかな)いものなのだ。
勇敢な人も、つには滅びるときが来る。
その滅びる様は風に吹かれる塵のようなものです。

【デンマン現代語訳】

『上流社会 (2008年8月28日)』より

平家物語と言うのは、鎌倉時代に成立した平家の栄華と没落を描いた軍記物語です。卑弥子さんも良く知っているでしょう?

ええ。。。デンマンさんから先日、お聞きしたばかりでござ~♪~ますわ。

「上流社会」も「沙羅双樹」の花の色のように、必ず変化して消滅してしまうものですよう。卑弥子さんだって歴史を振り返ってみれば納得がゆくでしょう?

つまり、明治維新を迎えた時の日本には、上流社会というのは、もう無くなっていたと言う事でござ~♪~ますか?

そうです。当時の明治政府の首脳部はそう考えたのですよう。

日本陸軍の原型は長州や薩摩の下級武士によって作られた。
だから、時に放埓で、しばしば地下(じげ)の者より柄が悪かった。
そこで、政府は正規将校のクラブである偕行社(海軍は水交社)をつくり、
英国の貴族的なクラブを範として正規軍人を「尊ばれる者には義務がある」という意味での貴族に仕立てようとした。

言うまでもなく、日本にはそのような意味での貴族文化がなかったから、
範を、江戸の山の手に住んでいた上級の旗本の家庭にとった。

明治政府は、一口で言えば長州や薩摩の下級武士で作られたようなものですよう。柄が悪かった。そこで、言葉や振る舞いを見習うべき模範として、江戸の山の手に住んでいた上級の旗本の家庭を選んだわけです。

なぜ、京都の公家ではなくて江戸の旗本なのでござ~♪~ましょうか?

やはり、下級でも武士が明治維新を立ち上げたと言うので京都の公家よりも武士である江戸の旗本を選んだのでしょうね。

それで、下級武士たちが上流社会の一員になってゆくのでござ~♪~ますか?

朝吹登水子のおじいさんの長岡外史などは、まさに長州の下級武士の出身で士官学校を卒業して偕行社で“上流社会”の一員になる修行をしたようなものですよう。

長岡外史 (ながおか がいし)

安政5年5月13日(1858年6月23日)生まれ
昭和8年(1933年)4月21日)に満74才で亡くなる。

明治、大正期の陸軍軍人、政治家。
最終階級は陸軍中将。
フランス文学者朝吹登水子の母方の祖父。
長岡磯子の父。

周防国都濃郡末武村(山口県下松市)出身。
父は堀三右衛門で、徳山藩士長岡南陽の養子。(徳山藩は長州藩の支藩)
明治12年(1879年)、陸軍士官学校(旧2期)卒業。
明治18年(1885年)に陸軍大学校を一期生として卒業。
日清戦争では大島混成旅団の参謀、明治30年(1897年)には軍務局軍事課長を勤め、ドイツ派遣を経験する。
明治35年(1902年)には少将となり、歩兵第9旅団長を務める。
明治37年(1904年)からの日露戦争では参謀次長。
明治41年(1908年)には軍務局長となり、翌年には陸軍中将に昇進。
大正13年(1924年)の第15回衆議院議員総選挙で当選し、議員となる。

新し物好きであり第13師団長の時、スキーを軍隊に導入した。
また変わった所もあったようで「プロペラ髭」と呼ばれる長大な髭を蓄え、それを自慢したとされる。
自慢の髭は最長で70cm弱にも達したという。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

朝吹登水子さんのお母さんの長岡磯子も、当然、お父さんの影響を受けたでしょう。こういう人たちが明治、大正、昭和初期の上流社会の中核になっていったのでしょうね。

げんざい、そう言う上流社会は無いと。。。?

太平洋戦争後の財閥解体だとか、華族制度の廃止で、“戦前の上流社会”も時代の流れと共に消えていったのですよう。いまや“セレブ”だとか“ハイソ”がミーちゃんハーちゃんに、もてはやされている時代ですよう。

それは違うと思いますわ。

ん。。。?違う。。。?

