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紫式部は妾か?
2009年6月2日

Subj:紫式部ならば、

僕の言う「広い愛」を

理解してくれるだろうと思います。

きゃはははは。。。

Date: 05/05/2009 1:25:50 PM
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間: 5月6日 水曜日 午前5時25分)
From: green@infoseek.jp
To: domini@yahoo.co.jp
CC: barclay1720@aol.com

ゴールデンウィークよりもっと楽しめるように、明日楽しい記事を書きますよ。
期待して待っててねぇ~♪~。
きゃはははは。。。

ウン。
あまり期待せずに待ってますゥ。

はい、期待しなくてもいいから、ぜひ読んでみてね。
夕べは、5月8日の記事『デンマン批判』を書き上げてからベッドにもぐって源氏物語を読み進めました。

■ 『デンマン批判 (2009年5月8日)』

卑弥子さんに馬鹿にされないために、一生懸命読んでいます。

“デンマンさんは、源氏物語の本質を

見抜いているのでござ~♪~ますわね!?

おほほほほ。。。”

卑弥子さんと源氏物語を語り合うときに
卑弥子さんの口から感嘆の声が出るようにと、源氏物語の行間まで読んでいます。

う~♪~ん。
紫式部と言う女性は、本当に素晴しいと思いますね。
紫式部ならば、僕の言う「広い愛」を理解してくれるだろうと思います。

でも、めれんげさんは「広い愛」が理解できません。
それで次のように言ったのです。

「馬鹿馬鹿しい!男女の愛は

閉鎖的にきまっておろうがア!

わたしまでが馬鹿になってしまうので、

あたたと別れますゥ!

デンマンさんは

いじわる星人でやんなった。」


『不倫の愛から広い愛へ (2009年5月4日)』より

めれんげさんは、このように言ったのですよう。うへへへへ。。。
もちろん、めれんげさんだって「広い愛」が理解できるのです。
そのうち、「また短歌の交換しましょうね」と小野小町のような事を書いてくれるはずです。
うしししし。。。

小百合さんも、どこかで「デンマンさんは いじわる星人でやんなった。」と言っていたなあああぁ~

しかし、小百合さんは紫式部のように「広い愛」を理解していると、僕は信じることができます。
小百合さんならば、間違いなく、素直に理解できるはずです。

卑弥子さんは理解しているけれど、感情的に受け入れる事ができそうにありません。
その卑弥子さんをうならせるような事が言えるように源氏物語をしっかりと読んでいるのです。

 (中略)

じゃあね。

『猫の記憶 (2009年5月9日)』より

こんにちは。ジューンです。

「千夜一夜物語」を読んだことがありますか?

「アラビアン・ナイト」とも呼ばれますよね。

わたしは映画で見たことがあります。

どのようにして物語が始まったのか?

実は、妻の不貞を見て

女性不信となったシャフリヤール王が

国の若い女性と一夜を過ごしては、

その女性を殺していたのです。

それを憂いた大臣が娘のシャハラザードを

王に嫁がせたのです。

娘は、千夜に渡って毎夜王に話を聞かせて

王の気を紛らわさせ、ついに殺すのを止めさせたというのです。

話がクライマックスに近づくと

「続きはまた明日ね」と言って娘は話を打ち切るのです。

王は次の話が聞きたくて

別の女性に伽(とぎ)をさせるのを思い留まり、

それが千夜続いたというのでした。

船乗りシンドバッドのような

実在の冒険商人たちをモデルにした話や

アッバース朝のカリフであるハールーン・アッ=ラシードや、

その妃のズバイダのような実在の人物が登場する話など、

多彩な物語が繰り広げられます。

面白いですよ。

あなたも、ぜひ読んでみてくださいね。

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


『門松とロマンポルノ (2009年1月3日)』より

また、『千夜一夜物語』でござ~♪~ますか?

