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宮本武蔵と
絶望的な馬鹿 by デンマン & 卑弥子
2009年7月8日
Subj:FC2 のソーシャルネットワーク
【軽井沢タリアセン夫人】 に
誰でも書ける掲示板を設置しました。
\(^_-)ノ きゃはははは。。。 Date: 22/06/2009 12:10:54 AM http://barclay.sns.fc2.com/ 上のURL をブラウザの小窓に入れてクリックしてみてね。 誰でも書けて読めるスレッドを掲示板に作りました。 ♪┌(・。・)┘♪ キャハハハ。。。 じゃあねぇ~。 (\__/)
日付: Tue, 30 Jun 2009 10:12:42 +0900 (JST)
差出人: "domini@yahoo.co.jp" 宛先: "green@infoseek.jp"
件名:子供の事でいろいろと
ごたごたがあって
睡眠不足です。 はい デンマンさん 子供の事でいろいろとごたごたがあって、 でも、何とか収まって、私も一応平常心に戻りました。 起きても寝た気がしないのです。 書き始めたばかりですが、 さゆりより
Subj:小百合さんもまた犬を飼ったら?
\(^_-)ノ きゃはははは。。。
Date: 30/06/2009 12:45:49 AM
はい デンマンさん うん、うん、うん。。。 \(*^_^*)/ キャハハハ。。。 めれんげさんの記事を読んで、小百合さんが気を利かせて、メールを書くのを控えたのかな? でも、全く違う事で小百合さんは頭を痛めていたんだよね。
子供の事でいろいろとごたごたがありまして、 でも、何とか収まって、私も一応平常心に戻りました。 起きても寝た気がしないのです。 うん、うん、うん。。。 でも、精神病院へ子供を入院させるよりも、ずっとましですよう。 “人間万事塞翁が馬!” 悪いことばかりは続かない!
書き始めたばかりですが、 虫の知らせとでも言うのでしょうか!? 7月4日の記事です。 元気出して、 ♪┌(・。・)┘♪ キャハハハ。。。 じゃあねぇ~。 (\__/)
日付: Wed, 1 Jul 2009 10:22:57 +0900 (JST)
(バンクーバー時間:6月30日 火曜日 午後6時22分) 差出人: "domini@yahoo.co.jp" 宛先: "green@infoseek.jp"
件名:ペットもいいけれど、
今は、子供のことで手一杯ですよう。 ペットね。。。? 夕べも、子供の事でいろいろと考えることがあって、 書き始めたけれど、 さゆりより
Subj:プリンス。。。う~♪~ん、
軽井沢プリンスホテルスキー場を 思い出すね。 プリンスにしたらどう? \(^_-)ノ きゃはははは。。
Date: 30/06/2009 7:14:59 PM ペットね。。。? 夕べも、子供の事でいろいろと考えることがあって、 う~♪~ん。。。 小百合さんのために名前を考えているのだけれど。。。 権チャン、。。。ちょっとダサいかな? やっぱり、プリンスがいいね! \(*^_^*)/ キャハハハ。。
書き始めたけれど、 やっぱり、眠いの? バンクーバーは、今日、すばらしい天気になりました。
♪┌(・。・)┘♪ キャハハハ。。。 ヴィエンナコーヒーを入れて、べーグルを食べながらこれを書いてます。 バンクーバーアートギャラリーの裏の青空カフェね。
FC2 の SNS で軽井沢タリアセン夫人を書こうと思ったけれど、あそこのエディターでは、僕のブログのように、いろいろと細工をほどこした記事はうまく表示されないのですよう。 小百合さんは“軽井沢タリアセン夫人”を期待していないようだけれど、僕はハマッていますよう! \(^_-)ノ きゃはははは。。。 ヤらしいことも格調高くしましたからね。。。 小百合さんもワクワク、ドキドキ、ウキウキ。。。、めちゃうれしくなって読めるような大河小説になりました。 じゃあねぇ~。 (\__/)