上流社会は今も生きているのでござ~♪~ますわ。

ん。。。?戦前の上流社会が今もあると卑弥子さんは言うのですか?

戦前の上流社会は消え去ってしまったかもしれません。でも、本当の貴族社会は日本に今もなお存在しているのでござ~♪~ますわ。

まさかぁ~

まさかじゃござ~♪~ませんわ。デンマンさんの目の前に居る橘卑弥子は1300年の歴史を持つ橘家の子孫の一人でござ~♪~ますう。十二単を着て京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~♪~ますわぁ~。

ほおォ~。。。

フクロウのような鳴き声だけは、出さないでくださいましなぁ。あたくしの遠い祖先は橘三千代でござ~♪~ますわ。

県犬養橘宿禰三千代

(あがたのいぬかいのたちばなのすくねみちよ)

生年は不明。
660年とする説や665年とする説がある。
733(天平5)年に没する。

県犬養宿禰東人の女(むすめ)。
参議に至った県犬養石次は一説に弟。
命婦として宮中に仕え、軽皇子(後の文武天皇)の乳母を務めて後宮で勢力を振るった。
美努王(みぬおう・みのおう)との間に葛城王(橘諸兄)・佐為王(橘佐為)・牟漏女王をもうけ、藤原不比等との間に光明子をもうけた。
万葉集には県犬養命婦とある。

県犬養氏は『新撰姓氏録』によれば神魂命の八世孫、阿居太都命(あけたつのみこと)の末裔。
もと猟犬の飼育を職務とする伴造氏族。

初め美努王に嫁するが、694(持統8)年、美努王が大宰帥として筑紫に赴任した後、王を捨てて不比等の室となる。
701(大宝1)年、安宿媛(光明子)を生む。仮に葛城王を生んだ歳を20歳とすれば、この年37歳になり、当時としては非常な高齢出産であった。
708(和銅1)年11月25日、元明天皇の大嘗祭のとき、天武天皇の時代から仕えていることを称されて杯に浮かぶ橘とともに橘宿禰の姓を賜り、橘氏の実質上の祖となった。
721年(養老5年)正三位に叙せられ、同じ年元明天皇の危篤に際し出家。

736(天平8)年、葛城王は弟の佐為王と共に母の橘宿禰姓を継ぐことを請い、許される。
これに伴い、葛城王から橘宿禰諸兄と改名する。

「万葉集」に歌が1首おさめられ、また法隆寺に三千代のものと伝えられる「橘夫人厨子」がある。


参考資料: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

デンマンさんは、全く信じようとはしていませんわね?

いやぁ~。。。僕は改めてビックリしているのですよう。

そのようには見えませんわ。あたくしを小馬鹿にしたような、お目の色が出ておりますわぁ~。

僕はマジで驚いているのですよう。藤原不比等も橘三千代も、いわば日本を立ち上げた歴史上の偉大な人物ですよう。

そうでしたの?

そうなのですよう。

■ 『日本を立ち上げた男の出生の謎?(2006年7月7日)』

僕は、もう2年前になるけれど、上の記事を書いたのですよう。だから、藤原不比等と橘三千代には、メチャ興味を持っているのです。その橘三千代の血を引く者が、こうしてウェブカムを通して僕の目の前に座っていることに、僕は改めて驚いているのですよう。

それは、ちょっと、オーバーではござ~♪~ませんか?

いや、決して誇張しているわけではないのですよう。卑弥子さんが“小馬鹿かにしているのでござ~♪~ますわね”と言うから、僕はちょっとドラマチックに表現しただけですよう。ウへへへへへ。。。

。。。んで、やっと信じていただけるのでござ~♪~ますか?

信じて居ますよう。僕は初めから信じて居ますよう。。。それにしても、県犬養三千代が708年に橘姓をもらってから今年がちょうど1300年目なのですねぇ~。。。で、盛大な祝いをするのですか?