そうですよう。紫式部が書く物語はシャハラザードが王様に話して聞かせたような面白い話でなくてはならないのですよう。

どうして、それ程面白い話にしないといけないのでござ~♪~ますか?

決まっているでしょう!そうでないと次のようなことにならないからですよう。

道長の娘の彰子の話が

クライマックスに近づくと

「続きはまた明日ね」と言って

彼女は話を打ち切った。

一条天皇は次の話が聞きたくて

別の女性に伽(とぎ)をさせるのを思い留まり、

それが毎夜続くようになって

将来、天皇になる二人の皇子を

お生みになったのでした。

このために、道長は紫式部に面白い話を書いて欲しかったのですよう。

つまり、道長様が紫式部さんのお部屋に夜中に忍んで行かれたのは、その面白いお話の打ち合わせに行かれたのでござ~♪~ますか?

当然の事でしょう。道長という人は文学にも、なかなか才能のある人だった。ウィキペディアには次のように書いてあります。

藤原道長

文学を愛好した道長は紫式部・和泉式部などの女流文学者を庇護し、内裏の作文会に出席するばかりでなく自邸でも作文会や歌合を催したりした。
『源氏物語』の第一読者であり、紫式部の局にやってきてはいつも原稿の催促をしていたといわれている(自分をモデルとした策略家の貴族が登場していることからそれを楽しみにしていたとも言われる)。

歌集『御堂関白集』を残し、自ら拾遺以下の勅撰歌人でもある。
また、花山天皇時代に行われた寛和二年内裏歌合に召人として参加している。
もっとも道長本人は和歌より漢詩の方を得手としていたようである。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 

いかにして一条天皇を娘の彰子の元に通わせるか?それには天皇を惹きつけるような面白い話でなければならない。ただ、エロい話ではダメなんですよう。

どうして。。。?

一条天皇も、なかなかの人物だったらしい。

一条天皇

道長は先に中宮であった定子を皇后とし、娘の彰子(しょうし)を中宮に立てて、一帝二后の先例を開いた。

一条天皇の時代は道隆・道長兄弟のもとで藤原氏の権勢が最盛に達し、皇后定子に仕える清少納言、中宮彰子に仕える紫式部・和泉式部らによって平安女流文学が花開いた
天皇自身、文芸に深い関心を示し、『本朝文粋』などに詩文を残している。
音楽にも堪能で、笛を能くしたという。
また、人柄は温和で好学だったといい、多くの人に慕われた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、知恵比べのようなものですわね?

そうですよう。だから、藤原道長は、悪いうわさが立つことも無視して、“背に腹は代えられない!” すばらしいアイデアが思い浮かぶと夜中でも紫式部の部屋を訪れて、このようなエピソードはどうだろう?このような話を書いてはいかがかな?そうやって、紫式部に題材を提供したのですよう。

つまり、『源氏物語』のエピソードの中には、藤原道長が話したモノもかなり含まれているとデンマンさんは見るのでござ~♪~ますか?

そうですよう。道長と紫式部という二人の優秀な文学者の才能が『源氏物語』の中に込められていると僕は思うのです。

分かりましたわ。その面白いお話を彰子様が一条天皇にお聞かせあそばしたのでござ~♪~ますわね?

そうですよう。

それで彰子様と一条天皇は、お話の後でシコシコと愛し合ったのでござ~♪~ますわね?

そうですよう。それで、やがて将来、天皇となる二人の皇子が生まれたのですよう。

だったら。。。、だったら。。。、紫式部さんと道長様が打ち合わせのあとで意気投合して、シコシコと愛し合ったかもしれないではござ~♪~ませんか? 

やだなあああァ~。。。卑弥子さんは、どうしても二人に関係を持たせたいのですね?

だってぇ、その方がワクワクして面白いでしょう?うふふふふ。。。

うふふふふじゃありませんよう!僕は、この話をエロいオチで終わらせたくないのですよう。

でも、実際にそのようなことはよくあることでござ~♪~ますわ。

でもねぇ、道長と紫式部の間には、そのような浮いた話は無いのですよう。

どうして、デンマンさんは、見てきたように断定なさるのでござ~♪~ますか?