日付: Wed, 1 Jul 2009 13:23:03 +0900 (JST)
(バンクーバー時間:6月30日 火曜日 午後9時23分) 差出人: "domini@yahoo.co.jp" 宛先: "green@infoseek.jp"
件名:デンマンさんとメールの交換が
できるって幸せですね。
\(^_-)ノ はい こうやって メールで元気だよ
何を食べたの?ベーグルね さゆりより
Subj:やっぱり、ペットの名前は
プリンスがいいよね!? \(^_-)ノ きゃはははは。。。
Date: 30/06/2009 10:24:52 PM
はい こうやって メールで元気だよ そうですよう。そうですよう。 こうして小百合さんと、メールの交換ができると言うことは本当に幸せなことです。 もちろん、小百合さんの言葉では“軽井沢タリアセン夫人”ではなく、“聖地・軽井沢”のようなものなんだろうけれど。。。 \(*^_^*)/ キャハハハ。。 でも、僕には、やはり、“軽井沢タリアセン夫人”というイメージで小百合さんは僕の夢とロマンに格調高く登場するのですよう。 \(^_-)ノ うしししし。。。
主人は先週から 旅行なので 私が子供を見張ってるしかないし一泊でさえ山小屋にも 行けなかった。 旦那はよく出かけますねぇ~。
何を食べたの?ベーグルね
ハム、トマト、それにポテトチップを入れて、べーグルサンドイッチにして食べましたよう。 ♪┌(・。・)┘♪ ぎゃハハハハ。。。 ちょっと思いつかないでしょう???
今日も なんだか 眠い はい、はい、はい。。。眠る子はよく育つと言いますからね。。。 \(^_-)ノ ばんざ~♪~い。。。 どうなっているかと思って FC2 の SNS を覗いてみたら 23時間前に “さゆちゃん”が友達登録していました。 でも、残念ながら、あの SNS は使い物になりません。 LycosUK のサーバは不安定で、最近、うまく書けないのですよう。
それまで、じっくりと“軽井沢タリアセン夫人”を書き続けます。 じゃあねぇ~。 (\__/)
デンマンさん。。。、どうして、メールをこれほど長く引用したのでござ~♪~ますか?
小百合さんは子供の事で頭を痛めて、しばらくメールを書いてなかったのですよう。 それで。。。、メールが出せるのは幸せだと、しみじみと語っているのでござ~♪~ますか? そうなのですよう。 ちょっと大げさではありませんか? 卑弥子さんは子供を持ったことが無いから分からないのですよ。 まだ未婚の母になっていませんから、確かに子供を持っておりませんわ。しかし、子供として母を見てきましたわ。あたくしは、それ程母親を悩ませなかったと思うのでござ~♪~ますわ。 だから、卑弥子さんは子供の頃、おとなしくて従順な良い子だったのですよう。 それでは、今のあたくしは、口うるさくて反抗的でイヤな女なのでござ~♪~ますか? 違いますよう。。。ちがいますよう。。。やだなあああァ~。。。卑弥子さんは、すぐに被害妄想に落ち込んで自分の事だと思い込んでしまうのだから、も~~。 では。。。いったい。。。どなたの事を考えていたのでござ~♪~ますか? 漢字馬鹿のことですよう。。。漢字馬鹿の母親は我が子を置いて家出してしまったのですよう。 マジで。。。? 僕は大真面目ですよう。。。だから、漢字馬鹿はひねくれた性格なのですよう。しかも、悪意に満ちた人間になってしまったのですよう。 『宮本武蔵と絶望的な馬鹿』というタイトルの“絶望的な馬鹿”というのは漢字馬鹿さんのことなのでござ~♪~ますか? 卑弥子さんは、自分のことだと思ったのですか? デンマンさん!。。。そのような破廉恥な事を言わないでくださいなァ! あのねぇ~。。。