そうですわ。だから、あたくし、こうして1300年記念を祝うために5年前から十二単を着ていたのでござ~♪~ますわ。おほほほほ。。。

マジで。。。?

それは半分冗談でござ~♪~ますわ。でも、デンマンさんが信じてくださったので、あたくしは本当にうれしゅうござ~♪~ますわ。

どうして僕が信じて居ると思いますか?

そのような事を私が分かるはずもござ~♪~ませんわ。。。どうしてでござ~♪~ますか?

僕が卑弥子さんの言う事を信じないかぎり、これから僕が話すことも信じてもらえないからですよう。

それって。。。それって。。。一体、どのようなお話なのでござ~♪~ますか?

実は、僕の祖先が卑弥子さんの親戚の人と出会っているのですよう。

まさかぁ~。。。?

いや、本当の話です。これは史実なのですよう。

。。。んで、それって50年前とか。。。60年前のお話でござ~♪~ますか?

違いますよう。正確に言うと987年か988年前の事です。

千年も前のことでござ~♪~ますか?

そうですよう。

それって。。。それって。。。ご冗談でしょう?

違いますようマジですよう。その時、卑弥子さんの祖先に会ったと言っても、僕の祖先の男は、多分、卑弥子さんの祖先の女の子を見ていないと思うのですよう。見ていたとしても、記憶にとどめていなかったかもしれません。

それなのに、どうして、このようにはっきりと年数までが分かっているのでござ~♪~ますか?

卑弥子さんの祖先の可愛い女の子がちゃんと日記に書いているのですよう。

それで。。。それで。。。あたくしの親戚だとおっしゃる、その女の子とは、いったい誰なのでござ~♪~ますか?

実は、名前は伝わっていないのですよう。

これって、本当にマジなお話でござ~♪~ますか?

もちろん、マジですよう。今日のタイトルにもマジで関係していますよう。

余計な前置きはよろしいおすから、はよう話してくださいましなぁ~。

分かりました。今日は記事がずいぶんと長くなったので、またあさって、この続きを話しますよう。  

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
いつもの事ですわよう。余計な事を初めに書くから、重要な事が後になってしまうのですわ。
もう5年近くブログを書いているのに、デンマンさんは、まだ分かっていないのですわよね。んもお~~
記事を長くすれば良いと言うものではないのですわ。

要点を簡潔に書くことが重要なのでござ~♪~ます。
そうすれば、今回のように、本当に面白いお話を先送りにすることもないのでござ~♪~ますわ。

とにかく、あさってはメチャ面白くなりそうです。
あなたも、ぜひ、また、戻ってきてくださいましね。
では、あさってお会いしましょう。
じゃあねぇ。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

なんだか“上流社会”のお話が1000年の昔に

タイムスリップするようですわ。

それにしても、日本の歴史は

カナダの歴史と比べて長いですわよね。

日本には皇紀という年代記法があったのですわ。

ご存知ですか?

神武天皇がお生まれになった年を

皇紀元年にしたのです。

そう言う訳で、紀元前660年が皇紀元年なのですって。

つまり、西暦2008年を皇紀に換算すると

今年は皇紀2668年になるそうです。

カナダは今年の7月1日に建国記念日を祝ったのですが、

生まれてからまだ141才です。

新しい国ですよね。

でも、カナダにも原住民が居たのですよね。

その人たちに言わせれば、

カナダは日本より古い国になるかもしれません。

でも、日本にだって、神武天皇の前に

原住民が居たのですからね。。。

原住民のアイヌ人だとか、熊襲だとか、隼人だとか。。。

そういう人たちにとっては、

もっともっと古い国になるのでしょうね。

つまり、建国と言うのは、勝手に決められたモノなのです。

そう思いませんか?

 

ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

暑さを笑って吹き飛ばしたかったら

ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


 





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