根拠があるからですよう。

分かりましたわ。じゃあ、その根拠をお話しくださいな。

あのねぇ~、かつて平家は、あれほど羽振りが良かったのに、呆気ないほど朝露のように消えて滅んでしまったのですよう。卑弥子さんは、なぜだと思いますか?

あたくしはデンマンさんと歴史的な出来事を議論するつもりではござ~♪~ませんわ。

でもねぇ、歴史的な事を抜きにして歴史的な人物である紫式部と藤原道長を語る事はできないのですよう。

あたくしは歴史など、どうでも良いのでござ~♪~ますわ。紫式部さんと道長様が打ち合わせのあとで意気投合して、シコシコと愛し合った、とあたくしは思っているのですわ。それなのに、デンマンさんはそんな事は無かったと見てきたような事をおっしゃいます。あたくしは、歴史の事よりも、ただこの一点について、なぜシコシコ愛し合わなかったのか?デンマンさんのご意見を伺いたいのでござ~♪~ますわ。

だからぁ~、その事を説明するには歴史的な出来事を持ち出さねば説明の仕様がないのですよう。

また。。。、また。。。、回りくどいお話になって、最後にお預けになるのでござ~♪~ますでしょう? 

いや。。。、ちゃんと証拠となる出来事を卑弥子さんが分かるように説明しますよう。

分かりましたわ。なるべく手短にお話しくださいな。

実は、卑弥子さんも良く知っている事なのですよう。

祗王の夢は儚(はかな)く露と消えて…

白拍子になってしまいましたわア~。

うふふふふ。。。

デンマンさんが小百合さんのために

出ろっつうんでござ~♪~ますわよう。

ええっ? どうしてかって。。。?

苔にハマッている小百合さんのために

美しい苔のある風景をお見せしなさいって

言われたのでござ~♪~ますわ。

そう言う訳で、祗王(ぎおう)寺を紹介しますわ。

美しいでしょう!