漢字馬鹿のように、宮本武蔵も不幸な少年時代を過ごしたのですよう。 どのような。。。? ちょっと読んでみてください。 武蔵の母という人は、播州領の佐用郡平福村の別所家から嫁いで来て、後に離別になって田住政久(たずみまさひさ)という者へ再婚した率子(よしこ)というのがそれであるという説と。また、今、大野村に墓のある於政(おまさ)というのがそうだという説とがある。 なお、於政は後家であって、武蔵はそのために、幼少から播州と作州の実家との両方に往き来していたのだというような記述もあるが、穿(うが)ちすぎていると思う。 どっちみち、家庭に恵まれない冷たいものが、彼の幼時をつつんでいることは見逃しがたい。 後年の彼の流浪性は、そこに宿命していると思う。晩年、岩殿山(いわとのやま)霊巌洞(れいがんどう)に枯骨(ここつ)を運んで、座禅しながら死を待つあの寥々(りょうりょう)とした終焉の身辺も、この家庭から生んだものと僕は思う。 直木三十五が最も憎む所の、武蔵が敵に対しての残忍なほどの冷厳さと、老後にも時々錐(きり)のように現れた野性とは、彼の血液のうちにあったものには相違ないが、後天的にも、この家庭の冷たいものがかなり育ててはいないだろうか。 彼が老後に自分のなぐさみに持った画筆のように、墨で一抹刷(いちまつは)いたような東洋的虚無観が、六十年の生涯を渺(びょう)として貫いているすがたなども、僕には、彼の少年時代の家庭が最も重視されるのである。 そういう家庭に育まれたせいと見るほかにないのは、もう一つ、武蔵のあれほどな遺文中にも、父母のことについては、一字も誌(しる)したものがない点である。 どの道にも別を悲しまず などは、いかに彼がそれへの纏綿(てんめん)な愚痴を抱いている煩悩人(ぼんのうじん)であるかがわかるではないか。 141-143ページ 『随筆・宮本武蔵』
これを読むと、武蔵の不幸な生い立ちが良く分かるのですよう。
そうでしょうか? だってぇ、武蔵が書き残したものに、父母のことが一字も書いてないという!これは、ある意味で異常ですよう。僕の記事を読んでください。決して多くはないけれど、父親と母親のことが書いてありますよう。 デンマンさんは意識して書いたのでござ~♪~ますか? いや。。。書きたくて書いたのではないのですよう。僕は大学生になるまで父母と一緒に生活したから、子供の頃のこと、青年になるまでの事はどうしたって父母のことが書きたくなくても出てくるものですよう。 つまり、武蔵は父母の事を書きたくても書けなかった。。。デンマンさんは、そうおっしゃるのでござ~♪~ますか? たぶん、母親とは一緒に過ごした記憶がほとんどないのでしょう。 お父様とは。。。? 思い出したくない記憶だから、書きたくなかったのでしょうね。 なぜ。。。? 吉川英治は次のように書いていますよう。
丹治峯均(たんじほうきん)筆記にはまた、こんな話ものせている。
武蔵、幼年から父の兵法を見て、いつも口さかしく誹謗する、無二斎はわが子ながら気にくわないでいる所、当時、楊枝(ようじ)を削っている室に武蔵もいた。 その小刀を手裏剣(しゅりけん)にして、ふいに投げ打つと、武蔵が面をかわしたので、小刀はうしろの柱に立った。 無二斎が怒って、今度はほんとの小刀を打ったがまたかわして外へ逃げ出した。 そこで、彼は家に帰らず、播州の母方の僧を頼って郷里を捨ててしまったという。 これなどは、どう考えても、受けとり難い。よほど無二斎という人物が、子に対して特異な性情の人でない限りは考えられない話だ。 しかし、こんな史実的に価値のない話でも、こういう村の口碑が彼の死後百年ちかい後の記述にも筆にされる理由には、何か、内容とは別な暗示を持っていると僕は思う。 140-141ページ 『随筆・宮本武蔵』 つまり、父親は居たかも知れないけれど、実父ではなかった。しかも、その父親には、かなり厳しく育てられたことが考えられるのですよう。