苔の美しい庭がいいですよね。

その向こうに見えるのが祗王寺でござ~♪~ますわ。

祗王や清盛の仏像がまつられているのですゥ。

法然上人(ほうねんしょうにん)の門弟・良鎮によって

建てられた往生院の境内地にあったのですが、

往生院が荒廃した後は小さな尼寺として残り、

祗王寺と呼ばれるようになったのでござ~♪~ます。

でも、江戸末期に廃寺となってしまったのですわ。

明治28(1895)年に当時の府知事であった北垣国道さんが

茶室を寄進して再建したのでござ~♪~ます。

現在では大覚寺の塔頭(たっちゅう【わきでら】)となっていて、

紅葉の名所、また、

平家物語の悲恋物語の舞台として知られているのです。

平清盛の寵愛を受けた白拍子・祗王が、清盛に捨てられた後、

妹の祗女とお母さんと仏御前(ほとけごぜん)と

過ごした寺でござ~♪~ますわ。

このお話は「平家物語」・祗王に詳しく描かれています。

小さな庵と苔が美しい庭園を見ていると、

「平家物語」の時代にタイムスリップした気分になりますわ。

嵐山の奥のほう、竹と楓(かえで)に囲まれた、

どこか女性的な感じを受ける草庵でござ~♪~ます。

庭は苔のジュウタンで覆われ、

蹲(つくばい)を流れ落ちた水が小川となり、

楓の足元を大きくうねりながら流れてゆくのですわ。

紅葉の見ごろは、少し遅めの12月上旬でござ~♪~ます。

なぜなら、庭苔の緑に、散り始めた紅葉が

朱をさして美しいからですわ。

デンマンさんとご一緒に見たいものですわぁ~。

おほほほほ。。。

では、平家物語「巻第一 祗王の章」の

あらすじをお話いたしますわ。

ところで白拍子というのは、平安時代後期に活躍した、

一口で分かりやすく申し上げるならば、

芸者のような者でござ~♪~ますわ。

このように白の水干(すいかん)に

立烏帽子(たてえぼし)、白鞘巻(しろさやまき)という男装で

「今様(いまよう)」と呼ばれる歌を謡(うた)いながら、

男舞(おとこまい)と呼ばれる舞(まい)を

舞(ま)うのでござ~♪~ます。

白拍子であった祗王は、時の権力者・平清盛の寵愛を受け、

彼の館で幸せに暮らしておりました。

あるとき、清盛に歌舞を披露したいという

別の白拍子が現れたのです。

その者が仏御前(ほとけごぜん)だったのですわ。

ただの白拍子に過ぎない仏御前を

清盛は追い返そうとしました。

でも、遠路はるばるやってきた彼女を見かねて、

心の優しい祗王がとりなしたのでござ~♪~ますわ。

それで、仏御前は清盛に舞を見せることになりました。

しかし、これを見た清盛は心を奪われ、

仏御前を寵愛するようになってしまったのでござ~♪~ます。

皮肉なものでござ~♪~ますわねぇ~。

男と言うのは本当に浮気なものでござ~♪~ますわ。

祗王の座を奪う気持ちのない仏御前は

辞退しようとしました。

しかし、それに気づいた清盛は、

邪魔な祗王を追放してしまったのですわ。

本当に悲しい事でござ~♪~ますゥ。

萌え出づるも

枯るるも同じ

野辺の花

いづれか秋に

あわではづべき

館を出る祗王がせめてもの忘れ形見にと

詠んだ句でござ~♪~ます。

さらに翌春、清盛は退屈している仏御前を

慰めるためといって、

祗王に仏御前の前で舞を披露することを強要したのです。

祗王は、あまりの屈辱に

死を決意するのでござ~♪~ました。

しかし、五逆罪になることを母親が説き、

やむなく祗王は清盛の館へ向かうのです。

仏もむかしは凡夫なり

われらも遂には仏なり

いずれも仏性具せる身を

隔つるのみこそ悲しけれ

このように謡(うた)いながら舞い踊り、

諸臣の涙を誘ったのでござ~♪~ます。

祗王は都に居れば、

また同じような思いをしなければならないと、

母、妹と共に尼となり、嵯峨の山里で仏門に入るのでした。

当時、祗王21歳、妹の祗女は19歳、

母の刀自(とじ)は45歳でござ~♪~ました。

ところが、ある秋の夕べ、

仏御前は祗王の元を訪れたのです。

なぜ。。。? どうした事でござ~♪~ましょうか?

実は、祗王の運命を自分に重ねて世の無常を思い、

仏御前は、清盛の館を抜け出して

尼となっていたのでござ~♪~ます。

それからのち、祗王一家と仏御前は、余念無く仏道に励み、

みな往生の本懐を遂げたのでござ~♪~ます。

めれんげさん、いかがでござ~♪~ますか?

女の身として涙なくしては読めないですよね。

おほほほほ。。。

『愛憎と苔寺 (2008年10月7日)』より

祗王と仏御前と平清盛のお話を持ち出してきて、デンマンさんはまたこじつけようとなさるのでござ~♪~ますか?

やだなあああぁ~、そのような人聞きの悪い事を言わないでくださいよう。藤原道長は紫式部と不倫関係にはならなかったのですよう。だから、藤原氏は平家のように呆気なく滅びる事はなかったのです。

つまり、平清盛は不注意に祗王と仏御前と関係を結び、その事が平家の滅亡につながったとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?

その通りですよう。

信じられませんわ。

あのねぇ~、清盛は女性の扱い方を知らなかったのですよう。。。いや、女性と限ったことじゃない。人の扱い方を知らなかったのです。

そうでしょうか?