武蔵には思い出したくない存在だったに違いない。 それで、武蔵はお父さんの事について一字も書かなかったのでござ~♪~ますか? そうですよう。それ以外に考えられないでしょう?。。。卑弥子さんには他に理由が考えられますか? そうですわねぇ~。。。お父さんの事を思い出すと、イヤになる事ばかりだからお父さんの事を思い出そうとしなかったのでしょうね。。。そう言えば、小百合さんがデンマンさんとめれんげさんの事について書いていましたわ。 なんて。。。? 小百合さんは次のように書いていましたわ。。。
日付: Mon, 18 May 2009 10:31:41 +0900 (JST)
(バンクーバー時間: 5月17日 午後6時31分) 差出人: "domini@yahoo.co.jp" 宛先: "green@infoseek.jp" 件名:ブログにばかり熱くならないで
休んでください。
はい おはようございます 一週間 実家に泊って 片付けしていたら あまりメールや写真を載せて 人の反感かっても はい これから 実家を換気に行ってきますね。 あさってから 長期お休みもらって、 軽井沢に出かけます。 ほら、メールやブログに縛られないで、映画に行くとか プールに行くとか さゆりより
めれんげさんがデンマンさんにムカついて短歌を書いたり、詩を書いたりしていることは、“まだ優しい方ですよ”と小百合さんは言っているのですわ。 うん、うん、うん。。。そう書いてますねぇ~。 確かに考えてみれば、そうかもしれませんわねぇ~。武蔵はお父さんの事も、お母さんの事も一字も書いてない。お父さんは思い出すだけでもイヤな思い出ばかりだから書かなかったとしても、お母さんは思い出したくても思い出がなかったのでござ~♪~ますわ。 そうですよう。。。そうですよう。。。めれんげさんがムカついて僕の事を書いているということは、確かに、武蔵のことを考えれば、僕は無視されていない。めれんげさんには、やっぱり、僕と忘れがたい思い出がある。。。確かに、めれんげさんは、まだ優しい方なのですよう。。。うししししし。。。 デンマンさん!。。。鼻の下を伸ばしている場合ではありませんわア。。。宮本武蔵にぶった切られた愚か者をデンマンさんはマジで紹介してくれるはずだったでしょう。 そうでした。忘れていましたよう。。。あのねぇ、武蔵の父親は上の説明にもあるように、かなり厳しい人だったことが分かるのですよう。 実父ではなかったのでしょうか? たぶん、血はつながってなかったのでしょう。小刀を投げたり、手裏剣を投げたり、父親のすることではないですよう。。。でもねぇ、そのような厳しい父親を持ったために、武蔵は子供の頃から人間を見極める目ができていたような気がしますよう。 。。。んで、宮本武蔵が13歳で剣客と戦って勝ったというお話は本当でござ~♪~ますか? 武蔵自身が『五輪書(ごりんのしょ)』の序文に次のように書いているのですよう。 われ若年のむかしより
兵法の道に心をかけ、
十三にして初めて勝負をなす、
その相手新当流の有馬喜兵衛 この事について吉川英治は次のように書いています。
十三歳で有馬喜兵衛を殪(たお)したという話も、武芸小伝によると、喜兵衛は、当時の剣道の大家松本備前守の刀系をひいている有馬豊前守の一族の者で、その豊前守は徳川家康の命で紀州家へ移ったという人物である、そういう一族の者で、しかも天真正伝(てんしんしょうでん)の神道流をうけていたという有馬喜兵衛が、いくら何でも、子どもと喧嘩はすまい。
武蔵の生まれた郷里、作州吉野郡讃甘(さぬも)村という村に、有馬喜兵衛なるものが矢来を組み、金箔(きんぱく)の高札(こうさつ)を立てて試合の者を求めたというのである。 (中略) 有馬喜兵衛ともある士が、小児の悪戯(いたずら)ぐらいに赫怒(かくど)して、これとムキになって闘ったとなると、こいつは兵法家として成っていない男だ。 139-140ページ 『随筆・宮本武蔵』 でも、13歳といえば中学1年生でござ~♪~ますわ。いくらなんでも、中学1年生が大人を殺すことができるでしょうか? あのねぇ~、武蔵は大男だったらしい。とにかく6尺あったということだから、身長は180センチですよう。だから、13歳の時にも、かなり大きかったはずです。 でも、中学生ですわ。相手は兵法者ですわ。つまり、プロの殺し屋のような者でしょう? 確かに、そうですよう。でもねぇ、ここで考えなければならないことが2つあります。 一つは。。。? まずねぇ、武蔵はそこらで遊んでいるミーハーの中学生ではなかったということですよう。 どう言う事でござ~♪~ますか? 厳しい父親に育てられた。小刀を投げられたり、手裏剣を投げられたりした。もちろん、それが事実だったと、僕は思わないけれど、そういう伝説があったということは、武蔵が父親に厳しく鍛(きた)えられたと言う事が十分に分かりますよう。 そのように厳しく教育されているうちに、武蔵は相手の強さを見抜くことができるようになったのでござ~♪~ますか? そうですよう。とにかく、手裏剣の使い手である父親の手裏剣をかわすことができるほどだったから、武蔵は幼いうちから、身の動きがすばやかったのですよう。また、父親に“スキ”を見せなかった。。。、リスのように身動きが素早く、サルのように狡猾(こうかつ)だったのですよう。そうでもなかったら、大怪我をしているか、生きてはいなかったでしょう。 それで、二つ目とは。。。? 吉川英治は次のように書いていた。 有馬喜兵衛ともある士が、
小児の悪戯(いたずら)ぐらいに
赫怒(かくど)して、
これとムキになって闘ったとなると、
こいつは兵法家として
成っていない男だ。 つまり、武蔵の眼から見ても、これはたいした人物ではないと見極められていたのでござ~♪~ますか? そうですよう。いい年をした大人でも漢字馬鹿のような駄目な男が居ますからね。。。うしししし。。。漢字馬鹿は人を見極めることができない。成りすましてもすぐに見破られてしまう。有馬喜兵衛も、兵法者としては失格ですよう。おそらく偽者(にせもの)だったのでしょう。 でも、中学生に大人が殺せるでしょうか? あのねぇ、吉川英治が本の最後の方で、その模様を次のように書いています。
その夜、有馬喜兵衛の使いが、僧庵を訪れて試合応諾(おうだく)を伝えたので、初めて事の次第を知った庵主は胆を消し、
「小倅(こせがれ)の悪戯ゆえ、なにとぞ深くお咎(とが)めなく容赦(ようしゃ)されたい」 と百万陳謝した。 が、喜兵衛にしても、高札を塗りつぶされたからには、武芸者としての面目上、黙って引き下がるわけには行かない。 折衝の末、庵主が矢来の前へ弁之助(武蔵)を伴い、衆人の前に無礼を詫びることになった。 明くれば、弁之助挑戦の趣(おもむき)を伝え聞いて、矢来のまわりには盛んな群集であった。 270ページ 『随筆・宮本武蔵』 これを読むと、喜兵衛に“スキ”があったことがすぐに分かる。子どもだと思って侮(あなど)った。そのスキを狙って、武蔵は棒で撲りつけた。 つまり、有馬喜兵衛は漢字馬鹿さんのように成りすまし者だったのでござ~♪~ますか? 僕も、そう思いますよう。武芸者に成りすまして、まず子供の武蔵を相手に試合を見せて宣伝して、あわよくば仕官の誘いを期待したのでしょう。あるいは近隣のヤクザから用心棒の誘いがあることを期待したのかもしれません。いずれにしても、賢(かしこ)い武蔵から人物を見抜かれていたことが分かる。 相手に勝てそうにないと思ったら武蔵は謝ったでござ~♪~ましょうか? 僕ならば、そうしますよう。有馬喜兵衛がたいした人物ではなさそうだと思ったから、武蔵はかかっていったのですよう。負けそうだと思ったら、闘いませんよう。父親に小刀を投げつけられて逃げ出したように、その時、武蔵は逃げ出していたはずですよう。 