だから、人を育てようともしなかった。。。それで、清盛が亡くなると平家は、はかなく滅亡してしまった。なぜならば、清盛の跡を継ぐ人物が居なかったからです!

つまり、清盛は人を育てられるような人ではなかったと、デンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?

そうですよう。女性の扱いを知らない男に、どうして人が育てられるか!?

つまり、女性の扱いを知らない平清盛は、人を大切に育てる事もおろそかにしていた。。。その事が祗王と清盛の関係によ~く表れていると、デンマンさんはおっしゃるのですか?

その通りですよう。卑弥子さんだって、自分で説明した事をじっくりと読み直せば、そう思うでしょう?

そうでしょうか?

とぼけた事を言わないでくださいよう。卑弥子さんは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している准教授なんですよう。んも~~

また。。。、また。。。、あたくしの職業を持ち出してきて、デンマンさんは必要以上にあたくしにプレッシャーをかけるのでござ~♪~ますか?

やだなあああぁ~。。。僕は、そんな意地の悪い事をしませんよう。清盛よりも祗王の心の方が人間としてどれほど素晴しい事か!ミーちゃんハーちゃんだって卑弥子さんの説明を聞けばすぐに分かるのですよう。

それは。。。あたくしだって、ある程度は分かりますわ。仏御前(ほとけごぜん)は尼になり清盛のもとを離れて祗王の住む祗王(ぎおう)寺へ行ったのですもの。。。やっぱり、清盛の心よりも祗王の心に打たれたのでござ~♪~ますわ。

その通りですよう。

でも。。。、でも。。。、その事と道長様が紫式部と関係を持たなかったという事が関係あるのでござ~♪~ましょうか?

もちろん関係ありますよう。

どのように。。。?

卑弥子さんは藤原家に伝わっている“バイブル”を知っていますよね?

あのォ~。。。道長様はキリスト教徒だったのでござ~♪~ますか?

やだなあああぁ~。。。、んも~~。。。とぼけた事を言わないでくださいよう。卑弥子さんは、僕の歴史サイトのマスコットガールも務めているのですよう。次の記事を読んだことがあるでしょう?

■ 『マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?』

もちろん読みましたわ。

だったら、“藤原氏のバイブル”がキリスト教とは関係ないことぐらいは知っているでしょう?。。。笑ってもらいたくって、愚かな質問をしたのですか?も~~

うふふふふ。。。ど忘れしていたのでござ~♪~ますわぁ。ごめんあそばせぇ~。。。んで、そのバイブルがどうしたのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、“バイブル”の中には「八徴の法」という人物の本性を見抜く八つの方法が載っているのですよう。

「八徴の法」

1) 質問してみて理解の程度を観察

2) 追及してみてとっさの反応を観察

3) 間者をさしむけて内通を誘い誠実かどうかを観察

4) 秘密を打ち明けてその人徳を観察

5) 財政を扱わせて正直かどうかを観察

6) 女を近づけてみて、人物の堅さを観察

7) 困難な任務を与えてみて勇気があるかどうかを観察

8) 酒に酔わせてみてその態度を観察

なんだか、エゲツナイことが書いてござ~♪~ますわねぇ~。

そうでしょう。。。でも、人間の本質を突いていると思いませんか?人間の弱いところ、痛いところを見極めて、なかなか意味のあることを言っています。もちろん、まともなことも、たくさん書いてあります。くだらないことばかり書いてある本だとしたなら、藤原鎌足が見向きもしなかっただろうし、結局、現代まで伝わらなかったでしょう。

それで、上の「八徴の法」がどうだとおっしゃるのでござ~♪~ますか?

6番ですよう。

「女を近づけてみて、人物の堅さを観察」でござ~♪~ますか?

そうですよう。藤原家は『六韜(りくとう)』の教えを忠実に守ってきた。だから、平家のように滅びる事もなかった。「八徴の法」も『六韜(りくとう)』に書いてある。

それで。。。?

つまり、弱みを見せてはダメなのですよう。藤原氏の間でも権力闘争が続いていた。道長の系統は藤原北家だけれど、それ以前に権力を握っていたのは藤原南家だった。

藤原南家は権力の座から落ちてしまったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。南家の仲麻呂(なかまろ)は術に溺れてしまった。

具体的には、どのように没落したのでござ~♪~ますか?

仲麻呂の子供には藤原朝狩(あさかり)のように壮大なビジョンを持っている人が居た。人の扱いもうまくて、その当時大和朝廷が頭を痛めていた荒蝦夷(あらえびす、あらえみし)とも戦わずして服従させる事ができた。たぶん、生きていれば東日本連合王国を築いていたかもしれませんよう。

。。。んで、どうなったのでござ~♪~ますか?

藤原仲麻呂の乱で仲麻呂も朝狩も殺されてしまった。朝狩は父親よりも頭が良くて、人の扱いもうまかった。血がつながっていなかったら父親と行動を共にしなかったでしょう。でも、仕方なしに父親に従ったのですよう。詳しい事は次の記事を読んでみてください。

■ 『枕詞とロマン (2009年5月15日)』

仲麻呂は術に溺れたと、デンマンさんは見ているのでござ~♪~ますか?

そうですよう。

“策士、策に溺れる”

このような自分の一族の失敗から充分に学んでいる道長は、自分の弱みを見せない。弱みを見せれば付け込まれる事を知っている。道長は権力闘争の真っ只中に居ましたからね。。。

それで、女性に対しても慎重だったと、デンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?

その通りですよう。もし、道長が平清盛のように女性に対して、すぐに手を出すような男なら、また、仲麻呂のように策を弄しすぎたとしたら、藤原北家は現在まで生き残れなかったでしょう。

藤原北家は、現在でも存続しているのですか?

そうですよう。昭和時代に近衞文麿(このえ ふみまろ)首相を出した近衛家は藤原北家の主流ですよう。

つまり、藤原家を存続させるために道長様は自重自戒(じちょうじかい)しながら政権を維持したとデンマンさんは見ているのでござ~♪~ますか?

そうですよう。道長が女性にだらしなかったら、藤原北家は、現在まで存続できなかったでしょう。

そうでしょうか?

平清盛と比較してくださいよう。僕よりも、卑弥子さんの方が詳しいでしょう?どうなのですか?

分かりましたわ。でも、なんだかデンマンさんの理屈に巻かれてしまったような気が致しますわ。

卑弥子さんは、僕のこじ付けだと言うのですか?

いいえ。。。こじつけとは申し上げませんわ。でも、もっと道長様の身近なところに証拠があるのならば、すぐに納得がゆくのですけれど。。。

分かりました。だったら、身近な証拠も見せますよう。。。でも、記事が長くなったから、その証拠は別の機会に書きますねぇ。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
またですわよう。また、お預けですわ。
デンマンさんの記事は、どうしても長くなってしまうのですわ。
引用が多いからですわよう。
でも、仕方ありませんわ。

とにかく、まだ面白い話が続きますう。
どうか、あなたも、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、またねぇ。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

“女を近づけてみて、

人物の堅さを観察”

う~~ん。やっぱり、エゲツナイですよね。

ちょっとやりすぎではないかと思います。

でも、その目的とするところは分かります。

ただし、現在、これをやると、

基本的人権を無視している!

そう言われそうですよね。

女性を近づけて見なくても、

男性が女性と、どのようなお付き合いをしているのか?

それを見れば、だいたい分かりますよね。

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

卑弥子さんには、ちょっと信じがたいような

恋物語がありますわ。

関心があったらぜひ次のリンクをクリックして

じっくりと読んでみてくださいね。

■ 『平助さんが卑弥子さんに恋をしたのがウンのつき』
  (2005年5月3日)

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


 





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