漢字馬鹿さんも、言ってみれば、武蔵に殺された有馬喜兵衛のように愚かな成りすまし者だとデンマンさんは見ているのでござ~♪~ますか? もちろんですよう。真剣勝負であったら、漢字馬鹿は有馬喜兵衛のように命を落としていたでしょう。 デンマンさんは、かなりの自信がありますねぇ~。。。 漢字馬鹿をじっくりと観察すると人間として“スキ”だらけですよう。 たとえば。。。? 成りすますのが下手糞(へたくそ)ですよう。すぐにバレるような“成りすまし”をやる。次の文章など、まともに見えるけれど、僕が書いたコメントと比較すると底が浅いことがすぐに感じ取れる。。。だから、めれんげさんも“胡散臭い女”だと思って相手にしなかった。返信を書いていませんよう。
めれんげさん、はじめまして。 2月12日の記事(裏切りはやさしく)で、 インターネットを利用して、差別用語を書くことは、 発言された方は、ご年配の方なのでしょうか。 言葉狩りをするつもりはありませんが、 めれんげさんは、当該の発言者を野放しにせず、 長文失礼いたしました。 なつみ 2009/04/14 3:56 PM 『即興の詩 青空』のコメント欄より しかも、翌日まで待って成りすませばよいものを、待ちきれずに、今度は「アザイゲ」に成りすまして、次のような破廉恥なコメントを書く。
頭は固いがチ○コは柔い粘着自演ジジイなんか相手にするなよ。 言いたい事があるなら レンゲのフォーラムに来るんだYO!! って言われんぞ。 アザイゲ 2009/04/14 4:15 PM 『即興の詩 青空』のコメント欄より 漢字馬鹿は「なつみ」に成りすまして次のような偽善者のコメントを書いている。 他人(めれんげさん)のブログに、
コメントするのであれば、
最低限のマナーと常識を
持つのが当然だと考えます。 それから19分後に、漢字馬鹿は、今度は「アザイゲ」に成りすまして破廉恥なコメントを書いた。すぐに同一人物が書いたものだとバレてしまう。 頭は固いがチ○コは柔い
粘着自演ジジイ これも漢字馬鹿さんが書いたのでござ~♪~ますか? そうなのですよう。最低限のマナーと常識を持つのが当然だと考えます、と書いておきながら破廉恥なコメントを書いている。こうなると、恥の上塗り、馬鹿の上乗せ!
【卑弥子の独り言】
ですってぇ~。。。 とにかく、面白い話題が続きますう。
ィ~ハァ~♪~! メチャ面白い、
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■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に別荘を持つことを
夢見る小百合さんの物語』
こんにちは。ジューンです。
漢字馬鹿さんは、懲りもせず
相変わらず成りすましています。
でも、すぐにバレてしまうのです。
どことなく、抜けているのが
なんともかわゆいですよね。
かわゆいと言うよりも
オツムのネジが何本か抜けている
と言った方が良いかもしれませんわ。
うふふふふ。。。
漢字馬鹿さんの事は
上のリンクをクリックしても読めますが、
デンマンさんが、さらに面白い記事を書いています。
時間があったら読んでみてくださいね。
■ 『小泉純一郎君は漢字馬鹿か?』 ■ 『小泉純一郎と名乗る漢字馬鹿』 それにしても、呆れるほどに
デンマンさんは書きましたわ。(爆笑)
ところで、小百合さんが面白い記事をまとめて
小百合物語を作りました。
もし、小百合さんの記事をまとめて読みたいならば、
次のリンクをクリックしてくださいね。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
YouTube 動画
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